塾生研究録目次
日本語教師塾でのバックナンバーです
(第1巻 7月12日〜8月23日) 「クラス運営」できないクラスについての話題が中心です。
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下クラスのその後(ご報告) 投稿者:るー  投稿日:08月23日(月)17時28分19秒
 
やっさん先生、お久しぶりです。
いつぞやは、下クラスのことでアドバイスをありがとうございました。
金曜日に新学期がはじまり、今日から通常授業が始まりました。
 
まずは今までの復習をせねば、ということで、
しんきその「文型練習張」を、公文形式でやってます。
(今、公文が「苦悶」で出てきた!きゃーこわい。これは何かの暗示???)
1課から順番に、1枚できたら、次を与える、というふうにやってるんですが、
これまでになかった真剣さで、がんばっています!
私語もほとんどなく、母語での会話は、「○○って日本語でなに?」というものばかり。
まずは一安心です。
このまま、やる気が持続するように、がんばります!
 

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「東京へと向かう列車」の「と」 投稿者:Toshi  投稿日:08月22日(日)23時11分14秒
 
やっさん先生、ご無沙汰しております。台湾のToshiです。
私が働いている所は、いわゆる塾で、高校や大学が夏休みに入ると同時に学生が
どっと増えます。ですから、このところ忙しさにかまけて、書きこみに来ませんでした。
新米の私には、他の先生方に聞いてみたいことがたくさんありますから、これからも
この掲示板を利用させてもらいたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。
 
それで、今回の質問なのですが、
「東京へと向かう列車」という時の、助詞「と」はどういう意味の「と」なのでしょう
か。どなたかご存知の方、教えていただけないでしょうか。

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日本語は例外が多すぎる! 投稿者:やっさん  投稿日:08月14日(土)09時46分32秒
 
RYOさんお久しぶりです。暑中見舞を出さなければ、、と思いつつ仕事に追われています。
数字を覚えたら次の段階で日付や時間の言い方に移りますが、おっしゃるとおり「例外」
だらけでいやになりますね。私の息子も「ついたち」を「いちにち」と言ったり「ようか」
を「はちにち」と言ったりしています。まだ慣れていないのかな〜と思い、その都度、直して
いるんですが、、。あまり神経質にならずに練習を繰り返し、定着するまで繰り返しやるほうが
いいような気がします。私は成人相手しかしたことがないので、いいアドバイスが浮かびません。
申し訳ありません。ちなみに私のところでは日付や曜日は別項目として教科書で教える課に入る
前から毎日少しずつ繰り返し、授業のはじめに練習します。教室に入って「今日は何月何日
何曜日、今、何時何分ですか?」と毎朝、言えるようになるまで繰り返します。正しく答えられ
なかったら誰かが必ず訂正してくれます。たとえば「いちにち」と誰かが言ったら「ちがう、
ついたちだよ。」といった具合にやってくれるのでまちがいに気付き、そのあと「じゃ、みんな
でもう一度練習しましょう。ついたち、ふつか、みっか、、、」というかんじです。
他に考えられるとしたら、学習者に紙をわたし、「クラス全員の誕生日を調べてください」と
言って、日本語で調べさせ、調べ終わったら席にもどらせ、「〜くんの誕生日は?」と質問します。
他に記念日とか歴史上のみんなが知っている日をクイズ形式で出すとかクラスでピクニックに
出かけた日とかを集めておいて言わせるとかいった活動が考えられそうです。
いつものごとくあまり参考にならないかもしれませんが、柔軟に考え、クラスにあった練習を
作り出してください。ポイントは「答えなきゃいけない状況を作り、言わせる!」です。
日本は連日暑い日が続いています。そちらはどうなんでしょうか。体に気をつけてがんばって
ください!!

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カレンダー。 投稿者:RYO  投稿日:08月13日(金)23時10分17秒
 
こちらには初めて書きこみをさせていただきます。
メルボルンの小学校でインターンをしているRYOです。
大内先生、お久しぶりです。
 
今、時計、それからカレンダーの読み方を紹介しようとしているところです。
数字の言い方はできるようになりました(0から99まで)が、なにしろ
時計やカレンダーになると「例外」だらけになってしまいますよね。
でも、相手が小学生ですから、「8日」は「ようか」です、なんて言っても
飽きてしまうだけなのです。
 
なにか、こうすれば楽しく覚えられる、というようなアイディアをいただけないでしょうか。
420時間の日本語教育の勉強はしましたが、経験が全然ないものですから
こういうときにどうしていいものかわからなくなってしまいます。
よろしくお願いします。
若輩者なのでとても恐縮しています。
 
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/8996/
 

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クラス運営は難しいですね、、 投稿者:やっさん  投稿日:07月26日(月)09時53分26秒
 
Hiromiさん、るーさん、書き込みありがとうございます。
本当にクラスの実情にあった授業を行うのは大変だと考えさせられました。
ただ私の経験では学習者は自分が必要だと思った事には熱心にしますが、そうでないと
思ったことにはあまり熱心にやらないということははっきりしていると思います。
私も口頭練習、ディクテーション、テープ、プリントなどの練習を手を変え、品を変え
やらせていますが、上のクラスでは確実にできると思ったら、少なめにして、他の
活動へ移り、下のクラスでは一回でも多く、いろいろな文を口にさせるようにしています。
でも、どのクラスにいても共通していることは、授業の流れが
新出語の提出→文型の導入→新出文型のリピート→口慣らしの為の活用練習
→新出文型の文型練習→新出の文型を使ったQA→新出文型を使ったゲームや活動
という流れをくずさないことです。10年くらい前はLL教室を使い、ひたすら文型を徹底的に
教えることをやっていました。しかしオーディオリンガル一辺倒からコミュニカティブな活動が
提唱されるようになってからは少し、考えが変わり、自転車で言えば、前輪と後輪で、文型練習
などの機械的な練習と自分で意見を作り出していくコミュニカティブな活動はバランスよく、
取り入れていかなければならないということを意識するようになりました。
下のクラスでありがちなことは繰り返す練習が多くて、教師側も確実に発話させるために
必死に文型練習を繰り返し、クリエイティブな活動がおろそかになってしまうことだと
思います。
私が韓国語を勉強したときの話ですが、先生が文型練習で長い文を、しかも動詞の活用の
口慣らしもなく、やらせた時、はっきりいって苦痛でした。クラスの中にはできるやつも
いて、すらすら言えるんですよ。しかし私は文の意味もわかっている、しかし口から流暢に
発話できず、もどかしい思いをしました。くやしいので下宿へ帰ってから、徹底的に一人で
練習しました。(まわりから見れば部屋にこもって念仏を唱えているようですね)しかし、
それらのことをしても、実際に韓国人と接したときにすらすらとしゃべれるかというと、
そうではないことがわかりました。さっきの話に戻りますが、自転車の前輪と後輪のように
機械的にやる部分と自分で作り出す部分がうまくいかないと役にたたないんだと思いました。
私自身の経験や思うことを一方的に述べて、何も参考にならないかも知れませんが、常に
教師側が学習者の反応に敏感でいられるようにしたいものだと思いますし、他の方もそうあって
ほしいと思います。ご意見待ってます!!
 

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ありがとうございました 投稿者:るー  投稿日:07月25日(日)20時44分24秒
 
やっさん先生、お忙しいのに丁寧なレスをありがとうございました。
とても参考になりました。
わたしは基本的なことを忘れていたなと反省しました。
 
あれから学校も夏休みに入り、気持ちにも余裕が出てきました。
夏休み明けからできることは何か、いろいろ考えてみています。
 
「下」のクラス、人間的に嫌な学生はいないんですよ。これが一番の救いです。
前にも書いたように、私語をしていたり、お菓子を食べていたりしても、
注意をすればしばらくは静かに聞いてくれますし、
むしろ、休み時間や放課後に
「せんせい、せんせい」とカタコトの日本語でもがんばって話しかけてくるのは「下」のクラスです。
それから、それぞれの専門分野の話が出たときは張り切って色々教えようとしてくれます。
だから、余計に「なんとかしなくては」という焦りが出てきてパニックになってしまったんだと思います。
日本語ができないのを除けば(そしてこれが日本語学校という場では致命的ではあるのですが)、
いい人ばかりです。
 
今、冷静になって考えてみると、彼らのニーズに合わない授業をしていました。
彼らは大学に進学したいという希望はありますが、1級に合格したいとは思っていません。
どちらかといえば、検定合格よりも「日本語を話したい!」という気持ちの方が大きいようです。
(はじめから「目的が違う」学生も何人かいて、彼らは日本語が話せないと日々の生活に困ります)
それを、文法積み上げ方式のテキストを使い、文型練習をひたすらやり、という授業をしいていたので、
彼らも退屈になってしまったのではないかと思います。
テキストは簡単に変えるわけにはいきませんが、授業の進め方をもっと工夫するべきでした。
 
余談ですが、別の学校でも中級の「下」のクラスを持っています。
こちらは会話中心で授業を進めているのですが、自然な日本語の上達をしています。
お喋り好きな彼らではありますが、私語もほとんどありません。
話は先生も含めて、というのが暗黙のルールになっています。
よく考えたら身近なところにもヒントがありました。
パニックになるのはよくないですね。
見えるものも見えなくなってしまいます。
今回の一番の教訓は「常に冷静に!」です。
 
新学期が始まるまであと1ヶ月、
担当者全員でしっかり相談してがんばろうという気になってきました。
ありがとうございました。
 
それからhiromiさん、「下」のクラスを持つと大変ですよね。
効果的な指導法があったらわたしにも教えてください。
 

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出来ないクラスの指導は? 投稿者:hiromi  投稿日:07月25日(日)17時09分30秒
 
 7月からいわゆる「下のクラス」を週2回持つことになりました。
どうしたらいいものかと思っています。進学目的といいながら
目的不明の学生も多いのですが、数ある国の中から日本という国を選んで
来てくれたのだから、とか、日本語学校の学生は学生であると同時にお客様
でもある、とか自分に言い聞かせてやっています。反日運動が起きたとき、
真っ先に日本製品をハンマーで壊したりするのは、こういう層かな、とも
思います。
 以前、全員日本語未習の技術研修生のクラス分けテストについての話を
聞いたことが有るのですが、テスト内容は、音の聞き分けと類推力を測る
テスト(架空の言語で文法を類推させるもの)だそうです。この始めのテスト
結果はその後の日本語の伸びと一致するとか。ということは下のクラスには、
聞き取り能力の訓練と、口頭練習、ディクテーション、テープ、プリントなど目
先を変えながらの反復練習で文型を丸覚えさせることが必要なのでは、と思います。
何か、これは、というような効果的指導法があったら教えてください。
 

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下のクラスは大変だ! 投稿者:やっさん  投稿日:07月23日(金)15時23分50秒
 
やっと期末テストが終わり、少し時間ができました。
 
私の職場は週26時間の1年コースなので、入学したらすぐプレースメントテストと
インタビューテストを行い、成績でクラスを3つのレベルに分けます。
上から1組、2組、3組に分けます。やはり授業での効率を考えると能力別の
クラスの方が運営しやすいからです。ですから1組にはアジア圏の学生や日系人が
多くなってしまいます。
 
教科書は「新日本語の基礎」を使っていて、進度は1組が一番速く、次に2組、3組
というかんじです。5課ごとに試験をするので、週に一度位の割でテストをし、
80点以下が2回くらい続くと、本人を呼び出し、成績が下がっていることを
伝え、このままでは進めないので、話し合って下のクラスへ移動してもらいます。
反対に下のクラスでがんばって、テストでもいい点を取り続ければ、相談の上、上の
クラスに上がってもらうこともあります。
 
ですから、1組ではやる気のない学生はいません。3組で、やる気のない学生が
出てきます。教師も注意してうまく学生を誘導できない先生だととんでもないクラス
になってしまいます。
 
私が教師側で注意しなければならないと思うことは、3組だからといって頭の悪い
学生が集まっていると思わないことです。優秀な頭を持ち、プライドを持っている
人もいますから、決して子供扱いすることはやめなければならないし、知的プライドを
くすぐるような授業をしなければならないと思います。そのためにも予習、復習は
きちんとさせ、やる気がないのならなぜやる気がないのか、面談をし、どういった目的が
あるのか、よく話し合わなければならないと思います。
時にはおどし(?)、時にはほめ、時にはしかり、最終的には、その学習者の目的が
達成できるようにしてあげられれば、きっと感謝されるはずです。
簡単なことではありませんが、どのクラスを担当するにも学習者主体のプログラムを
考えて、四技能を向上させられるようにしてあげたいものです。
 
余談ですが、私も十何年か前、下のクラスを担当していたとき「切れた!」ことがあります。
机を蹴飛ばし、「やる気がないなら、国へ帰れ!」とやってしまいました。
あとで、みんなあやまりにきました。しかし、なんとなく気まずかったことを覚えています。
その後、いろいろ考え、つまらない授業をやっていた自分も悪かったんじゃないかと反省も
しました。いろいろな研修へ参加し、自分で勉強すればするほど、自分がやってきた授業が
面白くない表面的な授業をやっていたように思えました。いろいろな事例があると思いますが、
常に自分のやっていることをモニターしながら、工夫を加えていくことがこの仕事には必要
なんではないでしょうか?
思いつくままに書いてしまいました。他のご意見をお待ちしております。

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落ちこぼれクラスの救済方法&クラス分け 投稿者:るー  投稿日:07月17日(土)09時56分59

 
みなさま、こん**は。
みなさんの学校ではクラス分けはどのような基準で決めているのでしょうか?
 
わたしの勤務先の学校は今回初級のクラスが二つあります。
「みんなの日本語」の13課が終わった時点で試験をして、成績で分けました。
初級の上のクラスが20人ぐらい、下のクラスが10人ぐらいになっています。
この2クラス、やる気と成績に応じて学生の移動ができるように、進度はそろえました。
 
現在、「みんなの日本語」35課が終わり、夏休みに入ったのですが、
上のクラスと下のクラスでは入学時期が同じとは思えないほどの差が出てしまいました。
上のクラスは順調に「みんなの日本語」をこなしていっているのですが、
下のクラスは、「みんなの日本語T」の内容も分かってない学生がほとんどです。
授業が分からないからか、授業態度も悪く、平気で授業中にお菓子を食べたりしています。
だからといって、決して反抗的な態度をとっているというわけでもなく、
注意すれば素直にあやまって、しばらくはきちんと授業を聞いています。
 
いろいろ原因を考えたのですが、はじめのクラス分けの時に、
成績で分けたのも悪かったのではないか、と思っています。
下のクラスは、平均して成績が悪いので、
成績が悪くて当たり前、予習、復習してこなくても悪いとは思わない、
という状況になっています。
また、その状況を容認してしまった教師側の態度にも問題があったように思います。
 
次回からは、クラスを分けるときに成績で分けるのはやめようという話になっているのですが、
みなさんの学校ではどのようにクラス分けをしているのでしょうか。
 
それから、落ちこぼれてしまった(落ちこぼしてしまった)下のクラスを
なんとか、たてなおさなくてはいけないのですが、
もう一度「みんなの日本語」を一からする訳にもいかないし、いい方法が思い浮かびません。
 
ここまでひどいクラスは見たことがないので、教師一同、少々パニックに陥っています。
このBBSの主旨からはずれているかもしれませんが、よろしくお願いします。
 

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「というわけで、意見です。」?? 投稿者:やっさん  投稿日:07月12日(月)12時24分24秒
 
「わけ」が形式名詞として使われた場合には「結果が当然だ」という意を表わす。また
事の成り行きやものの道理などから必然的にそのような結論に達する意を表わす。
・「ありがにおいをたどってその間を行ったり来たりするので、行列ができるというわけです。」
・「こうして二人は仲むつまじく平和な毎日を送ったというわけです。」
 
それから「〜というわけです」の形で、その前に述べられた話の結論を端的に述べる場合
にも使われる。
・「いろいろ説明を伺いましたが、首相はわが党の案には反対というわけですね。」
 
以上が「というわけ」の使い方の例なんですが、(なんか他にもありそう、、)問題はここからで、
(1)「私はフランス語を勉強する。フランス人の友達を作りたいというわけだ。」
 
この文が不自然に聞こえるのは、話し手が自分のことを客観的に話しているからじゃ
ないでしょうか?無理に自然になるようにすると
 
(1♯)「なんで、フランス語を勉強しているの?」
   「フランスへ行って、いろんな人に会って話がしたいんです。」
   「ふーん、つまりフランス人の友達を作りたいというわけだ。」
のようにすれば使えない事もないと思うんですが、どうでしょう?
 
また作為的帰結を表わす「わけ」もあり、上記の
・「こどもは押入れに隠れた。帰ってきた父親を驚かそうというわけだ」
 
は、゛ある目的や効果をねらってお膳立てをととのえ、所期の結果へと持っていく゛文
だと思われるんですが、どうなんでしょう?私は別ものと考えていったほうが無難な気が
します。
他の方の意見をお待ちしております。なんか私が見当違いをしているような気もしますので、
、、、やっさん。
(第2巻 8月24日〜9月28日) 「山へと向かう」の助詞「と」と「〜ではない」と「〜でない」の違いについて
普通体は便利! 投稿者:やっさん  投稿日:09月28日(火)13時47分49秒
 
皆さんは普通体を教えている時に「です」「ます」体より早く教えたほうが
いいと思ったことはありませんか?活用の面でも便利なことも多いし、
日本人の第一言語習得過程を考えてみても、普通体から習い、待遇表現も
習得していく方が自然な感じもするんですが、、、現実問題として短期で
日本語を習得しなければならない人がいることも分かってはいますが、普通体
から教えるメリットもあるような気がします。(^^)
職場でそういった話が出たので、ちょっと書き込んでみました。気楽にご意見を
お聞かせください。(^◇^)

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また悩みました。 投稿者:やっさん  投稿日:09月20日(月)16時31分10秒
 
再度、御返事ありがとうございます。
さて御質問の件ですが、あれからいろいろ考えてもみたんですが、私自身もよく分かっていないと
反省させられました。先輩の先生にも伺ってみて、ちょっとまとまってきたので書きます。
言葉は進化していくものであり、進化した段階でもとが何であるのか分からない場合も多々ある
ように思います。そこで文型として考えず、分解して考えていくことにしたんですが、、
 
「です」は「にて候ふ」→「で候ふ」→「でさう」→「です」の順序で転じてきたもので、
私自身は「で」はもともと助詞なんじゃないかと考えます。でもあまりこれは質問とは
あまり関係ないので、「は」に焦点をあてて考え直しました。
 
 
>「(彼が)日本人である。」の否定文「(彼が)日本人でない。」と
> 「これは私の本である。」の否定文「これは私の本ではない。」
> の「で」は同じでは?
 
上記の質問ですが、「(彼が)日本人でない。」にも「は」が入るので、
「これは私の本ではない。」と同じだと思います。
結局、いろいろ考えてみたんですが、「は」が入る、入らないは「は」の機能を
必要とするかしないかだと思いました。ご承知のように「は」はとりたてとか限定とか
の意味がありますよね。で、その機能が必要かそうじゃないかの違いだと思います。
だから条件節とかの問題ではないようです。
日本語教育では否定の表現として「〜ではありません」を出しますが、その時に否定には
「は」を入れなければならないと固定して教える傾向がありますが、本来「は」が入ると
対比するような意味をおびるので
「日本人ではありません。(韓国人です)」のように「は」を入れると含みを持った表現に
なると思うんです。
大出晃氏の「日本語と論理」講談社新書 には「は」の役割についてという部分で「否定の
表現とからまった場合」の注意を述べていますが、
(1)鯨は魚でない
(2)鯨は魚ではない
の違いを(1)はすんなり「魚でない」ことを表わし、(2)は背後に「哺乳類」だということを
ほのめかしていると述べています。
結局のところ私の考えとしては「は」がないのが本来の姿で、初めの質問の「明日雨でなければ」
は「は」がないのが普通で、「〜ではありません」の「は」は対比させたいとか含みを持たせる
ために入っているものなので、本来はないものだと思います。ですから「〜です。」の否定は
「〜ではありません。」と否定文には「は」を入れなければならないとしてしまうと、あとで
「どうして「は」がないの?」となってしまうんじゃないかと思います。
 
「日本人でないと、入れません。」
この文では「は」は必要ありません。限定を表わす文で、「は」を入れて取り立てたり、対比する
必要もありません。「〜でないと」で限定を表わす機能が十分です。
  あらぬ
雨である
  ありません
  ない
のように考えると「は」を入れるか入れないかは、「は」の機能がいるかいらないかが問題で
 
「雨であります」
「雨で(は)ありますが、試合を行います。」
のように「は」があってもなくてもニュアンスの違いが出るだけで、文としては成り立つと思う
んです。
もっと複雑なことがあるのかも知れませんが、とりあえず今日はこんなところで失礼します。
 

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(無題) 投稿者:HIROMI  投稿日:09月18日(土)20時17分31秒
 
お返事ありがとうございます。
 
しかし、「(彼が)日本人である。」の否定文「(彼が)日本人でない。」と
「これは私の本である。」の否定文「これは私の本ではない。」
の「で」は同じでは?
 
よくわからないのですが...


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HIROMIさんへ「では」の「は」? 投稿者:やっさん  投稿日:09月09日(木)14時07分42秒
 
難しいですね。「名詞+でなければ」で固定して扱うので、今まで考えたことも
ありませんでしたし、質問を受けたこともないので、悩んじゃいました。
 
文型としては「なければ、」は下記のようになると思うんですが、、。
 
 動詞+なければ、→私が行かなければ誰が行くんですか。
 名詞/な形+でなければ、→成人でなければ見られない映画。丈夫でなければ〜
 形容詞+くなければ、、→安くなければ買いません。
 
で、このうち「名詞/な形+でなければ」の形にどうして「は」が入らないのか
ということだと理解したのですが、いいのでしょうか?
 
「明日雨でなければ〜」の文を作るのに考え方として
明日雨です。→明日雨ではありません。→(+条件節)明日雨ではなければ
というかんじで考えると「は」が入るとかなり不自然な気がします。
しかし「では」の代わりに少しくだけた「じゃ」を使うと
「明日雨じゃなければ、スポーツ大会を行います。」にするとまだ言えそうな
気がするんですが。でもそうなると「では」は何だ?となりますよね。
 
「日本人でなければ理解できないことだ。」の「で」は助動詞の変化したものでは
なく、格助詞の「で」と考えれば、「これは私の本ではありません」の「では」
とは全くの別物として扱えるのではないでしょうか。そう考えると「は」は
必要ないのではないでしょうか?
 
以上、私の勝手な思い込みだけで返答してしまいましたが、間違っていましたら
おしかりのご意見をお待ちしております。

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HIROMIさんからの質問 投稿者:やっさん  投稿日:09月09日(木)12時39分09秒
 
名詞が述部に来る文(これは私の本ではありません。)では「で」の後ろに「は」が入りますよね。
でも条件節:明日雨でなければ とか 私が友人でなければ また 場合に接続する節など 
では 普通 「は」は入らないと思います。これはなぜなのかいい説明はないでしょうか。否定文は
判断を表すことが多く、判断文では「は」が現れやすい、よって否定文には「は」が現れやすい、と
読んだことがあります。条件では判断は必要ないので「は」も入らないのかな、とも考えていますが
確信が持てません。


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下のクラスだめですか、、 投稿者:やっさん  投稿日:09月06日(月)09時30分03秒
 
お元気ですか?
その後、どのような展開になったのかと思っていましたが、解体ですか、、、
 
> あのクラス、結局解体しました。
> 下クラスでもやる気のある学生がどんどん上へ行ってしまって、
> 上クラスの人数が20人を超えてしまったので、クラスを再編成しました。
> 元々の上下2クラスをいっしょにして、新しいクラスを2つ作りました。
> 今回は、レベルで上下に分けるのではなくて、どちらもレベルが均等になる
>    ようにテストの順位の偶数組と奇数組に分けました。
> この時点で、元々下クラスにいた何人かは、落ちこぼれても仕方がないとい
>    うことになりました。
 
同じレベルのクラスを二つ作るのはいいですね。競争させることもできるし、何かと
やり方によってはかなりな学習効果が期待できますからね。うちでも一組(速いクラス)
が20人以上になり、二つに分けたときにプロジェクトワークをいろいろしたのですが、
みんな張り切って活動をしてくれました。その時は私のクラスが負けて、女子学生が
泣き出してしまいましたが、それでも勉強になり、いい思い出になったとみんな言って
いました。
>
> で、いざふたを開けてみると、
> もともと下クラスにいた人達、
> 授業についていくのは無理なのでは、と思っていたのですが、
> わたしたちの予想に反して、しっかり上の人達といっしょにがんばってます。
 
何が原因でやる気がなかったのかわかりませんが、結果的にうまくいったようで、何より
ですね。やはり雰囲気というか周りから受ける影響は大きいのかも知れませんね。(^_^;)
>
> 今まで、こんなクラス(下クラス)を作ってしまったのは、教師側の責任だ
>    から、とほかの先生に反対されても、できるだけ下クラスを救う方向でがん
>   ばっていたのに、 いわば見捨てる判断をしたとたんに学生ががんばるなん
>   て。。。
 
確かに教師側の対応で同じクラスでも変わってくると思います。「見捨てる」というと
なんか冷たく感じますが、相手の態度が明らかに教師をなめて、勉強をする意志がない
と判断できるときには、はっきりとした態度をとることが必要だと思います。私の
所でも出席があぶない学生がいたんですが、ここままでは卒業があぶないということを
呼び出して話し合ったら、なんとか最後までがんばってくれました。でもいやなもんですね。
大人を相手に「こんなこと常識だろうが、、」という内容を話すのは、、、
でもこれも勉強かとも思います。
単にテクニックだけが優れた教師になるのではなく、学習者とともに成人できる姿勢を
忘れないでがんばっていきたいものです。がんばりましょう!お互いに(^◇^)
 
 
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/Yasuo.Ouchi/


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どうしてぇ??? 投稿者:るー  投稿日:09月05日(日)00時08分57秒
 
やっさん先生、こんばんは。しつこく「下クラス」ネタです。^^;
 
あのクラス、結局解体しました。
下クラスでもやる気のある学生がどんどん上へ行ってしまって、
上クラスの人数が20人を超えてしまったので、クラスを再編成しました。
元々の上下2クラスをいっしょにして、新しいクラスを2つ作りました。
今回は、レベルで上下に分けるのではなくて、どちらもレベルが均等になるように、
テストの順位の偶数組と奇数組に分けました。
この時点で、元々下クラスにいた何人かは、落ちこぼれても仕方がないということになりました。
 
で、いざふたを開けてみると、
もともと下クラスにいた人達、
授業についていくのは無理なのでは、と思っていたのですが、
わたしたちの予想に反して、しっかり上の人達といっしょにがんばってます。
 
今まで、こんなクラス(下クラス)を作ってしまったのは、教師側の責任だから、と、
ほかの先生に反対されても、できるだけ下クラスを救う方向でがんばっていたのに、
いわば見捨てる判断をしたとたんに学生ががんばるなんて。。。
理由はなんとなくわかってきているのですが、やっぱり釈然としません。
はぁぁぁぁ、日本語教師って、こんな失敗の繰り返しで成長していくんでしょうね。とほほ。
 


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Re:山「へと」向かう車の中で 投稿者:Toshi  投稿日:08月24日(火)11時15分40秒
 
やっさん先生、コメントありがとうございます。
私も、いろいろな辞書、参考書などをあたってみているのですが、
まだよくわかりません。
 
今の時点で、「これかなあ?」と考えているのは、@やっさん先生もおっしゃっている「引用
の『と』」、それとA「副詞を作る/その状態で何かが行なわれていることを表す『と』」の
二つです。
Aは、新明解だと、助詞ではなくて接尾語となっていました。
このAの「と」はよく擬態語・擬声語などにつく「と」です。
 
・溶岩がどろどろと流れる。  ・ぴかぴかと光る。
 
 それで、以前何かの参考書で、この「と」と「に」の違いとして、
「と」動作・作用の過程の状態を表す。
「に」動作・作用の結果の状態を表す。
…というのを読んだことがあります。
(参考)
・溶岩がどろどろに溶けた。  ・窓ガラスをぴかぴかに磨く。
 
 それで、ちょっとこじつけ気味なんですが、
・東へ向かう列車
・東へと向かう列車
 この二つを比べてみた場合、「へと」を使った方が、「今、現在移動中(過程を表す)」と
いう「感じ」がしませんか? しません?
う〜ん、本当のところ、よくわかりません。
 
他のみなさんのご意見も、聞かせていただけると、うれしいです。
 


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新学期ですね〜 投稿者:やっさん  投稿日:08月24日(火)10時18分31秒
 
るーさん!お元気ですか?夏休みは楽しくすごせましたか?
もう新学期なんですね。私もあと1週間もすれば中期の授業が始まります。あー、(ため息)
学習者に「苦悶式?」で復習のプリントをさせているんですね。学習者の実力やペースで
できるからいいですね。学生達が難しくて苦悶の表情?を浮かべている姿が浮かびます。
私のクラスも中期から人数が2人増え、忙しくなりそうです。「新日本語の基礎」も48課
から始まり、すぐ次の教科書へと移ります。時間が過ぎるのが速いです。先日、クラス担当の
者3人でミーティングをしました。中期は行事も多いし、また能力試験もある時期なので、
忙しくなりそうです。お互い体に気をつけてがんばりましょう!


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山「へと」向かう車の中で、、 投稿者:やっさん  投稿日:08月24日(火)10時00分46秒
 
残暑見舞い申し上げます。連日、本当に暑い日が続きます。やっと夏休みをとり
家族でキャンプをしてきました。日焼けで体中痛いです。
 
さて「東京へと向かう列車」の件ですが、この文を聞いてまず思い出したのが、
昔、流行った太田裕美?の「木綿のハンカチーフ」でした。確か歌詞は
「東へと向かう列車で〜♪」だったと思います。それで他の例を考えてみました。
「学校へと続く道を僕は、、、」
「彼は灯台のほうへと歩いて行った」
「平和へと続く道のり」
などの文ぐらいで、「と」の後ろの動詞は「方向性」「移動性」のある動詞で
「と」がなくても成り立つ文ばかりです。むしろ一般の会話では「と」がないのが
普通です。では「と」は何なんだ?となりますが、文体の面から考えると「と」が
入ることによって「詩的」とか「文学的」というか、ちょっと含みをもたせた表現
になっているような気がします。だから上の文はすべて「小説」や「歌の歌詞」に
出てくるようなものばかりで会話でこのような言い方をすればちょっと「キザっぽく」
聞こえてしまうのじゃないでしょうか?
この場合の「と」は間違っているかもしれませんが、引用の「と」だと思います。
他の助詞をくっつけてみようとしたのですが、うまくぴたっとくるのが浮かびません。
 
「丈夫に育つようにと、人形をつくってお祈りをしたのだそうです」
という文が昔の日本語教科書「日本語読本1」学友会編にありましたが、ちょっと
この場合にあてはまるかどうかわかりません。
私は国文学を勉強したわけではないので、詳しいことはわかりません。どなたか
上記の「と」について詳しく解説できる方がいらっしゃったらお願いします。
toshiさん、こんなところで参考になりましたか?お役に立てなかったら、ゴメンナサイ。
(第3巻 9月29日〜10月06日) 「普通体」についての話題と「待遇表現」についての話題が中心
悩んでます。 投稿者:rie  投稿日:10月06日(水)00時54分29秒
 
初めまして。私は日本語教師の試験を受けるため勉強しています。
韓国語が話せるので、市のボランティアで韓国の方に1対1で教えています。
皆さんのご意見、とても勉強になります。
 私も、気になるんです。留学生の使う「俺はさぁ・・」「お前はさぁ・・」「いいじゃん」と
言った若者言葉が。バイト先やドラマを見て覚えるようなのですが、発音のきつさや
イントネーションの違いのせいか、正直聞いていて不快なんです。
かなり親しくないとそういう言葉は使わないとか、人によっては不快に感じるから使わない方が
いいと説明するのですが、「日本人はみんな使ってるのに」とか「教室で先生には言わないから」
などと納得してもらえません。
 私も外国語を学んだ者として、その国の人のように慣れた口調で話したいという気持ちは
よく分かるんです。彼らは生徒ではなく友人なので、「親しくないとダメ」というのも、
あなたとは親しくないと言ってるみたいで変だし・・・。
普通体はいいんです。親しくなったのにいつまでも「です・ます」ではかえって不自然だ
と思います。でも、普通体にも使う場所や相手の性別・年齢、親しさによってレベルがあると
思いませんか。
 それをどう彼らに伝えたらいいのか、悩んでいます。
「僕は・・」と言われるのはokだけど、「俺はさぁ・・」って言われると違和感があるとか、
外国人は丁寧に話せと言うのは、私の一方的な押しつけで、大きなお世話なんだろうかとか、
でも将来彼らが知らずに使った言葉のせいで誤解を受けたらかわいそうだしとも思うし・・・・
 なんか、どう言っていいのか分からないんですが、普通のレベルの普通体と
ちょっと乱暴な普通体、その区別をどう説明したらいいのでしょうか。
皆さんは、どうされてますか。ご意見、聞かせてください。                                        

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待遇表現はむずかしい! 投稿者:やっさん  投稿日:10月05日(火)16時32分36秒
 
その後、いろいろ考えていたんですが、ちょっと参考になるかと思い、引用しながら
書き込んでみます。
アルクの通信講座 21 「社会言語学」でポライトネスについて書いてあります。
これはアルクの新しい通信講座で出ている文で1998年6月に出された国語審議会
「現代における敬意表現の在り方」についても書かれています。その本からの引用ですが
 
「わきまえ」
=静的な使い方(場面の中で話し手と聞き手の関係、話している場所、その状況など場面の
 中での話し手の位置を正しく認識し、それをそのまま表わす)
例文 (場面をわきまえて敬意表現を選ぶ)
  「先生いついらっしゃいますか」
  「いついくの?」
 
「働きかけ」
=動的な使い方(このようにしなければならないからというのではなく、この場面を自分が
 どうしたいからという理由で使う)
例文 (親しい間柄で敬意表現を使い、効果をねらう)
  「ああ、そうなの、わかったわ、じゃそうするわ」
  「そうですか、わかりました、それではそのようにさせていただきます」
 
世界の言語には「働きかけ」はあるそうですが、日本語を学習する上で問題になってくるのは
「わきまえ」の部分のようです。ですから場面を把握し、どういった表現を使うのがいいのか、
事例を示しながら使い分けができるようにしてあげなければならないと思います。
実際の運用面では学習者に日本人のように場面を見極め、適切な表現を瞬時に選ばせるのは
難しいことだと思います。普通体を自由自在に操るのも結局は円滑にコミュニケーションを
続けるために必要なことのようですね。
つまるところ、学習者が運用できるまでのレベルになるために、どういった工夫ができるのか
皆様のご意見を再度、伺いたいのですが、、、よろしくです。

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勉強になりました。 投稿者:やっさん  投稿日:10月04日(月)10時36分01秒
 
Luciaさんの「嫁」の話は私には「ズシッ」ときました。親と家内と板ばさみになって
いる私の立場からは何とも言えない気持ちになります。(^_^;)
なんか「渡る世間は、、」のような気分です。
同居はしていないのでまだ気楽といえば気楽ですが、、、難しい問題です。(何も言え
ない、、、申し訳ありません、、)
コミュニケーションの問題は何も外国人だから、日本人だからという場合だけの
問題ではなさそうな気もしました。るーさんのご意見もなんかよくわかります。
「日本人以上に日本人らしく、、」というところですが、確かに現代の日本人より
日本人らしい外国人はいると思いますし、勉強しているうちに日本がすきになり
日本人より日本人らしくなってしまう?学習者もいるようですね。Yukikoさんの
スイスの方の話も本当によく分かります。外国人だからその国のあることに関しては
理解できないだろうと考えるのは本当におかしいと思います。私の経験では韓国で
言葉ができるから相手の方が韓国人的な考え方で接してこられ、非常に苦しい思いを
したことがあります。韓国人の常識で接して来られるのは現地にいれば当り前かも
しれませんが、「一応、私も外国から来ているから文化習慣が違うということを忘れ
ないで、、、」と言いたくなるようなことがありました。でもそういった事例は片方
だけの問題ではなく、双方に歩みよる姿勢がなくては解決しないと思いました。
なんか普通体の話題ではなく、異文化理解の話に移行しちゃったような気もしますが、
全く関係ないわけではないと思いますので、ちょっと続けます。
 
異文化理解について以前レポートを書いたのですが、その時に感じたことは、最終的
にはお互いを尊重するというか認め合う姿勢が大事だと感じました。違っていて当り前
というか、違っていることを認め、自分の中でうまく消化し、また自分も適応していく
という姿勢というか、、、ちょっとうまく言えないんですが、J301の2課の金子みすず
の詩「私と小鳥と鈴と」の「みんな違ってみんないい」というような気持ちが大切な気が
します。差別や偏見というものがなくならないのは、心の中にある相手を認められない
気持ちが段々膨らんで、そこから相手を認める心がなくなり、挙句は相手を否定する
しかできなくなってしまうような気がします。
この掲示板を始めて、いろいろな方の話が聞けて、うれしいです。今まで職場だけしか
話もできなかったのが、インターネットを通して「こんな事例もあるのか、こんな考え方
もあるのか、、」と勉強になっています。
また、自分が担当しているクラスで、授業の合間に「インターネットのHPでね、こんな
話があるんだよ、、」といった具合に話をしてあげ、意見を聞いたりもしています。
みんな真剣に聞いて、意見を言ってくれるので、生の話ができたとうれしく思っています。
議論することは大事ですし、議論することで
見えなかったものが見えたりもします。しかし、攻撃的ではなく、人の意見に耳をかた
むけ、素直な気持ちで意見交換し自分自身の肥やしというか何というか、、、お互いを
磨いていきたいと思います。本当に書き込みありがとうございます。ちょっとこの場を
お借りして管理者「やっさん」からお礼申し上げます。
ちょっとまとまりがなくなってしまいましたが、最後に指導する上ではやはり「普通体」
は一番いい時期を選んで、しっかり普通体を使うことの意味を教えていくということで
いかがでしょうか?

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(無題) 投稿者:Yukiko  投稿日:10月04日(月)00時49分44秒
 
日本人の中の「外(国)人意識」ということで、最近、続けて
こんなことがありました。わたしの生徒のひとり、今度1級の
試験を受ける準備をしているイギリス人青年が、仕事で日本人と
話していると、日本人はよく「外国と違って、私たち日本人の
やり方はこうだ。」とか「日本人はこういうところがある」と言うが、
ぼくから見れば、それは日本人に限らず、どこでもそうだ、とか
人間として当然ということを、日本人はあえて、自分たちが特別なんだ
と思いこんでいる傾向があると思うと。ちょっと、視点が違いますが、
私自身も日本、及び、日本人をあまりにステレオタイプに捉え、それを
強調するのはどうかなと思うことがあります。例えば、日本のビジネス
マンが交渉中に「その件については、検討させて/考えさせていただきます。」
と答えたらそれは“No”という意味だという説。これは、今でも
本当にそうなんでしょうか? 現在、外国企業を相手にビジネスに
携わる日本人の中には外国で育った帰国子女と呼ばれた人たちも相当
いらっしゃるでしょうし、また、この返事が、決定権のあるトップ
が言った場合と、もっと下のほうの人が言った場合とでも違うと
思うんですね。 私自身ビジネスの経験は全くありません。日本語教師
として、時々、語学以外の日本人の習性とか日本での常識について
話す機会も多いのですが、読み聞きした情報のみで、外国人学習者に
偏ったイメージを与えないように気をつけたいと思っています。Luciaさん
の「私、日本人の外人です。」ではありませんが、私も、「こういうことが
多いようですが、私はそうじゃありません」「私はそう思っていません」
と伝えることも多いですね。
もうひとつ最近の経験:友人宅でのバーベキューパーティでお会いした初対面の
外国人女性とお話を始めるのに「お国はどちらですか」とお訊きしました。
私と会話する前に彼女は他の方々と日本語で上手に話していて、どこの国の方か
全く想像もつかず、話題を選ぶためにも知りたかったのです。すると、彼女「火星です。」
「あら、本当はどこからいらしたんですか?」「実は、スイス人ですが、あまり言いたくない。
スイスというと、日本人はすぐ、『ハイジ』と言うけれど、私はハイジじゃない。
日本人の(国についての)イメージはとても強いですね。」とおっしゃいました。
ちなみに彼女は慶応大学でドイツ語を教えていらっしゃる先生でした。
なるほど、私たちが外国で「日本人です」と言うと、「オオ、サムライ、ゲイシャ、
フジヤマ」と来るのも気分よくないですものね。今や、どこの国でも、何人(なにじん)でも「こういうものです」とひとくくりで述べることなんてできないほど、多様化
しているのが現実ではないでしょうか。「私が見たところ、こうです」とか「私の
知る限りではこうです」というような形で情報を伝えるようにしようと思っています。
日本人の中には「日本人は特別で外国人にはなかなか理解できないでしょう」という
思いがまだまだ強いようですが、どの国の人でも外国人に対してそう思う部分が
あるのではないでしょうか。ただ「どうせわからないでしょ」「わかるはずがない」
という姿勢がいまだに日本人には強いのでしょうね。日本在住の日本人の中には
本当に日本人以上に日本人的という方がいくらでもいらっしゃるのに・・・。
すみません、少し、話題がずれてきましたね。普通体について、もう少し、いろいろなご意見
伺えるといいですね。
 

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大歓迎です。 投稿者:Lucia  投稿日:10月03日(日)14時28分08秒
 
異議あり、 反対です、などなどはなにより大歓迎です。 物事の本質はそこから初めて
掘り下げていけると信じています。 それで例外などがあっても極論に近い意見は
必要だと思っています。  ”外人はいつまでも外人”というのは実は欧米人を含めた
外国人だけをさしているのではなく、実は日本人であってもいたるところで外人に
なるはめになっていると長年生きてきて、実感しています。それで半分冗談で
”はい、私日本人の外人です、ここでは”と言ったりしています。 一番痛感したのが
“嫁”という立場。 十数年主人の両親と過ごし、見送ったとたんに”あなたは
外の人なんですからね、家と両親の世話をしてきたいわば管理人なんですよ。”と
いう主人の親戚方からの軽い発言にショックを受けましたが、その後静かに考えて
みると”なるほど、今まで身内に入っていたと思っていたほうが錯覚だったのか”
と思いました。  しかし るーさんのおっしゃるように 個人の精神の問題
だと思います。 あくまでも建前のみで受け止めて、個人的な人間関係を作り
あげることができない人達、状況では“外人はいつまでも外人”ということを
変えることはできない。 かといってちゃんと“外人がいつまでも外人ではない”
ことも十分にあると信じてきています。 

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何年住んでもガイジン 投稿者:るー  投稿日:10月03日(日)00時09分49秒
 
こんばんは。
ちょっと横レスですが…。
 
「外人はいつまでも外人」にわたしもちょっとひっかかってしまいました。
確かに、街で肌の色や目の色が違う人を見かければ、たとえその人が日本生まれの日本育ちでも、
「あ、ガイジンさんだ!」と思う人が大多数だろうと思います。
でも、その人が日本語を使う範囲内で、と考えたら、
「個人対個人」になっていくんじゃないでしょうか。
わたし自身のことで言うと、
仲のよい「ガイジン」が何人かいるんですが、
彼らと話すとき、わたしも、彼らも普通体で話しています。
決して不愉快ではありませんし、逆に丁寧体で話されると、
「ん?わたし、悪いことでも言ったかな?」と思ってしまいます。
この辺は、日本人と話すときと同じ感覚です。
「ガイジンはいつまでもガイジン」という言葉を聞くと、ちょっと悲しくなってしまいます。
(もし気を悪くされたらごめんなさい。喧嘩を売ろうとか、そんな気は全然ないです。)
 
わたしも、学生には無難な丁寧体で話すように指導していますが、
その理由は、「日本人だって、親しくない人と話すときは丁寧体を使う」と説明しています。
こなれた日本語と普通体を混同している学生がかなりいるので、
日本人も、普通体を使うのは、仲のいい友達と話すときなど、場がかなり限られている、
と説明すると、びっくりしてます。(^_^;)
 
ちょっと思い出したのですが、
「中級から学ぶ日本語」の15課に、
「何年日本に住んでいようと、日本人より日本人的であろうと、
いつまでも「外人」と呼ばれるという嘆きを聞いたことがある」
とありますよね。
この課を教えるの、いつもかなり憂鬱です。
バイトなどで差別を受けてる彼らに、こんな言葉を言わなきゃいけないのはつらいです。
もちろん、そんな人ばかりじゃない、と彼らも分かってはいるのですが、
ココロにずしんとくる人もいるみたいで…。
 
オン書きにて、乱筆乱文失礼します。_(._.)_

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(無題) 投稿者:やっさん  投稿日:10月01日(金)13時57分40秒
 
貴重な御意見ありがとうございます。
 
当然”なぜですか”との質問となりますので、”外人はいつまでも
外人なのが現実です。丁寧体でお話になっている限り安全です。”
 
上記の意見には私も基本的には賛成です。しかし、ちょっとひっかかった
のが“外人はいつまでも外人”という部分です。現実には丁寧体で話すの
が確かに安全だと思いますし、かなり親しくならない限り普通体でべらべら
しゃべられたら、聞く方もあまりいい気分はしないようにも思います。
でも私がそう思うのは日本人でも同じなんです。人と話すときはある程度の
節度を持って話すべきだと思うんです。ですから外人だから、、、という
理由でいつまでも“ウチ”の中に入ることができないのはおかしいと思って
います。
 
英国人の方々が”日本人が外国生活で英語が上手になり、みょうに
くだけた英語をはなしてくるのは、本当のところ不愉快ですね。
リズムや表現がともなわなくっていないのだから。”という
お話をしていました。
 
日本人が外国語をかなりなレベル習得していても、やはり海外に住んでいると
“外人”なんでしょうかね、、、確かに文法的に正確なだけではくだけた
表現も聞いている人には耳障りになるのでしょうね。
 
  やはり普通体をつかいこなすには全体のバランスが関わってくるのでは
  ないかと思っているこのごろです。
 
おっしゃる通りだと思います。バランスが崩れていると会話の相手に何か
違和感を与えてしまうでしょうね。

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です、ます 投稿者:Lucia  投稿日:10月01日(金)13時22分59秒
 
はじめまして、ご紹介いただいて日本語塾を拝見させていただきました。
 
外国の方に日本語を始めるときに、いくつか日本で日本語を使っていく
うえでの、現実をお話することにしています。 その中で必ず
”いくらお上手になられても、また日本の友達がおできになっても、
そしてその友達がいくら薦めてくれても、丁寧体つまりです・ます
で話していかれるようにしてくださいと申し上げています。
当然”なぜですか”との質問となりますので、”外人はいつまでも
外人なのが現実です。丁寧体でお話になっている限り安全です。”
つい先日非常に流暢に日本語をお話になる方が、上記と同じことを
おっしゃっていました。彼は優秀なビジネスマンです。
 問題は聞き取りです。 町にでてみるとまったくわからない
ということになりますから、みなさまがおっしゃっているように
文法で普通体の学習は必要で、普通体で聞く練習は必須だと思って
います。 でもこのようなことは日本語だけではなさそうです。
英国人の方々が”日本人が外国生活で英語が上手になり、みょうに
くだけた英語をはなしてくるのは、本当のところ不愉快ですね。
リズムや表現がともなわなくっていないのだから。”という
お話をしていました。 やはり普通体をつかいこなすには全体の
バランスが関わってくるのではないかと思っているこのごろです。

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普通体、普通形 投稿者:やっさん  投稿日:09月30日(木)10時39分12秒
 
私もYUKIKOさんの意見に賛成です。私が韓国語を勉強したときも
やはり丁寧な表現から習い、ぞんざいな言い方はかなりあとで習いました。
韓国で知り合った友人がいるのですが、彼は現地で独学で韓国語を少し
できるようになりました。聞き取りはすごいと思うのですが、まわりの
韓国人はあまり彼に対していい印象は持っていなかったようです。
耳からいろいろなことを勉強したといいますか、普通の韓国人の会話から
いろいろなことを勉強したようなので、彼は話す時にぞんざいな言い方を使っていました。
逆に私は丁寧な言い方が口についてしまっているので、小さな子供にまで
丁寧な言い方をしてしまいます。でもあとから考えてみると相手に不快感を
与える話し方をするよりは場面にあわなくても丁寧な表現を使っているほうが
会話をする相手には好印象を与えると思います。ですから学習者が不利になるような
ことは教師はしてはいけないと考えています。普通体は使えるようになるまでしつこく
練習するのではなく、むしろ聞き取りの能力をアップさせる意味で練習を積み重ねて
あげたほうがいいんじゃないかと思います。普通形は様々な文型を作る基礎になりますから
早い段階から導入するべきだと思います。しかし、初級で普通体の練習を何度もやって
かなり使えるレベルまで持っていく必要はないように思います。ビジネスマン対象の
クラスでは情報収集のためにも普通体を聞き取る能力を養ってあげなければならない
と思いますが、自由自在に普通体で話せるレベルに貴重な時間を使ってやる必要は
ないと思います。学習者のニーズとも関係があるんでしょうか。?(^_^;)
結局、丁寧体にしろ普通体にしろ、場面にあわせてうまく使い分けることができる
ようにしてあげなければならないし、どうしても普通体でいつも話さなければならない
環境にある学習者(いるのかな?)を除いては「です、ます」から教えて行くのが
妥当な気がします。私もいろいろな意見を聞いてみたいです。
 

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やり直しです! 投稿者:Yukiko  投稿日:09月29日(水)00時43分56秒
 
(失礼しました。下の投稿、改行に失敗してしまいましたので、
再度投稿させていただきます。御手数ですが、前の分は削除して
くださいませ。)
 
はじめまして。この話題、私が参加している日本語教師の学習会で
今まさにとりあげて検討しております。わたしも以前から普通体を
先に取り入れてみたら・・・と思ったことはあるのですが、
実行したことはありません。私の場合、ビジネスマン対象の個人
レッスンなので、実際に初期のレッスンの中で口頭練習をすると
なると、「普通体+と思います」の練習以外に、教師と生徒が
普通体で会話するというのも、不自然です。それに、学習者が
普通体を耳にする機会はレッスン以外にも、周りの人との会話や
テレビなどでも多いはずなので、やはり、レッスンではまず、
相手に不快な印象を与えることのない「です・ます」体を
しっかり身につけてもらうことに専念し、その後、前述の
「・・・と思います」「・・・時」などのパターンの中で
練習していくという形で進めています。クラスの場合は、
まず、動詞の辞書形を提示して、覚えてしまいましょうと
いうやり方でも短期で定着するかもしれませんね。
さらに、私どもが教えているビジネスマンの方々は、
若い学生たちと違って、普通体を駆使して、あまりくだけた
話し方に慣れてしまうと、得てして日本人には好ましく
思われないという状況もあるようです。この話題については、
私もぜひいろいろな方のご経験やお考えを伺いたいです。
では、どうぞよろしく。
(第4巻 10月06日〜10月18日)  引き続き「待遇表現」の話題と敬意表現
Luciaさんへ 投稿者:rie  投稿日:10月18日(月)02時47分48秒
 
この掲示板で他のLuciaさんの書かれたものを拝見させていただいていると
とてもおしゃれなすてきな文章で、ユーモアのセンスも品のある洒落た方だと
想像していました。
ですから、Luciaさんのメールの件、私が受け取ったのなら
クスッと笑ってしまったと思います。
ただ前後のやりとりと受け取った方の性格によっては
バカにされたように感じられたのかも知れませんね。
難しいですねぇ、言葉って。
私も他のHPである方がなにげなく使った言葉で論争が
まきおこっているのを最近見てから、こういうちょっと
特殊な公の場で文章を書くのに臆病になりそうです。
 
Luciaさんの文章、私は好きですよ。
私のように文才の無い者にとってはうらやましいほどです。
 

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メール文のこわさ 投稿者:Lucia  投稿日:10月17日(日)14時03分17秒
 
掲示板でもメールでもどのような表現を選ぶのがいいのかに迷うことがあります。
やっさんのおっしゃるとおりあまり丁寧でも親しみという面でちょっとかけるかも
しれませんし、かといってくだけるのもちょっと。 (その点英語は楽だとおもわざる
をえません。) ことに相手が見えず、こちらの表情もあらわせない条件で気楽に
書いたことで相手の方の感情を害してしまったことが最近ありました。
ちょっとした冗談を楽しんでいれたのですが、それが理解されないどころか
怒ってしまわれました。  次のやりとりはメールにはふさわしくないでしょうか?
 
  A: なんだか狐につままれた気分です。
  B: どうぞ狸につままれたとお思いください。
     狐では光栄すぎます。(Bは少々太っております。)
  A: わけのわからないお返事ばかりで、
     しばらくメールをいたしません。
 

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丁寧な話し方 投稿者:やっさん  投稿日:10月13日(水)16時37分13秒
 
先日のことなんですが、職場の先輩に「私のホームページには皆さん、丁寧な言葉で書き込んで
くださる方が多いんです。」と話したところ、自分が丁寧に「です、ます体」で書いているから相手の人もそうなんじゃない?と言われ、「なるほど、、」と変に納得してしまいました。結局、日本人は相手の出方をうかがいながら、場にふさわしい表現や文体を選んでいるんだと思いました。私自身は一応、HPは誰が見ているかわからないものだし、公共の場と考えているから、敬体で書くことは当り前だと思っていました。しかし、いつまでも堅い口調で話すのはやはり親しみを表わせないという気持ちもやはり心の隅にあるような気がしてなりません。ですから相手も自分も気ばかり使い、本音というか言いたいことがうまく言え(書き)ないことがあるようにも思いました。そうかといってくだけすぎる口調では私の品位が落ち?ても困るので(^_^;)  (いやもう落ちているかも)当分はこのような話し方(書き方)で続けます。今日は何が言いたいんでしょうね?私も分からなくなってきました。つまり待遇表現は難しいということかも知れません。ともすれば日本教師は尊敬語や謙譲語などを熱心に丁寧に 教えるものだと思うのですが、くだけた表現やどの相手やどの場面ではこういった表現がふさわしいといった事を教えてあげることも必要かなと思うこの頃です。

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乗り物の中の恋人たち 投稿者:Lucia  投稿日:10月11日(月)11時41分14秒
 
すてきなお話が始まるとよろしいのですが、それは場所をわきまえまして、日本語へと
移ります。 デンマークの方とそれこそ”なんでもお話ができる”お付き合いを
していました。ある時゛日本人の英語は上手な人でも発音や表現が平坦で慣れれば
わかるけれど、聞き取りにくい”とおっしゃいました。”そうでしょうね、唇を
前に突き出す必要がないのが日本語の発音で、日本語らしく話そうとすれば
極端にいうと唇を横に開き、微笑んでいるようにしてみるといいようですよ。
それだから日本人にとってW,Y,R,Vなどの発音はなかなか自然には
できませんね。”
  彼女は私と同じで急に話しが飛ぶほうですので、゛日本の若い人が
電車の中でキスをしているでしょ。私はとってもいいといつも思って
いるのだけれど、もっともっとキスをすれば英語の発音もよくなる
かもしれない” ”あら、ほんと!” 
 

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日本語は抑揚がない?! 投稿者:rie  投稿日:10月09日(土)21時03分36秒
 
よく韓国内のみで日本語を勉強された方に不自然なほど抑揚なく単調に日本語を話される方を
見かけます。特に韓国人の日本語教師に習った方に多く、日本語は韓国語と違い抑揚がない言語だ
と教えられたという話をよく聞きます。
私の友人の韓国人学生が、韓国内で日本語を学んだ経験がないまま、
日本の大学で1年間交換留学生として学び、帰国後、韓国の大学で日本語の授業を見学したところ韓国人の教師以下全員がとても不自然な抑揚のない日本語を繰り返し練習していて、
日本で日本人の話す日本語に慣れていた彼女はとても気持ち悪かったと言っていました。
彼らの耳には、日本語がそう聞こえるということなのでしょうか。
韓国語には「激音」と呼ばれる激しく息を伴う音や「濃音」と呼ばれるのどの奥で息を詰めるようにして発音する音などがあるので、我々日本人には、韓国人同士話しているのを聞くと、時には
喧嘩をしているのではないかと思ってしまうことがあります。
その逆に、韓国の方には日本語がとっても単調に話されているように聞こえるのでしょうね。
沈んだ暗い日本語は、母国語の影響ではなく、音の強弱の違いとアクセント、イントネーション
の問題とを取り違えているために、そのように単調に話すのが日本語らしいと思いこんでいるのではないかと思います。
私はフィンランド語は全く分かりませんが、母国語で話すとリズミカルというのなら、
同じ様な原因があるのではないかとおもいますが・・・・・
どうなのでしょうか。

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韓国語とフィンランド語 投稿者:Lucia  投稿日:10月08日(金)22時50分23秒
 
韓国語をなさる方がいらっしゃるようですので、きっと感じがおわかりになるかもしれない
と思うのですが、同じモンゴル系統であるフィンランドの方と韓国の方が日本語、英語を
お話になるときにトーンがとっても似ていてびっくりいたします。極端に表現すると
沈んだ暗い感じになり、人が変わったのかしらと思ってしまうことがあるくらいなのですが、
フィンランドの方によると川の水が流れるように話しているとのこと、それに比べると日本語は
ピストルでバンバンというようにきこえるとおっしゃった方がいました。
 でも韓国の方が韓国語をお話になるときはずんだとってもお元気な、そしてフィンランドの方が母国語をお話になるときはやはりとても明るくリズミカルに聞こえるのです。
母国語でないと感情が発声に現れにくいということなのでしょうか? 
 

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両親の敬語および発声の問題 投稿者:Yukiko  投稿日:10月07日(木)00時31分04秒
 
Luciaさんのお話で思い出しました。私のうちでは母が父(双方現在70代に
入ったところです)に対して敬語を使っておりました。「これ、召し上がります?」
「何時にいらっしゃる?」でも、そういえば、最近はどうなのか、滅多に会わないので、
思い出せません。お互いの果てしない愚痴を聞かされることは多いのですが、
ひょっとすると長年の夫婦関係の変化にともない、あの母の敬語も消滅して
しまったのかも…。ちなみに私たちこどもは父に対しては普通体で、敬語を使う
ように言われた記憶はありません。
さて、Luciaさんのおっしゃった発声の問題、たしかに大切なポイントだと思います。
私は日本語教師の条件として、発声がきれいであることも含まれると考えています。
私自身も、家族やごく親しい友人とおしゃべりしている時と、レッスンの時、
日本語の先生仲間と話す時や目上の相手とお話しするときでは、おのずと声のトーン、
発声を変えています。その場に応じて、それが自然にできるかできないかで、聞く方の
人の印象は全くちがいますものね。私の大学時代の友人にフランス人と結婚した
語学の堪能な女性がおりますが、彼女が日本語、英語、フランス語を話す時、それぞれ
声のトーンも、スピードも話しぶりも表情すらも全く違うことにある日気がつき、
感心しました。語学の堪能な人というのは、ある種の演技力のようなものがある人、
つまり、なりきれる人だなと思いました。ただ、それをくだけた場面などでも
やたらにその国の人になりきって演じてしまうと、native speakerとの親しさや、
その場の雰囲気によっては不快な印象を与えてしまうでしょう。結局は、言葉づかいも
発声も、その場に応じた使い分けができるセンスを身につけるということになる
でしょうか。「ここが変だよ日本人」や「朝まで生テレビ」などの討論番組を見て
いると、内容よりもまず、それがきちんとできている人の発言はとても説得力がある
んですよね。でも、考えると、その場、つまり討論会にふさわしい話し方ができる人は
言っていることもそれなりに正論という場合が多いでしょうか。
 

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(無題) 投稿者:Lucia  投稿日:10月06日(水)23時21分36秒
 
文字変換の間違いを一つ、今気がつきましたので、
”ちょっと神戸まで来るまで−ーーちょっと神戸まで車で、、、”
いつも自分でびっくりしてしまいます。 すみません。

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(無題) 投稿者:Lucia  投稿日:10月06日(水)23時15分53秒
 
ちょっとまたずれたお話を申し上げるのではないかと心配ですが、個人的な経験をひとつ。
多分特殊な環境だったのでしょうが、私は両親には物心ついてからずっと敬語で会話を
いたしました。゛お母様、今日はどちらにいらっしゃいますの?””そう、今日は
ちょっと神戸まで来るまでいってこようと思っていますが、あなたもいらっしゃる?”
まるで小説のようだとお思いでしょうが、事実だったのです。 ある年令になるまでは
気がつきませんでしたが、ふとある時この話し方で”外人扱い”をされているのに気が
つきました。 でも大変だったのです。友人と普通体で話していかなければならないのは。
ちょうど初めての土地でその土地のなまりで話さなければならないのはわかっている
けれども、なかなか出来なくて困るというのと同じような感じでした。 最後は三枚目の
俳優を演じていると思いながら、いろいろな場面で使いわけられるようになりました。
それでも自分がどの表現を使っているときが、一番自然なのかと考える時よくわからなく
なります。 どうも普通体、丁寧体、敬語でお話をしているときに一番違ってくるのは
もちろん表現そのものですが、それと共に発声が非常に異なってくるという思いが
してなりません。 外国の方が普通体で、それもくずした普通体のときに不快感を
覚えるのは発声に大きな要素が入っているのではないかと思うのですが、
英国人が米国人の英語を嫌う理由はいろいろありますが、どうも私には根本的に
発声が異なっているような気がしてなりません。
とりとめもなく、それもかなり特殊な例をご披露申し上げてしまいました。 
 

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敬意表現の運用 投稿者:やっさん  投稿日:10月06日(水)14時03分47秒
 
rieさんへ
読んでいて非常によくわかります。内容を読んで真っ先に思い浮かんだのが「ここが変だよ日本人」
に出てくる外国の方々です。私の周りにいる人で「あのしゃべり方は不愉快だ」とか「そこまで言う
なら国へ帰れ!」とかいう話をよく聞きます。あの番組に出ている方は日本滞在歴も長く、日本語を
聞き取る力も話す力もかなりなレベルに達している方も多いと思います。しかし、テレビのように
多くの人が見ている所での話し方としては聴取者に不快感を与えていると言わざるを得ない方も
いらっしゃるようですね。反対にいつも冷静に話し方もかわらず、意見を述べる方もいるようで、
好感を与えている方もいらっしゃいます。番組制作の段階で過激に話すように仕向けているのかどうか
はわかりませんが、かなりなレベルまで話せる外国人の方でも待遇表現に関しては難しいと思います。
日本人は意識せずに言葉を″使い分けている″と思うんです。相手は誰か、この場面では、どの表現
使えば失礼にならないか、特別な効果を狙うため、など頭の中でいちいち考えずにうまく使い分けて
いると思うんです。しかし第二言語として日本語を習っている人は、そのようなことが瞬時にできる
わけもないし、また細かく誰かに習った経験も恐らく少ないと思うんです。(日本語の待遇表現について
研究している外国の方などを除いて)
ちょっと話がずれますが、日本人でもこの″使い分け″がうまくできない人がいるようです。
昨年の話ですが、私が寮の宿直にあたり、寮の事務所で当番をしていたときに寮生の事務所当番の子
遅れてやってきたんです。「ごめーん、先生おくれちゃって、、、怒ってる?」と言ったんです。
ちょっと話し方に不快感を覚えましたが、最近の若い子なんだから、、と自分に言い聞かせ、笑顔で
「次は遅れないようにね。(^_^;)」と答えました。
そうしたら「先生、たばこ持ってる?」と聞いてきたのでさすがに私もキレてしまい、「何、考えとる
んや?えー?先生に対する言葉か、それが?」と、、あとは想像にお任せします。
 
言葉の使い方(特に相手への配慮や表現)を間違えると、初めは不快感を与えるだけが、嫌悪感に変わり、
しまいには排他的に相手を考えるものだと本当に思いました。あとで同僚に聞いたらかなり特別な子だ
ったらしいんですが、それにしても日本人でも場面に応じて言葉をうまく操れない人がいるんだと思い
ました。特に若い人です。でも、よくよく考えてみると悪いのは本人だけではないような気がします。
日本語の″敬語の運用″に関することがあいまいなことが関係していると思うんです。
運用に関してはそんなことは生活しているうちに自然に身についていくことで決まりもなければ学校で
こと細かく整理して練習までしないと思いますし、そんなことを日本の学校でやらないと思うんです。
同じ意味のことをいくつか表現をかえて用意して街頭で「この人に対してはどの表現を使うか」とか
「この言葉はどんな相手でどんな場面で使えるか」というアンケートをやれば、個人差がどうしても
出てくると思います。ですから外国人には言葉の意味を単に教えるだけでなく、うまく運用した場合、
どうなるか、うっかり間違えて運用すればどうなるか、といったことをしっかり伝えなければいけない
ように思います。特に歳の上下だけでなく、親しさ、二人の会話か複数人の会話か、公式な場か、リラッ
クスした身内だけか、などなどの面から考えて使うようにアドバイスしてあげてはいかがでしょう?
(第5巻 10月18日〜10月23日) 「あせる」と「あわてる」の違い「〜による」「〜によって」の違いに関する話題
日本語は心理学? 投稿者:Lucia  投稿日:10月23日(土)17時00分58秒
 
1.東海村で経済性を優先したことによって致命的な事故がおきた。
2.東海村で経済性を優先したことによる致命的な事故がおきた。
上のふたつを比べてみて、修飾というものの持つ意味に
もどってみました。 2の場合は致命的な事故というのは
それが起こりうる予想される条件というものがわかって
いる場合説明という機能を修飾という形でなされたもの。
それにたいして1の場合は致命的な事故が起きたけれど
その起きた原因というのは予想されたものとは限らない。
  これは屁理屈でしょうか? 

