タロットの弊害 <災厄> |
何の因果かは解らない。もしかしたら呪いの類かも知れないし、前日ついうっかり(とミネアは主張していた)引いてしまった得体の知れないカードの効力かもしれない。その時には何も起こらなかったので、『引いてはいけないカード』じゃなかっただけ良かった、と言い合ってはいたのだが、よくよく考えてみればあの時、ミネアは二枚カードを引いてはいなかっただろうか。効力が重なりあって、思わぬ効力を生むということもあり得ない話ではない。 ユーリルは呆然と自分の身体を見下ろしていた。 つるりとした肌、柔らかな胸、膨らんだ尻、すんなりと伸びた足。 自分の身体とは到底思えず、とりあえずあり得ない胸に触れてみる。シャツを捲って覗いてみると、それなりの大きさの乳房がふたつあった。 「……アリーナより大きい…」 いつ見たんですかッ、とクリフト辺りに食ってかかられそうな台詞をぽつりと、そして呆然と呟いたユーリルはハッと我に返った。そして踵を返すと、バンッと部屋のドアを開けて宿の階段を駆け下りる。イムルの宿はロザリーの夢が見られなくなってから少々客足が減っており、今のところユーリル達の貸切のような状態だった。朝食は一階の食堂で食べることになっていて、今なら全員がそこに集まっているだろうと思ったのだ。 だだだっと階段を駆け下りるユーリルに、階段のすぐ下の食堂兼エントランスホールで食事をしていた仲間達が顔を上げる。 「あ、おっはよーユーリル!」 「なぁに、随分騒々しいわねぇ」 「急がなくても朝ごはんはなくなりませんよ」 思い思いの挨拶をしてくる仲間たちを突っ切って、ユーリルは一番遠い場所で紅茶を啜っていたピサロの胸倉を掴んだ。 「凍てつく波動ッ!」 「いきなり何だ!」 「凍てつく波動やってよ! なんかよく解らないけど呪いにかかっちゃったみたいなんだ!」 「呪い?」 胸倉を掴み上げられ、朝から怒鳴られるは、飲みかけの紅茶はその反動で飛んで床に落ちるはで、ピサロの機嫌はかなり急降下の一途を辿っていた。眉間に皺を寄せ唸るようにそう言えば、そうっ、とユーリルは必死の顔をして羽織っていたシャツをがばっと広げて見せた。 「俺、よく解らないけど女の子になっちゃったみたいなんだ!」 その途端、ピサロはぎょっと目を見開き、クリフトとブライはぶっと紅茶を吹き出した。女性陣はいっせいに、まーっ、となぜか輝く目を瞬き、ライアンとトルネコは互いに互いの目を塞いでいる。 広げられたシャツからはどちらかと言えば豊満な胸が零れ出る。白い陶磁のような乳房につんと尖った淡い桜色の飾り、なだらかな腹とくびれた腰。どこからどう見ても女の身体に、元々女と間違えられるような顔立ちのユーリルだ。美少女の裸体以外の何ものでもなかった。 「ねぇピサロ! 魔法なら凍てつく波動で消えると思うんだ。だからなんとかしてよ!」 縋りつかれたピサロはぐいと柔らかな感触が腹の辺りに当たるのを感じ、咄嗟に掴みかかっている手を振り払った。いつもなら、どうと言う事もないだろうに、女になってしまって力が衰えているのか、ユーリルは簡単によろめいた。ぽてっと床に突き飛ばされたユーリルに、突き飛ばされた当の本人も、突き飛ばしたピサロも呆気に取られ、思わず顔を見合わせた。 ああっ、と大声を上げたのはアリーナだ。顔を真っ赤にしてユーリルとピサロの間に立ちはだかる。 「お、女の子突き飛ばすなんて、最低!」 「いや…女も何も…それは男のはずだが……」 とりあえず冷静にそう告げるピサロに、アリーナは地団駄を踏んで絶叫する。 「今は女の子じゃないか! こんなに可愛いのに!」 「え、いや、でも、呪いとか魔法だと思うから、治ったら俺、男なんだけど…」 「でも今は女の子なの! いい? ユーリル、ユーリルは僕が守ってあげるからね! ピサロになんかひどい事されたら言うんだよ?」 すっかり姫君の騎士モードに切り替わっているアリーナを見て、クリフトとブライは天を仰いでいる。