神様が創った特別な人 <山奥の村> |
煙の匂いと血の匂いが交じり合った悪臭にユーリルは顔を顰めた。 壊れた食料庫の扉の隙間からどうなり外に這い出れば、そこには見たこともない風景が広がっていた。 家があった場所は瓦礫と化し、美しい花々が咲き乱れていた場所には血しぶきがあった。わな、と震えた手がざらりと掴んだ土にすら、誰のものとも解らぬ血が染み込んでいる。 穏やかだった村にあるのは、真っ二つに裂かれた身体、転がる首、誰かの足、誰かの手、誰かの血。 村の隅の小さな池は地の色に染まり、腕が浮いて見えた。 「母さんッ!」 身体が汚れるのも構わず、ユーリルは池に飛び込んだ。血の水を掻き分け、口に入る匂いに胃がひっくり返るような気持ちになった。吐き出しそうな気持ち悪さを堪え、ユーリルは浮かぶ腕を掴み、引き上げようとした。 手の甲に、火傷のあとがあった。斜めから見るとハート型に見える火傷はユーリルの母の手だった。血に淀み底の見えない池から引きずり出そうと、思い切り力を込めて引っ張ったユーリルは、返ったあっけないほどの軽さに、水しぶきを上げて池の中にひっくり返る。水面にもがき顔を出したユーリルは、己の手が掴んでいる母の手は、二の腕から上が消えていることにようやく気付いた。 千切れた腕だけが、池に浮いていたのだ。暖かく優しく柔らかく、時には力強かったそれは、強張り力なく垂れている。冷たく、ユーリルの触れる指に応える事はない。 父は、剣の師は、魔術を教える老師は、そして、シンシアは。 ユーリルは血の池から這い出した。母を抱えたまま、村の中を彷徨い歩いた。 宿の主人は腸を引き出され絶命していた。 剣の師は頭から爪先までを真っ二つに切り裂かれていた。 老師は目を凝らしてようやくそれが人と知れるほどに焦がされていた。側に焼け焦げた杖がなければ、老師とは知れなかっただろう。 父はどれだけ探そうとも片足しか見つからなかった。それ以外は魔物に食われたのか、それとも魔法で消されてしまったのかは解らないが、家のすぐ側にぽつんと片足だけが置き去りにされたようにあった。 そしてシンシアは、彼女のお気に入りの場所に横たわっていた。 いや、それはシンシアではなかった。 そこに横たわっていたのは、ユーリルだった。 カッと見開いた目で空を睨み、裂かれた喉から血が溢れた跡があった。薄い胸にはぽっかりと穴が空き、空洞の奥には地が見えた。 「…シンシア……?」 どっとその場に膝をついて震える手を差し伸べても、いつものように彼女は答えない。騙されたユーリルを見て、また騙されたわね、と声高らかに笑い出したりもしない。 シンシアは、死んでしまった。 自分の、あんなに愛らしかった姿ではなく、ユーリルの姿で死んでしまった。 予めこうなることを予想していたかのように、いや、していたのだろう。何かがユーリルを狙うと解っていて、自らが身代わりとなりその何かを欺くために、変化の呪文を覚えたのだ。 ユーリルをからかうためではなく、守るために。 ぽつ、と落ちる涙にも気付かず、ユーリルは手を伸ばした。見開いた眼差しを閉ざそうとして、ふと緑の髪の間から覗く耳朶に気付く。尖った耳の先が緑の髪の間から飛び出していたのだ。 ユーリルは思わず顔を歪めた。 「…シンシア……耳が…まだ、君のままだよ……」 伸び上がり、息絶えたユーリルがシンシアであった唯一の証である耳に、ユーリルはくちづけた。冷たく血の味しかしないくちづけに涙が止まらず、ユーリルはそのまま突っ伏して泣いた。わぁわぁと声を上げて、声が枯れ、涙が尽きるまで泣いた。 村で燻っていた最後の火が消える頃、ユーリルはふらりと立ち上がった。埋葬をしなければ、と思ったのだ。やり方は解らないけれど、命を失った人たちがこのままではいけないような気がする。鳥が死んだ時、シンシアはその亡骸を埋めてやっていた。新しい命が芽吹くようにと祈りを捧げていた。 村の人たちであった亡骸を、ひとつひとつ穴を掘り埋め、そうして最後に父と母とをひとつの、墓とも呼べぬ粗末な穴に収めた時、ユーリルはふと一人の姿が足りない事に気付いた。 旅の詩人だ。 彼の姿が、どこにもない。 ユーリルは変わり果てた村の中を彷徨い、詩人を探した。だがどこにも、彼の纏っていた服の切れ端すらも見つからなかった。無事に逃げおおせたのだろうか。それとも、魔物たちが攻め来る前に発ったのだろうか。そうだったらいい。 ユーリルはぼんやりと、宿があった場所を見つめて思った。 銀色の美しい髪をして、ユーリルに外の世界のことを教えてくれた。赤い瞳を少し細めて、微笑みを浮べていた。告げられる言葉は歌のように軽やかで甘く、密やかだった。まるでこの世のものとは思えないほど、美しい人だった。ひょっとしたら魔物も、殺すのを躊躇ったのかもしれない。そうだったら、どんなにかいいだろう。 詩人の言葉をユーリルは思い出した。 山を下り、南に下れば、ブランカ。エンドールとはトンネルで繋がっている。 外には知らぬ世界が、まだたくさんある。詩人は人の住まう場所の名を教えてくれた。 たくさんの初めて知った町の名前。 サントハイム、リバーサイド、イムル、アネイル、キングレオ。 詩人が教えてくれたその町の、どこかに彼はいるだろうか。 デスピサロと呼ばれていた、名しか知らぬこの惨劇の主は。 |
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