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による?によって? 投稿者:るー  投稿日:10月23日(土)15時01分38秒
 
Toshiさん、Luciaさん、早速のレスをありがとうございました。(^o^)
今日1日暇なので、いろいろ調べてみています。
で、自分の頭を整理するためにも途中経過の報告。(^_^;)
 
ええと、まず、このあたりの「機能語」の基本は
 1:辞書形+名詞
 2:テ形+動詞
ですよね。で、わたしはいつも学生に、辞書形とテ形は意味を考えて、
どちらを修飾しているか考えなさい、と言ってます。
例えば
「親に対する反抗心をむき出しにしてくってかかった」
「親に対して反抗心をむき出しにしてくってかかった」
なんかは、意味が全く違ってくるので、意味で考えろ!というのは、基本的に正しいと思っています。
 
で、いろんな例文をあたってみて、「対して」「対する」は、だいたい意味で考えればOKだと思います。
問題になるのが、原因・理由の意味の「による」「によって」です。
Toshiさんの書きこみを見て、その線で調べているのですが、
「不注意によって大事故が起こることもある」
「不注意による大事故が起こることもある」
で、はたと困ってしまいました。
これ、どっちも言いますよね?
でも、「不注意による大事故」と言えば、もちろん「不注意が原因で引き起こされた大事故」で、
動詞の意味がかくれていますよね。
 
・・・・・ここから先に進めずにいます。ふえーん。(;_;)

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日本語の形容詞 投稿者:Lucia  投稿日:10月23日(土)12時54分16秒
 
常々日本語の形容詞を欧米語圏の方に教えるときいろいろ問題が起きがちだと
思ってきているのですが、 るーさんの“社長が、、、責任がある”という
表現も Presidents are responsible to...とするか Presidents have the responsibility towards... とするか。 私は欧米語圏人ではありませんので、このふたつの
表現の違いが正確にはわからないのですが、たぶん前者は“社長は、、、に対して
責任が、、、”であり、後者は”社長は、、、に対する責任が、、、”と
なるのではないかと思うのですが。dもやっぱりわからなくなりました。
これはいかがでしょう。 ”私は自分の書きこみの内容に対して責任がある”
と “私は自分の書きこみの内容に対する責任がある。”
 

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この暑さによる病気 投稿者:Toshi  投稿日:10月23日(土)01時38分07秒
 
質問に対する答えにはならないかもしれませんが、どうしてこの文が
ダメなのかを考えてみました。みなさんの意見も聞かせてください。
  
直感的には(自信がないので、ちょっと逃げ腰です)、
「この暑さによる病気」という名詞句は「この暑さによって(人が)
なった病気」という意味で、例文「この暑さによる病気になった」の
後半部の「になった」が意味的に重なっていて余計なので不自然に聞
こえるのではないでしょうか。
 
 例えば、「日本語文型辞典」にあった例文、
 ・地震による津波の心配はないということである。
  
この文は、
「(この)地震によって津波が発生する心配はない〜」と言いかえら
れると思います。それで、元の文の「地震による津波」の部分は、
「地震によって発生する津波」とほぼ同じ意味だと考えられると思います。
 
ちょっとうまく言えないのですが、
 ・○この地震によって津波が発生する心配はない。
 ・×この地震による津波が発生する心配はない。
   (こういう言い方しませんよね?するかな?自信ないッス)
 
 まあ、とにかく、二番目の例文が不自然に聞こえるのは、「地震に
よる津波」には、「地震によって発生する津波」という意味があるの
に、その後、もう一度「発生する」という動詞を付け加えているのが
原因なのではないでしょうか。
「暑さによる病気」もこれと同じじゃないかな…と思いましたが…。
みなさんは、どう思われますか?

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お助けください! 投稿者:るー  投稿日:10月22日(金)00時46分03秒
 
やっさん先生、みなさま、こんばんは。
わたしのHPの掲示板に寄せられた質問なんですが…。
 
>○社長は社員に対して責任がある
>○社長は社員に対する責任がある
>
>○この暑さによって病気になった人も多い
>×この暑さによる病気になった人も多い
>
>線を引いてどこを修飾してるかを説明してもわかってもらえず・・・
>名詞にかかるのか、述部にかかるのか、分かりやすく説明するのって
>どうしたら良いんでしょう?
 
意味で考えていけばいいのかなと思ったんですけど、
「この暑さによる病気」=「この暑さが原因の病気イロイロ」と考えて、
その病気になった人が多い、と考えたら、OKになってしまいました。(;_;)
でも、「この暑さによる病気になった人も多い」って絶対言わないですよね。
 
いつも質問ばかりで申し訳ないですけど、お願いします。
 
るー@これを機に連体・連用修飾きっちり勉強しようかな。
 
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/7343/
 

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慌ててももう遅い 投稿者:やっさん  投稿日:10月20日(水)13時45分40秒
 
Yukikoさんに先を越されて、もう書き込むことがないので、せめて例文だけでも
書き込みます。とほほ、、、
 
・締め切りがせまっていてあせっています。→ おちつかないニュアンス
            あわてて    → ?
 
・そんなにあわてて食べたら消化に悪いよ。 → 時間がなくて急いでいる
     あせって            → ?
 
・敵は我々の攻撃にあせっている。 → 時間的な感じがしない
         あわてている。 → 攻撃を受けてどうしてよいかわからない感じ 
     
・焦りは禁物だ → 名詞でも使える
 あわて    → ?
 
類語例解辞典でも不意をつかれたとかどうにかしようと落ち着かないといった違いが
書かれていました。重なる部分と重ならない部分を説明すればうまく理解してくれると
思います。
 
「形容詞+と」の件ですが、やはり扱われていないようですね。「日本語の教え方の秘訣」
も調べてみると一行だけ書いてありました。私の見落としです。で、結局、私は形容詞や
形容動詞、名詞は次の教科書で教えていました。教案を調べたら、あとでやっていました。
実は私が作ったテストの問題の選択肢に「形容詞+と」の文があり、指摘を受けたので、
ちょっと皆様に聞いてみたわけなんです。こたえてくださり、感謝しています。
これからもよろしくです。シェーシェー、カムサハムニダ、ダンケ、サンキュー、、、、
 

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焦ると慌てる 投稿者:Yukiko  投稿日:10月19日(火)23時33分54秒
 
おもしろいご質問なので、ちょっと調べてみました。
焦る:(期待した結果が得られない時、)その事を早く実現させたくて、
   普段の落ち着きを失う。(例)功をあせって、自滅した。攻めをあせって、…。
慌てる:@突然のことに出会って、普段の落ち着きを失う。Aびっくりして急ぐ。
 
以上は 三省堂の新明解国語辞典からの抜粋ですが、ここにあるように
焦るのは、「期限まで時間が残り少ない」とか「目的、ゴールに向かって、思うように
進まない」場合に「焦りや苛立ちを感じる」わけで、不意を打たれたり、予想外のことに
出会った場合に「あわてふためき、うろたえる」のではないでしょうか。言い換えると、
焦っている場合は「いらいら/じりじり」し、慌てている場合は「おろおろ/ばたばた/
じたばた」していますよね。 あえて漢字で書いてみましたが、「焦る」は「焦げる」と
同じ字で、慌てるには「荒」という字が入っていますよね。視覚的にもニュアンスの違いを
表しているような気がして、おもしろいと思いました。
 
以下、思いつくままに例文を挙げてみます。
1) 模擬試験の成績がいっこうに上がらず、彼は焦っていた。
2) 同期入社の同僚が次々と出世するのを見て、彼は焦りを感じている。
3) 卒論の締め切りまで、あと一週間しかないので、焦っています。
4) 結婚を焦っているのか、彼はいくつかの結婚相談所に入会したようだ。
5) 勝ちを焦ってはいけない。じっくり攻めよう。
6) 駅で財布を忘れたことに気づいて慌てた。
7) 突然の地震に慌てて裸足で飛び出した。
8) 思いがけない質問に彼は慌てて、手にしたコップを落とした。
9) そんなに慌てて、どうしたんですか。
10) 今さら、慌ててもどうにもならない。/*(焦っても)も可
 
なお、「・・・と」は 私の知る限り、他のテキストでも「動詞+と」のみで
「形容詞/名詞+と」は提示されていないと思います。
 

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(無題) 投稿者:yukari  投稿日:10月19日(火)13時51分02秒
 
やっさん、こんにちは。「と」の件ですが、私の学校では「日本語初歩」から
「みんなの日本語」にかわったため、「新日本語の基礎」のことはよくわか
らないのですが、スリーエーネットワークの「日本語教え方の秘訣」(新日
本語の基礎のくわしい教案と教授法)を参照しましたら、「このテキストでは
動詞+と のみを教える」とありました。形容詞+と は提出されていない
ようです。
 
私も質問です。学生からよく出る質問ですが、「あせる」と「あわてる」の
違いがどうもうまく説明できません。何かいい説明はないでしょうか。

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新しい媒体 投稿者:やっさん  投稿日:10月18日(月)12時56分43秒
 
土日とインターネットを休んでいましたので、書き込みが増えていて驚いています。
ちょっと読んでいて感じたことを書き込みます。
インターネットが普及して、メールのやり取りも盛んになってきました。
しかし現時点では活字をもとにしてコミュニケーションをとっている以上、書く文の
内容には気をつけなければならないと思います。実際のコミュニケーションでも、スムース
に会話が流れていくのは、よい人間関係が築けた場合だと思います。通常、挨拶を交し、
いろいろな話題からジャブを繰り出し、相手の出方や回答から、次の自分の出方を考えて
いくものだと思います。インターネットやメールも同じで、最低限のルール(決まったものは
ないようですが)を守らないと相手に不快感を与えたり、どんなに素晴しい意見を述べても
受け入れてもらえない場合があるように思います。人間のコミュニケーションを考えると
会話のテクニックより、まずは人間関係を確立させることから始まっているような気がします。
全く同じ内容のことでも相手が自分を受け入れてくれている場合とそうでない場合とでは
反応が変わってくるものだと思います。ですからメールや掲示板の中では顔も出ませんし、
文面だけしか相手を判断するものがありませんから、人間としての社会的なルールを守りながら
相手を思いやる気持ちを忘れずに、やり取りをすることが大切な気がします。
 
以前、Aの掲示板であったことですが、みんなから非難されてばかりいるような方がいました。
私も初めに読んで少し不快に感じましたが、多くの方が同じ様な感じを持っていたようで、
反論や不快だといった意見が多数出てきたように思います。問題はそこで、一度、相手に
不快感を与えては、正しい事やいい意見を述べても受け入れられにくくなることです。
そこから全てのひとが誤った方向へ行ってしまうことが恐ろしいと思います。
文というものは、その人の心が文面ににじみ出てくるというか、読むだけで温かさや品性が
にじみ出てくるものだと思います。言葉を使って人を喜ばせることもできます。反対に苦しめる
こともできます。日本語という言葉を人を喜ばせたり、助けるための道具として外国人に教えて
あげたいものだと思います。
 
それからちょっと「新日本語の基礎」を使っている方にお伺いしたいのですが、23課で
「〜と」を教えますよね。しかし、ここでは「動詞+と」が中心で形容詞などの他の品詞では
提出されていないようなんですが、正式にはどこの課で出てくるのか、或いは、知らない間に
どこかの課の練習などに出ている、といった情報をお持ちの方は教えていただけないでしょうか?

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ラジオ向き 投稿者:Lucia  投稿日:10月18日(月)10時14分17秒
 
rieさん、
  光栄です。あたたかいお気持ちが伝わってきます。
  昔まだテレビなどがなかったころ芸能界の方は
  幸せだったことを思い出しました。歌の番組、語りの番組
  などを聞きながらすてきな声に”うっとり”。勝手に
  お姿を想像して夢中になったりしました。それから
  テレビが始まり、”うん、これはラジオ向きだね”という
  表現が始まりました。 インターネットでの会話は古のころに
  似ているようですね。 今の幸せをありがたく思いうことに
  いたします。 これで画像掲示板など始まったら大変!
  でもきっと始まると思います。
    私は日本の゛言霊”、あるいは聖書の”求めよさらば
  あたえられん”というのは本当だと思っています。
  現在の可能性はともかく、口にだしてみたことはおもいがけ
  ないときに実現するもののようです。ですから”危険”を覚悟
  しても表現をするようにしています。 ただ日本では
   ”あの人と一緒にでかけるとおもしろいわよ。恥じをかくのを
  覚悟さえすれば”という評価をいただいています。
    ここで質問をひとつ。”恥じをかく”というのはどういう
  ものだと思われますか?  私は今まで゛恥をかいた”という
  自覚がありません。
(第6巻 10月23日〜10月27日)  引き続き「〜による」「〜によって」の話題です。
ありがとうございます。 投稿者:JIJI  投稿日:10月27日(水)07時59分19秒

 

今回の「による」「によって」の発信元、JIJIです。
たくさんの方に一緒に考えていただいて、本当にありがたいです。
 
問題集では、文の一部が抜けていて、「対する・対して」「による・によって」
「めぐって・めぐる」・・・・のどちらかをいれろ、というものでした。
解答にはどちらか一方が正解となっていたのですが、両方考えられるものもあり、
(対する責任・対しての責任がある、の問題では「対する」だけが正解となっていました)
私自身、こちらはダメなの?という感じのものもちらほら・・
 
結局、例文をたくさん出して授業は乗りきったのですが、
まだ私も不安がかなりあるところなので、もうちょっと考えてみます。
Yukikoさんの例文、「不注意による事故を防ぐ」は
どこにかかっているかを説明するのに、とても分かりやすくて、最初にこんな感じの文を
出していたら生徒もあんなに悩まなかったのかも。
 
自分の勉強不足を改めて感じた週末でした。


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しつこく、「による」です! 投稿者:Yukiko  投稿日:10月26日(火)15時05分08秒

 

るーさんへ、
るーさんの掲示板に投稿しようと思ったのですが、説明がうまくできず、長すぎてダメなようなので、やはりこちらに再度しつこく書き込ませていただきます。最初に質問されたお友達も
見てくださいますよね。
どうも自分の書き込みが お友達のそもそもの疑問にヒットしていたのかどうか、ちょっと
自信がなくて、おたずねしたいんですが、
 
>>実は、これは能対1級の問題集にあったやつなんですけど
>>テキストの解説のページに、「による+名詞」と書いてあったのを見て
>>直後に名詞が来ていたら、よく考えずに「による」を書いてしまう生徒がいたのが
>>そもそもの発端で、クラス中にどっちだ?というのが広まってしまったんです。
 
まず、発端のその問題集にはどんな形で、質問がされていたのか、できれば教えていただきたい
です。  それと、書き込みでは
>○この暑さによって病気になった人も多い
>×この暑さによる病気になった人も多い  の後者のほうは×になっていますが、
これはその問題集で×にされていたのでしょうか。
この文は曖昧で、少々不自然な気はしますが、絶対に言えない文ではないように私は思うんです。
 
生徒さんにはっきり教えてあげるべきポイントは
「不注意によって大事故が+起こることもある/起こらないようにしよう/起こった」
「不注意による大事故が起こることもある/(以下同上、動詞のどんな時制、活用形でも可)
「その地震による津波が発生したとき、わたしは海辺にいた。」
「今回、地震による津波が発生しないとは言いきれないので、」
以上の例文のように、「大事故/津波」の部分があとに続く動詞の主格になる場合は
「によって」「による」の両方が使えるが、「不注意による大事故を防ぐ努力が必要だ。」のように
大事故」が後続の動詞の目的格であったり、「不注意による事故の発生をなくそう」のように、
【する動詞】を名詞形で使う場合は「による」しか使えないということです。 
「によって」はあくまでも述部の動詞にかかるので、「不注意によって大事故を防ぐ」では
「不注意によって−−−防ぐ」と、意味がおかしくなります。
当初、例に挙げられた「この暑さによって病気になった人も多い」は「病気になる」自体が
fall ill/get sickという動詞としても、「名詞+なる」という句としてもとらえることが
できるだけに、もし、この例文が問題集に取り上げられていたとしたら、学生を混乱させる
のは当然ですね。 実際、私たちも混乱させられましたもの。
あるポイントを学生に認識させようとするときに、他の要素を含んだ例文をうっかり
提示して、あわてた/あせった経験、何度かあります。例文もよーく吟味して選ばないと
思わぬ迷路に入り込んで、冷や汗。 
国文法用語を忘れてしまって、(普段のレッスンでは必要ないので…と言い訳)
うまく説明できないんですけど、「による+名詞」と書いてあったのを見て
直後に名詞が来ていたら、よく考えずに「による」を書いてしまう生徒さんには
その「名詞」の後に来る部分に注目して、「名詞」が「何格」なのか、見きわめて
と言ってあげたらいいのでは?
 
>授業、うまくいきました?
>でも、こういう「先生の宿題」って、
>いざ説明しようと思っても、「もういいです、先生」ってよく言われません?
>せっかくがんばって調べてきたのにぃって。^^;
 
ほんと、ほんと、よくありますね、そういう拍子抜け。こういう日ごろの私たちの努力もこつこつ貯金して、いつか夢のドリームジャンボに化ける日を待ちましょう。
 
ところで、どなたか、私がぶつかった、くせもの「この」のある場合とない場合について
おわかりになれば、教えてください。


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 悪文は一見でわからず、、(百聞は?) 投稿者:やっさん 投稿日:10月26日(火)14時29分08秒

 

Luciaさんへ
長々と文章を続ける傾向があるのは日本語だけとは限らないようです。韓国語でも同じ様な
傾向があると思います。実際に韓国人の作文を担当された方はご存じかと思いますが、文が長過ぎ
るので一度、文を切って二つにしたほうが、読み手が理解しやすくなるといった指導をすることが
あります。また韓国語の翻訳を頼まれることもあるんですが、長い文で切れ目がなく、訳すのに
閉口してしまうことがあります。翻訳したものを読むのは日本人だから誤解の起こらないように
注意しながら言いたいことが伝わるように調節します。口頭では日本語も韓国語も長くなることは
少ないと思うんですが、新聞、雑誌をはじめ書かれたものを見るとけっこうあるように思います。
 
るーさんへ
まだ納得されていない部分もおありのようですが、ある日、突然、「あっ!」とわかることも
あると思いますので、がんばってください。私のことで恐縮ですが、「〜ず」と「〜ずに」の
違いで、学習者にうまく教えられず、いろんな本を調べたり他の人にも聞いたりしたんですが、
自分自身で納得できず、もやもやしていました。しかし、何度もその課を担当していろいろ例文
を考えたりしているうちに発見があり、解決したことがあるので、あきらめずに調べたり、研究
されることが大事な気がします。お互いにがんばりまっしょ!これからもよろしく!


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ご協力ありがとうございました 投稿者:るー 投稿日:10月25日(月)23時40分52秒

 
による・によって、のこと、ありがとうございました。
わたしのHPのBBSに書きこみをしてくれた、元発言者さんによると、
もともと、1級対策の問題集にあった問題らしいです。
なんだかやらしい問題ですね。
 
まだわたし、きちんと理解できてないので、
これから時間をかけて消化します。
早食いは体に悪いもんね〜。(^_^;)
ん?これは単なる言い訳か。


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 ”はてしな”文 投稿者:Lucia  投稿日:10月25日(月)20時24分56秒

 

”宗教組織をバックとした政党が第1党として国政を動かしていることについて疑問を
なげかけるマスコミの記事がほとんど見当たらない現状についてかねがね不思議だと
思っているのは私ひとりであろうかと思うことがよくある。”
上記の文は実は初めの”、、、とした、、、”と”、、とする、、”もこれまでの
話題に似た性質のものかと思って書き始めましたところ、ながながといつまでも
一文でかきつづけていきそうになって途中でやめました。もちろんこれは悪文では
ありましょうが、現実には書かれたもの、講演会でよく出会いうものです。
上級者にとってこのような文が一番わかりにくいようです。最後まできたときには
初めのことを忘れてしまっているような気がします。自分でもよく理解できる
ものだと思いますが、感覚でなんとなく理解できるこのような文は日本語の
特色なのでしょうか? 


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今更、、すみません。おくれて。 投稿者:やっさん 投稿日:10月25日(月)10時37分43秒

 

ごぶさたしております。「やっさん」です。21日から23日まで校外学習で能登
へ出かけておりました。帰ってきて「による」で話がかなり進んでいるのを見て、
びっくりするとともに今さら書き込むのもなんか、、、何やってんの!というかんじ
で気がひけます。(小さい声で、、すみませんが、意見言います。)
ひととおり目を通して、皆様が機能面や文体、助詞への置き換え、例文を考え、
ニュアンスの違いなど考察されているのを見てなるほどと思っています。
「による」は機能の面から「動作主」「原因」「根拠」などの使い方があり、後ろに
名詞が来て、
「によって」は「原因」「受け身の動作主」「手段、方法、材料」「判断の拠り所」
「場合」などの使い方があり、二つは同じものだと思っています。後ろに名詞が来
て、修飾する使い方か、「て、」で止めて文を続け、「手段、方法、、、」などを
表わすかの違いだけだと思います。Yukikoさんの「現象を表わす、、、」は興味
深かったです。助詞に置き換えるのも、どんな機能かを考える上で有効だと思い
ましたし、今まで、自分も同じようにやっていたことを皆さんもやっているんだと
思い、何となくうれしくなりました。
もともと「るー」さんの「テストで選ばせる問題で、後ろに名詞が来ている場合は
、、」というようなところから来ていると思うんですが、私の場合、わざと授業では
るーさんと同じように説明し、選択肢の後ろに名詞が来る文を置き、学習者に前文が
どこにかかって意味はどうなるかを考えないと間違ってしまうような問題を作るだろ
うと思いました。実例もあげず、話が抽象的で申し訳ありませんが、全てのスレッド
を読んでからそんなことを考えていました。
「皆様の書き込みによって(による)掲示板がにぎやかになりました。」


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助詞に置き換えてみて 投稿者:Yukiko  投稿日:10月25日(月)02時39分17秒

 

ひとつ気づいたことがあるので、付け加えます。
 
「によって」は助詞の「で」に置き換えても、構文も意味も変わりません。したがって、
「によって/で」の前に置かれた名詞と述部の因果関係は受け手にはっきりと伝わります。
ところが、「による」は「不注意による事故−−−不注意の事故、or 不注意事故」
「宣伝による効果−−−宣伝の効果 or 宣伝効果」「戦争による被害−−−戦争の被害 
or 戦争被害」のように言い換え可能な場合と「暑さによる病気」のように助詞「の」で
言い換えられない場合があります。
前者は「不注意な行動」「宣伝するという行為」「戦争するという行為、或いは戦争という
出来事」など 行動、行為、出来事を含む名詞ですが、「暑さ」は現象ですから、
「暑さがもたらす or 引き起こす病気」というように動詞に置き換えることはできても、
「暑さの病気」とは言えません。さて、「地震による津波」ですが、「地震」は自然現象でも
あり、また「地震が起きた」という出来事の両方の意味を持っているため、「地震の津波」と
言えなくもないですよね。  この辺の所に、カギがありそうです!!
 
どうも、私たちが 『これって言えなくはないけど、なんだかおさまりが悪くて、不自然』と
感じるのは「による」の前に置かれた名詞が現象を表す場合ではないでしょうか。
 
さらに「による」が「の」に置き換えられることからも、この言葉は名詞と名詞をつなぐという
機能性から用いられることが多いのだと思います。 日本語の「の」が様々な意味をもっていることからも、「による」を含む文は「によって」にくらべると、外国人にとって意味がとりづらく、訳しにくいわけです。
 
ちなみに「に対する」と「に対して」の場合も、「社員に対する責任−−−社員への責任」と
助詞に置き換えられますね。
 



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による&によって  投稿者:Yukiko  投稿日:10月24日(日)19時29分52秒

 

あらま、前の投稿、また改行、忘れてますね。 再送信しますので、
やっさん、恐れ入りますが、下の書き込み削除してください。
 
こんにちは。みなさまのご考察とても興味深く拝見しながら私も考えているのですが、
いろいろなポイントが含まれていてなかなか複雑ですよね。
以下、ちょっと気づいたことを書かせていただきますと・・・
「この暑さによる病気になった人も多い」 は確かに不自然に思えますが、「この」をとって
「今年の夏は、暑さによる病気になった人も多い」 となると、抵抗ないでしょう?
「この地震による津波が発生する心配はない。」も
「地震による津波が発生する心配は(今回は)ない。」ならOK,
つまり、この場合の「この」もくせものなのでは? さて、どうしてなんでしょう?
 
「による」は 【名詞による名詞の(する)動詞の名詞形】という文型が
最も自然で新聞記事などで多用されていますね。その理由は機能面で語字数が少なくて
すむためだと生徒にいつも説明しています。プロの同時通訳の方も 外交官の通訳のレッスンで
漢語を使って簡潔な文に訳すよう、よく指導してらっしゃるようです。
×この地震による津波が発生する心配はない。も「文型辞典」にあるように
○この地震による津波の発生の心配はない。と「発生」を体言止め(って言うのは変ですか)にするとOKですよね。
 
1 この暑さによる病気の発生が懸念される。  発生(する)
2 この暑さによる病気の予防が急務だ。    予防(する)
3 この事故による風評被害の拡大が予想される。拡大(する)
 もちろん以下のする動詞以外の名詞も問題なくおさまります。
4 この地震による津波の危険はないということだ。
5 この地震による津波の被害は過去最大となった。
 
6 東海村で経済性を優先したことによって致命的な事故がおきた。
7 東海村で経済性を優先したことによる致命的な事故がおきた。
これをさらに簡潔にすると
8 東海村で経済性の優先による致命的な事故がおきた。  となります。
私はこの種の文の翻訳、通訳を英国人外交官と時々とりあげますが、
英訳する場合はいつもかなり言葉を補わなくてはなりません。この「による」も
due to, caused by,brought by等々いろいろな英訳があるわけで、私は生徒さんが
いくつか言った中で、「あ、それそれ、この場合はそんな感じですね」でしのいで
います、恥ずかしながら。
8の場合は簡潔な文ではありますが、「優先」のtenseが文面に表れていないため外国人には
むずかしい文です。「によって」が使われる場合は必ず動詞が続くため、tenseも明確、
前後関係や因果関係もはっきりして、受け手にはわかりやすい文になると思います。
 
9 「不注意によって大事故が起こることもある」は 「て形」が述部にかかるため、
  「不注意によって」「起こることもある」「何が?−どういう形にせよなんらかの大事故が」と、「起こる」可能性にウェートが置かれており、
10 「不注意による大事故が起こることもある」の場合は、事故の種類・形態が
「不注意によって引き起こされる種の事故」と限定しているという違いは認められますが、
さて意味の上で考えてみると、うーん、結果的に同じことでは???
受け取る側のニュアンスの違いは るーさんのご説明のとおりだと思います。
 
以上、考えてまいりますと、「による」と「によって」は意味よりも機能面の違いが大きく、
「による」のほうは、書き言葉としては多用される傾向があるが、意味の上では曖昧でわかり
にくいということに、現時点ではたどりつきました。 おかげで退屈しない日曜日でした!
 


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ホントにわからん 投稿者:Toshi  投稿日:10月24日(日)18時57分39秒

 

>それから、Toshiさんの例文をちょっと変えてみました。
>○その地震による津波が発生したとき、わたしは海辺にいた。
>○今回、地震による津波が発生しないとは言いきれないので、
>自宅で待機してください。
>この2つ、「発生する」を避けて他の形にしてみたんですけど、
>言いますよね?
 
確かに言いますね…。
もう一度、考え直してみますので、しばしお時間を。
こういう問題って、「言うかな、言わないかな」と考えながら、自分の頭の中だけで
やってると、自分だけでは判断つかなくなっちゃうことが多いので、「日本語教師塾」
のような掲示板は有難いです。特に海外にいて、他の教師の方に質問する機会がない
私には。


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ますます分からん(;_;) 投稿者:るー 投稿日:10月23日(土)21時49分25秒

 

15:01のわたしの書きこみ、今読んでみたら、ちょっと舌足らずなところがあったので補足します。
 
>で、わたしはいつも学生に、辞書形とテ形は意味を考えて、
>どちらを修飾しているか考えなさい、と言ってます。
これ、テストで、テ形か辞書形を選ぶ問題などのとき、
全体の意味を考えて、動詞(述部)にかかるときはテ形を、
名詞にかかるときは辞書形を選びなさい、と説明している、って意味です。
 
あれから力尽きて昼寝をしてしまいました。(^_^;)
2時間以上頭を使うと、ぐったりしてしまうんです。とほほ。
 
それから、Luciaさんの、東海村で・・・ですが、
「東海村で経済性を優先したことによって/よる」が、
動詞(述部)にかかるのか、名詞にかかるのかで、解決がつきそうな気がします。
うまく言えませんが、がんばって説明してみます。
まったく見当違いだったりして。(^_^;)
 
 1は、「よって」なので、かかっていくのは述部。
  ・つまり、事故が「おきた」、その原因は経済性を優先したこと
  ・「東海村で経済性を優先したことによって」まで聞くと、
   「どうしたの?」「どうなったの?」ということを期待して次を聞きます。
 2は、「よる」なので、かかっていくのは名詞。
  ・「致命的な事故」を「東海村で経済性を優先したことによる」と限定しています。
  ・「東海村で経済性を優先したことによる」まで聞くと、「何?」と思って次を聞きます。
だから、1は、「起きた」という事実が、2は、「致命的な事故」が、
浮き出てくる(あるいは強く感じる)のでは?と思います。
つまり、2は「東海村で経済性を優先したことによる致命的な事故」が1つのまとまりで、
結果として、「そんなことは予想されていたんじゃないの?」という思いが出てくる人もいるのではないでしょうか。
 
うーむ、分かっていただけたでしょうか。
で、この予想されていたものか否か、というのは、あくまで受け手の感じ方で、
いわゆる、行間を読む、ってやつではないでしょうか。
例文によっては全く同じことを意味するものもあるのでは?と思います。
 
それから、Toshiさんの例文をちょっと変えてみました。
○その地震による津波が発生したとき、わたしは海辺にいた。
○今回、地震による津波が発生しないとは言いきれないので、自宅で待機してください。
この2つ、「発生する」を避けて他の形にしてみたんですけど、言いますよね?
どうも、「×この暑さによる病気になった人も多い」とは種類が違うような気がしてきました。
(第7巻 10月27日〜10月28日)   「な形容詞」に関する話題が中心
な形容詞(略語)なんちゅう形容詞や!さむ〜 投稿者:やっさん 投稿日:10月28日(木)15時12分00秒

 
いろいろな用語が飛び交っているようですね。
私も以前の職場では「形容動詞」と言っていて今は「な形容詞」という語を使っています。
動詞に関しても以前は自動詞、他動詞の5段、1段というように言っていましたが、今は
一グループ、二グループ、、のように言っています。私自身はその言葉自体が何なのか
わかればいいと思っていますので、(かなりいいかげん、、)呼び方にはこだわっていません。
といったところで問題の「な形容詞」なんですが、名詞との関係が完全には分けられない
部分があると思うんです。文の中での役割によってはっきりした区別ができないというか、
新しい品詞の分け方でもできないと揺れたままのような気がするんです。
「な形容詞」の条件を変えることによって、「これはな形容詞だ」「これは名詞だ」となって
しまう部分が出てくるように思いますし、どのような立場に立ってみるかで、複雑ですし、
辞書の見出しも揺れているのではないでしょうか。新明解では「ーなーに」と見出しにある
ものは「ダ活用形容詞」となっていますし、「世界の平和のために、、」の「平和」は
新明解では「ーなーに」になっています。例解や福武では「名・形容動詞」になっています。
私も以前「別」という言葉が出てきて、ちょっと悩んだんですが、新明解は「ーなーに」に
なっているので、学習者に「な形容詞です」と言ってしまったんです。すると宿題の問題に
「別」が出ていて、後ろに名詞が来ているので、みんな正直に「別な」と答えを書いているん
です。でも通常は「別のさいふ」とか「別の部屋で」というように「の」を使っていることが
多いんじゃないでしょうか?このへんの使い方に関しては聞く人の感じ方が違うような気が
しますから、これ以上は避けますが、問題は日本語を外国人に教える立場の人は学習者が
間違えずに使えるようにすることが大事だと思うんです。呼び名や品詞の条件を研究すること
も大事ですし、時間があれば多くの用例をあたって検討してみることが大切だと思います。
日本語を教える立場の者は学習者がうまくその言葉を運用できるようにするために品詞に
こだわらず、その語の意味や使われ方を丁寧に教えることを最優先させるべきだと思います。
「な形容詞」はこれからも増え続けるでしょうし、「そんな使い方はおかしいのでは?」という
ものが容認されたりして、長い時間をかけて変わっていくように思います。
日本語(いや日本語の文法)にはまだまだあいまいというか解明されていない部分があるのでは
ないでしょうか。それを突き止め、分かりやすく説明できたら素晴しいですね。いや、もう
あって私が知らないだけなのかも、、、参考になるものがあれば教えてくださいね。
 
つよーい味方 投稿者:Yukiko  投稿日:10月28日(木)09時28分28秒

 
bookoさんありがとうございます。私の場合、普段、ヨーロッパから来ている生徒に
教えておりますので、レッスンでいわゆる文法説明するときには例文と使用状況を提示
して、そこからルールを理解してもらうようにしております。 ところが今回のように同業の
方々と論議する場合には、ある程度統一認識のある言葉を使いたいと思うのですが、なかなか
それが難しかったのです。 なにしろ私が日本語教授法で日本語文法を学んだのもかれこれ
20年以上前、その前はフランス文学専攻だったし・・・(みなさんいろいろ計算しないように)
国文法というのは高校で習ったのが最後かもしれません。そこで、国文科を出られて間もない
新進気鋭のbookoさんに教えを乞うた次第です。これからも、よろしく!


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な形容詞 投稿者:るー 投稿日:10月28日(木)09時17分45秒

 bookoさん、はじめまして。
bookoさんのかきこみで、思い出したことを一つ。
 
「な形容詞」って、ひとくくりにされているものって、実はいろんなものがありますよね。
名詞にかなり近いもの、おそらくは、純粋に「な形容詞」として認めてもいいもの。
たとえば、動詞を修飾させてみると、
「きれいにかたづけてね」と、
「平気でいなごを食べる」では、「〜に」「〜で」になってますよね。
bookoさんのかかれてた「元気」なんてのは、
「元気に遊ぶ」「元気でいてね」の両方がいけますよね。
学習者にとっては、まさに、(°◇°)~ガーン、ってなもんです。
この時は名詞、このときはな形容詞!って言ってしまえばそれまでですけど、
なんか法則があるのかな〜と思いつつ、まだ全然調べてません。
 
ちょっと思い出したので、カキコしました。
それでは、今日の授業、いってきま〜す!


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(無題) 投稿者:booko  投稿日:10月28日(木)04時23分10秒

 
Yukikoさんがメールで質問されてたことにひとつだけお答えすると、いわゆる「する動詞」の
名詞の部分は国文法用語では「サ変動詞の語幹」です。ということになってたと思います。
 
でもこれ不思議に思っていたんですが、「漢語+する」パターンの漢語の部分は名詞として
成り立つ場合が多いんですが、「漢語+な」のな形容詞の語幹は、名詞として成り立たないことが
多いんです。「元気」「迷惑」なんていうのは例外的で、「親切」「頑固」「繊細」などなど、
多くはいわゆる「主語」にはなれないものばかりです。でもぱっと見は名詞みたい。これは
どうしてなんでしょうね。
 
と、またまたどうでもいいかもしれない疑問でした。


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 はじめまして! 投稿者:booko  投稿日:10月28日(木)04時10分40秒

 
こんばんは。Yukikoさんからメールをいただいてこのページを覗いてみました。
新米教師のbookoと申します。よろしくお願いします!
 
Yukikoさんからのメールで「国文法の用語を忘れてしまって説明が難しかった!」との
ことでしたが、これには私も困らせられています。この「用語の不統一」のために、
他の掲示板でもだいぶ議論が混迷しているところがあります。第一「な形容詞」と
言っても日本語教師以外の方にはまったくわかってもらえない、というのもおかしな話
ですよね。(これについてはいろいろ理由もあるので仕方のない面もあるとは思って
いますが。)
 
みなさんは「日本語には主語がない」と言ってしまっては極論だと思われますか?
私は最近やっぱり日本語には主題や動作主を表すものがあるだけで、やはり「主語」は
ないかな?という気がしてきています。たとえば
 
「私は走る。」
 
という文。これは「は」で「これから何について話すのか」という主題を表し、それが「私」
である、とまず述べ、それが「何をするのか/どうなのか」というと「走る」のだ、という
仕組みであると説明することもできます。これをもとに、「私が走る。」になると「ほかでも
ない私が走るのだ」という意味が付加され、「が」こそが取り立ての助詞だと主張された方が
いて、大混乱に陥った掲示板がありました。
しかしこれは「新情報と旧情報」「現象文と説明文」といったこととはまた違った観点からの
説明で、なるほど、と思わされてしまいました。これをたどっていくと、「主語」「主格」と
いった観念がなくても基本文型がかなり説明できるのです。
もともと「主語」「目的語」という言葉は英文法から入ってきた言葉のようなので、この枠を
とっぱらってしまえばもっと違った日本語の姿が見えてくるのではないかと思いました。
 
Yukikoさんは「国文法を忘れてしまった」とおっしゃってましたが、国文法もまだ固まって
いない、というか、揺れが出てきているのではないでしょうか。国文法と日本語文法の領域が
だいぶ重なってきているという話も読みました(AERAのムックの『日本語学がわかる』など)。
これは喜ばしいことだと思います。既製の言葉を使って説明しようとするとどうしても
無理があるので、これから日本語の説明の仕方もどんどん進歩していくといいのではないか
と思っています。
 
というわけでYukikoさんの疑問のお答えにはぜんぜんなってないですね、スミマセン!
しかしこういう場に書いてしまうといい加減なことは書けないので、自分を追い込むことに
なりますね。もっと勉強するいい機会だわ!これからもがんばりますのでよろしくお願い
しまーす。


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(無題) 投稿者:Lucia  投稿日:10月27日(水)21時57分26秒

 
ほんとにいろいろ多方面から考える機会になりました。
それにやっさんを初めみなさんの題名の洒落ていること!
 
 私は個人レッスンが中心ですので、どうしても”じゃあ、これを
 実際どうもっていこうかしら”と思ってしまいます。 その点で
  るーさんの
  ・「東海村で経済性を優先したことによって」まで聞くと、「どうしたの?」
   「どうなったの?」ということを期待して次を聞きます。
 
  ・「東海村で経済性を優先したことによる」まで聞くと、「何?」と思って次を聞きます。
 は目がさめる思いでした。
 
   欧米の方は自分が話しているときに、途中で口をはさまれるのを
 快く思われないようですが、私なんかはお話を聞いているとき、”それで
 どうしたの?”や”それでなにが?”って次が楽しみで伺ってしまいます。
 るーさんのを読み、なるほど自分でも気がつかないで述語がくるののか
 名詞が来るのかを使い分けていたのだと思いました。 これはレッスンで
 楽しみながら、会話を続けてそして文法的にもきちんと確認できる
 いい方法になりますね。 感謝!!!
 


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ここにも取り憑かれてるヒト一人。 投稿者:るー 投稿日:10月27日(水)19時52分53秒

 
わたしも、まだ「による」「によって」やってます。(^o^)
今日、上司に、
「この暑さによる病気になった人も多い」って言わないですよねぇ、どうしてですか?
って言ってみました。
 
で、上司のお言葉は、「そりゃあ、病気になる、っていうのは熟語度が高いからねぇ」でした。
つまり「病気になる」は、「病気+なる」ではなくて、
「病気になる」で一つの言葉(動詞)として認識されやすい、ということのようです。
だから、「〜による」と、後ろに名詞が必要なものがきたときに、
おかしいと思うのではないか、ということでした。
「あだになる」「いい気になる」「言いなりになる」等ほど結びつきが強くはないけど、
この種の言葉に近いんじゃないか、と言われました。
 
Yukikoさん:
>この場合の「事故」はどれも「防ぐ」の目的語なのに意味によって
>可・不可両方の場合があることに、なんと夜中に目が覚めて気づきました。
 
すっごい…。
ほんとに執り憑かれてますね。^-^


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なんだか、取り憑かれちゃったみたい。 投稿者:Yukiko  投稿日:10月27日(水)17時24分23秒

 
すみません、再び、「による」と「によって」についてですが、
間違いに気づきました。
きのう、目的格という言葉を使って、例を挙げた、
×1 不注意によって事故を防ぐ。は だめでも、
○2 日頃の注意によって事故を防ぐ。は もちろんOK
×3 日頃の注意による事故を防ぐ。は 当然不可。
○4 不注意による事故を防ぐ。はOK. 
この場合の「事故」はどれも「防ぐ」の目的語なのに意味によって
可・不可両方の場合があることに、なんと夜中に目が覚めて気づきました。
というわけで、きのうの説明(後続の動詞の目的格であった場合、「による」しか
使えない)を訂正させていただきます。意味によっては 「によって」も使えます。
(きゃっ、やっぱり「によって」に取り憑かれてる!)
やはり、学生に説明する時は
「…による/に対する/をめぐる」など「助詞+辞書形」の接続句は直後の名詞を修飾すること
「…によって/に対して/をめぐって」など「助詞+て形」は後に来る述部にかかること 
以上の2点に注目して、文全体の意味を考え、どちらを使うか選びなさい
というところでしょうか。
 
掲示板のご質問によって日本語をあらためて勉強することができて感謝し、
そのことによっていろいろな角度から言葉を考えるおもしろさを再認識し、
画面の向こうの方々を想像することによってエネルギーをいただいた私。
            ……う、まだ取り憑かれてる……
 


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今日の東京新聞の一面に 投稿者:Lucia  投稿日:10月27日(水)10時06分03秒

 
今朝の東京新聞の一面にちょうど下記の文がありました。
”日本人人質を拘束していたイスラム急進武装勢力内で、
身代金要求をめぐる激しい内部分裂が起きていたことが
―略ー26日明らかになった。”
この場合’めぐる’を’めぐって’としてもいいと思いますが、
YUKIKOさんが言われているように書き言葉では
’めぐる’となるでしょう。 それに加えて私には言外に
“身代金というものがあるときそれにともなって内部
分裂というのはかなり高い確率で当然伴ってくるものだから”
という思いがあるからではないかという気がします。
 
  ーるとーてをめぐる討議からはなれることになりますが、
常々日本語での会話は基本的に’共通理解の確認’の役割が
非常に大きいと思っています。 社会的に共通したコンセンサスが
あり、話題を提供するときも話者は聞き手が共通してもっている
理解を具体的に説明をしておいてから話しを先にすすめて
いくので、{当然いわないけれどわかっているでしょう)と
いう部分は省かれていきます。 問題はその共通理解の部分を
もっていない人がいたとき、聞き手が全く反対の反応を示す
とどうなるかという部分です。 私自身は’そこから会話は
面白くなる’と思うのですが、多くの場合’しらー’となる
ようです。 この、その、あのなど短いものも含めて修飾を
するというのは話題をさらに限定していく作業であって、
その場合必ずしも聞き手全員の共通理解が期待できないと
いう時に表現を微妙に変えていると思われます。
  ふー、すみません。無意識の中にながらく持って
きている?を意識的に表現したくてやってみましたら、
このあたりで限界になりました。 
  


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大急ぎで。。。 投稿者:るー 投稿日:10月27日(水)09時51分32秒

 
おはようございます。
出勤前にHPの巡回をしています。
そろそろ出かけなければ…。
 
やっさん先生:
HPへの書きこみ、ありがとうございました。
それから、励ましのお言葉、とても嬉しかったです。
経営側ともうちょっと色々話し合ってみます。
 
Yukikoさん:
わざわざメールをありがとうございました。
 
>ほんと、ほんと、よくありますね、そういう拍子抜け。
>こういう日ごろの私たちの努力もこつこつ貯金して、
>いつか夢のドリームジャンボに化ける日を待ちましょう。
・・・と思えなかったわたしって、まだまだ修行が足りませんね。(ーー;)
がんばります!
 
それにしてもインターネットっていいですね。
一人の問題にこれだけの人が参加し、
それから、きっともっとたくさんの人が、画面の向こうで、うーむってやってるんでしょうね。
JIJIさんが書きこみしてくれたおかげで、わたしも色々考えることができました。(^o^)
「〜による」「〜によって」の話題と「形容動詞」に関する話題が中心です。
(第9巻 11月04日〜11月12日)「形容詞+て+動詞の可能形」と「〜ば〜ほど〜」の話題と「日本語能力試験」について
98年6月号だそうです 投稿者:Yukiko  投稿日:11月12日(金)15時07分43秒  
やっさん、今、下のURLでアクセスしてみましたが、大丈夫でした。
どうしてだめだったんでしょうね。 ちなみにこれはアルクの「月刊日本語そこが知りたい日本語
何でも相談」というページでこのページの過去の質問リストは以下のところで見られるはずです。
お試しください。 
http://mac.alc.co.jp/gn/gnp.qry?function=search
 
例文作成の話題は去年の6月号にあるそうですのでバックナンバーでも探して見てください。
 
前の私の質問にご丁寧にお答えくださってありがとうございました。
学習者の側にはやはり、国に持って帰って誇りにできるような結果を達成したいと
いう思いがあるのですね。 それにしても、そんなに短期間で1級を目指せるもの
なんですね。 欧州系の人しか教えたことがないので、考えたこともないチャレンジですが
逆にそういう目的意識の高い生徒さんを担当されている先生方のご苦労もしのばれます。
 
能力試験の時期については、やはりせめて年2回というのが妥当な気がします。
Luciaさんがちょっとおっしゃった運転免許試験のようにいつでも受けられるという形だと
私の生徒(や私自身)のように、試験間際にならないと本気になれない人たちには向かないでしょうね。
そういう意味で今のところ、試験の形態としては決して満足できないのですが、12月の
能力試験と
6月のJETROのビジネス日本語の試験を勉強の目標ポイントとして受けるように
勧めております。 これ以外に何か、学習者に勧められる試験、あるいは学習者の
チャレンジ精神を奮い立たせるようなもの、ご存知でしたら、お教えください。
決して試験勉強がいいとは思っておりませんが、どうも怠け者の生徒が多くて・・・・。
 
 
謝謝! 感謝ハムニダ! 投稿者:やっさん  投稿日:11月12日(金)13時50分49秒
 Luciaさんの能力試験についての意見はごもっともだと思います。私の学校の
入学時期も4月なので12月に試験というのはちょっと問題です。入学時期を3月、9月くらい
にして2期生でやればもう少しいろいろな問題に対処もできるのでしょうが、私が口を出せる
問題ではないのでどうしようもありません。能力試験も年に2回あれば本当にいいですね。
日本国際教育協会の方でもきっといろいろな意見が出ていることとは思うんですけどね。
なんにしろ受けやすい体制ができれば学習者もまたがんばるでしょうね。
 
YUKIKOさん、有益な情報ありがとうございます。しかし
http://mac.alc.co.jp/gn/gnp.qry?function=detail&forgn_uid1=15
にアクセスしても出てこないんですが、、、私だけかな?
月刊日本語は職場でもとっていますから、また探してみます。しかし何月号なんでしょうね?
11月号にはなかったように思うんですが、、、
また皆さんに有益な情報があればお願いします!
 
学習者が不自然な例文を作ったらどうする? 投稿者:Yukiko  投稿日:11月11日(木)02時30分54秒
やっさん、こんばんは。
たまたまいろいろなところをのぞいておりましたら、上のタイトルのような質問に
対するやりとりが月刊日本語でなされたことを知りました。以下のページで
ごらんになれます。
http://mac.alc.co.jp/gn/gnp.qry?function=detail&forgn_uid1=15
文法的にも、教師としての配慮としても、確かに例文を作らせるというのは
難しいものだとあらためて思いました。もう、ご覧になった方もいらっしゃるかも
知れませんが、ご参考までに。
 
 
もっと受ける機会が多いといいのにーでもゆめ? 投稿者:Lucia  投稿日:11月10日(水)01時00分
28秒
 能力試験を受ける生徒も先生も今は最後の追い込みの時期になりました。
 能力試験についてはその是非について様々な意見がありますが、会話力がつくように
 と願う教師にとってはこの準備の時期は頭がいたくなります。
 これは希望あるいは夢かもしれませんが、一年に一回だけではなく
 自動車の免許のように、しかるべきところにいけばいつでも試験をうけることが
 できるということは十分可能ではないかと思んですが。
  問題を絶えず変えなければということであれば、変えなくても実力が
 わかるような試験というのはまた十分可能ですし、そんな試験だったら
 面白いものができるでしょうね。 なによりも’試験は合格したけれど話すのは
 ちょっと’ということがないようになればいいなと思っています。
 
 
プライドはくすぐるもの? 投稿者:やっさん  投稿日:11月09日(火)10時30分25秒
 >幸い、私の場合、生徒の日本語力を評価するという作業はしなくてもすんでいるのですが、
>生徒の言ったこと、作った例文をどこまで厳しく訂正するか、正確さをどこまで要求するか
>ということではいつも、葛藤があります。 ある先生はビジネス日本語のセミナーで、
>ビジネスパーソンはプライドが高いので、助詞の誤りなどは その人が言いたいことが伝われば、
>いちいち、しつこく訂正しないほうがよいと言われました。
 
難しい部分ですね。プライドもあるし、そうかといって直してやらないのも後を引くような気もします
し、私が思うには本人が気付くことが一番大切で、「間違っていたんだ。直したほうがいい」と認識しない
限りはなかなか簡単にはいかないような気もします。その具体的な方法はケースバイケースだと思うんですが、
本人と信頼関係ができていれば、きっとうまくいくと思います。
 
 
私が接している英、仏人の場合、意外に本人達はそういう細かいところに無頓着で、逆に能力試験など
受験に際しても、確実に合格できるレベルを手堅く受けるよりも、敢えてもう1レベル上にチャレンジ
しようという人が多いんです。こちらが、とりあえず、手堅く行きましょうとどんなに勧めても、
まず聞いてくれず、案の定不合格でも、「あ、やっぱりね」でおしまい。その辺はもしかしたら、
韓国や中国の学習者の方々とは違う傾向があって、先生方も気を遣われるのではと思いますがいかが
ですか。
 
私が今まで経験したことでは韓国の学生の場合、国へ帰ってから2級では誰も認めてくれないという
風潮があるようです。ご承知のように文法的にも類似点があり、語彙も漢語を使うという点で、上級
レベルになれば他の学習者より有利になる面も確かにあります。ですからなおさら日本に留学したんだ
から1級はとれて当り前となるのでしょうが、まったくゼロできた人間が4月から12月までの間に
1級を受けるのはちょっと無謀な感じもします。しかし、私が担当する一番進度の速いクラスではゼロ
から入学して1級に合格した例はいくつもあります。本人から話を聞くと学校でのテキストの勉強も
きっちりとやり、それ以外に問題集をやっていたと言っていましたが、点数的には余裕で合格したのでは
なく、合格ラインに乗ったという感じです。ですからまだもう一年日本にいる学習者にはチャンスはもう一
あるから、今年は2級を受け、来年確実に1級を狙えば、、と7月ごろに話すんですが、聞いてくれるの
少数ですね。
パリで教えていたときも初めにどのクラスに入るかということでインタビューテストとペーパーテストを
していたんですが、その結果を見て、デビュタン(初級)のクラスだと言うと怒り出したり、「私の実力は
そんなものじゃない」といって上のクラスに入れてくれと頼む人もいました。プライドというものは語学
を勉強する上では障害になることもあるのかな〜と思います。どんな勉強でも素直な気持ちで教えてくれ
人と信頼ができていれば、砂に水がしみこむように吸収できると思うんですけど、、、、甘いかなあ〜。
教師たるもの相手のプライドさえもうまく利用して、その人の実力を伸ばしてあげるべきなのかなあとも
思います。
 
 
ほんとに葛藤の日々 投稿者:Yukiko  投稿日:11月09日(火)01時33分51秒
 
みなさまのお話、とても参考になります。
幸い、私の場合、生徒の日本語力を評価するという作業はしなくてもすんでいるのですが、
生徒の言ったこと、作った例文をどこまで厳しく訂正するか、正確さをどこまで要求するか
という
ことではいつも、葛藤があります。 ある先生はビジネス日本語のセミナーで、ビジネスパーソンはプライドが
高いので、助詞の誤りなどは その人が言いたいことが伝われば、いちいち、しつこく訂正しないほうがよいと
言われました。 私自身は、かなり学習期間も長く、高度な内容について話せるようになった学習者が、
基本的な助詞や活用を間違えるのを見聞きするたびに、やはり基礎でしっかり身につけておかないと
後々まで引きずるものだと実感することが多いので、相手の様子を見ながらも、極力間違いを指摘する
ようにしています。Luciaさんのおっしゃるように「めげないタイプ」の学習者なら、もちろん
問題はないのですが、中には、気が強くて、「わかってるってば」と言い返したり、「他の人と
話してる時は、間違えないのに、先生と話してる時に限って間違えちゃうんだよ」と言う負けずぎらいも
おりました。さすがにこう言われた時は、私があまり注意しすぎて、心理的に悪い作用を与えているのかしらと
不安になったりもしました。それでも、プライベートのレッスンですから、なぜここまでうるさく注意して
いるかのという、こちらの思いを伝えることができますし、逆に学習者が間違いを恐れて日本語を話す
ことに消極的、防衛的になってしまうようなタイプの場合には、それなりの対処もできるわけです。
 私の生徒の場合、本国で作成された日本語コミュニケーション力の検定試験を受けておりますが、 
受験者と試験官1対1のrole playによる口頭の試験の録音テープが本国に送られ、最終的にあちらで
合否の判定が下されます。初級、Survival levelの試験の場合、言葉の正確さよりも相手とのコミュニケーションが
できるかどうかということが求められるとシラバスにうたわれているにも関わらず、助詞の間違い
などが減点対象になっているらしく、その辺のところを採点担当者にあらためて確認したいと思って、
現在質問状を準備中です。さらに、相手の表情が見えない、録音テープ上でのやりとりを聴いただけで、
評価されるというのもこのレベル、つまり初級の生徒にはきわめて不利だと同情しております。
ところが、
私が接している英、仏人の場合、意外に本人達はそういう細かいところに無頓着で、逆に能力試験など
受験に際しても、確実に合格できるレベルを手堅く受けるよりも、敢えてもう1レベル上にチャレンジ
しようという人が多いんです。こちらが、とりあえず、手堅く行きましょうとどんなに勧めても、
まず聞いてくれず、案の定不合格でも、「あ、やっぱりね」でおしまい。その辺はもしかしたら、
韓国や中国の学習者の方々とは違う傾向があって、先生方も気を遣われるのではと思いますがいかがですか。
 
めげないタイプ 投稿者:Lucia  投稿日:11月08日(月)15時18分49秒
 
>しかし私の感触ではそういったチャレンジ精神?旺盛な学習者は減点されてもめげることなく、またチャレンジしてくれる
ように 思うんですが。採点後のアフターケアが重要な気がします。
>「減点、減点」で評価するのが日本で、逆にフランスはいい点を 評価して加点するのだとか。文化の違いかな・・・・
 
  なんでも共通しているのでしょうが、外国語についても’めげないタイプ’
というのは絶対あるとおもいます。 生徒さんに’ちょっとお話していると
とっても自然でなめらか、でも文法的にチェックを始めると山のよう’と
いう人がいます。 いろいろなやり方で少しずつ正確にしていくように工夫して
いますが、ご本人はいっこうに気にせずに’話す内容が大切です、それには語彙が
必要です’。 それでも薄紙をはがすように正確になっていっていますから、
めげないタイプの勝ちです。 
  日本人だけが減点主義というわけではなく、昔英語の先生が作文で文法の
間違い(三人称のSなどすべて)を全部減点として採点されたので得点がマイナス
となったということがあったのを思い出します。 めげない人にはなんでもなかった
のですが、完璧主義の人にはかなりの後遺症が残ったようです。その点ある英国の
文学の先生は’答えとして私の期待するものが入っていれば、そこを取り上げて
得点とする’という方でした。 大変励まされたものです。
 
 
 
 
いい答えには座布団一枚! 投稿者:やっさん  投稿日:11月08日(月)12時53分46秒
 
またまたご丁寧なご意見ありがとうございます。
 
でも、この変な文がただ学生の理解不足からきていのではなくて、意欲的な
学生が「よし、せっかくだから何か一つ自分で文をつくってみよう」という
姿勢の現われであったら、その減点にも慎重にならなければなりません。
 
この意見ですが、本当にその通りだと思います。せっかく出てきた芽を摘むような
ことは本当に避けたいですね。
 
 学生第一の考えにたつなら学生の学習意欲をそぐようなことを避けなければ
なりません。このような学生の立場になってみるとこの4の形式の問題は学習
した文型が『自分のものになった』と感じることができる場の一つなんだと思います。
(1)の学生にしても、「習うより慣れろ」「学ぶことはまねること」とも
言いますから、それはそれで評価されていいでしょう。
 
私も教室で出した例文を短文作成の問題に使うのは別に悪いことだとは思わないの
ですが、問題は折角意欲を出して新しい文を書こうと努力したことが報われない
というか完全にはずして?しまった場合です。しかし私の感触ではそういったチャレンジ
精神?旺盛な学習者は減点されてもめげることなく、またチャレンジしてくれるように
思うんですが。採点後のアフターケアが重要な気がします。
 
 それじゃ、どのように直してあげるのか。なぜそう直すのがいいのか
という説明はまた大きな課題の一つです。また時間を作って投稿してみたい
と思います。
 
ありがとうございます。また宜しくお願いします。私も前向きに考えていき、よりよき
現場教師の採点での問題に関する解決法を見つけられたらまた書き込みます。
 
<投稿者のつぶやき>
そう言えば、以前朝日新聞の「天声人語」欄にフランスと日本の教育方針の
違いについて書かれたものがあったっけ。
なんでも「減点、減点」で評価するのが日本で、逆にフランスはいい点を
評価して加点するのだとか。文化の違いかな・・・・
 
うーん、いい解答をした学生には「座布団一枚!」という感じですかね、、、学習者は
座布団より点の方がいいでしょうね。ではまた!
 
 
減点ばかりじゃイヤになっちゃう 投稿者:Oyanagi  投稿日:11月07日(日)21時25分03秒
 
やっさんから指摘があったようにテストの採点は(特に、文完成の問題は)
現場の教師としては常に頭の痛い問題です。
やっさんからの指摘で、そもそも「文を作らせる」という問題は
何なのかということを改めて考えさせられました。
 
いま取り上げられている「〜ば〜ほど〜」の文型についてテストを作るとして、
 
1、形がしっかり作れるかをみるために、適当な形に変えさせる問題を作ったり
  ______ば______ほど_______
  (読む)   (読む)    (わからない)
 
2、使い方がわかっているかどうかみるために自分で語句を入れる問題を作ったり
  パーティは______ば______ほど楽しくなる。
 
3、機能の点で理解できているみるために、対話文を完成する問題を作ったりする。
  A「引っ越すならどんなアパートがいいですか」
  B「駅から______ば______ほど_______」
 
それじゃ、4のような自由に文を作る問題とはどんな問題なのでしょうか。
4、 _________ば_________ほど___________
 
それを考えて見る前に、実際にありそうな学生の解答を推測すると、大きく
二つに分かれると思います。
 (1)授業(教科書、ドリル)で学んだ文を書く
 (2)そうじゃない文を書く
 
(1)の場合はもちろん◯なんですが、なにかつまらないなという気がする。
(2)の場合は、それが正しい文なら「おお、こんないい文も作れるように
   なったのか」と教師は喜ぶ一方で、もし変な文だったら、「勉強した
   文を書けば◯なのに、わざわざ自分で文を作り出して×をもらうなんて」
   と考えるかもしれません。
でも、この変な文がただ学生の理解不足からきていのではなくて、意欲的な
学生が「よし、せっかくだから何か一つ自分で文をつくってみよう」という
姿勢の現われであったら、その減点にも慎重にならなければなりません。
 学生第一の考えにたつなら学生の学習意欲をそぐようなことを避けなければ
なりません。このような学生の立場になってみるとこの4の形式の問題は学習
した文型が『自分のものになった』と感じることができる場の一つなんだと思います。
(1)の学生にしても、「習うより慣れろ」「学ぶことはまねること」とも
言いますから、それはそれで評価されていいでしょう。
 
そこで、採点についての私の試案ですが、
*1〜3のような形式で学生の基本的な理解度をみることができると考えれば
 これは通常通り、減点法で採点する。
*しかし、4のような問題は逆に加点法で、いい文ができたら加点する。
 不自然な文ができても減点はせず、丁寧になおしてあげる。
 
このようにしたら、学生の学習意欲も向上するような気がします。
実際には(1)と(2)の答えをどう区別するのかとか、何点あげるのかとか
問題はいろいろありそうですが・・・・・。
 
 それじゃ、どのように直してあげるのか。なぜそう直すのがいいのか
という説明はまた大きな課題の一つです。また時間を作って投稿してみたい
と思います。
 
<投稿者のつぶやき>
そう言えば、以前朝日新聞の「天声人語」欄にフランスと日本の教育方針の
違いについて書かれたものがあったっけ。
なんでも「減点、減点」で評価するのが日本で、逆にフランスはいい点を
評価して加点するのだとか。文化の違いかな・・・・
 
 
〜ばにこだわって 投稿者:Lucia  投稿日:11月07日(日)18時32分19秒
  1.「会えば会うほどきらいになる」
  2.「食べれば食べるほど太る」
  3.「使えば使うほど古くなる」
 
  ’〜ば’という仮定形のもつ性質から、自然に聞こえる場合と、何かへんとなる
  場合がでてくるのではないかとおもいのですが。
  日本語は意思とはかかわりなく物事が起こる場合と、意思がはっきりしている
  場合の使い分けが理解の大きなポイントになっていることがあります。
  3の場合゜使われれば、使われるほど古くなる”となると自然になりませんか?
  1の場合”会う機会が多くなればなるほどきらいになる。
  2の場合の同じような表現に
 
  ということで^ばというのは仮定ですから、ある現象を自分の意思でつくるのでは
  なく、そういう現象がおきれば、、という表現の場合は問題がないのではないかと
  思ったのですが、いかがでしょう。 ゜年をとれば、、、’の場合は自分の意思で
  年をとるものではないからかと思うのですが、゜練習すればするほど、、、の
  場合にも客観的な意味があるからでしょうか?あるいは初めに意思が入っている場合は
  後にくる文は自然発生的であるとうまく納まるかな?
 
   この~〜ば〜ほど’のもうひとつ面白いとおもいますのは、前半はあくまで
  ゜そういう条件になれば’で〜ばをもってきて、その後に実際そのことがおこる
   ものとして〜ほど ともってきている形式です。 
     〜ば は’〜ばなりません(いけません)’にも多くの含みを持った表現と
   して使われているようで、〜て と共に非常に興味ある形だと思っていますが、
 
   どうも゜書けば書くほど泥沼にはまる”という状態になりました。
  
 
 
食べれば食べるほど太るでしょうか? 投稿者:やっさん  投稿日:11月06日(土)13時38分13秒
 
Oyanagiさんごていねいな御返事ありがとうございます。おっしゃることは全て理解し
納得する部分がかなりありました。特に
 
  一方、言語によるコミュニケーションは非常に経済的にできていて
伝えたいことを全て言葉にすることなく、前後の文脈からの情報や
お互いに共有している知識や情報を利用して言葉に出ていない部分
を補足しながら理解しているのだと思います。
 
の部分はおっしゃるとおりだと思いました。口頭による文では補足しながら理解する部分
がかなりあるでしょうし、会話の中の文を取り出したら、おかしい文はたくさん出てくる
ことと思いました。実は私もかなり補足して当り前の事でも言う必要性がある場面を考え
だして、納得しようと努めていました。そこで問題なんですが、これらのことがテストに
出た場合の扱いなんですが、
文を完成させる問題で
(         )ば(        )ほど(                )
という形式で、問題になっている文を書いた場合はどうしたらいいのでしょう?
配点は3点で一箇所間違えばマイナス1というような場合です。
 
・食べれば食べるほど太るのは当り前ですが、この薬を飲めば、、(省略)
 
のように書いてくれれば問題はないのですが、
 
・食べれば食べるほど太る。
のような場合、
文法的にも間違いはない。何となく補足すれば意味も通じそうだ。という場合に教師間
でも意見が分かれそうな気がします。基準を作って一律、同じように採点していけば
不公平感はないと思いますが、ここまでくると、微妙な感じがして◯をやるべきか、
アチーブメントテストなら、いったん◯をやり、次回から読み手がすぐにわかるように
文を作れと指導するか、間違いではないが、変だということでマイナスするか、〜ば〜
ほどの意味を理解しているようだからマイナスはしない、などなど悩んでしまいます。
いっそ問題形式が悪いということで会話形式の穴埋めに変えてはどうか、、、
いずれにしても学習者のことを第一に考えれば、何らかの指導は必要な気がするん
ですが、、、、
 
なんか書き込んで人を迷わすような文になってしまった気がしています。ごめんなさい。
でもこういった問題はどこでもあるような気がして、書き込んでみました。
Oyanagiさん本当にありがとうございました。意見交換ができて、また何日か考えて
下さってからまとめてわかりやすく書いて下さったようでとても感謝しています。
これからも宜しくお願いします!
 
