一発の銃声が辺り一面に無情の金切り声のように鳴り響いた時、男の目にはスローモーションがかかったように目の前の光景が流れた。今まで自分に微笑み掛けていた女性の表情が一瞬にして固まり、男がそれに気付いた時には、もう既に彼女の胸から鮮やかな血が吹き出していた。そう、鋭い弾丸が彼女の身体を突き抜けたのだ。 「きなこさん!!」 男はゆっくりと崩れ落ちていく彼女へ必死に手を伸ばすが、その伸ばした手もまた、スローモーションとなってゆっくり動く。手を伸ばせば届くはずの距離が何メートルも離れたものに感じ、そして、流れいくべき時間は止まってしまったかのように思えた。 ようやく彼女の身体に手が届いた時、スローモーションの光景は一気に現実へと戻り、すべての時間が動き出した。男は彼女の身体を抱え込み、その顔を覗き込んだ。 「きなこさん!きなこさん!」 目を閉じたままの彼女の身体を軽く揺すりながら、男は叫び声ともとれる呼び掛けをし、反応を窺うために一瞬の間を置くものの彼女の反応はなかった。男はますます悲愴な顔つきで、今度は先程より大きく身体を揺すり、声を張り上げた。 「きなこさん!!」 「だ、大丈夫、よ。」 微かな声が口から漏れると、彼女はうっすらと目を開けた。 「きなこさん!」 彼女の反応に、男の中でわずかな嬉しさが沸き上がったが、表情は痛々しいまでに歪んだままだった。何にも増して不安と恐れが心を占めて怒濤のように渦巻き、わずかな嬉しさなど簡単に飲み込んでしまっていた。それもそのはず、彼女の白いシャツに映えわたる鮮やかすぎる程の赤い染みが、左胸から溢れて出し、止まること知らずに急速に広がってシャツすべてを赤く染めてしまうような勢いだった。 「きなこさん・・・。」 そんな彼女の姿を目の当たりにして、男はただただ、彼女の名前しか言葉が出て来なかった。 「大丈夫、だって。か、かすっただけよ。」 男を安心させるために言った彼女の言葉は、その裏腹な姿を前に何の意味も気休めにもならず、男はより一層彼女を失う怖れを募らせて、手は小刻みに震え始めた。 「ホイさん、こそ、大丈夫・・?顔、真っ青−」 その時、彼女の顔が苦しそうに歪むと大きく咳き込み、胸と同じ鮮やかな色の液体が吹き出して口元を赤く染めた。 「きなこさん!」 「だ、だいじょうぶ、よ。ホントに、心配性だ、ね・・、ホイさんは。」 そう言いながらも彼女の呼吸は途切れ途切れで荒々しく、話すことさえ苦しそうな息使いだった。 「しゃべったらダメだ!すぐに救急車を呼ぶから!」 男が彼女を寝かせ立ち上がろうとするが、彼女はそれを遮った。彼女は必死に力が入らない手を動かそうとし、その手はなんとか持ち上げられて弱々しく宙を彷徨い、どこか不安げに何かを探し求めているようだった。 「ホイ、さん・・・」 男はいたたまれずにすぐさま彼女の手を取って強く握り返した。男の手から伝わる温かさと力強さに安心したのか、彼女は落ち着いた様子で少し微笑んだ。その笑みは、手にすれば溶けてしまう雪のように儚げで美しかった。あまりに綺麗なその姿は男の怖れをますます煽り、かき乱された心に男は自分を見失いつつあった。 「きなこさん・・・・。」 震えてかすれている男の声とは対照的に、彼女は落ち着いた静かな声で言った。 「・・・温かい。ホイさんの手、私、好きだな。力強くて、優しくて。」 「でも、この手は−」 「人を救うことも、できる。」 男が言いかけた言葉を飲み込むように彼女は言った。 「過去、消えないけど、これからのこと、それは、自分の手で、作れる、よ。大切なのは、今。そう、今、どうするか・・・。」 彼女の声は次第に細く小さくなり、視点も定まらずに男の顔を通り過ぎて空を見つめていた。 「ホイさん・・・、私、ホイさんが、好きだよ。」 彼女の言葉は弱々しい小さな囁きとなって放たれると、そのまま彼女はゆっくりと静かに目を閉じた。 「きなこさん!」 男が彼女の身体を揺らして呼び掛けたが、彼女の反応はなかった。 「きなこさん!ダメだ、目を開けて!」 男は我を失って大きく彼女を揺さぶると、彼女の白い手が男の手からするりと落ちた。それを目にした男は認めたくない事実を突き付けられ、思わず息を呑み込み、静まりかえった。しかし、それも束の間、溢れ出てくる思いと涙を堪えられなくなると、男は彼女を強く抱き締めた。 「・・・嫌だ。こんなこと、絶対に嫌だ。・・・頼む。誰か、頼むから、誰か彼女を・・。俺の命を引き換えにしてもいい。お願いだ!!誰か彼女を助けてくれ!!」 男は気が狂ったかのように叫び、その悲痛な叫びはビルの谷間にこだまとなって虚しく響き続けていた・・・。 (おわり)
|