Unsent. -1- |
くたびれた色のブルゾンを買った。 安っぽくて、ジッパーのいかれてる、実にチープな奴だ。 当座の寒さをしのぐにはそれでいい。船へ戻ればもっと上等の、あれはそう、確かドスコイパンダの新作コートがある。膝の下まで覆う丈の長い奴で、襟はボアだが取り外しができる。本皮のかなり高い奴だ。そう言えば、買ってから一度も着てないんだと思い出したら、今すぐ船へ取って返して、多分ドスコイパンダの袋の中に入ったままのコートを引っ張り出したくなった。 袖の擦り切れているブルゾンを捲って、パティだかカルネだかに貰った腕時計の時間を見る。見上げた時計台の時間と同じだ。俺は時間を間違っちゃいねぇ。 アラバスタへ向かう途中、食料が底をつきかけたので、ナミさんにお願いして近くの島へ寄ってもらった。丁度いい具合にその時航海していたのは、ビビちゃんがバロックワークスで仕事をしている時に航海した海で、彼女は賢くその辺りの地理を覚えていた。ナミさんが持ってきていたグランドラインに関する文献と、ビビちゃんの記憶とを合わせて計算して弾き出した航路は、アラバスタ直行路線からは少し外れるものの、そう大幅に時間をロスするわけでもない島への寄り道だった。ビビちゃんは、一度来た事がある、と言ってその港を眺めて笑った。そりゃ可愛い笑顔で、思わずくらっとなっちまったが、それより俺は食料の調達が先で、船が岸壁に近付くよりも先に財布を握り締めて飛び出していた。荷物持ちに誰かを連れて行こうかと思ったが、余計な手間だと思って一人で市場を回るには時間を遅く外してしまった市場を走り回った。 時間が時間で、あまりいい物を揃えられなかったので、今日はここで停泊してもらえないかとナミさんに交渉すると、彼女は元々そのつもりだったらしい。ビビが美味しいケーキ屋さんがあるって言うから、と言うナミさんは、サンジ君も一緒にどう、と誘ってくれた。ありがたい申し出に、荷物を全部冷蔵庫に放り込んでお供する事にした。どうせ明日にならないと市場は開かないのだし、夕飯の支度をするには少々早すぎる。今日はありあわせのもので作る予定だから、そう複雑な仕込みが必要なわけでもない。ナミさんとビビちゃんを伴って、これぞ正しく両手に花だなぁ、なんて軽口を叩きながら船を下りようとすると、カルーに留守番を申し付けていたビビちゃんが顔をあげ、「Mr.ブシドー」と呼んだ。 甲板で例によって串団子みてぇな重りを振り回していたクソ腹巻が、ビビちゃんの愛らしい声に顔を向ける。まだ串団子を振り回し始めてそう時間はたっていないらしい。いつもなら滴っている汗も、今日ばかりはなかった。涼しい気候のせいもあるんだろうか。だが相変わらず愛想の悪い顔をこちらへ向け、クソ腹巻は「なんだ」とビビちゃんを見た。 「美味しいケーキ屋さんがあるのよ。Mr.ブシドーも一緒に行かない?」 ああそうか、と俺はビビちゃんの嬉しそうな横顔を見た。 俺は、出汁ってわけかい。 「甘いもんは苦手だ」 「言うほど甘くないのよ。美味しいから。ね? 行きましょうよ。陸でお茶するなんて、海賊業やってたら滅多にできないでしょ」 渋る男を説得するビビちゃんの横顔を俺はぼんやりと眺めていた。 ビビちゃんが、クソ腹巻を少々気に入っている事は、俺だって知っていた。そんなのビビちゃんの仕草や表情を見てりゃ解るってもんだ。クソ腹巻がどう思ってるのかまでは知らねぇが、こんな可愛い子に想われて、嫌な気分でないことは確かだろう。 「船はどうする」 「ここは港の管理をちゃんとしてくれてるから大丈夫なの」 言い募るビビちゃんの言葉に、クソ腹巻は串団子を甲板へ下ろす。そうだな、と呟いてこっちを振り返ったクソ腹巻は、俺の顔を見るなり「テメェも行くのか」と嫌そうな顔で言いやがった。「ああ悪ィかよ」と煙草の煙を吐き出しながら言うと、いや、と素っ気なく呟いて俺よりも先に陸へ上がって行きやがる。