この空の向こうに
(モニタ越しの動向)

13






     
「勲くん」

アキラは声を荒げた。

勲はアキラの横に立つヒカルをみた。

『この勝負降りるわけにはいかない。
勲、塔矢にはこの勝負が終わるまで待つように
言ってくれないか?』

勲はそれに小さく頷いた。

「塔矢先生、この手合いが終わるまで待って
くれませんか?」

モニタの画面にはsaiの持ち時間をカウントする
時計が点滅していた。

「対局が終わったら話してくれるんだね?」

勲の代わりに「ヒカル」がそれに頷いた。
勲がPCに再度向かうとアキラも画面を追った。

saiの対局相手はZERUDAだった。
saiと対局するために和谷が敢えて戻した以前の
ハンドルネームだ。

勲は相手が和谷だと知っていて対局を受けた
のだろう。
アキラは自分が怒りとも驚きともわからない感情に飲み込ま
れるのをぐっと我慢した。

強い。とにかくsaiの強さは半端ではなく。
zerudaもけして悪くないのにsaiはこれでもか、これでもか
というほどにその上を行っていた。
かつてアキラが初めてヒカルと
対局した時のように遥か高みから試されているようだった。

そしてその碁は亡くなる前の彼の碁をアキラに思い起こ
させた。
似てる。
何もかもを超えて独り逝ってしまったヒカルの碁に。


これがsaiの実力?勲くんの実力だというのか。
半信半疑のままそれでも目の前で繰り広げられる対局に
瞬きすらできないほどアキラは魅入った。


画面にwinの文字が浮かんだ。
その瞬間押し寄せてくるチャットの嵐。対局の申し込み。
そのすべてを無視して勲は何事もなかったように画面を閉じた。

勲がアキラの正面を向く。
その姿が出会ったころのヒカルと重なった。

「勲くん、話してくれるんだろう?」

勲は黙って下を向いたままだった。

「君がsaiなんだね?」

アキラの問いかけに勲は小さく首を横に振った。

「オレはsaiじゃない。こんなに強くない。
塔矢先生とさっき碁会所で打った碁がオレの実力です。」

「だったら今のは?」

それに答えたのは勲でなくヒカルだった。

『オレが打ったんだ。』

勲は驚いて兄の姿を見た。
ヒカルは真正面にアキラを見据えていた。
アキラにはその姿も声も聞こえないのでヒカルには目も
くれないが。

「勲くん!?」

声を荒げたアキラにヒカルが声を上げた。

『オレが打ったんだ。塔矢気づけよ。オレはオレはここにいる。』

「兄ちゃん・・・。」

勲の視線の先と言葉に違和感を感じてアキラは
その視線の先を見た。
そこにはただ空があり壁があるだけだったが。

勲はドクドクなる胸を押さえてアキラに言った。

「塔矢先生の目の前にオレの兄ちゃんがいます。」

「えっ?」

アキラは聞き間違いかと思ってもう1度聞き返した。

「だから、目の前に兄ちゃんが・・・進藤ヒカルがいるんです。」

「何を言って?」

ヒカルは悲しげに笑った。

『勲塔矢は現実主義者だからそんなこと言っても変に思う
だけだろな。』

「でも兄ちゃんがここにいるのは本当だろ。兄ちゃんは
ずっと塔矢先生と打ちたいって言ってたじゃないか?
先生に知ってもらえなくていいの?わかってもらえなくていいの?
オレはそんなの嫌だよ。」

突然壁の方に向かって叫ぶ出した勲の肩をアキラは掴んだ。

「勲くん、お兄ちゃんがここにいるって言ったよね。
ひょっとしして君がさっきから会話してるのは・・・君の?」

勲はそれに小さく頷いた。

「だったらネットのsaiというのは・・・。」

「オレの亡くなった兄ちゃん、進藤ヒカルです。
・・・と言っても兄ちゃんはお化けだから
物を持つことも触れることも出来なくて。だから
オレが代わりに打ってるんだけど。」

