タロットの悪戯  <幼子>


 それを見た時、ユーリルは部屋のドアに手をかけたままの格好で、しばらく固まってしまった。そして赤い瞳にひたと見つめられたままで現状把握をしようと勤しんだ。
 ひとつ、ここはエンドールの宿のユーリルとピサロに与えられた部屋で、その部屋の中にはピサロしかいなかった。
 ひとつ、そのピサロと良く似た銀色の髪と赤い眼をした子供が、ピサロが着ていた服の中に埋もれつつもちょこんとベッドに腰を下ろしている。額にかけていた赤い布は頭の大きさにあわなかったのか、肩の辺りに絡まっていた。
 ひとつ、その子供の推定年齢は三歳。いや、正確に何歳と割り出すのは難しい。何しろユーリルは今まで赤ん坊という生き物を間近で見たことがなかったし、一番身近な子供と言えばトルネコの子供だが、彼は将来パパを助けて大商人になるんだと親孝行ぶりを発揮するほどの年齢だ。今、ベッドの上で瞬きを繰り返している赤ん坊らしき生き物とは程遠い大きさだった。
 ひとつ、部屋にいるはずのピサロが、その子供と入れ違いのようにいなくなっている。
「……えー…と………」
 ユーリルは眉を寄せながら、とにかく状況を把握しよう、と早くも混乱をきたす頭の中を整理し始めた。何からすればいいのかを、ゆっくりと数を数えるようにしながら考え、ひとまず子供の名前を聞いてみようと考えた。子供の名前が解れば、誰がどうやってここに連れてきたのかも解るし、親も解る。
 親、と言う単語が自分の頭の中に浮かんだ時、ユーリルは突然思ってもいなかった可能性を思いついた。
 銀色の髪。
 赤い眼。
 そして日に当たったことのないような透き通った白い肌。
 良く見知っている誰かと誰かに、ひどく似通った容姿ではなかろうか。
「…まさ、か……ロ、ロ、ロ、ロザリーさんと、ピ、ピサロの子供……ッ? え、ええっ? うわっ、ピサロってば俺に黙って浮気してた? え、いや違う、この場合は俺が浮気になるのか…? え、ちょっ…ちょっと待って、だ、誰かーっ!」
 結局、その場でユーリルができた事と言ったら、自分よりもよっぽどこういう事態に詳しいだろうトルネコか、さもなくば何らかのまともな助言をしてくれるであろうブライかミネア、クリフト辺りに助けを求めることだった。





 ユーリルの大絶叫に集まった一行は、部屋のベッドにちょこんと座っていた子供を見て、それぞれがそれぞれの反応をした。
 クリフトとブライは子供に宿る並々ならぬ魔力に一早く気付き、じっと押し黙っている子供をしげしげと眺めているし、アリーナとマーニャは一目見るなり、ピサロの子供だピサロの子供に違いない、と騒ぎ始めた。ユーリルに子供を生んだのかと確かめ、そうでないと解ると、アイツ浮気してたんだよ、と烈火のごとく怒り出す。ロザリーさんに押し付けられて逃げ出したんだ、と言うアリーナの言葉はどうやら彼女たちの中では決定事項になってしまったらしく、ユーリルは二人にぎゅっと抱きしめられて、すぐに仇は討ってあげるから、と変な慰められ方をした。トルネコとライアンは、子供の子供らしからぬふてぶてしさと言うか、この騒がしい状況にも動じない有様に首を傾げ、ミネアは、一人胸を押さえてそっぽを向いていた。
 ユーリルはふと、その仕草に何かひっかかりを感じた。と言うよりも、覚えがあったのだ。
「……ま、まさかミネア…またタロット二枚引いたとか言うんじゃ……」
 震える声でそう尋ねれば、真っ青な顔をして脂汗を滲ませていたミネアがびくりと肩を震わせた。
「……し、審判と愚者が……」
「また二枚も引いたんですかッ?」
 クリフトが目を丸くしてそう怒鳴れば、ブライも呆れたように首を振っている。
「で、それ、どーゆー意味なの?」
 随分慣れてしまったマーニャの言葉に、おそらくミネアは早鐘を打つようになっているのだろう心臓の辺りを押さえながら答えた。