まったく愛想の欠片もねぇ。 嬉しそうに笑って、じゃあ行きましょ、と俺が船から降りてないことにも気付いてない様子で歩き出すビビちゃんの頭を、俺は船の上から眺めていた。 「サンジ君?」 クソ腹巻より少し前を歩いていたナミさんが、気付いて振り返る。さすがナミさんだね。いい女だ。俺は慌てて船を飛び降り、彼女の隣に並びながら、懐かしいわ、とたった一度前に寄っただけの港町をぐるりと見渡すビビちゃんの後ろ姿を見た。 可愛いビビちゃん。 王女様なんて、ちょっと男が憧れるポイントを生まれながらにして持っているビビちゃん。王女と剣士なんて、子供が小さい頃に読んで聞かされる物語に良くあるパターンじゃねぇか。ああそうさ。クソ腹巻とビビちゃんは確かにお似合いだろうさ。 だけどね、ビビちゃん。 俺は、あんたよりずっと前から、クソ腹巻と一緒の船に乗ってんだ。 クソ腹巻が、テメェが見た事もないクソ強い剣豪と戦って、無様に負ける姿だって、俺は見届けたんだ。 クソ腹巻の涙も見た。 クソ腹巻が、腹抱えて笑う様も見た。 俺は、あんたよりずっとずっとクソ腹巻を見てきたんだ。 ずっとずっと、クソ腹巻を見続けてきたんだ。 あんたが、ちょっとばかりクソ腹巻を気に入ってるからって。 あんたが、ちょっとばかりクソ腹巻に気に入られてるからって。 俺はあんたにクソ腹巻を軽々しくやるつもりはねぇよ。 あんたはどうせすぐに船を下りる。 お国のために頑張ってるあんたは、所詮クソ腹巻なんかとは釣りあわない女なんだよ。あんたに、クソ腹巻は似合わない。 「サンジ君? どうかした?」 ビビちゃんの背中を見たまま、ずっと押し黙っている俺を、不審に思ったんだろう。ナミさんが、横から顔を覗き込むように首を傾げている。 「やっ、何でもないですよ〜っ。ああん、ナミさんが俺の心配をしてくれた〜。ナミさん、ひょっとして俺に惚れちゃったりなんかしちゃったりして?」 「それはないわ」 「ああ。容赦なく答えるナミさんも好きだ〜」 おどけて答える俺を、ナミさんは決して笑っていない目で見つめてくる。ね、と首を傾げて見せると、ナミさんは「そうね」と笑顔を浮かべる。けれど、目は笑っていない。 解ってんだろう、ナミさんは。 何せナミさんは、聡明なレディだから。 女二人と男二人が連れ立って歩く様は、まさにダブルデートって奴だね。 クソ腹巻の相手がビビちゃんとなると、自然俺の相手はナミさんってところだろう。ナミさんはいい女だ。遊びの節度と域をちゃんと知ってる。こうやって向かい合って、日の当たるカフェの窓際で、ナミさんはミルフィーユとミルクティを、俺はクラシックショコラとアイスコーヒーを乗せたテーブルを挟んで向かい合いながら、話題に上るのは何でもない話ばかりだ。何かを意識するわけでもなく、いつもの与太話の延長のように、俺は彼女を褒め、彼女はそんな俺の言葉に嬉しそうに笑って、けれども本気にはしていない。レディを喜ばせるのは俺の仕事だが、そんな風に軽くあしらうのはナミさんだけの特権だ。 「ルフィも連れてきてやれば良かったかな」 ミルフィーユをぱくんと口の中に入れ、スプーンを咥えたまま通りを見るナミさんの横顔に、俺は微笑して「そうだね」と相槌を打つ。 「冒険だって騒いで船飛び降りてったらしいけど…どこ行ったんだか。俺は今回ばかしは弁当作ってないからさ」 「どこかで買い食いでもしてるわよ。ちゃんとお小遣いは持たせたから」 「優しいなぁ、ナミさんは。そんなアナタが大好きだぁ」 「ふふ、ありがと。ねぇ、サンジ君、何頼んだんだっけ?」 「え、これですか? クラシックショコラですよ。一番基本的なケーキです。チョコレートがたっぷり入ってるんですけど、大体はビターチョコレートで作りますからね、見た目真っ黒で甘そうな感じしますけど、そんなに甘くないんですよ〜。