衝撃だった。
到底信じることなんてできそうなどない。
そんな夢のような話。けれど・・。
勲の話はアキラの今までの疑問と合点があう。

そしてそれ以上に信じたいと強く願うのだ。
君がお化けでもいい。幽霊でもいい。
見えなくてもいい。ここにいるというなら。

アキラはどれほどそう願ったろう。


『塔矢、お前の事だから信じねえだろうけど。
オレはそれでも構わないんだ。
オレにはお前の姿がはっきり見えるし聞こえるから・・・。
オレの声は届かなくてもいい。』

アキラは勲がそこにヒカルがいるという虚空を見つめた。

「兄ちゃんが塔矢先生は信用しない
だろうけど先生の声ははっきり聞こえるし、見えてるって・・・。
だからそれでいいって。」

アキラはほほ笑んだ。

「僕もずっとそう思ってた。
一方通行でもいい。君に僕の声が届くなら・・・。
僕はずっと君だけを想ってきた。」

見えないはずなのにアキラはしっかりとヒカルを見ていた。
ヒカルの方は困ったように頬を染めていたが。

勲はこの時になって2人はただのライバルではなかった
のかもしれないと思った。

「勲くん、進藤と・・・君のお兄さんと直接話をすることはできない
だろうか?」

「出来ない・・・けど、全くできないってわけじゃ。」

『勲!!』

ヒカルは勲を制するように声を上げた。
たちまち勲は語尾を細めた。

「ひょっとして兄さんに怒られた?」

勲は小さく首を縦に振った。アキラはもう1度ヒカルを見た。

「君に会いたいんだ。」

アキラは胸を押さえ泣き出しそうに顔をゆがめた。

『一方通行で良いっていったのお前だろ?』

ヒカルの声が聞こえたわけではないがアキラにはわかった。

「本当にそれで君は満足してるのか?」


アキラの手がヒカルに伸びた。
アキラは目の前の空を抱きしめた。

「君がsaiを名乗ってネット碁を打ったのは何のためだ。
僕に気づいて欲しかったからじゃないのか?」

アキラの髪が頬がヒカルにかかる。
その手はヒカルの胸を通り過ぎたがヒカルはアキラの息を
鼓動を感じて全身が震えた。
とっくに肉体など無くなっているというのに。

勲の前でもアキラの手を振り払うことがヒカルには
出来なかった。





勲は視線に困って真っ赤になった。

「塔矢先生・・・。
兄ちゃんと直接話すことだけど、兄ちゃんオレに
乗り移るっていうのか、出来るみたいです。」

『勲!!』

ヒカルが怒鳴ったが勲は構わず続けた。

「オレが寝てる時ぐらいだし滅多そんな事しないんだけど。
でも・・・オレ1度だけ、塔矢先生が書いた本兄ちゃんが
読んでたの知ってる。」

ヒカルは勲に気づかれていたことに舌を噛んだ。

「君のお兄さんと直接話すには君に負担をかけてしまうんだね。
だから君の兄さんはしたくないんだろう。」

アキラはそう言ってヒカルを見た。

「進藤、勲君を怒らないであげて欲しい。
それに君があの本を読んでくれたなら僕は本懐だ。」

そう言うと拗ねたようにヒカルは口を尖らせた。

『あの本には言いたいことがいっぱいあるんだけどな。
お前死人に口なしだと思って散々書いたろ!?
棋譜手順違いもあったぜ。』

言いたいことをいうヒカルに勲は苦笑した。

「先生、兄ちゃんが棋譜間違ってたのがあったって言ってる。」

「そうなの。どの棋譜だろう?」

『お前と病室で打った棋譜だよ。オレが目隠し碁だったやつ。
最後のヨセ、お前完全に別の棋譜と混合してる。』

勲の通訳を介してアキラは嬉しそうに笑った。

「君に指摘を受けるとは嬉しいよ。」

『何言ってんだよ。名人だろ?お前。』

流石に勲もそれはアキラに伝えることはできなかったが
アキラの方はヒカルが憎まれ口を叩いたことは察したよう
だった。


「勲くん、時々でいいから。またこうやって君のお兄さんと
話をしたり対局させてもらって構わないだろうか。」

勲はそれに大きく頷いた。

ヒカルの事は秘密で誰にも知られないように
気を使ってきた。
が、今日アキラと秘密を共有することで気持ちが少し楽に
なったのだ。

「先生だから大丈夫だと思うけどこのことは内緒にしてください。」

「もちろんだよ。ただsaiの正体は誰かと騒ぎになってるから
匿名でも注意は必要だよ。緒方さんも詮索してるしね。」

アキラはこの時には先日の『緒方の夢』がただの夢ではなかった
のだろうことも察していた。
それを今この場でヒカルに問うことはできなかったが。

階段を上がってくる足音でアキラは身支度を整えた。

「今日は帰るよ。勲くんプロ試験健闘を祈ってる。
進藤・・・また会おう。」


                          


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読み返すとなんだかヒカルがツンデレで(笑)素直じゃないですねえ。
次回が今年最後の更新になります〜。2012 12 20 緋色




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