大地へ






     
先生のマンションから戻ったのは次の日の夕方だった。


長居した上に次の週末も伺う約束までして俺は浮かれていた。
部屋に入ると楊海は先に帰宅していてパソコンでネット碁を観戦
していた。


俺がそっと覗き込むと楊海が観戦モードからネットを切り離した。

「楊海さん 対局しないの?」

俺の問いかけに楊海が頭をかいた。

「たいした奴がいなかったからな。ところで塔矢先生の所はどうだった。」

「うん。楽しかった。天安門広場へ連れて行ってもらったし屋台でうまい
ショオチーもご馳走になったし、晩には先生と対局もしたんだ。」

俺は先生とのはじめての対局でかなり興奮していた。

「ほお〜そりゃよかったじゃないか。」

パソコンを片付けながら楊海が俺に聞いてくる。

「進藤君は塔矢先生といままでに対局したことはなかったのかい?」

「えっ俺?あるけど。」

返事に戸惑ってしまったのは楊海にウソをついてしまったから。
本当は昨晩打ったのがはじめてなのだ。

以前新初段シリーズで塔矢先生と打ったのは俺じゃなくて佐為、だが棋譜とし
て残ってるのは、塔矢 行洋と進藤 ヒカルとしてのものだ。



「進藤くんはネットのsaiとも対局したことがあるのだろう?」

「えっ!?」

突然の質問に俺は驚いて楊海をみた。

楊海が佐為を知っていた事も驚きだが、それ以上に俺と 佐為を
対局で結びつけた事に驚きを隠せない。


こんな所にも佐為 の事を知る人がいる。

ネットの世界は俺が思っていた以上に広くて人に与える
影響力も絶大だ。

俺にしか見えなかった佐為が唯一  人と触れ合えた瞬間・・・。

だが、それは同時俺に爪あとを残す。


俺は大事な人にお前の事を話せない。

楊海にだってウソをつかなくてはいけない。


考え込んだ俺に楊海がため息をつきながら言った。



「おいおい、俺そんな困らせる質問をしたかい?」

返事が返せない俺に楊海が静かにいった。

「君は北斗杯の時にえらく秀策に拘っていただろう。
その時に塔矢先生がいったんだ。saiの強さはまさしく秀策が蘇ったような
強さだと。

そして進藤君が追ってる強さと私が追っている強さは同じsaiの強さだとね。
だから君は塔矢先生やsaiと対局した事があるんだろうなってふと
思ったんだ。・・・・だけど今の君の様子でわかった事がある。
進藤君 君はsaiの正体をしっている。そして彼が素性を明かせ
ない理由も知っているんだね。違うかい?」


