ああ、まただ。
偶然、ボスの執務室に続く廊下で、目端に捉えてしまったその光景に雲雀は歯をぎしりと鳴らす。
昔から、そう昔から。当たり前のようにその光景は在った。

つんつんと逆立った色の抜けた茶の髪。後ろ髪だけは尻尾のように長く伸ばされており、彼が身動ぎする度にさらさらと揺れる。遠目からでも認識出来る、年齢とは一致しない幼い容貌は可愛らしく、これが世界最大のマフィアのボスだなどとは信じられない。
そんな彼の目の前に立つのは、淡色の肌を漆黒の衣で隠している少年。幼い年齢の割には物騒な空気を醸し出す現世最強を謳われたヒットマン。いつもいつも不遜に、シニカルに浮かべる口元だけの笑みは十を越えたばかりの子どもには不似合いなもの。それでも、彼にはよく似合っていると雲雀は思う。
昔からの馴染みの綱吉とリボーン。二人とも雲雀は気に入っている。ただし、それらは単品での話だ。今このときのように、二人一緒でいるならばどちらかを噛み殺してでも引き離したい。
実際ボスである綱吉が執務時間であるにも関わらず執務室に居らず、廊下で話をしているのだから仕事をしろと部屋に連れ戻す権利が側近の雲雀にはある。それでも胸中に渦巻くその思いとは裏腹に背を壁に預け、二人の話が終わるのを待つ体勢に入った。変わらず内面では苛々としてはいるが、それを表面には出さないように静かに二人を見遣る。
不意にリボーンは手に持っていた何かを綱吉に渡した。小さな茶色の紙袋に入ったそれを受け取りながら綱吉はリボーンの言葉に耳を傾け、微かに頬を緩ませる。
何を喋っているのだろうかと耳を欹(そばだ)てても、流石に遠く離れたこの距離では雲雀の鼓膜は震わされることなく目の前では二人きりの内緒話。
眼に映る、はにかむように笑う綱吉に胸が焼けるような重い不快感を与えられる。
昔も今も変わらず、室内でも人前でも身に着け続けるシルクハットの大きなツバに隠された表情はどんなものだろうか。いつものように不遜なものだろうか、それとも目の前に晒された幼顔の微笑みに釣られ笑っているのか。
そう思えば苛立ちは絶頂に達し、雲雀の身からは殺気が立ち昇る。手にしていた書類は正式なもので、汚れや皺を防ぐためにカバーをされていたというのにバキっと破壊音を立てて気遣いは書類と共に空しく散った。
流石に殺気に気付いたのか二人は漸く此方を向いた。きっと現世最強のヒットマンは雲雀が此処に来たときから気付いていたのだろうけれど。それでも彼は今気が付いたといわんばかりに声を掛け、傍近くに寄ってきた。
「よお、元気だったか、雲雀」
「まあね、そっちは久しぶりの本業で中国のほうに行っているって聞いていたんだけど、デマだったのかな?」
「いや、そのターゲットがイタリアに来ていてな、暫くは手を出せない状況が続くから少し息抜きに来てたんだ」
「ふーん。まあいいけどね、うちのボスに迷惑だけは掛けない様にしてよね?」
明らかに含まれている棘に気づかないほど目の前にいる彼は愚鈍ではない。その証拠にツバの奥にある瞳がゆるりと細められ、此方を睨んでくる。
「…ぁ…」
弱々しく、けれど互いに殺気立ち始めた二人を諌めようと口を開こうとした彼には目を遣らず、ただ綱吉と名を呼び彼から紡がれる筈だった言葉を圧し殺す。それは重く重く、口答えなど赦さないと告げるように。
「は、はい」
リボーンと二人きりでいたときとは違い、声音にも表情にも微かに緊張が混じる。普段の雲雀ならば綱吉とてこんな態度は取らない。けれど今の雲雀は機嫌が悪いのだと自覚しているのだろう、出来るだけ琴線に触れないようにと綱吉は慎重に言動を選んでいる。
その様子に、なんだか従順さを感じ、目の前の男とにらみ合いながら雲雀は口元だけに笑みを浮かべる。
けれど、綱吉は雲雀が何故怒っているのかはわかっていない。原因が綱吉自身にあるとは、思っていない。
「何で部外者と会っているのに君は応接室にいないの?それに護衛の者もいない」
「え、…でも、リボーンはっ…」
「過去は君をボンゴレのボスにするため家庭教師をしていたとしても、今はボンゴレには関係ないでしょ?それともリボーンはボンゴレ専属だったけ?」
射るように鳶色の瞳を睨みつければ彼は言葉を返すことも出来ず、息を詰まらせて俯いた。
「リボーンの本業は、なんだっけ。綱吉?」
