箱の中の星


13




     
その日携帯に電話が入ったのはかなり晩い時間だった。

相手の電話番号に慌てて電話を取った。
進藤のお母さんからだったからだ。


「塔矢君 夜分ごめんなさいね。進藤ですが・・」


「いえ。まだ起きていましたから」

「ヒカルのドナーが見つかって・・・移植を受けられる
ことになったの。」

涙ぐんでいるのだろうか。彼女の声は上擦っていた。

「本当ですか!!」

「ええ、すべてヒカルと一致する方は見つからなくて
一部不一致なのだけれど、提供くださる事になって・・」

胸に熱い思いがこみ上げる。

彼女もすぐに電話を僕に掛けてくれたに違いない。
電話の向こうから車の騒音が漏れていた。

「それで移植はいつごろに?」

「お医者様はヒカルの様子からすぐにでも移植を
っておっしゃって。でもすぐに準備しても移植までには
1月かかるから、来週からは面会も出来なくなるけれど・・・」



電話越しに僕は言葉に詰まった。

見知らぬドナーに僕は言葉にならない想いがこみ上げる。





「塔矢くんありがとうね。ヒカルはまだまだ
これからつらい手術があるけれど支えてやってくれないかしら。」


「もちらん僕ができることでしたらどんなことでも
来週までに必ず病院へ伺います。」


受話器を握り締めたこぶしに知らず知らずに涙が伝っていた。


まだ移植は始まってはいない。

それでもドナーが見つかったのは
進藤がこれからの未来を手にするための大事な1歩だ。


感謝と言う言葉だけではとうてい収まらない想いで胸が
いっぱいになった。









進藤の面会のため無菌室に入った僕を進藤のお母さんが迎えて
くれた。
立ち上がった彼女はもう立派な妊婦だった。

席を外した彼女に僕は気を使わせたのだと思うと
頭を下げていた。



「母さんは今から検診だから気にしなくていいぜ。」

進藤の声は弾んでいた。

「ここの病院で?」

「ああ。出産もな。ここの病院は臍帯を保存しドナー登録し
てくれるんだ。
見ず知らずの人が俺を助けてくれるんだ。
母さんも自分の出来る事があるならしたいって・・。」

臍帯血(へそのお)には骨髄液の元になる細胞が多く含まれている。
だから白血病の治療に有効なのだ。



命は紡がれていく。
白血病はけっして治らない病ではないのだと思える。




「そうそう お袋のお腹の子男の子らしいんだ。」

「もうわかるんだ。」

「へへあと1月だもんな。」


1ヵ月後・・・君が移植を受けるのもそれぐらいだろうと
彼女は言っていた。

「進藤・・・」

僕はイスから立ち上がるとカーテン越しまで近づいた。

「何・・・」

その間進藤に会うことは出来ない。


この間聞きそびれた返事を僕は確かめよう
として、2重扉の向こうに人の気配を感じた。

僕が様子を伺っていると進藤がくすりと笑みを漏らした。


「たぶん和谷だな。」

「和谷くん?」

「かあさん よっぽどうれしかったんだろうな。俺が移植
が決まった晩に和谷にも電話したらしいんだ。」



彼女から電話があったあと僕もつい父に電話していた。
父はただ「そうか。」といっただけだったが。
心中ではきっと言葉に表せないほどの気持ちだったに違いない。




病室のドアがあいて入ってきたのは和谷くんだけで
なく越智くんも伊角さんも一緒だった。


「塔矢!?俺たちより先客がいたんだな。」


僕はいったん席を立ち外そうかと思ったが
その場に留まった。


「よお。和谷に伊角さん 越智も来てくれたんだ。」

進藤がベットから起き上がろうとしたので伊角がとめた。

「進藤そのままでいいから・・」

「なんでいいじゃん。」

「君に移植を受けるまでにくたばられたら困るんだよ。」

憎まれ口を叩いたのは越智だ。

「そう そう 越智のやつ俺が進藤が移植を受けることが
決まったって電話したとき大泣きしたんだぜ・・」

「余計なこと言うな!!」

その場にいた4人が笑った。




「そういえば和谷 昨日森下先生と塔矢先生が
来たんだけどな・・・。」

そこには告げ口したのは和谷だろっというニュアンスが込められ
ていた。

「勝手に話して悪かった。でも先生すげえ心配されてたんだぜ。
・・・以前、お前が無断で対局休んだ時とは違うってずっと
碁界にも働きかけてさ
移植が決まったって聞いて俺 つい言っちまったんだ。」

