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「宝塚 fly me to the moon」の歴史のなかで、節目節目を飾ってきたのがラジオドラマ。
番組の初代ディレクターだった“せみっち”が舞台音響などの経験を持っているというということも大きく関係していると思われるこの展開、しかしこれまで「演じる」という経験がなかったYatchにとってはかなり過酷な作業であり、つねに惨憺たる結果を招いています。
そんな悲惨な思い出はひとまず脇へおいておくとして、ここでは数ある宝塚 fly me to the moonの過去のラジオドラマのなかで、Yatchが書いたシナリオや、リスナーのアッチさん(後にスーパーアッチさん〜ルッチさん〜ウッチさん)からいただいたプロットをYatchが脚色したショートストーリーをご紹介したいと思います。

アイコン 「離陸」
2002年、リスナーであるアッチさんからいただいたプロットをYatchが勝手に脚色した作品です
また「離陸」には過去にストーリーのその後の展開をweb上で皆さんに自由に創作していただける企画=チェインストーリーがありました。
現在は終了していますが、そちらも再録しています。
「離陸」の終わりにリンクがありますのであわせてお楽しみください。
アイコン 「同窓会」
2005年の冬のドラマスペシャル用に書いたシナプシスだったように思うのですが、定かなところは不明です。
アイコン 「ようこそSirla!
2006年10月、Sirla初登場の際、歓迎の意味を込めて書いた、番組オープニング用のショートドラマです。
アイコン 「クリスマス・メルヘン」
2006年冬のドラマスペシャル用の作品です。
アイコン 「煙草の女」
2007年夏のドラマスペシャル用の作品です。たからづかフォーリンカルチャー中国語タイムの後中さんにお褒めの言葉をいただいた作品です。


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「離陸」 2002冬


カラン・・・。バカラのグラスで氷が踊った。
それに促されるかのように彼女は足を組みなおした。
けっして重い空気ではなかった。むろん軽くもない。彼にとってはきわめて心地いい密度の空気だった。
ほんの2、3分前から穏やかな沈黙が二人を支配していた。
黄昏時から降りはじめた雨が、壁一面にはめ込まれた巨大な窓ガラスに飽きることなく幾重もの尾を描いていた。
時刻はまもなく午後10時になろうとしている。ホテルの最上階にあるこのバーからは空港が見えた。夜には滑走路のイルミネーションが見事だ。そして今夜のような雨の夜は、そのイルミネーションがにじみ、あるいは瞬き、カウンターのこちら側に腰掛ける客たちの目を楽しませてくれる。そしてそれと同時に、ガラスは夜には鏡のようにこちら側のシルエットを、窓の外に広がるイルミネーションとさりげなく重ね合わせてくれる。だから今のように彼の隣でカウンターに両肘をつき、自分の両手のひらで包んだグラスを見つめる彼女の、どことなく微笑んですらいるように見える端正な表情を彼はなんのてらいもなく心行くまで見つめることができた。
「あなたは・・・、私の言うことならなんでもきいてくれるのね」
やさしい微笑をほんのりと横顔にただよわせ、彼女はグラスを唇へとはこんだ。
「そうだよ」
彼女の横顔から外のイルミネーションへと視線を戻しながら彼はそう答えた。
「月へ…つれて…いって…」
「月?」
「そう、お月様」
グラスをカウンターに置き、視線を一旦天井に移した彼女が彼の横顔を覗き込んだ。
彼はタバコに火をつけた。そして大きく煙を吐いた。答えに困ろうとしている自分がいた。すんなりと答えてしまうのがとても惜しく感じられる。
このシチュエーションにふさわしい、趣味のいい難問だ、と彼は思った。
そしてそれはまた、彼女のなかのいくつかの思いと、その思いを深刻なものにしてしまわない彼女独特の強さ、さらにはその強さを隠すため、意図的に行き場を見失った状態を作り出し、自分の弱さを本能的に演出する術でもあった。