「………」
「聞こえてないの?」
「…殺し屋、です」
「ワォ、解ってるじゃない。なのに、もしかしたら彼がボンゴレファミリーの十代目ボスである君の暗殺依頼を受けている可能性については考え付かなかったんだ?」
叱責するような口調と視線で、成人男性にしては細い肩がびくりと揺れる。俯いた顔が雲雀を見ることはなく、けれど今、口にされたことはないのだと否定の言葉を捜すコドモに雲雀は苛立ち溜息を零す。
「オレはツナに関する依頼は絶対に外部からは受けるつもりはない」
断言するような強さで言い切ったのは勿論リボーンで、けれど雲雀はその言葉にどんな意味があると嘲笑った。
「なんなら誓約書でも契約書にでも拇印を捺してやるぜ?」
「生憎、殺し屋の言葉はファミリーでもない限りは信用できない。この業界では当然じゃない?」
「ひ、雲雀さん、でもリボーンはいつだってボンゴレを優先して仕事を請けてくれてます」
流石にそれは言いすぎだと綱吉は顔を上げて雲雀の服に縋りつく。
「それが何?ねえ綱吉、君がそんな風に過剰に信用して、いざそれが裏切られたとき部下たちになんていうの?リボーンはそんな奴じゃない、間違いだから真実を確認するまで傷を付けるなとでも言うつもり?そうしてボスの言葉に従わせて部下の骸を山済みにするつもり?君がすべきことはボンゴレのファミリーの先頭に立つこと、為すべきことは彼らの安全無事への配慮でしょ。部外者の心配なんてしている暇があるの?」
部外者、その言葉に綺麗な鳶色の瞳を盛大に見開き口唇を戦慄かせる綱吉の顎を力任せに掴む。痛みに細める瞳を覗き込むように、雲雀は屈みこんだ。
険のある禍々しい瞳、うっすらと笑う口元。二つの琥珀には真っ黒な自分の姿が映し出される。
細い咽喉からは息を呑む音が聞こえる。
「ねえ、彼はファミリーの人間?」
「ひば、…」
「部外者?」
「雲雀さん、」
「どっち、ボンゴレファミリー十代目ボス?」
ぎり、と音が鳴るほどに、顎を掴んだ手に力を入れた。
綺麗な彼の瞳からは雫がつっと頬を伝い落ちていく。
「答えなよ」
「ぶ、がいしゃ、です」
「そう、じゃあ、部外者との面会方法は?」
「雲雀、さん…」
なんでこんなことを言わせるのかと綱吉はまた涙を零す。弱々しく赦しを請うような彼に雲雀が返したのは逆らうなと言わんばかりに強くなった眼差しと、望む言葉だけを音にしろと要求する顎先への鈍痛。
「っ…応接室で、…護衛の人間を扉に四人、室内で五人入れて置くこと、」
「面会人の武具類のすべては預かるってことは忘れているようだけど、まあ解ってるじゃない」
綱吉がリボーンを部外者だと認めたことに取り敢えずは満足し、雲雀は指から力を抜き解放してやる。
瞬きする度に白い頬を走る雫を舌で舐め取る。
「しょっぱい」
頬に触れた生温かい感触にびくりと肩を震わせ綱吉は戸惑った色を見せた。雲雀は気にも留めず目尻に留まる涙に舌を伸ばすが、捕らえてもいない身体は逃げるように捩られ拒絶を示す。それが気に食わず、雲雀はつい先程まで顎を掴んでいた手で今度は色の抜けた茶の髪を鷲掴みにする。
「いっ」
呻き、新たに零される涙に舌を這わせ頬を掠めるように口付ける。
「雲雀、さん…」
口付けた柔らかな頬とは違い、すっきりとしたラインを引く自身の頬に吐息掛かった甘い声音が触れる。そのお返しに雲雀は綱吉の白磁にも似た色合いの耳に音を吹き込んでやる。
「二度目は、ないよ。綱吉」
ただ、厳しく。強く。重く。普段与えてやる、その細い腰すらも砕くような甘さなど一切、欠片として含まない。ある意味命令のように、たった一人の主の鼓膜を優しく震わせる。
「いいね?」
その後は、ボスが大切にする部外者を丁重に玄関へ帰すために、雲雀は壁のとある一角に、力の限りで握りしめた拳を抉りこませた。途端、莫大な音量が屋敷中に響き渡った。
「心得ておいて」
その一言は、引き寄せた存在にではなく。自身には立ち入れないことを重々理解している賢いあの男に。
雲雀と綱吉の間には、ほんの少しの隙間もなく。けれど、リボーンと綱吉の間には四、五歩の空間がある。たった、数歩。けれど、確実に離れている立ち位置。それを心得ろ。
雲雀は、ただ無言のまま背筋を粟立たせるほどの恐ろしさで射殺さんと睨みつけてくるしか出来ない男を、嗤った。

