AWFUL |
ルフィを始めとし、チョッパーとウソップの三人組に、綺麗に飾りつけたゼリーを出してやり、パッションフルーツのスペシャルドリンクも注いでやった。ただ、ジュースのおかわりを叫ぶルフィには、冷蔵庫に作って保存しておいたドリンクのピッチャーをどんとテーブルに叩き付けるだけで済ませた。何怒ってんだよ、と機嫌を伺うウソップと、具合悪いのか、と眉を寄せるチョッパーに、大丈夫だし怒ってねぇよ、と忙しく手を動かしながら言う。新しくゾロのためにクリームを作ろうとして、サンジはやめた。どうせあの男は甘いものは苦手だ。クリームを乗せても嫌な顔をされるだけだろう。それなら最初からない方がいい。 フレッシュみかんのゼリーは、素材の味を充分に生かしたゼリーだ。酸っぱくて、甘いクリームと丁度良く合うように作っていたが、まぁあの男は腹に入れば文句は言わないはずだ。 船尾で彼らは、同じパラソルの影に入り、同じ本を眺めていた。テーブルの上に広げているのは、さっきまでロビンが目を落としていた分厚く大きな書物だ。恐らくは、専門書の類だろう。彼女の深い知識を培ってきたうちの一冊に違いない。何が書いてあるのかは知らないが、デッキチェアを並べ、仲睦まじいその様子は、まるで兄弟か、恋人のようだ。 痛んだ胸をスーツの奥深くに隠し、サンジは新しい煙草を咥える。シガレットケースを探る指が、不覚にも震えていた。 近付くとき、靴底の音が響くように歩いたのは、無意識じゃない。 お、とゾロが顔を上げる。あら、とロビンも同じように顔をあげ、テーブルの上の本を取り上げ膝に置いた。 「ほらよ。リラックスデザートだ」 「あら…?」 ゾロの前に並べられたガラスの器に、ロビンが目を細めた。 「クリームが、乗っていないのね」 見ればまだロビンのゼリーは半分以上が残っており、恐らくはゾロのそれが届くのを待っていたのだろう。一緒におやつを食べながら、話し込もうと言う事だろうか。 「ああ、クソ腹巻は甘いもんはいらねぇんで、クリームは退けてみたんですよ」 「そう。でも、このゼリー、これだけじゃあ酸っぱいだけだと思うけれど…クリームがあって初めて美味しく感じられる。そう言う風に、あなた作っていると思ったのに…。それは特別なゼリーなの?」 ずばりと当てられ、サンジは曖昧に微笑む。 「やだなぁ。特別なんて…他の連中と、ロビンちゃんとも一緒ですよ」 パッションフルーツのグラスをガラスの器の隣に置けば、ゾロが顎を持ち上げ見上げてくる。 「じゃあ俺にもクリーム」 「え」 驚いた。 サンジは思わず目を丸くしてゾロの顔をまじまじと眺めてしまった。いつもは本当に、甘いものなど一切必要ないと言う男の口から出た言葉に、耳を疑ってしまいそうになる。 「…なんだよ。そんなに意外かよ」 軽く眉を寄せて、不機嫌を装う男に、サンジは慌てて、いや、と首を振った。 「ちょっと…ちょっと待っててくれ。すぐ、作るから。お前はいらないと思って、クリームは用意してなかった」 スプーンを置き、盆を片手に携えたまま、踵を変えそうとしたサンジの腕を、ゾロが止めた。 「いや、いい」 「や、でも」 折角お前が、と続く言葉は、またもや宙に散る。 「ここにあるし」 引き寄せたのは食べかけのロビンのゼリーだ。器にはまだたっぷりとクリームが添えられている。自分の好みに合わせてゼリーに絡めて食べていたのだろう。スプーンごと引き寄せた器から、ゾロは自分のスプーンで食べかけのクリームを掬った。 「まぁ…自分本位」 口先だけの言葉に、唇は微笑んでいる。 「いいじゃねぇか。テメェのはクリーム多すぎるぞ。皮下脂肪に影響出るぞ」 食べかけのクリームが、まっさらのゼリーに無造作に乗せられる。掬い終わったスプーンには、少しクリームがついていた。ゾロはそれを、舐める。 衝撃的な瞬間だ。 「なんて失礼なのかしら」 淡い桜色に染められた指先が、持ち上がり、ゾロの額を軽く突いた。音も立てないその仕草に、サンジの胸は壊れそうな警鐘を鳴らしていた。ゾロは額を小突かれながらも、細い指先を甘受していた。 「お仕置きが必要ね」 返されたロビンの器には、丁度半分のクリームが残っていた。細い指先がそれを引き寄せ、スプーンを取り上げる。持ち上げたその先が向かうのは、ゾロの器。さっくりと、まだゾロがスプーンを入れていなかったぜリーを彼女は掬い上げる。桜色の口に、運ぶ。 「あ」 思わず声が漏れた。 目の前で繰り広げられる、あまりに密な雰囲気に、動揺を隠し切れない。目を見開くサンジを振り返った二人の顔は、不思議そうなものだった。二対の純粋な瞳に見つめられ、かぁと頬に血が上る。 「あ、その…悪ぃ…別に、なんでも」 革靴の底が、一歩下がった。盆を抱え、踵を返すサンジを、おい、とゾロが呼び止めるが足は止まらない。はちきれそうなほど鼓動を繰り返す心臓を持て余し、サンジは慌しく船尾を離れた。