楊海の言った事に返事が返せない。事実だから。
目線をさまよわせた俺に楊海は苦笑しながら俺の肩を叩いた。

「進藤君 すまなかった。ルームメイトだといってつまらない事に立ち入っ
た。俺の言った事は忘れてくれていい。」

「すみません。」

楊海の好意が身にしみた。





その晩 、来週から伊角と和谷が来るという朗報が中国棋院に届いた。











次の日曜日俺は先生の家への訪問は断って楊海と伊角と和谷を迎えに
空港に向った。



俺は二人の懐かしい顔を笑顔で迎えた。



「進藤 2ヶ月ぶりだけどすっかり見違えた。なんか逞しくなった気が
しねえ?」

和谷が同意を求めた伊角もうなづいた。

「ああ。なんか、いい目をしてる。こっちでの生活が充実してるんだろ。」

「へへ、うん。俺こっちの方が性に合ってるかもしれない。」



実際に中国棋院の手合い方式のほうが俺には合っていると思う。
週に1回などと、ちまちま碁を打つ日本での手合いは長い持ち時間同様俺
には性に合わない。

それまで3人の会話に遠慮してた楊海が話し掛けてきた。


「まあ、立ち話もなんだから、俺の車に乗れよ。二人ともこれからどうするんだ。」


「棋院近くにホテルを2週間ほど取ってます。ここに居る間は毎日中国棋院へ
通わせてもらいます。楊海さんその間はまたよろしくお願いします。」


伊角が頭を下げると和谷も慌ててぺこりと楊海に頭をさげた。

「俺もよろしくお願いします。」


「そっかそれじゃあとりあえず棋院へ向うか。」




4人で車に乗り込むと和谷が俺に聞いたきた。

「なあ進藤こっちではお前どうしてるんだ。」

「毎日対局して検討して。やってる事は日本にいる時と変わらないぜ。」

「でも日本とは違う所があるのだろう。お前ここの方が性に合ってるってさっき
いってたろ。」

「なんだろな。棋院の本質とかそういった事もあるかもしれないけど。
俺さ、中国の街も人もなんだかすきなんだ。
こないだ、塔矢先生にいわれたんだけど。
碁の勉強はどこの国にいたって学べるけどその国じゃなきゃ学べない事も
あるし出会えない人も居るって。ただ碁を勉強するだけじゃ
なくてこの国の知識も学べって。」

俺の言葉に伊角が驚いたように聞いてくる。

「ひょっとして塔矢先生今 中国にいるの?」

「うん。半年はこっちにいるそうだよ。実は俺 先週先生のマンション
に遊びにいったんだ。」

「へえ〜」

伊角と和谷が同時に驚きの声を上げた。

「先生に天安門や屋台にも連れて行ってもらってさ、俺
なんか先生のイメージ変わった。」

「塔矢先生 屋台なんて行くんだ。」

関心したようにいう和谷に楊海が口を挟んだ。

「郷に入れば郷に従えってね。塔矢先生は碁のスタイルもだけど引退して
から随分変わられような気がするよ。強さだけはそのままでね。」

俺たち3人はその言葉にうなづくと楊海が思わせぶりにいった。

「そう その塔矢先生と対局して進藤君は半目差で惜しくも負けたんだよな。」

隣に座っていた和谷が驚いたように俺をみつめた。

「進藤 ひょっとして互い戦で?」

「うん。そうだけど。」

「すごいじゃないかお前。」

「そっかな。先生が手を抜いていたとは思えないけど真剣じゃな
かったぜ。俺は必死だったけど。」

謙遜ではない。先生に俺は軽くあしらわれた。
指導碁ではないが、今の俺の実力を測られた そんな対局だった。



「それでも進藤君はすごいと思うよ。実はこの間俺も公式戦で
進藤君と対局したけど負けちゃってね。正直驚くよ。進藤くんの
よみの深さ速さには。そうだ、進藤君を今からキープしておかないとな。」

思い出したようにいった楊海に俺は聞いた。

「キープってなに。」

「中国リーグさ。」

楊海の言葉に俺は「あっ〜」って大きな声を車内であげた。

「なんだよ。進藤大きな声出してさ、」

和谷にいわれて俺は「わるい」と謝る。

「そういえば塔矢先生にも同じ事を言われたんだ。」

「何 ひょっとして塔矢先生のとこの北京チームに誘われたとか?」

「うん。」

「ウソだろう。進藤君は絶対うちのチームに欲しかったのに。」

悔しそうに頭を抱える楊海に俺は苦笑する。

「でも俺断ったぜ。」

『何?!断った』 

車内に3人の声が見事にはもった。

「なんで ?塔矢先生の誘いを断るとはお前それどういう事だ。」

和谷は到底理解できないというように俺をみる。

「まさかもう他から声を掛けられてるって事はないよね。進藤くん。」

おそるおそる運転席から俺を伺う楊海に俺は笑いながらいった。

「違うよ。同じチームになったら塔矢先生とは打てないだろ。俺
先生と公式戦で打ちたい。日本ではさ、もう先生とは公式戦で
どうしたって打つことできないし。せっかく中国にいるのに機会
は逃したくないじゃん。」

「それで断ったとは進藤君らしいけど。中国リーグで塔矢先生と当たるか
どうかはなかなか難しいよ。」


そう先生に断った時にも同じ事を言われたのだ。

「うん。でも可能性はないより少しでもある方がさ、いいだろ。」

「そうだな。じゃあ進藤君はうちのチームから出場してくれるんだね。」

「うん。」

「来年こそうちのチームが優勝するぜ。」

うれしそうな楊海に和谷が茶化すように言った。

「楊海さんのチームって強いの。」

「いいや。それが甲チームでは万年最下位。」

ため息混じりにいった楊海に俺たちは大笑いした。
     
      


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