おまけ



 ふわふわと漂いながら給仕をするホイミスライムに世話を焼かれながら、随分遅くなった昼食をとっていたピサロは、ふと顔を上げた。城主そっちのけでもりもりと食事をしているユーリルは、訝しむ様子で寄せられた眉に首を傾げる。
「どうかしたのか?」
「いや…」
 ピサロが言葉を濁らせた正にその時、城主たるピサロの私室のドアがノックひとつなしに勢い良く開かれた。
「こんちわー! ピサロ、いる〜?」
「ユーリルがお邪魔していると思うのですが…」
「ミネアさんの水晶玉にデスパレスが映ったもので…」
 厳しく無骨なデスパレス城には相応しくない華やかな姿がどっと入ってくる。簡素ではあるが品の良いワンピースを着たアリーナに続き、いつもの艶やかな踊り子姿のマーニャ、旅の間と変わらぬ装いのミネア、そして勿忘草色のドレスを着たロザリーが入ってくる。少しばかり遅れてガシャガシャと騒々しい音が続いてくるのは言わずと知れたピサロナイトだ。ロザリーが行く場所には必ず護衛として付き従っているのだが、最近はロザリーだけでなく彼女の新しいお友達のお付きもしているような感もある。ピサロナイトは部屋に入るなりわっとテーブルを取り囲んだ女達とは違い、部屋の入り口に膝をつき、畏まっている。が、誰も見てはいなかった。
「久しぶり、ユーリル! 山奥の村に行ったんだけど、誰もいなかったからさ。ミネアに居場所占ってもらったんだ!」
 片手に肉を、片手にパンを掴んでいるユーリルの側に駆け寄ったアリーナが早速そう言えば、マーニャも相変わらず完璧なプロポーションの身体を惜しげもなく披露した格好で胸を突き出して言う。
「どっか行く時には小屋ん中に書き置き残しておきなさいって言ってんでしょ!」
 ぴんっと額を綺麗に磨かれた爪で弾かれて、うあっ、とユーリルは仰け反った。そのせいでいくつかボタンを外していたシャツから首筋やら胸元が除く。
「だって誰もこないと思ってたからさ…」
「村から消えたあんたを探すのは大変なんだから!」
「でも、マーニャ、いつもミネアの占いで探してくるくせに……」
「あらっ、口答えする気っ?」
 またもやぴんっと額を弾かれたユーリルに、ああっ、と大声を上げたのはアリーナだ。折角女の子らしいワンピースを着ているというのに、勇ましく両腕を突き出して胸倉を引っ張り寄せる。
「何これっ!」
 がばっとばかりに広げられたシャツから覗くのは肌に散るいくつもの鬱血のあとだ。ユーリルは慌ててアリーナの手から逃れようとするが、両手に食べ物を持っているのでそううまくは行かない。おたおたとしていると、勘のいい姉妹がぴんと来たようだった。
「はは〜ん」
 ぴくりとマーニャが片眉を上げれば、その傍らでミネアが両目を眇めている。
「そう言うこと……」
 水晶玉を片手に抱えていたミネアは同じ部屋にいながらも一言も発していなかったピサロを振り返った。
「ようやく本懐を遂げられたと言うわけですね、ピサロさん。長い道のりでしたこと」
「あんた達、まだやってなかったの?」
「煩い」
「ええーっ! ユーリル、ピサロとやっちゃったわけッ?」
 アリーナの大声にユーリルは顔を真っ赤にしてしまった。有体に言ってしまえばそうなのだが、それにしてもやけにあからさますぎやしないだろうか。大体、アリーナは女の子で、尚且つ王女様なんだから、そう言う事って滅多に口にしない方がいいと思うけど…、とぶつぶつと小声で呟くと、そんな事どうだっていいじゃないかっ、と怒鳴られてしまった。
「ピサロがユーリルとやれるよりも、僕が結婚する方が早いって、絶対に思ってたのにー!」
「随分と屈辱的な比較だな」
 眉を寄せ、こめかみを引きつらせているピサロに、今度眉を寄せたのはアリーナの方だった。
「どう言う意味だよ、それ」
 鬼気迫る様子で睨み合っているピサロとアリーナの間に、バンッとテーブルに手を付きマーニャが割って入った。
「そんな事よりも!」
 マーニャが叩いた振動でテーブルから料理の載った皿が飛び上がる。ふよふよと漂っては給仕をしていたホイミスライムたちが、テーブルから落ちそうになるそれらを落とすまいと必死になっていた。
「ピサロ、あんた、ちゃんと責任取ってくれるんでしょうね?」
 じろりと睨まれ、ピサロは眉を寄せる。
「お前に取れと詰られる責任などはないが」
「誰があたしの責任を取れっつってんのよ! ユーリルを傷物にした責任は取ってくれるんでしょうねって言ってんのよ!」
「え、いや、マーニャ、傷物って……」
 ユーリルは慌てて口答えをするも、あんたは黙ってなさいッ、と怒鳴られてすごすごと引き下がる。その様子を眺めていたミネアが、すいと進み出た。破天荒な姉を止めてくれるのかとユーリルが期待して見守っていると、ミネアはピサロが座る椅子の側に立ち、秀麗な顔を顰めている魔族の王を真顔で見下ろした。