離れずにはいられなかった。 キッチンへ、駆け込むように戻る。 息を切らせたサンジを、ボウル一杯に作られたみかんゼリーを顔中をクリームだらけにして頬張っていたルフィが顔を上げる。 「おう! これうめぇな!」 「サンジ! これ、すごくおいしい!」 「ん〜なんて言うのかなー。甘いクリームと酸っぱいゼリーが混じりあって生まれる甘酸っぱさってぇのか? それが丁度いいんだよなぁ。まったりしてて、けど口に残るわけじゃねぇし。いやぁ料理評論家のウソップ様としちゃあ、これには是非とも五つ星を…」 「うるせぇッ!」 穏やかに笑い合いながら、スプーンを動かす仲間の声が煩わしく、サンジは腹の底から怒鳴った。怒鳴って、すぐさま後悔した。 振り返る三対の目は、きょとんと大きく見開かれ、少し怯え、悲しみに濡れかけている。じわりと心優しいトナカイの目はすぐに溢れた涙を零しはじめる。 「さ、サンジ…?」 「どーかしたのかお前」 「ななななんだよ! 五つ星が気に入らねぇってのか! 最高評価だぞ!」 ラウンジの床に叩き付けた盆が、ひしゃげて転がっていた。うわぁあんと泣き始めたトナカイが、ごめんよぉ、とどもりながら謝る。何も悪くないのに、一生懸命蹄で顔を拭って謝る。 「お、おれ、おれ、さ、サンジの気に入らない事しちゃったんだなぁ。さ、サンジ、ごめんよぉ」 「や、チョッパーは悪い事してねぇぞ。俺ぁ、夕飯の肉、食ったけどな」 にししししと笑うルフィの頬には、確かに付け込んでいた肉のソースがついていた。だがサンジは怒らなかった。 「悪ィ、チョッパー…怒ってるわけじゃねぇんだよ。ちょっと、ちょっとな、今のはさ、虫の居所が悪いって言うか……いらいらしてて…それで、つい、カーッとなっちまってさ」 手を伸ばし、チョッパーの頬を転がる涙をできるだけ優しく拭った。隣に座っているウソップが、サンジの顔色を窺い、機転を利かせてチョッパーに話しかける。 「そうだぜチョッパー。サンジは何も怒っちゃいねぇよ。オメェだってあるだろ、ちょっと機嫌が悪い時ってさ。そう言う時って煩くされたら、怒りたくなるもんな。サンジもそうだったんだよ。オメェは悪くないんだぜ」 「そ、そうなんだ。ごめんな、チョッパー。びっくりさせてよ」 チョッパーはえぐえぐと肩を揺らしながら、ウソップが差し出したテーブルクロスでごしごしと顔を拭った。窺う動物の目を見下ろし、サンジは、微笑む。 「威かしちまった詫びだ。もう一個デザート作ってやる。何がいい?」 「えええっ!」 パッと顔を輝かせたのはチョッパーだけではなかった。ルフィもぐいと身を乗り出して、肉っ、と叫ぶ。それへはいつも通り蹴りを放ちながら、サンジはにこやかに笑った。チョッパーはあれこれと考え、パンケーキ、と叫ぶ。 「クリームが一杯乗った奴! 果物が、たっくさん乗ってる奴!」 「解った、すぐに作ってやる。そこで待ってろ」 「うん!」 良かったなチョッパー、とウソップが笑う。ちらりと向けられた視線に、僅かな含みを見つけて、サンジは軽く片手を上げた。なんでもねぇよと言外に込めると、ウソップはふいと顔を背けた。楽しみだなぁと笑うチョッパーと、パンケーキと叫ぶルフィの相手をしながら、サンジは笑う。 それが見せかけである事に気付いたのは、恐らく、敏い狙撃手だけだろう。 いいにおい、と笑いながら、微笑みながら、揃って顔を出したゾロとロビンに、サンジは明るい笑みを振る舞った。おやつの追加です、いかがです、と微笑みかけると、太るぜ、とゾロは含み笑いを漏らしながらロビンを振り返る。そうね、とロビンは肩を竦め、手にしていた空のグラスとガラスの器を、テーブルへ置いた。 「遠慮しておくわ」 微笑みを残し、ロビンはラウンジを出て行った。 「俺ァ二枚食うぜ。クリームはなしでな」 同じようにグラスと器とを置き、ゾロは笑う。それに背を向けながら、解ってるよ、とサンジは無表情で呟いた。 「メープルシロップだろ」 「ああ。船尾にいる」 おいロビン、と彼は呼びかけながら、ラウンジを出て行った。小麦粉を掻き混ぜていた手が止まり、サンジはぐっと唇を噛み締める。柔らかな唇の皮膚が、歯に傷付けられ血を滲ませる。転がり落ちなかった涙の代わりに、胸の中で何かが、音を立てて壊れているような気がしていた。 フライパンを取り出し、サンジはパンケーキを焼く。 ゾロのために二枚、パンケーキを焼く。 パンケーキを。 僅かに、二枚のパンケーキの表面が焦げ、コックにはありえないミスが犯されていた事を、愚鈍な剣士は気付かない。 あら、と密やかに呟いた女の瞳が、何事もないかのように笑うコックを、意味ありげに見上げる。 秀麗な顔をコックができうる限りの自然さで避けていた事を、コックの気持ちなど何も知らない剣士を、そして何も気付かないその大らかさを、ただコックは冷えた心の中で憎んでいた。 |
FIN |