剣 山  

次郎笈より望む剣山
◆【山行日時】 2001年5月4日〜5日
◆【コース・タイム】

□5月4日  曇り時々霧

見ノ越=<登山リフト>=西島=35分=剣山頂上小屋

=5分=剣山山頂=5分=頂上小屋前(テント泊)

□5月5日  曇り時々霧

テント場=5分=剣山山頂=25分=大剣神社分岐=20分=大剣神社=15分=西島

=<登山リフト>=見ノ越
◆【正味歩行時間】

5月4日  45分

5月5日  1時間05分
◆【詳細】

三嶺から下山後、奥祖谷かずら橋でしばらく遊んだ後、見ノ越へ向けて車を走らせる。
奥祖谷かずら橋(女橋)
見ノ越の駐車場は観光バスやマイカーで満車状態で、駐車するにも一苦労。山頂へは不精してリフトのお世話になるもパソコンのお陰で割引料金で乗車。それでも大人二人、子供一人で4,050円也。

今回の剣山は、はっきり言って剣山でなくて夫婦池から塔ノ丸か丸笹山でもよかった。幕営地を山頂と夫婦池のどちらにするかの問題だが、今回の山行の大きな目的は三嶺の素晴らしさと四国の満天の星空を(あ)や(ひ)に見せてやることにあった。
とりあえず三嶺の素晴らしさは味わえたので、もう一つの目的、星空を見るには林に囲まれた夫婦池よりも障害物のない剣山山頂の方が当然よく見えるはずである。そこで、剣山山頂での幕営とし、リフトに乗ったのである。

ところが、その目的を果たすべくやって来たのに最大のハードルである天候が一向に良くならない。雨は落ちてないものの時折ガスもかかり、見晴らしは見えても塔ノ丸までで、決していい状態とはいえない。
「どうなることやら―」

自然のことは悩んだところでどうなる訳でもないので気を取り直し、西島からは最短コースの尾根道を進んで行く。何年振りのテントを担いでの登高だろう。40を過ぎた体にはちょっとこたえる。

なんとか小屋に着くと、早速その前にテント設営。「先客があって設営場所がなかったらどうしよう」、と少しあせって登って来たが幸い取り越し苦労になってよかった。この日の小屋前での幕営はうちだけだった。ちなみに、小屋での宿泊者は本日(5/4)87名、昨日(5/3)140名だったそうだ。
頂上小屋の新居さんと (うしろに見えるのはOUR TENT)
山頂の天候は時折ガスがかかるが雨が降る訳ではなく、かといって晴れる訳でもなく限りなく曇天である。こんな様子なので眺望も丸笹山すら見えない状況だ。

一方、食べるものに関しては重い目をして持ってきた甲斐があった。
というのも、テント設営後、山頂近くの本来、三嶺が祖谷谷越しに見える木製の広場で食べた『かしわ餅』がなんとも美味しかった。これは一日早い子供の日にちなんで持って来ていたものだ。
それに昨日、三嶺で貰って持ってきた讃岐うどんと、そのだしで作った雑炊の夕食。これまた美味しく、三人ともお腹いっぱ〜い。さすがは、本場のうどん。

これでお腹の調子は回復したが、天気は夜になっても全く回復せず、明るく輝く数個の一等星らしき星が、それもほんのわずかな時間見えただけ。それでも(あ)はその数少ない星を見つけ、「星、見えと〜で!」と言ってくれます。何とも、親の気持ちを察して気を遣ってくれているような、申し訳ないような・・。

三嶺では願いが通じガスが晴れたのに、さすがに二日続きの願いは通じなかったようだ。

夜中にも何度か空を見上げてみたが同じような状態で、結局、朝までに(あ)、(ひ)を叩き起こして「星やッ!」と言ってやることは出来ず、とても残念だった。

翌朝になっても昨日と同じような天候だった。山頂からは存在感のある次郎笈が見えていれば当然、ピストンしようかと思っていたが、それすら叶わず、それならとせめて大剣神社経由の下山路を選択し、シコクザサの茂る快適な縦走路を味わうようにゆっくりと下山。
次郎笈への縦走路を下る
大剣神社まで来ると西島はすぐそこだ。見ノ越から『ラ・フォーレつるぎ山』へ立ち寄り、ひとッ風呂浴びて今回の山行の締めくくりとした。
◆【今回の、三嶺の記録はこちら

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