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        〜そして未来へ08



     
アキラが帰宅したのは翌朝も早朝のことだった。

「ただいま、」

小声で部屋に入ったのはまだヒカルを起こしたくなかったからだ。
部屋を入ってすぐにアキラは小さくため息をついた。
リビングのソファで毛布に包まっているヒカルがいたからだ。

「また君は全く、こんな所で寝て。体の具合はもういいのかい?」

「んん!?」

寝返った毛布の中から聞こえた声にアキラははっとした。

「ああ、アキラくんか。お帰り、」

そこにいたのはヒカルでなく本因坊だとわかったアキラは流石に
動じて頬を染めた。

「先生!?昨夜はヒカルに・・・いえ、ヒカルくんに
付いててくださったんですか?」

本因坊は心中で苦笑した。

「ヒカルはほっておくと何もしないだろ?監視役だな。
それで塔矢先生のご様子は?」

「あ、はい。今は落ち着いています。念のためしばらく入院することに
なりましたが、。」

「そうか、まあその方がいいだろうな。あの人は結構無茶をする人だから。」

今度はアキラが苦笑する番だった。

「ええ、僕もそう思います。」

本因坊がソファから起き上がったのを見てアキラがキッチンに入る。

「先生コーヒーでいいですか?」

「悪いね。アキラくん昨夜寝てないだろうに、」

「いいえ、安心したら朝まで病室で僕も寝てしまいました。だから大丈夫です。」



コポコポとコーヒーのいいにおいが漏れる頃に昨夜のジャージのままヒカルが
リビングに顔を出した。

「おはよう。進藤」

「おはよう、」

名前でよばなかったのは本因坊が傍にいたからだ。
アキラはヒカルを一目見て眉間に皺を寄せた
ヒカルの目は真っ赤に充血していた。

「進藤、その目!?」

「ああ、少し貼れてる?」

少しというものではなかった。
瞼もはれぼったくて誰が見てもわかるほどに充血していた。
何かあったのだろうことはすぐ察しがついた。

「昨日昼間寝すぎて夜眠れなくてさ。だからかな。」

ヒカルはそういって誤魔化したが、それがウソだということはアキラにもわかる。
でも問いただしたくても傍には本因坊がいる。

「それより、いいにおいしてるじゃん。オレにもコーヒー入れてくれよ。」

「わかった。」


ヒカルはぼうっと本因坊の隣にたった。

「ヒカルとりあえず座ったらどうだ?」

「うん」

勧められるままソファに腰を下ろすとアキラが
いつの間にか用意した3人分のトーストとコーヒーを運んできた。

「すみません。こんなものしか用意できなくて。」

名人家の躾かアキラの性格もあるのだろうが、よく気づくアキラ
に本因坊はいたく感心した。
ヒカルではこんな所はとても気がまわるまい。

「いや、ありがとう、頂くよ。」

今までぼんやりしていたヒカルが突然身を乗り出した。

「なあ、親父今日仕事は?」

「昼から棋院に向かうが・・、」

「だったら今朝は時間があるんだよな?今からオレと対局してくれねえ?」

まさに今思いつきで言ったみたいに、
ヒカルは今にも碁盤を取りに行きそうな勢いですぐにでも対局と
言う勢いだった。

「それは構わないがアキラくんの入れてくれたコーヒーぐらい飲んでも
いいだろう。」


「それはもちろんだけど、」

言葉を濁すヒカルに本因坊は小さくため息をついた。

「とにかくヒカルもコーヒーでも飲んで少し落ち着いたらどうだ。」


間の悪そうにヒカルがうなだれる。
そんなヒカルにアキラが微笑んだ。

「先生とヒカルくんが対局をするなら僕も是非観戦させてください。」






3人が一息ついた後、ヒカルが持ってきたのは進藤家に代々伝わる
古い碁盤だった。もちろん本因坊も子供の頃からずっと打ってきた碁盤
だった。
ヒカルはその碁盤の上にそっと右手を置くと瞳を閉じた。

しばらくそうして目を開けたヒカルの表情は先刻のヒカルの
ものとは明らかに違っていた。
その横顔は本因坊もアキラも知らない横顔だった。



「親父との対局はこの間の公式戦以来だよな。」

「そうだな、」

ヒカルがゆっくりと頭を下げた。

「お願いします。」

「お願いします。」

対局は本因坊の中押し勝ちだった。

「親父ありがとう。」


ヒカルは「負けました。」のかわりにそういった。
負けたと言うのにヒカルの表情は何か吹っ切れたように
穏やかだった。

「ああ、少しは落ち着いたか?」

「うん、親父ありがとう。」

再度そういったヒカルにアキラは今更ながらに
(昨夜自分のいない間にあったのだろうことの)違和感と胸騒ぎを感じていた。

石を片付けた後本因坊が立ち上がる。

「ヒカルも落ち着いたようだし、帰るとするか。
アキラくん、ヒカルの事を頼むよ。」

ヒカルを頼むといわれたことでなんとなく「ヒカルとのことを認めてもらえた」
ようなそんな錯覚をアキラは覚えた。

「はい。先生こんな所でよかったらいつでもおいで下さい。」



     






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