銀糸の檻  <自覚>


 目を覚ました時、ユーリルは自分が素っ裸で誰かのベッドで毛布に包まっている事に驚き、思わず大声で叫びそうになってしまった。慌てて自分の口を自分の手で押さえ、今どこにいるのかを理解しようと辺りを見渡す。
 ベッドから少し離れた場所にある椅子の背にかけられたユーリル自身の服は唯一の例外として、天蓋のついたベッドに、ベッド脇に置かれたテーブルの上の香炉、乳香の瓶、チェスト、巨大な箪笥、机、どれもこれもが立派で贅沢な調度品ばかりだった。
 石床と巨大な窓を覆うカーテンに見覚えがあり、そこでようやくユーリルはここがデスパレスである事を思い出した。次いで浮かぶのは、昨夜のピサロの強行だ。だが、最中のことはあまり記憶には残っていない。奇妙な香木を焚かれ、意識も曖昧になっているのかもしれなかった。
 身体のそこかしこに走る鈍痛に、ユーリルは呻き、起こしかけた身をベッドへ戻した。そして、思う。
 ピサロに組み敷かれ、あの檻のような銀糸に取り囲まれていた間、ユーリルは色々と思いをめぐらせていた。
 ピサロがなぜ自分を抱くのか解らず、混乱の極みにはあったが、彼がロザリーを抱くつもりはない事だけはやけにはっきりと理解できていた。特別な存在ではあるが、抱くつもりはないのだと言うようなことを言っていた。
 恋人であり、友のようなもの。
 ピサロの言葉が蘇る。
 ユーリルはまたもやじんわりと浮かんできた涙を誤魔化すために、閉じた瞼の上に腕を乗せた。
 つまりそれは、身体を繋げなくとも心は繋がっているという、他にはない特別な関係なのではないだろうか。
 ユーリルはピサロにとって、ロザリーのような存在になりたかったが、かと言って、一方的ではあっても実際に身体を繋げた今となっては、もう望んでも手に入らないものだった。だがピサロに抱かれ、確かに最初はひどく心許なかったし、悲しかったし、奇妙な香までも使われ憤りを感じたが、嫌ではなかった。あの抱き合う一時だけは誰よりも側に、ロザリーよりもピサロの側にいると実感でき、嬉しくもあった。
 だが、どうだろう。
 性交を終え、それでもまだロザリーよりも側にいるのだろうか。
 多分、違う。
 ピサロの中にはロザリーが根付いていて、たとえユーリルが抱かれようとも、彼女がいる位置はほんの少しも揺るがない。
 ユーリルはぎゅっと閉じた瞼に力を込めた。
 ロザリーのようになりたい。ロザリーのように愛されたい。ロザリーよりも特別でいたい。
 そんな事を思う自分は、なんて浅はかで愚かなんだろうと唇を噛み締めた。
 ロザリーがどれほど辛い目に遭っていて、そしてピサロがどれほどロザリーを支え、また支えられてきたのか知らないわけでもないのに、彼女よりも特別になろうとする自分の馬鹿さ加減に苛立ちを感じもした。
 顔を覆って零れそうな涙を堪えていると、閉じられていた寝室のドアの開閉の音が聞こえた。驚いて身を起こすも、さすがに身体は言う事を聞かない。痛みに呻いてベッドに逆戻りとなったユーリルを、部屋に入ってきたピサロが呆れたような顔で眺めている。
「目を覚ましたか」
 いつもと変わらぬ清水のようなひそやかな声に、ユーリルは慌てて目元を拭った。ピサロはベッドに近付いては来ず、ぴっちりと閉じられていたカーテンを己の手で開いている。てっきりそう言う雑事は下っ端の魔物にでもやらせているのだろうと思っていたユーリルは、遮るものがなくなり勢いよく入ってきた陽の光に呻き声を上げた。
「……眩しい…」
「もう昼の刻限だ。腹が減っているのではないのか」
 笑いすら含んだ声で言われ、ユーリルはもそもそと身を起こした。うん、と頷くと椅子の背にかけてある服を取り、ピサロが近付いてくる。ベッドの縁に腰を下ろしたピサロが差し出した服を受け取り、ユーリルが鈍痛の走る身体をどうなり動かして服を着込むと、見かねたのか手が伸ばされた。シャツを被され、そのせいで乱れた髪を手櫛で梳かされる。まるで獣の毛繕いのようだ、と思っていると、下は自分で履け、と告げられた。毛布の下でどうにかズボンを履き終えたユーリルは、ベッドに腰を下ろしてその所作を眺めていたピサロに尋ねた。
「なんで、俺なんか、抱いたんだよ」
 不貞腐れたようなその表情を見下ろしているピサロは、半ば呆れているようにも見えた。ユーリルがベッドの上で膝を抱えると、その膝頭にピサロの片手が乗る。じっと間近から紅玉の瞳に見据えられ、ユーリルはどぎまぎと胸をざわめかせた。
「…まさかとは思うが…」
 ピサロの訝しむような、それでいてやはりそうではないかと確信しているような声に、ユーリルも眉を寄せる。
