若林通信




院長からのお知らせや、連載の解説など書いています
 2013年2月1日(金)
 1.武田信玄

 大事を成すには天・地・人の調和が必要だ。上杉謙信との度重なる戦いで時と兵力を無駄にしなければ、武田信玄はもっと早く織田信長と雌雄を決することができたはずだ。謙信と同時代という天の時、謙信と隣国という地の利に恵まれなかったのだから天下取りは困難だった。しかも寿命という人の最終能力にも見放された。信玄を苦しめた膈(かく)という病気とは?


 天下取りレースをひた走る織田信長を包囲するため、越前の朝倉氏、近江の浅井氏、本願寺などと手を結んだ武田信玄は、信長を討つべく京を目指して進軍した。信玄五十歳。人間五十年と言われた時代、遅すぎた出陣であった。しかもその出陣は予定より二日遅れた。信玄の病気のためであった。しかし、信玄の気力は充実し、途中の三方ケ原で徳川家康と合戦となった。家康の重臣たちは、兵力が少ないので浜松城籠城を主張した。しかし、若き家康は、信玄との決戦を決意。結果は惨敗。命からがら浜松城へ逃げ帰るという体たらくであったが、家康はついていた。武田軍があともうひと押し攻めていたら、家康は滅んだであろう。しかし、信玄はそうしなかったのだ。「勝利は五分を上とし、七分を中とし、十分を下とす。五分は励みを生じ、七分はおこたりを生じ、十分はおごりを生ず」と語っていた名将らしい決断だ。しかし、それだけが理由ではなかった。京への道を急ぐため無駄な兵力の損失をさけたかったのである。その上、信玄の寿命に赤信号が点滅していたのだ。三方ケ原の合戦後わずか三か月ほどで死去するほどの重症だったのである。
 信玄から天下取りのチャンスを奪った膈(かく)とはどんな病気なのであろうか。膈とは胸腹部を意味する言葉だが、やがてその部位に起こる病気をさすようになった。物を食べられないで衰弱して行った経過から胃ガンや胃・十二指腸潰瘍などが有力だが、出陣が可能な小康状態があったことから、吐血のない時は平常状態を保てる胃・十二指腸潰瘍に分がある。また、朝倉軍が織田信長包囲網から離脱したことにより、戦略に大きな狂いが出て天下取りが危うくなったための精神的ストレスが病状を悪化させたことからも胃・十二指腸潰瘍が考えやすい。一旦胃・十二指腸潰瘍ができると、ストレスにより悪化する。しかし、胃・十二指腸潰瘍ができるのは、たいていの場合、ピロリ菌の感染が原因だ。ピロリ菌は薬で除菌できるので専門医受診を。胃潰瘍をつくって貧血をおこすピロリ菌は胃の吸血鬼とも言える。怪奇映画の吸血鬼ドラキュラはニンニクが苦手だが、ニンニクは胃の吸血鬼・ピロリ菌にも有効で、繁殖をおさえると言われている。しかし、食べすぎるとかえって胃粘膜を荒らすのでご用心。何事も過ぎたるは及ばざるがごとし、である。
 紅茶、にんにく、LG21菌を含んだヨーグルトがピロリ菌をおさえる効果があると言われている。ライバルの群雄よりも若いということを武器にして、無理な攻撃を慎んで専守防衛に徹するよう息子の勝頼に遺言した信玄だが、自身は健康状態を無視した無理な出陣をして寿命戦争に敗れ去ってしまった。無理は禁物である。

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