…おまけ…



 雑然と物の詰め込まれた荷物袋の中に、古ぼけた一枚の地図があった。きちんと折り畳まれてはあるが、端は擦り切れているし、ところどころに汚れがついていたりで、随分と使い込んでいた様子ではある。
 ミントスのヒルタン老とやらからもらった宝の地図が、そこらで売っている通常の世界地図よりも精巧で正確なのでそちらを常に用いているようだから、だとすればこの地図はヒルタン老とやらから宝の地図をもらうよりも前に使っていたものだろう。
 ピサロがそれに興味を抱いたのは、古ぼけているからとか、見慣れぬからとかではなく、なぜ新しく精巧な地図を手に入れたのなら、古いものを破棄しなかったのかと言うことだ。古く不要なものは売るか捨てるかして、物の判別がつきやすいようにと工夫しているし、馬車に詰める荷にも限りがある。確かに地図などというものは嵩張らないので邪魔にはならないかもしれないが、それでも不要は不要だ。
 おもむろに手を伸ばし、止めてあった皮紐を解き広げれば、それはどこにでもあるような世界地図だった。大雑把な地図で、町の所在と地名とが書かれているだけの簡素なものだ。山の起伏も記していなければ、通行不能な岩山を記してあるわけでもない。
 ただ捨てるのを忘れていただけか、と畳みなおそうとした時、ピサロはふとその手を止めた。
 地図の上の方に赤い印がつけてあった。イムルだ。
 イムルなぞに何か重要な用件でもあったのかとも思ったが、宝の地図にこうした書き込みはなかった。眉を寄せるピサロは他にも印のついている地名を見つけた。
 サントハイム、エンドール、ブランカ、アネイル、そしてキングレオ。
 赤い印のある地名を指で辿っていたピサロは、ブランかのあたりでふと笑みを浮かべた。明らかに字を書くことに慣れていない者の字で、「村へは北へ、二日か三日」と書いてあったのだ。
 蘇るのは、今や勇者と呼ぶにふさわしい青年となった彼が、まだ頼りない若木のような少年であったときのことだ。
 山奥の村の中が彼の世界のすべてであった。
 外は彼にとって未知の世界に他ならず、旅の詩人の言葉に目を輝かせていた。
 山を下れば、ブランカ。エンドールへはトンネルで繋がっている。
 詩人の告げた言葉に胸を高鳴らせていたユーリルの鼓動は、人よりも優れた耳をもつピサロには、胸に耳を押し当てたかのごとく聞こえていた。
 サントハイム、イムル、アネイル、キングレオ。リバーサイドは遠目に見たことがあります。
 少年は詩人の言葉を地図へ記して行ったのだろう。
 あの災厄を生き延びた少年は、詩人の言葉を信じ山を下り、南へ下ったのだろう。生まれて初めて海を見た少年は、村の数倍もの人が集うブランカの町並みを見た少年は、いったいどんな驚きに目を見張ったのだろうか。
 ピサロは指先で、ブランカを辿った。
 ざらざらとした埃が指につき、もうこの地図は長い間光を見ていなかったことが分かる。ユーリル自身、この地図の存在を忘れ去っていたのかもしれない。
 ピサロは荷物袋の中に携帯用の筆記具があるのを思い出した。手を伸ばしそれを取り、唯一地図に名が印字されていなかったリバーサイドを指先で辿った。この地図を作った者は、おそらくこのような辺境の地に住む人がいるとは思わなかったのだろう。
 川の側に、ピサロはペンを走らせた。
 リバーサイド。
 地図に新たに書き込まれた文字に、おそらくユーリルは気付かないだろう。ピサロは筆記具を片付け、ほんの悪戯をし終えた些細な高揚感を抱きながら地図を折り畳み、元通り荷物袋の中へしまい込んだ。
「ピサロ、祈りの指輪あった?」
 ひょいと幌の中を覗き込むユーリルの声に、ピサロは振り返り、ああ、と頷く。荷物の中から抜き出した指輪を指で弾くと、あっ、とユーリルが慌てた。
「ちょっとそれ壊れやすいんだから気をつけてよ!」
「どこぞの誰かではないのだから、壊しはしない」
 馬車から下り、これから挑む洞窟の側で待っている仲間達の下へ歩む。一歩遅れて後を追いかけてくるユーリルがピサロの言葉に眉を寄せていた。
「それって俺のこと?」
「…他に誰かいるのか?」
 むかつくっ、と足を蹴飛ばしてくるユーリルを避け、ピサロはその緑色の柔らかな髪をぐしゃぐしゃと掻き乱してやる。手から逃れようとするユーリルを見下ろし、ピサロは浮かんだ笑みを隠さなかった。