I mean love me. -3-
「行ったか…」
 泡塗れの手のままで、洗濯物を吊るしていた紐を結んでいる手摺の陰から下を覗いていたサンジは、ホッと胸を撫で下ろしていた。ここでまた、じゃあMr.ブシドーも一緒に、などとビビに言われなどしたら、うっかりゾロを海の彼方へ蹴り飛ばしてしまうかもしれない。最近、なんだか妙にゾロとビビの仲が良いのも気に食わないし、出立したばかりのドラム王国でサンジは、ゾロの顔をほとんど見ていなかったからだ。ゾロの側にはビビがいて、サンジの周りにはその他大勢が一杯いた。ドラム王国へ行く前から、ゾロとビビの仲はちょっと気になっていたのだが、それがここにきて益々のエスカレートだ。よりにもよって腹巻をビビちゃんに洗わせるなんてっ、とサンジは眉をキッと寄せたまま、船尾のパラソルへ行こうとしているビビの背中を睨み付けていた。
 カルーの背を枕にして、ゾロは高鼾をかいている。カルーも転寝を始めていて、その側にはゾロのシャツと腹巻がはたはたと風に靡いていた。汚れた水を海へ棄てようかと思ったが、物音で物音で起きてしまったら、とサンジは唇を尖らせる。
「…ちゅーか、寝すぎだし」
 起きても構うもんか、とサンジはわざと音が立つように水を海へ棄てるが、ゾロの瞼はぴくりとも動かなかった。
「…起きろよ。俺が落ちてたらどーすんだよ」
 きゅっと鼻を摘むと、んが、とゾロの口がぱっくりと開いた。
「んん?」
 思いついてサンジは、摘んでいるゾロの鼻を離してみる。
「おお!」
 自然、ゾロの口は閉じていく。
 もう一度摘んでみる。
「おおおっ!」
 ぱかっと開くゾロの口。
 サンジの青い瞳が、キラキラと輝いて大きくなる。
「おもしれーっ」
 いつでもがーがー口開けて寝てるわけじゃなかったんだな、とサンジは妙な感心をした後で、ゾロの鼻をパッと離した。するすると閉じるゾロの口を、ぺろりと舌先で舐める。
「んー? ラムの味か。まぁたこいつ勝手に酒飲みやがったな」
 ムッと口を尖らせてはいるが、それもいつものことで、もう諦めの域に達している。サンジとしては、料理に使う酒にまで手を出さなければ、口を出す気も失せていた。
「アル中で死ぬなよな」
 ペロンとゾロの唇を舐めた後で、サンジはゾロの鼻を摘んでいた。開いた唇の中に舌を突っ込み、唇を覆い尽くす。口の中を思うまま嘗め回していると、息のできなくなったゾロがぽかっと目を見開いた。目が合ったと思った瞬間、がちっと舌を噛まれ、サンジは飛びのいていた。
「いてーなっ! 何すんだよっ!」
「そりゃこっちの台詞だ! テメェ昼間っから何盛ってやがるっ!」
「盛るだぁ? クソ失礼な奴だなっ! ありゃただのコミュニケーションだよっ」
「コミュニケーションで舌突っ込むなクソッタレ!」
「クソッタレっ? そりゃ俺の十八番だろうが! 真似すんな、クソ剣士!」
「真似もクソもあっかよアホコック!」
「アホだぁ? 万年寝太郎に言われたかねぇなぁ。毎日毎日ごろごろごろごろ! どこの亭主だてめぇっ! クソ役にたちやしねぇっ」
「テメェの亭主だっ!」
「テメェみたいな役立たずをクソ亭主に持った覚えはねぇなっ!」
「あーそーかよ。んじゃ離婚だな」
 ケッと口角を持ち上げて笑うゾロの斜に見つめる目が、面白がっているのをサンジは気付いていなかった。故に、カッと目を見開き、ぱくぱくと口を動かしている。
「り、リコンだとーっ? テメェやっぱビビちゃんと浮気してやがったなっ!」
「はぁ? なんでそーなんだよ。てめぇの頭はその素敵眉毛と一緒で渦巻いてんのかよ。なーんで俺がビビと…。いやまぁビビはいい女だが」
「い、いい女ッ? やっぱテメェ! クソッタレっ! この腐れ亭主っ! 浮気者っ! やっぱり怪しいと思ってたが、俺がいねぇ事に、雪国で愛を育んでやがったなっ!」
「だからなんでそーなるって…っ」
「畜生! 問答無用、肩肉シュートっ!」
 青い目に涙まで浮かべたサンジが、キッと眦決して左足を持ち上げる。カルーを背にしていたゾロは、漂う殺気にハッと顔を上げたが遅かった。ガツッと並大抵の威力ではない蹴りが、踵落としの要領でゾロの肩を襲う。ぎゃ、だか、ぐえ、だか奇声を発して甲板に沈没する男に、背もたれにされていたカルーは恐怖のあまりがたがたと震えていた。
「胸肉シュート!」
 硬い革靴の底が、ゾロの分厚い胸を弾き飛ばす。
「…な…っ…」
「こンの、クソ浮気野郎っ! 清純可憐な俺の恋心を弄びやがってッ!」
 カッと、怒りに燃えるサンジの目がゾロを捕らえる。
 縁にぶちのめされていたゾロは、慌てて身を起こし弁解を始めようと口を開いたのだが、その時すでにサンジは、細い左足を持ち上げていた。ゲ、とゾロの顔が青ざめ引きつる。かちあったサンジの目には、悔しさなのか、それとも清純可憐な恋心を弄ばれた悲しみにか、零れんばかりに涙が溢れていた。
「ばッ! やめ…っ」
「くたばれ、羊肉ショットッ!」
 咄嗟に頭を抱えて身を伏せたカルーを飛び越し、サンジの強烈な蹴りの連続技がゾロを襲う。凄まじい破壊音とともに、ゴーイングメリー号の船首に燦然と輝き呑気な顔で微笑んでいるメリーさんは、ゾロの身体もろとも吹っ飛ばされ、グランドラインの海へ落ちて行った。
 ザパン、とゾロの身体が波間に消える。
 ふぅ、と長い息を吐いたサンジは、ゾロの消えた辺りの海を眺め、目頭を押さえた。
「…さよなら俺の初恋……」
 クェ、と恐怖で固まって動けないカルーは、サンジがくるりと振り返り近付いてくるがわかっていても逃げられなかった。
「うっし。おやつにすっか!」
 カルーの帽子を被っていない頭をぐりぐりと撫でるサンジの顔は満面の笑みだ。
 がたがたと震えるカルーは軽快な足取りで船首甲板を後にするサンジの背中を見送っていた。
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