神官ともあろう御方がなんと酷い事を!と思いきや「角切」は人にとっても鹿にとってもケガが無いように良い事だとか しかも血管や神経もなく痛くも無い また同じように再生する様です。
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古都奈良の勇壮な伝統行事
鹿の角きり見学記 東大寺参拝の途中、偶然「鹿の角きり」行事の公開日(年に4回)に当たり見学をしました。雄鹿の象徴である「角」 を人の勝手で切ることは残酷であり可愛そうな気もした、雌鹿にどう説明するんだろう? しかし発情期で気に荒立った角鹿が町民に危害を与えるようになったのでは角切りも止む無し「鹿と共生する為の 古人の知恵」と理解をする。 角はオスだけのもので袋角と言われる物があり、その表皮の下は血管が網の目のように通っている、やがて根元 から、カルシウムなどが沈殿し始め、血流が止まると全体が骨化して 硬い角になる。 そして翌年早春のころ、角は根元から落ち次の袋角が成長する、この様に「角は毎年生え変る、だから 角を切っても「人間の爪」と同じで、痛くないそうです。 鹿は神の使いなので神事として「神官」が角を切り神前に供えているが出口では切った角を売っていたのには 驚きました 神さま、も商売するのかな? 投げ縄で捕獲、押さえ込み、角切り、鹿は豚みたいにギャーギャー啼きませんが迫力満点!でした。 |
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鹿の角きり
角きりの歴史 平安時代、京都から奈良を詣でた貴族は、鹿に出会うと牛車を降りて拝礼した、それは鹿島(茨城県)から神が鹿に乗 って春日へ来たと言う神鹿信仰が原点と言われている。 奈良の鹿を吉祥とみる考え方は千年前に始まり宗教勢力が奈良を支配した中世、鹿殺しは死罪とされた。 しかし近世以降は人との摩擦も生じた、発情期で気の荒立った角鹿が町民に危害を与えたり互いに突き合って死傷する 事が多かったため、1671年(寛文11年)に当時鹿の管理者であった 興福寺が奈良奉行の立会いのもとで角切りが 始められたと伝えられています。 当初は町の所々に柵を設け、その中に鹿を追い込んで角切りを行っていました。町民は家の格子越しに角切りを鑑賞 していましたが、昭和初期に角切り場を設け、年中行事として行はれるようになりました。 奈良格子、鹿格子と呼ばれる由縁は、ここから始まったようです。 (財団奈良の鹿愛護会資料より) (朝日新聞記事より) |
角きり行事 はちまきに黒法被の勢子たちが雄鹿を3〜4頭を場内に追い込み「十字」(割竹を十字に組んで縄を巻きつけた捕獲具) を使って荒々しく走り回る鹿の角に縄をかけ,たぐり寄せ鹿を捕り押さえ 烏帽子直垂姿の神官が、鹿の気を静めるため 水を含ませ「のこぎり」で角を切り神前に供えます |