「審判は復活と再生、愚者は変化を示すカードですから……おそらく、再生と変化が絡み合い、ピサロさんが子供に戻ったのではないかと……」
「あ、じゃあこいつピサロなの?」
 アリーナがぴんっと指先で子供の額を突けば、今や黒い布と変わらぬ働きしかしない服の中に大人しく座っていた子供の顔がぐしゃりと歪んだ。あ、泣くかも、とユーリルは思ったが、子供はぐっと唇を噛み締めて涙を堪えている。赤い目から転がりそうになっている大粒の涙はいじらしいが、推定年齢三歳の子供が涙を堪えるというのも奇妙な話だった。
「ひ、姫様っ!」
 アリーナの暴挙に慌てたのはクリフトだ。またもやアリーナが突こうとするので、慌てて子供をアリーナの手に届かぬ場所にさっと抱き上げた。
「何するんですかっ! 子供なんですよっ!」
「えーでもさぁ、ピサロなわけだろ?」
「だっ、駄目ですってば!」
 無造作に伸びた銀色の髪を引っ張ろうとするアリーナの手から、クリフトは必死に逃げ回った。子供を抱いてのことだし、宿の部屋の中であるから、そうそう逃げ回れるものではない。壁際に追い詰められ、それでもなお愛しの姫君から子供を守ろうとするクリフトを見かね、助け舟を出したのはライアンだった。
「とりあえず、その子供がピサロ殿だとして……我々の記憶を持ち合わせておられるのでしょうかな? 見たところ、三つ四つくらいかと思うのだが…」
「あ、そっか。当然その頃にはあたし達、出会いもしてないもんね」
 マーニャはぽんと手を打つと、できる限り壁にくっついて、できる限り子供を抱き寄せているクリフトの側へ寄った。子供はいきなり抱き上げられ、逃げ惑われたと言うのに、騒ぎもしなければ泣きもしない。多少怯えてはいるようだが、表に出さないように気を使っているようだった。
「えーっと、あんた、ピサロよね?」
 少し身を屈め、クリフトの腕の中の子供と視線を合わせたマーニャがそう問えば、子供は小さな顎を躊躇いがちに動かした。肯定の形に動かされた顎に、おお〜、と部屋の中にはどよめきが起こる。子供が起こした初めてのリアクションらしい行動に、思わずユーリルも目を瞬いた。
「じゃあ、あたし達のこと、解る? 知ってたり、覚えてたり、する?」
 マーニャが自分たちの顔を指差し、ぐるりと部屋の中を見渡すと、ピサロらしい子供もぐるりと部屋を見渡した。赤い瞳が居並ぶ一行の一人一人の顔をひたと見つめる。勿論、ユーリルにも赤い瞳は向けられた。いつもは何に動じることもない瞳が、今は不思議に揺らいでいる。ユーリルを見つめた眼差しにも、見知った者を見つけた時のような色はなかった。
 首を横へ振った子供に、マーニャは深々と溜息を吐いた。
「あー…やっぱりそうか…。て事は、まぁ、あれだ。どっかの子供預かったと思うしかないようね。これってまた三日程度に元で戻るもんなの?」
 さすがに前例があると、対処の仕方も違う。あの時はユーリルが女の身体になってしまい、今回はピサロが子供の姿になってしまった。変わった姿は違えども、本質は変わらない。原因はミネアの銀のタロット二枚引きの暴挙だった。
 ミネアは顔色をなくしていたのが嘘のように普段どおりの顔で頷いた。
「ええ、多分」
「じゃ、別に騒ぐような事じゃないっか。三日延泊決定だね。ユーリル、あんたもそれでいいよね?」
 不意にマーニャに話を向けられて、一人一番遠い戸口で成り行きを見守っていたユーリルは、慌ててこくこくと頷いた。
「う、うん、それでいい」
「じゃあ私は家に帰って子供の服を持ってきますよ。エンドールで良かった。リトルの小さい時に着ていた服が、まだあるはずですからね」
「俺も手伝おう」
「わしは延泊の手続きを済ませてこようかの」
「では私はこれで…占いの道具の手入れをしていた途中だったもので…」