(だって、ねえ、赤ん坊。君は僕と同じくこの子に求められたけれど、束縛されるのが厭だの何だのと断っただろう。そのくせいつまでもこの子の傍は自分だけの居場所だなんて思っているの。そんなことある訳ないじゃない。僕が、赦さない。君がこの子の求めを断ったとき、どれ程嬉しかったか分かるかな。これで漸く、あんな光景を目にすることはないんだと、悦んだよ。いつだって、あの馬鹿犬共よりも、僕よりも、綱吉は君といるときに一番よく笑った。それがどれほど僕の癇に障っていたか。知らないだろう、気が付いてはいても、知らなかっただろう。出来るならば綱吉の中に存在する君を抹消したいなんて考えていたなんて。)

世界最大のマフィア、ボンゴレファミリーの十代目ボス。彼が、リボーンを部外者と認めた。その瞬間、何よりも当然のように在り続けた綱吉とリボーンのたった二人だけの内緒話は二度と叶わなくなった。雲雀の瞳にも映らない。

「リボーンが帰るから、外まで送って」

警報音に駆け集った部下に告げ、雲雀は俯いてしまった綱吉の肩を抱いてその場を去る。ちらりと見えたヒットマンの右手は固く握りしめられ、指の間からは赤い雫がぽたぽたと上等の絨毯を濡らしていた。

(無様だね)

音にはせず、ただ綱吉が綺麗だといった口唇で、その言葉を現世最強の称号に拘った子どもへ贈った。まるで賞賛するように、瞳を細めて甘い微笑を浮かべて。

(無様だ)

