番外編 君がいる1

 



木曜大手合後の検討。
我ながら申し分のない対局だったと思う。


斜め前の席で対局していた塔矢はもういない。
さっさと終わらせちまったのだろう。

それにほっとしたようにオレは立ち上がった。





塔矢と別れてから2年近くが過ぎていた。

あいつを意識していないと言ったら嘘になるけれど・・・。
それでも別れたころの感傷はほとんど感じなくなった。
月日が経つって、そういうものなのかもしれない。





対局室を抜けたエレベーターの横に誰かを待つように塔矢は立っていた。
一端躊躇したが避けて通ることもできずそのままエレベーター
まで進んで降下のボタンを押した。




「進藤、」

「何?」

丁度来たエレベーターの扉が開いて二人で乗り込んだ。
遮断された二人だけの空間が妙に息苦しい。

話しかけてきたのに塔矢は何も話さなかった。
早く1階に着いてくれと思った数秒がひどく長く感じた。


扉が開く前に塔矢が口を開いた。

「今から少し時間をもらえないか?」

扉が開いてオレは塔矢の意図を推し量れず顔をみた。

「碁会所に行かないか?」

碁会所、碁を打とうってことか?

「構わないけど・・・。ここのか?」

「いや・・。」

一瞬口ごもった塔矢を怪訝に見た。

「お前のとこの?」

「ああ。」

久しぶりだし、市河さんや常連さんに何か言われるかもしれない。
だが断る理由も見つからなかった。

「まあ、少しぐらいだったら構わねえけど・・・。」




棋院からの移動中オレと塔矢はほとんど話もしなかった。
何を考えて塔矢がオレに声をかけてきたのかもわからなかったし、
オレはとりあえずついていくしかしょうがなかった。



だが、碁会所に着くと碁会所は臨時休業の札が掛けられていた。

「ええっ?今日碁会所休みなのか?」

「ああ、」

抗議したオレに塔矢はただ静かにうなづいた。

今まで意識してこないようにしてきたことが戸惑いに変わる。
以前・・恋人だった時、休業中の碁会所に誘われたオレは塔矢と1晩
ここで過ごしたことがあった。


「何もしないから。」


そう言ってほほ笑んだ塔矢にオレは顔がかっと熱くなるのを感じた。
まるでオレが意識しているのをわかって言ってるようだった。
それともそんなに態度や表情に現れていただろうか?

「当たり前だろ。」

オレは怒鳴って先に薄暗がりの碁会所に足を踏み入れた。

「適当に座っててくれないか?何か入れてくる。」

店内に電気がつく。
碁会所は2年前とちっとも変ってなかった。
キッチンの方に向かおうとした塔矢をオレは呼び止めた。

「そんなのはいいよ。お前オレに用があったんだろ?だったら手短に言えよ。」


塔矢はやむなしにオレに椅子をすすめた。碁盤をはさんで向かい
側に塔矢も腰を下ろす。
この時になってオレは塔矢に普段感じない違和感を感じた。


「わざわざここまで来たんだからそれなりの理由があるんだろ?」

そうだ。あれから接触してこなかった塔矢が声をかけてくるには何か
あるに違いなかった。

「ああ、」

そういった後塔矢は口ごもった。

「進藤、父とsaiの対局を実現させてくれないか?」

無理だと心の中で即答した。実現させたくても佐為はもういない。

「出来ねえよ。オレはsaiなんて知らない。」

そういった自分の言葉に自分自身がひどく傷ついた。

「彼を詮索するつもりはないよ。姿も正体も明かせないというなら
ネット碁でも構わない。」

「だから知らねえって言ってるだろ。」

怒鳴ってそのまま立ち上がった。これ以上話をしても無駄だと思った。

「オレ帰るな。」

「進藤、」

背中を呼び止められてオレは立ち止まった。

「父は・・・癌で・・・もう長くないんだ。」

絞り出すような声だった。
オレは思わず振り返ったがその瞬間後悔した。
そこには苦悩する塔矢がいた。

「ずっと父はsaiとの対局を望んでいた。
・・・saiの1手をずっと待ってるんだ。
お願いだ。君にしか頼めない。」

頭を下げた塔矢にオレは震えていた。

塔矢先生が・・・・死んでしまう。

踏みとどまったオレの思考に塔矢はメモ用紙を渡した。


「僕は今家に帰ってる。でもそこに書いた日は仕事で家にいない・・・。」



もう1度頭を下げた塔矢にオレは何も言うことができなかった。




                                        2話へ



お話冒頭に出てくる大手合の制度は現在廃止されてます。リアルタイムのヒカ碁では
まだ実施されたたんだろな。
時間の流れを感じさせます。





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