 諸悪の根源…ではなく、現状の諸原因だったのはずのミネアと、ライアンとブライ、トルネコが部屋を出て行ってしまうと、急に部屋は広く感じられた。元々が二人用の部屋なので、それでも子供も合わせて都合五人が入っている部屋が広いはずもないのだが、気分の問題だ。
「ねっ、クリフト! 僕にも抱かせて!」
 両腕を差し伸べるアリーナに、子供を抱いたままだったクリフトは戸惑ったように半端な笑みを浮べた。
「えー…と、姫様、あのですね、子供というのは本当に柔な生き物でして……」
「そんなの知ってるよ! 振り回したり投げ飛ばしたり蹴飛ばしたりしちゃいけないんだろ? 解ってるったら! 抱っこするだけ! ねっ?」
「絶対に、放り投げたり突き飛ばしたり、殴ったりしちゃだめですからねっ!」
 一体どんな仕打ちがサントハイムで行われていたのやら。想像だにしたくはないが、それでも嬉々と子供を見るアリーナの眼差しに怯えの色を隠せないクリフトを見ていると最悪の事態が脳裏を過ぎる。
 振り回したり投げ飛ばしたり蹴飛ばしたり放り投げたり突き飛ばしたり殴ったり……。
 クリフトとアリーナの言葉に出てきたおよそ子供にするには相応しくない行いの数々に、さぁっとユーリルは血の気を引かせた。
 抱いていた子供をクリフトが渋々のように差し出す。小さな身体がアリーナの腕に抱かれようとしたその時、ユーリルはとうとう堪えきれずに突進していた。
「だだだだ、駄目ッ!」
 ぱっとアリーナに抱かれる寸前だった子供を抱き寄せると、ええーっ、とアリーナが頬をパンパンに膨らませた。
「なんでっ! 抱っこしたいんなら順番待ちしなよ!」
「駄目だったらッ!」
「なんでさーっ!」
「あ、アリーナが抱いたら、う、浮気になっちゃうじゃないかッ!」
 ぎゅうっと子供を胸に抱きこんでそう叫ぶと、子供を抱かせてもらえない理不尽さに地団駄を踏んでいたアリーナが目をピカッと光らせた。
「はっは〜ん…ユーリル、あんた、それ、嫉妬? 嫉妬してるわけ?」
「う、煩いなッ! そんなんじゃないよ!」
「だって浮気なんでしょ、僕が抱っこすると。ピサロを僕が取っちゃうんじゃないかって、君、思うわけだ。なるほどねー。へーぇ。へぇえええ」
 いやーなにんまり笑いを間近に見せ付けられて、ユーリルは顔を引きつらせた。子供に危険が迫っているからと言って、関わるんじゃなかった、と今更ながらに後悔するが、それは先に立てられいものでもある。
 じりじりと後ずさるユーリルと、にまにまと追い詰めるアリーナの間に割って入ったのは、苦笑顔のクリフトだった。
「まぁまぁ姫様。ここはユーリルさんに任せましょう」
「ええっ、なんでっ? なんでさ! 僕だってそれ抱っこしたい!」
 膨らませた頬と握り締め振り回す拳、地団駄を踏むアリーナと、ただじっとユーリルに抱かれて事の成り行きを見守っている子供と、どちらが幼いのか解りはしない。どうしたものかと思っていると、意外にも今まで黙っていたマーニャが助け舟を出してくれた。
「ユーリルが世話すりゃいいんじゃない? だって一応あいつの恋人なわけだし、一番近いんじゃないかと思うんだよね。だって一応、あいつって魔族だし、ユーリルは天空人のハーフだしさ。通じるものも多少あるんじゃないかと思うんだけど…ねぇ?」
 マーニャが強烈な流し目をクリフトに寄越すと、クリフトは頬を赤く染めながら忙しく頷いた。
「そそそそうですねっ、そうなんですよ、姫様っ! じゃあそう言うわけですからっ、ユーリルさん、後はお願いしますねっ!」
 じゃあっ、とクリフトはアリーナを引き摺る勢いで部屋を飛び出していった。僕だって抱っこしたいのにーっ、と泣き叫ぶアリーナと、はいはい後でね、とそれをあしらうマーニャも外へ出て、ドアを閉める前に振り返ってひとつウィンクを飛ばしていく。
 想像しい連中が去ってしまい、ようやくユーリルは一息吐いた。
