神様が創った特別な人 <キングレオ> |
まるで駆け抜けるように東の大陸を縦断した。 アネイルからコナンベリーへ行き、新しい仲間トルネコと出会った。彼の持っていた船を使い、海を渡る。初めて海の上に立つことになったユーリルは、船出をしたその番は興奮して眠れず、マーニャに一頻りからかわれることになってしまった。山奥の村の中では想像することしかできなかった海の上に実際に船を出し、それだけではない。ユーリルは航海をしているのだ。舵を取って船を操り、帆を張って風を受け、進む方向への調節をする。 エンドールとブランカでその名をしきりに耳をしたトルネコは、大商人だと言うからてっきり偉ぶった人だと思っていたのに、気さくで楽しく明るい人だった。それなりの知識があるジプシーの姉妹はともかくとして、船には乗るのも初めてと言うユーリルに、手取り足取り詳しく船の操り方を教えてくれた。航海には欠かせぬ星で方角を知る術や、裂けた帆布の繕い方。舫結びと言われる船乗りがやる決して解けないロープの結び方、海図の見方も彼は知っていた。 ユーリルの処女航海は学ぶうちに終わってしまった。 ミントスでサントハイムの王女付き教育係のブライ、そして同国神官のクリフトと出会い、難病に倒れたクリフトを癒すための薬を調達しに行った王女アリーナとも無事に落ち合うことができた。 サントハイムの三人を仲間にし、ユーリル達は南西の大陸を目指すことになった。ミネアが水晶玉で、最後のひとつの小さな光が南西の大陸の城の中にあるのを見たと言うのだ。 「キングレオね…」 マーニャはそれを聞くなり物憂げな溜息を吐いた。 「どの道決着はつけなきゃいけないって思ってたんだ」 「あの時は適わなかった相手だけれど、今なら勝てるわ。姉さん、私達にはユーリル達がいるんだもの」 ミネアの手が労わりを込めてマーニャの剥き出しの腕に触れると、マーニャはその手を軽く二度叩いた。 「そりゃそうだ。行こう、キングレオに。ミネアの占いに間違いはない。きっとそのライアンって人はキングレオ城にいるはずだ」 敵討ちに紫水晶の瞳をぎらぎらと輝かせる姉妹に押されるように、船は飛ぶような速さで南西の大陸を目指した。ハバリアの港町には諸事情あって船は着けられないと二人が言うので、モンバーバラに船を寄せた。マーニャとミネアはモンバーバラの住民に熱狂的に向かえ入れられた。一行が不在の間はしっかりと船を管理をしてくれるとマーニャの顔馴染みの一人が受けあい、ユーリル達はキングレオ城へと急いだ。 地図上でしか辿ることのなかった、モンバーバラ、コーミズ、キングレオをユーリルは己の目で見、仲間達がまだ見ぬライアンを案じ、そしては姉妹の敵討ちに胸を滾らせているのとは別に、ひっそりと詩人を思っていた。 あの人もここを歩いたんだろうか。 そう思うだけで、何かどきどきと胸が高鳴るようだったのだ。 詩人から教えられた町に印をつけた地図は、今は船の中の荷の底にある。ミントスで精巧な地図を手に入れたので、それまでに使っていたものは不要になってしまったのだ。いらないものはいつも売るなり棄てるなりにし、荷を軽くしてきたユーリルだったが、その地図だけは棄てる気になれなかった。大事に折り畳んだ地図を、荷の底に紛れ込ませるユーリルをマーニャは呆れた顔で眺めていたが、棄てなさいよ、とは言わなかった。 森に隠されるように、そして森を従えるように、その城は聳え立っていた。 エンドールやブランカとは違い、何か禍々しさすら帯びた城に、自然と背筋が戦慄く。 「……ますますあくどい感じになってるわね」 マーニャが思い切り顔を顰め、鼻の頭に皺を寄せている。その側でミネアも嫌悪感を隠さない。 「王様がいらっしゃった頃は、こんな風じゃなかったのに」 「…王様?」 ユーリルが首を傾げると、二人はそっと顔を見合わせた。 「今の王様の、前の王様なの。私達がここから逃げ出す時に、亡くなられてしまったけれど、とても素晴らしい王様だったわ」 「あたし達、何度も会った事があるんだ。城の中で遊んだことだってある。その頃はとても明るい城で、こんな胸糞悪い空気なんざ渦巻いちゃいなかった。