神様が創った特別な人 <リバーサイド> |
アッテムト坑道の中で見つけたガスの壷を、リバーサイドの学者に見てもらうために一行はリバーサイドへと戻ってきていた。学者は壷を見るなり子供のように飛び上がり喜んで、是非自分に譲ってくれと騒ぎ立てた。きっとあなた方の役に立つものを作ってみせます、と意気込む学者に譲ったガスの壷は、明日には空を飛ぶ乗り物に姿を変えるという。 一体どんなものなのだろう、とユーリルは宿の部屋でぼんやりと思った。 雨染みのある天井の板の数を数えれども、眠りは訪れず、疲れ果てているはずの身体は凛と冴えたままだ。 仲間達は泥のような眠りの中に落ち、指一本すらも動かさない。 少し歩いてこよう、とユーリルは宿からこっそりと抜け出した。帳場でこっくりこっくりと船を漕いでいる主人を起こさぬように気配を殺し、宿の戸を開けると冴え冴えとした空気が身を包んだ。 月がないせいで夜空は星に彩られている。月明かりよりもよほど明るいと思えるような星明りの中を、ユーリルは草葉を踏みしめ歩み進んだ。当てもなく歩いていたが自然と足は、リバーサイドを一望できる丘の上を目指していた。そこから、デスパレスが見えると知っていたからだ。 ユーリルはリバーサイドを背に、デスパレスへ身体を向けて草の上に腰を下ろした。引き寄せた膝を抱え込むと、吹き抜ける風が髪を揺らしていく。 丘の上から見るデスパレスは、小さく頼りなく思えた。灯かりは灯されているが、夜を属性とする魔物たちにはさしたる灯かりも必要とないのだろう。人間の城と比べれば格段に光の少ない城を眺め、ユーリルは眉を寄せる。 ぎゅうっと右手を握り締めると、帝王エスタークとの戦いで負った傷がずきりと痛んだ。 あの人を、殺せるんだろうか。 デスパレスの深部で過ごしているのだろう、魔族の王の姿を思い出し、ユーリルは握り締めた右手を見下ろした。 この手に剣を握り、あの人と戦い、あの人の心臓にこの手で止めをさせるのだろうか。 イムルの宿で見た夢の中に彼を見つけた時、夢の中であるのに嘘だと大声で叫んだ。あの人が魔族の王であるはずがないと、人間を滅ぼそうとしている敵が、村を滅ぼした自分の仇が、あの人であるはずがないのだと、儚いルビーの涙を零すエルフの肩を揺さぶり問いかけたかった。 この辛い旅の中で、ずっと彼はユーリルの支えだったのだ。 詩人が連ねた町の名を思い出せば、ユーリルはいつだって笑うことができた。 なぜだかは解らない。 ひょっとしたらあの日あの時、これから起こる惨事など何ひとつ予想していなかったあの時、ユーリルは途方もない未来の希望に胸を高鳴らせていたからかもしれない。村の誰も教えてくれぬ外の世界を、ささやかなりともユーリルの前に広げて見せた詩人の言葉に、ユーリルは光を見出したのかもしれなかった。 ユーリルは右手を握りこんだまま、引き寄せた膝に顔を押し付け、これ以上ないと言うほどに身体を縮めた。 どうしたらいいのか解らない。 仇と憎まなければならないのだ。 殺しても殺したりないほど憎まなければならない。 村の人たちがあわされたのと同じ目をあの男に遭わせ、その上で殺さなければ許せないほど憎まなければならない。 だが、そうしようと思い込むたびに、自分にそうやって暗示をかけるたびに、蘇るのが緑葉の中で微笑んでいた詩人の姿だ。きらびやかな昼の光の中にあった彼の姿だ。 どうしたらいいんだろう。 泣きたい気持ちで膝を抱えていると、さく、と草を踏みしめる音がした。 「やっぱり」 明るい声に振り返ると、剥き出しの足や腕やらに派手に包帯を巻いたマーニャが立っていた。腰に手を当てて、伸ばされる手がユーリルの髪をぐしゃりと撫でる。 「目が覚めたらいなかったから、焦ったわよォ?」 「ご、めん…」 ひく、と喉が干上がるような感覚に、ユーリルは目頭が熱くなった。 泣いちゃいけないと思いながら、マーニャを前にするとそんな強がりはどこかへ消えてしまう。初めて仲間になった相手だからか、それともすべてを懐の中にしまいこんで大事にしてしまえる許容の広さがあるからなのか、ユーリルにとってマーニャとミネアはとても特別な存在だった。本当のではなかったけれど、今でもずっとそうだと思っている両親と同じように思える。姉がいれば、こんな感じだったのだろうかと思うような存在だ。 