タロットの悪戯  <緑色>


 初めての子供の世話は、思ったよりも大変ではなかった。
 見た目よりもよっぽど年を取っているらしいピサロは、多分人間の子供に換算すれば十歳かそこらじゃないでしょうかねぇ、と子持ちのトルネコが判断した。文字も書けるし、食事やら風呂やらの身の回りの世話も一通りできる。ただ、服は自分で着たことがないらしく、ユーリルが朝晩世話をしてやらなければならなかった。
 トルネコの子供が着ていた服を着せられて、不思議そうにオーバーオールを引っ張っている姿を見て、マーニャは床を転げまわって笑っていた。確かにあのふてぶてしいピサロの愛らしい姿には笑いを誘われるが、さすがに本人の手前、ユーリルはなんとか頬を引きつらせるだけに留めておいた。
 一番に名前を覚えたからなのか、それとも天空人の血が魔族の血と似ているのか、雰囲気が気に入ったのかはたまた顔が気に入ったのか。ピサロはユーリルの後をついて回った。
 ピサロが子供になった翌日も、相変わらず子供の姿のままで、しばらくエンドールから動けないならあたしはカジノに行く、とマーニャは言い、アリーナも一日目とは違って大人しく抱かせてくれなくなってしまったピサロに愛想を尽かし(無理矢理抱っこしようとしたら噛み付かれた)、マーニャと一緒にカジノに入り浸ってしまった。
 トルネコとライアンとブライはなぜか懐いてもらえなかったし、ミネアに到ってはひどく警戒しているようだ。ユーリルの足に身を隠すようにしながら伺うピサロを、三つ子の魂百まで…、と鬱蒼と呟き見下ろすミネアがよからぬことを考えてそうで、ユーリルは慌ててピサロを宿から連れ出した。
 人間の世界には初めて訪れるらしいピサロは、ユーリルの後をちょこちょことついてきながらも辺りを見るのに忙しい。駄菓子を売る露店の前を通った時には、ピサロと同じくらいの年の子供がきゃあきゃあ言いながらいろとりどりのお菓子を買いあさっているのを見て、羨ましそうな顔をしたが何も言わなかった。
 何かが欲しいとか、そう言う事は言わないように育てられたんだろうなぁ、とユーリルは露店の前を通り過ぎてもまだ、ちらちらと後ろを振り返っている子供を見て思った。
 何しろ魔族の王となるべく育てられたわけで、ひょっとしたらこの年になるまで城から出してもらえなかったのかもしれない。ユーリルは山奥の閉鎖された村で育ち、興味尽きぬ外の世界へは出たことがなかったので、与えられるものに満足していたけれど、突然、閉鎖された空間から外に出されたも同じピサロにとってはそれはもう珍しいもの、面白そうなもの、楽しそうなものに満ちていることだろう。それでも何もねだらないのだから、厳しくしつけられたに違いない。
 ユーリルはポケットの財布を探って、小銭がいくらかあるのを確かめると、いつの間にやら立ち止まって駄菓子の露店売りを眺めているピサロの横にしゃがみ込んだ。
「ね、あれ、欲しい?」
 ピサロは驚いたように赤い目を見開いてユーリルを見上げ、ちらっと露店を見ると首を横に振った。あれ、とユーリルが目を丸くすると、ピサロは小さな声で呟いた。
「……アドンが食べたもの以外は、食べてはいけないから」
 毒見係ね、とユーリルは溜息を吐く。そりゃまぁそうか、とも思いながら、ピサロの腕を引いた。
「俺が先に食べてあげるから、欲しいの言いなよ。全部買ってあげる」
「…いい、いらない」
 頑なに首を振るピサロを連れて、先客の子供らが走り去って行った露店に行けば、愛想の言い物売り爺がピサロに笑顔を向ける。
「よう、坊主。いらっしゃい」
 ピサロはびっくりしたように目を丸くして、歯の抜けた物売り爺の満面の笑みに魅入っていた。ユーリルは苦笑しながら、こっそりと言った。
「好きなの選んでいいよ。俺も何か買おうかなぁ。駄菓子なんて久しぶりだ」
 山奥の村を出て、初めてエンドールに訪れた時に、ミネアとマーニャが連れてきてくれたのだ。あんたこういうの見たことないでしょ、とマーニャが笑いながらいくつもの菓子を買い込んだ。きらきらと宝石のように光る飴や、棒にまきつけた菓子、小麦粉を膨らませて砂糖を塗した菓子に、綿雲のようなふわふわした甘い食べ物、真っ青な色の飲み物と、なんだか毒でも入ってそうな紫色のゼリー、どれもこれもが鮮やかに彩られ、本当の宝石よりも魅力的に映ったものだった。
 ユーリルは真っ青な飴を見つけると、それを指差した。
「おじさん、ハッカ飴ちょうだい。鼈甲飴も。あとこれと、これも。ちょっと大目にしてね。仲間にあげるから」