先ほどまで店を満たしていたボサノヴァが別のアルバムに取り替えられた。スローなピアノソロにアレンジされたIn Other Wordが流れ始める。In Other Word・・・言い換えるなら・・・。そう、言い換えるなら、だれよりも遠い存在…いや、やめておこう。せっかくの趣味のいい彼女の出題が台無しになってしまう。In Other Word…。Fly me to the moonの原曲。月へ飛ぶ思い、私を月へ連れて行って…その思いを、ほかの言葉に置き換えるよりも、そのままにしておいたほうが、今夜のシチュエーションにはしっくりとなじむ、そう彼は結論づけることにした。
「行こう。月へ。」
「ありがとう。」
微笑む彼女。その両手のひらに包まれたバカラにうっすらとついた彼女の口紅が、今夜の彼にはひときわいとおしく思えた。
「行こう。月へ。」
念を押すように彼はもう一度同じせりふを繰り返した。
そのとき、目の前の滑走路から一機、飛行機が飛び立っていった。
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「同窓会」
 2005冬/シナプシス


■CAST 弥生...Masha
      省吾...Gotch
      土屋ヨシオ...Yatch


あれから相当の月日がたっていた。
3人はそれぞれの道を歩んでいた。
弥生はMCの事務所に籍をおいていた。
省吾はサラリーマンをやる傍ら、学生時代の音楽好きが高じて、たまにライブハウスなどへ出ていた。
土屋は広告代理店を退職して構成作家的な仕事をフリーでやっていた。

ある夜疲れて帰ってきた弥生のマンションの集合ポストに一通の手紙が入って
いた。差出人は同窓会幹事として、省吾の名が書かれていた。
「同窓会・・・」
一人ごちる弥生。
部屋へ入り、あらためて招待状をみる。日程と場所、そのほかには簡単なあいさつ文だけがそこには書かれていた。
(省吾の溌剌とした声で文面が読み上げられる)
「省ちゃん・・・」
つぶやきとともにフラッシュバックする学生時代の屈託のない、そして甘く切ない思い出。

                              *

土屋のもとへかかってくる一本の電話。
「おやおや、誰かと思えば…久しぶりじゃないか弥生。それにしてもよくわかったな、この番号…」
「大変だったのよ、探すの…」
会いたい、土屋に告げる弥生。

                              *

バーで落ち合った土屋と弥生。他愛ない思い出話が続く。しかし、女としてずいぶん変貌を遂げた弥生に内心驚く土屋は、同時に他愛ない話に終始する弥生に違和感を覚え始めていた。
「そんなに飲んで大丈夫か?」
「もうね、これくらいの歳になるとね、だいぶ平気よ」
「で、どうしたの?急に呼び出したりなんかして」
実は…と弥生がバッグから取り出したのは、数日前土屋のもとにも届いていた同窓会の案内だった。
「行こうかどうしようかって迷ってるの」
なかば投げやりにグラスのふちに視線を落としたまま弥生がそう言った。
「迷うことなんてないよ。行けばいいじゃない。省吾も喜ぶぜ、きっと」
「わりとあっさり言うのね」
「まあね。これでも君のこと清算するのに時間かかったんだから」
「そう。」
「迷うことなんかないよ。ま、クリスマスイブにやるっていうところはいただけないけどね」
「実はね、私ね、いま気になる人がいるの」
「おやおや、また俺を三枚目にする気か」
「でね、その人は私がいま所属している事務所の人なんだけどね」
「ふ〜ん」
「家庭があるの」
「妻子持ちか。厄介だな。」
そして弥生は、今のそんな自分は同窓会になど行ける立場ではないと思うのだといった。
「でもね…」
反面、いまのこの苦しいだけの恋を清算するためにもう一度省吾に会いたいと思い、葛藤しているというのだ。
「逃がれられるものならすべてから逃れたい」
バーに流れるBGMがFly me to the moonに変わる…。
「そうね、月の世界にでも行ってしまえれば、いっそ楽になるかもしれないわね」
「苦しんでるんだな」
「別に同窓会の招待状が来たからじゃない。もう、ずっと苦しいの。ほら、月ってね、ほかの星と違ってすぐ近くに見えるじゃない」
「ああ」
グラスの氷が透明な音を立てて崩れた。
「手を伸ばせば届きそうなほど。」
「ああ」
「でも、絶対に届かないでしょ」
「月の世界へ行ってしまいたいなんて、本当に思ってるのか?」
「ううん、月よりも遠いのよ、あの人は…」
流れるFly me to the moon。