早くも泣きべそをかきそうになっているユーリルの隣に、マーニャは許しを得ずに腰を下ろした。とすんと軽い音を立てて、やっぱりねぇ、とまた呟く。 「ここにいると思ったのよ」 「うん」 こくりと頷いて膝に顔を埋めれば、隣のマーニャがおかしそうに空気を笑い声で震わせる。 「やー、しかし今日の戦いはしんどかったわぁ。地獄の帝王の復活を阻止できたから結果オーライだけど、デスパレス潜入でそのまま直でアッテムトってのはきついわね。明日はゆっくりしない? みんなの傷だって癒えてないしさ。気候のいい所でのんびりしようよ」 明るいマーニャの声を聞きながら、ユーリルは顔を埋めた膝小僧がじくじくと熱く濡れていくのを感じていた。 泣いちゃいけないんだと思いながら、どうしたって溢れ出てくる涙をどうやって止めればいいのか解らない。 何を泣く必要があるのかすら解らないのに、どうすればいいのだろう。 困惑するユーリルの頭を、ぽんぽんとマーニャの手が撫でるように叩く。 「……話したっていいのよ? 思ってること全部吐き出したら、意外とすっきりなるもんなんだから。あんたがそうやって膝抱えてる時は、大抵ろくでもないこと考えてる時なんだから。折角地獄の帝王倒したんだから、ぱぁっとやんなさいよ」 優しい声に、優しい手付き、向けられる暖かな感情にユーリルは我慢ができなかった。 膝に顔を埋めたままで、うん、と頷く。取り留めのない、取り留めようもない感情の渦の中から、言葉にできそうなものを選び出して唇に乗せる。 「……殺さなきゃ……父さんや母さんの仇だから…殺さなきゃ、駄目なんだ……。でも…そうやって思うと、お、思い出すんだ」 ぐずぐずと啜る鼻のせいで、言葉はつっかえずに話すことができなかったけれど、いつもは短気なマーニャも今ばかりは気長に待ってくれた。 「む、らに来た、あの人を…思い出して…しまうんだ……」 「あんたの言ってた旅の詩人ね……」 マーニャはユーリルの頭に手を置いたまま物憂く呟いた。 「あの人が、いなかったら、俺は死んでた…。ブランカの場所も知らなかったし、きっと山の中で迷って死んでた……だから、あの人は俺を生かした…。でも、俺のせいで村の人はみんな死んだ…あいつが殺したんだ……。お、れが勇者なんかじゃなかったら、みんな死ななかった…。今も村で過ごして、あいつのことなんて知らずにすんだ。俺が勇者なんかじゃなかったら……そしたら、良かったのに…」 とうとう、ぼろぼろと零れた涙にユーリルは瞼を閉じた。 人前で泣くことが恥ずかしいとか、頭を撫でられて子供みたいだとか、弱音を吐いて情けないだとか、きっとマーニャは言わないだろう。そう思うと、余計に感情の箍は外れ、収まらない涙は膝を濡らした。 マーニャの手はゆっくりとユーリルの頭を撫でていたが、やがてぎゅっとその頭を抱きこんだ。 「もう止めなさい」 強い意志すら秘めた声に、ユーリルは鼻をぐずつかせながらしきりに目を拭った。 「あんたの村の人が死んだことの原因は、確かにあんただわ。でも、あんたのせいじゃないのよ。馬鹿な詩人がやらかしたことなんだから。でも、あんたがその馬鹿な詩人を憎みきれなくて、殺したくないって言うんなら、この旅から外れなさい。大丈夫、あたしが変わりに馬鹿な詩人を罵ってきてやるから。殴って蹴飛ばして、噛み付いたっていいわ。あいつの息の根止めてきてやるから、あんたはここで待ってなさい」 「…だ、駄目だよ!」 ユーリルは慌ててマーニャの腕の中から抜け出した。 「どうして?」 きょとんと目を丸くするマーニャに、ユーリルは必死に言葉を言い募る。一旦泣いてしまうと、頭の中はひっちゃかめっちゃかになってしまって、うまく言葉を紡ぐことはできないけれど、どうにか思っていることを伝えなくちゃとユーリルは必死になった。 「だ、だって、だって、そんな……俺が、やらなくちゃいけないんだ。ハバリアの近くの、お告げ所の巫女も言ってた。俺が、導かれた者だって。だから、やらなくちゃ…俺が!」 「誰が導いたのよ、あんたを」 思いも寄らぬマーニャの言葉に、ユーリルはぽかんと口を開き、阿呆のように彼女を見てしまった。まじまじとマーニャの顔を見れば、夜中であるから化粧の施されていないすっぴんの顔を惜しげもなく月明かりの元に晒し、マーニャは生真面目な顔をしている。 いつにない真面目な顔は、まるで厳かに予見を告げる巫女のように言った。 