「あいよ。そっちの坊主は?」
 ピサロは目を白黒させながら露店の上にずらりと並べられた菓子を見渡した。端の方にあった緑色のゼリーを指差すと、あれ、と言う。
「じゃあそれと、そっちのもいいかな。ね、ピサロ、他には?」
「あの、ひらべったいの、何?」
 露店のささやかな梁から吊るされている薄焼きの煎餅だ。子供が食べよいように柔らかく、すぐに口の中で溶けるようになっている。たくさんの色があって、それによって味が違うのだ。物売り爺は、ピサロの言葉にちょっと目を見張った。
「坊主、お前、いいとこのぼっちゃんなんだなぁ」
「お忍びだからね」
 ユーリルが片目を閉じて、唇に人差し指を押し当てて見せると、物売り爺はニカッと笑みを浮べた。
「おうよ。この爺はお忍びのぼっちゃん嬢ちゃん方の味方なんだ。なんせモニカ姫も小さい頃に…っと、内緒だった」
「へぇ、お姫様までおじさんのお客だったんだ。すごいね」
「内緒にしてくれよ。知れたら姫さんにどやされる」
 アリーナと違ってモニカ姫はそんなタイプには見えなかったけれど、と思いながらユーリルは、ピサロが不思議がった平べったい煎餅も何枚か買った。財布の中の小銭を全部はたいて買い込んだ駄菓子を、三分の二をユーリルが持ち、小さく分けられた袋をピサロが持った。手の中でがさがさと音を立てる紙袋を、不思議そうな、それでいて好奇心を募らされた顔をして、ピサロは大事そうに抱えている。
 物売り爺に手を振って、ユーリルはピサロを連れて宿へ戻った。たくさん買い込んだ駄菓子を早く広げたかったし、魔界ではないだろう食べ物にピサロがどんな反応をするのか見たかったのだ。
 宿へ戻ると、ロビー兼食堂にアリーナとマーニャ以外の仲間達の姿があった。どうやら午後の紅茶としゃれ込んでいたらしい。お茶請けにはあわないかもしれないけど、とユーリルが駄菓子の中からハッカ飴や綿菓子などを差し出すと、懐かしいですなぁ、とライアンが嬉しそうに笑う。
「ああ、これこれ。これを姫様にやらせたら部屋中べたべたになっちゃったんですよね」
 クリフトがそう言ったのは棒で練る水飴だ。ブライは何を思い出したのか、髭をぎゅっと押さえて、あれは災難じゃった、と呻いている。ミネアは青色のハッカ飴に喜び、トルネコは綿菓子を見てリトルが好きなんですよと頬を緩めていた。
「あとでマーニャとアリーナにもあげようと思って」
 ユーリルが袋の中から色んな駄菓子を取り出してみせると、クリフトとブライが慌てて水飴をその中から抜き取った。
「水飴は駄目です!」
「ひどい目にあうぞ!」
 一体アリーナって何やったんだろう、と思いながら、ユーリルはピサロを連れて部屋へ上がった。部屋に入るなり、ピサロはベッドの上に駆け上がって、大事に抱えてきた紙袋をひっくり返している。なにやらユーリルには解らない理屈で二つに分けて、その中から一番に選んだ緑色のゼリーを両手でそっと取り上げた。一口サイズの緑色のゼリーをピサロは枕の下に押し込んだ。
「後で、食べる」
 どうやら、隠しているらしい。
 ユーリルは可笑しくなってピサロが分けた駄菓子を見下ろした。種類も大きさもごちゃごちゃだが、左側に寄った菓子はどれもこれもが緑色だ。
「ん? なんで分けてるの?」
 ピサロは緑色の菓子の中から大きな飴を摘み上げると、光に好かせて笑みを浮べた。
「ユーリルの色みたい。ね?」
「……ああ、髪の…本当だね」
「だから、これは、こっち」
「これは? ピサロの目の色みたいだよ」
 右側によけられていた赤い飴を摘み上げ、ユーリルはピサロがやっているように光に翳して見せた。柘榴の飴のようで、中に一際濃い部分がある。他よりもすっぱい部分だとユーリルは知っていたので、ピサロが食べたらどんな顔をするのかなと楽しみになった。
「それは、あげる」
「え、くれるの?」
 すっぱい顔するピサロを見たかったのに、と拍子抜けするユーリルに、うん、とピサロは簡単に頷いた。
「赤いのは、ユーリルに上げる」
「……ふーん。なんで?」
「緑は僕のだから」
「…………ふーん…」
 なんか理由でもあんのかな、と思いながら、貰ったばかりの赤い飴をぽいと口の中に放り込んだ。甘酸っぱさが口の中に広がるのを、舌で右へ左へと転がしながら、ユーリルはピサロがベッドに広げた駄菓子を見下ろした。赤と緑と、二つに分けられた駄菓子をピサロは満足そうに見つめている。
 ユーリルはそれを眺めながらがりっと飴を噛み、滲み出たすっぱさに顔を顰めていた。







