<「滅法国」悟浄と八戒が出て行った後> 届かなかった手。その手の向かう先には誰もおらず、宙に浮いたままだった。辛く長い旅路の終着が目の前に迫っている時に、こんな結果が待っていたなんて。 『私は、なんということを・・・。』 頭の中で鳴り響くー叶わぬ夢を見せていただけー。 その夢をずっと信じて頑張ってきた彼らに、どんな言葉をかければいいのか。いや、私にかけられる言葉などあるはずもない。今までのことが頭を駆け巡る。 『お師匠さん。天竺はどっちだ?』 『お師匠さん。天竺ておいしそうですね。』 『お師匠さん。天竺って本当にあるのでしょうか?どんな所なのでしょうか?』 宙に浮いた手を見つめると、もう一つの手で強く握りしめた。 「悟浄・・・。」 常に冷静に物事を考えて助言し、支えてくれた悟浄。表立って心の感情を出さない彼が動揺のあまり、一瞬吐露した表情には絶望が浮かんでいた。その後に取り繕った微笑みがより痛さに感じた。天竺に行けば願いが叶うと、彼ら皆、天竺を求めていた。そして、誰よりも天竺を求めていたのは、悟浄だったかもしれない。すがるような思いー。
「俺には、こんなことしかできない。」 都を出た道沿いの川辺で初めて出会った悟浄の顔には、虚しさと苦しみが滲んでいた。都から川で流れてくる疫病で亡くなった人達の亡骸を、彼は一人ずつ墓を作り弔っていた。なぜ、このようなことを?と聞けば、先ほどの言葉が返ってきた。 「汚れきった心と手では、これが精一杯だ。」 憎しみから罪を犯したこと、復讐しても消えぬ心の痛み、いつまでもくすぶり続ける憎しみ、積み重なる罪の重さ、悩まされる罪悪感、訥々と語る彼の顔には苦渋の色がはっきり見て取れた。 「あなたは分かっているのですね、憎しみは憎しみしか生まないことを。頭で理解できても心が伴わないことがあることも。消えぬ怒り・憎しみがあることも。そして、罪を犯すということがどのような結果を生むのかを。人と妖怪、姿は違えど心は何も変わらぬものです。その心をあなたは知っている。知っているからこそ、誰かの心の痛みを、苦しみを理解できるのです。」 「心が理解できても、俺にはどうすることもできない。」 「いいえ、あなただからこそ、できることがあります。誰かを正しき道に導くのです。自分の経験を語り、自分の思いを伝え、正しき道を教えるのです。」 「罪を犯した俺に、そんな資格などない。」 悟浄は土にまみれた手を見つめた。 「何よりも罪を償いたいのですね・・。名は何と言うのですか?」 「・・・沙悟浄」 「では、沙悟浄。私と一緒に天竺に行きませんか?私は世に平安をもたらすというお経を持ち帰るため、天竺に向かうところなのです。旅は長く厳しいものです。しかし、その長き厳しい旅を経て辿り着いた者の願いが叶うとも言われています。罪を償いたいというあなたの思いも、お釈迦様に聞き遂げられるかもしれません。」 苦しみに澱んだ悟浄の目は真っ直ぐこちらを見ていた。 「なによりも、道中、この私が挫けぬよう支え、助けてもらいたいのです。」 「俺では役不足です。」 「助けることは誰にでもできます。誰かを助けるのに資格などありません、助けたいと思う気持ちさえあれば。その思う気持ちが誰かの心を救うのです。心を理解できるあなただからこそ、頼むのです。」 「こんな俺でも・・・?」 「私にはあなたが必要です。沙悟浄、一緒に天竺に行きましょう。」 少し間があったが、悟浄は頷いた。初めて見せた、希望を見出すような微笑みと共に。
その笑みが消えた先程の絶望した顔と、初めて会った時の顔が重なる。 『私は、また彼にあんな表情をさせてしまうのか・・・。』 出て行った彼らを追いかけるべきだったかもしれない。どんなことがあっても、一緒に天竺に行きましょうと。けれど、天竺を目の前に追い払われるかもしれない彼らに言えるだろうか。そんな思いが足を止めた。 しかし、私にはできない、彼らの思いを、長い旅路を、無駄にすることなんて。彼ら以上の弟子、仲間などいるはずもない。仲間との約束を破ることはできない。 「私が諦めてはいけない。彼らと一緒に、天竺に行くのだから。」 (おわり)
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