観菩提[正月堂]
   観菩提寺は正月(旧暦)に修正会を行ったため 正月堂と称し天平勝宝三年(西暦751年 )奈良東大寺の実忠和尚により
開創された由緒ある古刹です。


   奈良東大寺二月堂のお水取り(修二会・しゅにえ)に先駆けて行われる事で知られ、ここ正月堂の修正会が発祥の地
   とも言われています。
 
   秘仏の本尊、十一面観世音像は三十三年目に一度しかご開帳されない密教的な雰囲気があり本堂(正月堂)、楼門
   と共に国の指定重要文化財となっています。

   楼門は一重二階、桧皮葺き総円柱、四隅に木鼻をつけ二階には欄干を施し優美重厚な室町初期のものとされている。
   楼門には、多聞天立像、広目天立像(平安時代)、金剛力士像(室町時代)が安置されています。
修正会(しゅしょうえ)
   昭和29年に県無形文化財に指定された修正会は、大きな餅を神前に供える大餅会式(だいひょうえしき)と言う庶民
   的な行事と 達陀(だったん)を始めとする厳粛な儀式が解け合ったユニークなもので2月頃から始まり、2月11日
   12日にハイライトを迎える。

   大餅会式は5組の講社と呼ばれる当番・頭屋の家を中心に,餅つきの道具調べ、餅米をきよめる水を受け取る「お水
   取り」、餅つきを経て11日午後行列をしたてて正月堂に餅を奉納する行事が行われる これらはその年の五穀の豊穣
   と厄除けを祈るためのものと伝えられている。
                                                       (観菩提寺島ヶ原資料より)
参拝紀行
   三重県島ヶ原、のどかな田園風景を見下ろす高台に「正月堂」はありました、少々小ぶりながら 正面から見た楼門
   には威厳があり1255年の古刹の風格が感じられました。 

   重文の楼門の前に立つと、ご本尊を守る金剛力士像が睨んでいる、楼門をくぐると正面に本堂 「正月堂」右手には
   「亀の上に立つ手水鉢」正月と亀、何れもお目出度く珍しいと感歎しました。

   参拝後お寺のご住職に、お寺の「歴史や、しきたり、慣わし,いわれ、裏話」等興味あるお話を特別にして頂きました。

   (その1)秘仏本尊十一面観音さまは「本当に頭を下げるよりほかない、みたいな凄みがあって異様な密教的な雰囲
        気があり、観音様のやさしさではなく、怖ろしい山の仏と言った感じがするが、勇気、知性、慈愛と力強さを重
        ね持つ仏さまです。」 33年毎のご開帳で次は7年後の2014年との事です。

   (その2)ご本尊は「村の開拓祖神であり守護仏」でもある、ここは神仏分離の掟を破りいまだに神仏混合の社寺を守
        り通している、これは地元村民の深い信仰心のおかげとおもう。

   (その3)正月堂では毎年旧の正月に開拓恩恵への感謝と豊穣、家門の繁栄を願う行事「修正会」が行われる、お供
        えは開拓田畑の農作物で作られたものばかりとの事です。   

        特に講と呼ばれる当番頭屋の大鏡餅は 20キロの5段重ね 上段には獅子頭の飾りを乗せ数人で担ぎ
        奉納する。

        当日は大餅をかつぎ行列をつくって練りあるき御堂の中では「ダンダン」と足で大きな音をならす勇壮な荒
        っぽい行事となる。堂内の壁には餅の当った生々しい傷が残されていた

        5組の頭屋は輪番制だが、その年に不幸があれば次に廻される、何れにしても頭屋には大変な責任と出費が
        課せられる。

   (その4)「だったんの」行法は真言密教の儀式で女人禁制のため堂内に入れない。仏前では護摩師が火をたきお経
        を上げている途中で僧が、ほら貝や太鼓、銅鑼を鳴らし 厨司の裏まで乱打して本堂が割れるような大きな
        音を出して「だったん」の行法を行う。

   有難うございました!合掌  このように古いしきたりで伝統を守り、引き継がれています、この事によってお寺と地域
   の民、村人同士の絆が強くなりお互いの助け合いの精神も生まれて来ると思います、今都会では消え失せた、日本
   古来のよき地域社会、鎮守の森を彷彿させられました。

観菩提寺[正月堂]

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正月堂 楼門前 重文 正月堂 正月堂 石碑
亀が背負っています 鐘楼 鎮守の大木 
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三重県島ヶ原に[正月堂]と言う、「おめでたい」名称の寺院がある事を知り、調べて見ると何と
天平からの古刹であり、奈良東大寺二月堂の「お水取り」に先駆けた神事が有り、また33年
に一度、ご開帳の秘仏がある事が解りました、詳細を知りたくて早速参拝をしました。

天平の古刹