 
認知言語学 投稿者:Yukari  投稿日:11月05日(金)22時43分49秒
 
Oyanagiさんの認知言語学からのアプローチ、興味深く拝見しました。
 
(2)の「意味的に変でないこと」は、私もとてもやっかいな問題だと思います。
なぜなら私達日本人と外国人の共有できる知識や情報が同じではないから
です。日本人にとって、何が当たり前で、どんなことを言わなくても文脈が通
じるのか、その辺も突っ込んで考える必要がありそうです。
 
http://www2u.biglobe.ne.jp/~y-japan/
 
 
原因・理由の「〜て」についてもう一考 投稿者:Yukiko  投稿日:11月05日(金)18時19分09秒
 
「安くて 買えます」が不自然な理由について、もうひとつ気になっていることを
付け加えさせていただきます。
 
結果・帰結部分に当たる「買えます」が問題なのではないかということ。
むかーし、習った「日本語教育指導参考書5 日本語の文法(下)」(国立国語
研究所)の「因果関係表現のいろいろ」「から」と「ので」などを読むと、
 
「から」は後件に対する理由や根拠を主観的に説明するものであるから、
後件には意志、勧誘、命令などの表現が続き、原因結果の結びつきについては
話し手の主観が十分の責任をもつ、という意味合いのものである。
これに対して、「ので」は因果関係をありのままに、何の主観的な変更も加えずに
客観的に描写する。裏から言えば、「ので」で結びつけられるものについては、
主観の責任がない、という意味合いのものである。
「〜て」は 前述の「から」に対する「ので」の特徴をいっそう顕著にもつ形だと
理解してよいだろう。……とあります。
 
さて「高くて、買えない」の場合は、値段が高すぎるので、とても買えないという
事実を客観的に訴える視点がたしかにあります。 ところが、「安くて買えます」
となると、「買おうと思えば、買える、買おうかな?」という話者の主観が入って
いませんか? そうすると、これは「安いから、(私にも)買えます」
のほうがやはり自然ですよね。さらに、「安くて ついこんなにたくさん、買っちゃった」の
場合は、こんなにたくさん買ってしまったのは、私の責任じゃない、値段が安かったせい
なの、と言い訳するにはぴったりの表現だということになりますね。
後件の描写の主観性、客観性については、大修館書店の「日本語教育事典」p212にも
説明があります。
 
正直なところ、この説明も先ほどの判断基準の説明もどちらもちょっとこじつけっぽいな
と確信がもてないのですが、みなさんはどう思われますでしょうか。
 
 
 
 
食べればふとるのかな? 投稿者:Oyanagi  投稿日:11月05日(金)17時00分45秒
 
こんにちは二回目の投稿です。
やっさんの提示した3つの文のうち「食べれば食べるほどふとる」
という文は私も少しひっかりました。
手元にあった筑波大学がだしている教科書『表現文型2』の例文にも
同じものがありました。
ということは間違いではないということでしょうか?
そこで、変に感じるってどういうことか考えてみると、
(1)文法的に間違いがないこと
(2)意味的に変でないこと
1についてはいろいろな文法書を参考に妥当な判断を下すことが可能ですが、
2についてはちょっと一筋縄ではいかないことろがあると思います。
 具体的な事象はもちろん抽象的なことも私たちはなんらかのイメージ
として喚起されるものがあることで『理解できる』と感じていると思います。
一方、言語によるコミュニケーションは非常に経済的にできていて
伝えたいことを全て言葉にすることなく、前後の文脈からの情報や
お互いに共有している知識や情報を利用して言葉に出ていない部分
を補足しながら理解しているのだと思います。
 よく言われることですが、ある短文を取り出してこの文が正しいか
どうかを判断するのは厳密にはできないということです。
しかし現実に、その短文を見て(聞いて)いいかどうか判断されるのは、
文法的に正しいということと(これ自体は短文でも判断できることが多い)、
意味的に『私たちの知識、経験、情報に照らし合わせてなんら支障がない
とかつじつまが合う』ということで、その際にはその文には現われていない
文脈などを、悪く言えば勝手に補足しているからではないかと思います。
 
 そこで、指摘された文を考えてみると、
(1)については問題ないことはわかります。
(2)については
   (a)当り前のことだから意味的に変ではないか
    (つまりわざわざ取り立てて言わない)という点、
   (b)私たちが理解するに足る文脈が不足している
という点の二点が関係しているのではないかと思います。
(a)については次のような例文を考えると、
必ずしも当然だから変だとも言えないような気がします。
・「練習すれば練習するほど上手になる」
・「年をとればとるほど体が弱くなる」
次に(b)についてですが、これは結局は(a)とも関係するのですが、
上の例文が自然に感じて「食べれば〜」の文が不自然に感じるのは
前者が『当然のことでも当然のこととして取り立てて述べる価値
があり、実際にそれを発話する場面に出会っている』という私たち
の知識が喚起されるために自然に感じているのではないかと思います。
それに対して「食べれば〜」という文にはそれがないので、
もしそれを言葉で補ってあげれば自然な文ができると思います。
そもそも、食べることと太ることの因果関係がどれほどあるのかも
疑問です。理屈っぽく言えば、食べなければ人間は死んでしまうし、
たくさん食べたってその分運動すれば太ることもないわけですから、
あきらかにこの分だけでは理解するに足る情報が不足しているように感じます。
・「穀類は食べれば食べるほど太るが、野菜は食べても太るようなことはない」
こんな文であれば最初の文ほど違和感はないと思います。
 
 同様に当然すぎる文を『当然なことを当然のこととして
取り立てる文脈を与える』処理してみると次のようになります。
・「お酒は飲めば飲むほど酔っ払う」
 -->「お酒は飲めば飲むほど酔っ払うものですが、
    飲んだあとにこの薬を飲めば酔いが一気にさめます」(薬の宣伝?)
・「雑巾は使えば使うほど汚くなる」
 -->「普通の雑巾は使えば使うほど汚くなりますが、
    この新製品の雑巾は使っても使ってもちょっと水洗いすれば、
    ごらんのとおり新品同様何回でも使用できます」
   (某通信販売のテレビコマーシャル?)
 
ちなみに、やっさんの指摘した他の二つの文については
「使えば使うほど古くなる」
 -->「使えば使うほど汚くなる」
  (「古くなる」は概念としてはっきりしないから具体的な単語を使う)
「会えば会うほど〜」は変には感じません。
以上、最近「認知言語学」の勉強をしていて言語というのはそれ自体客観的に
存在するものではなくて、私たちの認知を通じて形成されたものだという点から
考えてみました。まあたぶんにこじつけがましいところがありますが、ご意見
お待ちしています。
 
 
いくらなら、買える? 投稿者:Yukiko  投稿日:11月05日(金)12時09分16秒
 
「形容詞のて形+動詞の可能形」 に限って考えてみますと、
高くて 買えません。
まずくて 食べられません。
むずかしくて わかりません。
かわいそうで/気の毒で 見ていられませんでした。
以上の場合は 「(私には)高すぎて 買えません。」という意味で、これはまさに、
英語のtoo 〜 to …と同じ表現だと思います。つまり、ある限度を超えているという
理由で不可能だと言う場合。言い換えると、「〜すぎるので、…できない」
 
一方、動詞が肯定形になる場合は
静かで よく ねむれました。=とても静かだったので、…
おいしくて いくらでも食べられます。=とてもおいしいので、…
簡単で、こどもでも使えます。=とても簡単なので、・・・
この場合は、言い換えると「とても(形容詞)ので、…できる」で、
上の例のように限度を超えているという場合と意味が全くちがいますよね。
さて、「安くて 買えます」は不自然ですが、「これなら 安くて 買えます。」
というように一定の条件を満たしている場合は使えると思います。これは、「安い」という
感覚が人によって多様で、また「買える/買えない」という判断の基準もやはり人によって差が
あり非常に曖昧なために、その判断基準を示さないで、他の例(静かでetc.)のようにすんなりと言うこと
できないんじゃないかなと考えているのですが、いかがでしょう。
教える場合も、理由・原因の「て」の用法として、ひとくくりで教えるのではなく、
(1) 形容詞+て + 動詞の可能形(否定)
(2) 形容詞+て + 動詞の可能形(肯定)
(3) 原因、理由になるできごと+ 感情表現 
    会えて、うれしい。 連絡がなくて、心配だ。など
それぞれ分けて使い方のちがいを説明する必要がありそうですね。
サバイさん、気づかせてくださってありがとうございます。
 
 
 
 
 
安くて、買える??? 投稿者:サバイ  投稿日:11月04日(木)13時27分20秒
 
質問があります。
「〜て」の用法の一つ、原因理由を表す
  高くて、買えません。
  地震のニュースを聞いて、びっくりしました。
を授業でやっていたとき、学生から、
  安くて、買えます。
という文が出て、思わずぐっとつまってしまいました。学生にしてみれば、「高くて買えま
せん」ができるんだったら、「安くて買える」もいいんじゃないかというわけです。
  テストが悪くて、悲しかったです。
  テストがよくて、うれしかったです。
はどちらもいいのに・・・、何かいい説明はありませんか。
 
考えれば考えるほどわからなく〜 投稿者:サバイ  投稿日:11月04日(木)13時08分53秒
 
やっさんの「〜ば〜ほど」で、学生が作った文、私も少しひっかかります。形容詞で、
  安ければ安いほど、よく売れる。
は、値段が下がっていくと、という意味であって、「おとといもきのうもきょうも安くして
いる」という単純な繰り返しではありませんよね。動詞も、
  会えば会うほど〜
は単に毎日会うという意味ではなく、「会うことを重ねるたびに、相手のことを知る」とい
うふうに、「積み重ねの」結果を表現するものだと思います。好例が、
  勉強すればするほど上手になる。
でしょうか。ですから、
  食べれば食べるほど〜
は、「積み重ね」と考えにくいためにひっかかるんではないでしょうか。この文は、
  たくさん食べれば食べるほど〜
のように、食べる量について述べるようにすればいいと思います。
 
 
ことばに敏感 投稿者:Lucia  投稿日:11月04日(木)12時53分25秒
 
やっさん、
  解答の中にこのような文があったとき、私は”ひっかかる”ということが
  できただろうかと思いました。ことばに敏感というのは大切ですね。
  ちょっと立ち止まってみたら、なるほど文法的には正しくても
  普段の会話ではこうは言わないでしょうね。
    会えば会うほどすきになってどうしようもないんだけど、、、
    食べても食べても太れないの
    使えば使うほど味がでてくるの
  以上のような表現はよく聞いています。 ”〜ば〜ほど”の
  表現は単純は比例だけではなさそうです。おもしろい!
 
 
ちょっと質問です。「〜ば〜ほど」 投稿者:やっさん  投稿日:11月04日(木)11時24分43秒
 
ちょっと質問です。
「〜ば〜ほど〜」が出てきて、授業でやりテストも行ったんですが、
文を完成させる問題の解答の中に
「会えば会うほどきらいになる」
「食べれば食べるほど太る」
「使えば使うほど古くなる」
という答えが出てきて3人で採点中ちょっとひっかかったんです。
比例することを表わす点で間違いではないと思うんですが、何か
ひっかかるというか、、文の内容が当り前すぎるのでしょうか?
日本語文型辞典(くろしお)にも「食べれば食べる、、」の例文が
あり、文としては間違っていないような気もするんですが、ぱっと見た
時に違和感を覚えました。何がとはうまく説明できないのですが、皆さん
どうですか?ちょっとご意見をいただければ、、、
 
 
お詫びと訂正 投稿者:Yukiko  投稿日:11月04日(木)02時55分51秒
 
再び、すみません。下の書き込み、改行した際に消えてしまったところがいくつかあるようです。
「・・・ながぬま25」などキスト〜テキスト
さらに下のほう、
「いろいろなところにを出すと」は しっぽでも、舌でもなく「顔を出すと」でした。
それから、その先、
「長春市の・・大学からいらした中国人の先生が」と補ってお読みください。
失礼いたしました。 
 
 
ここでも、名詞修飾の話! 投稿者:Yukiko  投稿日:11月04日(木)01時57分59秒
 
すみません、また改行、失敗しています。前の投稿、削除お願いします。(ちなみに私が
普段書いている掲示板は下書きで改行すると貼り付けの時にそこで途切れてしまうので、
つい自動改行のみで、書き続けるくせが…。そろそろ、学習しないと、いけないのに…。
 
 3日の午後、アルク主催の「教科書見本市」に行ってきました。
最近出たJapan Times社の「げんき」とか、長沼の「Japanese for Beginners in 25 Situations−
ながぬま25」などキストを実際に作られた方々のお話が聞けるということだったので。
それにしても、あの長沼がこんなに至れり尽くせりのテキストを作るようになったなんて
…隔世の感ありです。 今回は「CRASH COURSE JAPANESE for BUSINESS」の著者
清ルミ先生による模擬授業をはじめ、はるばる関西外語大から来られた品川先生の「げんき」、
そして、長沼と、名古屋YWCAの先生によるスリーエーネットワークの「日本語初中級−理解から発話へ−」、
東京外語大の先生による「実力日本語」について、それぞれどういうねらいで作られたか等々のお話が伺えました。
「ながぬま25」「CRASH」「げんき」の3冊はどれも限られた時間で効果的に学習したいという学習者の
ニーズに応えようというねらいが前面に押し出され、まさにこれからの時代は日本語教育にも「サービス」
精神第一!という思いを強く感じました。それぞれ、印象に残ったことをあげると、「ながぬま25」は
25の場面シラバスによって、マキシマムではなくミニマムを提供し、不利益を被ることなく日常の状況に
対処できる最低限の日本語を学ぶことを到達目標に掲げ、カラー写真も使い、言葉以外の習慣などの情報も
提供しています。「げんき」の場合は「教師にとって準備のいらない教科書・学習者が興味を持つ教科書」
いうことを視点において、作られたそうです。以前、この本を見た時、学習者が陥りやすい間違いについても
あらかじめ、触れてあったり、非常に行き届いた文法説明(英語)に感心したのですが、このご説明を聞いて、
納得しました。また、http://www.genki-online.com/index.htmlというホームページも作られ、学習者が漢
の書き順を動く画面で独習できたり、読解教材に関連して、傘地蔵の物語やJ・レノンと洋子のページや
どらえもんなどのページに行けるようになっていたり、これからのテキスト作りを示唆するアイデアが盛りだくさん。 
残念ながら、私は個人レッスンなので、このテキストにあるようなジェスチャーゲームとか、いろいろなアイデアを
そのまま取り入れることはできませんが、クラスで教えていらっしゃる先生方、英語圏の学生対象の方、
新米の先生方の役に立つテキストだと自負していらっしゃるそうです。
これらと対照的に専修大の安藤先生が紹介された「日本語初中級」は文法シラバスの構成、ちょうど今日、
取り上げられていたのが、「名詞修飾」。この中で、英語の関係代名詞節のような、「昨日、買った服(−昨日、
服を買った)」を〔内の関係〕、「パンを焼くにおい」を〔外の関係〕という区分が連体修飾にあることを説明
され、そういえば、大昔、習ったっけと思い出したりしました。お話の中でも、日本語の修飾部分は必ず
被修飾詞の前に置かれることが強調され、また、テキスト作成にあたり、話し言葉と書き言葉における
「内の関係」と「外の関係」使用状況の調査データを参考になさったとのことでした。
「内」と「外」の割合は、話し言葉でほぼ3:1,書き言葉では約3:2だったそうです。
先日来のここでの、文法談義(論議)も本当に勉強になりましたが、いろいろなところにを出すと、
いろんなことに出くわして楽しいものです。また、最後に取り上げられた、「実力日本語」は、わざわざ中
長春氏の東北師範大学から、このテキストを使って教えた経験から、中国の学生にとって、豊富な語彙
(4000)さらに、日本に来てすぐ日常生活で役立つ普通体の会話文が提示してあるところがすばらしいと
力説しておられました。 連体修飾にしても、普通体にしても、ちょうど、ここでみなさんと意見交換した
ばかり、それだけ、ここで意見交換する皆さんは日本語を教えることに真剣で、大切なことがちゃんと
見えている方々なのだと改めて思った次第です。実際に教科書作成に携わられた方々のお話から、それぞれ
の考え方、工夫点も伺えて5時間強の長いセミナーでしたが、なかなか有意義でした。でも、結局、今日
基調講演をなさった佐々木倫子先生の結びの言葉、「教科書を教えるのではなく教科書で教えるのです」に
尽きるわけで、私自身は最近、個々の生徒の関心、ニーズに合わせて新聞記事などから教材をせっせと作る
作業に追われております。サービス、サービスと念じながら。
(第10巻 11月14日〜11月30日)教師の「わざ」と「学」について。「それにしても」「それにしては」の違い。「限り」「限って」の違い
それで思い出しました 投稿者:Lucia  投稿日:11月30日(火)19時12分00秒
 
Oyanagiさん、
  >話し言葉的ってなんだろう?
     これは私には衝撃的な投げかけです。本当になにでしょう。
 
   それでいつも学習者の方に’こじつけ’のようにお話をして
   いることを思い出しました.〜て形を覚えていただくのに
   いくつかのやり方をとっています。
   1. とにかく覚える(結構このタイプの方が多いのですが)
   1. 典型的な例をとりあげ、規則性を説明しまずそれで覚えて
      あとはその応用
   その折になぜこのように変化するのですかという質問が出ますので、
   ’古の昔は〜て形は ~ます形と同じでした。例えば
   言うー言いて、 書くー書きて、行くー行きて、話すー話して、立つー立ちて、
   死ぬー死にて、飲むー飲みて、乗るー乗りて、、、、
   でもそれから忙しくなって、早く話すようになると音韻変化がおき、
   ~て形へが現れてきました。
     と説明をして{逃げた?)きました。話し言葉というのは時代の感覚に
   よって言語が変化していきやすい形のものと受け止められるでしょうか?
 
 
話し言葉的って何だろう? 投稿者:Oyanagi  投稿日:11月30日(火)08時26分54秒
 
こんにちは。「限って」と「限り」について、LuciaさんとYukikoさんの投稿を興味深く
読ませていただきました。私も以前『日本語表現500』を使用していた時に、学生から
同じ様な質問をされたことがあります。
Yukikoさんが指摘されているように、「テ形接続」と「中止形接続」の文の違いは
「書き言葉的か話し言葉的かという違いであることには半分賛成です。
半分というのは投稿にもあったように、起こったことがらを並べて述べる場合には
典型的に「〜して〜した」のほうが「〜し、〜した」より話し言葉的になるのですが、
その使用がおそらく長い間にそれぞれ違った意味で使われるような方向に分化して
きている場合もあるのではないかと感じます。
つまり、Luciaさんが指摘されたように「ふたつの形式に根本的な違いがある」というのは
典型的には話し言葉と書き言葉という文体的なことなんだけれども、そこから文法的な
対立がうまれて、異なる用法にまで発展する場合もあるのではないかと思います。
「限って」と「限り」の使われ方の差はその辺にあるような気がします。
「限って」の用法には『わたしが遅刻する日に限って、先生は厳しく出欠をとるんです。
いつもはとらないくせに』というのがありますが、この「限って」は文体を書き言葉的に
して「限り」を使ってみると『私が遅刻する日に限り、先生は厳しく出欠をとるのである。
いつもはとらないのに、どうしてこんなに運が悪いのだろうか』となりますが、やはり
不自然な気がします。
Yukkikoさんの投稿の最後にあげられた『65歳以上に限って、無料なんですよ、
おばあちゃん』という文も、話し言葉的になってもやはり『65歳以上に限り、無料なんですよ』
のほうが自然に思えるのですが、いかがでしょうか。
改めて「話し言葉的って何だろう」を考えてみたいと思います。(つづく)
 
 
「限って」に限らず 投稿者:Yukiko  投稿日:11月28日(日)18時11分15秒
 
ここで’限って、限り’だけでなく、以前より気になっているのは  
PLAIN FORMをつかって様々な表現ができますが、この場合のように
STEMとTE FORMを使う場合に幹となる一つの基本的な意味があるの
ではないかと思われてならないのです。
 
おっしゃるとおりだと思います。そして、私はその基本的な使い分けは
やはり、広い意味での書き言葉と話し言葉、ではないかと思っているのですが。
ほかにも、「にあたって・にあたり」「に際して・に際し」「に基づいて・に基づき」「を除いて・を除き」
「にわたって・にわたり」などの接続詞については、原則として、会話文では-te form、
書き言葉およびあらたまった言い方、かたい言い方ではstem form、とこれまで説明してきました。
 
例えば、「朝、起きて、顔を洗って、…」のように行動を順番に列挙して話す場合も普通は
「〜て」を使うわけですが、これが、会社で秘書が社長にスケジュールを告げたり、会議で
何かの手順を説明したりする場合には、
「まず、現地でX氏に会い、打ち合わせ、その後、ハイヤーでYに移動(し)、工場を視察
いたします。」となります。
このように、話者の頭の中に文書化されたマニュアルなり、予定表などがあって、それに基づいて
公の場、或いは立場であらたまって、話している場合に、stem formが使われるのではないかと
考えているのですが。
そういうわけで、前述の「広い意味での書き言葉」というとらえ方なのです。「かたい日本語」と
言ってもいいかもしれませんね。
会議などで、te-formを使うと、どうしても、子どもっぽく聞こえてしまいますよね。
 
例えば、「によって」「により」の場合ですが(先日話題になった「による」はここでは別件なので、除外)
先日参考にした「日本語文法辞典中級編」p296-297 に、この二つの違いが例示されています。
 
a. 日本語の先生の教え方は先生に{よって・??により}違いますよ。
b. 日本語の教授法は教師に{よって・より}異なる。
これに続いて英文の説明があり、(a) は spoken Japanese なので「により」はunacceptable,
しかし、(b)はwhich belongs to written Japaneseだから、使えるとなっています。
さらに「によって」が手段(instrument)をあらわす場合は両方置き換えが可能として
1. このごろは宇宙中継により世界のニュースをテレビで見ることができる。
2. その問題は話し合いにより解決できるはずだ。
3. アメリカでは麻薬を厳しく取り締まることにより、犯罪を減らすことができるのでは
ないだろうか。
However,when the instrument is a concrete, tangible object 「により」cannot be used.
4. 漢和辞典により知らない漢字を調べる。
5.その老人たちはわずかの貯金により生活している。
When the particle means a cause or a passive agent,「により」is not used.
Thus, the following sentences are all marginal.
6.?? 戦争により 父を亡くした。
7.?? この研究所は文部省により設立された。
 
となっていますが、いかがでしょうか。
ただ、能力試験その他の文法問題のように、短文だけを取り出して、空所補充を求められても、
その文がどういう立場、状況で使われたのかという設定はないので迷うことも多いわけですが、
例に挙げられた「うちの子に限って」は明らかに会話の中で使われ、「65歳以上の人に限り」
は公式に情報を伝える文ということで基本的な違いを説明されて、そのうえで、ただし、状況に
よっては、「65歳以上に限って、無料なんですよ、おばあちゃん。」というように置きかえられ
ると付け加えられてはいかがでしょうか。
 
表記の問題についてはおっしゃるような傾向があるのでしょうね。これから、気をつけて見てみようと
思います。
 
 
限りなく’〜かぎり’ 投稿者:Lucia  投稿日:11月28日(日)13時20分58秒
 
Yukikoさん、
  いつも詳しく書き込んでくださってありがとうございます。
  この学習者との練習の場合に困ったことは、先日の’日本語表現500’をしていた
  時です。 いくつかのの’限り’に関する表現から(  )に入れていくものですから
  一回しか使えません。 おっしゃるように書き言葉と話言葉の
  使い分けというのだろうと思いますが、それは内容で私日本人にはわかるのですが、
  それだけでは文を読んだときどちらでもいいということになります。
  P62の例は
       * うちの子に限って、そんな悪いことをするはずはない。
       * 65歳以上の人に限り、入場無料です。
    答えにはどちらでもいいとは書いてないのです。
    加えて、〜に限っての説明には
     1.特別にその場合だけ好ましくない情況になって不満だと言いたいとき、
     2.信頼や特別な期待をもって話題にし、そのような好ましくないことは
       しないはずだと推量する
     とありました。
 
  ここで’限って、限り’だけでなく、以前より気になっているのは
  PLAIN FORMをつかって様々な表現ができますが、この場合の
  ようにSTEMとTE FORMを使う場合に幹となる一つの基本的な
  意味があるのではないかと思われてならないのです。 欧米の方に教える
  場合にPLAIN FORMを使っての表現の習得をただ’覚えてください’
  だけでは済まされないことが多々あります。 MUST が’なければ
  なりません’ MUST NOT が’てはいけません’という例なども
  ’なぜぜんぜんちがっちゃうの’ということになってしまいます。
  (ごちゃごちゃ言わずにとにかく使って話しましょうーで済むことでは
   あるのでしょうが)
 
  尚、この教材では’〜に限り、〜に限って’と’〜かぎり、〜かぎりでは’と
    名詞につく場合と動詞につく場合は区別して書いてありました。
    主人が文章教室に月に一回添削を送っているのですが、いつも赤で訂正
    されそこに、’本来の漢字の意味が薄れてつかわれている言葉は現在はかなに
    します’と書かれています。 動詞につく場合はそういう意味合いになるのかな
    と思っているところです。  
    
 
 
訂正 投稿者:Yukiko  投稿日:11月27日(土)02時18分50秒
 
すみません、前の投稿の下の方の例文で 漢字変換ミスがありました。
 
  「ふつうに使う限り、この機械はこわれません。」です。もちろん。
 
それから、相変わらず、改行がきちんとできてなくて、読みにくくてすみません。 
 
 
 
わたしの調べた限りでは・・・ 投稿者:Yukiko  投稿日:11月27日(土)02時13分46秒
 
Luciaさん、こんばんは。
「〜に限り」と「〜に限って」は書き言葉と話し言葉のちがいというのでは大雑把すぎるでしょうか。
日常会話では、「〜に限り」とは言わないように思います。
居酒屋で「本日お誕生日のお客様に限り、生ビール飲み放題!」は標語として張り出して
あったりして、
それをお店の人が「『〜に限り、飲み放題』ですよ。」と言う場合はあり得ますよね。
親が「うちの子に限って、そんなことするはずがありません。」と言うのは典型で、
「うちの子に限り、そんなだいそれたことをするはずがございません。」とかなり丁寧に
言うとしたら、
ちょっと特殊な例という感じがするのですが、いかがでしょう?
 
「〜に限っては」については、後半に「〜ない」という否定の表現が使われるのことが
多いのでは
ないでしょうか。「は」がつくと、それだけ限定条件が強調され、後半部分の特殊性、非日常性、
つまり、
「普通じゃない・いつもと違う」ということを際立たせることができると思います。
  この人に限っては そういう常識が通じない。
  今月は決算月だから、今月に限っては いつもと同じ売上げというわけにはいかない。
 
さて、以上のすべて「名詞」に続いての「に限って・限り」は
  「本日は  女性に限り=女性だけ 飲み放題」 というように たいていは「名詞だけ」と
言いかえることができ、「に限っては」は「だけは」に相当すると思いますが、「〜だけは」の場合も、
否定文で使うことが多いですよね。
  これだけは、認められない・許せない・納得できない・食べられない
  それだけは 勘弁してください。(=それだけは やりたくない・できないのでやらないこと
  を認めてください。)
 
次に「動詞の普通形」+「限り」は 日本語文法辞典中級編(The Japan Times社)の82ページに
取り上げられています。ここでは
 a conjunction which expresses the idea “as long as(a certain condition is met)”
or “as long as(=to the extent)という説明と
 as long as, as far as, while, to the extent, until, unless  が訳語として挙げてあります。
例文もかなりたくさん出ています。
また、アルク出版の「日本語能力試験1級に出る重要単語集」214ページ「だけ・ばかり・限り」

含む熟語の項で、
   「限り」は「〜場合は絶対に〜」(これについては「絶対に」と言いきれる場合だけではないと
私自身は思っていますが。)
「限りでは」はそのあとに「〜ない」を続けることが多い。「〜の範囲では〜ない」
という説明があります。たしかに、「限り」の場合は:
「できる限り、やってみます」「力の続く限り、漕いだ。」(日本語文法辞典中級編より)のような
後半部が肯定の例で使えますよね。ご質問で例にあげられたのは両方、「変わらない」という否定形が
含まれていますが、「限りでは」のほうは「私が話した範囲では」という部分がより強調されている
という説明でいかがでしょうか。ちなみに前述の「重要単語集」にあった例文は
  ふつうに使う限り、この機会はこわれません。 (確かにこの場合は「絶対に」ですね)
  会話は声を出して練習しない限り上達しません。
  私の知る限りでは、うちの会社にフランス語ができる人はいません。
 
また、ご質問の二つ目と三つ目の例の違いでお訊きになりたいのは、かなと漢字の表記の問題でしょうか。
私が見た、上記の二冊ともう一冊の1.2級の文法問題集では すべて漢字の「限り」が使われて
おりましたが。
 
 
かぎりに限りがない? 投稿者:Lucia  投稿日:11月26日(金)18時46分52秒
 
経験と知識の豊かな教師になりたい!〔叫び)
今日は目がくらくらしました。 
  まず’かぎり’と’かぎって’
  あの先生に限りそんな叱り方はしないと思う。
  あの先生に限ってそんな叱り方はしないと思う。
  あの先生に限ってはそんな叱り方はしないと思う。
    以上のみっつの文の違いはなんなのでしょうか?
 
 
 ちょっと話したかぎり、彼はいつもとまったく変わらないように思えた。
 ちょっと話したかぎりでは、彼はいつもとまったく変わらないように思えた。
 ちょっと話した限りでは、彼はいつもまったく変わらないように思えた。
   以上のみっつについてもどのようにちがうと説明したらいいのでしょうか?
 
  〜に限りは漢字で書いてあり、〜かぎりはかなでというのはもともとの漢字の意味が
  まだ強くのこっているか、残っていないかだけの違いなのでしょうか?
 
  
 
ちょっとした言葉、でも難しいですね 投稿者:Lucia  投稿日:11月26日(金)10時26分14秒
 
2級の試験を受ける学習者。問題集は一応何冊かしましたが、接続詞なども含めて
日本人だったら極く自然にわかる言葉、表現がなかなか難しいということで
’どんな時どう使う日本語表現文型500’をしています。先日来でてきた
’による’’によって’も入っています。
  その中に’〜うちに’がありました。
 テストは コーヒーショップで話しているーーーに、大切な用事を忘れてしまった。
     説明として:
      =〜している間に
       はじめは予想もしなかったような結果になることを表す
     とありました。
   
  例文として *今は上手にはなせなくても練習を重ねるうちに上手になります。
        *ふと外を見ると気がつかないうちに雨がふりだしていた。
  
       これが’予想しなかったような結果’といえるのかと???の思いになりました。
 
 
Toshiさんへ 投稿者:booko  投稿日:11月22日(月)17時43分25秒
 
私は台湾語についてはよく知らないのですが、日本語の音声についてなら、少し・・・。
 
日本語の「と」の音は、語頭にくる場合と語中・語尾にくる場合とでは、音声が違います。
語頭にくる場合の方が息が出る量が多く、有気音に近くなります。しかし日本語の音韻では
有気音と無気音の区別はないので、同じ音として認識されていますが、母語に有気音と無気音の
区別がある人には、違った音として聞こえるそうです。
有気音と無気音の聞き分けが自然に厳密にできてしまっているんですね。
 
よく存じ上げないのですが、台湾語には有気音と無気音の区別があるんではないですか?
英語などではtとdの音韻の対立がはっきりしているので、「と」と「ど」を聞き違う人は
ほとんどいないような気がします。
 
 
お礼 投稿者:booko  投稿日:11月22日(月)17時28分35秒
 
このあいだの「それにしても」と「それにしては」、ちゃんと理解してもらえたようです。
まず「それ」にあたるものは何なのかを考えてもらい、その時点で省略されている部分を
補足していき、「その内容を勘定に入れてもやはり/例えそうだとしても」→「それにしても」
という図式がみえてきたようです。
 
「それにしては」の方は、その日たまたまとても暖かかったので、
「今日は11月の終わりにしてはとても暖かいですね。」
と言ったらすんなり理解したようでした。
 
皆さんと天候に助けられました。本当に、ありがとうございました。
Oyanagiさんが出して下さったように、実際の用例はもっとたくさんあるのですが、現時点では
自分で文が作れるようになったので、良しとしてみました。
 
あ!でも困った文がひとつあったのでした。
「わざとやったんじゃないだろうが、それにしても怒ります」
という文。これはやっぱりまずいと思ったのですが、なぜダメなのかをきちんと説明しきれなかった
ような気がします。
また勉強しなくっちゃ!
 
 
訂正 投稿者:Lucia  投稿日:11月22日(月)10時13分24秒
 
2と3の区分けには別に理由がないのでいっしょにします。
  
 
 
すっこむ 投稿者:Lucia  投稿日:11月22日(月)10時10分36秒
 
日経がきています。広告が入っているので楽しいのですが、やはり雑学かも
しれないものが欠けています。 ご紹介ありがとうございます。
これは私最近どこかで読んでやってみたような気がします。私は’すっこむ’で
とまってしまいました。 
  子供のことば面白いですね。これをつかってどれだけの会話が
できるかちょっと試してみようとおもいます。かなり出来ると思います。
「1.これ、ここ、こっち、そう、こう
 2.居る、ない、行く、する、やる、
 3.くる、ある、言う、取る、なる、食べる
 4.なに、どこ、
 5.いや、いい
   に分けてみました。 ’いや’というのがあるのがいかにも’らしい’です。
   3歳のまごがもっぱら’いや’と言っています。影響されて私も’いやだ!’と
   気軽に言ってみましたら、大変気持ちがいいので是非おすすめします。
   また結果とかきこみます。
 
 
新聞の利用 投稿者:Yukiko  投稿日:11月22日(月)03時17分15秒
 
Luciaさん、以前日経もとっておりましたが、文化面の記事も充実
していて、おもしろかったと思います。ビジネスマンを教えているので
本当は日経も目を通すべきだと思いつつ、朝日、読売と2紙購読するのが
時間的にも経済的にも精一杯なので、日経はnetでチェックしています。
Oyanagiさんのような新聞記事の利用法もあるのですね。ぜひ、取り入れて
みたいと思いました。
ところで、私のお気に入りの読売・日曜版の井上ひさし「にほん語観察ノート」
昨日、またおもしろかったので、ご紹介したいと思います。このコラムによると
満5歳の幼児の持つ語彙数(感嘆詞、固有名詞を除く)は約1050語前後で、
使用度数の多い20語は「これ、居る、ない、ここ、行く、する、いい、やる、
くる、なに、ある、いや、こっち、こう、言う、どこ、取る、そう、なる、食べる」
 さて、そこで成人が持つ(感嘆詞と固有名詞を除く)語彙数はどれぐらいかと
いくことを推定する「語彙数推定50問」が〔NTTコミュニケーション科学基礎研究所〕
によって発案されたそうです。
(1) チャンピオン (2)祝日 (3)爆発 (4)ライン (5)さつま芋
(6)毒ガス (7)枝豆 (8)過ごす (9)朝風呂 (10)そもそも
(11)見極める (12)香ばしい (13)本題 (14)エンゲル係数 (15)泊まり込む
(16)預け入れる (17)言い直す (18)たしなみ (19)英文学 (20)はまり役 
(21)ごろ合わせ (22)労力 (23)忍ばせる (24)勃発 (25)宿無し (26)目白押し
(27)請負い (28)塗り箸 (29)気丈さ (30)茶番 (31)大腿骨 (32)術中 (33)泌尿器
(34)血税 (35)悶着 (36)腰元 (37)裾模様 (38)旗竿 (39)かんじき (40)すっこむ
(41)迂曲 (42)告諭 (43)辻番 (44)ライニング (45)輪タク (46)懸軍 (47)陣鐘
(48)泥濘 (49)釜がえり (50)頑冥不霊
  以上のことばを何番まで知っているかで、以下のように語彙数を推定するそうです。
1から 10まで : 推定語彙数 8800語   35 まで :      39000
    20まで :       18000    40まで :       50000
   25まで :       23000    45まで :       60000
30まで : 30000    50まで知っていたら   70000語と 推定する方法です。
 
ちなみに井上ひさし氏は 「46の懸軍」でつまづいたそうで、語彙数は6万語。
私も同じでした。この辺の言葉になるとワープロでも変換で出てきませんものね。
はたして、これが外国人学習者に有効かどうかわかりませんが、今日、1級受験予定の生徒に
訊いてみたいと思っています。
 
また、読売の話ですが、土曜日夕刊の「子どものニュースウィークりー」というページは
時事問題をわかりやすく、時には漢字にふりがな付きで書いてあるので、私はよく教材として利用
しています。それから、netで毎日新聞の「こねっと」という小・中学生新聞のページもありますが
 http://www.jeims.co.jp/daily/syou/sworld/99/s_wdnews.html、
話題の新鮮味に欠けるので、思うように使えません。朝日にもありますね。これはどうでしょ?
http://www.asahi.com/paper/edu/pupil/gakusei.html
 
長々と失礼しました。
 
濁音に関する質問 投稿者:Toshi  投稿日:11月22日(月)02時08分12秒
 
みなさん、こんばんは。
台湾で日本語を教えているToshiです。
自分は養成講座などで勉強したことがなく、全くの独学でやっているので、
この「日本語教師塾」、いつも本当にお世話になっております。
特に少し前の「〜による」の時などは、かなり読みごたえたありましたね。
即座には理解できなかったので、みなさんの投稿をまとめてプリントして、
通勤のバスの中で何度も読み返したりしました。(それでも、ちゃんとわかっ
たかどうか、自信はないのですが…)
 
今回は台湾の学習者からいつも聞かれる濁音についての質問。
 
台湾の学習者の耳には、「弟(おとうと)」の「と」が濁音の「ど」に聞こえるそうです。
また、台湾人の先生の中には、「と」が語の最初ではなく語中に使われる場合は、「ど」と
発音する、と教えている方もいらっしゃるようです。
確かに、「と」が語の最初に来た場合(「隣」、「鳥」等)と、弟の「と」は違う音ですが、
濁音の「ど」とも違うような気がします。
 
それで、私の質問です。
@語の最初の「と」A語中の「と」B濁音の「ど」
この三つは、どう違うのでしょうか。
 
また、この点について、みなさんは学習者にどのように説明されていますか。
何かいい練習方法(聞き分け/発音)などあれば、教えてください。
中国語圏以外の学習者の耳には、どう聞こえているのか、というのも興味があります。
よろしくお願いします。
 
 
セールスのおじさん 投稿者:Lucia  投稿日:11月20日(土)01時32分40秒
 
Yukikoさん、
  私は筋金入りのジャイアンツファン、それも単純に長島さんジャイアンツ。
  引越しを機会にご推薦の読売新聞にしようと決めていました。楽しみにしていました。
    ところが今日たぶん定年退職されたばかりとおもわれる紳士がドアのところに
  いらして’12月いっぱいサービスします。VOGUEの本も。’
  ’すみません、私読売をとることに決めてしまったのです’
  ’そうですかーー。でも日経新聞にも三面記事たくさんあるんですが’
  という次第で’はい、お願いします。’ パット明るくなったお顔を見て
  ほっとしました。 かくして読売新聞とのご縁がなくなりましたので、
  今後もいい記事がありましたら是非ご紹介ください。
    それにしてもあの硬い決心があっという間にくずれたのはなぜでしょう。
 
 
訂正とお詫びと補足 投稿者:Oyanagi  投稿日:11月17日(水)23時47分12秒
 
Bookoさんへ
朝日新聞の記事の検索の件てすが、私の説明が言葉足らずで失礼しました。
正確には、ウェブ上から記事の部分を自分のPCにダウンロードして、
それをためておいて、後で検索ソフトで自分のコンピュータのなかで検索するという
意味です。企業秘密ほどのことでなくてごめんなさい。(^_^;
ちなみに読売新聞は有料のサービスで過去の記事データを検索できるようですが、
他社でも同じようなことはやっているのでしょうかね。
貧乏な私としてはひたすら無料のサービスのみでやっています。
ちなみに検索ソフトも無料のオンラインソフトを使っています。
 
自分の投稿を改めて読んで、また間違いを発見してしまいました。
 
>(1)を基本的な文型として〜
(1)ではなくて(3)が正しいです。
 
>なぜ(2)を基本的と考えたかと言うと〜
(2)ではなく(3)が正しいです。
 
>(1)と(3)はその意味では〜
(1)と(2)が正しいです。
 
後から書き直していて番号の部分をそれにあわせるのを忘れてしまったようです。
混乱を引き起こすような間違いをしてしまってすみませんでした。
これからはしっかり確認してから送信します。
 
 
 
少しずつ・・・ 投稿者:booko  投稿日:11月17日(水)22時41分35秒
 
みなさんの回答を読んで、少しずつ、頭の中が整理されてきました。
本当にありがとうございます。
 
ひとことでバチっと決まる訳はやはりなさそうなので、必要な部分を補って理解してもらい、
文型の練習なども、もう少し考えてみます。
 
次回のこの人の授業は土曜日なので、それまでにまた自分なりに整理してみます。
 
それにしても、本当にありがたいです。ひとりで考えてると煮詰まっちゃって、いい例文も
思いつかないし、訳や分類もめちゃめちゃだったりすることがよくあります。みなさんの考えを
伺って、自分で整理し直せる機会があるって、すばらしいです。できればここでいいご報告が
できるように、がんばります。
 
>Oyanagiさん
天声人語をダウンロードして検索かけるなんて、できるんですか?
簡単にできることなんでしょうか。
そういうことができるソフトがあるんですか?
もし企業秘密じゃなかったら、教えて下さい!
 
 
実例に目を向けてみると 投稿者:Oyanagi  投稿日:11月17日(水)21時01分36秒
 
先ほどの投稿のあと、気になって朝日新聞の社説と天声人語から「それにしても」を
検索してみてみました。それで気がついたことを急いで付け足しておきます。
そして、投稿者の引用に間違いがあったので訂正してお詫びします。
 >YukikoさんやBookoさん
ではなく、YukikoさんやLuciaさんでした。すみませんでした。
 
実例を見ると、社説という性格からすれば当然ですが、(d)を取り立てるものが多い
という印象を持ちました。
そして、(c)(d)の区別も一見してどうかなというのもけっこうありました。
そもそも「〜にしても」は後件で話者の判断を述べるわけだから、その点からは
(c)(d)ははっきりと区別できるものではないのかもしれません。
 
先ほどの投稿では、(3)を基本的に考えてドリルをすると書いたのですが、
実際の談話では話者の判断(その出来事に対する態度、意見)を述べるという点では
(1)の文型も基本的なのかなと反省しています。また、使い方も複数みられ、
実際の例にあったってみて、ちょっと混乱してきました。
 
検索した用例を少しですが引用しておきます。
(できれば全文がいいのですが、長くなるので部分的に引用します)
 
<疑問1>
下のような例は(1)の「わざと〜」と同じ文型でしょうか?
 
*『日本からは、マスターズ常連の尾崎将司と初めての丸山茂樹。しかし2人とも、
  2日目で予選落ちした。名手ぞろいの大会のこと、容易に上位は望めないが、
  それにしても日本の第一人者、尾崎の戦績はプロとしてふがいない』
 
<疑問2>
下のような「疑問を投げかける」文型も(1)の(d)を出した例でしょうか?
 
*『大和証券には、警部を自社に天下りさせる計画もあったという。警部と担当者の個人
  犯罪ではなく、同社が組織としてかかわっていたのではないか。徹底的に捜査して
  もらいたい。
  それにしても、企業はどこまで汚れた世界に手を染めるのだろうか。』
 
*『米コロラド州の高校で、また銃による衝撃的な事件が起きた。2人の在校生が銃を
  乱射し、ほかの生徒や教師ら23人を殺害した。犯行後、ともに自殺しているのが
  見つかった。(中略)人種偏見をうかがわせるようでもあるが、動機や事件の背景
  については、捜査による解明を待つしかあるまい。
  それにしても、なぜこうも米国の学校で乱射事件が続くのか。 』
 
<疑問3> 
「それにしても」が「(仮に/実際に)そうであっても」というように
 逆説の仮定条件/確定条件のように使われる例もいくつかありました。
 こちらのほうが本来的な使い方なのでしょうか?
 
*『電子マネーのデータは、第3者が横取りしたり、コピーしたりできないように
  技術的な工夫が施される。
  それにしても、予想される犯罪を取り締まる法律も備えておくべきだろう。』
 
*『心臓を手術することになっていた患者は肺を、肺を手術すると告げられていた患者
  は心臓を手術されて、手術室から出てきた。横浜市立大学付属病院で、あろうこと
  か、患者を取り違えて手術する事態が起こった。おとといの、最初の記者会見では、
  肝心なことは何も明かされなかった。きのう、ようやく、病室の看護婦から手術室
  担当の看護婦への連絡が不十分で事故に至った、と発表された。執刀医らはいささか
  の疑いを抱きつつも、二人の患者がともに、心臓と肺に疾患を持っていたことも
  あって、最後まで手術をしてしまったという。
  それにしても、大いなる疑問が残る。』
 
<疑問4>
「それにしても」はただ単に話題を展開していくための一つのマーカーとして機能している
 ように見受けられますが、こんな使い方は会話でも結構しているのでは?
 
*『朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金日成主席の3年の喪が明け、息子の金正日
  書記が朝鮮労働党の総書記に選出された。
 (中略<このあと長々と首席選出の意義が述べられている>)
  それにしても、総書記選出の過程は、北朝鮮が特異な社会であることを改めて浮き彫り
  にした。』
 
以上、長い引用もありましたが、皆さんはこれを読まれてどう感じましたか。
 
<投稿者のひとりごと>
インターネットで朝日新聞の社説と天声人語が読めるので、過去3年間にわたって
記事をダウンロードして必要な時に単語や表現を検索して使用例を拾っています。
コンピュータの便利さを痛感するひとときです。
 
 
隠れているものをあぶりだせ 投稿者:Oyanagi  投稿日:11月17日(水)18時57分34秒
 
みなさんこんにちは。
今回Bookoさんが『自然な日本語』という教科書を取り上げられたので、
私も「わざ」と「学」を座右の銘として頑張って行こう!と思い、
今回「教え方」も含めて書いてみることにしました。
 
この『自然な日本語』という教科書は私も中級の会話教材として使用したことがあり、
なかなかいい教科書だなと思っています。
指摘された「〜にしても」に関しては、学習者(主に韓国人)が「〜にしては」
と混同したりしててこずった経験があります。
 
Yukikoさんから指摘があったように、英語などに訳す場合には補ってあげないと
その論理的関係が分かりにくい表現になっているようです。
Bookoさんが「わざと〜」の例文が他の例文とちょっとちがうのではないかと
感じたのは『表現をどのように教えるか』という課題と関係があると思うので、
以前私が扱ったときの経験をふまえて書いてみたいと思います。
 
LuciaさんやBookoさんが英訳などで指摘されているように、「〜にしても」の
意味を『〜は理解/納得できるが、この現実についてはその程度が私の期待/予想以上
のものだ』のように考え、学生には『〜はわかる、でも〜』という内容の文を作らせて
いたのですが、この捕え方でいくと、どの例文もすっきりおさまってしまうので、
私自身も以前は特に違和感をもちませんでした。
 
しかし、改めて考えてみると、この『自然な日本語』にのっている例文は、
まさに『自然』であって、『自然』であるがゆえに、母語話者には自然のように
聞こえる文も、その論理的関係(文の素材がどのようにつながっているのか)が
学習者には見えないことがあるのではないかと思います。
 
<ドリルの視点から>
例文に現われた文の形式に注目させて、学生に文を作らせる作業をしています。
というのは、第一に、学習者はターゲットの表現を自国語の辞書で調べて、
その意味だけでわかったつもりになっているのですが、実際に文を作らせてみると
変な文になることがあるので、よく使われる表現文型とともに覚えさせようという
理由からです。
例えば、「〜にしても」であれば、次の三つが用例として出ていますが、
(1)わざとやったんじゃないんだろうが、それにしても腹がたつ。
(2)忙しいんだろうが、それにしても葉書ぐらいよこせばいいのに。
(3)夏だからあたりまえだけど、それにしても暑いですね。
この三つの例文から、(1)の方を基本的な(典型的でわかりやすい)文型として、
「〜だから、当り前だけど、それにしても〜」という文型で形容詞を使って文を作ります。
・教師『(一流ホテルだから高いです)』 
・学生『高いのは当り前だけど、それにしても高いですね』
このようにして、「〜にしても」の使い方の基本を理解させます。
なぜ(2)を基本的と考えたかと言うと、文の形と意味が直接的に結びついて、
一番分かりやすく提示できて、しかも練習がやさしいと考えたからです。
 
(1)と(3)はその意味では、違う部分を際立たせていていると思います。
ここで、「〜にしても」の文のそれぞれの要素のつながりをすべて取り上げると、
『(a)夏だから暑いことはわかるが、それにしても -->(それは分かる)
 (b)35度なんて、              -->(現実はどうか)
 (c)暑すぎる、                -->(程度が期待以上)
 (d)いやになっちゃう』            -->(どんな気持ちになる)
このように(a)〜(d)の四つの要素から成り立っている文だと思います。
そして、(a)(c)を取り立てて表現するのが一番分かりやすいのではないかと思います。
その次が(a)(b)かなと思います。上の例文では(2)にあたります。
(2)は「〜ばいいのに」という結構難しい文型が付加されているますが、
より簡単には
『忙しいんだろうが、それにしても葉書を/もくれないなんて』だと思います。
そして、最後に(a)(d)じゃないでしょうか。
この文は以前の「〜ば〜ほど」でも指摘があったように、場面や文脈から
わかることが省略されてしまっている文になっています。
ちなみに、(3)の全ての要素をそろえる(場面を想像してみる)と
『(a)わざとやったんじゃないだろうが、それにしても
 (b)人の大切な本を3回もなくしてしまうなんて、
 (c)ちょっとひどすぎる、
(d)腹がたつ』
となるでしょうか。
 
ちなみにこの(a)(d)の取り上げを(3)の文にあてはめると、
『夏だからあたりまえだけど、それにしてもいやになっちゃうね』となりますが、
この文より(1)の文のほうがより自然に感じるのは私たちの認知(経験)の
差(つまり、「わかっちゃいるけど腹が立つ」というような場面が強く印象づけ
られていること)によるのではないかと思います。
 
 
やっぱり、曖昧な日本語 投稿者:Yukiko  投稿日:11月17日(水)12時19分37秒
 
Bookoさん、こんにちは。今日はたまたまレッスンを入れずに、自宅で、生徒の本国の
試験作成担当者に質問状、要望書を仕上げる作業をしておりまして、ご質問拝見しました。
パッと見て思うのは、確かに英語圏の人には理解しにくいだろうなということ。
特に一例目は省略部分を補わないと英語には訳せないでしょう。つまり、
  わざとやったんじゃないだろうが、それにしても腹がたつ。=
(彼が)わざとやったんじゃないことは(私にも理解/推測できるが)、たとえそうだとしても=それにしても、
(彼がやってしまったことに対して)(私は)腹がたつ。
 
   忙しいんだろうが、それにしても葉書ぐらいよこせばいいのに。
の場合も主語は明記してないわけですが、英訳する場合は
(彼も)忙しいんだろうが、それにしても、葉書ぐらいよこせばいいのに(と私は思う。)と、やはり、
言葉を補う必要がありますよね。
 
以下は息子の中学入学祝いに買ってやったのに、この3年間ほとんど私のデスクに置きっぱなしの旺文
 NEW SUNRISE和英辞典の「それにしても」の項の例文です:
   いろいろ理由があるだろうが、それにしても君はひどいことをしたもんだ。
You may have various reasons, but still I can’t understand why you did such a cruel thing.
ごらんのように、英訳ではかなり言葉を補足してあります。
場面によっては前後関係の流れで、上の文を
「いろいろ理由があるだろうが、それにしても腹が立つ。」と言えないこともないわけで、
ご指摘の例文はこれと同様「彼が何かをやった」という部分が省略されているところが
ポイントだと思います。たぶん、英語では、「彼がそれをやったこと」が私の怒りを引き起こす/私を
怒らせるというような意味の訳文にするんじゃないかと思います。
日本語文を外国語に訳す場合は、このように、文面に表れていない部分を読みとる習慣を身につける必要が
あるとアドバイスしてあげてください。
Luciaさん、それにしたら=そう考えると/そこから判断すると・・・というような解釈になる
と思います。
日本語から英語にバチッと一語で言い換えられる場合はきわめて少なくて説明部分が多くなりますね。
和文英訳のテクニックで、参考になるのは、例えば、Daily Yomiuri月曜日朝刊に時々掲載される
新聞記事の翻訳投稿コーナーです。先日話題になった、新聞で多用される連体修飾の英訳方法
など、
いろんな方の訳し方が参考になりますよ。 ところで、私、決してジャイアンツ・ファンでは
ないのですが、(でも、期せずして長島監督と誕生日、大学がいっしょ!)、読売って、日曜版の
井上ひさしさんの「日本語観察ノート」といい、先日の記事といい、併読している朝日新聞に比べると、
日本語関係で興味深い話題が多いように思います。セールスの強引さは好きじゃないけど。
 
 
便利で意味深い接続詞 投稿者:Lucia  投稿日:11月17日(水)11時11分30秒
 
目下2級の能力試験にむけて問題集をしています。漢字をふくめて自習のできるかたですが、
接続詞に代表される日本語らしい表現にはてこずっています。やはり最後は英語で説明を
して確認していくことになるのですが、確認してみるとぜんぜん違って理解していたと
いうことがあります。 そして一般的に思うことは短い接続の言葉が実は大変多くの意味を
含んでいるということです。 ちょっと話しがずれますが、ある方が’日本人が英語などが
苦手なのは日本語の豊かな意味合いを表現したいという思いに欧米語が対応してくれない
ということはあると思うんだけど’とおっしゃいました。
 
  ところでこの’それにしても’と’それにしては’を考えていて、
私には後者のほうが英語には訳しにくいのですが、どう英語で表現されたのでしょうか?
前者については'I do understand it very well and I can accept it logically.
However still I have a feeling that something is not fair and....'
と長々となりますすが、こんなところかしらと思います。 でも前者については
'I have heard that he has studied only for four months, but it is
amazing that he has got so good in such short time.'
どちらにしてもながーくなってしまいます。バチット一語で表現できる訳は
  あるのでしょうか?
 
 
お助けください! 投稿者:booko  投稿日:11月17日(水)05時13分28秒
 
すみません、ちょっと説明に困っていることがあるのでみなさんのご意見を聞かせて下さい。
 
さかまち企画というところから出ている『自然な日本語』という教科書です。
「それにしても」と「それにしては」が並んで出ていて、それぞれに例文が3つずつ載っています。
 
 「それにしても」
   わざとやったんじゃないだろうが、それにしても腹がたつ。
   忙しいんだろうが、それにしても葉書ぐらいよこせばいいのに。
   夏だからあたりまえだけど、それにしても暑いねえ。
 
 「それにしては」
   病気だと聞いていたけど、それにしては顔色がいいですね。
   四か月しか勉強していないそうだが、それにしては上手だね。
   お金がないっていってるけど、それにしてはよく買い物をする。
 
「それにしては」は納得したようです。
   病気だ←→顔色がいい
   勉強していない←→上手だ
   お金がない←→よく買い物をする
という関係がはっきりしているからです。
 
納得がいかないのは、「それにしても」の一つ目の例文です。
他の二つは
   忙しい→→葉書が書けない
   下手→→歌手になれないだろう
なのに対して、一つ目の例文は、
   わざとではない←→腹がたつ
になっている。これはどうしてなのか、というわけです。
 
これを逆接・順接の関係ではなく説明したいのですが、なかなか納得してもらえません。
 
ひとつ問題なのは、この生徒さんは英語に訳すことで理解しようとする、ということです。
もうずっとそうされてきたようなので、どうしたらいいのかわかりません。
日本語で説明しても、英語では言えませんと言っても、英語に訳して「これでいいか?」
と聞かれるのです。
 
つまり、一つ目の例文は英語に訳せないから(訳すと他の2つの例文と違う言葉になって
しまうから)理解できない、というわけなのです。
 
どうすればいいんでしょう?
 
 
勉強になりました! 投稿者:Lucia  投稿日:11月17日(水)00時58分41秒
 
かならずといって聞かれることに
’ありがとうございます’と’ありがとうございました’
あるいは’わかります’と’わかりました’はどう違いますか
  があると思います。
最近ある生徒さんがおっしゃる’はい、勉強になりました。’と
いうのがとても気になっています。 大変思いやりのある頭脳明晰の
方ですから、そのとおりにうけとめていいとは思うのですが。
 どうも私が定番の項目を説明した後に’はい、勉強になりました’と
おっしゃるのです。 
  今日やっさんの書きこみを読み、はたっと思いました。
゜私はよく出てくる質問項目の説明にすっかり慣れてしまって、個々の
相手を忘れて演説をしてしまっているのではないか。説明を聞いているほうに
とっては口のはさむ余地もなく聞いているだけの状態となり、かといって本当に
自分のものとなっているわけでもないので、(はい、ご説明は伺いました、でも
私は今とくにそれについて説明を求めたわけでもないし、必要もありませんから
とりあえず知識として伺っておきます。といって先生が期待しているほど自分の
ものになったわけではありませんから、とりあえず)’はい、勉強になりました’
というところなのではないのかと思ったのでが、素直でない受け止め方でしょうか?
  ’わざ’を大量生産にしてしまわないためにはやはり絶えず゜学’の基礎作りが
書かせないことだと改心に近い心境になりました。
 
 
その意気、その意気! 投稿者:Yukiko  投稿日:11月16日(火)01時45分56秒
 
ここで意見交換なさっている皆様だったら、「うーん、ほんまにめっちゃわかるわぁ。」
(私、実家は三重県で、天理市は高見峠を越えて、奈良や飛鳥に車で行く時、通ります。
奈良、大好きです、今は東京ですが。)と、共感してくださるだろうなと期待して、せっせと
引用した甲斐がありました。ほんとは、ぜひ全文読んでいただきたい記事でしたので、アンチ・
ジャイアンツの方もぜひ、読売の13日夕刊手に入れて、お読みになってください。養成プロ
グラムについても理論武装よりも実践能力をというご意見を述べていらっしゃいます。
   「実際の授業で要求される能力は、教えるべきポイントを見抜く力、
   手短にツボをおさえて説明する力、授業を上手に運ぶ技術、飽きさせない工夫、
   学生の心をつかむ魅力など。」
そ、そうなんですけど。 まさしく、これに尽きますよね? だから、耳が痛いというか、
わかっちゃいるけど、どうすりゃいいの?と模索する日々です。
るーさんもホームページに学習者としての体験、気持ちを綴ってらっしゃいますが、やっさんの
韓国語習得体験といい、そういう視点を通して教えられるというのは「わざ」をみがくうえで
とっても役立っているのではないでしょうか。理解語彙から実際に使えるレベルまで面倒を見る、
学校で教えてらっしゃるとそこまで、目標を引き上げられるのですね。私の場合、レッスン以外で
は日本語を話す機会が少ないというビジネスマンに週1(60分か90分のレッスン)〜2回の個人
レッスンなので、2年目になっても、まだ「…ではありません」と「…がありません」を混同した
り、「さいふ」と「せいふ」の区別ができなかったりというケンブリッジ大出のプライドの高い紳
士などを相手にしており、どうしても、多くは望まず、説明はコンパクトに、発話を多くしようと
いう方向になりがちなんです。経験から言えば、いつのまにかもう20年過ぎてしまっております
が、そのほとんどがフリーランスの個人レッスンで教えてきましたので、最近つとめていろんな
セミナーや学習会に参加したり、こちらのような場での情報収集を心がけております。
昔に比べれば(わ、オバンくさ!)情報公開も進み、その点ではほんとに助かります。
最近のセミナーで、講師の方が「日本語教師は職人」、また別の方が「われわれの仕事は
サービス業」とおっしゃってましたが、「わざ」と心意気では「まだまだわけーもんには、
負けねーぞっ」(おっと、今度は江戸っ子口調のバイリンギャル?!)
 P.S.
昨日、書き忘れましたが、Oyanagiさん、私が投げかけっぱなしだった「この」の疑問について、
ていねいに考察してくださってありがとうございました。私に憑いていたのが、そちらにうつって
ずっと取り憑かれてらしたんですね。 私の「学」の丸秘ファイルに入れさせていただきます。
 
 
 
目指すは職人! 投稿者:るー  投稿日:11月15日(月)23時21分39秒
 
みなさま、お久しぶりです。
この掲示板、毎日チェックはしてるのですが、
なんせ、みなさまの書きこみを理解するのに時間がかかってしまうので、
(ほんとに理解できてるのか?>自分)
なかなか書きこみをするところまでいけません。(;>_<;)
でも、Yukikoさんの、「わざと学」、これはめっちゃ分かる!と思ったので、ノコノコでてきました。
「わざ」も「学」もどちらも大切ですよね。
どっちもすごいのに涼しい顔して仕事に励む「職人」めざしてがんばります。
 
 
「わざ」と「学」 投稿者:booko  投稿日:11月15日(月)15時41分39秒
 
いつも勉強になります。
 
「わざ」と「学」と、心を込めて、がんばろうと思います。
 
 
ちょっと聞いておくんなはれ! 投稿者:やっさん  投稿日:11月15日(月)11時42分48秒
 
YUKIKOさんいろいろありがとうございました。「わざ」と「学」、いい言葉ですね。
日本語教師にはやはりどちらの部分も大切ですね。「〜て」や「〜ば」だけでも
かなり意見も出て、いつも仕事の合間にアクセスしては「うーん」と唸っています。
(唸ってばかりでないで意見を言え!、、、影のやっさん)
私自身はいつも教案を書きながらあれこれ調べ、だいたいの意味、用法が自分
なりに整理出来たところで、さあ、これらをどのように学習者に伝え、運用できる
レベルまでもっていこうかと、頭を悩ましています。自分自身が理解したことと
学習者にうまく教えるのは別だと思っています。中上級レベルまで来ると、説明も
多くなり、複雑な説明も増え、理解語彙として扱えばいいようなことも多くなると
思います。しかし、説明が多くなり、授業での学習者の発話が減り、学習者が理解が
できたと思うところで次へ進むことを繰り返していると、結局は語彙は増えたようで、
実は学習者が使いこなせるようにはなっていないと思います。
教師として理解語彙で終わらせるのか、学習者が使えるレベルまで面倒をみるのかと
いうとやはり卒業までの間に一つでもその学習者の理解語彙を使える語彙にまでして
長期記憶として残るようにしてあげたいと思います。
 
なぜ、このようなことを書くかと言うと私が韓国語をブラッシュアップしに韓国へ
語学留学した時に上級のクラスでの教授法が自分のやってきた授業の形態と全く
かわらないものだったからです。文型や新出語がバランスよく振り分けられそれなりに
ダイアローグも筋があり、各文型には練習もついている教科書で、教師は例文をあげ
ながら説明し、重要な文型はいくつか文型練習もし、文を作らせ、、といったことを
毎日、繰り返しました。私は十何年ぶりかの学生で、毎日の予習と復習で飯を食う時間
以外はほとんど辞書とにらめっこで、ついていくのがやっとでした。確かに上級会話で
出てくるような言葉も増えましたが、自分が自由自在に使えるようになっているのか
疑問を感じます。(私の頭が悪いせいもあるが、、、)問題はここからで、インプット
だけの授業を繰り返すのはだめで、アウトプットさせる活動をバランスよく組み入れて
いかないと、学習者は私のように毎日予習と復習で飯を食う時間以外はほとんど辞書と
にらめっこし、身についてはいかないということです。ころんでもただでは起きない
やっさん(^^)ですから、韓国に滞在中、さすがにこれではいけないと思い、学校はインプット
の時間と割り切り、あとはひたすら実践の場ということで遊びました。遊びましたという
とちょっと誤解を招きますが、現地の月刊日本語を出している時事日本語社へ行き、職員
の方といろいろ話をしたり、原稿を書いたり、韓国語教師研修課程で、韓国語で教授法の
勉強をしたりして、アウトプットにはげみました。
結局そこで自分が習っているのにその言葉が出てこないことに気付き、また習ったことがある
言葉を相手が使っていることに気付いたりして自分の言葉として定着していったと感じ
ました。プロジェクトワークなどの活動を私がやるのは自分の経験から必要性を感じて
いるからなんです。
ホームページを立ち上げてから皆さんと一緒に考える事ができて本当にうれしく思って
います。こういった媒体が普及していなかった頃は勤務している機関の中でしか情報
交換がされませんでした。まるで師匠と弟子という関係で師匠先生のやり方で、新しい
発想やアプローチがあっても、排斥される傾向もあったように思います。そうなると
その機関はかたまってしまい、身内だけの集まりのようになり他の意見を取り入れられる
柔軟さを失ってしまうように思います。私はそれが怖くて新しい刺激というか他の人の
意見や情報に耳を傾けます。また助けあえる部分があれば助けあいたいと思っています。
書き込んでくださる方には本当に感謝しております。また書き込まなくても読んでくださ
っている方にも感謝します。「その件に関しては私にもちょっと言わせて!」というかんじ
で皆さんが利用して下されば、管理者としてはうれしいかぎりです。ただ誹謗中傷、個人
攻撃、などは排除します。安心して意見交換ができるために、、、
今週もがんばりましょう!!!
 