「よもや知らぬ存ぜぬで通すつもりではないでしょうね」
「ミ、ミネア、顔が怖いよ……」
 ユーリルの小声はもはや聞こえぬふりをされてしまっていた。アリーナがバンッとテーブルを片手で叩き、ミネアとは逆のピサロの側に立つ。
「どう落とし前付けてくれるつもりだって聞いてんだよ! ええっ?」
「アリーナ、それ、ブライが見たら泣くよ…」
 テーブルを叩くだけでは飽き足らず、どかっとそこに腰を下ろしてしまったサントハイムの姫君の姿は、確かにあの教育係が見れば卒倒するなり泣き崩れるなりはしそうだ。
 殺気だってピサロを取り囲む三人の女達と、いやに涼しい顔で取り囲まれているピサロをユーリルはおろおろと眺めていたが、ふっと冷笑を浮べたピサロに目を丸くした。
「よほど過保護な女どもだ。私とあれとがどうなろうとお前たちの知った所ではなかろうに…それとも、人の色恋に口を出さねばならぬほど暇なのか? ああ、確かにいまだ男もできぬ行き遅れの女どもには都合良い暇つぶしではあろうがな」
「な、ん、で、すってーッ?」
「マーニャは行き遅れかもしれないけど、僕はまだ大丈夫な年だぞっ!」
「あっ、何抜けがけしてんのよ! あんたもあと四年もたてば十分行き遅れよ!」
 びきっとこめかみを引きつらせたマーニャとアリーナとがぎゃあぎゃあ騒ぎ始めれば、真顔で見下ろしていたミネアがにこりと笑顔を浮べる。
「いくつになってもロザリーさん離れできない方に言われたくはありませんわね」
「なんだと?」
「あら、事実じゃありません?」
 完璧な笑顔であるのに、どこかブリザード吹き付けるほどの寒さを纏ったミネアが遠慮も会釈もなく口を開く。
「ロザリーさんがいなければ昼も夜も明けぬ癖に、他所に男を作るだなんて、まぁなんてご立派な精神力ですこと。それも己の私欲のために滅ぼした村の生き残りのユーリルに手を出すだなんて…よっぽど図太い神経なさっていらっしゃるんでしょうね。一度拝見してみたいものですわ。この…恥知らず」
 例えるならば雷が落ちたくらいの衝撃だったのではないだろうか。
 取っ組み合いの喧嘩寸前にまで発展しかけていたマーニャとアリーナは手に手を取り合ってミネアの完璧な仮面笑顔に恐れをなしているし、見下ろされている当のピサロはこめかみを引きつらせてはいたものの、反論する余地もないようだ。
 ミネアは笑顔のままでピサロを見下ろしていたが、やがてふいっと顔を背けると、呆気に取られているユーリルを振り返った。
「帰りましょう、ユーリル。こんな恥知らず相手にあなたがどうこうされる必要はありません。昨夜のことは犬にでも噛まれたと思って忘れてしまいなさい」
「そうだよ、ユーリル、帰ろう! ピサロなんて相手にしてたら根性ひねくれちゃうよ!」
「あーやだやだ、無駄な体力使っちゃったわー。どうせだからみんなでアネイル行かない? 温泉でお肌ぴちぴち!」
「いい考えね、姉さん」
「えっ、ちょっ…ちょっと待って…!」
 両脇からアリーナとミネアに腕をつかまれ、ユーリルは座っていた椅子から無理矢理に立ち上がらされ、半ば引き摺られるように部屋を出る。
「ピ、ピサロー?」
 どうしたらいいんだよ〜、と情けない声で助けを求めるユーリルを追いかけるべく、立ち上がったピサロは入り口に立っていたロザリーに気付くと、ぎくりとその動きを止めた。
 ロザリーはにこにこと微笑んでいた。
 振りまかれる邪気のない笑顔は何の含みもなく、楚々とした印象を抱く。
 ミネアとアリーナに掴まっていたユーリルは、そのロザリーが清純な笑顔を消し、真顔になるのを見た。
「ピサロ様の、恥知らず」
 きっぱりと告げられた言葉は、例えるなら隕石が墜落したくらいの衝撃だったに違いない。ピサロはその場に立ち尽くしたままぴくりとも動かなかったし、ロザリーの足元で畏まっていたピサロナイトは小刻みに震えていた。
 ユーリルはぱくぱくと口を開けたり開いたりしながらロザリーを眺めていたが、くるりと振り返ったロザリーがにこにこといつもの笑顔を浮べているのを見て、背筋が凍る思いだった。
「さ、参りましょうか、ユーリルさん」
「え、いや、参るって…ど、どこに…?」
「あらいやだ。アネイルですもの、温泉ですわ。どこぞの恥知らずに穢された身体を綺麗さっぱり洗い流しましょうね」
 ロザリーに背中を押され、アリーナとミネアに腕を取られ、ユーリルは逃れる術なくデスパレスを後にした。お待ち下さい〜、とガシャガシャ後を追いかけてくるピサロナイトがしくしく痛む胃を押さえていることなど露知らず、おそらく世界で誰よりも強いだろう女達は意気揚々とアネイルへルーラを詠唱し始める。
 デスパレスに残されたピサロは、ふよふよ漂う給仕役のホイミスライムに口々にホイミを唱えられながらも、その場から動けずにいた。