 三日後、元のふてぶてしい姿に戻ったピサロは、当然のごとく三日間のことを覚えてはいなかった。可愛いかったのに!と残念がるアリーナにも不思議そうな顔をするばかりだった。
 ピサロが元の姿に戻った夜、もう一晩滞在することになったエンドールの宿でごろごろしていたユーリルは、風呂を上がってきたピサロを見て大きな溜息を吐いた。耳ざとく聞きつけたピサロが眉を寄せる。
「…なんだ、人の顔を見て溜息を吐くなどと」
「んーん。なんでもない……て言うか、ピサロ、子供生まない?」
「…………頭に虫でも沸いたのか? 男は子供は孕まん」
「じゃあロザリーさんと結婚して子供作ってよー。だってすっごい可愛かったんだよ、小さいピサロ。俺の後くっついてきて、抱っこしても怒んなかったし、一緒にお風呂にも入ったし、絵本だって読んで……」
「その話は止せ」
 ミネアの銀のタロットのお陰で、また余計な厄介事に巻き込まれたと聞かされたときのピサロと言ったら、鬼神も裸足で逃げ出すのではないかと思うような形相だった。しかも姿が女に変わるのではなく、子供になってしまったのだ。その間の記憶がないのが幸いだが、幼少期の自分の言動に責任をもてないのも事実だ。
 渋い顔をするピサロに、ユーリルはまた大きな溜息を吐いた。枕を抱えてベッドに転がっているユーリルを見下ろし、ピサロもまた溜息を吐く。
「そんなに子供が欲しくば、自分で作ったらどうだ」
「え、やだよ。ピサロの子供だから可愛いんじゃん。俺の子供なんて想像できないね」
「私の子より貴様の子の方が可愛げはあると思うが……それならいっそ作ってやろうか」
「へ、いいの? ロザリーさんと結婚するの? あ、でもそれはちょっと嫌かな……」
 眉を寄せて悩むユーリルのベッドに膝と手とをつき、ずいとピサロが身を寄せれば、なんだよぅ、とユーリルが不貞腐れる。
「魔族に伝わる秘術で貴様が子を成せる身体にしてやろうではないか。貴様が私の子供を生めばよい」
「え、嫌だよ」
 組み敷かれながらも思い切り顔を顰めるユーリルに、ピサロは深々と溜息を吐くと、貴様には付き合ってられん、と身を起こす。濡れた髪を拭いながら自分のベッドに腰を下ろし、ふと何かに気付いたように枕の下に手を突っ込んだ。ピサロがつかみ出したのは緑色のゼリーで、あ、それ、とユーリルは見た途端に目を丸くした。
「ピサロが後で食べるって取っといた奴だ」
「……私はそんな意地汚い真似はせんぞ」
「子供の時はしてたの! あーあ、折角取っといたのに、結局食べずじまいだったんだ……」
 ピサロは手の中のゼリーをしげしげと眺めていたが、やがてそれをぽんとユーリルに向かって投げた。危なげなく片手でキャッチしたユーリルに、ピサロは長い髪を拭う作業を続けながら言う。
「貴様の髪の色と同じだな」
 告げられた言葉に、ユーリルはぽかんと目を丸くしてしまったが、すぐにはにかむような笑みを浮べて、うん、と笑う。緑色のゼリーを大事に両手に包むユーリルを見て、何がそんなに嬉しいのやら、とピサロは呆れていたが、ユーリルは笑みを浮かべたままで、じっと両手の中のゼリーを見下ろしていた。

タロットの悪戯 <了>
 繭さんからのリクで『ピー様の女体化…ではなく、幼児化で』でした。女体化でも良かったのに!きゃ!(いや、絶対書けなかっただろうけど/笑) あー…うん、すんません。なんか不発かもしれない…なんだろう。またタロット関連だったんですけども(というかシリーズ化しつつあるなこれ/笑)。もっとこうはっちゃけた話が書きたかったのに、なんだかしっとり子育て風味になってしまいました。むーん、思いの他ユーリルがパニックらなかったのが原因かもしれない! 繭さん、ごめんなさい〜ッ!
 ピー様の幼少期などさっぱり皆目検討も付かず、いっそ思い切り赤ん坊にしてしまおうかとも思ったけれど、それはそれで面白みにかけるので、それなりの年齢にしてみたら、今度はやけに落ち着き払った可愛げのないガキになってしまった…。でも魔族の王となるべく育てられたわけなので、毒見係はいただろうし乳母もいただろうし行動やら言動やらに始終注意を払うように育てられたんだろうなぁと思ったら、なんだかそれも可愛らしくなってきた(末期か)。
 繭さん、こんなもんで申し訳ないです〜! でも貰っていただけると嬉しいです。むしろ私ごともらっ(強制終了)。
 繭さんと相良さんから素敵愛らしイラス頂きました。繭さんからはこちら相良さんからはこちら