 
「わざ」と「学」、うーんなるほど! 投稿者:サバイ  投稿日:11月15日(月)10時22分12秒
 
Yukikoさんのご意見に全くもって同感です。例文を山ほど作ったり、文法書なり類語辞典な
りで調べて納得できても、「じゃ、授業で学習者にどない説明したらいいんや」ということ
を次に考えねばなりませんよね。、実際問題、日本語教師にとってこちらが肝心なわけです
から。私もしょっちゅう悩んでいます。「わざ」と「学」、日本語教師の座右の銘ですね。
ありがとうございました。
今後、この掲示板に、「こんなふうにして授業でやってみて失敗/成功した」という実践例
もご紹介していただければと思います。
 
 
’わざ’と゜学’のどちらも必要だったとき 投稿者:Lucia  投稿日:11月14日(日)22時21分37秒
 
Yukikoさん、いい引用ありがとうございます。
  日本語教育とはまったくかけはなれておりますが、いまでも自分の無学を悲しく思う
  ことがありました。 結婚して数年後主人の父が癌でたおれました。胃がんでした。
  全部摘出いたしましたので、その当時としては半年もてばいいほうだといわれました。
  召し上がるものも非常に限られてしまいましたが、先生は’栄養価の高いものを
  少量でもあげてください’といわれました。といっても一体なにをどうすれば最も
  効果的であるかがわからずにただわかってくる範囲で全力をつくすのみでした。
  看護にしても看護の理論も技術もなく、実際に学んで身につけていくには時間が
  まったくたりませんでした。 10年ほど後主人の母、追うように実家の両親が
  倒れて看護をしていくことになりました。 たしかに少しずつは進歩していると
  思わないでもありませんでしたが、そのときしみじみと思いました。
   ’気持ちがいくらあっても、理論と実技がともなわなければ現実になんの
  役にもたたない’’いずれ誰も老いていく、あるいは身内が老いていく、学校での
  原理に基いた勉強なら応用ということで少しはできることもあるだろうけれども
  これからの明らかに老人比率の高くなる世の中にあって中学校からでも
  看護の基礎理論と実技を教えてあれば、いざというときに゜愛情と無力の 
  間の苛立ちが少しでも解消されるのではないか。 そして心に余裕をもって
  病人に接することができるでしょう。 ’いらだてばいらだつほどに自己険悪に
  おちいる’という悪循環は大変悲しいことです。なにしろやさしい日本語が
  出なくなってくるのですから。
    
 
教師の「わざ」と「学」 投稿者:Yukiko  投稿日:11月14日(日)00時26分24秒
 
(前稿のつづきです)
 実は私もあれを書きながら、日本語教師同士で文法的な認識を確認しあうという視点
からすれば、原因・理由の「〜て」すべての用法について考察する必要があるのかなと、
迷っておりました。この掲示板に書き込んだり、また、投稿記事を読んだりしながら、
最近思っていることに近いことが、今日13日(土)の読売新聞夕刊9面に
【教師の「わざ」と「学」】というタイトルで、菊地康人東大助教授(言語学・日本語教育)が
書いていらっしゃいます。 この記事は「最近の日本語教師の授業の腕は今ひとつだという愚痴
を、ベテランの先生から聞く。」という提起から始まり、
【 私は言語学者だが、また、日本人の学生には言語学を、留学生には日本語・日本文化
を教える教師でもある。学者としての仕事はもちろん「学」だが、教師としての仕事は
「わざ」だと思っている。少しでもよい授業をする工夫は絶えず欠かせないが、その工夫、
研究は「学」とは違う。「学」より価値が低いと言っているのではない。「わざ」は「学」とは
別の尊さだと私は考えている。(中略) もちろん教師に「学」は必要だが、それは主に
教育内容に関する「学」(日本語を教える場合なら、日本語そのものについての知識)
であるはずだ。「わざ」(教え方)の部分を過度に「学」化するあまり、実際の「わざ」
そのものを失ってしまうのは本末転倒である。「わざ」の尊さを忘れて教師の誇りと
教育の成功はあり得ない。】 ・・・・・・以下、小中高の学級崩壊の主因は「わざ」の崩壊に
あるのではという結びに続いています。
 
私は自分自身、調べものをしたり、分析したりする作業が好きですし、学習者の質問に
対応するためには、「学」の部分の勉強が大切だと痛感しております。それで、ここにも
積極的に投稿しているのですが、先ほども述べたように、どの範囲まで文法説明を広げる
か、共通の文法認識だと思われることは説明を省いていいのか、などがとても掴みにくく、
非常に苦心しております。(みなさんは、そんなことありませんか?)
そのうえ、この場でみなさんでいろいろ意見を出し合ったことは、当然、そのまま、授業に
持ち込んで学生達に説明することはできないし、学習者のレベル、母国語によって、用意
していく例文、用例の範囲などを吟味して、取捨選択する作業が必要なわけですよね。
「月刊日本語」のページで星野先生も書いていらっしゃいますが、この作業がいざやって
みるとまた大変。ここが、まさに「わざ」の部分でしょう。そして、この「わざ」は対象
となる学習者や環境によって、多種多様なはずです。たとえば、先日来、提起されている、
「食べれば食べるほど太る」「安くて買える」を私の生徒が例文として作ったとしたら、
わたしは○をつけますし、点数もあげます。(もちろん、場合によっては、補足説明もしま
すが。)私の学習者は英語圏からの人たちばかりで、日本人でも、言えるような、不自然な
ようなと迷うような微妙なニュアンスを理解してもらうところまでは、要求できないなと
考えています。この部分だけ取り出すと変でも、文脈の中では使えるからということもありま
す。ここで先生方のお悩みを読んで、漢字圏の生徒さんや上級レベルの学習者を教えていらっ
しゃる先生方の要求は厳しいのだなと思っておりました。また、もし、仮に、「安くて買えま
す。」をちょっと不自然だと指摘して、その理由を説明するとしたら、生徒の方から「……」は
いいのに、「安くて」はなぜ不自然かという質問が出ない限りは用例は極力ポイントをしぼって
吟味したものしか出さないだろうと思います。経験上、そうしないと、混乱を招いて冷や汗と
いう羽目になるからです。ただし、それ以外に、先ほどのように生徒から、「……」の場合は?という
疑問が出ることを想定して、それに答えるために幅広い用例の分析など日頃の「学」の
精進も欠かせないというのも実感です。
そして、その両面をこの掲示板で簡潔に言おうとすると、これが難しいぃっ!。
そういう意味では、先日ご紹介した「月刊日本語」の星野先生の解説は参考になりました。
その結びに「言葉の使い方の特徴や制限を調べる際、辞書は助けにならない、参考書にも
出ていない、ということがしばしばです。そんなとき頼りになるのは、用例文と仲間の
協力。用例を観察、分析すること、それから周囲の人とのディスカッションを大いに
やってみましょう。」とありますが、それをする場を提供してくださっているやっさんに
あらためて、Merci beaucoup !
(第11巻 1999.12月2日〜2000.2月6日) 「話し言葉」についての話題と「コンピューターリテラシー」の話題、「学習者を寝かせない」が中心
日本語に罪はない 投稿者:Shuji  投稿日:02月06日(日)14時36分04秒
 
初めて投稿します。スペイン語では親しい人と話す場合と心理的に距離をおいて
話さなければならない場合の表現が実にはっきりと分かれています。少し親しくなると「
tu(第二人称の親称)で呼んでいいですか」と相手に承認を得て、ついさっきまで使って
いたusted(第二人称の敬称)をtuに替え、それに相応しい言葉づかいにがらりと変える
ことも珍しくありません。喧嘩をすると自然と互いにustedを使い始め、乞食と話す時は
ustedを意識して使う人が多いようです。
日本語の敬語も上下の意識から遠近の意識に変わりつつあるのかもしれないですね。
どちらにしても私が外国人だったら「日本語っていいなあ」と思っている日本語教師に習
いたいですから、そう思えるように自分が日本語を使いこなすことが大切ですね。現状の
日本語に不満があっても「日本語自体に罪はない。使いこなせないでいる自分達に非あり」
と感じている今日このごろです。バルセロナにて、Shuji
 
http://shibuya.cool.ne.jp./brn/
 
 
日本語はやはり美しい? 投稿者:やっさん  投稿日:02月05日(土)13時03分32秒
 
日本語には敬語があり、それを駆使するのは日本人でもやはり難しいのではないかと
思います。年配の方から見ると今の若者の「〜っす」なんかも乱れているように感じる
かもしれませんね。BOOKOさんの意見のように若者の間の尊敬表現になっていると
いうのは私も確かにそうなんだな〜と思います。目上の人を敬う気持ちが言葉にも
表わせるというのは、考えようによっては便利なのかも知れませんね。
 
アメリカから来ている人が職場にいますが、その人に言わせると英語は敬語などは
あまり関係ないけど話す言葉によって階層とか育ちのようなものがわかると言ってました。
日本の敬語のように使い分けをするという点では似ている部分もあるんだなと思いました。
敬語は難しいと言われていますが、正しい使い方を分かり易く教える工夫を考えて
いかなければならないと思います。
どの国の言葉でも「美しく話す」話し方というのはあると思います。日本人独特の感覚では
ないような気がします。
人から魅力的だと言われる話し方ができるようになりたいものです、、、(そりゃ、
あきまへんで、、、)といわれそうですが、、
 
 
美意識は 投稿者:booko  投稿日:02月03日(木)12時30分51秒
 
下の投稿のような言い方だと、崩した言い方もどこまででも許容してしまいそうな
気がしますが、そこは「美意識」ですよね。
「昔からあったものが正しい」ということはないとは思いますが、やはり語り継がれてきた
私たちの言葉なのだから、大切にしたい、と、本当に思います。
 
庭の塀に作られたちいさな門を「枝折り戸」って呼ぶのなんて、とても美しいと思います。
今では枝折り戸の絶対数そのものが減ってしまったので「枝折り戸」という言葉もきかなく
なりましたが、こういうことばが消えてしまってただの「門」になってしまったら、とても
寂しい気がします。
 
また、いま中学生の女の子に国語を教えていて、冬休みに百人一首をやったんですが、あれも
すごいですね。日本人の財産だと思います。
つのる想いを定型詩に託して伝えるなんて、日本の貴族はなんて風流なことをやってのけていたん
だろうと、感動しています。この感動を、中学生の彼女にも、伝えていきたいです。そういうふうに
教えたいです。
 
 
「敬語」っていうのは・・・ 投稿者:booko  投稿日:02月03日(木)12時09分48秒
 
こんにちは。ブー子です。久しぶりにおじゃまします。
 
敬語って、やっぱり難しいですね。
難しいのは文法や形式(例えば「山田はただいま席をはずしております」のように
自分の上司であっても外の人間に対しては敬称をはずして呼ぶなどの)だけではなく、
場面や相手によっての微妙な使い分けだと思います。
 
よく初級の生徒さんから「こういう場合にはなんと言えばいいか」という質問を受けます。
でもそれに答えるのは、いつもとても難しいと感じます。
”このひとつの言い方さえ覚えればオールマイティ”ということが、日本語の場合には
少ないように思います。
 
私は、敬語というのは「人と人との距離感をあらわすもの」だというふうに考えています。
いわゆる「正しい敬語」(←ナンジャソリャ、という気もしますが)が使えないという
若者でも、例えば先輩に対して
「そうッスかー?そんなことないッスよー」
なんていうふうに話しますよね。この「ッス」の部分が彼なりの、というか彼のその先輩に
対する「適切な敬語」ということなんだと思います。
 
いっそのこと「敬語」っていう言い方変えてしまえないでしょうか(笑)。
「敬意をあらわすもの」と捉えてしまうと、あまりにも狭いような気がするので・・・。
ぞんざいな話し方から親しい人間同士の話し方、仕事相手、初対面の人、目上の人など、
話す相手との距離感で、言葉はどんどん変わっていきます。
敬意をあらわす場合だけに限らないで、その全体を体系としてうまく捉える方法はない
ものだろうかと、考えてしまいます。
 
 
敬語のないお国 投稿者:Lucia  投稿日:01月29日(土)10時12分11秒
 
つい先日フィンランドの方とお話しをしていました。 英語を見事に
使われる方でWOULD COULDがどんどん出てきます。お国柄の話しになり
フィンランドの方は謙虚だといわれていますね、、ともうしあげましたら、
いえいえ、それは外国にきているからで、本国にいるときはまったく
そのようなことはなく、非常にストーレートにお互いにものを言って
います。 女性男性の区別がなく、敬語のないお国。 対してそれが
究極と言って良いほどになっている国・日本。モンゴルのあたりから
西に行ったのがフィンランド、東に行ったのが日本といわれています。
そのことにも触れましたら、’つまり、両極に行った国が極端を極めた
ということということになりますね’ なるほど
  さて美意識は度のお国にもあると思っています。フィンランドは
芸術の面でも近年すばらしい活動をしていますし、感性は日本に
似ていると思うのですが、これも両極にわかれる根本的な違いが
あるのではないかと思い注意深くみていこうと思っています。
 
 
日本人の美意識 投稿者:やっさん  投稿日:01月27日(木)08時44分14秒
 
最近、若い人の言葉が乱れていると言われますが、私自身はそうとも言えるし、いや、そう
でもないとも思っています。HPにアクセスしてくれる方の中には若い人もたくさんいるでしょうし、
年配の方もいらっしゃいます。文を読めば、いろいろなことがわかってくるような気がして
逆に文体というか書き込まれた事やメールなどを楽しめるようになった気がします。
 
韓国に関して言えば、よく言われるように絶対敬語であり、年齢の差がかなり言葉を決める
要素になっています。現地の人に聞いたのですが、1才違いがシビアで4〜5才違うと
今度は完全にお兄ちゃん、お姉ちゃんの世界になるので、甘えられるということを聞きました。
実際、学生の世界で1才、2才上の先輩がやはりこわいようですし、その辺の事情は日本の
体育会系のノリに近いものがあるように思います。子供が親に対して「ばばあ」とか
「クソおやじ」など言ったら、ぶち殺されそうなくらい、とんでもないことです。もし
韓国でそう言ったら親戚中から「ばか息子」のレッテルを貼られ、百たたきはまぬがれない
と思います。それ以前に、まずそういった秩序を乱すことは考えにくい風土が韓国にはあるような
気がします。
話は戻りますが、人間の親子の情はどこの国でも変わらないと思います。ただ言葉に関する
習慣は大きく違うような気がします。私も「おやっさん」とか「おかん」とか使いますが、
人前では当然使いませんし、ケースによって言葉を使い分けています。若い人達の言葉が
乱れているのはやはり使い分けを学校教育の中でしっかり教えられていないからだと思います。
ですから、子供だけの責任ではないと思います。けっして敬語を知らないわけではないと
思います。私たち日本語教師が学習者に敬語を教えるときにただ形やおおまかな使い方だけを
教えるのではなく、教師自身も苦労してどうやったら、運用できるレベルにまで持っていける
か、また待遇表現をうまく使い分けられるようになるのかを、国語の先生に考えてもらいたい
ような気がします。もし国語の先生がいらしゃったらご意見お願いします。
 
 
やはり・・・ 投稿者:Yukiko  投稿日:01月27日(木)00時46分00秒
 
やっさん、早速お答えくださってありがとうございました。
私もあの字幕を見て、翻訳者が「〜さん」をつけたのは意図的であり、韓国にはそういう文化的
背景があるのではないかしらと思っておりました。もちろん、日本でもひと昔前の映画やドラマ、
たとえば「君の名は」(ふ、古い!)などでしたら、恋人同士でも「〜さん」と呼び合って
いましたよね。 映画ではヒロインが恋人に対して「〜さん」と呼びかけてはいましたが、
主人公(男性)は女性に対して「〜さん」とは言っていなかったように思います。(字幕のうえ
でのことですが) そこもちょっと興味深いところです。
昨日の夕刊記事で、あるシンポジウムで「日本が21世紀に残すべき価値として何がいちばん
大事ですか」という質問に対し、ドナルド・キーン氏が「やはり美意識です」と答えられたと
ありました。この記事は短歌についてのものでしたが、歌などに詠まれる美意識とともに、
以前、ルシアさんがご両親に敬語を使って育たれたとおっしゃっていたことを思い出しました。
  かつて、日本社会にあった言葉遣いの美意識についても考えさせられます。今の日本では
女性(妻)が男性(夫)に対して敬語を使うという習慣はもうほとんど消えかけていますよね。
韓国ではいかがでしょうか。
そうすべきだとは思っていませんし、当然の成り行きだとは思いますが、私たちの暮らしから
障子にうつる庭の葉陰とか、屋根をうつ雨音などが消えていくのと同じように、外国の方が
新鮮に感じるような言葉に込められた心遣いもだんだんなくなってきていますよね。
と、言いながら、私は主人に対しては敬語つかっていませんし、息子は息子で、今週どこかの
週刊誌の見出しで見かけた「母親を『おまえ』『ばばあ』と呼ぶフツーの高校生」ですが・・・。この世代の日本語、  本当に心配です。
 
 
韓国映画シュイリ 投稿者:やっさん  投稿日:01月26日(水)09時36分17秒
 
YUKIKOさんへ
私は字幕を見ていないので、なんと書いてあったのかちょっとわかりませんが、原語では
「〜ssi(氏)」と名前の後に日本語でいう「〜さん」をつけていたので、おそらく直訳されて
いたのではないかと思います。翻訳者は文化的背景なども考慮して翻訳されて
いると思いますが、韓国の場合、年齢がかなり重要で、また年齢だけでなく、その人の
ステータスとでもいうんでしょうか?そういったことがかなり言葉の方にも影響があるので
難しいところだと思います。日本では恋人同士なら歳が離れていても「〜さん」を使うと
かなりよそよそしい感じがすると思うんですが、、、、通常、韓国では年下の女性が年上の
男性(親しい場合)を呼ぶ場合「オッパー(兄さん)」を使います。恋人同士でも呼びあうとき
使っている人を見ましたけど、「シュイリ」の場合、二人が出会って、付き合い始め、初め
は「〜さん」で呼びあっていて、そのまま続いていたのではないでしょうか。などと勝手に
思っています。
でも、そういったことも考えながら映画を見ると文化、習慣的なことも見えてきて面白いかも
しれませんね。
 
 
同感! 投稿者:Yukiko  投稿日:01月25日(火)22時28分57秒
 
Luciaさんと同じく、私もるーさんの意気込みというか気合いたっぷりの授業風景を想像して
  (^v^)こんな顔になってました。
個人のレッスンでもそうですが、やはり、先生が話す時間より生徒が発話する機会を少しでも
多くするというのは、大切な心がけだとあらためて認識させていただきました。
 
ところで、やっさん、例の「シュリ(ィ)」話題で恐縮ですが、ちょっと疑問に思ったことがあるので
教えてください。あの映画で恋人同士であるはずのヒロインが彼氏のことを呼ぶ時に字幕では
「(彼の名前ナントカジュン)さん」と書いてあったのですが、ちょっと不自然に感じたのですが、
韓国では若い恋人同士ってさんづけで呼んでます? 些細なことなのですがちょっと気になって
しまって。
私は韓国語は全くわかりませんが、「分断」とか「祖国統一万歳」などという漢字のことばは
発音が似ているのですね。
とにかくハリウッドばりにお金がかかってそうな映画でしたよね。
昨夜のNHK・BSのニュース番組でも、日韓双方の映画の交流として取り上げられていました。
 
 
 
とってもいい先生!!! 投稿者:Lucia  投稿日:01月25日(火)18時46分36秒
 
>わたしが普段心がけていることを書いてみます。当たり前過ぎて、みなさんもうやってることばかり
  かもしれませんが…。
その1:説明は学生にさせる。
    たいてい、誰か一人は知ってる人がいるから、その学生に説明してもらう。
その2:類義語の意味、用法の違いは、学生に推測させる。
    例文をダーっと黒板に書いていって、違いを考えさせるただし、やたらと時間がかかる。
  その3:教室をとにかく歩き回る。
    やっぱり、先生が側にいたら寝にくいですもんね。その4:バイトやなんかで、もう
    寝 ないと死んじゃう!っていう顔している学生は、思いきって30分ぐらい見て見ぬ
    振りして寝かせる。    無理やりずーっと起きてるより、ちょっとでも寝てすっきり
      したほうが、その後の勉強がしやすくなるんじゃないかな〜、と思ってます。
 その5:学生に、”かわいそうだから聞いてやるか”という気にさせる。(爆)
    実は、これが一番効果があったり。こっちが必死になってやってたら、
    同情して起きててくれるみたいです。トホホ。
 
   ひとつひとつとても楽しんでよませていただきました。もう教室が
   見えているような気がしました。 ほんとうに。 どれも核心を
   ついていて思わず大きな笑顔になってしまいました。
   生徒さんたち喜んでいらっしゃいますね。 私も漢字大嫌い人間
   ですが、これなら勉強しそう。
 
   個人で教えていますが、’おおあくび’をいただくことがよく
   あります。  ’すみません’とおっしゃるのですが、’いいえ
   お疲れですね。毎日大変でしょう?’と申し上げると
   ’いえ、さっきまで眠くなかったのですが、急に。。。’
   ’すみません、私の話し方は遅いので、友達もみんな眠くなると
   いうのです。 あのー、どうぞお休みください。’
   迫力のない教師でお恥ずかしい。
 
寝させてやるもんか! 投稿者:るー  投稿日:01月23日(日)00時20分56秒
 
やっさん、みなさま、お久しぶりです!
「学習者を寝かせない」って、今わたしが一番力を入れてる(楽しんでる?)ことです。(^^)
いかにも退屈な項目を教えなきゃいけない日に誰も寝なかったら、
”やったー!今日はわたしの勝ち!”と心の中で叫んで、勝手に遊んでます。
 
わたしの授業では絶対寝させてやらないもんね!という気合が一番のような気もしますが、
わたしが普段心がけていることを書いてみます。
当たり前過ぎて、みなさんもうやってることばかりかもしれませんが…。
 
その1:説明は学生にさせる。
    たいてい、誰か一人は知ってる人がいるから、その学生に説明してもらう。
その2:類義語の意味、用法の違いは、学生に推測させる。
    例文をダーっと黒板に書いていって、違いを考えさせる。
    ただし、やたらと時間がかかる。
その3:教室をとにかく歩き回る。
    やっぱり、先生が側にいたら寝にくいですもんね。
その4:バイトやなんかで、もう寝ないと死んじゃう!っていう顔している学生は、
    思いきって30分ぐらい見て見ぬ振りして寝かせる。
    無理やりずーっと起きてるより、ちょっとでも寝てすっきりしたほうが、
    その後の勉強がしやすくなるんじゃないかな〜、と思ってます。
その5:学生に、”かわいそうだから聞いてやるか”という気にさせる。(爆)
    実は、これが一番効果があったり。
    こっちが必死になってやってたら、同情して起きててくれるみたいです。トホホ。
 
毎週2級の漢字を1コマ×2クラス教えてるんですが、
この漢字の授業は学生の睡魔VSわたしの気合の戦いになってます。
わたしが学生だったら間違いなく寝てますけどね。わたし、漢字嫌いだし(^^;;;
 
 
学習者を寝かせない、、 投稿者:やっさん  投稿日:01月22日(土)14時41分11秒
 
やっさんです。
先日、同じクラスを担当しているi先生から「授業の時、学生が寝る」といった意見を
聞き、いろいろ考えました。学習者が寝てしまう原因は大きく分けて2つあると思うんです。
 
1 学生側の問題(アルバイトで忙しい、心理的に何か不安があり、勉強する気になれないなど)
 
2 教師側の問題(つまらない授業をしている、説明ばかりで学習者の発話がないなど)
 
1は仕方がないので学習者とよく話し解決の糸口を探さなければならないと思います。
問題は2の場合で特に中級以降の学習者にはどうしても類語の説明や意味を気合いを入れて
教えてしまい、学習者に負担を与えてしまっている場合があるようです。メインテキスト
ではなく、読みものを読んだりビデオを見たりして意見を言う学習では、寝ている暇も
なく、授業にのってくる場合が多いと思うのですが、言葉の数を増やすためのメインテキ
ストではどうしても説明が多くなり、学習者に負担というか、睡眠薬を与えているという
か、、、になってしまうこともあるようです。学習者の興味を引くような例文を出したり、
対話しながら授業を進めていくといった工夫もあると思うのですが、学習者を退屈させない
といった工夫を皆様はどのように工夫されているのでしょうか?ご意見をお聞かせ下さい。
 
 
ウィルスはこわいですね 投稿者:やっさん  投稿日:01月18日(火)15時34分47秒
 
ウィルスですか、、、こわいですね。Windowsの世界では本当に多いそうですね。
私はMacintoshの環境しかないので、比較的安心してパソコンライフを楽しんで
おります。しかし世の中には悪い奴がいるもので、人を困らせて喜ぶ輩もいる
ようですね。ウィルスもいたちごっこで新種が現われれば、それに対処し、、という
感じですね。以前にも書きましたが、これからは教師もコンピューターを道具として
どんなトラブルがあっても自分で解決できるようになっていかなければならないような
気がします。(私自身、えらそうなことを言って、実はわからないことだらけです)
新しいことをやろうと思うと、いろいろ調べなければならないのですが、どのような
形で日本語教育に役立てて行けるのか、未知数な部分がありますから、楽しみでも
あります。
 
 
VIRUS事件 投稿者:Lucia  投稿日:01月18日(火)11時08分48秒
 
やっさん、
 お元気になられましたか? たくさんのお人とお仕事に囲まれて大変ですが、
 お人柄と能力から求めれていらっしゃるからでしょう。
 
 急速にPC時代を迎えております。 私たちのGROUPも昨年で7,8割の
 MAIL保持者となりました。 まだまだ受信体制の方が多いのですが、
 これも時期がくれば爆発的に発信者へと移行していくと思っています。
 PCはとにかく自分であれこれ失敗を繰り返しながらいじっていくのが
 一番と思っていますのは機械音痴の私のやり方。先日小学校でPCを導入
 してみたら子供たちは遊び感覚で゜発見、真似、熟練へと進歩していく’
 とあり、’あら、やっぱり私は子供のまんま’とおもって嬉しくなりました。
 
  ところで本題、PCを使い、MAILのやりとりと調子にのって
 いましたら、つい先ごろVIRUSがGROUPの中に蔓延してしまい
 ました。 happy 99. 共有していく場合に十分な備えもお互いに
 しておかなければ大変なことになるという実体験をいたしました。
 
 
ごぶさたしております 投稿者:やっさん  投稿日:01月17日(月)16時31分49秒
 
ごぶさたしております。LUCIA様
本年も宜しくお願いいたします。
挨拶はこのくらいにして、、実は私の職場でやっとコンピューターが導入される
ことになり、学習者にも一人一台で使えるような環境が実現しそうです。
そのために職場のコンピューター担当者をしているので、購入から指導まで
考えていかねばならず、大変です。以前の公開研究会でのレジュメにもあったように
私はコンピューターの専門家でもなく、周りのコンピューター苦手意識から生み出された
「専門家もどき」です。専門的に勉強したわけでもなく、ただ趣味がこうじて
いじるのが好きだというだけです。ですから、他の人から毎日のように故障したとか
調子が悪い、なんとかして!といったことで時間をとられることもしばしばです。
結局、これを解決するには個人のコンピューターリテラシーを高めるしか、他に
方法がないようです。そのためにも職員のコンピューター教室?のようなことも
しなければならないように思います。メールを使うことも、ブラウザを見ることも
「鉛筆をなにも意識しないで使う」のと同じようにしなければ、その上のレベルには
行けないし、新しい利用方などの発想も浮かばないでしょうね。
またそのへんのことをレポートしてHPでも紹介していこうと思います。
2000年も忙しくなりそうです、、、、
 
 
情報の取り扱いとマナー 投稿者:Lucia  投稿日:01月16日(日)14時01分18秒
 
>今回の公開研究会に参加して感じたことは、機関の中にいる職員全てがコンピューターリテラシーを高め、
   コンピューターに対する苦手意識を拭い去り、積極的にどのような使い方ができるかを積極的に話し合い、
   職員室での利用、教室での利用などについてアイデアを出しあって進めて行かなければならないというこ
   とを感じました。
 
  本当にそのとおりだと思ってきています。 国際化、情報の公開といわれて
  久しいのですが、なにも大変なことをするのではなく’情報というのは発信
  してこそ入ってくる’というのが原点なのでしょう。 水の流れのように。
  そのような自然な意識の人の集まりにはまた自然に協力や向上が育ってくる
  のでしょう。  ただとても大切なことは自分のところに入ってきた情報が
  どこから来たものであるかはきちんと認識をしておくこと、とくにそれを
  発信するときには情報源を明確にしておくことがマナーであるのですが、
  日本においては(他の国もそうなのかもしれませんが)出版物のINDEXの
  量が非常に少ないと思ってきています。 またお話しをしていても゜ご自分の
  意見と借り物の意見を明確にしない’ということがよくあります。そのような以下の文は朝日新聞の社説と天声人語から「〜に限り」と「〜に限って」を検索した
結果でてきた文の抜粋です。ちなみに「〜に限っては」や「〜に限っても」の使用例は
除きました。また、論説調の素材ですからその使用については片寄りがあるのはしかたが
ありませんが、なにかしら参考になるものがあるのではないかと思います。
 
<〜に限り>のグループ
 
 1 行革会議は再編の柱として、省庁を政策立案部門だけに限り、実施部門は
   「外庁」にすることを提案してきた。
 
 2 脳死した人から臓器摘出を可能にする臓器移植法の施行が10月16日に迫った。
   本人が「脳死判定を受け入れ、臓器を提供する」という意思を書面で明らかにし、
   家族も拒否しない場合に限り、脳死を死と認める法律である。
 
 3 まず必要なのは、徹底した地方分権である。国がおこなうのは国際空港や全国的な
   高速道路網などの建設に限り、都市開発、住宅、治水・利水、下水道などの事業は、
   財源付きで地方にまかせるべきだ。
 
 4 傍受対象を組織犯罪の典型である薬物・銃器関連事件に絞る。最長で30日と
   なっている傍受期間を短縮する。傍受には必ず、捜査機関以外の第三者を立ち
   会わせるようにする。令状を発付できる者を地裁の裁判官に限り、簡裁には
   扱わせない。
 
 5 答申骨子は、もよりの都市までの代替交通機関がないか、あっても長時間かかる
   離島路線に限り、国や地方自治体が運航費を補助することを提案している。
 
 6 そもそも今回の処分の根拠となった内部調査は、対象を「金融関係部局に在籍した
   課長補佐以上の職員」に限り、しかも自主申告が基になっている。
 
<〜に限って>のグループ
 
 1 勧告は、強制使用に向けた県土地収用委員会の審理・裁決を、引き続き県の
   代行事務としながら、新たに緊急裁決制度などを設けるとしている。
   法的には、米軍用地に限って土地収用法の特別扱いを認めることを意味する。
 
 
 2 新法によって、最高裁も大きく様変わりする。民事事件の上告が制限され、
   憲法違反などを理由とする事件のほかは、最高裁が「法令の解釈に関する
   重要な事項を含む」と認めた場合に限って、上告を受理する仕組みになる。
 
 3 在宅ケアや小規模病院、精神病院の医療に限って、なぜ准看護婦を存続させる
   のか。納得いく理由が見当たらない。
 
 4 私たちは、公的資金の投入は預金者の保護に限って行い、金融機関の救済に
   使ってはならないと主張してきた。
 
 5 英国ロンドン市内のブリクストン刑務所が来月1日、200人に限って一般の人を
  「体験宿泊」させるそうだ。
 
 6 身体に被害が及んだ重大事件に限って、少年か保護者の氏名と住所を知らせる
   (警察庁)。すべての事件を対象に少年の氏名を通知する(東京地検)。
   重大事件についてのみ少年の氏名を伝える(大阪地検)。
   「少年事件は通知制度の対象外」という運用をしている検察庁も少なくない。
 
 7 「林産物と水産物の関税撤廃には応じられない」
   日本政府は、マレーシアで開かれているアジア太平洋経済協力会議(APEC)
   で、この2分野に限って貿易自由化の早期実施計画に参加しない考えを表明した。
 
 8 ところが、制度は93年に大きく変わった。社会人と大学生の1位、2位指名選手
   に限って希望球団の「逆指名」を認めたのである。これにより、好選手は自分の
   希望球団に入団することが可能になった。
 
 9 研究会報告は、有害性物質を含む資材に限って、建設資材メーカーに自主的な回収
   などを検討するよう求めている。
 
以上です。ところで、このようにホームページに新聞記事を直接引用するのは「版権」の問題に
  ひっかからないでしょうか。ちょっと気になりました。
 
 
 
話し言葉的って何だろう(補足) 投稿者:Oyanagi  投稿日:12月02日(木)10時04分35秒
 
 あるときに自分の言語世界がいかに限られていたかを思い知らされることがあります。
客観的に考えているようで実はとても主観的だったりすることがあり、その度に言語の
分析というのは物理の分析(つまり外界を対象とする分析)とはちょっと違うのだなと
思います。
なにしろ自分の頭から生み出される言葉を自分自身が分析しているわけですから
言ってみれば「自己診断機能」のついたロボットみたいで、でも人間は機械じゃないから、
『分析不能』なんて冷酷(?)に診断を下すことができなくて悩んでしまうんです。
前置きが長くなりましたが、前回の投稿で『話し言葉的って何だろう』と
意味深(長)なタイトルを付けてしまいましたが、忙しいことにかこつけて
内容がともなわず失礼しました。
 そもそも、「かぎって」と「かぎり」を考えたときに、今回も朝日新聞の社説と
天声人語の記事を検索してみようと思い、使用例を拾いだしたのがきっかけです。
そこで前置きに書いたようなショック(ちょっとオーバーですが(^_^;)を受けました。
何がどうショックだったのかは簡単には説明できないのですが、
第一に「かぎって」や「かぎり」の用法を『能力試験にだされるような使い方』でしか
見ていなかったこと。実は、もっと基本的な使い方があるのではないかということ。
(実はこのことが前回の投稿の「基本的な部分」と結び付きます)
第二に、この二つのグループの表現をそれぞれ入れ替えてみて自然かどうかやっている
うちに頭がクルクルしてしまったこと。できそうで、できなさそうで・・・。
もしかしたら、「テ形接続」と「中止法」とでは文体以外に文法的に何か違うものが
あるのではないか?それとも全然ちがうところに答えがあるのか?
(実はこのことが前回の投稿の「意味の分化・発展」と関係があります。)
などと考えたわけですが、今は何か関係があるそうな説明が参考書にないかと
昔読んだ本をひろげています。
LuciaさんとYukikoさんの投稿を読みながら、もう少し自分の考えをまとめたいと
思います。
Yukikoさんの「 メッセージの公共性」とその「引用」という考えかがとても新鮮に
感じます。これを起爆材にして停止した思考を再び活性化しようと思います。
ありがとうございました。
ところで日本語能力試験もあと数日というところまで迫ってきました。
学生たちが日頃の実力を120%発揮することを願っています。
 
*検索した結果を参考までに場所を改めて載せておきます。
 
メッセージの公共性? 投稿者:Yukiko  投稿日:12月02日(木)01時02分24秒
 
Oyanagiさんのご指摘について、ちょっと考えてみました。
1. わたしが遅刻する日に限って、先生は厳しく出欠をとるんです。いつもは
  とらないくせに。(いやになっちゃう、ついてない)
2. 急いでいるときに限って、バスがなかなか来ない。(まったくいらいらする!)
3. 今日に限って、宿題をやってこなかった。  (まいった、失敗だった。)
 
以上の「〜に限って」を使った例は、よりによって、その時に普段とちがう
ことがあったことを強調するケースで、それについての個人的な感情(不満、
憤り、後悔など)が行間に含まれていると思います。 「3」を先生に言い訳と
して伝えようとして、多少あらたまったとしても、
「今日に限って、やってありません、すみません。」と「限り」より「〜て」を使った方が
自然なのは、この中に「いつもはやってきているので、今日だけやってないんだから、
見逃してほしいナ」というような個人的な思い、感情(運が悪いな)などが強く反映されている
からではないでしょうか。  一方、
「『65歳以上に限り、無料』なんですよ、おばあちゃん」
「『100ぐらむにつき、300円』だよ、おくさん」
「Yさん、『都合により、欠席』ですって」
などは、上の2例のように、公共へのメッセージとして、書かれたものや、
発表されたものを会話の中に引用したケース、または、常套句として、
見・聞き慣れたせいで、定着した表現がそのまま、会話に使われている
ケースととらえては、いかがでしょう。
無意識のうちにも、話者はこれから伝えようとしているメッセージが個人的な
(感情などを訴える)ものか、公共性のあるものか、自分の立場、状況など様々な要素から、
使うべき表現のスタイルを選んでおり、また、たしかに、そうした長年の積み重ねを経て、
定着した言い方に発展した表現もあると思いました。
でも、外国人学習者にこれを説明しようとすると、結局はやはり、「あらたまった印象の
かたい文体、書き言葉などで使う」あるいは、「日常、話し言葉として使われる」
という区別になるかなと思っているのですが、みなさん、どう思われますか。
(第12巻 2000.2月10日〜2月23日) 「お待たせしました」と「お待ちどお様でした」の違い。「〜おきに」についての話題
「そろそろ」と「ぼつぼつ」 投稿者:Shuji  投稿日:02月23日(水)08時42分17秒
 
ちょっと遅かったですが、考えてみました。物事を始める時になりかかった意味で
「そろそろ」と「ぼつぼつ」(ぼちぼち)の用法の違いを考えてみると、「そろそろ」は
「そろりそろり」で動作が静かに滑らかに進み始める様子、「ぼつぼつ」は「ぽつりぽつり」
で少しずつ間を置いて物事が始まる様子、と捉えられます。
≪「そろそろ◯」(ぼつぼつ?)食事にしましょうか≫≪「ぼつぼつ◯」(そろそろ?)
春物が店頭に出てきましたね≫を見ると、「そろそろ」は一連の動きの描写に適していて
「ぼつぼつ」は点在する動きにぴったりするような気がするのですが。どちらにしても今日
ではあまり用法の差が見られないですね。
 
 
ありがとうございました。 投稿者:李  投稿日:02月23日(水)01時20分43秒
 
「〜おき」「そろそろ・ぼちぼち・ぼつぼつ」の件でお世話になりました李です。
みなさまのご協力感謝いたします。
(^_^)
それと、「広島の被爆者〜」「東海村の被曝者〜」?
のうち、「曝」の漢字のことですが、先日朝日新聞関係者に
問い合わせしたところ、放射能に関するときは「曝」を、爆弾とかの
事では「爆」を(辞書も同様)と教えて頂きましたが、
まだ、はっきりしないです。
「広島の被爆者〜」の場合、「爆」「曝」どっちでしょうか?
また、「東海村の被爆者〜」の場合は?
ぜひ、教えてください。
 
 
私はグレーが大好きです。 投稿者:やっさん  投稿日:02月22日(火)13時06分09秒
 
Oyanagiさん!お久しぶりです。\(^o^)/
灰色の部分があって然りですね。言葉のイメージ的には確かにマイナスイメージがあるようにも
感じますが、「グレー」というとマイナスなイメージが緩和されるような、、、違うか。
関西の漫才師が最近「中途半端やな〜!」とよく言っていますが、どちらでもなく、どちらの
特徴もあるようなものが日本語には結構あるように思います。言葉は生物(なまもの)ですから
変わっていくでしょうし、現時点で使われていることを学習者には教えていきたいな〜と思いました。
でも結構あちらこちらで「〜おき」、(特にオリンピックの例文)は論議されているようですね。
プロトタイプはもっとたくさん出て来そうですね、、、(^_^;)
 
 
「灰色」はお好き? 投稿者:Oyanagi  投稿日:02月22日(火)09時16分36秒
 
どうもお久しぶりです。やっさんに名前を出していただいたおかげで、
なんか復帰のきっかけを得ました。もちろん毎日BBSはチェックしていますよ。
やっさんの『基礎日本語辞典』の引用を読んでひとつ書き込みをしようかなと
思いました。
さて、標題の件ですが、私は現在現場を離れて「認知言語学」の勉強をしているのですが、
森田先生の「おき」の分析の内容は「認知」っぽいところがあって興味をそそられました。
 
とかく学問的な知識は現場に生かされないという面が強調されがちですが、そうじゃない
ものもありますよね。「認知言語学」の内容も結構身近で現場の教師が知らず知らずに
やっていることがあります。
例えば、『プロトタイプ』という考え方ですが、まあ名前を聞くといかにもとっつき
にくそうな専門用語ですが、簡単に言えば、物事は白と黒の二つだけじゃないよ
ということです。灰色もあるんだからあまり良いか悪いかと二つに無理にわけなくても
いいよみたいな考え方です。
『4年おきにオリンピックが開かれる』がちょっと変だなと感じる人
(正しくは『3年おき』じゃないかなと思った人)が少なくないとしたら、
それはこの例文が「おき」のプロトタイプ的な例(つまり典型的な例)じゃないからだ
と思います。灰色ゾーンにあるものは適当な文脈がないとはっきり意味がとれなかったり、
自然さの判断が人によって分かれたりするのだと思います。
古い話題ですが、「ロッキード事件の灰色高官」などととかくいいイメージのなかった
灰色ですが、こんなところで活躍しているとは日本人の発想もなかなか捨てたもんじゃない
ということでしょうか。
詳しいことは私のホームページでと言いたいところですが、まだありません(^_^;
自分自身が勉強中のためなかなかうまく説明できませんが、興味をもたれたかたが
いらっしゃったらまた書き込みをします。
 
 
「おきに」の回答おおきに! 投稿者:やっさん  投稿日:02月21日(月)10時08分43秒
 
RYOさん、shujiさん、Yukikoさん、おおきに!(関西弁バージョンで、、)
shujiさんのラーメン屋の例は学生にもわかりやすい説明でした。とかく文法書や
辞典には細かい分析などが詳しく書かれていますが、それを読んで納得して、
学習者に今度はどうやって伝え、理解させるかが難しいところだと思います。
Shujiさんの説明はその点で、すぐにも使えるんじゃないかと思いました。
(今までのご経験があふれ出てくるような感じを受けました、、)
また「おきに」ですが、正確に伝えるとすればやはり「4年ごとに」がいいの
かもしれませんね。いつも「おきに」とか「ごと」が出てくると教えながら
考えているんですが、私が尊敬する森田良行先生の「基礎日本語辞典」の
説明で「おき」のところにオリンピックの例が出ているので、やはり、オリン
ピックの場合は「おき」でも正しいというか、使われているんだと自分を納得
させていました。もっといろいろ調べ、いろんな場合に照らし合わせると面白い
でしょうね。ひまを見つけてまた考えます。(^_^;)
Yukikoさんの
   「ぼつぼつ」
となると、かゆーい湿疹やら、カエルの背中(?)を想像してしまうわけで。つまり、実際に
「そろそろ始めましょうか」はどんなにあらたまった場面でも、お上品な方からも聞かれる
でしょうが、「ぼつぼつ始めましょうか」はそうではないですよね。 さらに「ぼちぼち、
始めまひょか・始めよか」はその関西版では? ちなみに、「儲かりまっか?」「ぼちぼち
でんな」の場合、「ぼつぼつ」は使われませんよね?
 
「ぼつぼつ」は使われませんよね?→私の知っている限りでは使わないと思います。(うー、
誰か生粋の関西人の人ご意見を、、、)
「ぼつぼつ」に関しては私もまったく同じ感覚です。ですから共通する要素もあるし、
それぞれ固有の使い方もあり、また文体の違いもあるんじゃないかと、ご返事しておいた
のですが、ひょっとして語感の違いもあるので、皆様のご意見を伺ってみました。ありがと
うございます。
 
Oyanagiさんの細かい分析も聞いてみたいですね。もし読んでいらっしゃったらご意見聞かせて
くださいね。Yassan(^^)/~~~
 
 
ありがとうございました。 投稿者:RYO  投稿日:02月21日(月)03時19分57秒
 
こんにちは。(という時間ではないですが・・・)RYOです。
「お待ちどう様」と「お待たせしました」の件、ありがとうございました。
Shujiさんが出されたラーメン屋の例には新たな衝撃を受けました。
 
相手を待たせた場合、なのですが、例えば駅やデパートなどで
「ちょっとトイレに行ってくるね」などと断って、それで待ってもらった
場合は、なんとなくですが「お待ちどう様」もありだなあ、と思いました。
 
「そろそろ」「ぼちぼち」「ぼつぼつ」ですが、
Yukikoさんもおっしゃっているのですが、僕は
それぞれ「なにかを始める」という共通の意味を持ちながら、
まったく別の意味を持っているということだと思いました。
 
年齢や方言などの位相も関わっているのではないでしょうか・・・。
 
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/8996/
 
 
直感ですが、・・・ 投稿者:Yukiko  投稿日:02月21日(月)01時52分43秒
 
ご無沙汰しております。
さて、「〜おき」ですが、私も最初の問題提起のご質問を見たときに、オリンピックの例で
「4年おき」と言うのは実は誤用なのではないかと思いました。「4年ごとに」か「4年に
1度」が正しいのでしょうね。
それから、「そろそろ」と「ぼちぼち・ぼつぼつ」ですが、これも感覚的に、「そろそろ」と
言えば、着物を優雅に召されたご婦人が歩くさまを形容するときにも使えますが、「ぼつぼつ」
となると、かゆーい湿疹やら、カエルの背中(?)を想像してしまうわけで。つまり、実際に
「そろそろ始めましょうか」はどんなにあらたまった場面でも、お上品な方からも聞かれる
でしょうが、「ぼつぼつ始めましょうか」はそうではないですよね。 さらに「ぼちぼち、
始めまひょか・始めよか」はその関西版では? ちなみに、「儲かりまっか?」「ぼちぼち
でんな」の場合、「ぼつぼつ」は使われませんよね?
語源とか由来を調べたわけではなく、あくまでも直感的な印象なので、説得力ないと思いますが。
失礼いたしました。
 
 
(無題) 投稿者:Shuji  投稿日:02月20日(日)11時01分22秒
 
るーさん、はじめまして。こちらこそよろしく。(^o^)
ところで、やっさんが提起した「〜おき」について、私の掲示板にも質
問がありましたので、報告しておきます。オリンピックの件は直接の質
問ではなかったのですが、結論として私は「〜年おき」については、例
えば「4年おきに行われるオリンピック」ではなく「4年に一度・・・」
の表現の方が正確だろうと締め括っておきました。
その理由は少し長くなるので、私の掲示板を覗いてみてください。Shuji
 
http://shibuya.cool.ne.jp/brn/
 
 
再度「お待たせ」考 投稿者:やっさん  投稿日:02月17日(木)09時45分20秒
 
shujiさんの意見もLUCIAさんの意見もみんな正しいように思いました。
待たせる時間がだいたい分かっている場合(お互いが了解済み)と遅れて
完全に相手を待たせてしまっている場合の違いと受け取りました。
辞書にのっていないような解説でとても参考になりました。
面白いもんですね。(^o^)いろいろ場面を考えると本当にそうですね。
 
るーさん、聞いて感じることは世代や地域などの要因でかなり変わるように
思いますので、感じたことや思ったことは遠慮なく言ってくださいね。
私も言います。何度もやりとりして何でも相談できる仲間になりましたから
(私の一方的な感覚ですが、、、)
 
それと先日韓国で教えていらっしゃる方からメールをいただいて質問を受けたのですが、
ちょっと皆さんの意見をうかがいたいです。ちょっと引用しますね。
 
実は、時間的なことを言うときの「〜おき」の事ですが、
辞書には一定の期間を間におくというふうに書かれてありますが、
たとえば、「一日おき」というと、一日を間において二日に一回になりますが、
「オリンピックは4年おきに」といいますが、
そのことについてはどう解釈すればいいでしょうか?
それと、もう一つ、
何かが(を)はじめる(はじまる)ときの、「そろそろ」「ぼちぼち」「ぼつぼつ」
のことですが、その使い方の違いについてはっきり説明してある
本を見つけることができません。
この2件についてご助言お願いします。
 
という内容ですが、「おき」は比較的調べやすい内容でみんなが調べて文献も多いと
思います。問題は後者の方ですが、皆様、こういった質問がきたらどうします?
 
 
再びカキコに来ましたが、 投稿者:るー  投稿日:02月16日(水)23時41分03秒
 
全然まとまってないです。(爆)
 
やっさんへ:
気を悪くしないでね、なんてとんでもないです。
そうですか、反対なんですね。
わたしは待遇に関わる表現ってあまり自信がないので、
こういうところで勉強させてもらってます。
 
Shujiさんへ:
はじめまして。(^-^)/
いつもアルクの掲示板の書きこみ、読ませていただいてます。
>ラーメン屋の出前が客に言われた時間どおりにラーメンを届けた場合
>「お待ちどお様でした」を使えるけれど、
>時間に遅れれば「すみません。大変お待たせしました」となる?
そうですね!!!
全然気付きませんでした。
かなりすっきりしてきました。(^-^)
 
やっさん、なんか、またつまらん書きこみでスミマセン。
今度はちゃんとした?書きこみをしにきます。←ホント?>自分
 
この一言だけ 投稿者:Lucia  投稿日:02月16日(水)23時34分46秒
 
昔あるアメリカの証券会社で日本語を教えていました。
そこのマネジャーの方がいつもとっても自然におっしゃる
表現がこの‘お待たせしました’でした。 そういつも
私は20分、30分とお待ちもうしあげていたのです。
不本意に。 でもこのゆったりとした一言で’ま、いいか’
と思ったもので、この掲示板を読んでとても懐かしくなり
まりました。 私は全く心から楽しみにお待ちもうしあげて
いたわけではありませんから、’おまちどうさまでした’と
おっしゃったらきっと‘失礼して、帰らせていただきます’
と申し上げたことと思います。
 
   
外野から「お待たせ」について 投稿者:Shuji  投稿日:02月16日(水)20時56分21秒
 
外野から横入りして気が引けるのですが…。
「お待たせしました」は、皆さんが言われるように「待たせた」ことへの「詫び」の言葉で、「お待ちどお様でした」は「待ってくれた」ことへの「ねぎらい」の言葉ではないかと思います。「お待ちどお様でした」は、待つ側に「待ち遠しい」「心待ちに待っている」気持ちがあったことが前提ではないでしょうか。
ですから、親しい相手は別にして、自分が時間に遅れて待たせた相手に「お待ちどお様」は適当ではないような気がします。
ラーメン屋の出前が客に言われた時間どおりにラーメンを届けた場合「お待ちどお様でした」を使えるけれど、時間に遅れれば「すみません。大変お待たせしました」となる?Shuji
 
 
回答、お待たせしました。いやお待っとさん 投稿者:やっさん  投稿日:02月16日(水)14時
18分16秒
 
RYOさんるーさん!お久しぶりです。なんか久々の気がしてうれしいですね。
 
その友人は「お待ちどう様」は「相手が待ち遠しく思ってくれていることに
感謝する」意味で、「お待たせしました」は純粋に「待たせる」という
迷惑行為を詫びる気持ちなのでは、と分析(?)していますが、
 
との解釈で正しいのではないでしょうか?(ちょっと苦しい、、自信がない)
「待たせる」という使役の要素があるからかな、、、
 
あと、わたしは、「お待ちどう様でした」って聞いたら、
レストランとか喫茶店を連想します。
 
るーさんのレストランとか喫茶店、、という意見ですが、私は逆のような感じが
しました。私の感覚ではレストランとか喫茶店では「お待たせしました」のような
ニュートラル?な表現を使い、家庭や友人と一緒の時に「お待ちどうさん」とか
目上の人がいれば「お待ちどうさまでした」というような気がするんですが、、
個人差も出てきそうなので、なんとも言えない気がします。
るーさん気をわるくしないでね。絶対個人差がありますから、、、
何かもっと他のところに秘密?(おおげさな、、)が隠されているような、、、
 
すみません。もう少し考えます、、、(+_+)
 
 
お待たせVSお待ちどう様 投稿者:るー  投稿日:02月16日(水)08時03分52秒
 
RYOさん、はじめまして。
朝のネット巡回中のるーです。
 
「お待ちどう様でした」のほうは、待ち合わせの時にはいいませんよね?
あと、電話で誰かを呼び出してもらったときにも、
相手は「お待たせしました」って出てきますよね。
あと、わたしは、「お待ちどう様でした」って聞いたら、
レストランとか喫茶店を連想します。
 
何の解決にもならない書き込みでスミマセン。
とりあえず思ったことを書きました。
夜になったら忘れてる可能性大なので。(^^;;;
もうちょっとよく考えてまた書きこみしに来ます。(^o^)
 
やっさんへ:
言葉も道具というのは、学習者としての立場で、よく思っていました。
時々、語学の習得(というより勉強というほうがふさわしいかも)
そのものが目的になっている人がいますが、
そういう人と接すると、「それは違うんじゃないのぉ?」と思います。
でも、教える方の立場ではあまり考えてませんでした。(^^;
そうですよね、人がHappyになれるように使い方も気を配らないといけませんね。
 
 
お待たせしました。 投稿者:RYO  投稿日:02月16日(水)01時43分59秒
 
大内先生、おひさしぶりです。RYOです。
先日、日本語教師を募集している学校に応募したのですが、資格経験不充分と
いうことで不採用になってしまいました。なかなかキビシイですね・・・。
 
さて、友人がカナダに行ってきたときに体験したことでご相談したく書きこみを
させていただいています。
「お待たせしました」と「お待ちどう様でした」はどのように違うのか、
ということを、日本語を習っているカナダ人から質問されたそうです。
 
その友人は「お待ちどう様」は「相手が待ち遠しく思ってくれていることに
感謝する」意味で、「お待たせしました」は純粋に「待たせる」という
迷惑行為を詫びる気持ちなのでは、と分析(?)していますが、
先生方のご意見をうかがいたく思っています。
 
よろしくお願いします。
 
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/8996/
 
 
言葉もコンピューターも道具? 投稿者:やっさん  投稿日:02月14日(月)10時07分53秒
 
やっと職場でコンピュータールームが整いつつあります。その仕事で毎日、忙しく
やっておりましたが、ここまでやってきて、ふと「言葉も道具で、コンピュータも
道具」だと思いました。要は使い方次第で、よくも使えれば、悪くも使えるという
ことです。同じ使うならみんながHappyになれるように使うべきで、コンピューター
がうまく使えるように、トレーニングするように言葉もうまく(人をhappyにできるように)
使えるようにトレーニングしなければいけないのかな、、などと考えました。
ここに来て下さる皆さんは何かしら言葉に関係のある方が多いと思いますので、ふと思った
ことでも何でも結構ですから、聞かせてくださいね。よろしくです!やす。
 
 
日本語大好き! 投稿者:Lucia  投稿日:02月11日(金)11時37分31秒
 
毎日の生活の中でお人にお目にかかりますが、ちょっとした
会話を交わしただけでも’すてきな日本語を話すかただなー’
と思うことがあります。 じゃ、なぜそう感じるのかと
考えているのですが、相手への思いやりが自然に出てきて
いるということは大きいとおもいますし、また遊び心が
あるととてもいい感じになります。 もう少なくなり
ましたが、生粋の江戸っ子の方は敬語などの意識を
超えたチャーミングなお話ぶりで、リズム感が絶妙です。
  日本語教師をしていて、いつも心配なのは
そのような部分がなくなってしまっているのではないか
ということです。 それでできるだけ遊びにはしるように
しています。(すごーい言い訳?)
  ではこれで失礼いたします。
 
 
「罪なやつです日本語教師」なんて、、 投稿者:やっさん  投稿日:02月10日(木)12時26分52秒
 
Shujiさん書き込みありがとうございます。
母国語を愛している先生に誰でも習いたいものですね。本当に、、、
私が日頃思っていることは、「クラスのあいつはだめだ」とか「勉強しない」とか
言って相手側のせいにばかりして自分の授業を振り返ってみない方がいることです。
学習者が使いこなせないようになっているのは学習者のせいではなく、教師側の授業
のやりかた問題がある場合も多いようです。
問題がないか、たえず自分自身の授業をモニターしているかどうかが大事な気が
します。どんな仕事でもそうだと思うんですが、結局、謙虚さと素直さがなければ
チームワークもうまくいかず、効果的な授業を展開していくのは難しいように
思います。使えるレベルまで自分も教えることができているのかはなはだ疑問に
思うこの頃です、、、
(第13巻 2000.3月3日〜5月6日)「日本語の教科書のありかた」についての話題と「〜だけ」「〜しか」についての話題が中心
 理想は高く、しかし現実は、、、 投稿者:やっさん  投稿日:05月06日(土)11時47分48秒
 
ShujiさんやYukikoさんやLuciaさんの投稿を読み、イマーションプログラムを思い出しました。
先日、新聞でも読んだのですが、日本の小学校でイマーションプログラムで英語を
教えているところがあるそうです。英語の先生の発音のほうがなまっている
と子供達に言われるそうで、かなり自然な発音で話せるようになるのだと感心しました。
環境がかなり自然な言語を修得するのに役に立つのかななどと考えていました。
新しい単語や文型を教えれば話せるようになるといった考えを持っている人はもはや
少ないとは思いますが、どうすれば自分の与えられた環境の中で効率的になめらかさ
まで養える授業ができるのか課題のような気がします。以前、初めてオリエンテーリングを
した時に学習者が生き生きとして日本語の課題をこなしていくのを見て、枠にはまった
ことばかりするのではなく、あれこれ試していかなければ見えてこない部分があるような
気がしました。教師側も好きじゃなきゃやってられませんね。
パリにいたころ、クラスにゲーム好きの青年がいました。ゲームの話になると得意そうに
説明してくれ、難しいことまでなんとかわからせようと一生懸命話してくれました。
それが生の会話であり、意思を伝達させるために持てる力を全て使っていました。
それと同じことが普段の授業の中でも学習者に意識させずに自然にできれば理想的かな
などとも考えているのですが、難しそうです。どうしても単発的なものになってしまい
ます。「好きこそものの上手なれ」なんですけどね、、、
 
 
好きこそものの上手なれ? 投稿者:Yukiko  投稿日:05月06日(土)03時46分49秒
 
Shujiさん、かねてより一度Shujiさんのホームページをじっくり読ませて
いただきたいと思っておりましたが、膨大な量に日頃はその思いが叶わず、
この連休の間にようやく、少しずつ拝見しております。
そこで、今回の Luciaさんの投げかけにちょっとヒントになることを見つけ
たように思いますので、Luciaさんからの詳しい情報を待たずにちょっと
述べさせていただきます。実は私とLuciaさんとは欧米からのビジネス・パーソン
とその配偶者にプライベートレッスンで日本語を教えているというつながりで、
前回私がフォローした程度の事情は存じておりますが、今回Luciaさんが
取り上げられた合気道好きの生徒さんの学習経過などは私も詳しくは存じません。
ただ、この「合気道」に熱心だということが彼の日本語がきわめて自然だという理由の
ポイントではないかと思っています。私のこれまでの経験でも、和太鼓を日本人の
グループの中に混じって熱心に稽古し、実際にあちこちのお祭りで叩いて
いた生徒がよい例でしたが、日本語のみならず日本の伝統文化に強い関心を
抱いて、そこに足を踏み入れた生徒の日本語は確かに自然で、ぎこちなさが
他の生徒に比べて際立たなかったように思います。その理由としては、第一に
当然、時間的にも量的にも日本語に多く接しているということ、そして第二に
何といっても自分の興味のあることなのですから、仕事や義務感ではなく、芸は
もちろん、言葉を覚えようという本人の意欲、気持、動機(モーティベイション?)が
非常に前向きで強いからということでしょう。 息子の例ですが、彼は勉強が
きらいで、学校の科目の暗記はちっとも頭に入らないのに、自分の興味のある
ロックの歴史、小さい頃はゲームのことになると、しっかりと緻密に覚えています。
好きなことを習得するのは本人にとって、さほど苦にならず、自然に吸収され
やすいものですよね。さらに第三の理由として、ShujiさんのHP・掲示板の「紅」
さんからの投げかけにある「日本語の中の文化的、習慣的要素」が、ほとんど
日本語だけが飛び交う伝統文化のグループの中で前述の物理的、心理的要因に
助けられてごく自然に身につくからという部分が大きいと思います。以下に最初の部分だけ
引用させていただきますので、ぜひ、ShujiさんのHPの掲示板でその後のやりとりをお読み
ください。
 
日本語教育における文化的、習慣的要素の教授について(投稿者 : 紅)
登録時間:2000年1月27日22時45分
  本文: だいぶ前から、学生の中で気がついた現象ですが、日本語を2年間、3年
  間習っているのに、書いた日本語や、話している日本語はどうも日本語らしく
  ありません。よく見ても、文法などの間違いなどもありません。よく見ても、
  文法の間違いもありません。確かに、母国語の影響を受けていることもあります
  が、それにしてもやはり納得できません。よく考えてみると、日本語教育の中で、
  文化的、習慣的な要素の教授は無視されていたのではないかと気がつきました。
  文化的習慣的なよそに触れず、ただ語彙、文法といった純言語学のものだけを教
  えては、本当のの日本語教育とはいえないと思います。(引用ここまで。その後、
  「すみません」や「まあいちおう」など具体例に触れられています)
冒頭の部分、Luciaさんの「ぎこちなさ」と同じ感想ではありませんか。
常々、私は日本で活躍する外国人スポーツ選手、特に小錦、武蔵丸関などの
おすもうさんの流暢な日本語を聞くたびに、日本語学校に通ったり、レッスンを
受けたりはしていないであろう彼らの世界の厳しさと本人の意気込みを思います。
というわけで、長くなりましたがLuciaさんの問いかけへのかぎはこんなところ
にあり、教える側として努力すべきは「紅」さんの言われている文化的、習慣的
な要素をどうとり入れて教えて行くかということではないでしょうか。
 
 
親があっても子は育つ? 投稿者:Shuji  投稿日:05月05日(金)21時54分18秒
 
良質の教科書づくりも含め非母語話者への学習環境・学習法の確立という
点では他の先輩言語に比べやっとよちよち歩きを始めたばかりと言える日
本語教育の現状に対して、現場の教師が常に改善を促していくべきだ、と
いう観点から「自然な日本語に触れる環境にも適切な学習環境にも恵まれ
ていない外国人が日本語学習を目的に訪日するとしたら」という前提で、
私の経験から実感した感想を述べたのが前回の私の投稿でした。
今回Luciaさんのお話に出てくる「すでに日本に居て合気道に熱中してい
る学習者」の日本語の経験歴はどういう内容なのか、つまり日本に来る前
に独学して来た方なのか、日本に来てから独学で済ませてきた方なのか、
来日してからどのくらいなのか分からないので、また推測に頼るのですが、
この学習者の場合は彼を取り巻く日本語の環境が、先の投稿にあった「こ
れから訪日する北欧の方」のケースとは全く違っていて、取り扱っている
テーマが異なるのではないかと感じています。
「独学」の長所・短所といっても、上に述べたように学習者の置かれてい
る環境(母語話者のいる環境か、優れた教材のある環境かなど)や学習者
個人の語学への意欲・資質にも拠ることは言うまでもありません。私の場
合は、スペインに来るまでほとんどスペイン語を勉強する時間が無くゼロ
からマドリードの語学学校で学んだことが逆に幸いしたと思っています。
日本ですでにこびり付けて来た頑固な「癖」で苦労している人を多く目に
して来たからです。
今回のLuciaさんのお話は「なまじ学習者の成長を妨げるような学校や教
師に学ぶくらいなら独学の方がまし」というテーマだと理解しました。
「親があっても子は育つ」と言ったのは確か太宰治ではないかと記憶して
いますが、日本語学習者に「あんな学校・教師に学ぶという不運はあった
が、その弊害を乗り越えて私は日本語をものにした」と言われないように、
我々日本語教師は日々精進したいものです。Shuji
 
 
http://shibuya.cool.ne.jp/brn/
 
 
いろいろありがとうございます。 投稿者:Lucia  投稿日:05月05日(金)16時55分16秒
 
独学の学習者
  独学そのものについてはあまり深く考えずに教材について
 ゜お助けくださーい’と書きこみさせていただいたのですが、
  いろいろのお考えを読み、目下独学について考えています。
  とくに独学からくる゜癖’というのはなかなか’くせもの’
  になるとのご指摘についてですが、これは主に合気道に
  熱中しているビジネスマンの学習者がいます。 彼は昨年の
  一月から週に一回(できればいいほうですが)LESSONをして
  いますが、初回のLESSONで文法項目の問題点を全部書き出して、
  ’これから、少しずつやっていきましょう’ということに
  しました。 でもとっても不思議なのは確かに文法的には
  大きい間違いが多いのですが、実際の会話ではとても品がよく
  気持ちのいい日本語での会話ができます。それは日本語学校で
  きちんと学んだ方特有のきごちなさというものから無縁の
  自然な日本語です。彼の日本語を聞いていると日本語〔=外国語)
  の習得というのは、本当は全くべつの方法があるのではないか
  と思ってきています。 私自身も確かに英語は学校で学習しました
  が、大学にはいるまで文法など〔三人称のSまで)まったく気に
  せずに、とにかく話す、とにかく物語を読むということばかり
  をしていました。 今思うと細部の文法にこだわらずにいてくれた
  英語の教師に恵まれたと思います。 目下FINLAND語に挑戦して
  いますが、薄い本を一冊手元においてひたすら繰り返しています。
  ただ発音と全体の流れについては母国語の方に機会があると
  直していただいています。  
   ’正しいけれどもなにか変’、’変だけど自然’どこから
  こういう差が生まれてくるのでしょう。 
 
 
ほんとうに。 投稿者:Yukiko  投稿日:05月04日(木)01時43分24秒
 
Shujiさん、やっさん、初級者を教える場合、独学なり、他の教育機関なりでなまじ
変なくせや思いこみを持った生徒を担当すると、こんなことなら、「サラのままで」
来てくれたほうがまし・・・と思ったり、かと思うと「せめてかなを認識できるように
なって来てくれれば、テキストの選択肢もひろがるのに・・・」とつい、思ってしまったり
身勝手な教師の本音が出てしまいます。
Luciaさんの生徒さんというのはビジネスマンで、たしか日本で3年前後外国企業東京支社に勤務
なさる多忙な方々のはずです。それで、来日前に少しでも日本語を勉強して、来日後、効率よく
学習したいと思われるのでしょう。私の生徒も同様で、日本語学習が目的という学生ではなく、
お仕事の合間にレッスンをしている方ばかりです。人にもよりますが、教室できちんとノートを
とるという学生さんと違い、彼らのオフィスでたびたび電話に中断されながら、時には喫茶店の
テーブルでというレッスンでして、自宅学習の時間をとっていただける方はめずらしいですし、
何よりも仕事第一ですから、レッスンの時間が定期的にとれず、出張、或いは本国からの
訪日客の世話などで間隔があいてしまうというのが、本人、教師双方にとっての悩みです。
そういう学習環境ですので、初級者の場合、時間があるときの復習のためにも説明も例文も充分な
テキストがあればいいなと、つい、欲張ってしまいます。たまたま、現在、私の生徒は中級
以上の方ばかりなのですが、こちらはそれぞれのニーズに合わせて、さまざまなテキストや
新聞記事、インターネットのニュース・観光記事などをコピー、編集、さらに語彙リストも添え、
例文集を作り・・・という準備をして、のぞみます。時にはテレビ・ラジオから聞き取り用の
テープも作っていきますが、ビジネスマン、外交官の場合は「今、旬の話題」を取り上げることが
必須となり、せっかく作ったものを使いまわすということがなかなかできないのがつらいところ。
こういう状況で、日頃なかなか文法、用法の問題についてじっくりと取り組んで深く考えることが
できないもので、こちらでのみなさんからの投稿でいつも勉強させていただいております。
Shujiさんご指摘の「言葉への感覚の麻痺」がないか、常に肝に銘じていきたいと思って
おります。 
 
 
日本語教科書のこわさ 投稿者:Shuji  投稿日:05月03日(水)09時51分49秒
 
おじゃまします。
Luciaさんのお話からは北欧の方の訪日までの期間・訪日目的・在日期間な
どが分からないので何とも言いようがないのですが、もし日本語の勉強が訪
日目的ならば、私なら「独学で変な癖をつけるよりサラのままで」日本へ行
くように勧めるでしょう。
私の所にも、独学でかなり頑固な「癖」や「思い込み」を学習の基本部分で
身に付けてしまった日本語学習者がときどきやって来ますが、それを完全に
払拭することに目をつぶらなければ前へ進めないほどの重症者もいます。私
の見るところ、熱心な独学者ほどその努力がアダになる場合が多いのです。
ところで教科書点検の話に戻りますが、yukikoさんの投稿を読んでもう一度
私の投稿を見直してみたのですが、改めて気が付いたことを以下に述べてお
きます。
≪ひらがなだけ書けます。→ ひらがなしか書けません。≫
≪50メートルだけ泳げます。→ 50メートルしか泳げません。≫
≪この会社に外国人は3人だけいます。→ この会社に外国人は3人しかい
ません。≫
≪毎日四時間だけねます。→ 毎日4時間しかねません。≫
の教科書の引用部分で、左側の「だけ」文の不自然さがどこから来ているの
かを考えてみると、「だけ」文は「しか〜打消し」文を機械的に「だけ」文
に置き換えただけということに気付きました(練習問題の意図が「だけ」文
から「しか」文への機械的「文型」変換にあるのだから当然ですが)。
つまり「だけ」文は「まともな文としてほとんど検討されていない」といっ
た印象を持つのは私だけでしょうか。これは文型学習にこだわる教科書が陥
りやすい文例で、それを使う教師自身がこうした文例に慣らされ言葉への感
覚が「麻痺」してしまうのが一番こわいのです。Shuji
 
http://shibuya.cool.ne.jp/brn/
 
 
理想の教科書 投稿者:やっさん  投稿日:05月02日(火)13時56分16秒
 
Yukikoさん、ごぶさたしております。
「せめてひらがな・カタカナをしっかり読めるようになって来日してくれれば・・・」との
意見よくわかります。こちらでも少しでも多くの項目を教えたいとの思いから、文字だけ
でもやってきてもらいたいと思ったことがあります。プレイスメントテストをしてクラス
分けしたあとでも、まだクラスの中でレベルが出来てしまいます。Luciaさんにおすすめでき
る教材というのはいろいろあると思うのですが、特にすすめたいというのはちょっと浮か
びません。独学で学ぶ学習者にはやはり母国語で詳しく文法や注意事項の説明があるもの
がいいのではないでしょうか。「だけ」「しか」についても例文入りで
「左しかつかない」と「左だけつかない」との違いなどを書いたものがあれば、面白い
でしょうね。でもそうなるとかなり分厚いものになってしまうでしょうね。
担当する教師が一番使いやすいものが理想の教科書なのでしょうか。現時点では市販され
ているもので100%満足というものはないように思うのですが、、
 
 
テキストあれこれ 投稿者:Yukiko  投稿日:05月02日(火)01時27分52秒
 
やっさん、ご無沙汰しております。Luciaさん、こんにちは。
Luciaさんお尋ねの教材ですが、私の生徒たちも「国でBusy Peopleや日本語の基礎〜みんなの
日本語を独学ではなく、学校、或いはプライベートレッスンで3−40時間やってきました。」
という方がいらっしゃいますが、結局、ほとんど定着していないことが多くて、いつも最初から
やり直すことが多いです。その時によく思うのが、これなら、せめてひらがな・カタカナを
しっかり読めるようになって来日してくれれば・・・ということです。その点で、かなのワーク
ブックをお入れになることには大賛成。さて、Busy Peopleは私は一、ニ度使ったものの、どうも
好きではなくて、もう何年も使っておりません。独学ということなので、説明が多くて、音声
教材もあったほうが好ましいということでしょうが、Japan Times 社の「げんきT」はいかが
でしょうね。私は実際にこれを使う機会がまだないので、自信を持っておすすめするわけでは
ないのですが、説明も丁寧ですし、CDがあり、さらに作成者の関西外語大のWeb siteに
アクセスしてSelf-Study pagesでかなやあいさつを練習したりすることもできます。
http://www.genki-online.com/js/index.html
すでに、このテキストをお使いになった方がいらっしゃいましたら、ぜひご意見を伺いたい
ところです。
教科書については、「教科書の不備は教師の力量で補えば良い、という考え方もあるでしょうが、」(by やっさん)
という”先生におまかせ”という部分がどうも多すぎると感じています。最近仲間うちで
論じ合ったのですが、「若い」の反対語としてのoldにあたることばをとりあげてある初級
テキストってありませんよね。みなさんも生徒さんが「古い人」と言ったのを聞いて、
「あ、それはね」と説明したご経験がかならずあると思います。確かに日本語の場合、
an old manにあたる言葉はたくさんありすぎて、「おじいさん・おばあさん」から始まって、
お年寄り・年取った人・老人・年輩・年配の人、さらに比較の場合は「年上」などなど。
人間ばかりでなく、「うちの年取った猫・犬が・・・」という場合を考えると、「年取った」が
一番広く使えるかなと思うのですが。ただ、このoldの場合は、言葉としてのとりあげにくさ
とは別に、欧米人が年齢についてはあまり話題にしないということを配慮してあえてテキストに
取り上げていないのかもしれません。
また、英国人はよく"I hope----"と言いたがるのですが、「−−−(だ)といいですね/いいん
ですが…」
を紹介している初級テキストもありませんね。
それと、Yukariさん、Shujiさんが取り上げられた、「だけ」「しか」ですが、「しか+否定形」
を話し手が「その数量・程度が少ない、充分でないことをより強調したい時に使う」という
簡単な説明(英語では、nothing but〜という表現もありますので)ですませていたのですが、
ある時、車が故障して修理屋さんを呼ぶというロールプレイで、
「前のライトは 両方ともつかないんですか。」
「いいえ、右のライトだけ(が)つかないんです。」というやりとりがあって、
「だけ」が否定形とともに使われていることを生徒に指摘され、そのことに気づかなかった
自分にびっくりしたことがあります。「だけ+否定形」もあってしかるべきなのに、ややこしい
から、紹介されていないのでしょうね。
Luciaさんのご質問からちょっと話題がそれてしまいましたが、今後ともテキストについて
は皆様とともに検討しあっていけたらとほんとうに思います。
やっさんが指摘なさったように独学で日本語に取り組んでいる学習者のためには
マルティメディア教材の開発もこれから、ますます注目されていくのでしょうね。
久しぶりに連休で投稿させていただく余裕ができまして、長々と失礼いたしました。
 
 
リンクのお知らせ 投稿者:Fumi  投稿日:04月30日(日)19時03分15秒
 
はじめまして。Fumiです。
ホームページ開設で、やっさんのHP、リンクさせてもらってます。
どうぞ遊びにいらしてくださ〜い!
 