この店は隠し味にコーヒーを入れてるみたいで、ああ、お酒も少し入ってるな。美味しいですよ。召し上がりますか?」 「少し頂戴」 あ、と口を開けるナミさんに、俺とした事が不覚にも一瞬呆気に取られてしまったが、すぐ様浮かべた笑顔とともに、ナミさんの口にクラシックショコラをひとかけ入れて差し上げた。薄い桃色の口に、やっぱり薄く引かれたオレンジ色のグロスが光を反射してキラキラと輝く。ああ綺麗だな、何かに似てるな、と俺はその様をぼんやりと見て思ったのだが、すぐにそれが、クソ腹巻のピアスが光を反射してできる色に似てるんだと思い当たった。 「どうです?」 「ん、おいし。ミルフィーユよりそっちのが美味しいかも」 「ミルフィーユも店によって違いますからね。生クリームをサンドする店もあれば、カスタードを挟む店もある。ナミさんはカスタードの方がお好きですか?」 「んん、そうね。カスタードの方がカロリー少ないんでしょ?」 「ああそうですね。生クリームよりは少ないですけどね」 「じゃあカスタードの方がいいなぁ。ねぇ、サンジ君。今度作ってよ、カスタードのミルフィーユ。イチゴが入ってると嬉しいなぁ。ねぇビビ。ビビもミルフィーユ食べたいよね」 ナミさんの隣の席に座っているビビちゃんが、こっくりと頷いて「ええ」と微笑んだ。王女様だけあって、そんな仕草のそこかしこに品位ってもんがある。いいなぁ、と俺は笑顔を浮かべる。 「わっかりました。じゃあ早速! 明日、材料買出ししてきますね〜。イチゴですね〜」 「嬉しい。イチゴ大好きなの」 そう言うビビちゃんの前には、イチゴのパフェが置いてある。銀色の華奢なスプーンを握る手は、スプーンと同じくらい細く華奢で美しい。いいよなぁ、女性の手だなぁ、とにこにこしながら俺は頭の中の買出しリストにイチゴをたっぷり追加した。 ビビちゃんのイチゴパフェは、もう半分が姿を消している。たっぷりのアイスクリームにたっぷりのイチゴ。たっぷりの赤い、恐らくはイチゴのジャムソースは最初のスプーンで無残にも潰されてしまったけれど、食欲をそそり、そしてレディの目を楽しませる重要な役割だ。イチゴ尽くしのパフェを、彼女は嬉しそうに攻略していく。傍らに置かれたのは水のグラスで、飲み物はいいのかなと思っていたら、後で暖かいもの追加する、と真剣にメニューを見ながらナミさんに呟いていた。 可愛い可愛い。正しくレディって奴だ。 どこから見ても華奢で、どこをとっても華奢で、誰が何を置いても守りたくなるものだ。 俺の隣で、尊大に足なんぞ組んでコーヒー啜ってるクソ腹巻も、きっとそう思ってんだろう。いや、そう思ってなきゃおかしい。だってレディは、そう言う馬鹿な男を誘惑するためにかわいらしく作られているんだから。 「おい、クソコック」 ぼんやりとクソ腹巻がオーダーしたモンブランを眺めながら、そんな事を考えていると、クソ腹巻の大きな手が、ついと金色の縁取りが綺麗な白い皿を俺の方へ押しやった。そこには、三分の一ほど欠けただけのモンブランが栗を天辺に載せたままだ。 「あ?」 「食え」 「…なんで?」 「もういらねぇ。甘ェし」 差し出されたモンブランを、ナミさんの目が追っている。多分俺が一口食べたら、どうどうって尋ねてくるんだろうなぁ、と思いながら、「じゃ」とありがたく頂く事にする。クラシックショコラの皿に置いていたフォークを取り上げ、栗を煮て裏ごしして、細いチューブでスポンジの上にアーティスチックに巻きつけられた黄色いケーキに突き立てる。さくっと取れず、じんわりフォークにくっついてくる栗のチューブが、途中でぼたっと落ちた。嫌な予感がする。口の中へフォークに盛ったモンブランを突っ込んで咀嚼して、俺はグラスの水をごくごく飲んだ。 「…クソ甘ェ……こんなんモンブランじゃねぇ…」 「えー…サンジ君がそんな風に言うなんて、よっぽどなのね。