                              *

雑踏の中。鳴る携帯の着信音。
「おお、ヨシオ、久しぶりじゃん!どうした?え?ごめん、ちょっと電話遠いんだけど?え?集まり具合?同窓会の?ああ、まぁそうだな、半分くらいで落ち着きそうだな。え?弥生?あぁ弥生は欠席らしい。え?話し?いいよ、別に。うん、うん、わかった。じゃぁな!」

                               *
 
「季節は冬!!」そしてクリスマスイヴの夜。
同窓会を抜け出してきた省吾、仕事を何とか切り上げてきた土屋、そして弥生…。
懐かしさがピンと張りつめた冬の夜空をやさしく解きほぐしていく…。
そして弥生は自分の今の苦しい思いをついに省吾に語ることはなかった。
やがて三人はつかず離れず、ずっと友達でいようと約束を交わし、再びそれぞれの道を歩き始める。

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「ようこそSirla
 2006年秋


■CAST サーラ...Sirla
       ゴッチ...Gotch
       ヤッチ...Yatch


♯1 黄昏の街角

都会の喧騒、行きかう車、遠くに響くクラクション
響くハイヒールの音

サーラ 「んー?たしかこのあたりなんだけどなぁ」

携帯のプッシュ音
サーラ 「あ、もしもし、すみません、そちらへの行き方を教えていただけませんでしょうか?(電話の相手の説明を聞いている)…ええ、はい、はい、わかりました」
再び足早に歩き出すハイヒールの音

(M・IN)

                              *

♯2 建物

(扉を開くS・E)
(人のざわめき、シェーカーの S・E)

サーラ 「あのぉ」
ヤッチ 「はい?」
サーラ 「あの、私、今夜、ここへくることになっていた…」
ヤッチ 「あー、あなたなんですね?」
サーラ 「え?あ、はい、私が…そのぉ…」
ゴッチ 「いらっしゃい、お待ちしてたんですよ」
サーラ 「え?じゃぁあなた方が…?」
ヤッチ 「私がヤッチで、彼が…」
ゴッチ 「ぼくがゴッチです!」
ヤッチ 「よくおいでくださいました。じゃ、早速これを…」
サーラ 「これは?」
ゴッチ 「ご覧のとおり、仮面ですよ。ここは昼間の喧騒から逃れてきた人たちが集う場所なんです。ひととき、自分という入れ物からも開放され、自由にココロを遊ばせる場所」
ヤッチ 「だから仮面舞踏会のようにこの「ペルソナ」をつけていただくんです」
サーラ 「(戸惑いを隠しながら)あ、はい、わかりました。…こうですか?」
ゴッチ 「よし!準備完了!」
ヤッチ 「今夜からあなたはここでは「サーラ」と呼ばれます」
サーラ 「サーラ?」
ゴッチ 「サーラ!心から歓迎しますよ!」
ヤッチ 「では、早速ですが、あの言葉を…」

(M F・О)

サーラ (タイトルコール)「宝塚 フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」
(ОP・M)

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「クリスマス・メルヘン」 2006年冬


■CAST 沙羅子...Sirla
      呉土 卓郎...Gotch
      八千男...Yatch


♯1 黄昏の街角

都会の喧騒、行きかう車、遠くに響くクラクション

八千男 「おぉ、寒み」
沙羅子 「ほんと、寒いわねぇ」
八千男 「しかしおめぇもかわってるな、沙羅子。こんなバタ臭え夜に鮨食いてぇなんて」
沙羅子 「さ、沙羅子?あぁ、そうだったねぇ、あたしゃ確かそんな名前だったねぇ。そんなことはともかく、いいじゃないのさ、クリスマスだからって七面鳥じゃなきゃダメだなんてきまり、ないだろう?」
八千男 「ま、ちげぇねぇけどさ。おっと着いたぜ。おぉ寒みぃ、寒みぃ」