肩を抱かれた綱吉は、ただ茶色の紙袋を胸にぎゅっと握りしめていた。大事そうに、大事そうに。





「ああ、なんだって?聞こえないよっ」
ドゴッ。
耳慣れた自分でさえ耳を塞ぎたくなる重く鈍い音を奏でたのは、雲雀が愛用しているトンファーと既に顔がぐちゃぐちゃにされているくせに何故か鮮明に意識を保たれているらしい男。
男は必死に助けを求めているのか、赦しを請うているのか、雲雀の足に手を伸ばす。アーだか、ヴァーだか雲雀が耳障りだと最初に咽喉を潰してしまった所為で男が発する音はお世辞にも明瞭だとは云えず、寧ろ音になっているのかさえも分からない。どこか風の鳴き声が濁ったようで、此方のほうがよっぽど耳障りではないだろうか雲雀を見遣る。
「うわー。随分溜まってるようだよな、あれは」
トンファーを躊躇いもなく打ち込む雲雀の表情に、ひくッと山本の頬が引き攣る。まあ、それも無理はないかと、武は少し赤黒い染みが出来てしまったシャツの一部をカリカリと爪で引っかいた。
「まだまだ永くなりそうだよな、雲雀の様子じゃ」
後どれくらいいたぶる心算だろうか、あの様子では一時間なんて生易しいもので終わらせるとは思えない。
「あの男も余計なこと言ったよな、あれさえなけりゃ楽に死ねてただろうに…」
それの所為で雲雀は喩えようもない恐ろしい表情で、普段なら絶対にやらないような嬲り殺し方をしている。
持ち合わせていた名刀の手入れでもしているかと鞘から刃を取り出す。数時間前に付いた血を一応拭き取りはしたがちゃんとした手入れではないので白刃の部分が少々曇り始めている。
垂直に立てた刃をまじまじと眺めていれば背後の光景が鏡のように白刃部分に映る。
そうしてふと思ったことを、この際声を張り上げ聞いてみた。
「なあー、恭弥。俺の分配ちゃんと考えてるかー?」
「五月蝿いっっ」
「……………」
間髪無く帰ってきた言葉に山本は自身の分配を諦めた。いつも冷静、若しくは非情な冷め具合の雲雀にしては珍しく、感情を露にした怒鳴り声。これでは怒りが収まるのはいつになるやら分からない。
大体もしも山本に分配があるとしても、きっと顔の判別どころか、性別の判別すらも難しくなった、数時間前までは人間であったなどとは到底思えない遺骸の処分方法だけだろう。
「はあ、オレだってやりたいんだけどなあ」
そんなことを呟いてみても、きっと背後で恐ろしい音を一秒たりとも途切れさせない男は再度煩い、若しくは黙れと返すだけなのだろう。
ああ、自分だって親友でもありファミリーのボスのことがとても好きで、だから彼を汚すような言葉は誰が吐くものであっても許せない。
『あんな、女顔のボスの下では満足できないでしょう。どうですか、我々と手を組みませんか。そうすれば貴殿方にボンゴレを任せたいと思っているのです』
それは、確かに腹立たしい言葉ではあったが、雲雀恭弥をあそこまで兇変させることではなかった。問題だったのは、その次に続けられた言葉だ。
それさえなければ、今も地に這い蹲る男はただ拳銃で心臓を撃ち貫かれるだけだっただろう。心臓に出来た穴は次第に呼吸困難を強いられ痙攣を起こすようにして苦しみながら死んでいく。それは、大層苦しい死に方らしいが今味わっている苦しみよりも何万倍と楽な死に方だろう。いずれは死が訪れる痛みなのだから。雲雀は最高強度の鉄で出来たトンファーを力一杯、けれど決して死なないように振るっている。ファミリーにドクター・シャマルなんて物騒な医者の殺し屋がいるせいで、雲雀は面白い物を色々と所有している。例えば、今はあの男に作用している、一定時間再生能力が上昇させるもの。お陰であの男は暫く死ねない。どんなに血を流しても、どれ程深く傷を抉られても。
言ってはいけなかった一言により急遽殲滅が決まってしまった中級マフィアの本部建物は半壊しており、壁という物が無い。風は遠慮も無く所々囲いを失った室内に入り込み山本の短い髪を揺らす。
『ああ、でもあのボスでも性欲処理には使えそうですね』
「…うるせえよ」
甦った言葉に眼を眇め、ぼそりと低く零し、山本は手に持っていた名刀をひょいッと放り投げた。
数瞬後、何かが重く突き刺さったような音と、男の耳障りな叫び声と、背中には慣れてはいても恐ろしいとしか言いようのない殺気を感じた。けれど恐ろしいのは、それでも一瞬の躊躇もなく続く打撲音や呻き声なんだろう。
「これぐらいはね、許容してもらわなきゃなぁ」
空は闇色。星が煌き、白銀の月は淡く虐殺現場を照らす。
凄惨的BGMを子守唄にして一睡の夢を望み、山本は薄汚れた床に身体を横たえ目を閉じた。













孤独な王に献上したのは
臣下の歪んだ愛情。












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