AWFUL
 おかしいわね、と秀麗な顔に影を落とし、ゴーイングメリー号一の博識の考古学者が首を傾げていた。本日のリラックスおやつはカモミールとフレッシュみかんのゼリーでございます、と格好と勿体をつけてロビンの前に白くふんわりとしたクリームを添えたゼリーの器を並べたサンジが、どうかしたんですか、と煙草の煙がロビンへ向かないようにと気を使いながら微笑んだ。
「いえ……剣士さんを見かけなかったかしら?」
「クソ腹巻ッスか? そこら辺で寝てんじゃねぇんですかね。ロビンちゃん、力仕事なら俺が…」
「そうじゃなくて、約束をしているのだけれど…時間になってもこないのよ」
 約束。
 サンジはぴきりと笑顔を固まらせた。この狭い船の長い航海の間に、約束などと言う待ち合わせは一切必要ない事をサンジは知っていた。用事があれば、ぐるりと船をひとつ見渡すだけで目的の人物または物を発見する事ができたし、歩けば五分とかからない小さな船だ。目につくところにいなくてもすぐに探し出す事ができる。
 それなのに、約束。
 しかもあの約束フェチの男と交わした約束だ。どれだけ重要な事だろうか。または内密で、他の誰にも聞かせられないような二人だけの密談と密会なのだろうか。ロビンはさらりと口にしたけれど、その実本当は、自分に対するあてつけなんだろうかとサンジは悩む。
 サンジとゾロの関係など、船に乗っている誰もが知っている。恐らくは、すでに下船したカルガモでさえも解っていただろう。夜二人きりでキッチンで酒を飲んでいれば、ホットミルクをねだりにきたチョッパーも、カップを持ってキッチンを出て行く。肉肉と騒ぐ船長もそうだ。実は気配り上手の狙撃手は言うまでもなく、鬼の守銭奴は儲け話が話題でなければ無理矢理には加わろうとしない。ロビンだけは今までそう言う場面に現れた事がないので良く解らない。ただ、剣士さんと柔らかい口調でゾロを呼んで、仏頂面の彼をからかっているところを、サンジは何度か目撃していた。
 また寝過ごしているのかしら、とロビンは微笑んだ。
 はらりと膝の上に乗せた本のページを繰り、紅茶ではなくパッションフルーツを絞って軽く甘味をつけた海の一流コック特製のスペシャルドリンクを口元へ運ぶ。
「あの…ロビンちゃん」
 盆を手に携えたまま、サンジはおずと声をかけた。
「…探してこようか……その、ゾロの奴」
 ロビンはグラスをテーブルに置いた。ストローにはグロスのあとが仄かに残っている。彼女はそれを指先でついと拭うと、目を細めながら金色の髪を陽光に煌かせているサンジを見上げた。
「別に構わないわ。でも、お気遣い、ありがとう」
「いや…そんな」
 サンジは頬をぽりと指先で掻いて、曖昧な笑みを浮かべた。あわよくば、ゾロを引っ張ってきて時間を守らないなんて紳士として云々などと説教をしつつ、ロビンと彼との約束の理由を探ろうと思っていたのだが、どうやら作戦は失敗に終わったようだ。周到な考古学者のことだ。コックの浅知恵など見抜いていたのだろうか。
「サンジー! おやつー!」
 どたばたと騒々しい足音とともに聞こえてくるのは、言うまでもなく元気一杯の船長の声だ。その後から、ウソップとチョッパーの声も重なって聞こえてくる。いつもつるんでいるメンバーが、ロビンに差し出したゼリーに気付いたようだ。喜び勇んですっ飛んでこようとするのを、ああ待て待て、とサンジは制する。
「テメェらのはキッチンだ! 手ェ洗って、ベンチに座って待ってろッ! まだテメェらのにはデコレーションしてねぇんだよ。俺がいいって言う前に食いやがったら、三枚に下ろしてマストから吊るすぞ!」
 怒鳴りつけると、うほほーい、と叫びながら船長らは倉庫へ駆け込んでいった。言いつけ通り手を洗うのだろう。コックの言う事だけは逆らわなくなった連中を、躾の賜物と満足しつつも、サンジはその場所から動かなかった。
 ゼリーに持ち手の長いスプーンをすっと入れていたロビンが、自分を見下ろしているコックの視線に気付き、唇を持ち上げる。
「行かなくていいのかしら」
「えっ」
 思わず声を上げると、ロビンは軽やかに微笑んだ。
「ラウンジ。きっと大変な事になっているわよ。折角のゼリーが、コックさんに飾り付けられないまま、彼らのお腹に入るなんてかわいそう」
「あ、そ…そうだね…うん。行くよ、うん、行く」
 しどろもどろに言葉を返し、じゃあ、とサンジはぎこちない笑顔を浮かべた。ええ、とロビンは軽く微笑む。美味しいわ、とお愛想のように呟くロビンに、あらん限りの喜びの言葉を伝えると、サンジは重い足取りでキッチンへ向かった。ラウンジに向かう途中で、ゾロと擦れ違った。
 今まで寝ていましたと明白に伝える顔で、足早に船尾へ向かっている。おう、とサンジが片手を上げれば、お、と目を擦りながら顔を向けた。
「お前…」
「ロビン、後ろにいるか」
 ロビンちゃんと何の約束を。
 そう問いかけたサンジの言葉が、途中で途切れた。それがゾロに届くよりも前に、彼の口から彼女の名前が出てきたからだ。先手を打たれたような気分で、サンジは低く唸るように頷く。
「ああ。たった今、お出ししたゼリーを召し上がっている所だ」
「そっか。ヤベェな…一時間近く遅刻しちまった。おい、あいつ、機嫌悪そうだったか」
 気遣う視線にサンジは儚く笑う。
「いや。そうでもなさそうだぜ」
 そうか、とゾロは軽く頷いて、足早にその場を去ろうとした。船尾へ向かうブーツを、少しでも止めたくて、サンジは、おい、と振り返り声をかける。慌てたせいで、少し声が上擦った。格好悪い。煙草の先を噛みながら、サンジは小さな頭の中でゾロを呼び止めた理由を目まぐるしく考えた。理由もなく呼び止めたなどと知られないように、不自然にならない言葉を、探る。
「お前、ゼリー食うか」
「おう」
「ロビンちゃんの所で食うのか?」
「あ? あー…そうだな。あっちで食う」
 顎を引くように頷いたゾロは、それだけで本当に踵を返してしまった。忙しく動く足は、もう止まろうなどとしない。悪い遅れた、と呟く声が、流れる風に紛れてサンジに届く。
 噛み締めた煙草が、口の中に広がり酷い味を舌に伝えた。唾と一緒に海へ履き捨て、ぐいと顔を拭う。
 サンジおやつーっ、と叫ぶルフィに、どうなり、うるせぇっ、といつも通り怒鳴り返した。
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