どれ、一口頂戴っ」 怖いもの見たさと同じ奴だろう。ナミさんは俺の手からフォークを取り上げて、さくさくとモンブランを口に運んでしまう。ちょっと視線を逸らして、口の中で栗の風味を味わおうとしているようだったが、無駄だったんだろう。砂糖が多すぎて、栗の味なんて欠片もない。 「んん?」 ナミさんは首を傾げ眉を寄せる。 それが答えだ。 「おい、クソ剣士。言っとくがこりゃモンブランじゃねぇぞ。いいとこ、似非モンブランだ!」 アイスコーヒーを飲んで口の中がすっきりしたところで、俺は隣でコーヒーを啜っているクソ腹巻を睨みつけた。 「…はぁ?」 「だから、本物のモンブランっつーのは、甘くなくてだなぁっ。や、テメェにとっちゃ多少は甘いかもしんねぇが、こう…口の中に入れただけで、ふわっと栗の匂いが湧き上がるっつーか、とにかく季節の食いもんなんだよ! 食っただけで、ああ秋だなぁって思うケーキなんだ! これはただの砂糖の塊だ!」 「…はぁ」 「いいかっ。今度俺が本物のモンブランっちゅーもんを作ってやる! それまでテメェは他の店でモンブラン食うな! 解ったかっ」 「…すごい力説ね」 ハッと我に返ると、皿の上に残っていたミルフィーユを口に運びながら、ナミさんがおかしそうに細めた目で俺を見つめていた。慌てて、引っつかんでいたクソ腹巻の襟を放して、俺は自分の椅子に深く腰を下ろす。 「勿論ナミさんに美味しいモンブランを食べてもらうためですよ〜」 「あらそ?」 「そうですよ〜。こんなクソまずい、砂糖の塊なんかよりも、よっぽどうまくて頬が蕩け落ちそうなモンブラン、是非ともナミさんにお作り致しますからね〜」 「え、でも私はこれ、結構好きですけど」 モンブランを食べたらしいビビちゃんが、瞬きしながら俺を見た。俺はナミさんに振り撒いていた愛想を、一編に引っ込めてビビちゃんを見る。ビビちゃんは、長い睫を瞬いて俺を見つめていた。 「…あんた」 ナミさんが眉を潜め、ビビちゃんを見ている。 「味覚、変なんじゃない?」 ああそうさ。 俺は内心で呟き、首を傾げる馬鹿な女を眺めた。 王宮だなんてご立派なところで生まれて育っておきながら、ビビちゃんには料理を噛み締める味覚ってもんがない。何でも甘けりゃいいってタイプのオンナノコだ。コーヒーには軽く砂糖を三倍。ミルクティにもたっぷりの牛乳と砂糖をぶちまける。 コックやってる俺が、最も嫌うタイプの女だ。 素材の味も何も知らないくせに、うまいうまいと話を合わせてればいいと思ってる。その割りには話題になったレストランやカフェへは必ず行きたがる。行ったってどうせ、コーヒーの味も解らないくせに。どうせこの店も、何かの本に載っていたとか、そんなんだろう。 「ビビちゃんは甘い物好きだからね〜」 可愛いビビちゃん。 「じゃあモンブランを作る時には、ビビちゃんの分だけ特別に甘くしておこうか」 可愛い可愛いビビちゃん。 「飲み物は、そうだな。ナミさんにはアイスカフェラテ。少し砂糖を少なめにして、ミルクをたっぷり入れた奴がいいな。ビビちゃんにはカフェオレかな? 砂糖とミルクがたっぷり入った、クソ甘ェ奴。チョコスティックと俺の愛を添えてもいいね。どうだい?」 俺はあんたが大嫌いだ。 「わぁ、嬉しい。楽しみだわ」 ハラワタが腐り落ちるほど、大嫌いだ。 「…あんた、よくそれで太らないわよね」 できるなら。 「私、どうやら太らない体質みたいなんです」 そうさ、できるなら。 「羨ましいわ」 この俺の手で、クソ腹巻の前から消してやりたいさ。 「そんなぁ。ナミさんだって充分綺麗だよ。君のそのダイナマイトボディには、ナオミ・キャンベルも裸足で逃げ出すさ」 今、すぐにでも。 |
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