また悪い病気が始まったとでも思っているのだろうか。そう言えばロザリーを初めて目にした時のアリーナの様子も尋常じゃなかった。 目の前できらきらと輝く眼差しをしているアリーナを見上げながら、ぼんやりとそんな事を思うユーリルの前に、すっとピサロが身をかがめる。伸ばされた手はシャツを掴み、開いたままだった合わせを閉じた。 「とりあえず、乳を隠せ」 「あ、うん」 そそくさとシャツを合わせてボタンを留めていくと、ちぇー、とアリーナが口を尖らせている。同じ女の身体なのに見て楽しいんだろうか、と思っているとボタンを留めた手をつかまれ立ち上がらされる。手近に椅子に座らされ、目の前に身を屈めたのはピサロだ。跪いた魔族は真剣な面持ちで尋ねた。 「何を食ったのだ。どうせ貴様のこと、腹が空いて妖しげな実でも食ったのだろう」 「……く、食ってないッ!」 「では拾い食いでもしたのか。それとも妖しげな商人から何か菓子でももらったのか」 「し、してないよ、拾い食いなんて!」 「では妖しげな菓子を貰ったのだな。どこで貰った。誰に貰った」 「もらってない!」 自分が覚えている声よりもオクターブ高い声に戸惑いながらも、ユーリルはとにかくピサロの質問には否定をした。 何もかもをユーリルの大食らいのせいに決め付けるピサロのせいで、ミネアまでが、昨日の夕飯の後に何か食べたの、と眉を寄せて尋ねる始末だ。 「何も食べてないったら!」 「では飲んだのか」 「一緒じゃないかっ! 何も食ってないし、飲んでもない!」 顔を真っ赤にして怒るユーリルを助けに入ってくれたのは、いやにのんびりのほほんとしたブライだった。 「まぁまぁ、みんなでそう寄って集って責めた所で答えも出んじゃろうて」 「ええっと、こういう場合は、ひとつずつ考えていくのがいいんですよ、きっと」 クリフトの言葉に、ひとつずつねぇ、とマーニャは溜息を吐いている。 「食べ物関係ではないとして……でいいのよね?」 「いいよっ!」 ちろりと流し目を受け、ユーリルはむっと唇を曲げた。ピサロと言い、ミネアと言い、そして今度はマーニャだ。誰もかれもがユーリルと食べ物をイコールで結びたがっている。そんなにいつも食べてばかりいるわけじゃないんだけどっ、とむかっぱらを立てるユーリルを見下ろして、ふーむ、とマーニャは腕組みをした。 「あたしゃよく解んないんだけどさ、こういうのって呪いとかそんなんでもなったりするんじゃないの? そう言うのなら、あんた、得意分野でしょ」 遠慮のない踊り子に膝で背中を突かれてピサロはぐっと眉間に皺を寄せた。 「確かに呪いではあるだろうが、生憎、呪いを受けるような場所を通った覚えがない」 「では場所に関する呪いではないのでは…? 遠く離れた場所からでも、誰か一人に対してかける秘術もあると聞きますし……」 「そのためには相手の身体の一部を手に入れねばなるまい」 「か、身体の一部って…!」 思わずぎゅうっと自分の身体を抱きしめているユーリルに、ピサロ、ミネア、ブライ、クリフトの魔術に関して詳しい仲間はいっせいに溜息を吐く。呆れ果てた顔をしたのはピサロで、困ったような顔をしたのはその他の三人だった。 「誰も腕を寄越せとか言っているのではない。髪一本でもできる」 「あ、そうなの…。て言うか、ちょっと俺、気になってることがあるんだけど…」 ユーリルが口を出すと、やはりな、とピサロが呟いた。 「何を食ったのか白状する気に…」 「違うッ!」 噛み付くように怒鳴ってから、ユーリルはミネアを見上げた。 「昨日の戦闘でさ、銀のタロット使ってたよな?」 「ええ、確かに…でも何も出ませ……あ、ああっ!」 訝しげに眉を寄せていたミネアだったが、突然両手で頬を押さえて絶叫した。すぐ側にいたクリフトはたまったものではない。顔を顰めて耳を押さえているものの、慎み深い神官はぐっと堪えて文句を言わなかった。 「ま、まさか…!」 「何を食わせた?」 