季節が木々を彩る時
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「きなこ中国奮闘記?」

 にぎやかな市場の往来に、ひときわ注目を集める声があった。
「ちょっと!値段吹っかけてるんじゃないわよ!観光客と思ってたら大間違いだからね!私はここで生活してるんだから、普段の値段知ってるのよ!」
 屋台の店主に迫るきなこの隣で、凱歌は周りの行き交う人達の視線に小さくなっていた。
「き、きなこさん。声が大きー」
「ホイさんは黙ってて。中国語分からないからって、なめてるんでしょ!?大体ねー」
「日本語で言っても分からないと思うけど・・・。」
「えっ、何か言った!?」きなこは横から茶々を入れる凱歌にやや苛立ちながら言った。
「いや、何も・・・・。」
 凱歌は火に油は注ぐまいと慌てて口をつぐみ、顔を背けた。きなこは何事もなかったように店主に向き直り、また日本語で捲し立てた。
「聞いてる!?昨日このほうれん草はこの紙幣で払って、これくらいのおつりがー」
『言葉の意味よりも、むしろ勢いで押してる・・・。』
 凱歌は気が気じゃなかった。きなこの声で何事かと野次馬も集まってきた。店主の様子もきなこに煽られるように徐々に怒りを帯び、ぶつぶつ文句を言っていたのが段々ケンカ腰になっていた。それにつられて、きなこもまたヒートアップしてきた。
『このままじゃ、危ない。おじさんがやられる。』
 凱歌は思いきって二人の間に割り込んだ。
「あ、あの、きなこさん!僕が店の人に言った方が早くない?」
「ダメーーっ!!」
 絶叫かと思う程のきなこの大声が市場中に響き、市場の誰もが驚いて動きを止め、きなこを唖然と見つめた。当然、凱歌も予想していなかったきなこの反応に驚き、慌てた。当の本人であるきなこは初め自分がしたことを分かっていなかったが、市場中の視線を浴びていることにようやく気付いた。
「えっと、トイプチ。何でもないです。気にしないでください・・・。」
 きなこは小さくなってつぶやくと、浴びる視線に背を向けた。そして、戸惑っている凱歌の服の裾を引っ張り寄せた。
「私が交渉するから黙ってて。ホイさんがやったら意味がないの!」
 きなこはちょっと膨れて言った。香港に来てこの一ヶ月というもの、言葉のせいで日常生活全般を凱歌に頼らざる得ないのが、きなこには悔しかった。少しでも自分で何とかしたかったのだ。
 ー数十分後ー
 市場から帰路へと歩く、自慢げな顔のきなこがいた。店主に迫った挙げ句、普段の半額の値段まで値下げさせたのだ。
「遅くなっちゃったね。お義母さん、心配してるかな?」
 買い物はいつもの倍の時間がかかったが、笑顔のきなこの横を歩くだけで凱歌にとって何にも代え難いものだった。
「いきなりこっちに来たから、大変じゃない?」凱歌はきなこを気遣った。
「大丈夫。すぐ慣れるよ。私、こう見えても適応力はあるから。」
 凱歌の頭に先ほどの出来事が過り、思わず微笑んでしまった。
「何?適応力というより影響力だろって言いたいんでしょ?」
「いや、そんなことは・・」図星のようである。
「いいよ、無理しなくて。顔に書いてあるもの。」
 きなこはちょっとすねるような表情を見せたが、すぐに笑った。その笑顔につられて、凱歌も笑った。
「だけど、中国語覚えた方が早いのは確かなんだよね。」
 きなこはちょっとため息混じりに言った。
「教えようか?」
「いい。自分で勉強する。ホイさんに頼ってばかりなのは願い下げなの。」
 と言いつつ、実は凱歌に内緒で凱歌の母・市江にこっそり教えてもらっていた。
「そんなに頼りないかな、僕は?」
「違う。こっちに来てからホイさんに頼りっぱなしで、お荷物になるのが嫌なだけ。私だってホイさんに頼られたいじゃない。」
「僕はきなこさんがそばにいてくれるだけでいいのに。」
「えっ?」
 凱歌の何気なく言った言葉に、きなこは敏感に反応して嬉しさに戸惑った。そんなきなこの様子に今度は凱歌が慌てた。
「え?いや、そんな深い意味で言ったんじゃなくて。本当に思ったことを口にしただけで・・・。」
 取り繕うつもりがますます深みにはまり、凱歌は照れて顔を赤くした。きなこもまた、顔が赤かったが、照れを隠そうと話題を変えた。
「これでも少し中国語を覚えたのよ。」
「何を覚えたの?」凱歌も照れからか、その話題に乗った。
「えっとね、『ニイハオ』『シェイシェ』『トォチェ』『サイツェン』でしょ。あと、『ハオチィ』『ウォシーキナコ』『ディドマ?』『トイプチ』『ダンイーシャン』」
「それと、意味は分からないけど、『ボウジェプフェイワンチニタ』だったっけ?ほら、ホイさんが言った言葉。間違えて覚えたのか、発音が悪いのか、お義母さんに聞いても分からないのよね。どういう意味なの?」
「・・・そんなこと言ったかな?」
「覚えてないの!?家を出て行くって時に、別れの挨拶みたいに、こう・・・」
 きなこは思い出してもらうことに必死で、身振り手振りで説明しようと抱きしめるような仕草をして、そこで急に恥ずかしくなった。
「ごめん。覚えてない。」凱歌は少し顔を伏せながら呟くように言った。
「いいの。覚えてなければ。ただ、ずっと気になってただけだから。」
 きなこは恥ずかしさで、凱歌に顔を見られないように少し歩調を早めて前を歩いた。凱歌はきなこを気にする様子はなく、ずっと下を向いていた。その顔は火照ったように真っ赤で、耳まで赤かった。本当は、凱歌はその時のことを覚えていた。
『君を忘れない』
 あの時は、もう会うことはないだろうと思っていた。だからこそ、最後に伝えたかった。いつの間にか特別な人になっていた彼女に。ただ、その後の行動は自分でも信じられなかったが。その時は別れの挨拶のつもりだったのだろうけど、今思い出すと、それだけでかあーっと顔が熱くなるのだった。
「四音だっけ?中国語は発音が難しいんだよね。覚えること、たくさんだな〜。」
 きなこはため息混じりに言ったが、気にかけているというよりは、むしろ楽しんでいる様子だった。
「あっ!まだ覚えてる言葉あった。」
 きなこは凱歌を振り返って、こう言った。
「ウォ・アイ・ニー」
「えっ?」
 凱歌はドキッとして、きなこの顔を見つめるが、すぐにきなこは視線を反らして背を向けた。
「これも、意味忘れちゃったな〜。」
 夕日を浴びるきなこの顔は周りの人達以上に赤く、どこかはにかんでいるように見えた。

(終わり)

<作者の言い
これは自分が書いた長編の続編で、二人が幸せに暮らせたらこうなっていたかな〜?と思って書いてみました。しかし、本編はあのような結末なだけに、こんな話も夢物語なんだと思うと切ないですね。楽しそうな二人、幸せな二人、そんな二人を書きたい!と無性に思ったわけで、笑顔の二人を求めてるのかもしれないですね。