「……貴様、まだ考えが至っていないなどと言うつもりではなかろうな」
「考えが至るって……何に…」
「私が貴様を抱いた理由だ」
「そ、んなの…解るわけないじゃないか! だってピサロは何も言わないから…! は、繁殖期だったら、ロザリーさんの所に行けばいいのに、ロザリーさんは、抱、かないとか、言うし…!」
「ああ、抱くつもりはない。あれとはそう言った意味合いではない」
「………だから、俺は…手近にいたからとか……」
 膝に置かれたピサロの手を見つめながら、ユーリルは呟いた。人よりも冷たいぬくもりではあるが、ピサロの体温は心地良い。布越しに伝わるぬくもりに何か泣きたいような心地だった。
「……それか、き、嫌われてるのかとか……」
 ああそうだ、などと答えられたら絶対に泣く、とユーリルは唇を噛み締めた。膝に顔を埋めたくとも、ピサロの手があるのでそうできない。早くも溢れそうになる涙をぐっと堪えていると、ピサロが深々と大きな溜息を吐くのが聞こえた。
「なぜ、それの反対であるとは考え着かぬのだ…」
「……反対…って…」
「貴様は、私が貴様を好いているとは考えんのか」
 眉を寄せ、頭痛がするとでも言うような渋面のピサロの言葉に、ユーリルは瞬きをした。ぱちくりと目を丸くし、見下ろす紅玉を見返す。
「………誰が?」
 ぽかんと阿呆の子供のようなユーリルの言葉に、ピサロが唸るように告げた。
「私がだ」
「………誰を?」
「……貴様だ」
「好き?」
「………そうだ」
「嘘だぁ」
 ユーリルが目を丸くしてそう言うと、ピサロはこめかみを引きつらせた。
「嘘や酔狂では言わん」
「だって、だったら、ロザリーさんは? ロザリーさんは、ピサロの恋人だろ? なのに、俺が好きとか言っちゃっていいの? いいわけないよな? だってピサロの一番は、ロザリーさんだから。俺なんかじゃないから」
「なぜ比べる?」
 ピサロはユーリルの膝に置いたのとは別の手で、そっとユーリルの頬に触れた。目が赤くなっているのを気付かれやしないだろうか、とユーリルが顔を背けようとするが、ピサロはそれを許さない。顎に手をかけ、ユーリルが視線から逃れぬようにと掴まえた。
「なぜ貴様は、ロザリーと貴様とで順列を付けたがるのだ」
「だっ…だって!」
 真っ直ぐに見据える眼差しから逃れられず、ユーリルはかぁと頬が熱くなった。その熱は脳までもを侵食し、物事がよく考えられなくなる。後先を考えずに思っていることをぽんぽんと言ってしまう口を閉ざしたいと思ったが、適わなかった。
「だって、ピサロの一番は、いつだって、ロザリーさんじゃないか! お、俺だって、一番になりたい。ロザリーさんじゃなくて、俺が、一番だって! 特別だって! そう言ってもらえるロザリーさんみたいになりたい!」
 心のうちを叫ぶユーリルは、ぼろぼろと零れる涙を服の袖で拭った。
 黙ってそれを聞いていたピサロは触れていたユーリルの頬から手を離す。じっと見つめる眼差しが、ひどく冷たいとユーリルは思った。
「……では貴様は、人間に殺されたいのか? ルビーの涙のために、痛めつけられて殺されるのを望むと? 貴様のためならば私が人間を根絶やしにするのを喜ぶと?」
「ち、違…違う! そ、んなんじゃ…」
 低い声は怒っているようだった。ユーリルは慌ててかぶりを振るが、ピサロは尚も続ける。
「ロザリーになりたいと貴様が言ったのだろう。ロザリーになると言う事は、そう言う事だ。あれがどれほど人間に苛まれてきたのか貴様とて知らぬわけではあるまい。それでもなお、貴様はロザリーを羨むのか」
 両の手首を掴まれ、顔を無理矢理に上げさせられる。紅玉の瞳が燃え上がるように輝いていて、ユーリルは恐ろしくなった。ピサロが怒っている。他ならぬユーリルの言葉のひとつひとつに憤っているのだ。詫びようとも言葉が思い浮かばず、ユーリルはただただその瞳を見上げているだけしかできなかった。
 目を見開くユーリルを見据えていたピサロは、やがてひとつ溜息を吐いた。手首を掴み上げたまま、涙に濡れる瞳をひたと見据える。
「……羨むくらいならば、なぜ、私の言葉を信じぬ? なぜ私の言葉を否定する? 貴様を好いていると言う私の言葉は、信用に足らぬか? もっと声高に叫べば良いのか? それとも夜毎愛を囁けと?」
「い、今までそんな事、一度だって言わなかったくせに、なんで、今になって…!」
「今になったからだ」
 ピサロはユーリルの手首を開放すると、強く力をこめられていたせいで赤くなったそこをすいと撫でた。
