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 葡萄酒日記

その26 「シャトー・ムートン・ロッチルド」

1855年のパリ万国博のときに、ナポレオン3世がイベントの一つとして、 ボルドー・メドック地区の優良シャトーに格付けを行いました。 当時何百とあるシャトーのうち61のシャトーに 「グラン・クリュ・クラッセ(特級)」の称号を与えました。 そしてその61のシャトーを第1級から第5級の5つの等級に分けました。 この等級は150年たった今も例外を除いて変わっていません。 しかし、このシャトーの実力は第1級なのですが、 オーナーがユダヤ系(ロッチルドはフランス語の発音で英語ではロスチャイルド) ということで第2級に甘んじました。 しかし、1973年その例外として、格上げがされ、 晴れて第1級の称号が与えられました。

この葡萄酒の魅力は味、香りもさることながらエチケット(ラベル)にあります。 毎年有名な画家の絵が、エチケットに飾られます。 1945年にフランスが第二次世界大戦で、ナチから解放された年の葡萄酒。 エチケットに戦勝を記念して「フィリップ・ジュリアン」の「Vサイン」がデザインされた絵が選ばれました。 また、この1945年は20世紀の数少ないグレート・ヴィンテージの一つです。

1945年以降毎年エチケットに世界で有名な画家の絵が選ばれます。 この「シャトー・ムートン・ロッチルド」のエチケットに採用されるということは、 画家にとっては大変名誉なこと。一気にその画家の絵の価格が高騰します。 ちょうどNHKの紅白歌合戦に選ばれると、ギャラが高騰するのと似ています。 第1級昇格記念の年1973年の絵は「ピカソ」の絵が選ばれました。 ちなみに1948年は「マリー・ローランサン」、1958年「ダリ」、 1969年「ミロ」、1970年「シャガール」、1971年「カンディンスキー」、 1975年「アンディー・ウォーホル」、1979年には日本人初の「堂本尚郎」の絵が、 1991年には「バルチュス」の妻で日本生まれの「節子」、 そして、1993年にはこの「バルチュス」が選ばれています。壮そうたる画家です。

この1993年の「バルチュス」の絵は、 「ゴヤ」の有名な「裸のマハ」の絵と同じく少女の裸体の絵です。 アメリカ合衆国にこの1993年の葡萄酒が輸入されるとき、 待ったがかかりました。ある婦人団体が、この少女の絵にクレームをつけました。 『そんな少女の絵のある葡萄酒はけしからん』と。 それで、この葡萄酒は輸入禁止になりました。 しかたなく、「シャトー・ムートン・ロッチルド」はアメリカ合衆国向け用に、 1993年の葡萄酒には絵がない、キャンバスのみのエチケットを貼って輸出しました。 大変不幸な出来事と思われます。ところが「塞翁が馬」です。 なぜかといいますと、「シャトー・ムートン・ロッチルド」のエチケットの収集家がいます。 この私もそうですが。1993年は、絵付きのエチケットと絵なしのエチケットを手に入れるため、 同じヴィンテージの葡萄酒を2本買わねばなりません。 それで、この1993年の葡萄酒はあまりよくないヴィンテージなのですが、 需要が多いため、高値で取引されています。 恵まれているシャトーはいつもこのように幸運の女神が微笑みます。
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