RAIN





     
本因坊戦第1局の1日目−

緒方は天井を仰ぐとふっと煙草を洩らすように息を吐いた。

封じ手を書いたヒカルはそれを丁寧に封書に
収め対局の立会人であったアキラに渡した。




初日なので簡単に挨拶を済ませ、対局室を出ると和谷が
小声で話しかけてきた

「進藤、お疲れだったな」

「和谷もな」

「オレはお前程じゃねえけどさ、それで今日の検討は?オレ
お前に聞きてえ所あるんだけどな」

ヒカルは周りに気を配りながら首をすくめた。
ここには対局者の緒方もスポンサーもいる。
仲の良い和谷と言えど言葉には気を遣わなければならなかった。

「まあ、それは明日が終わってからな」
それに今はちょっと一人になりたいっていうか」

「そうか、まあだよな」

気分転換に食事に誘おうと思っていた和谷だったが
それは先手で釘を刺されたようだった。

1日対局と収録で注目され続けたのだ。

タイトルを賭けての対局は集中力も緊張も半端じゃない。
ヒカルが一人になりたいというのも当然だった。

「今日はもう頭空っぽぐらいがいいぜ」

「ああ、サンキュ」

ヒカルは軽く手を挙げエレベーター前で下階に向かう
和谷と別れた。


上りのエレベーターに乗り込み扉が閉まる前、アキラ
が駆け込みで同乗してきた。
その瞬間切れかけた糸がもう1度張りつめた気がした。


「塔矢?」

「進藤、君も17階」

「そうだけど・・・」



・・・密室の無言は重い。
17階に着き扉が開いた瞬間ヒカルは大きく呼吸をした。
そうしなければ息が詰まりそうだった。
そして歩幅を大きく歩き出した瞬間アキラが話しかけてきた。

「進藤、和谷くんと食事に行くの?」

「いや、行かねえけど」

「気分転換にも外に一緒に出ないか」

一瞬の間の後、ヒカルは首を横に振った。

「悪い、今日はもうオレルームサービスで済ますつもりなんだ」

アキラの表情が翳り、ヒカルは『ああ・・、』
と良い言い訳を廻らせたが、出てきそうにない。

「ごめん」

「謝る事なのか?」

そこでヒカルは自室前に着き、足を止めた。




アキラがヒカルをまっすぐにこちらを捉えていた。
ヒカルはその視線を逸らした。
アキラとのこの距離は胸が痛い。
ヒカルはさっさとこの場から逃げ出したくて、カードキーを
扉に差し込み戸を開けた。


「じゃあな、塔矢また明日」

「待って、進藤・・。今日の君の碁だけど・・・。」

ヒカルは振り返らずアキラのその声を聴いた。

「・・・・幻じゃなんかじゃなかったと思ったよ」

たく・・・・・らしくもないアキラの声。
アキラの言葉だった。

けれど、なんとなくアキラの言いたいこともわかった。
オレが『塔矢の幻』に追いつこうとしてるのだろう・・・。
ヒカルはワザと声を上げて笑った。

「何言ってんだか、お前の方こそ気分転換した方がいいん
じゃねえの?」

自分の声が空回っているようだった。
ヒカルはそのままアキラを置き去りにするように扉を閉めた。




部屋に逃げ込みヒカルは頭をもたげた。


やっと一人になった・・・と実感すると同時に
ひたひたと孤独感に襲われた気がした。

塔矢がオレに構うたび胸が痛くなる。
オレを思ってくれる程苦しくなる。

ほっておいてくれたらいいのに・・と思うのに、
あいつの眼中からオレが消えたらその時オレは死んでしまう
ような気がしてる。

オレはお前の生涯のライバルであればいい。

『強がり言って感傷に浸って・・・・・・』

考えそうになった事をかき消すように頭を振り、
ヒカルは慌てて広い部屋を見回した。
投げ出していた鞄を見つけると手当たり次第に中の
ものを放りだし、奥にしまっていた携帯を押した。

相手が出るまでにしばらく間があった。




「進藤?どうした、今日はお疲れだったな」

その声に少し落ち着きを取り戻したと同時に、ヒカルの中に
何かがもたげ始める。

「あのさ、今日いいか?」

電話の向こうで含むような笑いがあった。

「ああ、まあいいが。お前そういう趣向があったのか?」

「そうかもな」

「ああ、わかった 10時ごろそっちに行く」


携帯が切れたあと、ヒカルはばたんとベッドに突っ伏した。
今は何もかも考えたくなかった。




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