「寂しくないですか?」 「えっ?」 餃子を包みながら思い出話をしていた青年の手が、少女の何気ない一言で止まった。少女は小学生くらいで、青年の横にくすんだパイプ椅子置いて座り、足をぶらぶらさせていた。少女は無邪気な顔を向けたまま、自分の問いに青年が答えてくれるのを待っていた。しかし、青年はふいをつかれた言葉を上手く飲み込めず、喉を塞いで声を押し止められていた。 『・・・寂しい?』 青年の中で引っかかりを残し、次の言葉を出すのが精一杯だった。 「何が?」 「だって、璃さん、お父さんとお母さんいないんでしょ?」 「それは・・、君だって同じだろう?」 青年は取り繕うように止まっていた手を動かし、また餃子を作り始めた。 「そうだけど、私は生まれた時からだもん。それにお兄ちゃんいるし。でも、璃さんの小さい頃はいたんでしょ?」 「それが?」 「ミナがね、『失って初めてその大切さが分かった』って言うんだ」 ミナとは少女が熱中しているマンガの主人公だ。 「意味よく分からないけど、それって、あるはずのものが突然なくなって困るってことでしょ?じゃあ、初めからいなかったら困らない、私みたいに。でも、璃さんは初めはいたわけで、いなくなったら困る大切なもの。だから、いなくなったら、寂しいのかな?って」 『すごい解釈の仕方だな』 青年は少し呆れてしまうも、少女のことを考えるとその言葉の裏に隠れている彼女の気持ちが分かるような気がした。マンガに夢中になる年頃なのに、物事を深く考える。親のように教えてくれる、導いてくれる者がいない子供は、見るもの・聞くものすべて経験から物事を考えるようになる。青年にも心当たりがあった。独りだと自分の気持ちを誤魔化すように自分自身で勝手に物事を解釈するようになる。 少女は両親が初めからいないから、別に困らない、寂しくないと言い切ってしまうが、親の話を青年にせがんで聞きたがるのも同じ少女だった。親がいないことを何とも思っていないようでも、少女の心のどこかで欲しているのだった。その気持ちが青年には痛いほど分かるからこそ、今まで決して人に言わなかった過去を、両親との思い出を少女に話していた。たとえ身分を偽っていても、親との思い出は嘘偽りのない本当のことを話していた。 しかし、この時ばかりは言葉できない思いが溢れそうで口にしてはいけない気がして、青年はその不安からか咄嗟に誤魔化してしまった。 「さあ、どうかな?もう何十年前のことだから」 「でも、今のことだよ?」 「何十年前からだから慣れたのかも」 「ふーん、そうなんだ。でもさ、今は璃さんには私がいるもんねー。寂しくないよねー?」 すっかり青年に懐いている少女は明るい笑顔を浮かべながら言った。そのあまりに明るく無邪気な笑顔につられて、青年は口元を綻ばした。 「今、戻りましたー!」 裏口から汗だくになった男がたくさんの食材を抱えて入ってきて、その時少女と目が合った。 「あっ!秋蘭!!お前、また璃さんの邪魔しに来たのかっ!?」 男が怒鳴り始めると同時に、少女は青年の後ろに隠れ対抗した。 「別に邪魔してないもん!」 「邪魔してるだろ、腰巾着みたいにくっついて!」 「そんなことしてないもん!大人しくしてるもん!」 「お前がいるだけで気が散るんだ。さっさと家に帰れ!」 男の気迫に押され、少女は小さくなりながら青年の服の裾にしがみついていた。 「周、そんなに怒らなくても。それに彼女は手伝ってくれてたんだ」 「しかし、璃さん。一回厳しく怒っておかないと。璃さんだって、毎日こいつに付きまとわれて迷惑でしょ?」 「迷惑じゃないさ。彼女もこっちの都合はわきまえてくれてる」 「はあ・・」 男は青年にそう言われると言葉が出てこず、渋々といった感じで怒鳴るのをやめ、買ってきた食材を調理台に広げ始めた。 「すいません、璃さん。いつもこいつの相手してもらって。なんかこいつ、璃さんにすっかり懐いてしまって」 「だって、お兄ちゃんよりも優しいもん」 少女は青年にしか聞こえないように小さく呟いた。 「あ?なんか言ったか?」 「何も」少女は青年と顔を見合わせて笑った。 「あ、いけねえ。親方に頼まれていた調味料買って来るの忘れた」 食材を広げ終わって、男がつぶやいた。 「俺が買ってくるよ」 「でも、俺が忘れたんで俺が買ってきます」 「いいよ、市場に行く用事があるからそのついでに。お前は帰ってきたばかりなんだから、少し休め」 「・・すいません」 青年は最後の餃子を包み終えると粉だらけの手を洗った。 「下準備の方はほとんど終わったから、あとスープだけ見ててくれるか?親方には市場に行ったって言っておいてくれ」 「分かりました」 「じゃあ、私も帰ろう」そう言って青年に付いていこうとする少女を男が捕まえた。 「お前はここに残るんだ」 「えーっ!さっき家に帰れって言ったの、お兄ちゃんじゃん」 「璃さんに付いていこうと思ってるんだろ?そうはさせるか。あ、璃さん。気にしないで行って来て下さい。こいつは俺が見てますんで」 男に羽交い締めされている少女は気に入らない様子で膨れっ面になっていた。 「お前はなんでいつも璃さんに構うんだ!?」 青年が出て行って、ようやく男は少女を捕まえていた手を離した。 「だってー」 「だってじゃない!ゴチャゴチャ言ってる暇があったら、テーブルでも拭け」 言葉と同時に男は少女に布巾を投げた。 「イタッ!自分が聞いたんじゃんか」 少女は男に聞こえないようにぼやくと、青年が出ていったドアを徐に見つめた。 「だって・・・、寂しそうなんだもん」
ドアを出た途端に、激しく照りつける日射しと蒸しかえすような暑さが青年を迎えた。青年の心にずっと何かがつかえていた、少女の一言を聞いた時から。 「寂しい・・か」 青年は振り切るように歩き出した。本当は市場に用事などなかった。ただあの場から逃げたくなった。何だか自分の足元が崩れていくような不安感が青年の中にあった。 青年は人が行き交う市場の賑わいに身を委ねるように歩き続けた。いつからだろう、街のざわめきや雑踏の中で気を紛らわすようになったのは。いつからだろう、別人を演じることに心の平安を求めるようになったのは。黙々と歩き続ける青年の頭にある言葉が過った。 『失って初めてその大切さを知る』 母との別れ、父の死と祖父の死。その死に出会った時はあまりに青年は小さく、死の意味を理解できなかった。ただ、もう二度と父や祖父と一緒に遊ぶことも食事することも寝ることもなく、もう二度と会えないのだと思うと涙が溢れて仕方なかった。父、祖父、そして、母。誰もが小さかった青年にとってかけがいのない大切な人達だった。それを失った時の悲しみ、そして、独りという寂しさ。青年の頭に過去がフラッシュバックし、心の奥から沸き上がるたとえ切れない孤独感と寂しさが青年を覆い尽くしてしまった。 「母さん・・・」 いたたまれない思いから青年はポケットから一枚の写真を取り出した。そこに着物姿の女性が微笑んでいた。すがるように写真を見つめる青年の目は親の話をせがむ時の少女の目とどこか似ていた。 「いや、まだだ。まだ、失ったわけじゃない。」 青年は自分に言い聞かすように強く言うと、大事そうに写真をポケットにしまった。 (おわり)
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