月光交響曲

18話思惑)








ヒカルのもとに伊角から電話があったのは晃と平八が帰ってくる前だった。体調も悪くないのに早退したと聞いてヒカルは顔を曇らせた。

「教室で何かあったのか?」

「大したことじゃない。ただ弟子入りの話から少し嫌な思いを
したかもしれない。子供同士の事だから、そんなに気にすることはないよ」

伊角は言葉を濁した。

「そうなのか?」

「ああ」

それ以上は伊角が言ってくれそうになく、一瞬互いに言葉がなくなる。
それでも伊角が何かを言い出しかねてるのはわかった。

「進藤、晃はプロを意識し始めてるんじゃないか?」

「それはあるだろうな」

最近晃は教室の友達が上に上がった事を羨ましがっていた。
そしてその先にあるのは『プロ棋士だ』という事もだ。
ただプロをどこまで晃が理解しているのかは、わからなかっ
たが。

ヒカルが見せた塔矢先生の棋譜を目を輝かせて並べる晃の姿を見ると、いつかあいつの棋譜もと思う。けれど、ヒカルはそれをまだ出来ないでいる。
伊角は受話器の向こう息を飲み、ヒカルは我に返った。

「今すぐというわけじゃないが、オレに晃を任せてみないか?」

「それって伊角さんに弟子入りさせるって事か?」

「ああ」

ヒカルは言葉を、返答を探す。
正直その申し出はとても嬉しかった。伊角ならヒカルも晃も気心が知れている。教室だって伊角や和谷が誘ってくれなければ、行かせることもなかったろう。

「ありがとう、晃がプロ棋士を目指すか、弟子入りの事も晃に決めさせようと思ってる。
けど、それとは別に、晃がプロを目指すというなら学ばせたい所があるんだ」

「進藤の元じゃなく?」

「オレじゃ、どうしても情が出ちまうし、限られちまうだろ?
教室や大会もこれからだろうけど、
晃にはもっと視野を広げて欲しい。プロを目指すにしてもそれからでもいいってオレは思うからさ。
だから伊角さん、もう少しその返事は待ってくれないか?」

「わかった。ただもう進藤、そう悠長に構えていられないかもしれない」

ヒカル自身わかっていたつもりでも、伊角に改めて言われてハッ
とした。

晃の成長は目覚ましい。

晃の成長の向こうにヒカルが思い浮かべてしまうのは塔矢の姿だった。晃はアキラに良く似ている。
ヒカルが似ているところを探す前に、それは突然にやってくるのだ。
あいつの子供の頃なんて知らないのに。


ヒカルが知ってるのは小学生のくせに優等生だった塔矢アキラからだ。
それでもアキラの面影を、晃に重ねてしまう。

今塔矢が傍にいて、晃の親として一緒に歩んでいたなら・・・。
あの頃、疑うこともなかった幸せな未来を思うと胸が潰れそうになる。

それでも性懲りもなく、ヒカルはこれからも何度でもこの痛みを胸に抱くのだろう。


「楽しみだな。晃が強くなるのはさ」

そう言った声は震えた。

「進藤?」

「ごめん」

ヒカルは苦笑した。
そうしてまた無言の間が過ぎる。

「すまない」

謝罪した伊角にヒカルは声をあげ笑った。

「何で伊角さんが謝るんだよ」

「オレじゃやっぱり役不足だな」

「何言ってるんだよ、オレすげえ感謝してるぜ。言葉にできねえくらい」

「進藤・・・」

その時、玄関の扉が開き、『ただいま』の声とともに晃の足音がバタバタと廊下に響いた。

「悪い、伊角さん、晃が帰ってきたみてえだ」

「ああ、進藤、怒るような事だけはしないで欲しい」

「わかってるって。また今度ゆっくり電話する。今日はありがとうな」

ヒカルが受話器を置いて、ふっとため息を吐くと晃が少し困ったように部屋に入ってきた。

「お帰り、今日は少し早い帰りだったな」

「うん、あのお母さん・・・」

「どうかしたのか?」

怒られると思ったのか、それとも何か聞かれると思ったのか
晃はおそろおそろでそんな晃をヒカルは笑った。

「何だ?変なやつだな
それより晃、大会に出たいっていってたろ?」

ヒカルはカバンからとって置きとばかりに大会の
参加要項を取り出した。
大会と聞いて晃がわずかに顔を上げた。
この大会は伊角から勧められたものだった。

「これなんだけどな」

要項は漢字だらけで晃にはとても読めるとは思わなかったが
それでもヒカルは晃に手渡した。

「盛岡の大会?東京じゃないの?」

「ああ、小学生の全国大会の予選だってさ、優勝したら東京の大会に出られるぜ?」

「僕小学生じゃないよ?」

「小学生以下も出場できるって書いてる。レベルも選べるってさ」

「本当?」

「どのクラスで出るかが問題だけどな」

晃は読めないプリントをそれでも穴が開くように見つめた。

ヒカルはもうこのときには晃を無差別クラスで出場させるつもりでいた。今の実際の晃の実力を知るのはそれが一番だった。

「母さん僕一番強いところで打ってもいい」

「ああ、まあけど負けても拗ねるなよ」

「拗ねないよ」

口を尖らせた晃にヒカルは笑った。

「母さん来てくれる?」

「そうだな、仕事がなかったらかな」

「本当?」

「ああ本当だ」

晃は破顔して、ヒカルはポンポンと頭を撫でた。

ヒカルはこの大会に審査委員長として、仕事の打診があったが、それは断っていた。


『もう少しなら』、『もう少しだけ』そう願いながらもう難しいのだろう
と思う。
なら応援ぐらい、行ってやってもいい。

ヒカルは決心すると肩の荷がストンと降りたような気がした。



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ラストまで後3話ぐらいの予定デス(っ私の事なので全くあてにはなりません)

伊角さん、そして和谷くんとヒカルとの距離感が難しいです。本当のところ惚れてるかもしれません。ヒカルを見守ることに徹することで距離を保ってるような?私の意識としてはそんな感じです(笑)
緒方先生は勝手にズカズカ行っちゃいますが・・・(苦笑)






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