すっと眉を寄せたピサロの耳を、ユーリルは思い切り掴んだ。痛みに顔を顰めているピサロにユーリルは怒鳴る。 「食ってないッ! いい加減食い物から離れろよッ!」 「それで、占い師、何を引いた?」 ユーリルに耳を掴まれたままだったのでとても格好などつかないが、ピサロはこのわけの解らない状況から一刻も早く抜け出したかったので、青ざめた顔で放心しているミネアにそう尋ねた。 ミネアはハッと我に返ると、頬に手を当てたままで、呟く。 「女帝と、愚者が」 「二枚も引いたんですかっ?」 叫ぶクリフトに、ミネアもますます落ち着きをなくしていく。いつになくおどおどと辺りを見渡して、心配そうに己の胸を押さえている。 「まさか、こんな結果になるなんて…! うっかり二枚引いてしまったんです、間違えて! だからその場では何も起こらなかったんだわ…! カードが判断できなかったから……女帝と、愚者…ユーリルの現状にも納得が…」 「ちょっ、ちょい待ち!」 ばっと両手を広げたのはマーニャだった。クリフトとミネアの話がちんぷんかんぷんのユーリルのみならず、一体何がどうなっているのかついていけていないライアンとトルネコ、銀のタロットの効能を正確には理解していないアリーナにとっても、マーニャの制止は有難かった。 「その女帝と愚者ってのはどーゆー効果のあるカードなのさ」 「女帝は主に、母性愛を示すカードで、愚者は変化を示すカードなんです。向きによっても意味は変わりますが…二つ合わさったことで…」 「女性に変わった、と」 耳を掴んだままだったピサロにちらりと胸元を見下ろされ、ユーリルは慌てて両手で胸を庇った。 「み、見るな!」 かぁっと顔を真っ赤にして胸を隠すユーリルに、ピサロは思わず溜息を吐く。 「そんなもの、見慣れている」 「みっ、みなっ、見慣れてるっ? 見慣れてるって、だだだ、誰の見たんだよ! あっ、ろっ、ろっ、ロザリーさんっ?」 赤い顔が一転し、今度は真っ青な顔で泣きそうだ。表情豊かな百面相を目の当たりにし、再び深々と溜息を吐くピサロは、伸ばした指を横へ向けた。 「裸と同じ格好で始終歩き回っている踊り子がいるのを、貴様は忘れたのか。あれに比べれば貴様のものなど粗末なものだ」 「きゃあ!」 「粗末……」 指先に釣られてユーリルがそちらを見れば、目を輝かせて歓声を上げ喜ぶマーニャと、なぜか自分の胸を見下ろし呟くアリーナの対比が面白い。 「やだっ、ピサロに褒められちゃった! もしかして、ピーちゃん、あたしに惚れちゃった?」 ユーリルの前に跪いているピサロの背中にべったり抱きつく踊り子を、ピサロは迷惑そうに顔を顰めて睨みつける。 「誰が惚れるか。離れろ。それよりも、そのタロットの効力はどれほど続くものなのだ?」 ユーリルに耳をつかまれ、マーニャに背中に張り付かれた顰め面のピサロに尋ねられたミネアは、胸元を押さえながら青ざめた顔で答えた。 「通常ならすぐに消えるものです。でも、こうしてユーリルの姿が変わったのが一晩たってからだと言う事を考えると、効力が発揮されるのが遅くて、長い可能性も……」 「つまり解らんというわけか…」 「あーじゃあ、こっから動くわけにも行かないわねぇ」 マーニャは溜息を吐いて身を起こし、いまだ自分の胸を隠しているユーリルを見下ろした。ブライは早速宿に宿泊の延長を申し出ているし、ライアンとトルネコはさしあたってユーリルが着られそうな装備品が馬車に積んでいなかっただろうかと確かめに行った。今のユーリルの姿では、さすがにいつもの格好では、主に胸辺りが苦しそうだ。 「まぁしばらく休養ということで、たまにはいいんじゃないでしょうか。骨休めも必要ですよ」 人好きのする笑顔を浮べるクリフトは、この機会にちょっと羽を伸ばそうと考えているようだった。アリーナはどうあっても先に進みたいようだが、ユーリルが不慣れな身体では怪我を招きかねないし、尚且つ、戦闘中に身体に異変が起こるようでは、即座に対応しきれるとも限らない。 