「愛情すら自覚せぬ者に告げたところで、明確な答えなど帰っては来まい。貴様が自覚するまでは告げぬつもりではあったが…昨晩は、箍が外れた」
 すまなかったな、と柔らかな口調で言われ、ユーリルはぽかんと呆気に取られてしまった。目を丸くしているユーリルを見て、ピサロが顔を顰める。
「…なんだその顔は」
「え、だって……俺が自覚するまでって……あの、さ…まさかとは思うけど、ピサロ、俺がピサロをどう思ってるかとか、そんなの、知らないよな?」
 恐る恐る尋ねたにも関わらず、ピサロの答えはひどくあっさりと返っていた。
「貴様が私を憎からず思っていることくらい、勿論、知っているが?」
「…なんで!」
 愕然と叫んだユーリルの大声はそう狭くもない部屋の中に響き渡る。思わぬ大声に耳が痛んだのか、それともユーリルの言葉ゆえにか、ピサロは眉を寄せた。
「……なぜと言われても…気付かれていないとでも思っていたのか」
 思わず口を噤むユーリルは、とは言え己の気持ちに合点がいったのも、ピサロに抱かれている最中のことなのだ。それまでに感じていたロザリーに対する嫉妬や、ピサロにとっての特別でありたいという気持ちすべてが、ピサロを好きだという感情からくるものだと、ようやく気付いたばかりだ。己の気持ちにすら気付かずにいたユーリルよりも先に、ピサロの方がユーリルの気持ちには気付いていたことになる。
「……思ってた…」
 眉間にぐっと皺を寄せ、ユーリルは呻いた。
 それを聞くなり、ピサロはふっと微笑を浮べる。珍しい笑みにもユーリルの渋面は晴れない。仏頂面をするユーリルの赤くなっている手首にピサロは唇を寄せた。軽く触れるだけのくちづけで手首を開放し、ピサロは告げる。
「貴様とロザリーに順列をつけることなどはできん。貴様とロザリーとは、比べられようもなく、どちらも特別なのだから」
 ユーリルはぽかんと目を丸くして呆気に取られたようにピサロを見つめていたが、ピサロが軽いくちづけを、額と頬、そして唇に寄越すとユーリルはみるみるうちに顔を真っ赤にした。熟れたトマトよりも赤くなっているであろう頬にピサロの指が触れるのを、ユーリルは何か不思議な気持ちで感じていた。
 昼の光の中でも、ピサロの赤い瞳は紅玉のように輝いており、夜とはまた違った風合いに銀色の髪はきらめいている。触れるだけのくちづけをもらいながら、ようやくピサロが告げた言葉の意味のひとつひとつを理解する。
 じわじわと湧き上がる喜びと共にピサロの背を抱き、ユーリルは流れる銀糸の髪に囲まれ目を閉じた。


銀糸の檻 <了>

 ようやく終わりました…(汗)。某様宅絵チャ同時進行水面下製作小説(長!)です、お待たせしました。もう誰も待ってねーよ、と言う突っ込みはなしで…(汗)。初エロってことでチャレンジしたものの、やっぱり私はエロには向いてないと再確認しました。うわーん。エロを雰囲気たっぷりにかける人ってすごいと思う…。
 ピサロの口説き文句がいまいちつかめず…というか、口説いたりするのかピー様。イメージとしては座ってるだけで女が(男も)集まってくるような美青年なので、口説いたりどうとかってのはないんじゃないかな…と思いつつ、でもユーリル落とすには口説くしかないわけで…。ああ解らん。そもそもユーリルに恋愛感情があるのかってところが疑問だったわけですが…。何しろ育った場所が場所で、旅の道中もそんな事言ってる場合じゃなかっただろうしねぇ…あ、クリフトは騒いでたか(笑)。とにかくうちのユーリルは鈍感です。超特別天然記念物級の鈍感です。ワシントン条約指定動物くらいの勢いです。自分の感情にすら気付かない子なんですよ。ピサロの気持ちなんぞに気付くわけがない。ピー様はユーリルが自分をどう思っているか知っていたわけですが、ユーリルが恋愛感情を自覚するまではと耐えていたのです。が、繁殖期で箍が外れてがばっと押し倒したと…。そう、押し倒したんだよ…良くやったよピー様、あんたよくがんばったよ。うちのピー様は意気地なしなので、ユーリルががばっと足広げて待ってても躊躇するようなタイプなので、これでもかなりの快挙なんですよー。あ、でも筆卸じゃないですよ(S様へ私信/笑)。
 そんなこんなで礼によっておまけも書いてみましたが。あまりにもピー様が可哀相で一瞬本当にアップしようかどうか悩んだのですが…アップしてみた。ピサロナイトが書きたかっただけです。あーなんだか大変だったけど、これでピー様も本懐遂げられたわけで、ミネアに殺されようがロザリーに軽蔑されて衰弱死しようがピー様に未練はないと思います。よかったよかった。