 そして腕の中でじっとしている子供に気付き、傍らのベッドに腰を下ろした。隣に座らせると、ちょっとぐらつきながらも大人しく座っている。銀色の髪はユーリルほどではないにしろ伸びていて、子供らしい特有の柔らかさを持っている。それなのに赤い眼差しは子供らしからぬ意思を持っていた。
「…ええっと……俺、ユーリルって言うんだ」
 子供の目を真っ向から見つめて、ユーリルはぎこちないながらも笑みを浮べた。子供はユーリルを見上げると、赤い瞳を瞬く。だが、何も言おうとはしない。言葉が解らないんだろうか、それともまだそう言う年齢ではないんだろうか、とユーリルはベッドに突っ伏した。背の低い子供と目を合わせようと思ったら、普通に座っているよりもそっちの方が楽だったのだ。子供がベッドから落ちないように手を添える。
「ユーリルって言うの。ユーリル。言える? それともまだしゃべれないのかなぁ。子供っていくつくらいからしゃべるんだろ。普通はわぁわぁ泣くものなのに、君、さっきも全然泣かなかったもんね。ひょっとして魔族は人間の子供と全然違うのかなぁ」
 赤い瞳を見ながらそんな事をぼやいていると、子供がなにやらきゅっと眉を寄せた。左右を見渡して、他に人がいないのを確認するような素振りをする。
「ん? どしたの?」
 ユーリルが顎の下に手を当てて頭を支えて見つめれば、子供は小さな唇を開いた。
「父上が、人の前で話してはいけないって仰ったから」
 零れてきたのはあどけない子供の声ではあるが、内容は随分しっかりとしたものだ。およそ三歳、四歳、いや人間の子供であれば十歳になっても満足にそれだけの事が言えるのかどうか解らない。
 ユーリルはびっくりして目を丸くしたが、子供が真剣な眼差しをしているのに気付くと、そっか、と思わず頬を緩めた。
「そう言えばピサロって魔族の皇子様だもんな。厳しくしつけられてんのかな」
「話せないわけではないけど、でも、話してはいけないって……」
「そっかー、それなら仕方ないよね」
「でも、父上はいらっしゃらないみたいだし、乳母も…アドンもいないみたいだし…」
「アドンって……ピサロナイトのことかな? 魔族って確か人間と年の取り方違うんだよね? ピサロは今いくつ? 人間だと三つくらいかなって思うんだけど…」
「知らない」
 ユーリルはがくっと枕にしていた手から頭を落とした。
「そ、そう……知らないんだ……そう言や、ピサロ本人にも年聞いたことなかったもんな……魔族って年齢の概念ってないのかな…」
「ユー…ル? ユールは、いくつ?」
「ユールじゃないよ。ユーリル。言いにくい? 俺の名前は、ユーリルって言うの」
「ユーリル」
「そう、言えるじゃん。ちゃんとそう呼んでね。それが俺の名前だから」
「ユーリル」
「そうそう」
 にこにこ笑いながら子供を見ていると、舌がうまく回らず言いにくいらしい名前もどうにか言えるようになった子供が、ぱっと顔を上げて笑う。あどけない、子供らしい笑みにユーリルは心底嬉しくなって、銀色の髪をわさわさと撫で回した。そんな事は誰にもされたことがなかったのか、ひどくびっくりしていた子供だったが、やがてはユーリルの手に甘んじて嬉しそうな笑みを浮べる。
 自宅へ戻って子供の服を持ってきたトルネコと、それを手伝って絵本やら玩具やらを運んできたライアンが、聞こえる笑い声に驚いてそうっとドアの隙間から中を覗き込んで見たものは、タロットの思わぬ効力で子供になってしまったピサロを寝転がった背中に乗せたユーリルが、宿の主人にでも借りたのだろう絵本を広げ、それを読み聞かせてやっていた。
 二人はこっそりと顔を見合わせ、思わず浮かんだ笑みを交わす。そして、お待たせしまして、と部屋の中に入って行った二人は、途端にユーリルの背中から滑り降りて彼の向こう側へ隠れてしまった子供の姿を見て、また笑みを深くするのだった。

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