このままイムルに逗留する方がいいだろう、と言う事になった。 「さしあたって三日ほど延長しておきましたぞ」 ブライが延泊の手続きを済ませて戻ってくるのと、馬車からライアンとトルネコがごっそりと装備品を持ってくるのとは同時だった。女物の装備品ばかりを選んできてくれたようだ。 やれやれ、これでゆっくりと茶が飲める、とピサロが元に座っていた椅子に腰を下ろしカップに茶を注いでいると、隣のテーブルの上に置かれた装備品にマーニャやミネアが群がった。 「あら、懐かしい。皮のドレスなんてまだ残ってたんですか?」 ミネアが引っ張り上げた皮のドレスを見て、トルネコはどこからともなく取り出した帳簿を捲り始めた。道具の管理はすべてトルネコに任せてあるのだ。商人の抜け目のなさとして、道具類はすべて帳簿に記してあるらしい。どこでいくらで購入しただとか売却しただとか、トルネコは一行の家計のやりくりに知恵を絞っていた。 「こないだモンスターが落とした奴ですよ、それ。それより、ユーリルさん、いっそこれなんてどうです? ピンクのレオタード」 ひょいっと引っ張り上げられたその名の通りピンク色のレオタードに、ユーリルはこれ以上ないと言うくらい顔を真っ赤にした。 「誰が着るか、そんなもんっ!」 「あら、いーじゃない! 似合うかもよ! あんた結構胸おっきいんだもん。ほら、やっぱり! アリーナよりあるわよ!」 ぎゅっと前から胸を鷲掴みにされて、ユーリルが声にならない悲鳴を上げている。シャツ越しとは言え、女の胸を揉む踊り子の姿と言うのも曰く言いがたい構図ではある。大きな声で自分よりも胸がある、と公言されてしまったアリーナは、ユーリルより小さいらしい自分の胸を見下ろして溜息を吐いている。 「ちょっ…マ、マーニャ! 離して!」 「なんでよ。あんたのおっぱい、形もいいわよォ? あ、腰も締まってるじゃない。踊り子向きの体型ねぇ。あたしの服も着てみる?」 「お化粧もしてあげるわよ、ユーリル」 ミネアもにっこりと笑って、手にはスパンコールドレスを持っている。こんな田舎でそんな派手なドレスを着せて何をしようと言うのだろうか。ユーリルは必死になって逃れようとしたが、目的を同じにした女達の執念は恐ろしかった。 「さっ、行くわよ、ユーリル!」 「や、やだってば! 俺、そんなの着ないってばッ!」 「いいから来なさい! モンバーバラの舞姫がじきじきにコーディネートしてあげるんだから、有難く思いなさい!」 「いーやーだーっ! ぴ、ピサローッ? 助けてってばー!」 ぎゃあぎゃあと喚くユーリルと、それを嬉々として引き摺る女達の騒動を、宿屋の主人は宿帳を抱えたまま引きつった笑顔で見送っている。この所、客のなかった宿に現れた大人数の泊り客で、尚且つ延泊の手続きも済ませてもらっている。多少のことは我慢しなければ、と言うのが心情だろう。 何とはなしにそれを眺めていたピサロは、叫ばれた自分の名前にふと顔を上げた。見れば階段の手すりに往生際悪くしがみ付いたユーリルが、必死で助けを求めている。 ピサロはふと微笑した。珍しい魔族の王の笑みに、旅の仲間たちは目を丸くしていたが、次いで出た言葉にはもっと目を丸くした。 「精々綺麗に仕上げてもらうのだな。姉妹の腕を楽しみにしていよう」 「う、らぎりものーッ!」 「なんとでもほざけ。私はその間、途中で取り上げられた茶を飲むとしよう」 床に落ちたカップを拾い上げるピサロを見て、あうっ、とユーリルは項垂れた。おそらくそれがなければ助けてもらえたのだろうが、うっかり我を忘れて掴みかかった時にピサロが持っていたカップを弾き飛ばしてしまったようだ。些細なことを根に持っているらしい魔族は、それきりユーリルから顔を逸らしてしまったので、ユーリルは泣く泣く女達に引き摺られ、彼女らの寝室に拉致されることとなった。 |
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