                              *

♯2 古びた鮨屋のカウンター
<木戸を引くS・E>

卓郎   「へいらっしゃい!」
八千男 「よぅ、卓郎、ほぅ、今夜はさすがにすいてるな」
卓郎   「おう、クリスマスだからな、しかたねぇや。今夜は早仕舞いだ」
八千男 「何でぇ!どうせ今夜みてえなハイカラな夜にはよぅ、閑古鳥が鳴いてるだろうと思って、幼馴染のよしみで来てやったっていうのに、来て早々店仕舞いの話しかい」
沙羅子 「違うんだよう卓郎さん、あたしが来たいって言ったのさ」
卓郎   「どうせそんなことだろうと思ったよ」
八千男 「四の五の言ってねぇで、とにかく熱いの一本つけてくれや、上燗でな」
卓郎   「はい、上燗一丁!沙羅子ちゃんはどうする?」
沙羅子 「じゃビールをおねがい」
卓郎   「はい続いてビール一丁!どうする?なんか適当に造りでも盛り合そうか
?」
八千男 「いや今夜は飯まだなんだ。なんか適当に握ってくれねぇか、沙羅子、おめぇなんか握ってもらいてぇもんあったら適当にたのめよ」
沙羅子 「そうねぇ、じゃあ取りあえずそこのおいしそうな縁側、もらっとこうかね」
卓郎   「縁側!八千男、おめぇはどうする?」
八千男 「や、八千男?あぁそうか、確か俺っちはそんな名前だったな…じゃ俺っちは、そうさなぁ…鯛でももらおうか」
卓郎   「鯛!」
八千男 「あぁやっと温もってきた」
卓郎   「はいビール、お調子お待ち!」
八千男 「おぉすまねぇ」
<徳利からコロコロと小気味よく猪口に酒が注がれるS・E>
八千男 「んひゃー沁みるねぇ、ところでおまえっちのヘンな名前のペット、どうしてるんだい?」
沙羅子 「そうそう、たしか「ローズ」とかいったねぇ」
卓郎   「おおう、おかげで元気だよ!」
八千男 「ペットもいいが、おめぇもそろそろ身ぃ固めたらどうだい?」
卓郎   「そうだな、いい娘(こ)がいたら紹介してくれよ沙羅子ちゃん」
沙羅子 「うそばっかり、ほんとはちゃーんといるんだよぅ」
八千男 「えぇ?そうなのか?」
沙羅子 「決まってるじやないか、だから今夜は早仕舞いなのさ」
八千男 「ほんとうか卓郎?」
卓郎   「そんなんじゃねぇ、でも今夜はもう少しで看板だ。」
八千男 「なんでぇ水くせぇなぁ、じゃあ何かい、そのローズとか言うペットとクリスマスを過ごすのかい」
卓郎   「まぁ、そんなところだ」
沙羅子 「うそうそ」
卓郎   「うそじゃねーよ、もう何年もクリスマスの夜はずっとそうさ」
八千男 「なんだかなぁ…ほんとうか卓郎?ほんとうなら少々寂しすぎるぜ、おい沙羅子、おめぇの友連れで誰か器量よしはいねえのか?」
沙羅子 「いないこともないけど、ねぇ卓郎さん…」
卓郎   「いいんだ、どっち道俺は所帯はもてねぇ身なんだ」
八千男 「どういうことだい?」
卓郎   「そうさな、今夜はクリスマスだし、おめぇとは永年の付き合いだ。何もかも白状するとするか」
八千男 「なんでぇ、その白状って!おめぇに隠しごとされてるなんて聞いてねぇぞ!」
沙羅子 「あたりまえじやないか、聞いてないから隠しごとなんだよ」
八千男 「ちげえねぇ、馬鹿!ヘンなところで納得させるない!で、何なんだい、その白状ってのは」
卓郎   「お、そろそろ時間だ。実際に見せてやるよ」
<めくるめくきらびやかなSE、重なる鐘の音、幻想的な音のイリュージョン(!)>
八千男 「なんてこった…」
沙羅子 「卓郎さん、なんだいその格好!えぇぇ?」
八千男 「おめぇ、そのかっこうは、サ、サンタクロース?」
沙羅子 「じゃもしかしてそこにいるトナカイが…」
卓郎   「そう、ローズ」
沙羅子 「じゃあもしかして卓郎さん、ローズ、合わせてくっつけていれかえてサンタクロース、ってことかい?」
卓郎   「そういうことさ」
八千男 「って、おまえ、俺っちと幼馴染じゃないか、じゃあ子供の頃からサンタクロースだったってことか?」
卓郎   「いや、餓鬼の頃はそうじゃなかったさ。でもある時突然知らせがくるんだ、あなたはサンタクロースに選ばれましたって…」
八千男 「なにをばかばかしい!それともなにか、俺っち飲みすぎたのか?あれ
れ?店は、今まで俺達がいたあの薄汚根ぇ鮨屋はどこいった?」
卓郎   「あれは、ほら、目の前のそりになったってわけさ。じゃそろそろいくよ」
呆然と立ちすくむ二人を後に、星々の瞬く夜空へロースの曳く卓郎を乗せたそりが舞い上がる。壮大な風景。
八千男 「あぁ、いっちまった」
沙羅子 「夢でも見てるみたいだねぇ」
八千男「へぇー世の中には不思議なことがあるもんだなぁ」
沙羅子 「ホントだねぇ、あれ?知らない間に…雪…」
八千男 「どうりで寒いと思ったぜ」
沙羅子 「でもなんだか心はとってもあったかい」
八千男 「ちげえねぇ」
(M F・О)