(~o~)
 
http://person1.rocketbeach.com/~kfcs/index.html
 
 
独学のひとへの教材 投稿者:Lucia  投稿日:04月29日(土)12時14分28秒
 
教材のお話がでているとこですので、皆様に助けていただきたいことがあります。
 このところ続けて北欧の方から、’日本へいくことになっていうが、
 その前に独学で日本語を勉強しておきたいので、教材を一式送って
 ほしい’という依頼をうけています。 費用について悩む必要が
 ないのはありがたいのですが、選ぶ教材についてとても悩んでいます。
 今のところ
   1.JAPANESE FOR BUSY PEOPLE 1
   1.JBPのVIDEO
   1.J-E/E-Jの小さい辞書
   1.かな練習長
  をSETにして紀伊国屋からお送りしています。(EXPRESSで
  数日で届きますし、梱包も全部してくれます)
 
  ご意見、ご推薦などお待ちしています。
 
 
やはり改善は必要、、、 投稿者:やっさん  投稿日:04月22日(土)16時47分07秒
 
Shujiさん、ごぶさたしております。おかげさまですっかり元気にやっております。
 
    ところで私は日本語教科書については、現場の教師がもっとシビアに検討
して常に改善を促していく努力が必要だと考えています。教科書の不備は
教師の力量で補えば良い、という考え方もあるでしょうが、学習者にとっ
ては教科書がバイブルという面があるのも事実ですし、教師として訓練さ
れていない人に学んでいる学習者や独学を余儀なくされている学習者が大
多数を占めている、という現状の日本語教育の環境を私はどうしても観て
しまいます。
 
確かにその通りですね。そこまで考えがいきませんでした。特に独学で勉強している
学習者には意味的に同じだと錯覚させるような面もあると思います。私は自分だけの
状況を考えていたようです。これからはもっと教科書にも目を光らせておきます。(^_^;)
今、急には出てこないのですが、他にも「かえてほしいな〜」というのがあったような
気がします。また思い付いたらすぐ書き込みます。
Shujiさん!いつもながらの鋭い指摘、ありがとうございました(^_^)/~~
 
 
「だけ」と「しか」について 投稿者:Shuji  投稿日:04月21日(金)18時56分14秒
 
やっさんお帰りなさい。旅の疲れはもう取れましたか?
ところで私は日本語教科書については、現場の教師がもっとシビアに検討
して常に改善を促していく努力が必要だと考えています。教科書の不備は
教師の力量で補えば良い、という考え方もあるでしょうが、学習者にとっ
ては教科書がバイブルという面があるのも事実ですし、教師として訓練さ
れていない人に学んでいる学習者や独学を余儀なくされている学習者が大
多数を占めている、という現状の日本語教育の環境を私はどうしても観て
しまいます。
前書きが長くなりましたが、そういう意味でyukariさんの指摘を、教師の
工夫の範疇の問題ではなく教科書の記述の適正の問題として受け取ってみ
ました。以下、私の勉強のためにも考えてみます。
≪@ひらがなだけ書けます。→ ひらがなしか書けません。≫
≪A50メートルだけ泳げます。→ 50メートルしか泳げません。≫
≪Bこの会社に外国人は3人だけいます。→ この会社に外国人は3人し
かいません。≫
≪C毎日四時間だけねます。→ 毎日4時間しかねません。≫
「だけ(副助詞)」と「しか(係助詞)〜打消し」はともに「物事を限定
的に取り立てる」働きがありますが、その意味上の大きな違いは、「しか
〜打消し」が「それだけでは不充分、あるいは、その数量が小さい」とい
う「話し手の評価」を暗示することだと言えます。
例えば、@の「だけ」の文は≪ひらがな「は」書けます。≫の限定をより
明確にさせた文と考えられるから≪ひらがな「だけは」書けます。≫と
「は」が欲しくなるのが自然です。同様にAも≪50メートル「だけは」
泳げます。≫が自然です。これは後に続く動作が可能という「評価」が含
まれているからです。
また、「数量への評価」という点から言うと@の「だけ」の文とABCの
「だけ」の文は性質の異なる文で、yukariさんの指摘にもあったように、
「しか〜打消し」と対比させるには「も」(「その数量が大きい」という
話し手の評価を暗示)が適当ではないかと感じます。
いろいろな視点で教科書を点検する動きが出てくればいいな、と思ってい
ます。Shuji
 
 
http://shibuya.cool.ne.jp/brn/
 
 
日本語教師のためのマルチメディア教室 投稿者:かきp  投稿日:04月21日(金)16時39分39秒
 
日本語教師のためのマルチメディア教室が開講されます。
現在日本語教育ではどのようにマルチメディアが利用されているか、
またその活用例なども紹介。
詳しくは以下のページを御覧ください。
 
http://www.naganuma-school.or.jp/oshieru/multimedia.html
 
 
「しか」をしかっちゃやーよ! 投稿者:やっさん  投稿日:04月21日(金)15時21分14秒
 
Yukariさん、お久しぶりです。(^^)
書き込みありがとうございます。ところで「〜しか〜ない」の件ですが、私が使っている
「新日本語の基礎」でも27課で出ています。練習の方法も同じです。(あたりまえか)
 
「〜しか〜ない」は、その前に来る言葉にたいして、それでは十分ではない、
良くないと否定的にとらえた表現ですから、「だけ」はそれで十分だ、役に
立つと肯定的な意味として比較されているのだと思います。でも、どうも私
は「だけ」をそのような意味合いで教えるのに抵抗があります。
 
おっしゃることはよくわかります。(^o^)私はこの課で「〜しか」を教える場合には
この文型の導入の段階で「だけ」との違いを説明しておきます。ですから練習の
時には教師がキューとして「だけ」の文を言い、変換させて「しか」の文で言わせる
練習として割り切ってやっています。以前、使っていた教材では「しか」を導入し、
口頭練習させる際に
 
  (例)三時間くらい勉強しますか (一時間)
   →いいえ、一時間しか勉強しません。
  1)一万円持っていますか。 (三千円) 
  →
  2)七時間くらい寝ましたか。(四時間)
  →
  3)車の運転ができますか。(オートバイ)
  →
 
のような練習をさせていました。今でも教科書の練習B以外にこれらの練習をして
います。
どのような練習方法がいいのか、意見が分かれるところだと思うのですが、私は
導入の段階で「だけ」との意味的な違いを説明し、「だけ」と「しか」は使われる
時の気持ちが違うんだということを押さえておけば練習の形式はいろいろあって
いいんじゃないかと考えています。スリーエーの方もきっとそのへんの事情を加味した
上で練習を作られているのではないかと思います。(スリーエーの方、もし読んで
いらっしゃったら何か一言!頼みます)
「だけ」との違いをせずに練習に入れば、途中で学習者の方から「だけ」と同じで
すか?という質問もよく来ると思いますので、避けては通れないような気がします。
どのような形式をとっても学習者が効率良く練習でき、定着がいいような練習であれ
ば、「いろいろあってみんないい」(どこかで聞いたようなセリフ?)でいいのでは
ないでしょうか?他の方のご意見もうかがってみたいですね。(^。^)
 
この場をおかりして、YUKARIさんへ
皆さんお元気ですか?新学期が始まり、皆さんお忙しいことでしょうね。(^o^)
お体に気をつけて、ばっちりのチームワークで新入生を鍛えてあげてください!
またお目にかかれる日を楽しみにしております。
 
 
ひらがなだけ書けます。 投稿者:yukari  投稿日:04月20日(木)23時26分55秒
 
こんにちは。フランスから帰国してあわただしく新学期。少しは落ち着かれ
ましたでしょうか。私の学校も先週は大変でしたが、ようやく少し軌道に乗
って来たところです。
 
ところで、「みんなの日本語」27課の「〜しか〜ない」を教えていて、ど
うもひっかかる部分がありましたので、書き込みに来ました。この文型はそ
れほど教えるのに難しくはないと思うのですが、練習問題Bに「だけ」と置
き換える部分があります。
 
ひらがなだけ書けます。→ ひらがなしか書けません。
50メートルだけ泳げます。→ 50メートルしか泳げません。
この会社に外国人は3人だけいます。→ この会社に外国人は3人しかいません。
毎日四時間だけねます。→ 毎日4時間しかねません。
 
「〜しか〜ない」は、その前に来る言葉にたいして、それでは十分ではない、
良くないと否定的にとらえた表現ですから、「だけ」はそれで十分だ、役に
立つと肯定的な意味として比較されているのだと思います。でも、どうも私
は「だけ」をそのような意味合いで教えるのに抵抗があります。
 
前に教えていた中級の教科書「表現文型」では「〜しか〜ない」を「も」と
比較しています。たとえば
 
50メートルも泳げます。→ 50メートルしか泳げません。
外国人が3人もいます。→ 外国人が3人しかいません。
 
こちらの方が私にはぴったりくるのですが、「少ししかできません」は「少し
もできます」と言い換えられないし、「ひらがなしか書けません」は「ひらが
なも書けます」とすると意味が違ってしまいます。
 
この間は導入の時に「だけ」には触れないで教えましたが練習問題で困りまし
た。やはり「ひらがなだけ書けます」は、「それだけよ」じゃなくて、「それ
だけ書けるからだいじょうぶ」って教えた方がいいのでしょうか。それとも
私、何かここのところを誤解しているのでしょうか?
 
http://www2u.biglobe.ne.jp/~y-japan/
 
 
久々のかきこみ 投稿者:やっさん  投稿日:04月17日(月)11時04分30秒
 
皆様、ごぶさたしております。
久々に書き込みをしてなんか変な感じがしています。(^_^;)
Luciaさんのおっしゃるとおり絶版になってからではおそいので
珍しい本や大切な本は大事に使おうと思います。
 
   日本語教育関係の書籍を専門にした古本屋というのはある
 のでしょうか? あるいはWEB SITEは?
 是非教えてください。
 
私もあれば是非利用したいです。一般の古本屋でもたまに日本語教育関係の
本を見かけますが、専門というのはしりません。情報をお持ちの方がいらっしゃったら
遠慮なく書き込みお願いします!
 
 
絶版、 投稿者:Lucia  投稿日:04月15日(土)12時38分37秒
 
 以前にも書きこみをしたことがあるのですが、いい教材、参考書だと
 思っていたものがいつの間にか本屋からも出版もとからも消えて
 しまっていることがあります。 今回の浅野類義語辞典も絶版に
 なっていたのですね。 教材はすぐに増えますので、できるだけ
 使っていただきたくて、時々整理をして寄付をしています。
 でも手元においておいたほうがいいものは大切にしなければと
 思うこのごろです。
   日本語教育関係の書籍を専門にした古本屋というのはある
 のでしょうか? あるいはWEB SITEは?
 是非教えてください。
 
 
琴さん、今さがしています。 投稿者:Lucia  投稿日:03月27日(月)12時45分06秒
 
琴さん、
 
  以前この本をもっていた気がするのですが、
  題名をよく覚えています。
  でもないんです。 それで目下いろいろ探して
  います。 見つけられるといいんですが、、、
 
 
教えてください 投稿者:琴 大 淵  投稿日:03月22日(水)23時53分39秒
 
皆さん、はじめまして。
私は韓国で日本語を教えている琴(クム)と申します。
皆様の中で「浅野類義考辞典」をお持ちの方は、出版社名と値段を教えてくださいませんか。
お待ちしております。
 
 
教科書 投稿者:yukari  投稿日:03月20日(月)19時32分44秒
 
教科書の選択って、むずかしいですね。私たちの学校では2年ほどまえに
「初歩」と「表現文型」から、「みんなの日本語」と「文化中級日本語」
にかえましたが、初級、中級の制作者が違うため、そのまま教えていたの
ではうまくいかず、まだ試用期間と言う感じです。
 
教えたことのない教科書を教えるのは大変ですが、でも古い教科書と比較
することで新しい視点が見えたり、新しい知識や問題点も見えてきて、楽
しみもあります。
 
また問題点など、思い出した時に書き込みに来ますが、やっさん、皆さん
からの情報も楽しみにしています。よろしくお願いします。
 
http://www2u.biglobe.ne.jp/~y-japan/
 
 
パリから 投稿者:やっさん  投稿日:03月18日(土)01時22分23秒
 
やっさんです。
現在パリにいます。天理日仏文化協会のコンピューターをお借りして
書き込んでおります。時差ボケでたいへん苦しんでおります。
教科書についての話題ですね。市販されている教科書は教育機関の実状に
合っているかを考えるとなかなかぴったりあうということは少ないですね。
自分たちの実状やニーズ調査を元にして、教材を作り出していくのが理想的だ
とは思うんですが、簡単なことではありませんからね、、、
ましてやその教科書が作られた機関ではぴったり合うものでも他の機関で
使うとちょっと使い勝手が違うというようなことも起こってきます。現場の
教師がやはり学生のニーズを考えて作り出したり、補助教材を作成するのが
一番楽なのかも知れませんね、、、、、
ではでは、、、眠いです、、、時差ボケ頭でなんか変なことを書いているのでは
ないのかな?、、、
 
 
消えていく教材 投稿者:Lucia  投稿日:03月16日(木)19時46分08秒
 
最近私の好きな教材がどんどん絶版になっていきます。
凡人社にないのはおかしいと思い、問い合わせると
絶版! 地味だけれども学ぶ側にも教える側にもよく
考えられているもの、ただじっくりしていく必要が
あるものというものに限って消えていきます。
  今の教材はどのような点を重視しているのかと
考えてしまっている今日この頃です。
 
 
教科書点検の重要さ 投稿者:Shuji  投稿日:03月16日(木)06時24分26秒
 
サバーイさん、はじめまして。
日本語テキストのことが書かれていましたので、一言触れておきます。
日本語教科書を初めとする教材は公にもっとシビアに点検され批評に
さらされて良いのではないか、と私は感じています。
我々が外国語を学ぶ際のことを思い出せば分かるように、外国語学習
者にとって授業で使う教科書は、学習期間あるいはそれを過ぎても常
に頼りにしなければならないもので、一種の規範をそこに求める傾向
があります。
教科書は学習者にとって、たとえ優秀な教師がいてもそれを遥かに超
える影響力を持っていることを認めざるを得ません。語学学校などで
教師に付いて日本語を勉強できる環境にある学習者は、世界の日本語
学習者のほんの一握りだという事実を考えれば、日本語教師は教科書
を初めとする日本語教材により厳しい目を向けて、著作者・出版社側
に改善を促すことに躊躇してはならないでしょう。
私は自分の掲示板で「文化初級日本語」の点検をしていますが(遅々
として進んでいませんが^_^;)、他の教科書も現場の教師の手で点検
をして公の場で意見交換をする必要があるのではないかと思っていま
す。著作者や出版社との人間関係やしがらみ等、難しい点もあるかも
しれませんが、お互いに日本語教育を少しでも前進させるために協力
し合って行きましょう。
Shuji
 
http://shibuya.cool.ne.jp/brn/
 
 
(無題) 投稿者:サバーイ  投稿日:03月15日(水)07時56分12秒
 
お久しぶりです。私の同僚の「やっさん」が、14日から日本語教師養成講座の講師としてパリに行っています。
私もこの養成講座の講師で97、98、99年と行ってきました。つまり、
私がやっさんにバトンタッチした形になったわけです。この養成講座についてお知りになり
たい方、どうぞご連絡ください。
 ところで、やっさんの投稿にもありましたが、私達の職場では2001年度に「みんなの日本
語」へ移行すべく準備を進めています。このテキストを(特に教育機関で)お使いになってい
る方、どういう具合か、何か問題になる点がないか、情報をお願いします。
もちろんテキストというものは、極端に言えば編集出版側としては提供するだけのことで、
テキストの良し悪しや、どう活かされるかは、使う教師側次第だと思いますが・・・。
 
 
塩は控えめに、、 投稿者:やっさん  投稿日:03月10日(金)21時57分22秒
 
Oyanagiさん、るーさん、なおさんこんばんは!
私もスパイスの例えは素晴らしいと思います。以前、どこかの本で読んだような気がするんです
が、、、気のせいかな?いや、ずばりスパイスなんだと思います。\(^◇^)/会話を弾ませる
というか、実際の日本人の会話ではかなり使われているようですね。私も以前、学習者に
副詞はなくても意思の伝達はできるけど、うまく使えば、会話が弾むというようなことを
言っていました。また擬音語、擬態語なんかも日本人の会話にはかかせないものじゃないでしょ
うか。(^^)、、(スパイスで言うと何になるのかな?豆板醤?コッチュジャン?XO醤?)
 
なおさんへ
最近の教科書ですが、一般的には「みんなの日本語」スリーエーネットワークがよく使われて
いるのではないでしょうか?「新日本語の基礎」が技術研修生対象に作られたもので、それを
もとに文型はあまりかえず、更によく使われる語彙を増やし、、という感じですが。
私の職場でも今、「みんなの日本語」に移行するためにコンピューターのデーターベースに
語彙、文型等を打ち込む作業をしています。課のずれを調べたり、単語の移動を調べています。
まだ途中ですが、語彙が増えているという気がします。しかも単語がどのように選択されたのか
わかりませんが、語彙調査などの結果をもとに使用頻度などを考え、新しく取り入れられて
いるんだという気がしました。
個人的にですが、そのデーターベースの入力が終わったら、それをもとに教案のもとになる
ようなものを作ろうと考えています。(だいぶ先の話ですが、、、できたら公開しますので意見
を聞かせてくださいね)
他にも文化の教材などもよくできていると思うのですが、他の皆さんはどうなんでしょう?
 
 
情報お待ちしてます! 投稿者:なお  投稿日:03月10日(金)13時44分14秒
 
以前(10年ほど前)に日本語教師を3年ぐらいしていた経験がありますが、最近ひょんなことから
また日本語教室の教壇に立つかもしれません。最近のテキストや教材は何が主流なんでしょうか?
「にほんごのきそ」「モダンジャパニーズ」を使ったことがあります。また、最近の業界の流れを把握するのに
てっとりばやい本等あれば教えてください。漠然とした質問で恐縮ですが、現役のプロの皆さんにお伺いするのが
一番的確なお返事を頂けると思い書きこみました。
よろしくお願いします。
 
 
仕上げに塩、コショウを少々。 投稿者:るー  投稿日:03月10日(金)02時01分22秒
 
Oyanagiさん、やっさん、みなさん、こんばんは。
久々のカキコのるーです。(^^)
 
Oyanagiさんの、スパイスのたとえ、感動してしまいました!
言われてみれば、陳述の副詞って、日本語ネイティブは、どんどん使って話してますね。
ピリッとスパイスの効いた会話のほうがおもしろいですもんね。
でも、学習者はなかなかそこまで気がまわらない。
陳述の副詞はスパイス、って考えると、練習方法を考えるのも楽しくなります。
 
感動すると、黙っていられない性格なので、カキコしちゃいました。
やっさん、いつもこんな書きこみばかりですけど、見捨てないでくださいね〜。
それから、ともこさん、実習がんばってくださいね!e(^。^)g_ファイト!!
 
 
ありがとうございました。 投稿者:ともこ  投稿日:03月06日(月)01時09分29秒
 
>やっさん
わかりやすく教えていただきありがとうございました。
「の」がつくだけでもニュアンスがかなり違ってきますね。
例文がすごくわかりやすかったです。(^^)
私はあまり例文が思いつかないので考えれば考えるほどわからなく
なってしまうんです・・・(^^;)
>Oyanagiさん
確かに「もしかすると」がポイントかもしれませんね。
もしかするとの後には色々なことが考えられますからね。
あと、スパイスですね。
その通りだと思いました。
「もしかすると」がどんなスパイスになるのかよく考えてみたいと思います。
ありがとうございました。
 
また何かわからないことがあったらアドバイスお願いします。m(__)m
 
 
スパイスをちょっときかせて 投稿者:Oyanagi  投稿日:03月03日(金)11時23分34秒
 
やっさん、ともこさん、こんにちは。
最近またこちらのBBSに復帰したoyanagiです。
『中級から学ぶ日本語』という教科書は私も使ったことがあるのでなつかしく書き込みを
読ませてもらいました。
文法点については、やっさんの丁寧な解説がありますので、私はちょっと視点を変えて、
中級の文型練習について普段疑問に思っていることを書きたいと思います。
「〜かもしれません」や「〜のです」の「の」の使い方は初級で学習していると思うので、
ここでは「もしかすると」の使い方がポイントと考えてもいいと思います。
「きっと」とか「まさか」などもそうですが、『陳述の副詞』と呼ばれるものはそこに
込められた『話者の気持ち』がとても大切だと思います。
日本語にはこのような副詞がたくさんあって、文を完全に言わなくてもそれだけ話し手が
どんな態度で話しているのかわかってとても便利ですよね。
だから相手が「もしかすると・・・」だけ言っても聞き手が「ああ、この人は今どんな態度
で話そうとしているのか」「どんな内容のことを言おうとしているのか」まで分かります。
私は主に韓国人の学生に教えていましたが、文法だけでなくこのような副詞もかなり対応
する語彙があって本人は辞書で意味を調べてわかったつもりになっているのですが、実際に
はなかなかうまく使えない、という印象が少なからずありあました。
それで、やっぱり知識だけでは使えるようにはならないのだと実感しました。結局、
教師がどのように説明して、どのように練習させるかがポイントなのだと思いました。
たとえ話しで恐縮ですが、このような副詞は私自身『スパイス』だと思っています。
実際にそれがなくても料理はそこそこ食べられるのですが、深みがないのです。
会話も同じように、それがなくても別にこまらないのですが、使えればとても会話に
味がでてきます。教師は学生にそのスパイスの香りを伝えられれば学生も楽しく使える
ようになるのではないでしょうか。
ということで、「もしかすると」にどんな香りがあるのでしょうか。その香りを伝える文型練習は
どんなものがいいかは私自身の課題でもあります。少なくとも教科書どおりの文完成だけやって終わり
では十分でないことは確かなような気がします。
ともこさん、実習がんばってください。
 
 
遅くなりまして 投稿者:李  投稿日:03月03日(金)00時55分06秒
 
お礼が遅れて申し訳有りません。毎日毎日、
教材作りや雑事に追われて(いいわけ)
又、わからないこと有ったらどしどし利用させていただきます。
ソウルは、大分暖かくなりました。
季節の変わり目は、気を許すと大変です。
お体ご自愛下さい。お互いにですね。
(第14巻 2000.5月11日〜5月29日) 「知っていません」に関する考察と「〜ている」「〜てある」についての話題。
「着てある」の「ある」は何者であるか? 投稿者:Shuji  投稿日:05月29日(月)04時12分12秒

 

「着てある」も言えるという文例≪もう制服「は」着「てある」≫を考え

てみます。

これは≪もう制服「が」着「てある」≫とは言えず、≪もう制服「を」着

「てある」≫の意ですから≪窓「が」開け「てある」≫とは質的に異なる

「てある」であると想定してみます。

「窓が」が「開けてある」全体に掛かるのに対して、≪もう制服「を」着

「てある」≫の文では「制服を」は「着て」だけに掛かり、補助動詞の質

的違いを感じます。すなわち「が+他動詞+てある」の構文の「開けてあ

る」は一語に近い扱いを受け(「ある」は接尾語的性格が強い)、「を+

他動詞+てある」の構文の「着てある」は

≪@「ある」が飽くまでも補助動詞としての分を守っている≫という印象

を受けます。

「着る」は(着た状態)を普通「着ている」で表す語ですから再帰動詞的

・自動詞的性質を帯びた他動詞と推測できます。では自動詞には「てある」

は付くことがないのか。例えば「寝る」は自動詞ですが、試合などに臨ん

で≪今回は充分に寝「てある」から大丈夫だと言うことができます。この

文と≪今回は充分に寝「ている」から大丈夫だ≫(経験)との違いを見る

と、「てある」の文の

≪A「ある」は「すべきことを済ませている」と確認する意が濃厚≫

に出ています。これは≪もう制服「は」着「てある」≫の「ある」に意図

された意味合いに合致するのではないでしょうか。

以上、「着てある」の性質を、上で述べた≪@≫≪A≫と見てみました。

なおOyanagiさんが興味を示されていた再帰動詞の件ですが、スペイン語

では自分の身体に何かを付ける意味の語「着る、かぶる、履く、(くしを)

さす、(ベルトを)しめる、(ピアスを)する、(包帯を)巻く」などは

動詞に「se」が付き再帰動詞になりますが、「知る、持つ、覚える」は再

帰動詞ではありません。Shuji

 

http://shibuya.cool.ne.jp/brn/

 

 

Gooのアドレスを書き忘れました 投稿者:Oyanagi  投稿日:05月28日(日)20時26分55秒

 

Gooのアドレスは下の通りです。ちなみに、ウェブ上で利用できる『大辞林』もここで

検索できるので便利なページです。

 

http://www.goo.ne.jp/

 

 

Goo、それはとてもGoodなのです 投稿者:Oyanagi  投稿日:05月28日(日)20時20分54秒

 

Goo(グー)というのはお察しのとおり、Yahooのような検索サービスのあるサイトです。

ただ、ヤフーと異なるのは、検索手段が<カテゴリー>ではなく、<ロボット型>で、

入力された文字(語句)を含むページを片っ端から探し出してくれるのです。ですから、

日本語教師的な使い方をすれば、知りたい語句が実際にどの程度(ウェブ上で)使用されて

いるのかが、わかります。同じロボット型検索でもExcite(エキサイト)は類似表現まで

親切(?)に探し出してくれるので、この場合役に立ちません。

参考までに下のサイトでは「Gooで数調べ」とうコーナーがありますよ。

 

http://kuzan.f-edu.fukui-u.ac.jp/BBS/room_1/room.bbs

 

 

Gooとは? 投稿者:hiro  投稿日:05月28日(日)15時14分44秒

 

oyanagiさんの書いていらしたGooとは何でしょうか。Yahooのようなページですか。

よかったらページのアドレスを教えていただけませんか。

 

 

着ている、着てある 投稿者:hiro  投稿日:05月28日(日)15時09分54秒

 

 いろいろなご意見、興味深く読ませていただきました。一口に他動詞と言っても、いろいろあるということですね。

「日本語のシンタクスと意味」にもありましたが、言葉は連続しているもので、それを人間が便宜上文法で切っていったものだ、

とつくづく感じます。

 

 ところで、「制服は着てある」ですが、「〜てある」を使うと、現在の状態のみならず、制服を着たときの本人の意志、

(目的意識)を強く感じます。

 

 

Gooで言葉検索やってみました 投稿者:Oyanagi  投稿日:05月28日(日)14時43分55秒

 

前回の「知っていない」と同じ様に、検索ページのGooで「着てある」と「覚えてある」を

調べたところ、「知っていない」と比べて非常に少なくてがっかり(?)しました。

「着てある」は2件のみで、「覚えてある」は5件でした。

「着てある」の2件のうちひとつは「立っている」を「立ってある」と書く人ですから、

ひょっとして「〜てある」を「ている」の意味でよく使う地方(方言)があるので

しょうか?

やっさんが例文作りで困っていたようなので、残りの「着てある」の使用例を転載して

おきます。

(本人の自作の小説の中からの抜粋ですhttp://www1.harenet.ne.jp/~mitatsu/n.htm)

 

 

>「まだ8時30分か・・・ってやばい遅刻だ!」

>太助は大急ぎで階段を降りていった。

>もう制服は着てある。

>ベッドの脇に置いてあったので早速着たのだった。

 

この文で「着てある」を使わないとすると、どんな表現になるでしょうか?

「着ている」ではなんかインパクトがないし、「着ておいた」では文の勢いが

失われてしまうし、困っちゃいますね。どう思われますか?

書き言葉で地の文に表われる「てある」はまた別の視点での分析が必要かもしれませんね。

 

 

 

 

「着てある」はどうして不自然?(2) 投稿者:Oyanagi  投稿日:05月28日(日)14時16分52秒

 

どういう場合に他動詞で「てある」が言えないかということですが、

<主体運動>と<主体変化>の両方の意味を表わすが場合ではないかと思います。

注)< >の用語は仁田義雄先生の『日本語文法研究序説』にヒントを得て

使用しましたが、「てある」の分析に利用できるかは記述がないので以下の考察は

まったく私の推測です。

 

<主体変化>は本来自動詞が担当して「ている」が結果状態を表わします。

例)「ラジオが壊れている」

<主体運動>は他動詞も自動詞もあり、「ている」が動作進行中を表わします。

例)「太郎が本を読んでいる」「太郎が走っている」

<主体運動>は他動詞の場合、客体が変化してもしなくても「ている」が動作進行中を

表わすことは同じです。

例)「太郎がラジオを壊している」「太郎がご飯を食べている」

ところが、他動詞文の中には<主体運動>かつ<主体変化>という特異な特徴(?)を

もつ動詞があります。

(A)情報、物事の獲得を表わす動詞:「知る」「持つ」「(知識/権利を)得る」

(B)知識、物事の所有、所持を表わす動詞:「覚える」「着る」「はく」「かぶる」

これらの動詞は「〜ヲ〜スル」という文型をとりながら、「ている」で結果状態を表わす

という特異な現象があります。つまり、これらの動詞は『対象に働きかける』という点では

他動詞性がある一方で、その結果『主体が変化する』(無の状態から有の状態)という自動

詞性もあるという中間的な存在なのだと思います。

しかし、(A)類の動詞は<主体変化>に視点が当てられるので、「ている」が動作進行中

を意味することはありません。(B)類の動詞は<主体運動>と<主体変化>の両方に視点

が当てられるので「ている」が二つの意味を表わすことができます。

結局、この<主体変化>の意味特徴を持つことが、他動詞文という『形』をしていながら、

結果状態を表わす「てある」形を使用できない(つまり、<主体変化>なんだから、

自動詞のように「ている」で結果状態を表わす)という原因になっているのではないかと

推察します。

この考えを推し進めると、<主体変化>のみに視点が当てられる(A)は「てある」が

不可能で、両方に視点がある(B)は文脈の助けがあれば、準備の意味では「てある」が

不可能ではないという現象につながると思います。

さらに、身に付けることを表わす動詞の中でも、

(B)にある三つの動詞は『主体がまるごと変化する』と捉えるのに対して、

下の(C)のように体の一部に付けるものについては<主体変化>とは捉えずに、

<主体運動><客体変化>という通常の他動詞文のような振る舞いをすることも

説明できるような気がします。

(C)(くしを)さす、(ベルトを)しめる、(ピアスを)する、(包帯を)巻く

これらの動詞は(B)よりもさらに典型的な他動詞文に近いので「ている」が二つの意味を

持ち、さらに「てある」で状態を表わすこともできます。

例)・太郎は急いでベルトをしめている  <動作進行中>

  ・太郎はかっこいいベルトをしめている<結果状態>

  (ズボンが落ちないように)ベルトを(しっかり)しめてある<結果状態持続>

 

以上、他動詞と分類される動詞を「てある」が可能かどうかで下位分類をしてみました。

スペイン語やフランス語などで(A)(B)(C)などの文が再帰動詞や再帰代名詞などで

どう表現される(されない)のかも興味があります。

短くまとめようと思いつつ長い書き込みになってしまいました。不備な点や不明な点があれ

ばどうかご指摘ください。

 

 

「着てある」はどうして不自然?(1) 投稿者:Oyanagi  投稿日:05月28日(日)14時12分27秒

 

「〜てある」についてやっさんとShujiさんの書き込みを興味深く読ませていただきまた。

最初「着る」が「着てある」となぜ言わないのかという質問を読んだときに、

以前の「知る」についての書き込みを思い出しました。

「知る」というのが他の他動詞と違って特異な振る舞いをするという内容です。

そして、Shujiさんの「再帰性」の指摘にはおおいに刺激を受けました。

本題の「着てある」が不自然かどうかということですが、やっさんの指摘のように

『基礎日本語辞典』には使用される例として載っているいますが、他の動詞と比べて

不自然な感じがするのは確かですよね。そもそも、他動詞は結果状態を表わす場合には

「てある」を使うというおおざっぱな捉え方では実際に不都合が起こってくることは

確かです。

問題は「てある」が、文の形「〜ヲ〜スル」で決まるのではなく、動詞の意味特徴で決まる

とするのがいいのではないかと思います。

つまり、「てある」は対象に働きかけた結果

(1)対象が変化してその結果状態が残っている

(2)または、なんらかの準備のために行った行為の結果状態の効力が持続している、

ということだと思います。

この意味特徴を典型的に持っていのが「他動詞文」だということで、その逆、「他動詞文」

だから「てある」が言えるということにはならないのだと思います。(つづく)

 

 

わりと淡白な「が」 投稿者:Shuji  投稿日:05月28日(日)01時18分01秒

 

≪彼はセーターを着「ている」≫を見ると、≪セーターを着た状態である

(動作を完了した結果の「状態」が存続している)と≪彼はセーターを着

つつある(動作が未完了でまだ「進行(継続)」中)≫の二通りの意味が

可能です。

これは「着る(かぶる、履く)」が「動作が瞬間的に完了する性質」(い

わゆる瞬間動詞)と「動作に段階があり完了までに一定の時間がかかる性

質」(いわゆる継続動詞)の両方を持ち合わせている動詞だからです。

「着る」は他動詞ですが、≪彼はセーター「が」着「てある」≫の表現は

やはり不自然に感じます。「着る」は他動詞ですが再帰動詞的な性質(動

作が自分に帰ってくる)を持っています。この「瞬間動詞かつ再帰動詞的

他動詞」が「着る」に状態性と自動詞的な印象を与えて「が〜てある」の

表現が不自然になり、さらに人が主格になるために「(人)が(対象)が

〜ている」でなく「(人)が(対象)を〜ている」が残ったのではないで

しょうか。

次に≪窓「が」開け「てある」≫≪電気「が」消し「てある」≫の「が」

の代わりに「を」は使えないか、という問題を見てみます。

≪窓「○を」(?が)風が吹いているのに開け「てある」≫や

≪電気「○を」(?が)考えもしないで消し「てある」≫のように「が」

と「動詞+てある」の間に句や節が入ると、もともと連体助詞から発達し

た「が」は掛かるべき「動詞+てある」が遠のけば非常に不安定になるの

で「を」をとる他動詞本来の性質が復活してくるようです。因みに掛かる

べき動詞への粘着力(?)(つまり離れていても切れないで掛かる力)の

強い順から言うと、「は」「が」「の」の順で、

≪彼「は」私「が」彼女「の」したことを台無しにしたと言った≫の文では、

「彼は→→→言った」「私が→→台無しにした」「彼女の→した」となりま

す。「は」がもっとも粘り強く「が」はわりと淡白で「の」はもっともあっ

さりしているわけです。Shuji

 

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考えテイル 考えテアル 投稿者:やっさん  投稿日:05月27日(土)09時48分52秒

 

Hiroさん書き込みありがとうございます。

昨日の朝、チェックして返事を考えていたんですが、昨日は会議と勉強会の発表があり、

遅くなってしまいました。

「他動詞+ている」の件ですが、

■〜ています 〜てあります  (しんきそ-29、30課)

〜ています

「問題となる時点より前に、ある動作、作用が行われ、その結果が今も残存している」事実描写

・電気がついています。 いすがこわれています。 袋がやぶれています。

 

〜てあります

「誰かによって行われた行為の結果が現在の状態として存在することを意味する」

・電気がつけてあります。 窓があけてあります。 花が生けてある。

 

文型の面から

 ・〜が(自動詞)ています  →1)継続、進行 2)作用の結果の現存 3)習慣、反復 4)現在の状態

 ・〜が(他動詞)てあります →1)行為の結果の現存

 ・〜を(他動詞)ています  →1)継続、進行 2)習慣、反復、経験、能力、状態

 ・〜を(他動詞)てあります →1)前もっての準備、結果の蓄積

 

上記のようにまとめられると思います。御質問の「他動詞(着る)+ている」は上記の3番目の

文型にあたり、1)継続、進行の意味になると思います。例文をあげないと話がわかりにくく

なると思いますので、ちょっと思い付いたものをあげます。

 

・「試着できた?」「いや、今、着ているところ。」(進行)

・「あの人、誰? あの赤いシャツを着ている人。」(継続)

 

問題は「着る、かぶる、はく」などの他動詞ですが、私は「てある」もつくような気がするんですが。

「前もっての準備、結果の蓄積」という意味で考えれば、

 

・「あんたの出番は次だよ。」「大丈夫、衣装なら前もって着てあるから。」

 

のようにできそうな気がします。(かなり苦しい例文?)しかし、「基礎日本語」角川小辞典の

「〜てある」の項には「着る、かぶる、はく」ができるように書いてあります。ちょっといい例文が

浮かばなくて申し訳ありません。(誰か、フォローしてくれませんか?)

 

それと、「電気ガ消してある」→「電気ヲ消してある」の件ですが、使われる文によって

意味が変わるだけで、間違いではないと思います。初級の学習者に教えていく便宜上、制限して

いるだけと思います。

 

 

他動詞+ている 投稿者:hiro  投稿日:05月25日(木)21時31分58秒

 

前から不思議に思っているんですが、着る、かぶる、履くなどの動詞は、

どうして「他動詞+テアル」でなく、「他動詞+テイル」で結果の状態を表すのでしょう。

また、助詞も、ヲをとりますよね。

 

「窓ガ開けてある」「電気ガ消してある」のガをヲに替えたら間違いということになっている

ますが、本当に、そうでしょうか。

 

 

ぼんぼん言語? 投稿者:やっさん  投稿日:05月23日(火)15時49分43秒

 

Shujiさん、市民マラソンお疲れ様でした!「すごい!」の一言です。

参加するだけでもすごいですよ。私は昼休みのテニスも最近はさぼって

お誘いをお断りしています。(本当はテニスエルボーのようなんです)

前置きが長過ぎました。

おぼっちゃま言語は面白い表現ですね。(^_^;) しかしアイデンティティが

脅かされる危機をあまり感じる(というより逆に取り入れて遊んでいる)こと

もなく、何でも許容されていくのは外国人には信じられないでしょうね。

それにしても地理的な影響でしょうか?スペインはシビアなんですね。

 

今日も書き取りでカタカナ語を5つ出してノートに書き取らせましたが、単語の

意味はわかっても、表記となると苦労しているようでした。そんなことをしながら

ふと頭の中で「まだまだ外来語は増え続け、知らない言葉も増えるんだろうな〜」

などと考えておりました。

野元氏の研究論文「簡約日本語の反対意見」(神戸松陰女子学院大学大学院?蔵)の

件ですが、私も読んでみたいです。自分でも調べてみますが、もしどなたかこれを

読んでいらっしゃったら、情報を教えていただけませんか?よろしくです。

 

 

おぼっちゃま言語? 投稿者:Shuji  投稿日:05月22日(月)19時54分19秒

 

やっさん、お互いにいい年齢の重ね方をしたいですね。私もバルセロナの

市民マラソンに参加したりして(昨日でした)心身の衰えに抵抗していま

す。(^_^;)

正字法の確立にはやはり、言語を巡る環境も影響しているのではないでし

ょうか。スペイン語などを見るときちんとした正字法がなければ、類似の

言語(イタリア語、ポルトガル語、フランス語、更にはカタルーニャ語な

ど)との区別が曖昧になり自分たちのアイデンティティが脅かされるとい

う厳しい環境があるのです。その点日本語は未だにその系統すら明らかに

されているとは言えず、他の言語と混同したり他の言語に取って代わられ

るという危機感が無い、広く世界を見渡しても非常に特殊な環境にある言

語という感じがします。国際社会では日本人自身がよく言われるように、

日本語も苦労知らずの「おぼっちゃま」言語かもしれませんね。

ところで野元菊男氏の「簡約日本語」ですが、私も興味を持って調べよう

としたことがあるのですが、海外に居る身でままなりません。野元氏の研

究論文「簡約日本語の反対意見」(神戸松陰女子学院大学大学院?蔵)を

帰日の際、国立国会図書館で探したのですが「ここには無い」とのことで

した。まずはこの論文を読んでみたいのですが、何か方法があるでしょう

か?Shuji

 

 

「知る」を知るのは難しそう\(^o^)/ 投稿者:やっさん  投稿日:05月21日(日)22時00分26秒

 

 Shujiさんへ面白い書き込みありがとうございます。確かに「知る」は新明解でも

他動詞五段となっているのに「〜てある」ができませんね。本当に本が一冊書けそう

ですね。(^o^)「知る」「わかる」についての論文やレポートはけっこうあるように

思うのですが、本は知りません。(^^)。それとスペイン語でも子供達が不規則な

活用を間違えるんですね。何処も同じですね。きっと親に間違える度に訂正されるん

でしょうね。なんか微笑ましくて情景が浮かびます。

「正字法」についてですが、確かに日本語は甘いと言うかけっこういいかげんな

ところがあるような気がします。私は韓国語が専門だったので、韓国語のことしか

わかりませんが、どこの国でもけっこう自分の国の言葉には誇りを持っていて

、しかも言葉の乱れや外来語には神経を使っている面があるように思うんです。

ところでShujiさんは以前、国研の野元先生が提唱なされた「簡約日本語」については

どう思われますか?テレビのニュースなどでも話題になったことがありましたが、

私は「面白いなあ」と思いました。もしこの仕事をしていなかったら別に何とも

思わなかったと思いますが、現場で教えていると、「なんでこんなに日本語は、、」

と思う事がありますから。ユニークな発想ができることは素晴らしいと思います。

先日、誕生日を迎え、かたくなりつつある頭をもっと自由な発想ができるように

せねばと思いました。

 

 

言葉への畏れ? 投稿者:Shuji  投稿日:05月20日(土)18時16分57秒

 

「知っていない」の問題を考える過程で「知る」はかなり個性的な動詞だ

という印象を受けました。例えば「〜なくなる」の形ができないこと

(×私はこれを知らなくなりました)や、他動詞なのに「〜てある」と言

えないこと(×私はすでにこれが知ってあります)などです。「知る」だ

けで本が書けるかも?時間のある方は挑戦してみて下さい。

ところで、やっさんの話で思い出したのですが、スペインの子供も不規則

動詞などの使い方を間違えて親に注意されているのを見かけることがあり

ます。日本語に比べてスペイン語の活用の種類は段違いに多いし、不規則

動詞もかなりの数があります。ただ日本人は「言霊」信仰に見られるよう

に「言葉を触る」ことに伝統的に一種の畏れを抱き、なかなか権威のある

「正字法」ができにくいのかもしれませんね(スペインでは「王立イスパ

ニア・アカデミア」の制定する「正字法」がかなりの権威を持っています)。

ですから日本の親は自分の語感になかなか自信が持てず、子供に注意する

どころか逆に「いいんじゃない?」と面白がる傾向がなきにしもあらずで

すね。日本人が外来語・珍語の多用になぜこれほどまでに抵抗感を持たな

いか、というのは、自分たちの言語にアイデンティティ(自己存在証明)

を強く求めるヨーロッパ人から観れば日本の不思議の一つなのです。Shuji

 

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テレビで 投稿者:やっさん  投稿日:05月20日(土)16時20分25秒

 

先日、テレビでタレントさんが幼稚園の子供達に「〜を知ってる?」聞いたら、子供達が

「ううん、知っていない!」と答えていました。「あれ?」と思いましたが、すぐに

書き込みを思い出し、やっぱり日本の子供たちも「知っている?」と聞かれたら反射的に

「知っていない」と答えるんだなあと思いました。外国人ならなおさら「どうして?」と

なるのもわかるような気がしました。第一言語習得の過程でもこういった間違いはあるのです

から第二、第三言語では起こっても不思議ではないですよね。何度も耳にして自分で修正して

いくのでしょうかね、、、

 

 

「知っていません」を知りたい 投稿者:やっさん  投稿日:05月16日(火)12時39分25秒

 

Oyanagiさん、Shujiさんありがとうございます。

通常、韓国の学生から「知る」と「わかる」の違いについての質問がくるのが

普通だと思うのですが、。今回は、そうではなくどうして「知りません」を使うのかと

いうので話がややこしくなりました。

Oyanagiさん、検索してくれてありがとうございます。やはり実際に使われている例があるん

ですね。私もなんか変な感じがするのですが

説明を読むとだんだん「なるほど、、言えそうだなー」という感じがしてきました。

でも私も使わないような気もします。(ちょっと自信がない、、(◎o◎;)ドキッ!)

 

・知っていますか?→いいえ、知りません

・持っていますか?→いいえ、持っていません (持ちません)

 

のように単純に文型だけを考えると学習者には「なんでやねん?」となるのでしょうか?

その意味でShujiさんの

   ところがその応答文は、≪それについて「情報を持つ」行為を「完了

していない」≫のですから当然その「結果の状態も存在しません」。

したがって「知っている」の否定文は「(知っている)+打消し(な

い)」の「知っていない」ではなく「(知る)+打消し(ない)」の

「知らない」となるのではないでしょうか。

 

上記の解説は私も同感です。あとは学習者にどのように伝えるかが大変そうです(^o^)

私は今年、一番進度がおそいクラスを担当しているので、こういった質問は来ないの

ですが、また進度の速いクラスに当たった時のために例文も考えておかなければならないかな〜

と思いました。φ(._.) メモメモ

いつもながらの素早い対応を感謝しております。(^^;ゞポリポリ...

 

 

「知っていません」は知りません 投稿者:Shuji  投稿日:05月16日(火)06時36分24秒

 

やっさん、面白い問題を出して頂き感謝しています(~_~;)。

「知る」(他動詞)の語の本質は「領(し)る」(占有する。すっか

り自分のものにする)で、そこから「その情報を持つ」「理解する」

「経験する」などの意味が出て来たようです。

また「知っ≪ている≫」は瞬間的行為「知る」の完了の結果が≪状態

として今も続いている≫ことを示しているのですから、@の質問文

「知っていますか」は≪それについて「情報を持つ」(あるいは「理

解する」「経験する」)行為をすでに完了し、その結果の状態が今も

続いていますか≫ということになります。

ところがその応答文は、≪それについて「情報を持つ」行為を「完了

していない」≫のですから当然その「結果の状態も存在しません」。

したがって「知っている」の否定文は「(知っている)+打消し(な

い)」の「知っていない」ではなく「(知る)+打消し(ない)」の

「知らない」となるのではないでしょうか。(「知っていない」とい

う言い方が存在するとすれば「知っていますか?」の丁寧な言い回し

のつもりで「知っていませんでしょうか?」と用いられる可能性が考

えられますがA少なくともOyanagiさんが引用された論からは「知ら

ない」との明確な違いがないという感じを受けます。)

「知る」(他動詞)と似た印象を持つ「分かる」(自動詞)と比較し

てみると「知る」が≪「知っていますか?」(×知りますか)―「知

りません」(?知っていません)≫のペアに対して、「分かる」は

≪「分かりますか?」―「分かりません」、「分かっていますか?」

―「分かっていません」≫、と両方の言い方があります。これは「分

かる」自体が状態性の動詞で「理解できる状態」を意味するからで、

「〜ています」を使った「分かっていますか?」(理解できるという

状態がすでに確認されていますか?)「分かっていません」(理解で

きないということがすでに確認されています)は「分かりますか?」

(いま現在、理解できますか?)「分かりません」(いま現在、理解

できません)と意味的に明確な区別があると見られます。Shuji

 

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「知っていない」を使う場合(参考書より) 投稿者:Oyanagi  投稿日:05月16日(火)02時59分52秒

 

下の書き込みで紹介した検定対策の本はバベルプレスの『日本語教育能力検定試験傾向と

対策Vol.1』で、そのp.200に「知りません」と「知っていません」の意味的な違いが、

『新日本語文法研究』(久野/大修館書店)からの引用として載っていました。

孫引きで恐縮ですが、参考になればと思い、要点を抜粋しておきます。

1)「知らない」は静的状態に着目した表現で、「知っていない」は動作、完了性に着目

   した表現

2)「知っていない」は間もなく「知っている」という状態になるだろうという示唆が

   含まれる、よって「知っていない」は非恒常的(一時的)状態を表わす。

3)「知っていない」を用いるには具体的・客観的な証拠がなければならない。例えば、

   『花子はアメリカ大統領の名前を一人も知っていない』は誰かが花子をテストして

   始めていえることである。

ということらしいのですが、個人的には1〜3の場合でも全部「知らない」で間に合うの

ではないかと思うのですが、強いてそれらの意味を強調したときには「知っていません」を

使うのでしょうか? ただ、3)についてはそんな点も確かにあるかなあ、というところ

です。

どうして「知っていない」と言わないかという、やっさんへの回答にはなりませんでした

が、「〜ている」があって「〜ていない」を普通は使わないという現象自体、本当に

「知る」って不思議な単語だなと思います。

 

 

「知っていません」を使っていませんか? 投稿者:Oyanagi  投稿日:05月16日(火)02時29分46秒

 

皆さん、お久しぶりです。夜更かししながらちょっと立ちよってみたら、気になる話題が

あったので書き込みをしてみました。

「知っていません」という表現は私自身は使ったことはない(と思う)のですが、検定試験

の参考書にこれが使われる場合についての記述があって、「へえ、使うこともあるのかな」

と不思議に思っていました。それで、今回インターネットのG00(グー)で

『知っていません』で検索したら、なんと186件もヒットしてびっくりしました。

重複ページがあるので実数はもっと少ないと思うのですが、その中のいくつかを調べて

見ると、掲示板への書き込みの内容(つまり、話し言葉的なもの)も多かったのですが、

レポートのもの(書き言葉的)なものもあり、年齢も若者らしきものからかなり年が

上の人らしきものまであるようです。使われ方は「知っていませんか」という疑問文の

ものが多いような気がしました。中には同じ文章ので「知りません」と「知っていません」

の二つが登場するものもありました。ということで、日本語教育の現場では(初級では)

間違いとされている「知っていません」という表現は実際には結構使われているのでは

ないかという印象を受けました。これって『言葉のゆれ』の一つでしょうか?

 

 

いいえ、知っていません。 投稿者:やっさん  投稿日:05月15日(月)08時13分37秒

 

素朴な質問で、申し訳ありませんが、御意見をお願いします。

「知っていますか?」「いいえ、知りません。」

の「知りません」はどうして「知っていません」はダメですか?

という質問が学習者からありました。

指導書などにも通常「知っていますか」の場合は「知りません」と

指導するように出ているのですが、なぜかと質問されると、ちょっと

答えにくく、ちょっと御意見をうかがいたくて書き込みました。

以前、アスペクトについてか何かの本で読んだ記憶があるのですが

どこにあったか、思い出せず、皆さんのお知恵を拝借できればと、、、

 

 

思考の整理 投稿者:Lucia  投稿日:05月11日(木)17時42分40秒

 

独学の教材をと皆様にお願いを申し上げて、いろいろ情報をいただいて

いるうちに、独学そのものについて考える機会を与えていただきました。

  その前に教材を希望している方々についての説明が全く不足して

いたことについて、大変失礼をいたしました。 いつも思いとは

裏腹に十分な説明ができません。 反省をしているのですが、どうも

これは思考の整理自体が自分にできていないせいではないかと思って

います。  

  さて独学については今までお目にかかった方に共通することが

’とにかくノートに書きとめていく’ということです。 それから

ただ書きとめるのではなく、どのような状況の時にその言葉や

表現をつかうのかもなるべく正確に書きとめておくように

していらっしゃるのが印象的です。 方法論とともに日本語らしさ

という点については゜自分の個性を大切にしながら、自然な会話’

へともっていかれているのはなにかと思い、目下日本人特有の

会話表現は実はどこにあるのかと、電車や喫茶店などなどで

観察しています。 でも悲しいかな思考の整理ができないので

迷路に入ってしまった思いがしているこのごろです。

 

  思考が迷路に入ってしまったときは話す、書くというのが

大きな助けになりますので、こうして表現する場があることを

あらためて感謝しております。

(第15巻 2000.5月29日〜6月16日)「〜てならない」「〜てたまらない」の話題や「おさげしてもよろしかったでしょうか。」
「好きだ!」告白みたい、、、(^。^)  投稿者:やっさん  投稿日:06月16日(金)11時51分26秒

 Oyanagiさん、名古屋人さん、ありがとうございました。

私自身は変だなと思っても、実際によく使われていたら、なんとも言えないですね。(^_^;)

以前、Shujiさんがおっしゃっていたように日本語も厳しいルールがあって、「これは

認められる、認められない」がはっきりしていれば、学習者から質問があっても、

ビシッと回答できるような気がするんですがね、、、(^o^)

 

hiroさんへ

御意見ありがとうございます。私だけ違和感を持っているのではないとわかり、一安心(^。^)

 

>その後の課に出てくる連体修飾に使う普通体を紹介するという

>目的が優先しているのではないでしょうか。

 

私も同意見です。先々に普通形を使った文型がたくさん出てくるのですから、それらに

備える意味もあるんだろうな〜とは思っていたのですが、授業中、自由QAとして

やっている時に、型通り「すきだ!」と答えられるとちょっと違和感があったので

書き込みました。本当に御意見ありがとうございます。

 

ことのはじまりは自由QAの中に「〜先生(職場の若い女の先生)が好き?」というのを入れた

ことです。ちょっと現実の会話っぽくしたかったのですが、この質問にあたった男の学生が

普通体の練習として「うん、好きだ!」と答え、みんなに「ヒューヒュー!」と言われたんです。

赤くなりながらも「しかし、愛はない!」と答えたので、言いたいことは分かるけど、、。

そこでふと思ったのが、「だ」は強すぎるかなということなんです。(^^)

 

 

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情報ありがとうございます 投稿者:Oyanagi  投稿日:06月15日(木)21時33分06秒

Shujiさん、そして名古屋人さん、「〜かったでしょうか」について、情報ありがとう

ございます。

私のほうでも元の職場の教師に頼んで情報を集めています。そのうちの一人から

「お下げしてもよろしかったでしょうか」は言わない、と断言されました。

ところで、私は現在東京に住んでいますが、大学の時代を含めて5年間ほど

名古屋にいました。

「〜かったでしょうか」に違和感をさほど感じなかったのはそのせいかな?

などと名古屋人さんからの書き込みを読んで納得したりしています。

他の地方の方、ぜひ情報をお願いします。お待ちしています。

 

http://www3.tky.3web.ne.jp/~oyanagi/index.html

 

 

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「ご注文よろしかったでしょうか。」 投稿者:名古屋人  投稿日:06月15日(木)20時21分12秒

名古屋では、注文を取るときでも、「ご注文よろしかったでしょうか。」と聞かれます。

全然違和感がなかったのですが、東京から来た、同僚が、「何で、名古屋では

過去形で注文とるの。」といったので、「へえ、東京は違うの。」と初めて知りました。

飲食店では、丁寧だと思って使っていると思います。2年ほど前、北海道へ行ったとき

レストランでで同じ表現を耳にしたことがあります。その時私は、「名古屋出身の方

なのかな」と思った記憶があります。

 

 

 

 

------------------------------------------------------------------------

な形容詞の「だ」 投稿者:hiro  投稿日:06月15日(木)19時55分01秒

私もあの新基礎の記述には違和感を覚えます。

答えるときにも「だ」は言わないことが多いと思います。

あの課は、日本人のくだけた会話を修得させるという目的より、

その後の課に出てくる連体修飾に使う普通体を紹介するという

目的が優先しているのではないでしょうか。

 

 

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「な形容詞」普通体疑問形の答えの「だ」(長いタイトル、、) 投稿者:やっさん  投稿日:06月15日(木)15時16分50秒

「しんきそ」20課で「普通体」が出てきますが、ちょっと気になることが

あるので書き込みます。

各品詞ごとに説明を行い、普通体の練習をして、その後、普通体の疑問文を

提出する時、「な形容詞」は「だ」をつけないと説明するんですが、

 

例)あしたひま? あの人はしんせつ? 家族は元気?

 

一通り出して練習した後、自由QAをたくさんしました。その時に

 

 Q あしたひま?→ うん、ひまだ。OR ううん、ひまじゃない。など、、

 Q 国の家族は元気?→うん、元気だ。OR ううん、元気じゃない。

 Q A先生は親切?→うん、親切だ。OR ううん、あまり親切じゃない。

 Q 〜さんの恋人はきれい?→うん、きれいだ。OR ううん、きれいじゃない。

 Q クラスのA先生がすき?→うん、すきだ。OR ううん、あまりすきじゃない。

 Q 〜さんはテニスがじょうず?→うん、じょうずだ。OR ううん、じょうずじゃない。

というQAをしたのですが、「な形容詞」の場合、疑問文では「だ」は

いらないと説明しますが、答える時には原則通り学習者は「だ」をつけて

答えます。否定や過去の文だとあまり問題になるとは思わないのですが、

肯定の現在だと「だ」が強すぎるような気がするんです。「断定」の「だ」

という感じで、、、むしろ日本人の自然な会話では「な形容詞」でも答える

時には「だ」を省いて

 

 Q あしたひま?→ うん、ひま。

 Q 国の家族は元気?→うん、元気。

 

のように答えているのではないでしょうか?特に若い人は、、、

それとも私が関西弁話者なので違和感を感じているのでしょうか?

関西弁では「だ」が「や」になるので、

 Q あしたひま?→ うん、ひま。OR うん、ひまや。

のように使っているんですが、、、

 

ちょっと御意見を聞かせて下さい。

 

 

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(無題) 投稿者:ベル  投稿日:06月14日(水)14時08分27秒

「〜てならない」についてたくさんご意見を頂き、有り難うございました。

つい耳慣れないから変だと思ってしまったんですね。やっさんがおっしゃるように

「〜てならない」を使うとかなり強調された文になると思うので、ある状況を考えれば

使えるという場合がありますね。みなさんの書かれたいろいろな例文、考え方を読んで、

とても勉強になりました。これからも宜しくお願いします。

 

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おばんでした 投稿者:Shuji  投稿日:06月12日(月)23時30分46秒

やっさん、Oyanagiさん、しばらく(?)です(でし「た」)ね。

他のところでも書いた記憶があるのですが、私の故郷の札幌では「おば

んでした(今晩は)」をよく聞きましたし、ときには「おはようござい

ました」と言う人さえいて、「た」を多用する傾向があります。私はこ

の「た」は「動作・存在の確認」と理解しています。ここでは、お互い

に心から挨拶していることの確認をしているわけです(ただし「ありが

とうございました」は完了の意味が柱になっていると考えられます)。

さて、問題提起されている「御注文の品はこれでよろしかったでしょう

か。」や「おさげしてもよろしかったでしょうか。」の「た」について

も、私は上記の「た」と類似の「確認の気持ち」を強める使い方ではな

いかと考えています。つまり「わかった!」「あった、あった!」「も

う勝負はついたな」の「発見・確認」の「た」の「確認」と見ています。

以下、具体的にOyanagiさんの質問に答えます。

1) この表現を聞いたことがありますか?

:上記のように札幌の土地柄でしょうか、よく耳にしました。

2) この表現を聞いて<丁寧>だという印象を持ちますか?

:「た」を使った表現が直接的に「丁寧」に結びつくという説があるの

しょうか、「ありがとうございました」の表現についても「ありがとう

ございます」より「丁寧である」と説明する日本語教師がいますが、私

はこの説明には首を傾げます。≪(明日の私のパーティに出席して下さ

るそうで)ありがとうござい「◯ます」「?ました」≫と未来文を作れ

ば、「ありがとうございました」の「た」は仮に現在の相手の言動に対

して使われているとしても「完了」の意味が柱になっていると解釈した

ほうが自然です。

3)他にどんな印象を持たれますか?

:この投稿の最初に述べたような印象を持っています。

以上、授業の合間に書き込んだものですから充分な答えになっていない

かもしれませんが。Shuji

 

http://shibuya.cool.ne.jp/brn/

 

 

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レストランのマニュアルについて 投稿者:Oyanagi  投稿日:06月12日(月)23時24分31秒

実は何を隠そう、私自身副業として某大手ファミレスチェーン店の二つで働いていたことが

あります。

(民間の日本語学校の収入ではなかなか・・・などとぼやくつもりはありませんが。(;_;)

その時の経験ではマニュアルはしっかりと正しいとされる日本語だったように

記憶しています。

もちろん全てではありませんが、「〜からお預かりします」「〜よろしかったでしょうか」

についてだけ言えば、そうではなかったように思います。

 

先の書き込みで自分のHPのアドレスを入れ忘れたので今回入れときます。

今回の更新で新しいコーナーも作ったのでぜひお立ち寄りください。

私のギャグ好きな一面がうかがえます。(^_^)

 

http://www3.tky.3web.ne.jp/~oyanagi/index.html

 

 

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変な質問でごめんなさい 投稿者:やっさん  投稿日:06月12日(月)21時50分07秒

Oyanagiさん、御返事どうもありがとうございます。

実はこの質問は職場の女の子がこのように言うというものだから、「じゃ、ちょっと

きいてみようか?」ということで御意見をうかがったしだいです。実際に私も耳にした

ことがないので何とも返事のしようがありません。レストランなどで最近変な日本語が

飛び交っているような気もするんですが、私は食べる方に専念するたちなので、なんとも

言えないですね(^o^)

 

以前Oyanagiさんが分析していた「1000円からお預かりします」も個人的には好きじゃないです。

「何か変だな?」とレジでいつも思っているのは私だけでしょうか?丁寧な表現のつもりなのかな

とも思いますが、上のレストランの会話じゃないけど、きっとマニュアルのようなものが用意されていて

バイトの若い人たちはそのように指導されているのかも知れませんね。

 

(なんかあとで「丁寧表現でしょうが!」と批判が来ないか心配です、、、、)

 

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皆さんの考えをお聞かせください 投稿者:Oyanagi  投稿日:06月12日(月)19時47分17秒

先日やっさんから直接いただいた質問についてですが、ほかの方のご意見をぜひ

お聞きしたかったのでこの掲示板に紹介することにしました。

やっさんへ、

いただいた質問を勝手にこちらの掲示板に紹介してしまってごめんなさい(^_^;

 

レストランで注文して、注文した品が全部揃った段階で

「御注文の品はこれでよろしかったでしょうか。」と確認するが、

本来は「よろしいでしょうか。」が正しいのでは?ということ。

同じくレストランで食べ終わったお皿を下げようとするとき、

「おさげしてもよろしいでしょうか。」というのを最近は

「おさげしてもよろしかったでしょうか。」と聞く人が増えているようだということ。

 

問題は二つの文にみられる「〜た」の使用です。通常は「よろしいでしょうか」と

「〜い」の形で使われていると思われますが、このような表現が広まっているのかどうか、

という疑問です。ぜひみなさんの意見を伺いたいと思います。

 

1)この表現を聞いたことがありますか?

