Everything I Said. -7-
 騒ぎ疲れ叫び疲れ、それでもぶちぶちと文句を言い続けているサンジは、カツと甲板を硬い靴底で歩く音に顔を上げていた。マストに括りつけられてから、もうどれくらいになっただろうか。すっかり暗くなって、港の方は綺麗にライトアップされているが、ゴーイングメリー号はラウンジだけが灯りに満ちていた。
「ごめんなさいね、サンジ君」
 現れたのはやっぱり謎めいた笑みを浮かべたままのニコ・ロビンだ。オネーサマ、と呟くサンジに、彼女はにっこりと笑みを深くして、右手をさらりと振った。その途端、マストに拘束されていたサンジの身体がふいに軽くなる。自由になった腕をぐるぐると回し、立ち上がって、スーツの裾をぱたぱたと払うサンジに、行きましょうか、とニコ・ロビンは声をかけた。
「主賓がこないと、折角のお料理が勿体無いわ」
「…は? 主賓? なんスかそれは…ああっ、そう言えばハンバーグ! オーブンに入れっぱなし!」
「大丈夫。ちゃんとお皿に移したから」
「え、オネーサマが移して下さったんですか」
「うん。ゾロがね」
 先に立って歩き始めていたニコ・ロビンが、背中でそう返事をすると、サンジはぱちぱちっと瞬きを繰り返して少し首を傾げた。
「あの子、案外器用よね」
「そうですか? でもしょっちゅう迷子になってますよ、方向音痴だから」
「あははっ。方向音痴と器用なのとは随分違うわよ」
 口元に手をやって笑い、ニコ・ロビンが振り返った。少し苦しそうなので、サンジは足早に彼女の隣に並ぶ。階段をカツカツと上りながら、ニコ・ロビンは暖かな雰囲気を醸し出すオレンジ色の光が灯るラウンジの丸い窓を見上げた。
「私は閉鎖的な考え方をする方じゃないから、あなた達のこと聞いても、特に驚かなかったけど、ゾロが案外器用だって事に気付いた時は、驚いたわ。て言っても、ついさっきのことなんだけどね」
「刃物って案外細かい力の加減とかが必要だから」
 サンジは階段の手摺に手を添えながら、そう言った。
「あいつ、あれで案外手先は器用ですよ」
「料理とか、覚えたら上手そうね」
「どうでしょうねぇ…味覚音痴かもしれないッスからね。何しろ俺が作った飯をうまいとも言わないでがつがつ食ってるだけで。信じられます、オネーサマ。魚の骨まで食っちまうんですよ。おかしいでしょ。まずいとも言わねぇし…どう思ってんだか」
「美味しいから、何も言わないんでしょう」
 ラウンジの丸い窓を覗き込んだ後で、ニコ・ロビンが何となく彼女の歩調に合わせ、そこで待っていたサンジを振り返った。
「まずかったら、全部残さずになんて食べないでしょ。あなたの料理、掛け値なしに美味しいわよ。多分ゾロも、そう思ってるはず」
「オネーサマ…」
 思わずうるっとくるサンジが、慌てて目頭を拭うと、ニコ・ロビンは微笑ましそうに唇を緩めた。
「後で聞いてみたら? 今日は答えてくれるかもしれないわよ」
「…は? なんでですか。さっきから気になってたんですけど、今日って一体何が…」
「あら、気付いてなかったの? それとも忘れちゃった?」
 首を傾げたニコ・ロビンと同じに、サンジも首を傾げた。子供っぽいその仕草にニコ・ロビンは肩を竦め、まぁいいわ、と呟いた。
「ラウンジに入れば、嫌でも思い出すわよ」
「えー…なんスか。怖いっすねー…」
「いいから入りなさいってば」
 ぐいと背を押され、つんのめるようにしてサンジがラウンジに入った時、パパパンッ、とけたたましい破裂音が鳴り響いた。思わずうわっと身を竦め、目を閉じてしまったサンジに、「おめでとーう!」とナミの楽しそうな声がかかった。
「ほえ?」
 びっくりして恐る恐る目を開けたサンジに、いつもより少しばかりおめかしをしたナミが微笑んでいた。作ったような笑顔ではなく、本心からの満面の笑顔が、とても可愛らしい。
「お誕生日、おめでと、サンジ君!」
 さぁこっち、と言って右手を引かれた。いつもならそれに喜色満面の顔をだらだらさせるはずのサンジも、驚いているせいか、「え、あ、ハイ」と面食らった顔で連れて行かれる。ラウンジのテーブルにはふたつのベンチが並べられているが、今日はコンロの側に、樽がひとつ置いてあった。女部屋にあったのだろうクッションが敷いてあって、はい座って、と無理矢理座らされた。
