季節が木々を彩る時
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When the season paints the

*三蔵法師

*悟 空

*八 戒

*悟 浄

「ひかりとかげ」

川辺で出会ったある姿

雨に打たれ 泥にまみれ

ただ、黙々と見知らぬ亡き人達の

ただ一人の見送り人となって

無言の言葉を投げ掛けては手厚く弔っていた

その者は昔、悲しみと怒りに心を曇らせ、漆黒の道を歩み

今は苦しみと虚しさが顔に降り注ぎ、後悔の河に身を沈める

−俺にはこんなことしかできない。汚れきった心と手ではこれが精一杯だ・・・。

自らを汚れきった穢れた者だと言い切り

心に伸し掛かる重荷と 心に突き刺さる痛みを

当然とばかりに受け留め、己を罰し続ける

 

あの時、差し出した手に期待を込めた、この閉ざされた心に光をと

わずかな割れ目からでもいい 希望という光を差し込みたかった

その者は差し出した手を握ることはなかった

しかし、差し出した手を見つめる目に わずかな輝きを見たような気がした

私の問いに頷いた顔に わずかな微笑みを見たような気がした

それは、私の間違いだったのだろうか

それとも、差し込む光は消えてしまったのだろうか

たった今、去り行くその姿に言葉を失う

なぜ、一人で抱え込む?なぜ、己を陥れる?

私では拭いきれないのだろうか

未だに、その者の心には暗雲が覆い

苦悩の雨を浴びて、澄んだ心を汚れた河に埋めようとする

 

もう気付いてもいいはず

あなたのすべてが穢れているのではないということを

今のあなたが私には必要であるということを

 

ー沙悟浄、一緒に天竺に行きましょう

<管理人の言い
「かげとひかり」「ひかりとかげ」共に、「届かなかった手」で書いた三蔵と悟浄の出会いをモチーフにしてます。出会いから旅の初期の頃の私のイメージなんですよね、これ。悟浄は自分を軽んじてるような、また三蔵含みなまかの為なら、簡単に自分の命投げ出しそうな気がするんです。誰かの為なら、自分が汚れ役になる。そんなイメージが悟浄に対してあるんです。だからこそ、それを救ってくれる三蔵さんの温かさが書きたくなるんですよね〜。