2)この表現を聞いて<丁寧>だという印象を持ちますか?

3)他にどんな印象を持たれますか?

 

一週間ほどかけて私なりに考えてまとめたものを私のHPにアップしましたが、なにしろ、

この表現自体を私は聞いたことがないので分析と言っても<超>仮説みたいなものです。

結構分量がありますが、興味があったらご訪問ください。

ちなみに私は<モダリティの「た」>の用法がくさいなとにらんで分析を始めましたが、

以前から気になっていた日本語の談話構造にも触れています。

しかし、かなり突飛な発想なのでさらっと読んでください。

やっさんへ、返事が遅くなってしまってすみませんでした。

 

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「腹が立つ」 投稿者:yukari  投稿日:06月07日(水)20時49分21秒

「腹が立つ」はなぜ使えるのか、「怒る」とどう違うのか考えていて、私も

>脳味噌がパニクっています。

ので、もう終わりにしようと思ったのですが(笑)、Oyanagiさんの書き込

みを見て、またまた書きたくなってしまいました。

 

「腹が立つ」は「怒る」とは違って動詞だけでは使えず、慣用表現として自

分の自発的な気持ちだけを表す表現ではないかと思いました。

「気がしてならない」「気になってならない」などもこの類に入ると思いま

す。

 

ただ「むかついてならない」は、使えるような気がします。

(下品な言葉で失礼します。「むかつく」は、息子の口癖なもので(^^;)

すると、一つの動詞でも、自分の気持ちだけを表す形容詞に近い性質を持っ

た動詞があるのでしょうか。

 

生理的感覚を表す言葉については、ますます脳味噌がパニックになるので、

とりあえず考えるのをやめました。

 

 

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難しくてならない? 投稿者:やっさん  投稿日:06月07日(水)12時08分05秒

ベルさんの書き込みから始まった「〜てならない」ですが、

形容詞にしぼって考えると、客観的な性質、状態を表す物は除いて

「主観的な感情、感覚を表す形容詞」だけに目を向けると

 

・この本のこの部分が私にはおもしろくてならない

・いいところで負けてしまい、ざんねんでならない

・愛する人を失い、悲しくてならない

・あんなに欲しかったAが手に入り、嬉しくてならない

・一人で部屋にいると寂しくてならない

・3日も徹夜なので、眠くてならない

・あんなナンセンスなことを言って、おかしくてならない

・おじいさんは孫がかわいくてならないようだ

・みんなの前でチャックがあいていたんだ。もう恥ずかしくてならないよ

・この雰囲気が僕にはいやでならないんだ

 

などとちょっと思い付くまま例文を考えてみたんですが、書いている途中で

「〜てならない」という表現はかなり強調されるような気がしたので、

「弱い文?」には使いにくいような気がしました。ですから、「嬉しくてならない」も

本当に嬉しい気持ちを強く表現するには「〜てならない」が使えるんじゃないでしょうか?

 

動詞に関しては、まだなんとも言えませんので、もうちょっと考えます。

 

 

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「腹が立つ」と「疲れる」は別格なの? 投稿者:Oyanagi  投稿日:06月07日(水)01時02分48秒

「てならない」をめぐる皆さんの書き込みを読ませていただいて、つくづく単語の意味特徴

をつかむ難しさを痛感しております。

皆さんの中には「てならない」について『日本語表現文型』(アルク)を参照された方も

多いと思いますが、その中で<心情・状態を表わす語句を受ける場合>の<状態>の例と

して『疲れる』『腹が立つ』の二つの動詞(句)が挙げられています。

これを読んで、「どうしてこの二つしか挙げてくれないんだ。ほかにあるのかないのか

知りたいのに!!」と叫んだのは私一人ではないと思います。Yukariさんをはじめ他の方

が感じているように、感情を表わす動詞は「てならない」となかなかいっしょに使えない

ようですが、どうしてこの二つは使えるの?という疑問はいまだ残ります。

<自発>の概念は日本人にはピンとくるものがありますが、外国人学習者にとっては

そう簡単なものではないのでしょうね。

ところで、同書では<自発を表わす語句を受ける場合>として「〜てくる」が挙げられて

いるのが気になりました。Yukariさんが<生理的なものを表わす「動詞」>の例として

挙げられて、Shujiさんが懐疑的に思われた「涙が出てならない」という文も「〜てくる」

を入れて<自然発生>のニュアンスを強くすればOKでしょうか?

「涙が出てきてならなかった」。ちなみに同書では「涙が出てきてしょうがなかった」と

いう例文が載っています。う〜ん、どうして「てならない」の例文じゃないんだ!

さらに、蛇足ですが、英語との比較をしたいときに私がよく参考にする

『英語表現辞典』(朝日出版社)には「寒くてならない」なんて文が載ってたりします。

「寒い」が使えるなら「暑くてならない」もOKなのかなと思ったりもするのですが・・・

Yukariさんが<生理的感覚>の形容詞の例を挙げられて、その自然さを問われていましたが

<感情>ではなくて<感覚>となると本当に自分の語感というのが機能しなくなって

しまうようで、いったい「言えるけど言わない」のか「言えないから言わない」のか

どっちんなんだ!と脳味噌がパニクっています。これ以上書くと愚痴ばかりになりそう

なのでこのへんで失礼します。

 

 

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「まとめ」になっているでしょうか? 投稿者:yukari  投稿日:06月06日(火)17時32分02秒

「うれしい」と「喜ぶ」の違いを学習者に聞かれて、うまく説明できな

かったことがあります。hiroさんやshujiさんの投稿を読んで、うれし

い、かなしい、などの感情を表す「い形容詞」は、「自分の気持ちの状

態を表す言葉」、喜ぶ、悲しむ、怒る、などの動詞は、「気持ちを外側

から見て説明するもので、人の気持ちを外側から観察して言うこともで

きる」と、理解しました。

 

「〜てならない」は気持ちを内面的に述べる表現ですから、喜ぶ、怒る、

などとは一緒に使えないのでしょう。御意見、ありがとうございました。

 

 

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複雑にしてしまいました 投稿者:Shuji  投稿日:06月06日(火)03時32分52秒

Yukariさん、問題を複雑にしてしまったようで申し訳ないです。

>「自分の意志に関わりなく自然にそうなる」性質を持っているという

説明だけだと、「悲しむ」「喜ぶ」などが使えない理由としては、学生

がなかなか納得しないと思います。>

という感想、もっともだと思います。「〜てならない」の「〜」に来る

「動詞」についてもう少し説明を加えてみます。

「@話し手自身の意志に関わりなく自然にそうなり(飽くまでも、その

感情を引き起こす原因があって、という前提で)、Aしかも、その感情

・欲求・考えの表出まで至らない」性質の動詞、とすればどうでしょうか。

@ に当てはまらない例として:

「怒る」「悲しむ」「喜ぶ」などの動詞は、「腹立たしい」「悲しい」

「嬉しい」などの感情の形容詞とは違って、話し手自身の感情そのもの

を表すというよりも、話し手が感情いについての質問がくるのが

普通だと思うのですが、主の感情を対象化して客観的に「説

明」する形になる。(hiroさんが触れた「三人称」の問題はこの点を言

ったのではないでしょうか)

例:「彼が悲しむのも無理はない」、また「私は彼の死を悲しむ」の場

合でも自身の感情を説明している。

A に当てはまらない例として:

「怒る」「悲しむ」「喜ぶ」などの動詞は、「腹立たしい」「悲しい」

「嬉しい」などの感情の形容詞とは違って、その感情を表出する場合も

使える。例:「彼はとうとう怒ってしまった」「彼女が悲しむのを見て

いられない」「彼は満面に喜びを表した」

次に、

>生理的な感覚を表す「い形容詞」 ねむくてならない いたくてならない

 かゆくてならない は使うでしょうか。>

について述べておきます。

「ねむい」「いたい」「かゆい」などの感覚の形容詞は「〜ならない」の

意(〜をこらえきれない。〜を禁じ得ない。)に沿うので私としては使え

ると判断します。

最後に「言葉の揺れ」に対する姿勢は人それぞれでいいと思いますが、日

本語教師としてはどうあった方がいいのかも話し合う価値はありそうです

ね。Shuji

 

 

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再び「〜てならない」 投稿者:yukari  投稿日:06月05日(月)22時48分04秒

感情を表す動詞は、「〜てならない」と一緒に使えるものが、あまり多く

なさそうですね。

>「自分の意志に関わりなく自然にそうなる」性質を持っている

という説明だけだと、「悲しむ」「喜ぶ」などが使えない理由としては、

学生がなかなか納得しないと思います。

 

ところで、生理的な感覚を表す「い形容詞」

 ねむくてならない

 いたくてならない

 かゆくてならない

は使うでしょうか。

 

また、これを文語的にして

 ねむくてならぬ

 いたくてならぬ

 かゆくてならぬ

ではどうでしょうか。

 

「〜てたまらない」「〜てしょうがない」との混用があって、本来使わな

いものも自然に聞こえてしまう、ということもあるかもしれないので、自

然に聞こえるかどうかは、文法的に正しいかどうかとは別だと思います。

 

でも、もし「使う」と感じる人が多ければ、学生に「間違い」とは言えま

せん。自分の語感だけではその辺がきっぱり言い切れる自信がありません。

 

 

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〜てならない 投稿者:hiro  投稿日:06月05日(月)21時00分24秒

「〜てならない」は感情を表す形容詞につく、とありましたが、三人称にそのまま使えない言葉、とは言い換えられませんか。

主格が三人称の場合、悲しい、ほしい、嬉しい、などは、話し手が心理的に一体感を持っている時以外は普通、「〜ようだ」

「〜がっている」などをつけますよね。

 

感情を表す動詞でも、悲しむ、欲する、喜ぶ、となると、「〜てならない」にはできないと思います。これらは、

「田中さんは悲しんでいる」etc...と言えます。

 

「涙がでてならない」と「足がしびれてならない」には私の語感では違和感があります。

しかし、「疲れてならない」はO.K.で、私にも説明がつきません。

 

 

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てならない・てたまらない・てしょうがない 投稿者:Shuji  投稿日:06月04日(日)19時40分14秒

ベルさんの学生が示した文≪私は日本語の新聞が読めて、うれしく「て

ならない」≫は作文の表現としてはこれでいいのだと思います。話し言

葉としてはyukariさんが指摘されたように「てしょうがない」「てたま

らない」のほうを多く耳にするので違和感を持ったのでしょう。ただし

多少ニュアンスの違いはありそうです。例:≪暑く「◯てたまらない」

(×てならない)≫≪そう思え「◯てならない」(×てたまらない)≫

さて、yukariさん提示の≪怒っ「てならない」≫について考えてみます。

「〜をこらえきれない」「〜を禁じ得ない」の意味での「〜てならない」

の前にはふつう「自発の意味の動詞、自発の助動詞、感情を表す形容詞」

が来ますが、「怒る」は「そんなことを言ったら怒るよ」と言えるよう

に意志的な動詞でもあるようです。「怒りがこみあげてくる」という表

現があるように「怒る」それ自体だけでは「自発の意味の動詞」には入

れられない要素がありそうです。≪「怒りがこみあげてきて」ならない≫

≪「腹が立って」ならない≫≪「しゃくにさわって」ならない≫の動詞

の表現はいずれも「自分の意志に関わりなく自然にそうなる」性質を持

っています。

この「てならない」の前に置ける動詞は「自然にわきあがってくる自分

の感情・欲求・考え」という意味を持っているかどうかがポイントのよ

うな気がします。意志動詞・無意志動詞の区分けだけでは解決できない

問題ですね。

ところで、問題をさらに複雑にするようで気が引けるのですが、yukari

さんが挙げていた「生理的なものを表す動詞」(例:涙が出てならない。

疲れてならない。足がしびれてならない)には私はちょっと懐疑的です。

他の例を考えても「血が出てならない。おできができてならない。熱が

出てならない。」は「〜てならない」の表現ではなく「〜てしょうがな

い」(ほどこすべき手が無い)の表現ではないか、という印象を持ちま

した。Shuji

 

 

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〜てならない 投稿者:yukari  投稿日:06月04日(日)13時41分34秒

私も学生の誤用文を訂正するのに悩まされました。

「〜てならない」はどちらかと言えば書き言葉的な表現なので、「うれ

しくてならない」については、類似表現の「うれしくてたまらない」

「うれしくてしょうがない」の方が耳に慣れていて、それでベルさんが

違和感を感じられたのだと思います。

 

私の学生は

 ×映画を見て、感動してならなかった。

 ×その話を聞いて、怒ってならない。

と言う文を作ってきました。

 

「〜てならない」は、おっしゃるとおり、感情や感覚、欲求が自分でコン

トロールできない状態で、

 1自発 例:思い出されてならない 惜しまれてならない

 2感情を表す「い形容詞」、「欲しい」、動詞の「たい形」 

     例:悲しくてならない 欲しくてならない 言いたくてならない

 3感情を表す「な形容詞」

     例:残念でならない 不思議でならない

 4感情や生理的なものを表す「動詞」 

     例:腹が立ってならない 涙が出てならない 疲れてならない

       足がしびれてならない

 

というような説明をしたのですが、上記の学生の誤用はいずれの説明にも

あてはまってしまいます。

動詞の性質に注目して、自動詞、他動詞で考えて見ると、意味的にも自動

詞が使われるのではないかと思うのですが、

   ○腹が立ってならない

   ×怒ってならない

では、両方とも自動詞です。

意志動詞、無意志動詞という分け方があてはまるのかとも思いましたが、

「怒ってならない」がだめな理由として、学生にわかりやすく説明するに

はどうしたらよいのかわかりません。

今も私が抱えている宿題の一つです。

 

http://www2u.biglobe.ne.jp/~y-japan/

 

 

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はじめまして 投稿者:ベル  投稿日:06月03日(土)21時10分34秒

はじめまして。私は日本語のプライベイトレッスンをしている者です。

このページの情報は、一人で四苦八苦しながら教えている私にとって、とても参考になります。

今日は、先日生徒が書いた作文で疑問点があったので、お聞きしたいと思います。

「〜てならない」を使った文で、「私は日本語の新聞が読めて、うれしくてならない」となっていました。参考書を見ると、「〜てならない」は、感情や感覚、欲求が自分でコントロールできない状態とありますから、「うれしくてならない」と書いてもいい様に思いますが、誤文とも感じます。初歩的な質問で申し訳ありませんが、アドバイスをお願いします。

 

 

 

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感謝の言葉 投稿者:Oyanagi  投稿日:06月01日(木)07時28分53秒

やっさん、Shujiさん、そしてたぶん他にも数名、私のHPを訪問してくださってありがとう

ございます。

実は、こちらの掲示板とアルクの掲示板の二つの文法についての質問について私なりに

まとめたものが約1年分くらいあるのですが、過去のものをアップするかどうかは検討中

です。

今後は、やっさんの書き込みにあったように、サイト同士がただリンクされているだけ

なく、この文法項目はこのサイトの掲示板でいつ扱われたかなんていう情報を提供したい

なと思っています。アルクさんの掲示板の書き込みは数千にも及びますが、過去の貴重な

情報が埋もれてしまっているようで残念です。例えば、今回の例で言えば、私だけでなく

他の人にとっても、Shujiさんのサイトに過去「たい」を扱ったものがあるということが

わかれば、とても有益だと思うのです。

できれば、夏くらいまでには『日本語相談情報リンク集』として、HPに載せたいと考えて

います。でも、あくまで希望ですけどね。(^o^)

それから、Shujiさんへ、この掲示板に限らずShujiさんの書き込みにはいつも私にとって

勉強させられることが多いです。それは、同じ文法点でも異なる視点で考察されている

からだと思います。実は、Shujiさんの書き込みに刺激されて、「国文法」の知識や

「日本語史」をもっと勉強しなければと思い、参考書を買ったんですよ。(^_^;

そういう異なる視点をもつ人たちが、お互いの考えを尊重して意見を出し合える場という

ものを提供してくれているやっさんにも、またあらためて感謝したいと思います。

P.S「〜たい」の「が」と「を」については改めて書き込みをしたいと思います。

 

 

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訂正しました  やっさん 投稿者:やっさん  投稿日:05月31日(水)20時21分35秒

shujiさんへ

修正できなかったので、削除しました。すみません。

shujiさんのページへは↓をクリックしてください!

 

http://shibuya.cool.ne.jp/brn/

 

 

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(無題) 投稿者:Shuji  投稿日:05月31日(水)19時57分00秒

OyanagiさんのWebページを拝見しました。日本語の文法はいろいろな点で

「詰め」ができていない印象がありますからこのようなページは貴重です

ね。

ところでOyanagiさんのページで触れていた「たい」について考えてみたい

と思います。私は「たい」が「が」をとるのと「ある」が「が」をとるのと

は同等に扱えないのではないかと思っています。「たい」(たし)は鎌倉時

代から徐々に「まほし」の代わりに用いられるようになり、話し手の希望を

示す助動詞(例:私は彼「を」信じ「たい」)というのがこの語の本質で

「が〜たい」(例:私は水「が」飲み「たい」)は希望の形容詞「欲しい」

(例:私は水「が」「欲しい」)などに引かれた誤用が広まったものと私は

見ています。「たい」が第三者の希望をも表すから接尾語とする見方(大野

晋氏など)もありますが、これ(例:「彼」は行き「たい」)は話し手の第

三者への感情移入・視点の移動と捉えたほうが自然と感じます。

≪「が」+「本動詞ある」≫(例:物「が」「ある」)から≪「が」+

「補助動詞ある」≫(例:窓「が」開けて「ある」)への用法の移動と、

「が〜たい」の用法を同レベルで見ない方がいいのではないか、というのが

私の考えです。ご承知のように「が〜たい」は非常に限られた条件の下でし

か成立しません。間接目的語をとれば(例:私はこれ「○を」「×が」彼に

伝え「たい」)もう「が」は使えなくなります。

なお以前私の掲示板(「次のツリー」をクリックして2/3のページの#116と

#117)で「が〜たい」と「を〜たい」の問題を扱ったことがありますので覗

いてみて下さい。(やっさんへ:Oyanagiさんとやっさんと私のページの間で

多元中継的な意見交換も可能ですね。(^^))

 

http://shubuya.cool.ne.jp/brn/

 

 

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Oyanagiさん!おめでとう\(^◇^)/ 投稿者:やっさん  投稿日:05月31日(水)12時55分15秒

ホームページ開設おめでとうございます!

以前からOyanagiさんもホームページを開設したら、、と思っていました。

そんな話をする前に、もうできあがっちゃいましたね。(^_^;)早速、訪問しました。

「教師塾」で話題になっていることが、きれいにまとめてあるなーと感じました。

自説をみんなにも伝え、また興味を持った人にもじっくり読んでいただける

んじゃないかと思います。今晩にでもリンク集に追加しておきます。よろしくです。

URLは

http://www3.tky.3web.ne.jp/~oyanagi/index.html

です。アクセスしてみて、質問があったらメールしましょう!

 

 

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やっとHP開設しました 投稿者:Oyanagi  投稿日:05月31日(水)00時19分39秒

Shujiさん、スペイン語での再帰代名詞の情報ありがとうございます。

再帰性についてはもう少し勉強してみたいと思っています。

 

さて、前々から長い書き込みは掲示板には合わないと思っていたので、先週の日曜日に

意を決して自分のホームページを立ち上げました。こちらでまとまった内容をお読み

ください。将来は日本語教師にとって役に立つ情報窓口を目指しているのですが、今は

単に自分の考えを公開しただけのものです。(^_^;

 

Shujiさんが指摘された「服はきてある」の「ある」が『切れている』感じがするのはなぜか?について考えてみました。

わたしは<「着る」という動詞の特異性にその原因があると見ています。

やっさんの命名をお借りすれば、「身につける系動詞」の特異な振る舞いをもう少し

突っ込んで考えて見ました。-->「着る」の合わせ技、一本!

 

そして、Shujiさんが自動詞の「てある」使用例として挙げられた「寝てある」についても

考えてみました。

私は「てある」はあくまでも他動詞につくことを原則として、自動詞のそれは、自動詞の他動詞として捉える人間の認知の仕方であるという視点で「着てある」の特殊性を考えて見ました。-->「寝る」は天婦羅か?

 

やっさんへ

今後もこちらの掲示板が活発な議論の場として発展することを願っています。

今後ともよろしくお願いします。

 

http://www3.tky.3web.ne.jp/~oyanagi/index.html

 

 

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書き込みに2時間もかかった、、 投稿者:やっさん  投稿日:05月29日(月)21時59分14秒

みなさんの書き込みをじっくり読みながら、何か書こうとしたら2時間も過ぎてしまいました。

 

shujiさんへ

実は以前の書き込みの時に動詞の種類がクサイな〜と思いつつ、動詞のことには

触れずにいました。(正直、かっこわるい(-.-))もうちょっと確信を得てから書き込もうと思っていたら、

もう私の出る幕なし!(折角、ワープロでちょっと打ちかけて準備しはじめて、、、(;_;))

充分に寝「てある」と充分に寝「ている」の自動詞に「〜てある」が付く例も面白いですね。

学生に「自動詞はだめ?」と聞かれたら使えそうな例文ですね。「いやいや、自動詞でもね〜」

などとやってしまいそうです。「を」または「が」+他動詞+てある」の分析はまだ続きそうですね。

でも動詞の分類からしなければならないような気がします。うーー。でも「着てある」と「開けてある」

は私も同じ土俵で考えない方がいいように思いました。

 

Oyanagiさんへ

いつもながらの素早い「Goo検索」恐れ入ります。(^^) 実例を探すにはもってこいですね。

「Yahoo」はいつも使っていますが、Gooでより細かく検索されて、さすが「ロボット」

などと感心していました。(感心していないで、使えよ(^_^;)) (Yasooもよろしく!)

単なる他動詞と割り切ってしまうと、どつぼにはまってしまいそうですね。自動詞的な

性質も持ち合わせているという点で、先日の「知る」以来、勉強になりました。

それから「着てある」の例文のフォロー、謝謝!です。準備の意味では「てある」が使える

本当にいい例文だと思いました。それにしても「身につける系の動詞」はけっこう面白い

性格を持っているんですね。

 

hiroさんへ

  >「制服は着てある」ですが、「〜てある」を使うと、現在の状態のみならず、制服を着たときの

  >本人の意志、(目的意識)を強く感じます。

ですが、私もそう思います。次の動作に移る前に準備が整っているようなニュアンスを私も感じます。

面白い質問ありがとうございました。上のお二人の書き込みで私もいい勉強になりました。また、

一緒に考えてくださいね。

 

お読みになっている方へ

「〜ている」「〜てある」関係でもうちょっと付け足し、もしくは御意見ございましたら、遠慮なさらず

一緒に考えて、書き込んでくださいね。待ってます。

(第16巻 2000年6月17日〜6月30日)な形容詞の普通体の疑問形」についての話題
また考えて時間がすぎていく、、、 投稿者:やっさん  投稿日:06月30日(金)11時38分48秒

Oyanagiさんへ

御返事ありがとうございます。

 

>場面によっては「電気を入れる/が入る」という表現も、慣用的ではないけれども

>可能だと思います。

 

書き込んだあとからいろいろ辞書も調べたり、考えたりもしたのですが、場面に

依存すればやはり言えないことはないと思いました。

学生からの質問はおそらく「電気(たぶん蛍光灯のこと)を入れる」というのは

「電気(蛍光灯の)(スイッチ)を入れる」ことだと思うんです。会話の場面に依存して

省略したとも考えられるのかなあ〜などと書き込んでからちょっと考えていました。

御意見ありがとうございました。(^_^;)

 

きんちょさんへ

>「ファトゥー【花闘】」というのは「はなふだ」をさし、「コドリ」というのは、

>「はなふだ」をつかったゲームの なまえだと理解しています。

 

それは知りませんでした。(^o^;)教えてくださってありがとうございます。

「コドリ」も今度、学生に詳しくきいてみます(^。^)  (はまらないか心配です、、、)

 

>わたしたちが ふだんやっていることまでも自己否定しなきゃならなくなる

>んですが、究極のところでは、そういうことも ありうるのではないかと

>おもっています。

 

うーん、考えさせられますね。最近のテレビ番組に出てくる外国人を見ると流暢だなと

いう印象はあっても、細かい間違いがやはりありますよね。それを許容範囲だとは

思いたくはないんですが、意志がしっかり伝達できて誤解のないコミュニケーションが

取れれば、いちいち細かく指導するべきなのか考えてしまいます。授業として教室で

する場合にはビデオなどにディスカッションしているところを撮って、あとでみんなで

見ながらどういう言い方が適切か考えたりもできると思うんですが、男女差や地域差に

関してはなんとも、、(かなり弱気になってきました(;O;))。 教科書にあるものを原則

として教えてこういった使われ方も実際にはあるんだよ、、とやってしまいそうですね。

 

私が逆の立場である言葉を習っていたら、レベルが上がるにつれて実際に使われている

言葉を話せるようになりたいと思うんですけどね、、、

以前、Shujiさんと少し話して、切れてしまった話題ですが、「簡約日本語」のような

ものを外国人に教えて、レベルが上がるにつれ、自然なものに訂正していくというような

ことも考えられると思うんですが、どうなんでしょうね?

話題にはなっても、なんか回り道のような気もするんですが、、

 

Toshiさんへ

面白い言葉ありがとうございます。先日、漢字の時に「新品」出しましたよ!(アリャー)

それから職場に「阿部」さんがいます。確かにおじさんです(^_^;)、

社長が食べるのは「えび団子」ですか?(なんのこっちゃ、、)

中国語にもけっこう面白いのがあるんですね。きっと学習者は発音しながら笑っているん

でしょうね(^o^)、、でも覚えるきっかけに使っているかも知れませんね。ありがとうございました!

 

 

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よく「ワンパターン」ってのが話題になりましたけどねえ・・・ 投稿者:きんちょ  投稿日:06月30日(金)02時35分27秒

 

 Toshiさん、はじめまして。 ご指名なので おこたえしますが、

 

> Q:「好き?」A:「うん、好き」はどうでしょうか。

> 初級での普通体の練習でやるとして、許容範囲でしょうか。

 

 いいと おもいますよ。女性なら問題ないでしょうし、男性でも「すきだ」は ちょっと

リキはいりすぎな感じですからねえ。ありがちなモデルとしては、男/女で

  「すきだよ/すきよ」

  「すきだな/すきだわ」

なのかとは おもいますが、「すき!」が 一番単純で よいのでは。でも、ただでさえ、

いわゆる形容動詞につく「だ」は必要なときでも ぬけてしまいやすいのですから、これを

OKにすると、別のところで悪影響がでるかもしれませんね。

 

 ところで、……。これをいうと、はなしを根本から ひっくりかえしてしまうことに

なりますが、わたしは個人的には、こういう口語体の男女差とか、階層差というものと、

地域差としての方言のちがいとは、等質のものにすぎないと おもっています。男女で

ちがいがあって、それをおしえるのなら、「九州ではバイをつけるんだ」ということを

おしえるのも おなじことなのではないかと おもうんです。これをとことん つきつ

めてしまうと、「外国人には外国人の日本語があったっていいではないか」ということ

になって、わたしたちが ふだんやっていることまでも自己否定しなきゃならなくなる

んですが、究極のところでは、そういうことも ありうるのではないかと おもって

います。もちろん、その原理だけではダメな部分があるはずで、そのダメな部分を ど

のように かんがえていけばいいのか、……そういうところに わたしは問題意識を

もっていて、もってはいるんですが、ただ もっているだけで10年ちかくすごして

しまったような気がします。

 

 

 

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あぶない言葉、おかしな発音(台湾から) 投稿者:Toshi  投稿日:06月30日(金)01時51分35秒

 台湾からの報告です。 

 あぶない言葉というわけでもないですが、中国語と台湾語(ミン南語)話者にとって、

ちょっと「変」に聞こえる日本語の言葉を自分のクラスに来ている人達に聞いてみました。

 どれも微妙にアクセントなどが違うのですが、場合によっては、こう聞こえることも

あるという程度で…。

 

・「ダサい」

   台湾語で「大便を踏む」と聞こえる。「サイ」が「大便」です。

 

・「新品(しんぴん)」

   中国語の「性病(シン・ビン」に聞こえる。

 

・「欲しい」

   台湾語で「殺す!」と聞こえる。

 

・「社長」

   中国語で「えび団子(蝦球シャー・チョウ)」に聞こえないこともない…。

 

・日本人の姓の「阿部」「安部」等

   台湾語で「おじさん(父の兄)」に聞こえる。

 

 他の投稿にあったような危険度の高いものはありませんでした。また、何か発見したら

書きこみに来ます。

 

 それから、きんちょさんへ

>「暇?」「うん、暇」……きんちょ的には全然OKです。

 

 そうなんですか?! う〜ん、やっぱり地域差なんでしょうか…。

 くどいですが、自分の地元では、「うん、ひまバイ」もしくは、

「うん、ひまバッテン(暇だが、だからどうなんだ)」と相手の質問意図を問う形に

なるのが普通で、「うん、暇」で発言を終える形は自分にはどうしても不自然に聞こ

えてしまうんですよ。なんか、口ごもっているような感じで。

 それで、質問なんですが、Q:「好き?」A:「うん、好き」はどうでしょうか。

初級での普通体の練習でやるとして、許容範囲でしょうか。

 

 

 

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「ファトゥー【花闘】」について 投稿者:きんちょ  投稿日:06月29日(木)22時09分51秒

「ファトゥー【花闘】」というのは「はなふだ」をさし、「コドリ」というのは、「はなふだ」をつかったゲームの

 なまえだと理解しています。

 最近は「コドリ」よりも「GO STOP」というのを するひとが おおいらしいです。

 

 くわしくないので、よく わかりませんが、これらの原形は日本の「こいこい」ではないかと

おもわれます。以上、あやふなな知識ですが、ご参考まで。

 

http://akizuki.pr.co.kr/

 

 

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言えるんちゃうかな 投稿者:Oyanagi  投稿日:06月29日(木)19時07分00秒

このタイトルは大阪弁になってます?(^_^;

そもそも慣用表現として「スイッチを<入れる><切る>」がありますけど、

<入れる>と<切る>という動詞自体、普通は反対語とは見られませんよね。

だから、現象としては「電気を(電気製品)に<入れる>」「電気(の流れ)を<切る>」

ということだと思うんです。

そこで、また<認知>の話になりますけど、私たちは物事の目立つ部分に焦点をあてて

これを言語化することが多いですから、

たとえば、『そこの沸いているヤカンをとってくれ』みたいに、「ヤカンが沸く」はずは

ないけれど、中にお湯が入っているヤカンに焦点をあてて表現するというものです。

そうすると、電気製品を使える状態にすることについて言えば、『スイッチ』に焦点が

当てられるので、普通は「スイッチを入れる」となるのが、やっさんが説明に使った

こたつの状況では、

<電気がこたつに達してその結果こたつの中が明るくなっているかどうか>

に注意が向いているので、その際には焦点が『スイッチ』から、流れて来ている『電気』に

移っても不思議ではないと思います。

だから、場面によっては「電気を入れる/が入る」という表現も、慣用的ではないけれども

可能だと思います。

(ちなみに、『現代国語例解辞典』(小学館)の「電気」の項目にはいっしょに使う名詞の

例が表になって載っていいますが、その中には「入れる/入る」はないですね)

あと、他動詞よりも自動詞のほうがなんとなく使いやすいというのも、

『スイッチ』ではなく『電気』に焦点を当てるということは

<電気が流れてきている結果>に注目する場面だからだと思います。

 

 

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ちょっとすみません。 投稿者:やっさん  投稿日:06月29日(木)16時00分59秒

突然ですが、同僚から質問を受けました。

「スイッチをいれる」を提出したところ、学習者から「電気を入れる」はだめ

ですか?と質問が来ました。私は個人的には使えるような気がするんですが、

皆さん、だめですか?

 

例)

 ・(こたつに足を入れた人に向かって) 電気入ってへんで、、(自他がちがうけど)

 ・「はよ、電気入れてや。仕事できへんがな、、」

 

などなど、、いかがでしょうか?(ちょっと関西弁で聞き苦しいかも知れませんが、、)

御返事お待ちします。やっさん  

 

 

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難しいから面白いのかな? 投稿者:やっさん  投稿日:06月29日(木)12時48分59秒

きんちょさん、素早い御返事ありがとうございます。

なんか二人で韓国語講座開いているような感じになってしまいますね。(^^)

 

>「小鳥」は「コ+トリ」なんだから、連濁して「コドリ」になっても 

>おかしくないような気がしませんか?

 

本当ですね。韓国人に関しては語中の子音が濁音化して「コドリ」になりますよね。

実際に今朝、韓国人学生をつかまえて「花札」の「コトリ」を発音させたら、しっかり

濁って発音していました。ところで辞書には「コドリ」はないですね。私は現地でその

言葉を知ったのですが、辞書には「ファトゥー」(花の闘い?)しか載っていませんでした。

ハングルのつづりも確認して調べたのですが、なかったです。(私の辞書が悪いのかな?)

それにしても「セッキ」は本当に危ないですね。「成績」は「セーセッキ」に聞こえるん

ですね。(^◇^) では「成績に欠席が関係ある」と発音したら「小鳥に子犬が関係ある」

と聞こえるんでしょうね。(なんのことかわかりませんね(?_?))

「漱石」は直訳すると「牛の子供」ですかね?(^_^;)

冗談はさておいて、韓国人学習者の語中の濁りは真面目に考えなければなりませんね。

今朝も書き取りをしたのですが、語頭の濁音が濁らず、語中の清音が濁ってしまった

間違いが結構ありました。単語の綴りまで正確に記憶する学習者なら、聞き取って

ちゃんと書くのでしょうが、自分で聞き取って、口の中で小声で復唱して書く時に

濁ってしまうのかな、、とも思えます。また知恵があったら貸してくださいね。

 

Oyanagiさんへ

ホームページ充実してきましたね(^^)  みんなが検索して使えれば、本当に欲しい情報が

手に入り、素晴らしいことだと思います。応援しております\(^o^)/

 

>終助詞をうまく使ったインフォーマルな会話や「〜んです」をうまく使った会話などは

>実際に日本人とのコミュニケーションを積み重ねる中で自然と習得していくものなのかな

>と思ったことがあります。

 

私もそうなのかなと思っています。ただ学習者が外で自然なものを習うというか、覚えるというか、

こちらで教えていないのに自然に使えるようになるのだとすると、ちょっと癪に触るような気も、、。

ずっとこのことは頭に残っています。以前も書いたような気がするんですが、

「教室で習う言葉はきれい、でも外ではちがう」とか「LLの練習もたくさんした。でもうまく

はなせない」といった言葉を10年前に言われたことを思い出します。それから時間も経ち、

教材も変わり、教え方も工夫を重ね、時代は少し変わったように思います。インフォーマルな

会話の練習をしなくても、聞き取り教材で学生同士の会話を聞き取らせるなど、できることは

たくさんあるような気もします。でも本当に使い方を指導しないとOyanagiさんが経験したような

タメ口を先生に悪いとも知らずに使って、意識せずに相手に不快感を与えている場合がけっこう

あるように思います。難しいですね(^_^;) 私は本人が気づいていないなあと思ったら、指導は

しますが、ケースバイケースですね。

 

 

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学校では習得できないこと 投稿者:Oyanagi  投稿日:06月29日(木)08時26分15秒

きんちょさんへ

文化初級の件、訂正ありがとうございます。手元に教科書がなかったもので、

おぼろげな記憶だけで書いてしまいました。

皆さんへ

インフォーマルな会話の練習というのは実際どの程度クラスで練習しているのでしょうか。

私の教えていた<予備教育>のコースでは初級では積極的には練習せず、中級になってから

会話の授業の中でしていましたが、「聴解練習」はインフォーマルな会話もどんどん

やりますが、会話で『積極的に使わせる』ということはしていませんでした。

でも、卒業して専門学校や大学に行った学生とたまに会って話したりすると、結構

インフォーマルな会話を身に付けていることに気がつきます。

(そんなタメ口をされる私は何者じゃ?という気もしますが。彼等の友人などが

いっしょにいると彼等同士の会話などででてくるので・・・)

終助詞をうまく使ったインフォーマルな会話や「〜んです」をうまく使った会話などは

実際に日本人とのコミュニケーションを積み重ねる中で自然と習得していくものなのかな

と思ったことがあります。もちろん、文法にしたって、単語の使い方だってそういう面が

あるのですが、授業という限られた時間で習得できるものと、その後に期待するものとが

あるように思いました。

その一方でインフォーマルな会話のスタイルを習得していないために、日本人の友人と

なかなかうまく会話ができない、変によそよそしく聞こえるために笑われてしまう、など

という問題もあることを考えると、また別の視点が必要かなとも思います。<会話科>の

ような会話中心のクラスだったらむしろこちらの視点が大切なのだろうと思いますが、

そのバランスが難しいのではないかと思います。

 

 

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コトリ…拾遺 投稿者:きんちょ  投稿日:06月28日(水)18時06分22秒

やっさん、レスをどうも。

 

> 私がインターネットを始めた頃には「日本語教育」で検索すると必ず、きんちょさんの

> ホームページが出てきて…

 

 そうなんですか? 自分では わからないものなんですよね。わたしの場合には、検索すると

かならず 横尾先生と ばばな先生のが でてきて、……。同僚だったときには、わたしは

WEBの つくりかたをしらず、韓国に きてから ふたりをまねして はじめたんです。

 以前の職場に先駆者が ふたりも いたことが おおきかったですね。で、つくりはじめて

も、カウンターのさが 全然ちぢまらなくて、いらいらしたものです。いまは、自分のところ

のカウンターなんか、みもしませんけど。

 

 「コトリ」…なんですけど、吉林省のかたが どのように発音するのか さだかでは あり

ませんが、韓国での発音は「コドリ」に ちかいです。韓国語化すると、どうしても語中が

有声音化したほうが いいやすいですから。「どかた(土方)」が「ノガダ」になるのも

おなじです。でも、「小鳥」は「コ+トリ」なんだから、連濁して「コドリ」になっても 

おかしくないような気がしませんか? だから はなしが ややこしくなりますね。さらに、

「こねこ」「こうし」「こいぬ」は 「ねこ・うし・いぬ」の仔なのに「ことり」は「ひな

どり」とは 意味がちがいます。「こいぬ」は「欠席」もとい「ケーセ(ッ)キ」だけど、

「ことり」は「成績」もとい「セーセ(ッ)キ」ではなくて、でも、「こうし」は「漱石」もとい

「ソーセ(ッ)キ」。だけど「にほんごこうし」の「こうし」は「コーシ」とよんで、

「ソーセ(ッ)キ」の「こうし」は「コウシ」と よむのだよ……なんて、どうでもいい

ことですね。

 

 PS. 「ひなどり」は「アギセ」と いうべきです。「セーセ(ッ)キ」は上品な

    いいかたではないので、きをつけましょう。

 

http://akizuki.pr.co.kr/

 

 

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普通体は普通に教えられないですね(?_?) 投稿者:やっさん  投稿日:06月28日(水)15時16分25秒

きんちょさん、ごぶさたしております。

研究の方はすすんでいますか(^^)? 書き込みありがとうございます。

 

女性の「どこに置きましょうか。」の件ですが、本当にややこしいです。

「しんきそ」を使っているので、普通体を教えた後、練習として今まで習った課を

普通体になおして読む練習をしたのですが、13課でラオさんとハンさん(女性)の会話を

普通体にすると「ええ、そうしましょう」を男だったら「ええ、そうしよう」ということで

まだ未習ですが、意向形を使うんだと説明できるのですが、女性は変わらないとなり、

「どうして?」と学習者に疑問を持たせ、またややこしくなってしまうんです。

しかし、現実の若い女の人の会話を聞いているとバシバシ普通体の意向形も使われている

ような気もするんですけどね。(関西在住のせいかな?、、、)

それから

 

>いっそのこと「どこに置く?」で代用できるということまで提示するのも 

>わるくないと おもうんですけど、どう おもいます?

 

私はいいと思います。私も男なのでよくわかりませんが、基本的に例外が多いのはあまり好ましく

ないように思います。口にしても失礼にならないレベルなら極力、複雑なことは避けて、レベルが

上がるにつれ、細かいことを学習者と一緒に実例を調べながら勉強できればいいかなと思います。

(私の周りには「かしら」も「わよ」も使わない女性ばかりなので、この手の問題は本当にわかりません)

一度、「かしら」や「わよ」を使う女性とつきあってみたいものですね(^_^;)

 

「あげあしとり」ですが、きんちょさんらしくないですね。(^o^)自信たっぷりにすきだらけの根拠の

うすい意見を言っている人に真っ向から勝負していくスタイルがきんちょさんらしいと思います。

(勝手にそう思い込んでいる私も変ですね(^_^;)

私はあげあしとりだとは思っていませんよ。ただ注意しないと嫌味にとられると損な気がします。

ビシバシ後進のためにものを言ってくださいね。これからも。



るーさん、ごぶさたです。

書き込みありがとうございます。「ことり」はきんちょさんの言う通りです。

きっと耳にしたときににやにや笑っていたのは男の学生でしょう。外国語を勉強していてその

発音がもろに「HANAFUDA」だったら日本人も笑うでしょうね(^^)

蛇足ですが、(きんちょさんにしかられそうですが、、、)

ジャージ(スポーツするときの)も禁句です。

以前スポーツ大会の時に「明日はジャージを来て学校へ〜」と言ったら韓国の男の学習者が

にやにや笑っているので「何笑ってるの?」ときいたら「先生、韓国語知ってるんでしょう?」と

言われ、「はっ」と気がつき、「ばかやろー」と言いながら笑ってしまいました。意味はズバリ

「男性のなに」です。ですから間違っても「ジャージをポーチに入れて持ってきてください。」と

言ってはいけません。お嫁にいけなくなりますよ。

はーーー(;O;)、また品位を落としてしまいました。ごめんなさい。

 

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『文化初級2』24課 投稿者:きんちょ  投稿日:06月28日(水)03時14分06秒

 

 ごぶさたしています。と、いうか、ここに かきこむのは、はじめてです。

 Oyanagiさん、いつも、どうも。

 

> 確か『文化初級1』でも会話体の例文として男性/女性とわけて紹介されていますけど、

> 「行きましょうか」に対して、男性は「行こうか」があるけど、女性のほうは

> 「行きましょうか」となっていたと思います。

 

 正確には『文化初級日本語2』の第24課の「親しい人との会話」で、<男の人の会話>では、

A:「どこに置こうか。」B:「そこに置いて。」  が、

  <女の人の会話>では、

A:「どこに置きましょうか。」B:「そこに置いて。」になっています。

 

 こういうこと書くから「あげあしとり」って いわれるんでしょうかねえ? 

 

 これは、勧誘ではなくて指示をあおぐときの用法なんですが、「置く」のは自分で、

わざわざ相手の意向をたしかめているわけですから、それなりに丁寧にしないと発話意図との

バランスが わるくなるということなんでしょうか。女性のばあい。

 でも、教科書としては、ちょっと こまるんですよね。ここでは「基本体」の応用をして

いるわけですから。「どこに置こうかしら。」とかじゃ だめだったんでしょうか。「かしら」

は自問自答のときしか つかわない? 自分が女性じゃないから、よく わからないんですけど

ね。あるいは、いっそのこと「どこに置く?」で代用できるということまで提示するのも 

わるくないと おもうんですけど、どう おもいます?

 

 

 PS.「暇?」「うん、暇」……きんちょ的には全然OKです。

    「ことり」は、たぶん 花札のことをいっているのでしょう。

 

http://akizuki.pr.co.kr/

 

 

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お久しぶりです(^-^)/ 投稿者:るー  投稿日:06月27日(火)23時07分25秒

やっさん、みなさん、こんばんは。

あしたの準備がまだ終わってないのに現実逃避してネットをうろうろしてます。

 

「あぶない」コトバ、1つ思いつきました。

吉林省の韓国語話者の学生達、「小鳥(コトリ)」という言葉に異様に反応しませんか?

はっきり意味を教えてくれないのですが、どうも下ネタ系の言葉らしいです。

でも、韓国出身の学生は「そんな言葉は知らない」と言ってたので、

延吉辺りの方言なのかも…。

 

それから、遅レスですが、

な形容詞の普通体、

「暇?」「うん、暇」

は、確かに使わないけど、

「暇?」「うん、ひま、ひま!」と二回重ねていうときは、

終助詞は付けないですよね?

重ねて言うことで、終助詞「よ」と同じ働きができるからかな〜と思いました。

 

 

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Yukikoさん、おめでとうございます。 投稿者:やっさん  投稿日:06月27日(火)13時41分00秒

こんにちは、漢字のHP、すごいですね。外国人対象のHPで、しかも漢字に的を絞った

ものは初めてじゃないですか。すばらしいですね。デザインもきれいですね。(^O^)/

自分のページが急にみすぼらしくなりました。(;_;)/

私もWEBデザインをやっている妹がほしいです。(^_^;)

新しくHPを立ち上げられたことを心からお祝い申し上げます。

 

現職で日本語を教えている方がホームページを持つことは本当に意味のあることだと

思います。情報を仕入れるだけでなく、情報を発信することができるのですから、、、

私が日本語教育の世界に入ったころとは比べ物にならないですね。完全に縦社会で

先輩先生の言うことが全てでしたから。こうやってインターネットを利用して横のつな

がりがどんどん広がっていくことは、「こういったこともあるのか、、」とか「なるほど、

人の意見は聞いてみるものだ」というように視野が確実に広がっていくような気が

します。

Yukikoさんのことですから、きっともう既に第2段の更新のアイデアを練っていらっ

しゃるでしょうね。(^。^)

 

私はねた切れ状態です。、、、、(+_+) 、、、なんて言いながら、転んでもただでは

おきないやっさんですから、実は私も密かに更新の機会をうかがっています。

♪~♪ d(⌒o⌒)b♪~♪

 

なにはともあれ、これからもよろしくお願いいたします。リンク集にいれて更新して

おきます(^_^)/~~

 

 

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非漢字圏の学習者むけ漢字のHP作ってみました 投稿者:Yukiko  投稿日:06月24日(土)19時05分41

 

やっさん、この掲示板の常連の皆様、こんにちは。

いつも皆様の真摯な意見交換に励まされ、このところのアカデミックなやりとりにちょっぴり

びびりながら、実はこんなHPを作ることに専念しておりました。

このページは私が個人レッスンをしてまいりました非漢字圏からのビジネスパーソンやその家族の

方々からの切実な希望から生まれたものです。国際化をうたいながら、まだまだ外国人に冷たい、

御上やメーカーさん、これだけ、日本在住の外国人が増えているのに、秋葉原では英語の説明書付

きの品物が割高で売られていたり、宛先が外国人名だとわかっていても日本語のみの公共料金

請求書や、不在配達通知が送られてきている彼らのとまどいや嘆きを長年、見てきました。

と、同時に、彼らにとっておそらく初めは「絵」にしか見えないであろう、漢字を本当に彼らが

必要としているものから、もっと興味深く、楽しんで学んでもらいたいと思った次第です。

ですから、このページの対象者としては、日本に来たばかりで漢字に面食らっていらっしゃる

外国人と、ある程度日本語を勉強し、これからさらに上の段階をめざしたいと頑張っていらっしゃる

非漢字圏からのビジネスマンとその家族、レベル的には能力試験4−3級程度を常に頭において、

例文などを選択しております。 

どんなPC環境でも表示されるように、日本語部分は全部画像化してあります。東京にいる私が原稿

をつくってファイルで送り、山梨県で4人の子育てに追われる妹が画像化とウェブデザインという作業に、

この一ヶ月二人で日夜取り組んで(その間の家族は気の毒なものでした)ようやく

ここまでこぎつけました。まだ、これから、私の意図などをもう少し詳しく説明するページとか、

生徒達からのリクエストはすでに山積みなのですが、一区切りできたところで、皆様に見ていただいて

ぜひご意見を伺いたいと思っております。必要とあれば、韓国語訳や、Shujiさんのご協力で

スペイン語訳などのページをつけていってもいいと思っているんですよ。なお、英語部分は

私の英国人生徒がチェックして、彼らが普段使っている慣用的な表現をとりあげてみましたので、

アメリカ人など他の英語圏の方には異論もあることと思います。

ローマ字表記や、区切り方などで迷っている部分もあります。扉ページ下の私の名前からメールも

お送りいただけますので、どうか気がつかれたことを何なりとお聞かせくださいませ。

 

http://neverland.to/kanji/index.html

 

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ちょっとエピソードお願いします。 投稿者:やっさん  投稿日:06月22日(木)11時20分44秒

 

突然ですが、

日本語教師はけっこういろいろな外国語を習得なさった方が多いように思います。

そこで、教室で発音するとあぶないような、或いはおかしい発音をちょっと皆さんに

お聞きしたいのですが、、

 

(「日本語教師塾」はアカデミックだ?とか堅い話が多い?と思われているふしもあるので、、)

ちょっとくだけた内容を集めてみたいと思いました。

実際の教室であったこともけっこうあると思います。

下品になりすぎないかちょっと心配?  いやいや皆さんを信頼しております(^_^;)

 

これを読んでいらっしゃる方で、この言語では「これがあぶない」といったものはありませんか?

また授業の合間の教師間の情報交換で出てきた話もあればお願いします。ちょっと例をあげますね。

(欠席の話)

教師「キムさんは今日、欠席ですか?」

学生「(クスクス)、、はい、ケーセッキです。」

教師「何がおかしいの?」

 

韓国語では「ケーセッキ」は悪口で直訳すると「犬の子供」になるわけですが、「このやろう」

とか「ちくしょう」という意味になるので、韓国の学生たちにはおかしいようです。ですから私は

さぼって休んだ韓国人の学生がいたら「〜さんは今日はケーセッキ!ですか。」と言います。

大爆笑になりますが、「先生〜、それはよくないですよ。(^◇^)」という声が聞こえてきます。

「いや、勉強しないで休んだらケーセッキになるのは当たり前です」とさらりと言い返します。

 

教師があまり使う言葉じゃないですね、、、おそまつ、、、、、乱発に御注意!

 

 

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地域差があってもよかです。 投稿者:やっさん  投稿日:06月22日(木)10時54分05秒

Toshiさん!おひさしぶりです。

日本も雨ばかりでじめじめです(^_^;)

 

(タイトルですが、私が九州の言葉を言うとやはり不自然ですね、、(^。^) )

 

昨日、書き込んだのですが、失敗したようなので、また書き込んでいます。

「な形容詞」の「だ」の件、了解です。

 

 > …のようになるんですが、その地方によってなんらかの終助詞を使って答えることが

 >多いのではないでしょうか。

 

確かになんらかの終助詞を伴って言った方が自然だし、談話形式で練習する場合にはいいと

思いました。来年、この課で私もToshiさんの方法を試してみます(^o^)

 

それにしても地域差というのはあるようですね。聞いた時の感じ方は個人差、世代差などが

影響するとは思いますが、それぞれの地域の一般的な傾向はあると思います。

御意見ありがとうございました。

 

台湾もうっとうしい天気のようですが、お体に気をつけてお過ごしくださいね(^O^)/

 

 

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「な形容詞」普通体の「だ」について 投稿者:Toshi  投稿日:06月21日(水)03時20分45秒

やっさん先生、おひさしぶりです。

台湾も梅雨の真っ最中で、ずっと雨の日が続いております。しかし、それでも暑いです。

こちらの「日本語教師塾」、最近は読んでるだけの状態だったのですが、ひさびさに書き

こんでみます。

 

>日本人の自然な会話では「な形容詞」でも答える

>時には「だ」を省いて

>Q あしたひま?→ うん、ひま。

>Q 国の家族は元気?→うん、元気。

>のように答えているのではないでしょうか?

 

 自分(九州出身)の感覚だと、「な形容詞」の普通体で答える時、「だ」を使うことは

もちろんないのですが、「だ」をそのまま省略した形も、使わないような気がします。

 

 私にとって、「うん、ひま」という言い方は、「うん、ひまだ」と同様に不自然に

聞こえてしまって、教室で教えるには少なからず抵抗があります。地域差なんで

しょうか?

(特に、「好き」の場合だと、「うん、好き!」とか言われると、なんだか子供が

叫んでいるような感じがします)

 

ちなみに、自分の地元では、

 

Q あしたひま?→うん、ひまバイ/うんニャ、ひまじゃナカ。

          (※「バイ」は「よ」とだいたい同じ)

 

 …のようになるんですが、その地方によってなんらかの終助詞を使って答えることが

多いのではないでしょうか。

 

 それで、自分自身、教室でどうやっているかと言うと、新基礎20課の例文の6の形で

やっています。

「な形容詞」が文末に来る形で答える時には、とりあえず全部に終助詞の「よ」を

つけて答えてもらっています。

 

Q あしたひま?→うん、ひまだよ(男性)、ひまよ(女性)/

ううん、ひまじゃない(共通)

Q あの先生は親切?→うん、親切だよ(男性)、親切よ(女性)/

ううん、親切じゃない(共通)

 

 やっさん先生、みなさん、どう思われますか?

 こういうやり方、まずいでしょうか。ご意見をお聞かせください。

 

 

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型とおりにはならない難しさ 投稿者:Oyanagi  投稿日:06月17日(土)00時57分16秒

くだけた会話は普通体で、と型とおりにならないところが難しいですよね。

形容動詞文だけでなく、名詞文でも、「今何時だ?」「3時だ」なんて会話はよほど

親しい間柄じゃなきゃ使いませんよね。

結局「〜だ」のもつ<断定>の機能が働くのを心理的に抑えて会話をしてるんでしょうね。

特に女性の場合はそれが顕著ですよね。確か『文化初級1』でも会話体の例文として

男性/女性とわけて紹介されていますけど、「行きましょうか」に対して、男性は

「行こうか」があるけど、女性のほうは「行きましょうか」となっていたと思います。

『〜のです』の文だって、型とおりにやったら、「どこに行くんだ?」「学校に行くんだ」

みたになって変ですよね。終助詞とのかねいあもあって実際の指導は大変だろうと

思います。

型とおりにいったらそれこそ「学校へ行くのだ!」みたいに<バカボンのパパ>状態になりかねませんよね。

こんなたとえは若い人はわからないのかな。(^o^)

(第17巻 2000年7月1日〜7月19日) 「こと」と「の」の違いについてと「読解テストの語彙の扱いについて」「顔色が青い」は誤文?
関係ないんですが 投稿者:きんちょ  投稿日: 7月19日(水) 9時54分27秒
 
 
>「Japan Teach-J」のほうも盛んになってきましたね。
 
 あ、そうなんですか? わたし、「〜て あげる」の件での自分の2回めの投稿が、
まだ配信されてきていないんです。どうも韓国のメールアドレスは、排外的! で、
国外からのメールが ひどいときには 1週間くらい 世界をさまよっちゃったり
することがあるんですよね。あのMLは 米国からだから、そうなのかな?
(韓米関係とは関係ないでしょうね,..>>)
 
 そういうわけで、自分の投稿が もし、からんでいるのだとしたら、ちょっと
気になるので、もし よかったら、akizuki@pr.co.kr のほうに 転送して
いただけませんか? こちらのアドレスは すぐ つくと おもうので。
あ、わたしのにレスがついてるんじゃなければ、そのままでも かまいません。
きながに まちます。
 
 それでは。
 
http://akizuki.pr.co.kr/
 
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「既習」は学生には奇襲攻撃? 投稿者:やっさん  投稿日: 7月19日(水) 8時57分26秒
 
 
きんちょさん おはようございます。(^o^)/
日本は本格的に暑くなってきました。
 
 >教科書の はしっこに 一度でも でてきた単語は、なにがなんでも
 >おぼえさせる……という方向に つながらないか、心配です。
 
考えさせられるお言葉です。私自身は少しでも多くの語彙を提供してあげて、覚えるか
覚えないかは学習者の必要性に関わることだから、学習者側で取捨選択してもらえれば
いいかなと思っているんですけど、、、。ただ、きんちょさんのおっしゃるとおり、
「既習だから」ということで試験を作る時に、教科書にも出ていない授業の時に
その場限りで出した語彙まで入れる先生もいます。試験前に「読み合わせ」なることを
するんですが、「未習語彙が多くて、それじゃ、あんまりじゃない」とでも言おうものなら
「いや、授業で扱った。ちゃんと説明した」とかえされ、こちらがかえす言葉がなくなって
しまいます。見解の相違とでも言いましょうか、、、、案の定、平均点はがた落ちで成績を
つけるにも、その試験が妥当なものかどうか考え込んでしまいます。
よく話題にあがることですが、どこの機関でも「協調性のある人をのぞむ」とかいいますが、
変に「なあなあ」になるのではなく、素直な意見がお互いに受け入れやすい雰囲気とでも
言いますか、、
人の意見はちゃんときいて感情的にならず、冷静に学習者を評価できることを第一に考えて
テストが作れる教師になってほしいものですね。
誰のためでもなく自分が担当した学習者のために。(^^)
御意見ありがとうございました。「Japan Teach-J」のほうも盛んになってきましたね。
かなりつっこんだ話になっているようで、すごいですね。
それからE-グループも登録しておきました。また時間のある時書き込ませていただきます!
 
 
 
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ぐうたらの たわごと 投稿者:きんちょ  投稿日: 7月18日(火)22時54分37秒
 
 
 語彙を管理するというのは、大変ですね。わたしは、……ねっから、そういうところが
いいかげんで、なにが既習かなんて、ほとんどチェックした記憶がありません。
 
 教科書をつくるひとがチェックすれば、いいんじゃないの? というのは、やっぱり
弁解になりませんね。なんでも、きちんとやってるほうが かつに きまってます。
 
 ただ、ぐうたら教師の たわごとだと おもって きいていただければいいんですが、
語彙を管理したとしても、学習者は それと関係なく、いろんなところから 単語を
しいれて、かってに おぼえていたりしますよね。震災後の神戸の日本語学校では、
「仮設」というのが必須語彙になったそうですが、そんなの 教科書にでてくるのを
まっていたら、何年かかっても おしえるチャンスないでしょうしねえ。
 
 なるべく未習語彙をつかわない、というのは、余計な負担をさせないための鉄則
ですが、あることをおしえるのに、ぴったりな語彙があるのなら、そのことのために
その語彙を おしえてから、あたらしいことを おしえてもいいのでは、と おもい
ます。
 
 未習語彙をさけようとするあまり、でてくる弊害としては、直接的なものではない
のですが、反対に、「いちど おしえた語彙は、絶対に わすれさせない」という姿勢に
つながることなのではないでしょうか。この ふたつは 別のことなんですが、でも、
「既習語彙しかつかえない」と、教師が呪縛にかかってしまうと、ただでさえ不足する
語彙をおぎなおうとして、反対に「つかえるものは 絶対に確保しておかなくては」と
おもってしまい、教科書の はしっこに 一度でも でてきた単語は、なにがなんでも
おぼえさせる……という方向に つながらないか、心配です。
 
 『中級から学ぶ日本語』という、けっこう つかわれている教科書がありますが、
作成者たちは、「すて語彙」とよんで、その場かぎりで 意味が おさえられたら、
あとは わすれてしまってもいい つもりで だしている語が けっこう あったと
告白しているのですが、わたしがいた現場でも、とにかく めったに でてこない
ような ことばでも、「既習だから」ということで、試験問題をつくるときに活用
なさる先生が いらっしゃいました。漢字なんかも、その課が おわるまでに、その課の
漢字を全部テストするとか。そういうのは、ちょっと こまりものではないかと 
おもうんです。
 
http://akizuki.pr.co.kr/
 
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読解テストの未習語彙 投稿者:やっさん  投稿日: 7月17日(月)10時12分07秒
 
 
Oyanagiさん おはようございます。(^o^)
早速の御返事ありがとうございます。
 
 >やっさんの考えている読解テストというのはどのレベルの学習者のことでしょか?
 
クラスに関する情報が少なすぎて、ちょっとわかりにくくしていましたね。すみません。
私の勤務する学校の「進度の速いクラス」というのは入学時、プレイスメントテストで
振り分け、日本語の習得が速い学生を集めたクラスです。導入でも、こちらが
意図することをすぐに理解し、練習もすらすらと行えるような学習者が集まったクラス
です。進度は4月から夏休みまでに「新基礎1,2」を終了し、9月から12月までにJ301、
「日本語2」天理大学別科編を終えるレベルです。1月から3月までは能力試験も終わり、
仕上げの段階としていろいろな活動をします。
 
10年以上前の話になるんですが、読解にしろ、聴解にしろ私が勤めていたところは
未習語彙はタブーでした。試験はもちろん、能力試験対策以外は未習語彙を入れること
は避けていました。ですから教師側も語彙帳を念入りに調べ、もし未習語彙があれば
事前に説明をしたり、挿し絵を入れたり、未習語彙リストなどを作ったりしていました。
これらのことをするのは当然のことだとは今も思っていますが、かなり神経質になって
いて、未習の語彙が使えないばかりに不自然な文章もあったような気がします。
時代は流れ、意志伝達やコミュニカティブな活動などが叫ばれ、実際のコミュニケーション
では既知の情報、未知の情報をやり取りするために会話が行われることを考えると
分からない言葉があるのは当たり前で、むしろ分からない言葉でも類推したり、分から
ない言葉の意味を聞き返すストラテジーが語学教育においても重要視されてきている
ような気がします。
そんな中でテストに関しては語彙の扱いを皆さんはどのようになさっているのか気になって
ちょっと書き込んだ次第です。私もOyanagiさんのおっしゃる
 
 >未習語彙の扱いについては、そのテストがどのような目的でされるのか
 >ということで決まってくるのではないでしょうか。
 
だと思っています。ただ昔と違って、今はインターネットを通じ、気軽に意見交換できる
ようになったので、「お隣さんはどうやっているのかな?」感覚で書き込みました。(^_^;)
いつもながら素早い御返事、感謝しております。(^^)
ところで、「日本語ジャーナル」のバックナンバー見ました。連載されていたんですね。
名前も漢字が分かりました。なんとなく親近感がわくのは変でしょうか?
一度、ここに書き込んでくださる方や見てくださっている方でオフ会のようなことが
できればいいですね。なんか和やかな雰囲気の中にもかなり真剣な話も多くなりそうな
気もしますけど、、、(^_^;)  HPの更新のほうもがんばってくださいね。
 
 
 
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Re:読解テスト 投稿者:Oyanagi  投稿日:07月16日(日)23時24分02秒
 
 
やっさんの考えている読解テストというのはどのレベルの学習者のことでしょうか?
『進度のはやいクラス』というのはレベルも高いクラスのことでしょうか。
私が教えていた学校では初級のクラスでは、読解のテストでは期末テストの
ような大テストでは未習語彙はすべて母国語の訳をつけていました。
中上級以上のクラスでは使用しているテキストの内容を問題に作り変えたものがテストの
中心で、期末テストでは二題のうち一題が実力みるために教科書とは別のものを用意
していました。その場合には当然未習語彙がいくつかありますが、やはり読解の作業に
支障がないものにしていたと思います。
その意味では通常の定期的なテストは<アチーブメントテスト>的なものでした。
それとは別に日本語能力試験のための読解練習では
1)語彙を増やす
2)わからない語彙の意味を推測して読解する
という目的がありますから、未習語彙がどの程度あるかにかかわらず、そのクラスが
目指す級のレベルの問題をさせていました。
ということで、未習語彙の扱いについては、そのテストがどのような目的でされるのか
ということで決まってくるのではないでしょうか。
 
 
 
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読解テストについて 投稿者:やっさん  投稿日:07月15日(土)17時33分42秒
 
 
やっと期末テスト作りから解放されました。
ところで皆さんにお聞きしたいのですが、読解テスト作成では皆さんは
未習語彙を入れる事に賛成ですか?反対ですか?(^O^)/
 
具体的に話すと、読解試験の本文の中に授業では扱っていない語彙を入れて、前後の
文脈から未習語彙でも類推させたり、未習語彙が入っていても試験の問題には
直接、影響しない程度に盛り込み、文全体の内容を把握しているのかどうかを
みるような試験を作る事です。
私個人の意見としては、進度の速いクラスでは、けっこう未習の語彙も入れて
試験を作ります。文全体の内容を把握しているか試したいのでそうします。
しかし、あまり問題に関わって、その未習語彙がわからないために、学習者が
解答できないようなことはしないんですが、、、
 
ちょっと御意見をうかがいたいです。(^^)
 
 
 
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顔色・・・について。ありがとうございました。 投稿者:みずえ  投稿日:07月12日(水)07時54分57秒
 
 
Shujiさん、Oyanagiさん、やっさん、早速のお答えありがとうございます。
今回のことでは、初級に関してはやはり原則を第一にはっきり示すべきだと実感
しました。
今の学校では「日本語初歩」を3人の教師で教えているのですが、たまたま今回
自分でその項を教えていなかったのでうっかりしました。
というのは「初歩』ではShujiさんのおっしゃる「慣用性」のあるものとして
「あなたは顔色が悪いです。」「うさぎは耳が長いです」「かれはせいが高いで
す』・・・・。が並んでいるのです。
きちんと、教科書を把握して、まずそれに沿ってしっかり押え、許容範囲などは、
「これも大丈夫ですが、・・原則・・がいいですね。」とでも言っておく方が
良かったと、反省しています。
それから、みなさん実によく調べていらっしゃる・・・・ということも分かって、
また反省!!!わたしは、勉強不足でした。でも、これからもよろしく!!。
 
 
 
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解決してよかったです。\(^o^)/ 投稿者:やっさん  投稿日:07月10日(月)09時00分05秒
 
 
けいこさん、おはようございます。
なんとか無事に解決できたようでよかったですね。(^o^)
期末テストが近いので、ゆっくりまとめることができなくて、尻切れとんぼ
状態ですみませんでした。Oyanagiさんは研究熱心でしょう。私もいつも頭が
下がります。これからもわからないことがあったらみんなで考えていきましょう!
中国でのホームページがんばってくださいね。それからURLを打ち込むときは
半角じゃないとアクセスできませんから注意してくださいね(^_^;)
 
 
 
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ありがとうございました。 投稿者:けいこ  投稿日:07月09日(日)03時55分42秒
 
 
YASOOさん、OYANAGIさん、丁寧なレスをありがとうございました!
 