あの頃の城を、どうせだったらあんた達に見せたかったわ」 残念そうなマーニャにトルネコが大商人の目利きを働かせて城の柱を見上げて頷いている。 「うん、立派な城だ。細部まで細工がされていて……こりゃ、明るい雰囲気だったら世界一の城に違いない。おっと、サントハイムの方々には怒られてしまうかな」 「なんの」 ブライがかかと笑う。山奥の村でユーリルに魔法を教えてくれた老師とどこか似た雰囲気を持つ老人は、杖をつきながら弱々しい好々爺のような顔をしているが、ひとたび戦闘ともなれば素早く呪文を切って敵を屠り、身を支えているはずの杖を武器にして殴り飛ばす。実は杖など必要ないんじゃが、年寄りの魔法使いと言えば杖じゃろうて、とこっそりその杖の秘密を打ち明けてくれた時には、ユーリルは呆気に取られてしまった。 「我がサントハイム城もここには負けじと荘厳華麗な城ですぞ。まぁ、多少、ガタは来ておるかもしれんが……」 「姫様が壁に、そりゃあ見事な穴を開けてしまいましたもんねぇ。あの穴、サランの誰かが補修しておいてくれたらいいんですけど…」 しんみりと呟くクリフトに、あっそれ言わない約束じゃんっ、とアリーナがひどく慌てふためいている。それへ何かの言い訳をし、また何か詰め寄られているクリフトとアリーナとの声を聞きながら、ユーリルは聳え立つ城を見上げていた。 大きな城で、城下町のような場所はない。おそらく王族が住まう城として、大陸を収める場としてのみ機能し、エンドールのように城下町を抱く場ではないのだろう。ハバリアがすぐ側にあるし、大陸を下ればコーミズ村もある。生活の場ではなく政治の場としての城は、余所余所しく他人行儀でひどく素っ気ない。邪悪な気配が渦巻いているからか、とてもここであの詩人が竪琴を爪弾いたり歌を披露したりしたとは思えなかった。 静まり返った城内を見渡してそんな物思いに耽っているのを気付いたのか、ミネアがそっと近付いてきてユーリルと肩を並べる。中庭の噴水に腐った水草を見つけ、彼女は悲しそうに目を伏せた。 「……とても綺麗な場所だったのよ」 「……だろうね」 「前の王様の治める時代なら、この城にこそ詩人は相応しかったでしょうね。朗らかな人達で、笑い声の絶えない場所だったわ。あなたの村を訪れた詩人も、ここにはその時代にきてくれていたのならいいのだけれど」 いつだってミネアはユーリルの心を見透かしているようだった。ひっそりと微笑む様は、物静かで凪のない海のようだ。虚勢を張ることも、言葉で心を繕うことも必要ないのだと言いたげな様子に、ユーリルは小さく、うん、と頷いた。 「…そうだね」 ミネアは言うか言うまいか悩み、躊躇うような素振りを見せた。止まってしまっている噴水の池に浮いている腐った水草を見て、溜息を吐き、一度は閉じた口を開く。 「……おそらく、あなたはまた、その詩人を目にするでしょう」 「………本当に?」 ミネアの言う言葉がにわかには信じられず、ユーリルは目を丸くした。睫を何度も瞬かせていると、ミネアは思い詰めたような顔を頷かせた。 「けれど、それは望むべく再会ではないかもしれない。あなたが、傷付くことにならなければいいのだけれど」 「…え、それってどう言う」 「ちょっとォ!」 ユーリルが騒ぎ始めた胸を押さえて尋ねようとした時、明るい声が二人の背に投げつけられた。びくっと肩を竦め振り返ると、くびれた腰に両腕を当て、眉を吊り上げるマーニャが睨みつけていた。 「これから敵討ちだってのに、あんた達、なにのんびりやってんのよ! 行くわよッ? 言ってたでしょ、さっきのホイミンとかってイケメン詩人が! ライアンが食っちまわれる前に助けるのよ!」 「あ、うん。今行く!」 ユーリルは慌てて踵を返し、噴水に背を向けた。その場でしばらく立ち止まっていたミネアは、もう一度、かつてはきらめく水飛沫を上げていた噴水を振り返り、素早く祈りの仕草をする。 それはこれからの仇討ちに向けての祈りだったのか、それとも望まない再会を果たすかもしれないユーリルに向けての祈りだったのか、ミネア本人ですらも解らなかった。 |
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