この空の向こうに
(勲とヒカル)








     
勲が食事を済ませ和谷や伊角と部屋に戻った時には9時を回っていた。

「疲れた・・・。」

勲は入った瞬間敷かれた布団にごろんと転がった。


「おいおい勲寝るのは風呂に入ってからにしろよ。」

ここは温泉宿だからメインは大浴場で勲もそれを楽しみ
にしていたが、もう大浴場まで行く元気はなさそうだった。

「うん、でも部屋の風呂でいい?」

「大浴場いかねえのか?」

和谷はあれほど勲が楽しみにしていたからてっきり大浴場に
行くだろうと思い込んでた。

「勲は疲れたんだろう。大浴場は明日の朝でいいんじゃないか?
オレたちもその方が人目が少なくていいだろ?」

伊角の提案に和谷も頷いた。

「そうかもしれねえな。」

勲は布団から起き上がるとのそのそ風呂場に向かおうとして
足を止めた。
何か大事なことを忘れているような気がしたのだ。

「あっ!!!」

突然勲は大きな声を上げたので和谷が何事かと振り返った。

「どうかしたのか?」

勲は泣きそうに顔をしかめた。

「どうしよう、オレ緒方九段に部屋に来るように言われたんだ。」

「緒方先生に?」

和谷が聞き返すと勲はこくんと頷いた。
勲は今日イベント会場での緒方とのやり取りを二人に話した。
弟子うんぬんの話は子供ながらに流石に不味い気がして
言わなかったが。

「そんなことがあったのか、」

伊角は苦笑した。

「緒方先生、進藤の事気に入ってたからな。
勲に思う所があったんだろう。」


勲はあの出来事の後ヒカルに緒方の事を色々聞いた。
その中で勲が驚いたのはヒカルが『緒方と暮らしていた
ことがある。』・・と言ったことだった。

「あんな怖い人と暮らしてたの?」

「ああ、オレも初めてあった時は怖そうな人だなって思ったんだけ
どな。意外に面白い人なんだ。
見た目があんなだから損してるところもあるな。」

そうは言われても勲は緒方の事が好きにはなれそうになかった。

「オレは緒方先生と暮らしたから大事なものがわかったんだと思う。
それに強くなれたんだ。
って・・・・それは後になってわかったことだけどな。」

「そうなんだ・・・。」

ヒカルの言葉には後悔が含まれている気がした。

ヒカルは緒方と直接会って話をしたいのだろう。
緒方だけじゃない。伊角や和谷とも先日あった塔矢
名人とだって本心ではきっとそう思ってる。

勲は本当は両親にも伊角にも和谷にも「ヒカル」がここに存在
事を伝えたかった。信じてもらえるかどうかわからないが。

ヒカルと話すことが出来なくても見ることが出来なくても
存在を知って欲しかった。

でもそれをヒカルは良しとはしない。
そんなヒカルに勲はじれったさも感じていた。


だからヒカルがネット碁を始めた時、勲は嬉しかったのだ。
世界の強豪と戦う兄の姿はかっこよかった。
ヒカルは「オレだって負けるんだぜ。」と言ったけれど
勲はそんな姿を想像することが出来なかった。

マジかで対局を見た勲はヒカルの対局に心が震えたのだ。

そしてなによりsai(兄ちゃん)の強さが、ヒカルの存在が
証明されたようで嬉しかった。


なのに塔矢名人の対局後からヒカルはネット碁をしなくなった。
その理由をヒカルは「saiの検索が広まった」っと言っていたけれど・・・。

勲が考えごとをしていると和谷が勘違いをしたのか
勲に言った。


「勲大丈夫だって。緒方先生さっき客と
飲みに行くって言ってたからな。夜中まで帰ってこないだろう。」

「ああ、だからそのことはオレからちゃんと断っておくし勲は安心
して風呂入って寝たらいい。」


「うん。」




素直に風呂場に消えた勲に伊角は携帯を取り出し緒方に
メールを打った。

「伊角さん、これからもこういうことあるんだろうな。」

「勲が進藤の弟って肩書きはこれから注目されるんだ。でも
あいつ自身が進藤を超えたその時は・・・。」

「ああ、そうだな。」



伊角が緒方にメールを送信してすぐに緒方からの返信が来た。
それを読んだ伊角が顔をしかめた。

「緒方先生なんだって?」

聞かれて伊角は和谷に緒方のメールを見せた。
返信はたったの一行だった。

『お前の弟子をオレに譲れ、』

「って緒方先生酔ってるのか?
伊角さんが変なメール送ったんじゃねえよな?」

伊角は心外だと怒鳴った。

「そんなわけないだろう。オレは今日は遅いし勲も疲れているから
対局は改めてにして欲しいってメールしただけだ。」

「だったら先生相当酔ってるな。」



伊角はため息をついて携帯を閉じた。

「でももし塔矢が勲を弟子にしたいって言ったらオレは
考えたかもしれない。」

伊角は勲の両親からだけじゃなく、ヒカルからも勲を託されているのだと
感じてる。
もしヒカルが生きていたならば勲は「進藤の弟子」だったはずだ。
それに伊角も和谷もアキラとヒカルの関係に薄々気づいていた。

だからもしアキラが望むなら・・・。そう思った伊角に
和谷が笑った。

「塔矢はそんなこと言わねえよ。それに伊角さんが一番手放したく
ねえくせにそんなこと言うなよ。」


その時、勲が風呂から上がってきた。

「何かあったの?」

「いや、何もないよ。緒方先生のことは断っておいたから。」

伊角は緒方とのメールのことは勲には言わなかった。




その一部始終をみていたヒカルは3人が寝静まった後、
緒方に『会う』ためにひとり部屋を出た。


702号室・・・勲と離れられるぎりぎりの範囲だった。



                                  8話
     
    




勲を伊角さんの弟子にしたのは私の好みというか。願望っていうか(笑)
うちの子も伊角さんの弟子にしてもらえないかな(笑)







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