「あんたをここまで導いたのは、詩人の言葉よ」 「……詩人、の…」 「あんたの村を襲わせた魔族の詩人はさ、あんたに町の場所をいくつも教えた。ブランカ、エンドール、イムル、アネイル、キングレオ、サントハイム、リバーサイド。あんたがブランカを知らなきゃ、あんたは死んでた。あんたがエンドールを知らなきゃ、あたし達は出会わなかった。アネイルでもそう。キングレオでもそうだ。あんたは詩人によってここまできた。だから、次は詩人の所へ行ってやるべきだわ。行って、文句たらたら言ってやればいいわ。戦って、どうしても止めをさせないって言うんなら、あたしが変わりに刺してやる。殺したくないって言うんなら、それもいいんじゃない? なんとかなるわよ」 マーニャの言葉に、途切れたはずの涙がどっと溢れた。ユーリルは剥き出しのマーニャの腕に顔を突っ伏して、歯を食いしばった。呻き声なんか、泣き声なんか上げないと頑張ったけれど、うーうーと漏れる声はマーニャの耳にまで届いていたらしい。腕を伝う生ぬるい涙など気持ちが悪いだけだろうに、マーニャは厭わずにいてくれた。 殺したくないよ、とユーリルは喚いた。そうね、と微笑むマーニャの言葉に、なぜか山奥の村でユーリルを守るために死んだ村人たちに許されているような気になった。 あの人を殺したくない。 山奥の閉ざされた村の中で過ごしたユーリルに、少しばかり世界を広げて見せた詩人を、いくつもの町の名を教えてくれた詩人を、ユーリルは殺したくなかった。たとえそれが、大切な家族や友達の仇であっても、殺すことはできないだろう。 あの人を思えば、ユーリルはほんの少し勇気が沸いた。あの人は目指している町にも立ち寄ったかもしれないと思えば、くたびれた足も前に進めることができた。 この辛い旅の間、詩人はユーリルの紛うことない支えだったのだ。イムルで突然支えを引っこ抜かれ、何を拠り所にすればいいのか解らなかった。けれど結局、それに何かが成り代わることもなく、今でも支えとしてユーリルの中奥深くに居座っている。 この気持ちは、戦いの邪魔になる。それどころか、命取りにすらなりかねない。 それでも、この気持ちを棄てることなどできなかった。気持ちを消し去ることもできなかった。 その気持ちを恋と呼ぶのだと知ったのは、世界樹の花により蘇ったロザリーを前に、我を忘れていた詩人が元の姿を取り戻し、愛しげに娘を抱きしめた時だった。泣き崩れる娘を抱きとめる男の、赤い瞳が柔らかく細められるその様を目の当たりにしたときだった。 ああ、俺は、この人が好きだったんだ、と気付いた恋に胸を痛め、ユーリルはこっそりと微笑んだ。 好いた人を殺さねばならぬ運命から逃れられたことに、安堵し微笑んでいた。 |
神様が創った特別な人 <了> |
長らくお付き合いいただきありがとうございました。ユーリル恋物語でした。これで終わりです。何と言われようともこれで終わり(笑)。最初からピサロが仲間になるまでを書くつもりだったので、これで終りです。旅の詩人を心の支えに旅するユーリルを物語通して書いてみたかったのと、面倒見のいい姉妹を書いてみたかったの(笑)。ゲームを初めてやって、久美さん小説読んで以来、ずっと気になっていたのが、本当に村のみんなの仇を討つってだけで延々長くて辛い旅をやってけたんだろうかってことです。そりゃ仲間の支えもあっただろうけれど、ユーリルの旅は他の人たちと違って本当に敵討ちだけの旅だったので。ライアンは勇者を探すためで、サントハイム組は消えた人を探すため、トルネコは伝説の武器を探すためで、姉妹も敵討ちだけども途中でそれは達成しちゃったわけだし、敵討ち達成後の気分は達成前と全然違っただろうなと思うので。心の支えがなくちゃやってけないよなー、でもってそれが詩人で、なおかつ最終的には敵だったわけだから、途中で気付いたときには最悪だっただろうなぁ、と思ったらもう。最初に憧れがあって、途中で憎しみがあって、憎しみ切れずに混乱して。青春ですな〜(笑)。ちなみにこれだけじゃ物足りんわい、と言う方にはオマケも書いてみました。ユーリルは詩人の言葉をずっと覚えて心の支えにしてきたけれど、果たして詩人はどうだったのか。あの時会った子供をその後思い出したことはなかったのか、と言うわけで、ちょっとしたその後です。随分頑張ったのでご感想頂けたら嬉しいです(笑)。 |