父、本因坊との対局のあった翌日、
夕暮れを待ってヒカルは曽祖父の眠る寺院へ向かった。
寂れた寺院には人の影すらなく冷たい風だけがヒカルの頬
を叩いていた。
ヒカルは刺すような寒さと静けさに緊張した面持ちでそこに
足を踏み入れた。
両脇に並んだ墓には歴代の本因坊の名が刻まれている。
いつか祖父も父もここに眠ることになるだろうか?
そして自分もここに眠る日が来るのだろうか?
まだ10代のヒカルは人の生や死について深い考えに及ばなかった。
今までにそういった機会に直面することもほとんどなく、だから死とい
うものがまだよくわからなくもあった。
だがいつか人は死ぬ。それはどんなに月日が変わろうとも、どれほどにこの
世が発展をとげようとも逃れることなど出来ないもので、ヒカルは見えない
ものの恐怖に駆られ一瞬足をすくませた。
「なにやってんだよ。俺、」
自分に叱咤するようにつぶやいてヒカルは今度は前をしっかりと見据えた。
教えられた場所には小さな墓があった。
進藤本因坊とかかれた墓。ここに自分の曽祖父とアキラの曽祖父が
眠っていると親父は言っていた。
ヒカルはしゃがみこむと見えない相手に対峙するように心の中で
話しかけた。
『じいちゃん、
じいちゃんたちは幸せだったか?生きてた頃も今もさ・・・。
オレ、最近自分で自分がわかんなくてどうしていいかわかんねえんだ。
オレあいつの事好きだ。
けど本当にこのままでいいのかって不安になっちまうんだ。』
どんなにその想いを隠そうとも堪えようとも溢れてくる想いが、
ヒカルの中から零れ落ちてくる。
そしてヒカルは思う。
こんな想いをここに眠る2人もしたのだろうかと。
ヒカルは耐えるように強く瞳を閉じ手を合わせた。
どれくらいそうしていただろう。
立ち上がろうとした時、人気のなかった墓地にジャリの音が響いてヒカルは
慌てて顔を上げた。
その足音はヒカルの方に向いて近づいていた。
ここの住職だろうか?
何事もなかったように装ってすれ違おう。
そう決心して振り返えったヒカルは心臓が止まりそうなほど驚いた。
そこにはあれほど焦がれた塔矢がいたからだ。
なのに間の悪さはいうまでもない。
「塔矢!!」
「進藤・・・。」
「お前なんでここに?」
アキラは両手に墓に手向けるのだろう花を抱えていた。
ヒカルはそれに内心しまったと思った。
ヒカルは手ぶらで来てしまったからだ。
ヒカルがここにいることにアキラはそれほど驚いた風でもなく
墓の傍らに花と水を汲んだバケツを置いた。
「ここは僕の曽祖父が眠る場所だから、それより君は?」
「オレは・・。」
同じことを返えせばよいのだろうが、返事を返せず
ヒカルはアキラから視線を逸らした。
「オレ用もすんだし帰るな、」
ヒカルがアキラの脇をすり抜けようとした瞬間アキラに腕を掴まれた。
「なんだよ。とう・・」
最後まで言う前に背後から抱きすくめられた。
「お前、こんな所で・・・・何考えてんだ!!」
やたらと響く声に躊躇してヒカルが声を落とすとアキラはますます
腕に力をこめてきた。ドクンと大きくヒカルの心臓の音が高鳴る。
「塔矢・・・お前、」
口では拒否しようともヒカルの心は震えていた。
ヒカルはその腕を振りほどけそうにはなかった。
「・・・ヒカル、」
アキラがヒカルと呼ぶのは2人きりの時だけだ。
抱きすくめられた体が熱くなる。
「・・・帰ってきてはくれないのか?」
耳元でささやかれた声は本当にアキラのものなのかと
思うほどか弱く震えていた。
ヒカルはたまらない気持ちになって自分の体ごと抱きしめるように
アキラの腕を握り返した。
アキラと住む部屋に・・・今すぐだって帰りたいと思う。
だが、ヒカルの脳裏に自分の帰りを待つ父と母の顔がよぎる。
一瞬の躊躇ののちヒカルは言った。
「アキラ、オレお前の事好きだぜ、」
突然すぎるほどのヒカルの告白にアキラは少し面食らったようだった。
「ヒカル?」
「でも帰るのは来週の手合いが終わってからにする。
オレもケジメがあるからさ、」
来週の手合い、それは塔矢門下の緒方十段との対局だった。
「わかった。君の帰りを待ってる。」
アキラはようやくヒカルを解放するとヒカルにキスした。
今度はヒカルが面食らう番だった。
「お前こんな所で不謹慎だ!!」
「そうだな、」
ぬけぬけとそういったアキラにヒカルは心底からため息をつくと
いつまでも名残惜しくてここから離れたくない気持ちを断ち切るため
背を向けた。
「オレ帰るぜ、」
「ああ、」
ジャリの道を踏みしめながら背後からのアキラの視線を感じて
火照った体が熱を帯びていくようだった。
ふとヒカルは思う。
ヒカルはここに訪れたのは初めてのことだったがアキラは
そうじゃなかったんじゃないかと。
あの感じではアキラは何度もここに足を運んでるような気がする。
見えないアキラの思いを感じてヒカルは胸が苦しくなる。
アキラも自分と同じようにきっと葛藤している。