このサイトへ来る前に、アルクのリンクからShujiさんのサイトへいき、自分への説明はある程度ついた
ですが、学習者へどう説明したらよいのかわからず、ここへ来たという訳です。
 
今回、こちらへ書き込ませていただいたおかげで、OYANAGIさんの勉強部屋へもいけて、本当に
書き込んでよかったと思っています。
 
自分できちんとまとめるために、皆様のレスはプリントアウトして保存することにしました。
 
まだまだ未熟者ですが、これからもよろしくお願いいたします。
 
本当にありがとうございました。
 
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Poplar/2606
 
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何度もぶち当たった「こと」 投稿者:Oyanagi  投稿日:07月07日(金)05時44分24秒
 
 
「こと」「の」は初級の復習の時間にプリントをつかってまとめる作業をしていましたが、
今回やっさんの指摘もあって「教師側の知識」と「実際の指導法」という視点で自分なりに
まとめてみることにしました。
何度もぶち当たった「こと」ですが、このやっさんの掲示板がなければ、
改めて整理してみることもなかったと思います。質問されたけいこさんにも、
感謝しています。
先のやっさんの整理と基本的には同じで特に斬新で画期的なところは何もありませんが、
よかったらご覧になって参考にしてください。私のHPの<勉強部屋>に入っています。
 
http://www3.tky.3web.ne.jp/~oyanagi/index.html
 
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追加です。 投稿者:やっさん  投稿日:07月06日(木)12時47分04秒
 
 
書き込んでから「ん?まてよ」と思い出しました。Shujiさんのホームページに過去ログが
あります。参考にしてくださいね。
 
 
 
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日本語教師なら一度はぶちあたる「こと」 投稿者:やっさん  投稿日:07月06日(木)12時22分42秒
 
 
はじめまして!けいこさん。
「こと」「の」ですが、ある程度、整理がついていらっしゃるようですので、
ちょっと説明用の例文を考えてみました。
 
「こと」が使えないシリーズ
 
(具体的なものを指して言う。この場合「こと」は×)
  ・日本料理でおいしいのはすきやきです。○の ×こと 
  ・そこにあるのはなんですか?○の ×こと
 
(目に見えなくても、「の」を他の名詞に代えられる場合。この場合「こと」は×)
  ・学校をやすんだのはかぜをひいたからです。「の」=理由 ○の ×こと
  ・失敗したのはわたしのせいです。「の」=原因 ○の ×こと
  ・彼と別れたのは去年の5月です。「の」=日、時期 ○の ×こと
 
(視覚(見る)、聴覚(聞く)に関する動詞が続く場合。この場合 ○の ×こと)
  ・あの人がトイレに入るのを見ました。○の ×こと
  ・私はあの時ベルがなるのを確かに聞いた。○の ×こと
 
「こと」しか使えないシリーズ
 
(いわゆる形式名詞、漠然としているが、連体修飾語によって具体化するもの)
  ・やっていいことと悪いことがある。○こと ×の
  ・あのことは二人だけの秘密にしよう。○こと ×の
 
どちらも使えるシリーズ
 
(「の」を他の名詞に代えられない場合。この場合「こと」も○)
 文や句を体言化するもの。普通は文型として扱うことが多いのでは?
 〜のをしらない。〜のがすきです。〜のは大変だ。
  ・あしたテストがあるのを知らなかった。○の ○こと
  ・誰でも早くおきるのはつらいです。○の ○こと
 
(どちらも使えるが意味が変わる場合)
  ・説明するのははじめてだ。(説明する事実。実質的な内容ではない)
  ・説明することはたくさんあります。(説明する内容。実質的なこと)
その他
  決まった言い方。〜ことがある。〜ことになる、、などなど
 
まだまだ足りない説明があると思いますが、とりあえず書き込みます。
「やっさん!それじゃたりないよ」という意見が聞こえてきそうです。(-o-;)
 
けいこさんが学習者に説明しやすいように追加の説明は具体的で学習者に
説明するような感じでお願いいたします。(^^)/
 
 
 
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「こと」と「の」 投稿者:けいこ  投稿日:07月06日(木)02時22分50秒
 
 
はじめまして。
いつも、高度な議論を傍観させていただいておりました。
 
タイトル通り、いま、この二つの説明に苦心しています。
アルクや、他のサイトの過去ログも検索し、「具体的状況・実態」「抽象的概念」というキーワードで
くくれることまでは分かったのですが、それを学習者にどう分かりやすく説明したらいいのかで、
つまづいてしまいました。
 
難しい言葉を使わずに、今後学習者がこの二つを混同しないような
説明を、皆様方はどのようにされているのでしょうか。
 
自分なりにいろいろと考えてみましたが、うまく説明ができず、ここに書き込ませていただいた次第です。
普通だと思うのですが、どうぞよろしくお願いいたします。
 
 
 
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顔色が悪い 投稿者:やっさん  投稿日:07月05日(水)09時34分20秒
 
 
何も考えず、初めて聞いたら「顔色が青い」は違和感を持ちました。そのあとShujiさんや
Oyanagiさんの解説を読み、うーん、やはり違和感があることに納得しました。解説は
お二人に任せておきます。(^_^;)あとは学習者にどのように説明するかで、
 
顔色が→いい、わるい、変わる、すぐれない(血色)  (を)うかがう・見る (表情)
 顔が→青い、赤い
 
上記のように説明されてはどうですか?「顔色が青い」だけを取り上げると、違和感が
残りますが、談話の中で出てきたら、意味は話し手も聞き手も通じていると思うので、
違和感を感じながらも話は続いていくのではないでしょうか?Oyanagiさんの意見の通り
実例もあるのですから、間違いとは言い切れないように思います。実際にいくつかの
国語辞典を調べたら旺文社の小学国語新辞典にも「かぜぎみで顔色が青い」がありま
した。でも相手に違和感を抱かせるよりは、違和感を抱かせない方がいいと思うので、
基本は上記のように指導するのがいいと思います。(日本語が曖昧なのか、日本語話者が
曖昧なのか、、、どこかで決着がつけば、各出版社の辞書は例文をかえなければなりま
せんね。(^_^;)
 
 
 
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「顔色」の解釈 投稿者:Oyanagi  投稿日:07月04日(火)21時23分12秒
 
 
Shujiさんの投稿を読まずに、自分の投稿をしてしまったので、
前回の投稿の補充をします。
Shujiさんが医学的な場面で使用されるという指摘を読んで、
この場合は「顔色」が『顔の色』という意味で使われている場合だと思いました。
前回の投稿の3)に書いたことですが、<意味の抽象化>の度合はそれぞれ違うのだろうと
思います。「旗色」や「血色」は「顔色」と比べて抽象的な意味で使われる場合が普通だ
から「〜がいい/悪い」となって、「顔色」はどちらにもとれるので、場合によっては
「〜が青い、赤い」という言い方もできるのだと思いました。
ただ、そのような場面でも1)と2)の理由から、
かなり不自然に感じる人がいるのかもしれません。
 
 
 
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富士山の高さは高い?? 投稿者:Oyanagi  投稿日:07月04日(火)19時27分15秒
 
 
みずえさんの「顔色が青い」の投稿を読んだときに、標題の文を思い出しました。
テストで学生に「高さ」を使って短文を作らせたところ、こんな文がたくさん
出てきました。
ご質問の「顔色」について「青い」や「赤い」が使えるかどうかとう点については
問題はないと思います。ただ、『顔色が青い/赤い』という言い方ができるかというのは
ちょっとひっかかる気がします。
恐らく正しい文(と他の先生が考えられたの)は『顔色がいい/悪い』という言い方だと
思います。また、『顔が赤い/青い、赤くなる/青くなる』のような言い方だったら
大丈夫だとも考えられます。
私が思うに、問題の文は3つの点で不自然に感じられるのではないでしょうか。
 
1)<冗長性>
 標題のように「富士山は高い」でいいのに、「〜高さは高い」となってしまうこと。
 同じように「顔が赤い」でいいのに、「〜色が赤い」となること。
 
2)<慣用性>
 『彼は背が高い』という慣用句は英語で言えば、He is tall.となるように
 「背が高い」が一つのまとまった句として働いています。
 同じように『(彼は)顔色がいい/悪い』の部分も慣用句化されていて
 他の単語との入れ替えを困難にしている。
 
3)<意味の抽象化>
 これは2)とも関係があるかもしれませんが、問題として一番重要な気がします。
 「顔の色」と「顔色」では意味するものが異なってきます。
 前者はものとしての「顔」の「色」ですが、後者は「顔色」で『健康状態』を示します。
 だから、「顔の色は/が青い、赤い」は可能であっても、
 「顔色が青い、赤い」は不適当となると思われます。
 似た例としては次のようなものがあると思います。
 *「旗の色」と「旗色」:後者は『戦況』という意味で
 *「血の色」と「血色」:後者は『健康状態』という意味で
 どちらも、前者は「〜は赤い/青い」と言えますが、後者は「〜はいい/悪い」と
 なります。
以上ですが、今回の質問を読んで、私も実際の授業では「顔色が青い」もOKだと言って
いたような気がして、ちょっと反省しています。これが許容範囲かどうかは人によって
まちまちかもしれません。ちなみに『現代国語例解辞典(小学館)』には現に「青い」の
項目に「顔色が青い」という例文が載っています。私は許容範囲に入れるにはちょっと
無理があるかなと思っているのですが、皆さんの許容範囲はいかがででょうか。
 
 
http://www3.tky.3web.ne.jp/~oyanagi/index.html
 
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「青」は青いか? 投稿者:Shuji  投稿日:07月04日(火)18時09分15秒
 
 
みずえさん、「顔色が青い」はもちろん使います。ただこの場合の
「青い」は「血色が悪い」「青ざめている」の意味の寧ろ白に近い
イメージなので、「顔色が悪い」「顔色がすぐれない」の表現と比
べて「?」と思ってしまうのではないでしょうか。しかし「色」の
語のない「青い顔をする」「顔が青くなる」の表現は違和感なく使
われているようです。
「顔色が青い」の表現は医学的な場面でよく出てきます。以下に具
体例を挙げておきます。
≪のどに異物がつまると、咳込み、ゼイゼイという音、顔色が青く、
唇は紫色、のどに手をあて苦しそうな表情などの症状がでます。≫
(財団法人日本スポーツクラブ協会)
≪気分が悪い ・顔色が悪い→風通しのよい涼しい場所で体を横にし
て休む。
Sアナウンサーの顔色が青い。額から脂汗がにじみ出ている。
「おいS。気分でも悪いのか」
「ええ、ちょっと。トイレに行きたいんです」≫
(ワンダーフォーゲル部勉強会)
なお私の掲示板で「青」について触れているので参考までに以下に
引いておきます。
≪「あお」は「灰色がかった白」を指した時期もあり、染色・襲
(かさね)の色目としては青・緑以外に麹塵(きくぢん:淡黄緑色)
山鳩色(黄色がかったもえぎ色)をも含めた総称だったと言うから、
現代日本人の感覚からはピンと来ないかもしれません。結局は、
「あか(明)」「くろ(暗)」「しろ(顕)」のどれにも当て嵌めら
れない曖昧な色が「あお(漠)」に区分された、と想像できます。≫
「日本語教育」を観る(3)「日本語を教える」とはどういうことか?2
(No.95)URLは次のとおりです。Shuji
 
http://shibuya.cool.ne.jp/brn/
 
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顔色が青い・・・は使いませんか 投稿者:みずえ  投稿日:07月04日(火)12時42分46秒
 
 
初級の授業中、学生から「あの人は顔色が青いです。」がでて、訂正しなかったら「他の先生は『顔色が青い、
赤いは使いません』と言いました。」と、質問されました。私もふつうは顔色がいい、悪いを使うとは思いますが
「あの人は顔色が青いです」も許容範囲かと思ったのですが・・・。みなさんは、どう思いますか?それに
付いて書いてある文献がありますか・?
 
 
 
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「な形容詞」の「だ」、それから「外国人の日本語」 投稿者:Toshi  投稿日:07月03日(月)00時22分48秒
 
 
 レスが遅くなりましたが、
きんちょさんへ
 自分の質問に答えていただいて、ありがとうございました。
 こちらは、台湾の地方都市なもので、身近にいろいろな質問をしたり、意見を聞いて
もらったりできるような方がいないので、この掲示板でレスをつけていただけると本当に
ありがたいです。どうか、今後もよろしくお願いします。
 
 「好き」については、以前自分がクラスで練習をやる時、
 Q「これ、好き?」→A「うん/ううん」
 Q「どの色が好き?」→A「赤」
 
 …という形はどうだろうと考えていたことがあったんです。これなら、方言的なものも入って
こないし、男女差も出ないから、簡単なのではないかと。
 しかし、これだと、やはりぶっきらぼうに聞こえるし、普通体の「練習」にはなりません。
それで、自分は終助詞の「よ」をつけた形でやることにしていたんですが、やっさんの投稿
で、「日本人の会話では『だ』を省いているのではないか」というのを見て、ちょっと焦って
しまったのです。自分にとっては「うん、ひま」や「うん、好き」などは、「不自然だ」と、
最初から、まったく考えていなかったので…。
 教室では、自分(教師)が日本語についての絶対的な「権威」にならざるをえないわけで、
自分の語感が他の日本語話者のものとズレている(?)っていうのは、ちょっと怖いなあと
思いました。
 
 ただ、口語には完全な「規範(?)」というものがありえないでしょうから、それを教室で
どう教えるのかという事は、他のみなさんの投稿にあるように、すぐには答えの出ない問題だ
と思います。
 
>「外国人には外国人の日本語があったっていいではないか」
 
 自分も、「日本語は、日本人だけでのものではない」と思っています。ですから、外国人学習
者が「日本人のように」話せるようになる必要はないし、将来、外国人(と一くくりにはでき
ないでしょうが)の使う日本語が現在の日本語に影響を与えるようなことがあるとおもしろい
な、と個人的には考えています。
 (しかし、以前国立国語研究所が考案したような「簡約日本語」を、日本人の側から外国人
   学習者に与えるということには、反対です)
 
 さて、全然関係ない事ですが、
るーさんの
>「日本語を教えてくれるの先生」とか
   を見て、思い出したんですが、夏目漱石の「草枕」の冒頭(新潮文庫だとP6)に
 
   …かく人世を観じ得るの点に於て、かく煩悩を解脱するの点に於て、かく清浄界に出入し
   得るの点に於て…
 
 という部分があります。この部分の「の」の使い方というのは日本語教師的にはひっかかる
んですが、どうなんでしょう? 以前はこんな使い方もあったんでしょうか。
 
 
 
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在韓日本語教師のML 投稿者:きんちょ  投稿日:07月02日(日)22時00分51秒
 
 
 ほかでも宣伝してて、もうしわけありませんが、在韓日本語教師のメーリングリストが できました。韓国
おける日本語教育に興味があるかたなら、どなたでも参加できます。やっさんのように、かつて在韓日本語教師だったかたもOKです。
 くわしくは、以下をご覧ください。
http://www.egroups.co.jp/group/zaikannihongngo
ここから「参加する」をクリックしてくだされば、てつづきできます。現職の教師でなくても、これから韓国で
しごとをしたいと おもっているかたも どしどし ご参加ください。また、上記のWEBでは、過去の投稿も みることができます。
参考にしていただければ、さいわいです。
 
http://www.egroups.co.jp/group/zaikannihongngo
 
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そうだったのかぁ。(すっきり) 投稿者:るー  投稿日:07月01日(土)22時04分56秒
 
 
こんばんは!
 
「コドリ(コトリ)」、花札のゲームのことだったんですね。
それならそうと言ってくれればいいのに、
うちの学生達、ニヤニヤしながら「いえませーん」と言って教えてくれなかったので、
ぜったい下ネタだ!と思ってました。(笑)
きんちょさん、やっさん、ありがとうございました。おかげですっきりしました。(^^)
 
それから、きんちょさん:
>「外国人には外国人の日本語があったっていいではないか」ということ
>になって、わたしたちが ふだんやっていることまでも自己否定しなきゃならなくなる
>んですが、究極のところでは、そういうことも ありうるのではないかと おもって
>います。
外国人のニホンゴ、わたしもあっていいと思っています。
わたしは英語しか分かりませんが、
英語にはイギリスの英語、アメリカの英語、それからインドの英語、シンガポールの英語、
などなど、いろんな英語がありますよね。
日本語と英語じゃ、状況が全然ちがいますけど、
でも、大阪弁、名古屋弁などとならんで、外国人の日本語があっていいと思ってます。
「日本語を教えてくれるの先生」とか。
日本人でも、「夕焼けがきれかった(きれいだった)ねぇ」なんていう人もいるんだし。
だけど、実際に教室では目くじらたてて、「『の』はいりません!」っていってます。
なんだか矛盾してますね、ワタシ。(^^;
 
最後にもう1つ。「電気を入れる・が入る」ですが、うちの祖父は当然のように言ってます。
(「電源」じゃなくて、なぜか「電気」)
そもそもスイッチなんてハイカラな言葉、祖父の口からは出てきません。(笑)
実は、ずっと祖父の日本語がおかしいんじゃないかと思っていたのですが、
oyanagiさんの説明で、納得しました。(^^)
(第18巻 2000年8月4日〜.9月13日) 連体修飾「外の関係」について と 「新聞」の「聞」はどうして「聞」なのかについて
少し訂正 投稿者:やっさん  投稿日: 9月13日(水)10時47分27秒
 
書き込んだあとに韓国人にきいたのですが、「グンリ」はあまり使わないようですね。
使われる文により、日本語とは違う言い回しをすることが多いようですね。
直訳と辞書の鵜呑みは恐ろしいです、、、、でもみなさん「グンリ」しましょう。
 
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窮理しましょう。 投稿者:やっさん  投稿日: 9月13日(水)10時28分05秒
 
日本語の「勉強」について思い出したので書き込みます。
きんちょさんはもちろん御存じですが、韓国語は「コンブ」ですよね。
漢字で書くと「工夫」になるわけで、「なるほど、工夫するから勉強か」
と韓国語を習いはじめた時、変に納得しました。でもすぐに「じゃ、日本語の
『工夫』は韓国語でどうなるのかな?」と思って調べると「グンリ」になり、
漢字で書くと「窮理」で知恵を絞るという意味になり、これまた「なるほど」と
納得しました。Oyanagiさんの言う「視点」の違いを楽しんでいたように思います。
よく日本語の後ろに英語の訳がついていて、確かに訳はそうなるのだろうけど、
その文型を使うと「微妙にニュアンスが変わる。」とかいった説明まであるものは
少ないでしょうね。ただ意味がわかるようになるだけでなく、使えるレベルまで
学習者をもっていくには教師側がもっと調べ、それからの「グンリ」が必要かも
知れませんね。
 
ずっと昔ですが、ある先生に「勉強はおもしろくない。漢字も「勉」と「強」で
強制されてするようなニュアンスがある。しかし研究はおもしろいぞ。」と言われた
ことがあります。それ以来、「勉強」と言う言葉を聞くと、無理強い、努力、などの
言葉が連想されて、どうせやるなら研究のほうがいいなと思うようになりました。
好きなことを深く追求していくのだから、無理強いも努力も関係ないですよね。
人から見れば「よくがんばるな」とか「すごい努力」とか言われそうでも、本人は
「好きなことをやっているから、、、」というかんじでしょうね。
 
フランスでのことですが、「トラバーユ」(仕事)ときくと、どんなイメージが
ある?」と現地で聞いたのですが、みんな一様に顔をしかめました。日本の求人誌
の名前だというと「オエー」といっていました。日本人の耳にはやわらかくふんわり
としたようなイメージの言葉に聞こえるのにね、、(私だけか、、)
宿題も「ドゥボワー」ということばで強制、というニュアンスが入っているよう
ですね。強制されてやっている間は、なんでも面白くないのは万国共通ですね。
何ごとものめりこんで楽しくなるレベルまでがんばりたいものです。
 
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ファイト一発! 勉強一発! 投稿者:Oyanagi  投稿日: 9月12日(火)20時50分44秒
 
 
きんちょさんの韓国人の応援の仕方を読んで思ったことを2つ。
その1
競技をする人を励ますますために、
「闘志を出して向かっていけ、頑張れ」の意味で『ファイト!』と言いますが、
あるスポーツライターが自分の経験を回想して
日本語がわからない外国人の野球選手を激励したくて
”ファイト! ホームラン! OK?”と言ったら
その選手は
”ホームランOK,but NO ファイト”
と言うから、変なやつだと思って、それから何度か
”ファイト!ファイト!と言ったら、付き添いの
通訳から「ファイトは乱闘しろという意味になるんです」と
聞かされて納得したそうです。
カタカナは元の英語の意味とずれることはよくあることですが、
そんな例の一つだったようです。
 
その2
欧米系の学習者が、あの某製薬会社のドリンク剤のコマーシャルを
見たらしく、「ファイト一発って何ですか?」と聞かれたことがあります。
ファイトにも「一発」というカウンターを付けてしまうことに
日本人のイメージの広がりのすごさ(?)を感じたことを覚えています。
まあ、このせりふはファイトのカウンターとは考えないという見方もできますが、
日本人がこのコマーシャルを初めて見て、「なんで一発なんだ?」と
思った人がいるでしょうか。
新しい表現はこうやっていろいろなところで生まれているんでしょうね。
「一発」について私たちが持っているイメージがちょっと広がった瞬間、
その広がりに聞き手の注意が自然と引き付けられたものだと私は思います。
それがあまりにかけ離れていると違和感を感じます。
参考書を買ってもらった子供がねじりハチマキで拳を振り上げて
「勉強一発!」なんてコマーシャルを自然に受け取るような時代には
ならないほうがいいのかなと思っています。
 
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無理しましょう 投稿者:きんちょ  投稿日: 9月12日(火)19時40分45秒
 
 ついつい、話題に つられてしまいます。
 
> 日本語『無理』=『勉強』中国語だって! 
> これじゃ勉強の意欲もそがれますよね(^o^)
 
 ハハ。「勉強してください」というのは、値段をまけてくれというときにも
つかいますが、それにしても、いわゆる「勉強」にしても、「無理してやる」
という意味が根底に あったといわれていますよね。その「根底」のほうは
わすれられてますけれども。
 
 ところで、それじゃ「勉強してください」の かわりに、「研究してくださ
い」とか「習得してください」とか いってもよさそうですが、そう ならない
のは、試合にのぞむ選手にむかって「かってください」と いいにくいのと
おなじ心理なのでは。(でも、最近は いうのかな?)
 ちなみに韓国語では、「ファイト!」(実際にはingをつけて「パイティン」
に ちかくなるけれども)と いっしょに試合中でも「イギョラ!」(勝て!)と
連呼します。日本語話者の わたしの感覚では、「選手が できることは『がんば
る』ことで、かちまけは その結果じゃないか」と おもうんですけどね。
気が みじかいんでしょうかね。(おっと、失言。)これと同質に かんじる
ことなんですけど、韓国語では「だれ/なに」と「だれか/なにか」の区別が
はっきり しません。だから、日本語だったら「なにか ありますか」「だれか
いますか」と まず きいてから、つぎに「なにが ありますか」「だれが いま
すか」と なるべきところを、いきなり「なにが」「だれが」のように きいて
こられて、びっくりしたりします。会話が はやくすんで便利といえば便利
ですが、失礼だなと おもうことも あります。(やっぱり気がみじかい?)  
 
http://akizuki.pr.co.kr/
 
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視点の面白さ 投稿者:Oyanagi  投稿日: 9月12日(火)17時49分48秒
 
ベルさんの「新聞」の「聞」の疑問とそのレスを興味深く拝見しました。
日本語教師をしていなかったらよほどのことがなければ、なぜ「聞」なのか
などと疑問にならなかったと思います。私自身考えたこともありませんでした。
私がとくに興味をもったのはベルさんの投稿の次の部分です。
>「新聞」はどうして「読」ではなく、
>「聞」をつかっているのか」という
>質問を受けました。
合理的に熟語の成り立ちが説明できるものはいいのですが、
こういうものって「なぜ?」って聞かれると困ってしまいますよね。
ところでこの質問した方は『私は新聞を読んでいる』という生活経験
から「なぜ『読』ではなく、「聞」なのか?」という発想になっている
ところが私としてはとても興味深いです。
<受けての視点>とでも言えばいいでしょうか。
中国語では新聞のことを「報紙」とも言うと思うのですが、
これは新聞の<送り手の視点>ですよね。
「新聞」も『新しく聞いた(ことを書いたもの)』ということで
<送り手の視点>の言葉なのかなと半分こじつけて考えたりしました。
このことで思い出したのは学生に「〜というのは〜のことです」という
文型を使って文を作らせていた時に、『バス停というのは〜』の課題で
ほとんどの学生が「バスが止まるところ」「バスに乗る場所」と答えた
ことです。実際には降りる人もあるから「バスが止まって人が乗ったり
降りたりするところ」となるのがいいのかと思いましたが、それはともかく
教室にいて文を作らせると「降りること」の視点がなかなかとれないのかなと
思ったものです。
余談ですが、以前上岡竜太郎が司会をしている番組だったと思いますが、
ブラジャーをジェスチャーで説明するようにお願いすると、
男と女では違うことを取り上げていたように記憶しています。
女性はそれを身に付ける動作をするのですが、男性は・・・・・
(まあこれは言わなくても想像できると思いますので)
これを見た何人かの友人が「なるほど」とうなずいていたので
さもありなんと思った次第です。
ということで、認知言語学を勉強している私にとってとても興味深い話題でした。
さらに余談ですが、
今回のことで初級の教科書の単語帳(中国語の対訳付き)を
ぱらぱらとめくっていてすごいのを見つけました。
日本語『無理』=『勉強』中国語だって! 
これじゃ勉強の意欲もそがれますよね(^o^)
 
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形式名詞と逆補充 投稿者:きんちょ  投稿日: 9月12日(火)17時15分05秒
 
> 本文では「〜た。その結果〜」となっていますが、練習では
> 「〜た結果〜」のように一文にするようになっています。
> この課を教えたときのことを思い出してみると、確かに連体修飾などという
> ことには触れず、意味をとってそして文を作る練習をさせていたようです。
 
ちょうど《機能語》《形式名詞》なんかのことが でてきたので かきますが、
「わけ」は「理由」という意味なのに「〜ため、〜わけです」の「〜わけ」の
まえには「結果」が きますよね。その項目をおしえたときに、そんなことを
ひきあいに だしたのを おぼえているんですが、そのときは「逆補充」などと
いう用語は しらなかったから、そもそも その基礎になっている修飾関係が、
ある ひとたちには理解がむずかしいかもしれないと いうことには 注意が
むいていませんでした。
 でも、英語でも the reason why と いうべきところの why は、
省略されるのではなかったのでしょうか? (よくおぼえてない)
 
http://akizuki.pr.co.kr/
 
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<機能語>というすみにおけないヤツ 投稿者:Oyanagi  投稿日: 9月12日(火)16時18分35秒
 
連体修飾節の「外の関係」が中上級でどのように教えられているかということ
について、やっさんからの以下のコメントで改めて日本語の「機能語」の
存在の大きさを実感しています。
>連体修飾構造に目を向けずそれぞれの文の機能面に注目し、
>導入→練習という形で扱ってきたような気がします。
 
『中級から学ぶ日本語』(研究社)という教科書で「〜た結果」が
文法点として取り上げられているのを見つけました。(第18課)
本文では「〜た。その結果〜」となっていますが、練習では
「〜た結果〜」のように一文にするようになっています。
この課を教えたときのことを思い出してみると、確かに連体修飾などという
ことには触れず、意味をとってそして文を作る練習をさせていたようです。
そして、もうひとつ。どの教科書か忘れましたが、
「〜したはずみで〜」という表現を勉強した時にも確かに
連体修飾節(外の関係、因果関係)なんて思ってもみなかったですね。
ちなみに英語の訳を辞書で見ると
『転んだはずみに財布を落としてしまった』
I dropped my wallet when I fell down.(小学館プログレッシブ英和中辞典)
となっています。「弾む」という単語の意味を理解した学習者が
「〜したはずみに」をその拡張された文法として理解してくれたでしょうか。
 
こんなふうに日本語には名詞が文法化されたものがとても多いと思いました。
その最たるものは形式名詞でしょうか。
中上級になると日本語の文法は「機能語」の勉強になるのだと初めて実感した
のは日本語能力試験の『出題基準』が公開されて「文法1、2級リスト」を
見たときです。
「〜たはずみに」がwhenで片付けられてしまうのはなんとも寂しいですが、
日本人が英語を勉強する時に「〜ようだ」と一言ですませてしまうところを
英語では "It seems/looks/sounds/smells〜"などように具体的に情況に合わせて
使い分けることを知って「へ〜、面白いな」と思った感覚(私だけかな(^_^;)
日本語学習者がwhenが具他的情況に合わせて「はずむ」なんて単語も
使うのかと「これは面白いな」と思ってもらえたらなと思いました。
 
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漢字は難しいですね。 投稿者:やっさん  投稿日: 9月12日(火)16時16分43秒
 
きんちょさんこんにちは!日本語の表記に関してはなんともいえないものが
ありますね。カタカナ表記なら目立たせるというような使い方もあると思うんですが、
わざとひらがなにしたり、日本語はかなり自由度が高いように思うんですが、、、
それにしても「讀賣新聞」の「バイドク」はいいですね。なんか「いいニュースも
悪いニュースもまきちらす!」という雰囲気がただよってきます。(どんな新聞や?)(^^)
それにしても日本の若い方の漢字嫌いというか、漢字知らずはかなり進行しているように
思います。読解力にかなり影響があると思うんですけどね、、(私もエラそうに言えませんが)
ですから、旧字体にはルビをふらなければ罰金とか、、、そうすれば漢字が読めなくて
恥ずかしい思いをしなくてもすみますからね。(勉強しない方が悪いかもしれませんね)
何が言いたいのかわからなくなってきましたね。
 
Yukikoさんごぶさたです。更新されましたね。実用的なものを題材に
選ばれて、非漢字圏の人にはきっと役にたっていることと思います。\(^o^)/
横浜って聞くと関西人で山の中にいる私はなぜかあこがれを感じます。
海が目の前にパアっと広がり、船の汽笛が聞こえるデートコースとしては最高の
ところで、関西の神戸のような感じでしょうね。(行ったことがない、、、(;_;))
今度、学生にいかにも知っているような顔で「初めて新聞ができたのは、、、」などと
やってみます。(セコイ!と言われそう、、)   ではでは(^O^)/
 
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讀賣新聞 投稿者:きんちょ  投稿日: 9月12日(火)15時01分50秒
 
「讀賣新聞」って、ちいさいころ よめませんでした。「賣」の したに「買」が
あるので、「よみかいしんぶん」かなって おもってました。「よみかいしんぶん」
「バイドク新聞」なんて『讀み』が 一瞬、あたまをかすめたりして。かんがえてみれば
「買」に「士」をつけて「賣」になるというのは どういうわけなのか不思議ですね。
いまでも「讀」・「賣」・「買」は、「開」・「閉」と おなじくらい まぎらわ
しいです。エスカレータの表示なんか、いっそのこと「飽」「湿」なんて かいて
あったら いいんじゃないかと おもったりします(本気じゃありません)。
 
 それにしても、「よみうりランド」は かな表記ですよね。新聞はどうして、
舊字體なんだらふ。そういえば『サンケイ』は いつから『産経』に なったの
でしょう。『しんぶん赤旗』は、かつて『アカハタ』だったはずなのに、いつ
から、なぜ、『赤旗』になったのか? で、なぜ『しんぶん』の部分は ひら
がな? (ちかくに共産党のひとがいたら、きいてもらえませんか?)なぞは
ふかまります。
 
 「新」の ひだりがわに一本よこ線が おおいのは、いわゆる「正字」よりも
もっと ふるい かたちのようですから、「舊字體」と よべるかどうか わかり
ませんが、漢和辞典によれば、「辛」と「木」と「斤」の くみあわせなのだと
か。「木」を「おの(斤)」で きって、「いた(辛)い!」と いいながら
でてきたのが、「新」と いうことなんでしょうか。ニュースというのも、
現実をスパッと きりつけた断面から すがたをみせるものなのでしょうね。
(そういう“ニュース”を報道するジャーナリストが ちかごろ めっきり へって
きたような……。)
 
 なあんて、語源論・字源論に かこつけて すきなこというのも、たまには いいものですね。
わかい ころは実証的な研究をじみちに やってたはずの学者さんたちが、じいさん・
ばあさんになって そんな本をだしたりする気もちも わからなくは ありません。そっちの
ほうが、ずっと 世間の みみに はいりやすいものですから。
 
http://akizuki.pr.co.kr/
 
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新聞についてですが、 投稿者:Yukiko  投稿日: 9月12日(火)11時52分19秒
 
 
手持ちの「語源ものしり辞典」(大和出版:樋口清之監修)によりますと、以下の通りです。
  古く中国で用いられており、すでに唐の時代に地方で起こった出来事を随筆体の読み物にした
  「南楚新聞」というものがある。日本では文化4年(1807)版の「西洋方代暦」のなかに
  「新聞」の文字が見える。日本で最初に発行された新聞は、マカオやオランダ、バタビアあたりの
  雑誌の翻訳を載せた「マカオ月報和解」や「官版バタビア新聞」(文久2年1月刊)、「海外新聞」
  等である。慶応4年(1868)には「江湖新聞」という最初の邦字絵入り新聞が福地桜痴(おうち)
  を中心として創刊されている。現在の新聞の概念に近いものは、明治2年「新聞紙印行条例」
  公布ののち、明治3年12月に発行された「横浜毎日新聞」が最初である。(以下省略)
 
 
ということで、語源というよりは歴史的な情報のみですが。この最後の「横浜毎日新聞」、私は
横浜の開港資料館(記念館だったかな?)の特別資料室みたいなところで、見せていただいたこと
があります。横浜が様々な近代文化の発祥の地であることを実感したものです。
余談ですが、「朝日新聞」の「新」は旧字体で真ん中に線が一本多いですよね。「読売新聞」は
「読売」の部分だけ、旧字体。他の新聞社はどうでしたっけ?
文法論議にはあまり参加できず、こういう雑学的なことにしか首をつっこめない自分が情けない(T_T;) 
ついでですが、漢字のホームページちょっぴりですが、更新いたしました。リンクのところに
日頃私が参考にさせていただいているサイトをご紹介してみました。ただいま、電子レンジの
ボタンの漢字と取り組んでおります。 
 
http://neverland.to/kanji/
 
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連体修飾は連帯責任? 投稿者:やっさん  投稿日: 9月12日(火)08時59分26秒
 
大阪へ出張している間に書き込みが進んでいて、準備していたのを書こうかどうか
悩んじゃいましたが、せっかくだから書き込みます。また蒸し返すようで気が引け
ますが、、、
 
いつもながらお二人の研究熱心さには頭が下がります。「連体構造」は苦手な部分なの
で勉強するいい機会になりました。きんちょさんのいう
 
>「知覚の内容をあらわす」連体節になると おもわれます。
> その特徴は、「〜という」の介在をゆるさず、「底」の名詞の
>内容説明になるような「ソトの関係」というふうに とらえる
>ことが できそうです。
 
を読んで、そういえば「〜という」を必要とする連体修飾は今までどこで教えて
きたのだろう?とOyanagiさんの疑問に私もぶち当たり、今まで扱ってきた
教科書をちょっと調べたんですが、中級のところで使っていたものに
・用意ができたという放送が聞こえます。
という文で、提出し、「伝達内容を導く言い方」ということで扱っていました。
その後、「外の関係」になるものはないように思います。というより教師側が
連体修飾構造に目を向けずそれぞれの文の機能面に注目し、導入→練習という形で
扱ってきたような気がします。
 
Shujiさん、ごぶさたです。(^o^) 私も「新聞」のお話、どこかで聞いた(読んだ)
ことがあります。英語の訳から来ているのでしょうね。もし、「新聞」がなければ
今でも「かわら版」とかになっていたりして、、、
 
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新聞の「聞」について 投稿者:Shuji  投稿日: 9月10日(日)20時02分27秒
 
ベルさん、参考までに書いておきます。
「新聞」は明治初期の滑稽小説「安愚楽鍋」に出ているのが初出のようですから、おそらく英語のnewsを
翻訳したものと考えられます。文字通り「新しく聞く出来事」で、今よりは広い意味で使われていたはずです。
「安愚楽鍋」には今で言う新聞を「新聞紙」と表現していますが、ある箇所では「新聞」と略した
用法もすでに見られるので、この略された「新聞」という表現が今日使われているのでしょう。
中国語にも「新聞」という表現がありますが、日本語の「新聞」との貸借関係は調べてみなければ
何とも言えないです。お詳しい方、補足を願います。Shuji
 
http://shibuya.cool.ne.jp/brn/
 
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新聞の「ぶん」はなぜ「聞」? 投稿者:ベル  投稿日: 9月10日(日)18時32分12秒
 
いつもいろいろ勉強させていただいています。
さて先日、非漢字圏の方に漢字を指導していて
「日本語の漢字を使った言葉は漢字を見ればその意味がわかるはずなのに、
「新聞」はどうして「読」ではなく、「聞」をつかっているのか」という
質問を受けました。その場では、日本語独自の使い方ををしている漢字も
多いから(例えば、「都合」「都度」など)といいましたが、後で私もなぜ
新聞は読む物なのに「聞」を使ったのだろうと疑問に思いました。
漢字辞典を見ても「聞」には耳から入れるものといった意味しかなく、とても
気になってしまったので、皆さんのご意見を伺いたいと思います。
また、漢字の成り立ちについて調べるいい参考文献があれば、教えて下さい。
 
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韓国語では… 投稿者:きんちょ  投稿日: 9月10日(日)11時32分21秒
 
だいたい おなじように つかうみたいですよ。くわしく みれば、
ちがいが あるんでしょうが、ゼミで「ソトの関係」を発表した
ときにも、「韓国語とちがう」という意見は でませんでした。
 
http://akizuki.pr.co.kr/
 
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非用の傾向があるかも 投稿者:Oyanagi  投稿日: 9月10日(日)08時00分11秒
 
きんちょさんの「作文での不自然さや間違いにつながる」とう指摘を読んで、
過去の作文指導を思い出してみました。
連体修飾関係の文の添削がどの程度だったかははっきり覚えていないので
過去の作文のコピーなどを見直してみようかなと思っています。
もしかしたら、相対性の名詞を使った「外の関係」の連体修飾文は
あまり積極的に使っていない(非用)のかもしれません。
ところで、韓国語に詳しいきんちょさんにお尋ねしたのですが、
韓国語では連体修飾で「外の関係」のようなものがあるのでしょうか。
 
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「意味がとれる」わけは? 投稿者:きんちょ  投稿日: 9月 9日(土)12時31分34秒
 
 
そこなんですよね。寺村 秀夫氏が「相対性の名詞」を「底」にもつ
連体修飾での『逆補充』と いうのをとりだしたのは、英語に訳すと
意味が反対に なってしまうからだというのが 最初に あったのだと
おもうんです。実際、本の中でも そういうことをコメントしていま
すし。そうすると、「意味がとれる」というのは、この件に関して
学習者の母語(による思考)が たまたま英語よりは 日本語ぽかった
からだと おもっておかなければいけませんね。そうでなければ、
とんでもない誤解をしている可能性も あるわけです。あるいは、
「雪がふった原因」と「雪がふったという原因」との区別がつかな
かったり、前者の形式も ときには後者の意味に なりうるという
ことが みすごされたりも するのではないでしょうか。とくに
読解では めだたなくても、作文での不自然さや まちがいに
つながるような気がします。
 
http://akizuki.pr.co.kr/
 
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「外の関係」の指導は? 投稿者:Oyanagi  投稿日: 9月 8日(金)23時16分10秒
 
 
「さんまの焼ける煙り」の問題はひとまず置いておいて、
ふと気になったことがあります。
初級で連体修飾節の学習をするときは「内の関係」を教えると思いますが、
中級になって「外の関係」の連体修飾節を学習することはあるでしょうか?
実は、私の経験では中級や上級の教科書で「外の関係」を文法として
とりあげて教えたことがありません。
教科書によっては取り上げているものもあるのでしょうか?
読解の作業でも「これは初級で勉強した連体修飾とは違いますよ」と
説明したことありません。
今思い起こすと、私はとても怠惰な教師だったのでしょうか・・・・。
しいて言い訳を考えれば、
基本的な連体修飾節の文型を勉強すれば、それが「外の関係」に
なっていても『意味がとれる』から教師も学生もそれほど問題に
感じないということでしょうか?
 
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と、いわれても、 投稿者:きんちょ  投稿日: 9月 6日(水)22時03分48秒
 
 
おたずねの ところは、ただの おもいつきで かいただけですから、
たたいても、ホコリ以外は でてきませんよ。
 
 実は、原因をあらわす構文が、「相対性の名詞」のケースの
延長だというのも、半分くらいしか納得していません。
というか、そこの項目は、もうすこし こまかい分類をしないと
あつかいにくいんじゃないかと おもいますが、なんだか
よく わからないんですよね。
 
 もうすこし かんがえてから、また かきこみます。 
 
http://akizuki.pr.co.kr/
 
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知覚のありかた 投稿者:Oyanagi  投稿日: 9月 6日(水)04時11分30秒
 
きんちょさん、寺村説を引用しながらの分析、有難うございます。
「におい」と「煙り」についてはきんちょさんが指摘されたように、
『独立した存在』として捉えるかどうかが問題になっているようですね。
<知覚の内容を表わす連体修飾節>というのは基本的には私たちの五感で捉えたものごとを
表わす名詞を被修飾語にするので
・視覚 →「姿」「様子」
・聴覚 →「音」
・嗅覚 →「におい」
・味覚 →「味」
・触角 →「感触」
といった名詞が使われることになって、「煙り」というのは明らかに異なるものですよね。
ということで、<内容節>を表わす構文として「さんまの焼ける煙り」というのは
「さんまの焼けるにおい」と似ているけど不自然になるのでしょう。
 
しかし、<因果関係>を表わす構文としては「〜によって生じるもの」という意味では同じ
なので、言えないことはないはずだと思うのですが。
実は、「匂」「音」「味」は寺村先生は<内容節>に分類されていますが、
『どんな/何の〜ですか』に対する答えになるという意味では<内容節>の特徴もあり、
その一方で『何によって生じた〜ですか』に対する答えになるという意味では<因果関係>
の特徴ももつので、その意味では両者のボーダーにある名詞ではないかと思います。
 
そこで、因果関係(※相対名詞の連体節の一部と考えて)としてみた時には、
きんちょさんが指摘されたように、その『相対性(因果関係)の強さ』が問題になっている
ように思います。
でも、具体的にどのように私たちはその程度を認知しているのかとなるとまだ漠然としか
わかりません。きんちょさんの『その原因と一体のものとして把握される』という指摘が
何かとても重要な気がするのですが、その説明部分(『実際に〜』以下の部分)は
まだはっきりと理解ができていません。できましたらもう少し説明を加えていただけたら
ありがたいのですが。
 
「上、下」とか「翌日、前日」とか「帰り」や「残り」などの<相対性>をもつ名詞は
比較的はっきりとしていますが、その一種類とされる<因果関係>を示す名詞というのは、
結局はその人の捉え方による部分があるので、<外の関係>で連体修飾できるかどうかは
慣用の度合によってその自然さが決まるということになるのでしょうか。
それにしてもどんな名詞が慣用の度合が高いのかというのはとても興味があるのですが。
 
ちなみに、検索エンジンを使って「〜たたんこぶ」の使用例を調べたところ、
71件中、「〜にぶつけたたんこぶ」が1件、「〜に殴られたたんこぶ」が2件
見つかりました。
使っている人はいるんですね・・・。そうなるとますます知りたくなります。
もし慣用の問題であれば、他にこのように慣用の度合が低いけど使用されている例を
もっと集めてみれば何か見えてくるような気がします。
ということで、「こんな例はどうですか」というのがあったら教えてください。
私ももう少し考えて見ます。
 
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寺村説にそって かんがえると…… 投稿者:きんちょ  投稿日: 9月 5日(火)23時19分17秒
 
 
 寺村 秀夫 氏の著作は よんでいるOyanagiさんには いう必要の
ないことかもしれませんが、寺村氏の説に そって かんがえると、
 まず、
 
◯「さんまの焼けるにおい」
 
は、「知覚の内容をあらわす」連体節になると おもわれます。
 その特徴は、「〜という」の介在をゆるさず、「底」の名詞の
内容説明になるような「ソトの関係」というふうに とらえる
ことが できそうです。
 
 寺村氏によれば、「音、におい、味、様子、姿、場面、形、
感じ、感触」などのほかに、「絵、写真、光景」なども この
ような用法が あるということになります。結局、節の形式−−
主語と述語をそなえた形式−−の かたちで把握されるような
事態と ともに知覚されるような ものごと、事物が「底」で
あることが、この用法が つかえる条件なのではないでしょう
か。
 
?「さんまの焼ける煙り」
 
は、「におい」に くらべると、「けむり」だけを独立した
存在として とらえる意識が つよい分だけ、不自然なのかも
しれませんね。この説明だと、結局、われわれの知覚のありか
たが、こういう表現に反映しているということに なるのかも
しれません。
 
 
 これらに対して、
 
◯「ナイフで切った傷」
?「柱にぶつけたあざ」
×「柱にぶつけたたんこぶ」
 
の3者は、成立するとすれば「相対性の名詞」に対する「補充」
(寺村氏は「逆補充」と いっているけれども、わたしは、寺村
氏の「補充」を「添加」、「逆補充」を「補充」と いったほう
が わかりやすいと おもっています)の用法でしょう。
つまり、簡単にいえば、「傷を切った」わけでも、「あざや
たんこぶを柱に ぶつけた」わけでも ありません。だから、
「傷」「あざ」「たんこぶ」に意味を添加しているのではなく
て、それらの ことばだけでは文脈の なかで自立させられない
名詞が具体的な意味をなすように修飾しているのだと みるべき
なのではないでしょうか。
 
 典型的には、「私たちが歩いている下」(実際には『上』を
「あるいている」)のような位置関係をふくむ名詞が「底」の
ときに つかわれますが、「結婚した相手」の「相手」も、
よくよく かんがえると「ウチの関係」ではなくて、相対性の
名詞への補充であるようです。(「わたしは『相手』と結婚
しました」とは いえない。)そして、寺村氏は、原因をしめ
す「ソトの関係」の連体修飾は、この相対性の名詞のときの
用法の延長だと みているわけです。
 
 ですから、この説に たてば、修飾の自然さというのは、
「傷・あざ・たんこぶ」の もっている「相対性」の つよさ
によって きまっていると いえそうです。つまり、「傷」は
「あざ・たんこぶ」に くらべて、その原因を指定されて は
じめて実質的な意味を もちうる(と いえる)どあいが た
かいと かんがえられるということです。
 
 実際、「あざ・たんこぶ」は、やろうと おもえば、あらた
めて それらを「柱にぶつけて」みても、「おなじ」「あざ・
たんこぶ」でありつづけるだろうけれども、傷を あらためて
「ナイフで切って」しまうと、その傷は 「別の」「傷」に
なるのではないでしょうか。つまり、「きず」というのは、
つねに その原因と一体のものとして把握される概念なのだ、
と かんがえられないでしょうか?
 
 ま、いちおう、たたき台になるかどうか わかりませんが、
かいてみました。「その説明では、ここが おかしい」という
のが でてくると、おもしろいのですが。
 
http://akizuki.pr.co.kr/
 
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慣用の問題なのでしょうか? 投稿者:Oyanagi  投稿日: 9月 4日(月)21時54分02秒
 
やっさん、レスありがとうございます。
不自然にみえる文も『〜(によって)できた/る、生じた/る』を補えば自然になる
というのはそのとおりだと思います。
結局「内の関係」になれば自然になるということですよね。
その『 』の部分を補わなくても「外の関係」として成立する文としない文があると
いうのは、つまるところ『慣用』の問題なのでしょうか?
前回の投稿ではちょっと不明瞭だったので、
改めて私の語感を書いておきます。
◯「ナイフで切った傷」「さんまの焼けるにおい」
?「柱にぶつけたあざ」「さんまの焼ける煙り」
×「柱にぶつけたたんこぶ」
となるのですが・・・・
そこで、「傷」と「あざ」と「たんこぶ」の違いは何だろう?
「におい」と「けむり」の違いは何だろう?ということになったわけです。
他にもこのように、似ているようで実はちがう例があったら教えていただきたいのですが。
 
P.S.やっさんが作ってくれた「焼ける煙り」の例文のように、実際には使っているなと
思って、いつものように検索エンジンで調べたところ、「魚」「タイヤ」などで
そのような使用例が見つかりました。
でも、「焼けるにおい」と比べたらなんか落ち着かないという気もするのです。
はやく頭の中のもやもやを消しさっておいしく秋刀魚を食べたいです。(@o@
 
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秋刀魚の美味しい季節 投稿者:やっさん  投稿日: 9月 4日(月)12時35分22秒
 
 
暑い夏もすぎて秋刀魚の季節ですね。久々の書き込みです。
Oyanagiさん、おひさしぶりです。
連体修飾ですが、はじめに読んで1)の「におい」の文は違和感がありませんでした。
同様に2)の「傷」の文も違和感がありませんでした。
それでまず1、2)の不自然に感じる文を自然な感じで意味が通じる文を考えたの
ですが、
 
※「柱にぶつけてできたたんこぶ」
※「ナイフで切ってできた傷」
※「柱にぶつかってできたあざ」
 
のように「できた」を補わなければちょっと違和感が残ってしまうように
思いました。しかし談話の中で出てきて、しかも外国人が発話した文だったら
意味が通じて、そのままやりすごしてしまいそうな文ですね。
 
A「窓から秋刀魚のやける煙りが入ってきて、部屋の中が煙ってんで!」
B「ほんまやな。反対の窓、あけとこ。」
 
という感じでしょうか?
基本的な連体修飾の文しか扱っていないので、違和感が残るような文を
考えたことがありませんでした。まだまだありそうですね。
 
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さんまの焼けるにおい 投稿者:Oyanagi  投稿日: 9月 3日(日)00時41分35秒
 
皆さんこんにちは。もうすぐ秋がやってきますが、秋といえば秋刀魚。
魚の焼ける煙がとなりの家から入ってくるなんていうことは都会ではあまりなくなった
のかもしれませんが、最近ちょっとこの秋刀魚にはまっています。
といっても魚の味ではなく標題の日本語です。
『言語』1997年2月号の特集記事「例解日本語文法」で益岡隆志先生が次のような
興味深いテーマを提起されています。
1)「さんまの焼けるにおい」は自然だが「さんまの焼ける煙り」は不可
2)「ナイフで切った傷」は自然だが「柱にぶつけたたんこぶ」は不可
ということで、因果関係の「外の関係」の連体修飾節の問題を取り上げて
どのような条件で不自然な場合が生じるのかを分析しています。
そこで疑問なのですが、2)は確かに不自然ですが、1)はどうでしょうか?
実はこの書き込みの始めにこっそりこの文を忍ばせておいたのですが、
その部分を読まれた時に違和感があったでしょうか。
私は最初にこの文を読んだ時には確かに不自然だなと感じたのですが、でも
言わないことはないかなと思うようになりました。
皆さんの語感はいかがなものでしょうか。
ついでながら2)の文は皆さんにとっても不可と感じるでしょうか?
3)柱にぶつかったあざ(がまだ消えない)。(※自作)
なんて文の自然さはどうでしょうか?
「傷」「あざ」「たんこぶ」の違いは何かと考えながら今日も悶々としています。
 
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文法情報リンクへの登録 投稿者:Oyanagi  投稿日: 8月 4日(金)11時14分27秒
 
 
やっさん、お元気ですか。毎日暑い日が続きますね。
私のHPで公開している「格大版 文法情報リンク集」にやっさんの塾生研究目録を
登録させていただきました。(事後報告ですみません(^_^;)
過去の研究目録をダウンして目を通すのに時間がかっかったもので、公開版には
ちょっと間に合いませんでした。
改めて過去のログを読んでみて「ああ、こんなことで盛り上がったこともあったな〜」と
一人想い出にひたっていました・・・。
これからもよろしくお願いします。
 
http://www3.tky.3web.ne.jp/~oyanagi/index.html
(第19巻 2000年9月19日〜10月31日) 「〜ずにおかない」や「続々と(に)?タリ、ナリ活用」「〜にくい、やすい」
偶然たりえない 投稿者:yukari  投稿日:10月31日(火)18時52分27秒
 
 
Oyanagiさん、「調べてみれBAR」、もちろん拝見しました。
私もやっさんの「静かさ、静けさ」ではkensakuをかけて調べました。
使用例がたくさん出てくると、今回の「たりえない」のように、迷い
も出てきますが、見えてくるものがありますね。更新を楽しみにして
います。
 
Shujiさん、実は私もこの「たり」が古語なのに「える」が現代の形、
と言う所に惑わされてしまいました。でもそういう形成のしかたも
「ありうる」ことなのですね。
 
必然たりえない偶然はない
人は一人では人たりえない
 
こういう名言に重い意味づけをするために、「たり」と言う古語が
日本語の中に受け継がれて来たのでしょうか。私の同僚が、「例文
に自分の主張をこめる」と言っていましたが、「たりえない」を教
えるとしたら、私はこの二つを使おうと思います。
 
http://www2u.biglobe.ne.jp/~y-japan/
 
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「たりえない」も「ありうる」? 投稿者:Shuji  投稿日:10月31日(火)10時29分24秒
 
 
みなさん、盛り上がっていますね。(^O^)
今日のひる偶然に見たNHKの「ニュースTEN」(バルセロナは日本より8時間遅い)で榎原アナウンサー
「ブッシュ氏がカリフォルニア州で勝利を収めることは[ありうる]んでしょうか?」と「ありうる」の
ところをかなりはっきりと言ったのを聞いて、私も考えてみました。
「うる」は文語「得(う)」(下二段)の連体形で口語は「える」(下一段)のはずだから、榎原さんは
口語文に文語表現「ありうる」を挿んでしまったわけですが、あまり違和感は感じられません。寧ろ
「ありうる」の「う」に、はっとする新鮮さを感じました。
さて、「平等たりえない」ですが、「平等(名詞)」+「たり(文語、指定・断定の助動詞、連用形)」
+「え(文語または口語、動詞、補助動詞的用法、未然形。」+「ない(口語、打消し、終止形)」と見ると、
「たりえず(文語)」と「えない(口語)」の混同でしょうか。こう見ると、この表現は「平等たりえず」
若しくは「平等でありえない」とするのが普通なのでしょうが、<口語文の中の「たり」の効果>を意識し
使っているかもしれません。
「教師たる者…」の「たる」は指定の「たり」の中で唯一口語で残っている連体形で、受ける語に「重い
意味付けをする効果」があり、口語文の中に「たり」の形で文語として使う場合もこの「重々しさ」の意を
意図しているような気がします。これらは皆さんがすでに指摘していることですね。口語文の中に文語的表現を
挿むことは、表現の上で意外と新鮮な効果が生まれる可能性も感じます。Shuji
 
 
http://shibuya.cool.ne.jp/brn/
 
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金八先生を思い出しました 投稿者:Oyanagi  投稿日:10月30日(月)22時45分40秒
 
 
yukariさん、こんにちは。
そうですか、yukariさんもはまってるんですか。私なんか気になる語彙の
検索結果は片っ端からディスクにダウンロードしています。
なにしろ、最近20Gのハードディスクを買い足したもので、もう入れ放題という
状態でうれしい限りです。
 
ところで、「たりえない」の例文で
『人は一人では人たりえない』というのは名言ですね。
思わず金八先生を思い浮かべました。
「人という字はね、・・・・」というやつです。
たぶん、クリントンの文もこれも意味は「〜として存在できない」
となるんじゃないでしょうか。
「たる」が単に「ある/いる/である」じゃなくて<資格>の意味合いが
入ってくるのでそんなふうに訳すと良さそうな気がするのですが。
 
「人は一人では人として存在できない」
「クリントンは日本の首相として存在できない」
          (注:オリジナルは「首相」だと思います)
 =「クリントンは日本の首相にはなれない」
 
恐らく前にくる単語によって若干訳し方が変わるとは思いますが、
基本的には「〜ではありえない」でいいと思います。
 
ところで私が検索結果を見たところでは「必然たりえない偶然は無い」(#8)
という一読しただけではなんじゃこれ?みたいな哲学的なのが面白かったですね。
古今東西の名言集なんか見たらけっこう「たり、たる、たれ」が出てきそうですね。
 
今度HPにネット検索に関する部屋をオープンしたのでよかったらご訪問ください。
ちなみにこの部屋のタイトルは結構悩みました。
こちらのやっさんの掲示板のおかげでタイトルには凝るようになって・・・(^_^;
 
 
http://www3.tky.3web.ne.jp/~oyanagi/index.html
 
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一人では日本語教師たりえない 投稿者:yukari  投稿日:10月30日(月)21時32分39秒
 
 
Oyanagiさん、やっさん、お忙しい中ありがとうございます。
「たりえない」は読解の文中に出てきた表現で、質問の中に
設定されていたわけではないのですが、私がひっかかってし
まいました。
 
で、その「たりえない」ですが、私もOyanagiさんの「中毒
状態」が伝染して、kensakuにはまっているのですが、そこ
の例文を検討していて、
 
 クリントンは日本の大統領たりえない
 人は一人では人たりえない
 
をみつけました。これらを
 
 クリントンは日本の大統領ではありえない。
 人は一人では人ではありえない。
 
とすると、「たりえない」とはニュアンスが違うように思いました。
「たり」が断定の助動詞だとすると、「たりえない」は文語的な感
じはあっても、意味的には「ありえない」と同じになるのではない
でしょうか。
 
ここから先、行き詰まっております。考えすぎて、自分の語感も危
うくなりかけて来ました。(^^;
 
http://www2u.biglobe.ne.jp/~y-japan/
 
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日本語教師たるもの、これぐらいの、、 投稿者:やっさん  投稿日:10月30日(月)13時34分56秒
 
 
Yukariさん、そちらではかなり熱が入ってきているようですね。
私は今年は進度のおそいクラスを担当しているので、能力試験とは
無縁のようです。しかし3級レベルの問題はやっていますけど(^_^;)
 
「平等たりえない」ですが、難しいですね〜。教える側がこんなことを
言っていてはいけないのですが、本当に読み返さないと分からないものが
1級の問題集には多いような気もします。
交流基金からでている「日本語能力試験出題基準」(外部公開用)というのが
りますが、そこにはありませんね。Oyanagiさんが例に出していた「〜たり」
「〜たりとも」「〜たる」しかなくて、例文もOyanagiさんが出していた通り
です。試験に出る出ないは別としても、「たり」は曲者っぽいですね。
私も「足り」ではなく助動詞の「たり」と考えていくほうがいいのじゃないかと思いました。
 
「老いたりといえども盛んだ」や「社長たりともそんな暴挙は見過ごせない」
 
「たり」は調べてみると文語的表現で「だ」「である」に当たるようで、
「平等たりえない」の「たり」は「足りる」とは考えにくいような気がします。
私自身使わない表現なので、困ってしまいました。Oyanagiさんの言う通り
若い世代では使うことはおろか、意味もわからないことが多いんじゃない
でしょうか。恐らく断定の意を表す助動詞で漢文訓読語(辞書にあった)として
「たり」が使われ、あまり普及しなかったが残っているものじゃないでしょうか。
間違っていたり、見当違いをしていたら恥ずかしいですが、思うところを一応書いて
おきます。現代語になおせばYukariさんのおっしゃる通り、「平等ではありえない」
になるのではないでしょうか。
「日本語教師たるもの、学生の質問には答えなければ、、、」といいたいところですが、
正直なところ「なんやねん!こりゃ」ということも多いですね。(がんばります、、やす)
 
 
 
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たり〜たる〜たれ! 投稿者:Oyanagi  投稿日:10月30日(月)10時33分00秒
 
 
やっさん、yukariさん、こんにちは。
 
日本語能力試験の指導もだいぶ熱が入ってきているようですね。
「平等たりえない」という表現が過去問題にあったそうで、そう言えば文法の
出題基準にある表現で「たり」と関係ありそうな<文語的な表現>としては
1)「〜たりとも」→『一円たりとも無駄にできない』
2)「〜たる(もの)」→『政治家たるもの・・』
なんかがありますが、「〜たりえない」も含めて同じ「たり」から
来ているように思います。
最初に考えられたように古語の<断定>の助動詞でいいのでは?
たまたま先に形容動詞タリ活用のことがありましたが、
あれも元はと言えばこの「たり」と同じなのかもしれません。
大辞林の「たり」の項では
 >物事の資格・存在・状態などを強く指定する意を表す。
 >…である。…だ。…なのだ。
と説明されています。
それで気になって「〜たりえない」と「〜者たれ(命令形)」を
ネット検索(もうほとんど中毒状態)してみしたら結構ヒットしましたね。
書き手の年齢まではわかりませんが、若者は上の1や2は自分でも
使うことはあってもこれらは聞けば分かる程度の表現でしょうか。
 
それにしても、家庭で子供が「米は一粒たりとも〜」とか
「お金は一円たりとも〜」などと言われなくなったとしたら、
新聞や本なんかも読む時間が減ってきているようだし、
1や2の表現も危うい存在かもしれませんね。
留学生のほうが留学先の大学生よりよく知っていたりなってことも(^_^;
蛇足ですが、「〜に足る」もリストにのっていますが、
会話で「信頼するにタル人間になれ」なんて言われて
「えっ樽人間ですか?」なんて反応する若者がいそうで・・・
かく言う私の語彙力もかなり危ないのですが、「最近の若者は〜」が
よく出てくる歳になってしまいました。(^^;
 
 
 
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訂正 投稿者:yukari  投稿日:10月30日(月)08時53分28秒
 
 
昨夜投稿した「たりえない」ですが、今朝もう一度考えてみたら、
「たり」は助動詞ではなくて、「足りない」ではないかと思い、
再投稿します。
 
「平等たりえない」は「平等ではありえない」ではなくて、
「平等に足りることができない」かもしれません。
もう一度考えてみます。
 
「たり活用」が頭に残っていて、すっかり助動詞だと思い
込んでしまいました。(^^;
 
 
 
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たりえない 投稿者:yukari  投稿日:10月29日(日)19時16分48秒
 
 
やっさん、日本語能力試験ももうすぐですね。
今私の学校では上級はもちろん、中級や初級の合格の見込みが薄い人たちまで
「一級、一級」と騒いでいて、能力試験対策に追われています。
 
ところでその能力試験の過去問に「平等たりえない」と言う言葉が出てきまし
た。読解問題の中の文章でしたので、前後の関係から「平等であることは不可
能だ」と言う意味に推測することはむずかしくはなかったようですが、これは
古文で使われている断定の助動詞「たり」が生き残っているのではないか、と
思いました。それに可能を表す助動詞「う」が「える」に変化してついたので
はないかと。
 
「平等ではありえない」なら現代文として外国人にもすんなりわかるのですが、
古典的な言葉を使うことで文の格調が高まるのでしょうか。どうして「たりえ
ない」が生き残っているのか不思議です。
 
その前には「かなわぬ恋」と表現しようとして「かなわない恋」と書いた学生
がいました。「かなわない恋」は文法的にまちがいではありませんが、「平等
ではありえない」とは違って、現代の言葉遣いしては違和感があります。慣用
的に「かなわぬ恋」「結ばれぬ恋」と言うのよ、と教えましたが、こういう表
現の場合は、文学的、詩的な要素を残して古語的な言い方が好まれるのは、わ
かる気がします。学生たちも喜んで覚えていました。
 
古典、私もちゃんと勉強しておけば良かったと後悔しきりです。
 
http://www2u.biglobe.ne.jp/~y-japan/
 
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タリ活、ナリ活とはね、、、 投稿者:やっさん  投稿日:10月24日(火)11時35分46秒
 
 
Oyanagiさん。いつも素早い御返事ありがとうございます。書き込みを読んだ後、
気になって「日本語教育辞典」で「タリ活用、ナリ活用」のところを調べて
いたんですが、ナリ活用は「〜に」(N)、タリ活用は「〜と」(T)という感じで
確かにおっしゃる通りだと思いました。
 
整然たり→整然と   あざやかなり→あざやかに
堂々たり→堂々と   しずかなり →しずかに
洋々たり→洋々と   ひさびさなり→ひさびさに
 
形容動詞の活用に発想がすぐに移ったのはすごいですね。さすがですね。
本当に脱帽です。兜を脱ぎます。(シャツやパンツは脱ぎません(^^))
寒い冗談はさておいて、あとは例外がないか調べて、やさしい例文を考えれば
学生にも説明できますね。なんか久々に(早速使っている)ちょっとした感動が
ありました。私は高校時代に国語をさぼり過ぎていたのかな。まさか将来、こんな
仕事をするとは思っていなかったですから、、、温故知新とはよく言ったものです。
役にたたない勉強はないようですね。必ずどこかで役に立つと信じなければ、、、
 
 
 
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「見る」ことは「わかる」こと? 投稿者:Oyanagi  投稿日:10月23日(月)23時57分41秒
 
 
「見にくい/聞きにくい」と「見えにくい/聞こえにくい」の違いを考えていて
そう言えば英語では「わかった」を" I see "って言うなと思って
こんなことを考えてみました。
 
1)「見/聞きにくい」
 「見る/聞く」という<精神活動>を行うことが難しい
  →<精神活動>とは『識別する』『理解する』こと
 
2)「見え/聞こえにくい」
 「見える/聞こえる」という<現象>が起こることが難しい
  →<現象>とは『ある映像/音が目/耳に届く(=知覚する)』こと
 
これをふまえると、両者の典型的な使用例は次のようになるでしょうか。
「見る」→ 「見にくい」文字、画面、色、標識、案内板、など
      :『それが何かを識別、判断、理解する』ことが難しい
 
「見える」→「見えにくい」場所、位置、方向
             *物一般(注)、など
      :『それ(そこ)を視界に入れる』ことが難しい
 
 注:「見にくい標識」 :それが何を意味しているのか理解するのが難しい
   「見えにくい標識」:それを視界に入れるのが難しい
             (つまり標識=物というとらえかた)
               
「聞く」  →「聞きにくい」声、アナウンス、歌、曲、など
 
「聞こえる」→「聞こえにくい」*音一般(注)
 
 注:「聞きにくい音」 :その音が何の音かを判別、理解するのが難しい
   「聞こえにくい音」:その音が耳に到達する(知覚する)のが難しい
   「聞きにくい声」:その声が何を言っているのかを判別、理解するのが難しい
   「聞こえにくい声」:その声(=音として)を知覚するのが難しい
 
ただ、実際の使用例を見ると、対象が『物』の場合には「見にくい」が
(上の説明のようにニュアンスの違いはりますが)
「見えにくい」の領域まで進出しているようですね。
でも『場所」『位置』は「見にくい」は不自然だと思います。
自分の語感がちょっと不安ですが(^_^;
それは『場所』や『位置』は理解する対象とは通常なりえないからでしょうか。
 
*その標識は電柱の陰になっていて「見えにくい」/◯「見にくい」
*あそこは死角になっていて   「見えにくい」/?「見にくい」
 
「聞きにくい」と「聞こえにくい」にも同じようなことが言えるでしょう。
*電車の中は雑音が多いので、
 アナウンスが「聞こえにくい」/◯「聞きにくい」
*◯◯の泣き声は周波数が高いので、
 人間の耳には「聞こえにくい」/?「聞きにくい」
 
以上ですが、なんか当り前と言えば当り前な説明になってしまいましたが、
「見る/聞く」ことは「わかる」ことと関連づけたところがミソでしょうか。
でも、「聞く」=「わかる」ことは「見る」と比べると弱いから、
「聞きにくい」はかなり「聞こえにくい」の領域もカバーするかもしれませんね。
そのへんの判断はもう私の限界を超えています。ここでgive up(@o@です。
 
 
 
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分類しなおしてみました 投稿者:Oyanagi  投稿日:10月23日(月)16時38分47秒
 
 
「◯々と/に」の問題ですが、あれから、ネット検索して、
時や順序に関する単語で「◯々」となるものを少し集めてみました。
それで、古典文法の<形容動詞タリ活用/ナリ活用>を思い出しました。
そこで先の考え方をもう一度整理して次のように分類してみました。
 
(1)「〜に」で使うもの  ※「に」は省略不可
 
   A:<形容動詞ナリ活用>だったもの
     「久々ナリ」→「久々に」
   B:<名詞>に<時の指定の助詞「に」>をつけたもの
     「順」/「順々」→「順に」/「順々に」
    
      注)「順」が名詞だから「順々」も名詞だと解釈される
 
(2)「〜と」で使うもの  ※「と」は省略可能
 
   C:<形容動詞タリ活用>だったもの
      「延々タリ/ト」 →「延々(と)」
   D:<副詞>に<様態の助詞「と」>をつけたもの
      「続々(と)」
 
      注:「続」は単独で名詞して使うことはまれなのでBにはならない 
 
(3)「〜と」「〜に」どちらも使えるもの
 
   DとBの解釈を受けて「〜と」にも「〜に」にもなる
   ※恐らくDの解釈が優先されるので「と」だけでなく「に」も省略可能になる
 
     「次々(と)」
     「次」/「次々」→「次に」/「次々(に)」 
 
     「段々(と)」
     「段」/「段々」→「?段に」/「段々(に)」
 
このように分類してみると、先に問題となった「次々」と「続々」は
後者はD、前者はBとDになるということで説明できるとしたいのですが、
かなり自分の都合のいいように分類したような気もします。
例外としては「徐々に」があります。
「徐徐」<形容動詞タリ活用>で古文では確かに「徐徐と」と使われて
いたようです。(『大辞林』の用例)しかし、現代語では「徐々に」と
使われるます。恐らくBの解釈を受けたのではないかと思っています。
実際の指導となると、そう数は多くないのでそれぞれ覚えるというのが
得策でしょうか。(^^)
 
 
 
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わからないことが(続々と)出てくる 投稿者:やっさん  投稿日:10月23日(月)12時47分00秒
 
 
Oyanagiさん。ありがとうございます。
ぜいたくな悩みですよ。(^^)
この質問は私のクラスではなかったんですが、このような質問をされた先生がいて
困っていたので書き込みました。私なりにあちこちの辞書や参考書も調べたのですが、
どうして「〜々に」「〜々と」が使える、使えないということに関して書いてある
ものには出会えませんでした。実際の例をたくさん作って、検証していくしか方法は
ないのでしょうかね。(うー、大変そう)
私も辞書で「〜々」を検索しましたが、だめでしたね。仮説ですが、了解です。
やはり「〜と」や「〜に」の前の語に深いかかわりがありそうな気がします。
もし、誰か何か御存じの方がいらっしゃったら、文献の紹介でもいいですし、
研究途中のことでもけっこうですから、お願いしますね(^_^;)
 
 
 
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「次々◯」「続々◯」 投稿者:Oyanagi  投稿日:10月22日(日)00時52分43秒
 
 
やっさん、こんにちは。
やっぱり現場では日々いろいろな質問が出てきて刺激的(?)ですね。
私みたいに現場を離れているとそんな日々が懐かしくなります。
(それは贅沢な悩みって言われそうですけど(^_^;)
標題の件でちょっと思いついたことがあるので投稿します。
 
下のように3段階を考えてみました。
1)◯順に → ◯順々に / ×順々と 
2)◯次に → ◯次々に / ◯次々と
3)×続に → ×続々に / ◯続々と 
 
基本的に<様態を表わす副詞>には『と』をつける(ことができる)という
規則がある。
しかし1)の場合は「順に」と意味が近いので「順々に」という形が優先される。
反対に3)の場合は「続に」という言い方がないので「続々に」もない。
『〜と』の基本規則によって「続々と」の形で使う。
ちょうどその中間的な存在が2)の「次々に」になる。
つまり、「次に」と「次々に」の意味関係は1)ほどではないが、
影響を受けて「〜に」の形もあり、『〜と』の基本規則による「次々と」もある。
 
こんなふうに仮説を立ててみました。きっと反例が出てくるんじゃないかと思いますが、
調べていません。(ちょっと怠慢・・・)
実は『大辞林』のCDで「◯々」の単語を検索したかったんですが、
大辞林は見出し語を「〜々」で立てていないんです。
それでちょっと困ってしまったわけです。
 
「聞きにくい」と「聞こえにくい」のほうは、せっかくだからと思って
「〜にくい」「〜づらい」「〜がたい」をまとめることから始めていて、
問題の核心にはまだ到達していません。(到達できるかもちょっと不安)
こちらの掲示板のおかげで怠惰な自分の尻をたたいて勉強できるので
本当に感謝しています。 それでは、このへんで。
 
 
 
 
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とりあえずネット検索 投稿者:Oyanagi  投稿日:10月20日(金)07時58分50秒
 
 
やっさん、おはようございます。
朝帰りをして、テレホタイムのうちにせっせとインターネットしておりました。
「聞きにくい」と「聞こえにくい」ですが、
ネット検索ではそれぞれ2398件と2318件がヒットしました。
ちょっと前の投稿で検索エンジンのGOOを使われたことが書かれていましたが、
それよりも、http://kensaku.org/ が使いがってがいいです。
何しろ前後の文章も抜き出してくれますから。時間帯によってはなんと
200件まで抜き出してくれます。
さっとながめたところ、
「聞く」が尋ねるの意味で使われているのは別にしても
「聞きにくい」と「聞こえにくい」が同じように使用されているのも多いようです。
今日は休みなので一眠りしてからまた考えてみます。
あ、もうすぐ8時。それでは。
 
 
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聞きにくい、聞こえにくい 投稿者:やっさん  投稿日:10月19日(木)16時03分22秒
 
 
ちょっとお尋ねです。同僚からの質問なんですが、「〜にくい」を教えている時に学生
から「聞きにくい」と「聞こえにくい」の違いは何ですか?というのがあったそうで
どのように教えればいいかと質問されました。あと「見にくい」と「見えにくい」に
ついてもちょっと具体的な例文を交えて分かりやすい説明があればお願いしたいの
ですが、、、
 
それからまた追加の質問が来ました。
「客が次々にくる」と「客が次々と来る」はOK。
しかし「団体が続々と到着する」と「団体が続々に到着する」はだめです。
どうしてなんですか?という質問が来たそうですが、分かりやすい説明は
ないでしょうか?
 