「別にいいけどな・・・。」

「それにしても森下先生に塔矢先生か。異色の組み合わせだな。
進藤何か言われなかったか?」

そう聞いたのは伊角だった。

「ああ、森下先生にな。
お前は打倒 塔矢門下の筆頭だから何が何でも戻ってこいって・・・
いつにも増して迫力あったぜ。」

「森下先生 それ塔矢先生の前でいったのかよ。
やってくれるぜ。」


「それを言うなら俺もだな。塔矢のいる前で
それいえるんだから・・」

「違いねえ。」

5人で顔を見合わせて大笑いした。
それは久しぶりに見た進藤の本当の笑顔だった気がした。


「そうそう。」

思い出したように和谷がいった。

「実はここに来る前、緒方先生にあったんだ。」

「緒方さん?」

思わず反応した僕に進藤は「ああそうだったな・・」
っと返して・・・きっと知っていたに違いない。

「何か約束してたのか?」

「緒方先生とはネット碁やメールでやり取りして
るから。近く病院に立ち寄るって言ってたからさ、来週から
は面会できないって返事したら今週中には行くって
・・で先生何って。」

「お前らが病院にいくんだったらこれを進藤に渡してくれって。」

そういうと小さな包みを取り出した。

「進藤これどうしたらいい?」

「テーブルの上にでも置いといて・・後で看護婦さんから
もらうから。」




伊角が目配せする。
おそらくあまり長居すべきじゃないと二人に言ったのだろう。



「俺たちそろそろ帰るな。また来るから・・。」

そういった和谷に進藤は「ああ。」と力強くうなづいた。

「1か月なんてあっという間さ。」

そう言った越智の眼鏡は揺れていた。

「ありがとうな越智。お前からもらったお守り俺肌身
離さずもってるぜ。」

涙ぐんだ越智の肩を伊角が叩いた。

「進藤 俺たち碁を打ちながらお前が帰ってくるのを
待ってる。
今日本当は本田さんも 奈瀬もヤンハイさんだって中国から
見舞いに来るっていったんだ。
でもあんまり沢山で病室押しかけたら迷惑だろうから。

みんなから手紙預かって来たから・・・」

伊角は分厚い束の封書をテーブルに置いた。

「ありがとう。皆に礼いわなきゃ 俺・・」

「礼なんていらねえよ。お前が碁界にかえってきてくれたら
俺たちはそれでいいんだ。」







3人が病室を後にしても僕はその場に残った。
どうしても聞いておきたいことがあったのだ。

進藤はそれを勘違いしたようだったが・・・。

「塔矢さ 緒方先生の小包が気になるんだろ?」


確かに気にならないといえばうそになる。
返事に困ると進藤が苦笑しながら言った。


「それラピスラズリのキーホルダーだぜ。」

緒方の部屋に進藤が置いて行ったキーホルダー
のことだと察しがついた


「キーは置いていってもその石だけは持っとけって。

そのキーホルダーもらった時なんでかわかんないけど塔矢
みたいだなって思ったんだ。どこまでもまっすぐで青くて・・・
地球の青みたいだって。」


「進藤・・・」


「この間先生とチャットでそうやりとりしたらさ、それは
持っとけって。もう二度と肌身から手放すなって・・・」

全身が震えだす。

少しでも進藤のの傍にいたくてカーテンに拳を押さえつけた。


「待ってる。待つことしかできなくても僕はずっと君の事を
待ってる・・・・だから必ず戻って来い!!」

カーテンに置いた僕の拳に進藤は上半身だけ起き上がると
そっと触れた。直接触れたわけでないのに温かさが纏った
ような気がした。


「俺はお前と一緒だから。いつだってどんなときだって
心はお前とあるから。」




あの時と同じ事を言うんだな。君は・・・



僕は遠い日を思い出し握り締めたカーテンを手放した。
君はきっと帰ってくる。ただそれだけを信じて・・・。



     
      


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