A海軍道路、弾薬庫跡
 海軍道路とは地元の人たちがよんでいる通称です。海軍が造った道路で、その道路脇には弾薬を保管していた隧道がありました(1925年由良町生まれで現在も在住のKさんによる)。敗戦後進駐軍に施設を引き渡した際の書類に地図があり、隧道沿いに造られた弾薬庫が15カ所確認できます。今も10個ぐらい残っていて、そのうち2個は現在も倉庫として使っているため保存状態が良く、中に入ることができました。

2個とも同じ堅牢な構造でした。堅牢な造は弾薬を保管していたことを示します。その他の弾薬庫跡に関しては、構造は堅牢であるため、風化はさけられている。しかし、そこにはゴミが捨てられている状態です。日本の侵略の歴史的な構造物として保存状態を改善していくべきではないかと思われます。