 
 
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やはり文法の混同? 投稿者:yukari  投稿日:10月18日(水)19時45分58秒
 
 
やっさん、Shujiさん、Oyanagiさん、ありがとうございました。
 
この文はやはり文法的な表現の混同があったもので、正しくないと
思いました。でもOyanagiさんの「この国の法律はとても厳しく、
そのような行為を許さずにはおかない」も、さほど違和感を感じず、
「ただじゃおかない」「このままじゃおかない」などからの混同が
生じて、変化がおきている、と言う説にもうなずけるものがあります。
 
尚この文は「日本語能力試験直前対策 文法一級」(国書刊行会)
p20 問題3の2 に掲載されていたものです。
 
やっさん、「読み物のコーナー」を新設されたんですね。
PCのトラブルも教室の出来事も身に覚えがあり、楽しく拝見し
ました。
 
 
 
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私もやっぱり・・・ずには・・・ 投稿者:Oyanagi  投稿日:10月18日(水)01時03分05秒
 
 
やっさん、お久しぶりです。
アルクの掲示板でも最近名前を見かけてなんかうれしかったです。(^^)
そして、yukariさんshujiさんこんにちは。「そのままにせずにはおかない」の問題は
私にとっても『考えさせずにはおかない』問題だったので投稿しました。
 
yukariさんの「1級問題」の投稿にもあるように、私たちは文の流れをつかみながら
読みすすめているので、そのように思って読んでいると、違和感なく読めてしまうことって
ありますよね。でも、改めてよく考えて見ると変だよなってことになるんですよね。
それにしても1級の問題集にあったとなるとますます気になりますね。できればその
問題集が何か教えてもらいたいのですが。可能ですか?
 
誤用と思われる表現もなんらかの理由があってそうなったはずですから、その原因を
考えてみることは私自身けっこう好きです。(ほとんど病的?(^_^;)
この表現は短い文章の中だったので、1回読んだときにはyukariさんが感じたほど
すんなりというわけではありませんでした。でも、なんかよさそうだなという気も。
 
yukariさんが最初の投稿で触れていた「食わずぎらい」という表現が気になって、それを
出発点にして私なりにその「良さそうに思った」原因をさぐってみました。
例によって少し長くなったので、<oyanagiの勉強部屋>にアップしましたので、
よかったらご覧ください。キーワードは『語法の類推』です。
見かけ上に似ている形の影響を受けて意味上成立しない表現ができてしまうことに注目して
みました。
アップしたあとでshujiさんの投稿を読んでみて、「反語表現」を使う意識から生じた
言い間違いという視点もあるなあ、とまたまた考えずにはいられない状態です。
 
 
http://www3.tky.3web.ne.jp/~oyanagi/index.html
 
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書き込まずに<は>お{け}ませんでした 投稿者:Shuji  投稿日:10月17日(火)23時40分20秒
 
 
やっさん、yukariさん、こんにちは。
<なぜ静かな山を【そのままにせずにはおかない】のだろうか。>はyukariさんのご指摘どおり
<なぜ静かな山を「そのままにしておかない」のだろうか>の勘違いだと思います。
なぜ勘違いをしたかを考えると、書き手は「山頂が町のようになっている状態」を「静かな山を
そのままにしておいていない状態」だと見て、「そのままにしておくべきだ」つまり「そのまま
(静かなまま)にしないという状態で放っておくべきではない」という判断をし、それを「なぜ〜
のだろうか(そんなことはあり得ない)」の反語表現にうっかり嵌めてしまったのだと推測できます。
また、「せずに<は>おかない」の表現だけを見ても、「せずにおく」と「せずに<は>いられない」
(やっさんも言及されていましたね)の混同のような気がします。かりに「せずには」と「おかない」
の合体をするとしても、「せずに<は>お{け}ない」となるのではないでしょうか。と言うのは、
「せずには」の「は」は仮定条件(しなければ)を表すと考えられるからです。
面白そうな問題でしたのでつい「書き込まずに<は>お{け}ませんでした。」^_^;Shuji
 
http://shibuya.cool.ne.jp/brn/
 
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一級問題集 投稿者:yukari  投稿日:10月17日(火)17時59分12秒
 
 
私は始めから「なぜ静かな山をそのままにしておかないのだろうか」と言う
意味にとって、一読では違和感を感じなかったのですが、言われてみると
やっぱり変ですよね。
 
ちなみにこの文は能力試験一級の問題集の中で、正解として提示されていた
文で、学生に説明しようとして気が付いたのだそうです。
 
 
 
 
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答えさせずにはおかない? 投稿者:やっさん  投稿日:10月17日(火)15時47分54秒
 
 
お久しぶりです。メールありがとうございました。
質問の件ですが、難しいですね(^_^;)
最初、パッと読んだら、なんか違和感があって、それでもう一度
読みなおすのですが、何がおかしいのかな?と思ってしまい、また
頭をリセットして読みなおし、考えました。Yukariさんのいう例文
 
2なぜ静かな山をそのままにしておかないのだろうか。
 
が本来意図している文じゃないかと思います。
「せずにはおかない」だとかなり(強制的)とか(使役的)なニュアンスが含まれて
いるような気がするんですが、どうなんでしょう?(自信がない)
そこで以前Oyanagiさんに教えてもらったGooで検索してみると下のような
文が出てきました。小説の中の一文ですが、
 
>狼は山で食うべきものが得られなかった。そこで、すきに乗じて、村落を襲い、
>鶏や仔犬や、豚をさらって行くのであった。彼等は群をなして、わめきながら、
>行くさきにあるものは何でも喰い殺さずにはおかないような勢いでやって来た。
 
>いま一度、彼女を戦慄させずにはおかないセリフであった。
 
個人的に私はあまり使わない表現なので、くり返して言ううちに分からなくなってきました。
「〜ずにはいられない」はよく使うんですが、誰か、「助け船を出さずにはいられない」方、
御意見をよろしくお願いします。
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(レスを)せずにはおかない(笑) 投稿者:yukari  投稿日:10月16日(月)19時49分59秒
 
 
やっさん、こんにちは。久しぶりの投稿です。
昨日同僚から、次の文が非文かどうか聞かれて、わからなくなって
しまいました。
 
山に登ったところ、山頂はホテルやおみやげ屋で町のようになって
いた。なぜ静かな山を【そのままにせずにはおかない】のだろうか。
 
この文は一見自然に見えますが、よく考えると「せずにはおかない」
と言う文型は、
 人々の情熱は見る者を圧倒せずにはおかない。
 →見る者を必ず圧倒する。
 人の心を魅了せずにはおかない美しい女人。
 →人の心を必ず魅了する。
 メディアの革命は、人間心理を革命せずにはおかない。
 →人間心理を必ず革命する。
と言った意味になります。
 
すると上記の文は
 →なぜ静かな山を必ずそのままにするのだろうか。
と言うわけのわからない意味になってしまいます。
 
ここは
 1なぜ静かな山をそのように(町のように)せずにはおかないのだろ
  うか。
 2なぜ静かな山をそのままにしておかないのだろうか。
 
のどちらかになるべきではないかと考え、非文ではないかと思いました。
しかし一度目を通しただけではかなり自然に感じてしまいます。
「負けずぎらい」と言う言葉のように、文法的にはおかしくても、文と
しては上の2つの文が混乱を生じて、自然に聞こえるのでは?と思うの
ですが、やっさんはじめ、皆様は、どのように考えられますか?
 
http://www2u.biglobe.ne.jp/~y-japan/
 
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iiタイトルが浮かばない 投稿者:やっさん  投稿日: 9月25日(月)09時44分35秒
 
きんちょさん、レスありがとうございます。
(校外学習で出かけていたので、遅くなりすみません。m(_ _)m)
 
>ネットの発言って無責任に なりがちで、過激な発言ばかりが めだちますけど、
>実際には、けっこう小心者が おおいのでは。
 
過激な発言は確かに目を引きますけど、やはり内容が伴わないと
読む人に不快感を与えてしまうだけになってしまうような気がしますね。
以前、アマチュア無線をやっていたのですが、インターネットも似ていますね。
HF(海外用)はいいのですが、430MHz帯(近距離)ではマナーもモラルもあった
ものではないということがよくありました。先日、職場のコンピューター担当者の
会議でマナーについての小冊子をもらったのですが、誰が読むかわからないもの
ですから社会的にあたりまえことは守らなければならないといったことが書いて
ありました。
 
>自分が探知されることによる不利益のほうをおそれている ひとが多数なんです。
 
これもよくわかります。私もホームページを始めた時、批判や厳しい意見が多か
ったらどうしよう?とか考えました。でも実際は自分と同じような考えを持った
人も多いし、励ましたり、励まされたりでメリットばかりを感じています。
規則ばかりでは面白くもないでしょうが、社会的な常識の範囲(ちょっとあいまい)
のことを守りながら、素直な気持ちで参加すればきっといいことがあると思うん
ですがね、、、、、、
きんちょさんがやっているE-グループの掲示板なんかはその点、共通項のある人が
集まっていい雰囲気で運営されていますね。
 
いろいろ考えると何か異文化接触とも関係があるように思います。
以前、異文化理解についてのレポートを書いた時に思ったんですが、何も外国人
との接触だけではないようですね。同じ国の人でも違うことは多いし、それを
乗り越えて相手を理解するというのは同じ国の人でも同じように思います。
もっと狭く考えたら、配偶者でも理解に苦しむ?時がありますからね。(^_^;)
 
 
 
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いやあ、それは誤解で…… 投稿者:きんちょ  投稿日: 9月19日(火)21時59分42秒
 
 
いうべきときに きちんと発言できなかったりするのは わたしも おなじですよ。交渉するのも じょうず
なほうでは ありません。ネットの発言って無責任に なりがちで、過激な発言ばかりが めだちますけど、
実際には、けっこう小心者が おおいのでは。一見、いいたい放題で あれまくっているネットの掲示板も、
メールアドレスも かかずに投稿するひとが 大多数です。そこで たすけになる ひとをみつけて、ネット
ワークをつくっていくメリットよりも、自分が探知されることによる不利益のほうをおそれている ひと
が多数なんです。まず、そこから なんとかしていかないと、あしの ひっぱりあいだけが つづくことに
なりかねません。
 
http://akizuki.pr.co.kr/
 
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ためになりました。 投稿者:やっさん  投稿日: 9月19日(火)13時13分55秒
 
 
きんちょさん書き込みありがとうございます。(^O^)
 
>教師の責任というよりは その機関の かんがえかたによって きまって
>しまうところが おおきいと おもいます。
 
私は経営する側でなく、雇われている側ですから、上からの命令がくれば従わなければ
なりません。(当たり前のことなんですが。)しかし現場の声を絶えず上に伝え、問題が
あればそれにうまく対応できるように詳細を伝えます。信頼がなければできないことで
私も上を信頼し、上も私を信頼して任せてくれるからうまくいっているのだと思って
います。かなり自分を殺して耐えていかなければならないことがあるかもしれませんが、
最終的な自分の理想に近付けるためには一つのアプローチとして周りの人の信頼を得て、
チャンスを待つことも必要な気がします。でもその機関の長がワンマンで人の意見を
聞かないような人だったら最悪ですね。私はラッキーなのかもしれません。(^^;ゞポリポリ...
 
>学校に対して きちんと ものをいうということも ふくまれているべきだし、そこが
> ぬけてしまうと、矛盾を体よく せおいこまされてしまうだけで おわってしまうと おもいます。
 
難しいところだと感じました。ずばっと言える人ならいいですが、結局、無理なことを
背負わされているだけに終わっている場合もあるのでしょうね。しかもズバっと言ったばかりに
上から睨まれたり、反感を買ってしまったりすることもあるでしょうね。私も以前、
全体の会議で絶対に譲れない部分があったので、ズバっと言ってしまい睨まれました。
しかし正しいことは会議に出ていた皆が納得していることでしたから、問題は起こりません
でした。ただ興奮してあまりいい言い方をしていなかった自分を反省しています。(+_+)
 
>日本語教師どうしの サポートも大切ですね。
 
本当に同感です。これだけインターネットが普及しているのだから、そろそろみんなで
団結して革命?でも起こさなければと思います。昔は先輩に教えられることが全て
だったように思いますが、今では気楽に掲示板やメールを使い、いろいろな人に教えて
もらったり、意見交換ができますね。本当にインターネットをはじめてよかったと
思います。インターネットでアクティブに活動しているきんちょさんを見ると本当に
感心しています。ぜひ、またいろいろな事例や意見を聞かせてください。(^^)
(第20巻 2000年10月31日〜11月8日) 「〜テイタところ」アスペクト、モダリティの話題。
私も読ん「ダ」トコロです 投稿者:やっさん  投稿日:11月 8日(水)10時41分53秒
 
皆さんおはようございます。
Oyanagiさんのページ、さっき拝見して、Oyanagiさんのページに御挨拶に行ってきました。
その後、Oyanagiさんのモダリティについてのページを印刷しました。(^_^;)ほんとうに一夜明けると
、「すごい!」ということがここでは何回かありましたが、今回もびっくりしました。疑問点の出発から
始まりテンス、アスペクト、モダリティについてまとめられ、会話例を出しながらまとめられていて感心
しました。私が感心したのは「過去形になることによってもともと持っていたモダリティの性格が失われ、
過去の客観的な叙述をする」という部分で、そこから「〜しているところ」を使うと客観的に説明している
という印象があると導き、そこから「していた」自体の考察へ移られたことです。さっきプリントアウトして
一読(二読?)したばかりで書き込んでいるので、また持って帰ってよく読みますね(^^)本当にお疲れ様でした!
 
それから「ののこ」さん!貴重な意見ありがとうございました。きんちょさんもOyanagiさんも実は私と同じ
年代の方で、お二人以外にもここへ来てくださる方はみんな日本語教育の中で同じ時代を過ごしてきているん
です。場所も国も教えている機関も違いますが、同じ時代の日本語教育の空気?を吸ってきています。(私の
思い込みかな?)このインターネットが普及し始めてからというもののお二人だけでなくいろいろな方と知り合え、
いい影響や考え方を学んだような気がします。顔も知らない、会ったこともない、でも疑問点やちょっと聞いて
みたいということを真剣に皆さん考えてくださいます。これからも是非、遠慮なく「手をあげてください」謙
して言うわけではありませんが、本当に私は見当違いなことや勝手な思い込みを書くことがあります。それでも
フォローしてくれる皆さんがいるから話が続いていくんだろうと思っています。きんちょさんの書き込みを引用
するわけではありませんが、(しっかり引用してるやんヶ)本当に日本語教育を目指す若い方のレベルがかなり上
がっているように感じます。望ましいことだと思います。自分も職場で若い人たちに経験が長いだけで疎ましい
存在といわれないようにがんばらなきゃと思います。本当にこれからもよろしくお願いしますね(^^)/
それから蛇足ですが、書き込みの題名にはあまり凝らないように、、、、、、
 
 
 
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間違い訂正中 投稿者:Oyanagi  投稿日:11月 8日(水)06時52分54秒
 
 
きんちょさん、ののこさん、コメントありがとうございます。
今朝改めて自分の書いたものをウェブ上でチェックしていたら
表示が崩れていたところがあったので、びっくり!
昨日アップしたときに表組みが崩れていたのですぐ訂正したのですが、
イメージの図も崩れていました。
[発話時]と↓と*が縦に並ばなければならないのですが、それが
ずれていました。
まあ、理解ができないほどではないのですが、誤解を生じそうなので
訂正したいのですが、なにしろ制作しているソフトでは正しく
表示されるのですが、エクスプローラーで表示すると崩れるようで
てこずっています。
結局きょうは仕事で訂正は無理なのであしたまでには直そうと思います。
見苦しい状態ですみません。
 
 
 
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御礼と決意表明(???) 投稿者:ののこ  投稿日:11月 7日(火)22時22分32秒
 
きんちょさん、Oyanagiさん、私の拙い発言にコメントしてくださって 本当にありがとうございました。
 
書いてくださったことに対して、私がなにか意見を言えるためには 当分 時間がかかりそうです。
 『タ』はモダリティじゃないだろうか と それでも思っているのですが(シツコイ!)、そのことを
突き詰めて考えて行くための手段として 膨大な量の知識が 必要であることが、ご発言を読ませてい
だいてよくわかりました。
 
きんちょさんが指摘してくださったことを考え、 Oyanagiさんの大論文(←ホントニスゴイ!)を読み
こなすことに挑戦し、お二人のコメントに書かれてある本や論文にも挑戦していこうと思います。
 
私は現在、教師養成講座受講中です。(週一回のコースなので、終わるまでに4年くらいかかってしまいます。)
 自分でALTの人達を探してきて教えてみたりしていますが、教えるよりも、日本語について考えるヒント
もらうことの方がはるかに多いです。 質問されて、私の方がウンウンうなっている毎日です。
(学習者の人達ゴメンナイ・・・)
 
今はこんな情けない状態ですが、 たくさん経験をつんで たくさん本を読んで たくさん考えて いつかプ
の日本語教師になってみせる!  このイキゴミを盾に、また ここに 手を挙げにやってきます。 どう
よろしくお願い致します。
 
 
 
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みまし『た』よ! 投稿者:きんちょ  投稿日:11月 7日(火)20時53分07秒
 
 
 Oyanagiさん、どうも おつかれさまでした。
 
 ばっちり拝見しました。非常に きれいに まとめられていて感激です。
それから、いいたいことを的確に表現する説明のしかたには ほれぼれします。
 
 「モダリティーが二重」というところ、ちょっと 理解がむずかしいかなと
おもいましたが、それは 今後 かんがえることとして、まずは ありがとう
ございました。
 
 それでは、いずれ。
 
http://akizuki.pr.co.kr/
 
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やっと考えがまとまりました 投稿者:Oyanagi  投稿日:11月 7日(火)07時54分38秒
 
みなさん、おはようございます。
「〜ている/ていたところ」の問題ですが、ようやく考えがまとまりました。
 
やっさんの冷静なまとめときんちょさんの投稿を読んで、
あまり「た」のモダリティにのめり込みすぎないように自制(?)して
なんとかまとまりました。
私としてはきんちょさんが危惧(?)するほど「た」の本質をつきとめて
それですべてを説明しようというほどの野望はなく、
穏やかに考察してみました。(こんな日本語の使い方ってあったかな・・・)
もちろんモダリティの要素ははずせませんでしたが、
「た」がもつ<テンス><アスペクト>そして<モダリティ>の3つの
要素がどんな場合に『顕在化』するかという視点で考えてみました。
一応、考察の中にはきんちょさんがののこさんが考えるモダリティ(ムード)
に対して提起した問題点も私なりに解決を試みましたが、きんちょさんの
ことですから、強烈なパンチが飛んできそうで怖いです(^_^;)
ちなみに、これは「うれしいです\(^o^)/」っていう意味で使っています。
 
詳しい内容は久しぶりにHPの<勉強部屋>へアップしたのでぜひご覧ください。
自分で言うのもなんですが、参考文献もあげずに書いたものなので
大学院であればとてもお見せできるしろものじゃないのですが、
まあ一般人の考察ということでそのへんは大目に見てください。
 
きんちょさんがあげてくださった参考文献をこれから入手してもっと
勉強してみるつもりです。有難うございました。
最後に、やっさん、そしてののこさん、そしてこの掲示板のビジターの方、
もしご覧になったら率直な意見をお願いします。
「生ぬるい環境」につかっている私にビシビシとご指導ください。
 
http://www3.tky.3web.ne.jp/~oyanagi/index.html
 
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雑識ですが 投稿者:きんちょ  投稿日:11月 7日(火)01時02分47秒
 
 Oyanagiさん、どうも。
 最近、ちょっと、その関連のことを発表する機会があったので、うわべをなぞるように
しらべただけなのですが、『日本語教育事典』の「テンス」の項を寺村秀夫 氏が 執筆
しているので、そこから、かきとめておきます。
 
 日本語のいわゆる『過去形』あるいは、「過去の助動詞」とされる「た」については、
はやくから山田孝雄が欧文法のテンス論を安易に適用することを批判していますが、
これをうけて、松下大三郎や三矢重松は「すル」「しタ」の対立の本質はテンスでは
なく{未完了/完了}のアスペクト的性格であると論じています。また、戦後になっ
てからも細江逸記は1973年の『動詞時制の研究 改訂新版』篠崎書林で 「テンス
とは意識の作用と叙法の問題」だとして「ムード」に属さしめる主張をしていると
いうことです。また、金田一先生の有名な動詞の4分類の論文がでている『日本語
動詞のアスペクト』には鈴木重幸 氏が 「日本語の動詞のとき(テンス)とすがた
(アスペクト)」をかいていて、そこではアスペクト・ムード的な性格について
ふれているようです。
 
 ただ、そのころまでの研究というのは、どうしても「た」の本質を規定しようと
いう動機につきうごかされているところが あるようです。それは、国語学的な
いきかたとしては 当然のことなのでしょうが、いったん、「た」に共通の「本質」
が あろうと なかろうと おかまいなしに、まず それが どういうテンス、どうい
うアスペクト、どういうモダリティを どのようなケースに 現実に になっている
のかを すなおに記述するという ありかたが あってもいいし、そのはてに、
「た」の「本質」にむけての再統合をしたいひとは すればいい、というのが、
この種の問題にたいして わたしが むきあうときの だいたいの態度です。
 
 とはいっても、「ムード」というときには、なんとなく欧文法的な規定が
あたまに うかびますが、「モダリティー」となると、おもいいれによって
その範囲も のびちぢみするようで、職能からみるのか、意味からみるのかに
よっても、ずいぶん みかたが かわってきます。ある形式をテンス形式として
定義するのではなく、現実の文それぞれのテンスを、その意味に即して記述す
るというのは理解もできるし、やってみることも できそうですが、ある文の
モダリティーを記述するとなると、そんなに客観的には できそうに ありませ
ん。それに、さきほどの細江の論文のように、「そもそもテンスというもの
は、ムードに属するものなのだ」というような極論だって、やってできなくは
ない、とすれば、みるほうとしては、逆に、ここは 相当に慎重に、猜疑心を
もって みないわけには いかない、なんて気になったりもします。
 
 ……な〜んて、すっかりプレッシャーをかけてしまいましたね。実は、韓国語の
文法でも、おなじような議論があって、韓国語では伝統的に未来時制というのを
みとめていたのですが、どうも、これは推測のムードにすぎないのではないか、
などというふうに なってきています。そうなると、これは 結局、日本語とも
そんなに かわならかったということに なるわけですが。
 
 と、おもいつくまま、かきつらねてしまいました。
 
 以上、ばつなぎの狂言のようなものですので、みなさん、あまり気にせず、
つぎの投稿をまつことに いたしましょう。 それでは、また。
 
http://akizuki.pr.co.kr/
 
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『た』への思い入れ 投稿者:Oyanagi  投稿日:11月 7日(火)00時16分42秒
 
やっさん、きんちょさん、そしてののこさん、こんにちは。
 
いま自分の考えをまとめている(いた?)ところなんですが、その間に
書き込みがあってまたそれを読んで、う〜んとうなっております。
私の過去の書き込みの会話文で提起した使い分けについてののこさんから
『ムード』のタではないかとのご指摘に感激しております\(^o^)/
というのはいま自分がまとめていて引っかかっていたのが「ムード」だったので、
ああ、こんなふうに考えるのは私だけじゃないんだなと思ったからです。
時々私は変人かなと思うことがあるので・・・・(^_^;
 
そのあとのきんちょさんの投稿にもあるようにこのムード(私はモダリティと
使いますが)が結構クセモノですよね。
でも、私はこういうクセモノが大好きです。(やっぱり変人か・・・・)
『〜た』についてはまだまだ西洋文法の影響を受けてテンス・アスペクトと
いう範疇で捉えようとする考え方が主流で、どれにもあてはまらないものが
モダリティの「た」としてまるで『はきだめ」のような扱いを受けていますが、
例外を深く分析してみると全体が統一的に説明できることがあるように、
「た」のモダリティの機能をもっと掘り下げて行けば、日本人のものごとの
捉え方みたいなものが見えてくるような気がしています。
気がしているだけで、私にはとても力が及ばない世界ですが・・・・。
 
個人的なことですが、私が日本語文法に興味を持ったのはこのモダリティ
というのを勉強してからで、益岡隆志氏の『モダリティの文法』を読んで以来、
そこの書かれていた「モダリティ」という概念(英文法のムード=法とは
ちょっと違うもの)は日本語の研究から発展したもので、非常に研究する
意義がある」というような説明を読んで、日本語教師塾風に言えば、
「モダリティなくして日本語は日本語たりえず」みたいに思っていて、
かなりモダリティには思い入れが強いです。
 
ということで、あしたまでにはなんとか考えがまとまると思います。
ののこさんの書き込みに勇気づけられたので、気合いを入れ直してもうちょっと
がんばってみます。
 
 
 
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こんな 教師のタマゴ さんの登場をまっていたんです。 投稿者:きんちょ  投稿日:11月 6日(月)22時13分35秒
 
 
な〜んて、わたしも身分は「大学院生」だけど、無試験でいれてもらって、「日本人のくせに
なんで日本語科?」なんて しろいめで みられてる かたみのせまい存在ですから、元気な
「中学生」には おされっぱなしです。わたしの でているゼミって、韓国人で現役の大学教授
も学生として参加してるし、学部でたての院生もいるし、日本人もいて、それぞれ すこしずつ
ひけめを感じていたりして、それをかばいあってもいて、おもしろいですよ。
 
 さてさて、そうか、やっぱり『ムード』なのか、、、と おもいつつ、この「配慮」という
のが もうすこし こまかく定義できないのかな、と おもったりもします。一般的に
「タ(ダ)」に 「配慮」をしめすつかいかたがあるのなら いいのですが、このほかの
かたちで それが みとめられないのなら、それは「タ」の なんらかの機能による表現効果
なのではないかと おもっておいたほうが いいようにも おもうからです。でも、定義の
しようによっては、『ムード』として説をたてることだって じゅうぶん可能かも
しれませんよ。
 
 わたしが、「配慮」という規定には、懐疑的になるのは、つぎのようなことを
おもうからです。
 
 たとえば、「いま、あなたの はなしをしているんです」だったら、「あなた」さんが
やってきても その はなしが継続していることになりますが、「いま、あなたの はなしを
していたんです」だったら、「あなた」さんが きたことによって その はなしが中断して
いますよね。この「中断」というのは「あなた」さんに対する配慮として おこったことだ
というのは、「テイタ形」が しめしている意味ではなくて、「テイタ形」の意味内容を
くんで事態を解釈しようとしたときに ききてが想像する状況の解釈のなかに ふくまれて
いることなのでは ないでしょうか。だから、もしも その中断が、「配慮」というよりは
もっと「失礼」な かたちで おこってくれば、その解釈も ちがってくるはずです。
  「いま、あなたには しる権限が あたえられていない はなしを していたんです」 
といえば、どうでしょうか。「しているんです」が まだしも状況の説明をして その場から
たちさることをさとしているのに対して、「していたんです」は、その場に はいってきて
はなしの中断を余儀なくさせてしまったことを せめているような ひびきが ありませんか? 
 
 ただ、じゃあ、ののこ さんの おっしゃることが ぜんぜん ちがっているかというと、
そうでもないと おもうんです。むしろ、「タ」が ある一定の条件で『ムード』的な
意味をおびるというのは、つとに指摘されていることであるし、それこそ認知論的に
いえば、うえのようなことが かさなって、テンスやアスペクトの表現形式がムードを
あらわす形式に すべりこんでいったり するのだと おもいます。
 
 と、まあ、そんなことを おもったりしたわけですが、最後に『文化初級』の例は
はたして「配慮」なのでしょうか。単に、吉田良子さんの おとうとが 良子さんに
その はなしをしたのが、かなり まえだったということのようにも おもえますが。
というのは、「いっていますから」だと、[結果相]よりも[反復相]に とれるん
ですよね。わたしの語感では。
 
 それにしても、最近の日本語教師志望者の勉強のレベルは おそるべきものが
ありますね。なんも勉強しないで時代の いきおいだけで教師に なってしまった
自分が はずかしいです。
 
http://akizuki.pr.co.kr/
 
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ムードの『タ』!・・かな? 投稿者:ののこ  投稿日:11月 6日(月)20時37分28秒
 
 
はじめまして。プロの日本語教師を目指して勉強中の ののこ と申します。 アルクの掲示板でこちらのこと
を知ってやってきました。 ここでの みなさんのご発言の内容を理解するために一生懸命勉強しなくてはなら
ないヒヨッコですが、日本語のことを考えるのが大好きです。 
 今日は「〜てイタ」についてなんですが・・・
 話者(←自分側は行為Aをしている)が 話し相手の行為Bに配慮を示さない(相手の行為Bに重要性を認め
ていない)時は「Aてイル」、配慮を示そうとする時は「Aてイタ」を使っているように 感じます。 
Oyanagiさんの写真の例文で、佐藤さんが「皆で見テイルところなの。」と言ったら そこにやってきた山田さんを
拒絶している発言に聞こえてしまうのは、このためだと思います。 
 また、きんちょさんの文化初級の例、「弟は〜と言ってイマシタから〜」(第17課ですよね)と言う良子さんの
発話の前には、 武さんの発話(良子さんをドライブにさそってOKをもらった後で、)「良子さんの弟さん
いっしょにどうですか。」があります。もし、良子さんが 武さんの弟への誘いを断るのに 全く気を使わなかった
としたら「弟は〜と言ってイマスから、〜」となりそうな気がするのですが。 
 同様に、Oyanagiさんの 「ええ、実は私もそう思っていタんですが/よ」でも、 発話者がもし 「〜思っ
いルんですが/よ」 といっていたら、聞き手の発言(「これって変だよね」)を聞きはしたが、全く考慮にいれ
ずに発言している印象を受けます。
 
 というわけで、 以上の様な場合の『タ』は 話者の、相手の行為・発言等に対する配慮・考慮・気遣いなどの
ムードを表しているのではないだろうか、というのが 私の考えです。
 中学生が 大学院生のゼミではりきって意見を言った後は(ソンナコガアルノダロウカ?) こんな気分なんだ
ろうなア・・・ あんまりトンチンカンだったらごめんなさい。   
 
 
 
 
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ちょうどOさんの話をしテイタトコロです。 投稿者:やっさん  投稿日:11月 6日(月)20時28分58秒
 <やっさん、フォローをありがとうございます。
 
いえいえ、フォローなどというには程遠いところです。気になって自宅へ戻ってCPUが冷めた
頃にもう一度、自宅のパソコンで書き込みをながめテイタトコロです。正直なところ始めは何も
わかっていなかったように思ったんです。しかしあれこれ考え、参考文献をあたっている時に
きんちょさんの
 
「d.動作・作用が中断したのだけれども、その効力が持続していることをあらわす記憶の残存相」
 
を読んで、自分の考えついた部分と重なり、とりあえず書き込んだんです。(今日、午前中がつぶれました(;_;))
完了でもないような、またOyanagiさんの投稿を読んでいるうちにテンスか?と考えたりしているうちに
きんちょさんのいう「中断」が頭に焼き付いちゃって、そこへ「記憶の残存」という言葉で私なりに合点が
いっちゃったんです。頭の中ではぼんやりと分かっているような感じなんですが、うまく言葉で人に説明
できないような感じでもどかしさを感じていました。それ以上考えると今度はフリーズしそうなので、夕方
仕事を終え、帰ってからまた自宅でパソコンに向かっています。時間軸があって、その線上に「〜した」
という点があって、その線上で「〜した」という点から次の点までずっと動作が継続していた事項を表す
のが「〜ていた」だと思うんです。しつこく「幅」というのはこれのことなんですが、結果の状態では
ないのでは?とも今、考えはじめテイルトコロです。頭の中をコンピューターグラフィックでどのように
認知して発声器官を通して出てくるのか見てみたいです(^^)(そんなソフトもハードもないか、、、)
 
<ここは一回パスして、Oyanagiさんの登場をまつことにしましょうか?
 
きっとこれを読んでくださっている方、みんながかなりきんちょさんの説明には納得している部分があると
思いますよ。Oyanagiさんの前の投稿を読んでもそんな気がします。私のように勘違いしていても平気で
書き込んでいるのだから、皆さん、遠慮なく思っていることを聞かせて下さい。考え方はいろいろあって
当たり前で一つのものをどうとらえるかの違いだと思います。
(でも初級ではやっぱり出せないですよね、、、うっかり出さないように気をつけなきゃ(^_^;))
 
 
 
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ただ、ほんとうは くるしまぎれで… 投稿者:きんちょ  投稿日:11月 6日(月)18時46分48秒
 
 
 やっさん、フォローをありがとうございます。
 
「d.動作・作用が中断したのだけれども、その効力が持続していることをあらわす記憶の残存相」
 
というのは、でも、くるしまぎれに かいたところがあって、「記憶の残存」ってなんだ? 
そもそも記憶に残存してなかったら、はなせるわけないじゃん? なんて 自分で自分に
ツッコミをいれたくもなります。
 
 それから、わたしは いままで「〜テイル」というのは、それがついている動詞のあらわす
動作や作用の『主体』の状態を あらわすものだと おもっていたのだけれども、まえの
投稿では、
 「かれは、〜と書いています」と「かれは〜と言っていました」
を比較して、前者は文字の『痕跡』があるけど、後者は『記憶』にしか痕跡がない、などと
いおうとしてしまいました。これは、動作や作用にともなう『主体』の変化の結果の状態
というわけには、いかないのです。「かれ」は変化していないのですから。とすると、
「〜テイル」の説明も かえなければいけないのか? などと ちょっとアポリアに
おちこんでいます。どんなもんなんでしょうかねえ?
 
 ここは一回パスして、Oyanagiさんの登場をまつことにしましょうか?
 
http://akizuki.pr.co.kr/
 
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わからなくなっテイタトコロ 投稿者:やっさん  投稿日:11月 6日(月)15時37分44秒
 
きんちょさんの
 <「シテイタ」という第4のアスペクト(?)が あるんじゃないか、ということです。
 
興味深く読ませていただきました。今まで初級で扱う「〜るところ」「〜ているところ」「〜たところ」
しか扱ったことがなかったので、深く考えたこともなければ、疑問さえわきませんでした。「〜ていた」を
「〜た」と錯覚していたようです。すみません。その後、いろいろ考えて「〜ていた」は過去の出来事が
過去のある時点で継続していたことを表しているように思いました。
「ちょうどあなたのことを話しているところです」 (まだ話も継続して、これからも続く)
「ちょうどあなたのことを話しているところでした」(まだ話が継続しているが、過去のある時点ととらえている)
「ちょうどあなたのことを話すところです」   ※(あなたのことをみんなに話す直前)
「ちょうどあなたのことを話すところでした」  ※(あなたのことをみんなに話す直前から時間が少したった時の発話?)
「ちょうどあなたのことを話していたところです」 (話が完了したのではなく、きんちょさんのいう中断した状況)
「ちょうどあなたのことを話していたところでした」(今回の場面設定では使われない言い方、過去のある時点の話?)
「ちょうどあなたのことを話したところです」  ※(話し終えたすぐ。直後)
「ちょうどあなたのことを話したところでした」 ※
 
上の例文の※は今回の話題には関係ない例文かも知れませんが、比較の為に書きました。(よけいややこしくなりました?
ごめんなさい)例文の後ろの解釈もいまいちうまく表現できなくてすみません。でも「ていた」が幅のある表現という感じ
だけでも伝わりませんか?
初級の教科書では一般に「Vていたところです」「Vところでした」は扱われませんが、初級の段階で扱うには複雑過ぎて
教師側も大変だからかとも思いました。(なんか触れちゃいけない領域に足を踏み入れた感じです)しかしそのままにして
いいものでもなく、勘のするどい学習者につっこまれてあたふたするのもかっこわるいですね。「〜ていた」と「〜た」
は過去の出来事を表す点で同じですが、「〜ていた」は「〜た」に比べて時間的に幅のある表現になり、その状況を詳細
に伝えるために必要なものだと感じます。職場の人に場面を伝え、どういうか尋ねると
「ちょうどあなたの話をシテイタところです」というのが普通で、「〜しているところでした」はおかしいと答える人が
ほとんどで、あの場面ではやはり「〜ていたところです」が使われていて、過去のある時点で話題の人の話をしていて
その人が現れた時点で一旦話が中断し、その時間的な状況を「〜ところです」で表現していると考え、きんちょさんのいう
 
<「テイタ」のほうは「d.動作・作用が中断したのだけれども、その効力が持続していることをあらわす記憶の残存相」
 
という意見のとおり確かに効力が持続しているし、記憶が残存していると合点がいきました。荒竹出版の「テンス、アス
ペクト、ムード外国人のための日本語例文問題シリーズ15」や寺村「日本語のシンタクスと意味」などを読んだりした
のですが、どうも今回の話題の文にはぴったり納得できる説明がないような気がします。「た」と「ていた」の比較は
多いですが、「ているところ」と「ていたところ」の比較についてだけの研究はあるのでしょうか?「〜ていた」は
「過去の時点における動作の継続を表す用法」
「過去のある時点より前に起こった出来事の結果としての過去の状態を述べる用法」
とあり、きんちょさんの説は前者を更に詳しく分類しているものだと理解しています。話し手の頭の中で「〜テイル」
という継続の形の過去形を使わなければ言い表せないから「〜ていた」を使うのであり、話し手の頭の中で記憶を辿り、
発話時点で少し過ぎた過去ととらえ「〜テイタ」と「タ」の形を選んだという感じでしょうか?(もう限界です、、、
頭のCPUが熱暴走を始めそうなので今日はここまでで自習を終わります、、、頭がヘロヘロです、、)
 
 
 
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あなた『た』はどっち? 投稿者:Oyanagi  投稿日:11月 5日(日)02時20分12秒
 
 
私も「〜テイタところです」の「〜テイタ」を基本的にきんちょさんと同じ
ような考え方をしていました。話を簡単にするために動作動詞に限ってみると
通常は「している」と「していた」の対立は1)のようになりますよね。
 
1)A<アスペクト:継続/テンス:非過去>
  B<アスペクト:継続/テンス:過去>
  例:Aいま何をしていますか?
    Bきのう(3時ごろ)何をしていましたか?
 
それじゃ、次の2)と3)も「タ」は<過去>と言っていいのでしょうか。
2)「これって変だよね」
  「ええ、実は私もそう思っていタんですが、やっぱりこれでいいんですよ」
3)「ええ、実は私もそう思っていタんですよ。やっぱり変ですよね。」
 
2)は1)と同じように<過去>の解釈で問題ないと思うのですが、
3)はどうでしょうか?
もちろんテンスの定義からして<過去>だと言えるのですが、
でも文の意味は<今>の考えを表わしていますよね。
この辺がどうもひっかかるんです。
きんちょさんの考えを読みながら、この『た』はテンスなのかアスペクトなのか
と考えてみましたが、ちょっと視点を変えて『談話文法』の視点でうまく説明が
できないかと今検討中です。
うまく整理できたら書き込みたいと思います。
 
 
 
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ちょっと さしかえます。 投稿者:きんちょ  投稿日:11月 4日(土)22時00分27秒
 
 
 すみません。かいてて、おかしくなってしまいました。以下の部分、さしかえます。
 
 >  そこで この「差異」を どう表現するかなのですが、とりあえず、「〜ところだ」の
 > まえの「テイル」のほうが「動作・作用が持続していることをあらわす進行の継続相」
 > であるのに対して、「テイタ」のほうは「動作・作用が中断したのだけれども、その効力が
 > 持続していることをあらわす記憶の残存相」とみてはいかがでしょうか。ちなみに、
 > これと くらべると「タ」は「効力」ではなく「痕跡」が持続しており、「記憶」ではなく
 > 「結果」が残存しているというところが ちがうと いえそうです。
 
さしかえて あたらしくする表現は、以下のとおりです。
 
 そこで この「差異」を どう表現するかなのですが、とりあえず、うえの例で
「言っているから」と いうときの「テイル」のほうが「a.動作・作用が持続していることを
あらわす進行の継続相」の派生としての「b.反復していることをあらわす反復相」であるか、
でなければ「c.動作・作用が完了したのだけれども、その痕跡が持続していることをあらわす
結果の残存相」として うけとれるのに対して、「テイタ」のほうは「d.動作・作用が中断した
のだけれども、その効力が持続していることをあらわす記憶の残存相」とみてはいかが
でしょうか。
 「〜ところだ」のまえでは「テイル」は進行の継続相しか あらわしませんから、
「スルところ」は「e.将然相」、「シテイルところ」は「a.」、「シタところ」はc.に
ちかいけれども、「痕跡」をあらわすところまではいかない ただの「f.完了相」、
「シテイタところ」は「d.」という対立になると かんがえられそうです。
 
 
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そこまでは考えていませんでした。 投稿者:きんちょ  投稿日:11月 4日(土)21時45分37秒
 
 
 こんばんは。今週たてこんでいた発表がやっと一段落で、ひるねしました。
しかし、最後の発表はサンザンだった。
 
 わたしが「いま、あなたの はなしを していたところなんですよ」という
文が「スジにあわない」と感じた理由をおもいかえしてみました。これは
自分の素朴な ことばの感覚であるというよりはリクツi誰か、「助け船を出さずにはいられない」方、
御意見をよろしくお願いします。
(=スジ)として
なんだとは自分でも わかっていました。語感としては それでいいとも
感じていましたから。
 
 じゃ、なにが ひっかかったかというと、「〜ところです」の まえの
「タ形」はテンスをになっていない、という「知識」です。「スルところ/
シテイルところ/シタところ」という3つはアスペクトの対立として
みるしかありません。それなのに「シテイタところ」というかたちが なぜ
必要かと おもったわけです。『途中』のアスペクトなら「シテイルところ」
で いいのであり、『過去』なら、「ところ」を「ところだった」にして
あらわすのが「原則」だと おもうからです。
 
 
 ところが、みなさんに かいていただいたことをよみながら、ひょっとしてと
おもったことがあります。トッピな かんがえかもしれませんが、「ところ」の
まえにつく「スル/シテイル/シタ」のアスペクト対立の拡張として、
「シテイタ」という第4のアスペクト(?)が あるんじゃないか、ということです。
 
 いや、これを「アスペクト」と いうのは 適当じゃないかも しれないんですが、
ふと あたまにうかんだことが あったんです。『文化初級日本語』の本文なんですが、
    「弟は友達と野球を見に行くと言っていたから、行けないと思いますよ。」
というのです。ここで「言っていた」のかわりに「言った」をつかうことはできません。
「言っている」とは いれかえることができます。「言う」は もちろんダメです。
つまり、「言っていた」の「タ」は過去ではないので、「テイル」と「テイタ」が
いれかえ可能なのだけれども、そこには微妙な意味の差異が あるわけですよね。
で、その「差異」が、「〜ところだ」の まえにつく 3つのアスペクト対立との親和性が
あり、4つめの対立項をつくりうるのではないか、と おもいついたのです。
 
 そこで この「差異」を どう表現するかなのですが、とりあえず、「〜ところだ」の
まえの「テイル」のほうが「動作・作用が持続していることをあらわす進行の継続相」
であるのに対して、「テイタ」のほうは「動作・作用が中断したのだけれども、その効力が
持続していることをあらわす記憶の残存相」とみてはいかがでしょうか。ちなみに、
これと くらべると「タ」は「効力」ではなく「痕跡」が持続しており、「記憶」ではなく
「結果」が残存しているというところが ちがうと いえそうです。
 
   かれは「約束は まもる」と 言いました/言っています/言っていました。
  かれは「約束する」と 書きました/書いています/書いていました。
 
かれが目前にいないとして、うえは「言っていました」、したは「書いています」を
えらびたいところです。「書いています」は証文という具体的な存在としての「結果」
を示唆していますが、「言っています」だとテープにとっているかのような印象を
うけてしまい、そうじゃないケースには奇異です。「言っていました」だと、まだ有効
性があると(はなしてが かんがえる)「記憶」を示唆するのではないでしょうか。
 
 この ちがいが、「〜ところだ」の まえの動詞の形式に第4のバリアントをもたらして
いると おもうのです。
 
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すみませんミスタイプしました 投稿者:Oyanagi  投稿日:11月 2日(木)20時42分56秒
 
 
自分の前の投稿を読みなおしてみて、とんでもないミスタイプを発見しました。
11月1日の「ちょっと気になる『ところ』」という投稿の最後のほうで
 
>私には『あの場面』では
>むしろ4)が正しく3)が間違いのような気がするのですが・・・
 
と書きましたが、正しくは
→むしろ3)が正しく4が間違いのような気がするのですが・・・
となります。
その後の私の投稿と矛盾することになってしまって失礼しました。
 
私も少し時間をおいてまた考えてみます。
そうするとまた違った見方もひらめくかもしれないので。
(アルクの掲示板にあった「〜わけがない」の動詞の時制の問題のことも
 あるので、あわせて考えてみます)
 
 
 
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いろいろ論じてくださって…… 投稿者:きんちょ  投稿日:11月 2日(木)19時43分42秒
 
 
 おもわせぶりに かきましたが、わたしの でた「ゼミ」では、「〜タところ」と
「〜タばかり」の ちがいについて発表があっただけで、今回の問題は、そのレジュメに
でていた例文をみつめながら、わたしが ひとりで 『あれ?』っと おもっていたのです。
発表には直接関係ないことだったので、わたしは それについては発言しませんでした。
ゼミが おわったあと、別の日本人の学生に 「どうおもう?」って きいてみただけです。
わたしが「こっちのほうがスジだと おもうんだけど」って いいながら、レジュメの よこに
メモがきして みせたら、その学生も、「う〜ん。たしかに『…しているところだった』が
スジかもね」と いうので、ま、そんなに 自分ひとりが おかしな かんがえをしているの
でもないかと おもったわけです。もっとも、その学生は、かんがえるのが めんどくさくて
わたしに はなしをあわせただけかもしれません。なにしろ、「スジだ」という ひとことで
会話を成立させてしまったのですから、わかったような わからないような はなしです。
 
 そもそもレジュメの例文は、発表者が なにかの資料から収集したものにちがいありま
せんから、そういう意味では、現実に つかわれていたものなのです。でも、それについて
「スジ」が ちがうと おもったのは、そんなに ふかい分析によるものではありません。
わたしは そもそも「〜テイタところ」という文型が どうもよく理解できなかったのです。
 
 こうやってみてみると、「〜すルところ」「〜しテイルところ」「〜しタところ」と
ならんで「〜テイタところ」という類型があるのかな、とも 感じます。すくなくとも、
「〜テイル」の機能と「〜しタところ」の機能をたしざんすれば、この形式の機能が
理解できる、ということには ならないと おもいます。と いうか、そんな説明を 
されても、どう たしざんすればいいか わかりませんよね。
 
 また、しばらくしてから コメントさせていただきます。
 
 
 
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あやうく風呂に入るところだった 投稿者:Oyanagi  投稿日:11月 2日(木)17時34分06秒
 
 
いったい自分はどうな日本語を『普段』使っていたのか!!
意識して考えると本当にわからなくなってしまいますね。
少しでも参考になればと思って広げた参考書には
「〜スルところだった」で<反実仮想>を表わすと。
おいおい悩みの種を増やさんでくれ!と叫びたくなりました。
 
しかし、時間をおいて冷静になって考えて見れば、やっさんがあげた例文1と
その時の気持ち(相手を気づかって入るのをやめた)っていうのはこの用法に
つながっていくのかなとも思ったりして。
 
そして、やっさんがあげた例文で(これ言うんかいな/変だぞ)と思ったものは
文末が過去形ですよね。ここがどうも臭いんですよね。
私は「ところだ」がモダリティを表わすとにらんでいるのですが、
もしこれが当たっていれば、文末が過去になると<客観的な叙述>に変わる
というのが確か特徴だったと思います。
例)A:山田さん失敗したんだって。
  B1:当り前だよ。あんなやり方じゃ成功する『わけがない』よ。
  B2:あんなやり方じゃ成功する『わけがなかった』んだ。
1は話し手の発話時の心的態度(モダリティ)で
2は話し手の主観というよりはむしろ事態を客観的にとらえて
 「成功するなんて無理なことだった」と述べているというものです。
 
そこで変な文を通じる文にするべく、場面を考えてみました。
(場面)恋人同士が電話で話している。
男:よっ、今何してんの?
女:何してるか、当ててみて。
男:勉強か?なわけないか。
女:ふふ。今おふろに入った/入っているところだったのよ。
  ほら音が聞こえるでしょ。
男:おいおい。電話大丈夫か。
 
と、なかなか色っぽい会話になってしまいましたが、クイズ形式にして
無理やり自分を客観的に表現させてみました。
これって言いますかね。
私的には(おっと、教師タルもの、こんな日本語に毒されてはいけない)
私としてはOKなんですが、ひょっとしたら色気に惑わされただけかも(^_^;
 
 
 
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今、考えているところでした。 投稿者:やっさん  投稿日:11月 2日(木)14時13分53秒
 
 
Oyanagiさん、面白く拝見しました。Oyanagiさんときんちょさんの文に対する鋭い嗅覚?と分析力には
いつも感心します。きんちょさんに何か意見を、と考えてあれこれ考えたのですが、口の中でリピートして
いるうちに「あれ?」となって考えるばかりでわからなくなってきました。
「ところ」の前の部分でアスペクトを表し、モダリティに関わることは「ところ」の後ろの部分が受け持って
いるんじゃないかと考えてみたのですが、やはり変ですかね?
 
電話がかかってきて、「何をしているの?」とたずねられ、
   1)今から ふろに 入る ところ です。(ふろに入ろうという意志がある)
     今から ふろに 入る ところ でした。(相手を気づかってふろに入るのをやめた)
 
   2)今、 ふろに 入っている ところ です。(どう考えても湯舟の中か、風呂場)
     今、 ふろに 入っている ところ でした。(こんなこと言うのかな?)
 
   3)今、 ふろに 入った  ところです。
                      (風呂場の中で受話器を持って立っているか、風呂を出てすぐの時)
     今、 ふろに 入った  ところでした。(これも私の感覚では変)
 
わざと「ところ」の前の部分と後ろの部分だけをかえて、それぞれ状況を考えたのですが、正直、だんだ
苦しくなってきました。(ほんまにこんなんいうんかいな?というかんじです)
今まで「ところ」を深く考えたことがなかったので、面白かったです。きんちょさんのゼミでどういった意見
出たのか、是非聞いてみたいですね。(^^) よろしくです。(^o^)/
 
 
 
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言葉遣いと対人関係 投稿者:Oyanagi  投稿日:11月 2日(木)12時34分39秒
 
 
きんちょさんが提起された「うわさを・・・」の件ですが、具体的な場面を
想定して、その対人関係(それをどのような気持ちで言うか)を考えてみました。
皆さんは次のような場面でそれぞれの言い方にどのような態度を感じますか?
 
場面1:きのうの旅行で撮った写真ができたので、皆で見ていた。
    そこへ、いっしょに行った山田さんが来て、佐藤さんと話す。
 
山田:あれ、何しているの?
佐藤:あ、山田さん。きのうの写真ができたから、
   1)皆で 見ている ところ なの。
   2)皆で 見ていた ところ なの。
   3)皆で 見ている ところ だったの。
 
私の語感では、もし佐藤さん(たち)が山田さんも見てもらいたい
(会話に参加してほしい)という気持ちを伝えたいなら、
一番適切なのは2)で、3)もOKだけど、ちょっと『冷めた』印象で、
1)はむしろあなたには関係ないことだと印象を与えかねないと思うのですが。
まあ、そこまでは言わないまでも、何か山田さんの参加を積極的には
望んでいないような印象を与えはしないでしょうか?
 
これと同じことが「うわさ・・・」の文にもあてはまりそうな気がするのですが。
違う場面では私たちはこのような態度で表現を使い分けているでしょうか?
 
場面2:夕食を作っている最中に電話が鳴ったので、いやいやながら電話に出る。
 
佐藤:あ、もしもし、山田さんですか。佐藤です。
山田:あ、佐藤さん。ごめんなさい。いま
   1)夕食を作っているところなの。
   2)夕食を作っていたところなの。
   3)夕食を作っているところだったの。
 
いかがでしょうか? 場面が佐藤さんを夕食に誘いたいという気持ちがあれば
表現が変わるでしょうか?
もし、使い分けているとしたら、それはこの表現が単にアスペクトを表わすだけ
じゃなくて、話者の心的態度(モダリティ)を表わしているからじゃないかなと
思うのですが。もしかしたら考えすぎかもしれません。(^_^;
 
 
 
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題名こだわり症候群 投稿者:Oyanagi  投稿日:11月 2日(木)01時34分45秒
 
 
最近テレビを見るよりラジオを聞くことが多くなったのですが、ラジオ番組で
リスナーからの電話やファックを受け付けるコーナーなどで、その日のテーマ
が、「まさか! こんなことがあるなんて!」というような内容だったんですが、
その時のタイトルが、
『人生にまさかという坂があることを知りました』でした。
言葉の語呂合わせはいろいろありますが、なかなか洒落た言い方だなと思いました。
 
ちなみに、私のHPの新しい部屋の「調べてみれBAR」というのは
いつだったか深夜のテレビ番組のコーナーで「修羅場」にひっかけて
「しゅらバー」という名前のバーが登場したのを見て、
「あっ、これ面白い!」と思ったので自分なりに作ってみたという
いきさつがあります。
 
言葉の語呂合わせと言えば、私のお気に入りの一つに雑誌「アエラ」の
一行コピーがあります。あの吊り広告なんかに出ているやつです。
確か今週号は『まっさか、しばった、それぞれの反省』だったと思います。
毎週月曜日に電車に乗ってこのコピーを見るのが楽しみでした。
(※今週の月曜日の新聞広告のほうにもこのコピーが入っていたので、
  最近は吊り広告だけじゃないのかもしれませんね)
ということで、これからもこちらの掲示板で「題名こだわり症候群」を
『ほどほどに』楽しんでいきたいと思います。
 
 
 
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塾たりうる掲示板に、、、 投稿者:やっさん  投稿日:11月 1日(水)13時19分36秒
 
 
Shujiさんの
 
<口語文の中に文語的表現を挿むことは、表現の上で意外と新鮮な効果が
<生まれる可能性も感じます
 
は本当にそうだと感じました。表現する上で「ある効果」を狙ってわざと
文語的表現を織りまぜるというのは、特に「名言」といわれる文には
最適ですね。また皆さんの書き込みを何度も読みなおして、自分の頭の
中が少し整理されたような気がします。「皆さんの参加なくして、日本語教師塾
たりえない」(^_^;)といったところでしょうか。(なんとか文型を使って、言おうと
するところはほとんどビョーキですね)Oyanagiさん、ハードディスク増設おめで
とうございます。20Gという広大なスペースにいろいろなデーターを入れて
いくんでしょうね。(うらやましい、、、) 軽い気持ちでタイトルも何かシャレた
タイトルをいつも考えていたのですが、本文よりタイトルを考えるのに時間が
かかったりして、、(本末転倒ですね(^_^;) 皆さんあまり凝ったタイトルを考える
あまり、無駄な時間を過ごさないように気をつけてください。(私のことか、、、)
さて、きんちょさんの
  (うわさの渦中の人物が あらわれて)
  「あ、いま ちょうど あなたの うわさを していた ところですよ。」
ですが、まったく違和感がありませんでした。「していた」で完了して、ちょうど
その状況を表しているように思ったのですが、、、
私の語感がおかしいのかな?「〜するところ」「〜しているところ」「〜したと
ころ」の形できんちょさんの例文は二つともOKのような気がします。他の方の
御意見も聞きたいですね(^^)  ちょっと午後の授業に行ってきます。
 
 
 
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ちょっと気になった『ところ』 投稿者:Oyanagi  投稿日:11月 1日(水)13時09分26秒
 
 
きんちょさん、こんにちは。
 
きんちょさんが出ているゼミってきっと白熱した議論が
繰り広げられているんでしょうね。うらやましい。(^^)
 
ところできんちょさんの投稿の次の箇所がひっかります。
 >これって、どうかんがえても、
 >「あ、いま ちょうど あなたの うわさを している ところでしたよ。」
 >というのがスジのように おもうのですけれども、
 
「〜ところだ」は<モダリティ>のような働きがあって、その動作・現象が
どのようなアスペクトにあるかを話者が判断する文だと思うんです。
だから、過去の事態についても、基本的に話者の発話時が基準になるので
「〜ところだ」となると思います。
例)「ちょっと前に食べたところです」
もし、文脈などで過去の基準があれば、文末は過去形になりますよね。
例)「彼が来たとき、ちょうど晩ご飯を食べているところだった」
 
だから、基本的には、問題の文は
1)「(今)あなたのうわさをしているところです」
2)「あの時、あなたのうわさをしているところでした」
となると思います。
それじゃ、
3)「(今)あなたのうわさをしていたところです」
4)「(今)あなたのうわさをしているところでした」
は何なんだ?となりますが、私には『あの場面』では
むしろ4)が正しく3)が間違いのような気がするのですが・・・
もちろんあの場面では文法的には正しい1)も不適当ですよね。
さて、どうしてなんでしょう???
今晩かあしたにでも考えをまとめてみたいと思います。
 
 
 
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「いま、あなたのうわさをしていたところだ」 投稿者:きんちょ  投稿日:10月31日(火)22時40分35秒
 
 
 こんばんは。いま、とても いそがしくて、コメントがあってもレスもできないかも
しれませんが、きょう、ゼミで おもしろい例文が でてきたので、のせときます。
 
「〜タところ」と「〜タばかり」の比較をする発表で、つぎのような例文が でてきた
んです。
(うわさの渦中の人物が あらわれて)
「あ、いま ちょうど あなたの うわさを していた ところですよ。」
 
 これって、どうかんがえても、
「あ、いま ちょうど あなたの うわさを している ところでしたよ。」
というのがスジのように おもうのですけれども、最初の例文も
実際には よく いいますよね。
 
 どうなんでしょうか。いいまちがいが定着しちゃったのか、それは 
それで ただしいというべきなのか。それとも、つかいわけがあるとか、……
 
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