 真正面のテーブルの上には、ずらりと色んなものが並んでいた。
 テーブルのど真ん中には、いつもなら大盛りの料理が並べられているはずなのに、今日はなぜか立派な花が大量に飾ってある。飯飯と煩いルフィも、今日は大人しく…とは言いがたかったが、目の前にある特大ハンバーグを血走った目で睨みつけながら、貧乏ゆすりを繰り返している。一応、食べるのを待っているらしい。
 そして、サンジの前には、大きなケーキが一個。ハッピーバースデーサンジ、とチョコレートソースで芸術的に書かれていた。その横に、様々な形の様々なラッピングを施された様々なものが置かれていた。片手に収まりそうな小さな箱。ちょっとごわごわしているようで、ラッピングも少しよじれているもの。救急箱みたいな大きな箱。それから、両手に収まりそうな箱。
「…これは……?」
 目を白黒させているサンジの肩に、そっと柔らかな手が乗った。
「お誕生日おめでとう、素敵なコックさん」
 後ろから覗き込んでくるのは、ニコ・ロビンだった。その逆側の肩には、ナミの手が乗った。
「あたしと、ニコ・ロビンと二人でプレゼント買ったの。これ、開けてみて」
「あ、サンジ! 俺な、俺な、ケーキ買ったんだぞ! お前誕生日だから! やっぱり誕生日はケーキだと思ってさ! これこれ! すげーだろ! な、な!」
「俺はだなー、やっぱりプレゼントっつたら手作りだろーっつーことで、後ろ見てみろよ。あの棚! すげぇだろ、俺が作ってやったんだぜー。お前、調味料入れるところがねぇってぼやいてたじゃねぇか。だから、あれ! ちっと小さかったら言えよな! もう一個作ってやっからさ!」
「お、おれ、あんまりお金なかったし、何あげていいか解らなかったけど…これ…綺麗だったし、お店の人が、オールブルーってそう言う感じかもって言ってたから、サンジ、喜ぶかなって…」
 口々に叫ぶ事と指差されるプレゼントに、サンジは「あ!」と立ち上がった。
「今日って、俺の誕生日か!」
「そうよ〜。ゾロが決めてくれた大切な誕生日じゃな〜い。忘れるなんて、酷いわー」
 おどけたナミがそう言うので、あ、いや、とサンジは慌てた。
「決して忘れていたわけではッ! 色々忙しかったし! それにルフィの奴がルフィの奴がルフィの奴が食料食べちまうわで気が動転しちゃってて!」
「ごめんなさいね、サンジ君」
 ニコ・ロビンが少し肩を竦めた。
「ゾロがね、あなたの誕生日祝うのに何か贈り物がしたいんだけど、島によってもらえないかって言うんで、ただ島に寄るだけじゃあ、あまりにも不自然すぎるから、ちょっと悪戯しちゃったのよ」
「冷蔵庫の鍵開けたのはあたし」
 ごめんねー、とナミがぺろりと舌を出した。
「驚いた?」
 サンジはほぅっと溜息を吐いた。そして微笑を浮かべるが、それはどちらかと言えば、苦笑と言う顔に近い。
「…そりゃもう…驚きましたよ…」
「それじゃ、プレゼント開けるのはちょっと後にして、折角のお料理が冷めちゃったら大変だわ。先にご飯食べちゃいましょう」
「飯! 飯食っていいのか! 食うぞ俺は! 食うぞ!」
 どたどたと足を踏み鳴らし両手を振り回すルフィに、危ねぇなぁ、とウソップやチョッパーが迷惑そうな顔をしている。ナミは軽く肩を竦めた。
「いいわよ。でもケーキは後ね」
「うおーっ飯―ッ!」
 ルフィの手の届くところ、とは言っても何せ相手はゴムなので、どこまででも手は届く。だからそう言う所にケーキを置いておいては、きっとサンジへのプレゼントだと言いつつも全部自分が食らい尽くしてしまうに違いない。そう踏んだナミは、鬼の形相で腹に馬鹿でっかいハンバーグを両手で掻きこんでいるルフィから離れたコンロにケーキを置いた。熱気からも少し離れ、熱に弱いデコレーションケーキには丁度いい場所だろう。
 そうしてゾロの隣に腰を下ろすと、さて、とまだ茫然としているサンジに微笑んだ。