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「煙草の女」
 2007夏


■CAST 彼女...Sirla
      僕...Gotch



<街角、セミ、車、歩行者S・E〜歩く靴音>

僕   「なに食べに行きます?」
彼女 「君ね、誰にもの言ってるの?」
僕   『おっと、そうだった。どうみても彼女のほうが十以上は年上、しかもプロパーだ。今のセリフはちょっとなれなれしすぎたかもしれない。』

<デパート売り場S・E>
僕   『僕は大学の長い夏休みを、とあるデパートのバイトに費やしていた。デパートではメーカーから売り場へ派遣される人たちのことをプロパーと呼ぶ。そしてプロパーはデパートの社員さんとは明らかに違うムードをもっている。 だから少し慣れてくるとすぐに見分けがつく。なかでも彼女は特に独特のムードを漂わせていた。』
彼女 「これはね、こんな風にたたむのよ」
僕   『彼女が最初に僕にかけた言葉がこれだ。黒いスーツ姿に黒のパンプス。ぴっちりと後ろに詰めた髪と、ごく薄いメイクは、いかにも仕事第一主義な彼女の生き方を物語っていた。しかし何より彼女の印象を際立たせるのが「煙草」だった。』

                              *

<デーパートの店員休憩室S・E>
僕   『デパートの店員のための休憩室はいつも煙草の煙が充満していた。その頃はまだ分煙とか、受動喫煙という言葉がなかったから、みんなおかまいなしに吸っていた。しかし、女性の喫煙率は今ほど高くはなかったから、彼女が煙草を吸う姿はやはり僕には興味深いものだった。いや、違う。女性の喫煙率が低い中で彼女が煙草を吸ってたから興味深かった、というのは正確ではない。本当の理由は彼女の煙草の吸い方だった。知的で端正な顔立ち、クールな身のこなし、すべてに女性としての完璧なスキルを備えながら、煙草の吸い方だけはかっこよくなかったのだ。煙草を吸うときの彼女はどこかそわそわと落ち着きを欠き、極端に言えば、むさぼるように煙草を吸う。どうしてこんな風になるんだろう?』