「食べましょう。ほらゾロ、何やってんのよ。注いであげなさいよ」
 そう言ってまわされたワインのボトルを、ずっと押し黙っていたゾロが受け取った。ああ、とも、うん、とも言わないで、サンジの傍らにあったグラスに瓶の口を向ける。とくとくと注がれる赤い液体を見て、サンジが「綺麗だなぁ…」と呟いた。
「今日見つけたの。後で飲もうと思ってたんだけど、折角だし、丁度いいかと思ってね。あたしがベルメールさんと会った年のワインなのよ」
「へぇ。じゃあナミさんお一人で飲めばよかったのに」
「でも美味しいワインは、大好きな仲間と一緒に飲めば、もっと美味しいでしょ?」
 ふふ、と肩を竦めたナミのワイングラスに、思いがけずゾロの手が伸びた。あ、とそれを取り戻すよりも先に、赤い液体が、サンジのグラスと同様になみなみと注がれた。
「どうも」
 微笑んだナミに、おれもおれも、とチョッパーが騒いだが、ダーメ、とナミは片目を瞑ってしまう。
「未成年は飲酒禁止よ」
「お前だってそうだろ! 一杯飲んでるくせにーっ」
「だってチョッパー、お酒にすっごく弱いじゃない。こんなの飲んだらケーキ食べられなくなっちゃうわよ」
「ワインって案外度数高いから。あなたはこれで我慢しなさいな」
 オレンジジュースのグラスをことんと目の前に置かれ、チョッパーは、うう、と唸った。ケーキは食べたいが、記念すべきものらしいワインは飲んでみたい。ぐるぐると小さな頭で色々なことを考えている船医を見やり、サンジがにやりと笑った。
「舐めるくらいなら、いいんじゃないのかな、ねぇナミさん」
「知らないわよ、チョッパーが酔っ払っちゃっても」
「酔っ払ったりしねぇよ、おれは!」
 しかしチョッパーが酒にあまり強くないのは知れている。ゾロはテーブルに肘を付いて眺めていたが、だったら、とボトルをチョッパーに渡してやった。
「自分で注いで飲め」
 チョッパーは、うん、と頷いてとぽとぽとグラスにワインを注いだ。半分よりも少ない量だが、全部飲みきれるのかぁ、とウソップがからかうと、飲むさっ、とムッとした顔をする。ぺろりと舌を出して舐めた途端、曰く言い難い顔をしたチョッパーに、ほら御覧なさい、とナミが笑った。
「飲めないでしょ。無理しなくていいわよ」
「……なんか、カビくさいぞ、これ…」
「そう言うものなの」
「…身体に悪そう…」
「悪くはないわよ。良くもないかもしんないけど」
「ワインは身体にいいのよ」
 グラスを揺らしながら、ニコ・ロビンが微笑んだ。チョッパーは、え、ほんとか、と目を丸くしている。そうよ、と微笑むニコ・ロビンが、己が持つグラスを、かちんとチョッパーのグラスに当てた。
「ワインにはポリフェノールって言う身体に良い成分が含まれているの。だから、美容にもいいし、健康にも良い。飲みすぎは、注意だけれどね」
「ふぅん…。そっか。でもおれ、もういらないや。サンジ飲む?」
「ん? いんや? 俺はいらね。これで手一杯さ。ナミさんかクソ腹巻にでもやってくれ」
「それじゃあ、ゾロにあげる」
「なんであたしじゃないのよ」
 まわして、とウソップにグラスを渡し、ルフィを飛ばしてサンジ経由でゾロの前にチョッパーの残したワインが置かれた。ぷぅと膨れ面の真似をしたナミに、だってさ、とチョッパーが肩を竦めた。
「今日はサンジの誕生日だろ」
「そうよ。でもゾロとは関係ないじゃない」
「サンジの誕生日を作ったのは、ゾロだから。だからゾロにあげるんだ」
 ナミは長い睫を瞬いた。サンジも少し驚いた顔をしていて、それはゾロも例外ではない。だがチョッパーは、頂きます、と手を合わせ、器用にフォークを使ってハンバーグを刻んでいる。ウソップがにやりと笑った。
「それもそうだな」
 うんうん、と頷いた後で、じゃあこれやるよ、とハンバーグに添えられていたキノコのソテーをゾロにまわそうとしたのだが、それはサンジに直前で止められてしまった。
 ニコ・ロビンがそれを見て笑う。ナミも吹き出した。
 そしてサンジも、笑っていた。
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