                              *

<デパート売り場S・E>
僕   『初めて声をかけられてから後、彼女はいろんなことを僕に教えてくれた。ただし、それらのすべてはいずれも極めてビジネスライクなもので、僕から見れば意図的に女性であることを消そうとしているかのようですらあった。』

                              *

彼女 「私ね、結婚しないの」
<デーパートの店員休憩室S・E F・I>
僕   『ある日の休憩中、苦そうに煙草をふかせながら唐突に彼女はそういった。』
僕   「え?」
僕   『予期せぬ彼女の言葉に僕は軽く狼狽した。なぜいきなりそんなプライベートなことを口にするんだろう?これまで二人で話すことは何度もあった。けれど彼女は一度もプライベートなことなど口にしたことはなかった。それも趣味のこととか、家族のことならわからなくもない。それがいきなり結婚っていうのはどうだろう。
しかしそれから後、彼女は二度とプライベートなことを口にしなかった。
それでも彼女と僕の会話量は急速に増えていた。だから一緒に昼飯を食いに行くとき、『なに食べに行きます?』と軽く聞いた僕に、あくまで仕事モードで答えてきた彼女に僕は軽くたじろいだ。
結局僕たちはその日、二人してオムレツか何かを食べに行った。彼女はその後特に気分を害してる風でもなく、後から思えば、僕を軽く牽制したのかも知れない。面白い。僕は初めて大人の女性の感触をじかに感じた気がした。大人の女性はかなり複雑だ。まるで揺らめく煙草の煙のようだ。僕は大人の女性に興味を持った。』

                              *

<デーパートの店員休憩室S・E>
僕   『いつのまにか彼女と僕は休憩の時間を合わせ、一緒に煙草を吸うようになっていた。だから僕の休憩はほとんど彼女の喫煙シーンを眺めることに費やされた。そして僕はまもなく彼女の煙草の吸い方が変化してきていることに気づいた。少し前までの彼女は煙草を、まるで渇きを癒すかのように吸っていた。それがここ数日の彼女は、楽しむようにゆったりと吸っている…少なくとも僕の目には、そう映った。』

                              *

<デパート売り場S・E>
僕   『そんなある日、彼女は唐突に僕にこう言った。』
彼女 「ね、私明日から別のお店へ行くの」
僕   「えぇ?そうなんですか?」
彼女 「うん」
僕   「急ですね!いつわかったんですか?最近?」
彼女 「(あしらうように)そうねぇ。(きっぱりと)でもね、君と…(わずかに
照れて)あなたと出会えて、よかった。私ね、仕事以外のことを考えたりしてたら…(言葉をさがすように)何かしら?とにかく何かに乗り遅れちゃうように思ってたのよ、これまでずっと。でも実際は逆だった。かえって張りのようなものを感じた。不思議だったわ。(気持ち間をおいていたずらっぽく)…あなた、私の煙草の吸い方、変な目で見てたでしょ」
僕   「いや、別に…」
彼女 「いいのよ、私を癒してくれるのはこの煙草だけだったから…だから煙草を吸ってるときの私はストレスと戦ってる私、そんな自分の煙草の吸い方が自分自身とてもいやだった。でもこれからは私の煙草の吸い方、少し変わると思う。これからはイライラとかいやなことを煙といっしょに吐き出すんじゃなくって、楽しいことを考えながら吸えるようになると思う」
僕   「(嬉しそうに)そうですか」
彼女 「なに?別にあなたがどうのこうのって言ってるわけじゃないのよ、勘違いしないで」
僕   「はい!あぁ、勘違いしちゃいけませんか?」
彼女 「いけません!さ、休憩おしまい!もう少しがんばりましょ!」

僕   『…そんな会話を最後に彼女は文字通り煙草の煙のように僕の前から消えた。調べれば彼女がどこの店へ行ったかぐらいはすぐにわかっただろう。でも僕はそれをしなかった。だって一度吐いた煙草の煙をもう一度吸うなんて野暮じゃないか。煙草は、急速に薄れ行く香りを惜しみながら楽しむからいい。だからもう、僕は彼女のことをほとんど思い出さない。消えてしまうから素敵な思い出だってあるんだから…。』

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