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院長コラム

北条義時の脚気と精神症状

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ビタミンB1と認知症
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北条義時と霍乱

2022年のNHKの大河ドラマの主人公は、北条義時だ。義時は1224年6月13日に62歳で死去した。『吾妻鏡』には、
「日者(ひごろ)脚気の上、霍乱(かくらん)計會すと云々」
 と書かれている。義時は脚気が持病であった。それに霍乱が重なったために死去したというのだ。

霍乱とは、暑気あたりとか、激しい下痢や嘔吐を伴う病気と解釈されている。「鬼の霍乱」という言葉があるように、鬼も降参するほど激しい症状を呈することもあった。実際、当時の『病草子(やまいのそうし)』という書物には、
「霍乱といふ病あり。はらのうち苦痛さすかことし。口より水をはき尻より痢をもらす。悶絶顚倒してまことにたえかたし」
 と書かれている。強い腹痛、嘔吐、下痢のため、苦しみ悶えて倒れるほどの激しい症状を呈する病気で、後年にはコレラを意味することもあった。

しかし、この時代より前の平安時代、持病の糖尿病の合併症である狭心症で苦しむ藤原道長の病状を、『御堂関白記』は、
「胸痛発動、(中略)、霍乱の如し」
 と記している。ここでは、下痢には関係なく、胸腹部の激痛を霍乱と称しているのだ。

ところで、義時だが、脚気以外に注目すべき症状があった。死の前日の『吾妻鏡』の記述だ。

「前奥州義時病悩す。日(ひ)者(ごろ)御心神違乱せしむといへども、また殊なる事なし。しかるに今度すでに危急に及ぶ」
 つまり、義時には日頃から精神症状があったのだ。しかし、特に重病というほどではなかった。ところが、今回のものは重篤だというのだ。

義時を悩ませていた精神症状とは何だったのか。また、その原因は何だったのであろうか。もちろん当時の人には分かるはずもなく、現在でも歴史に関心のある人を悩ます問題だ。
しかし、この精神症状は、義時に脚気があったことを考えると簡単に説明できるのである。脚気と精神症状、両者の関係とは?

ウェルニッケ脳症

脚気による精神、それはウェルニッケ脳症である。ビタミンB1の欠乏により起こる精神症状で、幻覚、錯乱、認知症、怒り発作などが見られる。
脚気が重症化すると、脳においてはウェルニッケ脳症が出現する。義時はそれに悩まされていたのだ。

そして、脚気でもう一つ重要なのは、心臓にも障害が出るのだ。動機、息切れ、むくみ、呼吸困難などの脚気心と言われる症状で、それが重症化すると、衝心脚気と言われる心不全を起こすのだ。
現在でも死に至ることがあるが、明治、大正時代には、日本の国民病と言われるほどで、多数の患者が衝心脚気で亡くなった。日露戦争当時の野戦病院には、戦闘による負傷兵よりも脚気患者の方が多いほどであった。

義時の死因

ウェルニッケ脳症による精神障害を起こすほど義時の脚気が重症化していたのであれば、脚気心も重症化していたはずで、義時が衝心脚気により死亡した可能性は確定的と言えるだろう。
衝心脚気では、心不全のために胸部や心窩部に痛みが出現する。重症の心筋梗塞と同じくらいの耐えがたいほどの痛みだ。
しかし、意識が清明であるため、苦しみ悶えながら死に至ることがある。また、悪心、嘔吐、下痢などの消化器症状も見られることもある。

すると、義時の死因は脚気に霍乱が合併したと、腹部症状を説明するために霍乱を持ち出す必要などないのだ。
霍乱と思われた腹部症状は衝心脚気に合併したものであり、義時の死因は衝心脚気そのものだったのである。
また、義時の死の約3か月前の3月23日に、伊賀守朝光の三男である伊賀光資が脚気により死去したと『吾妻鏡』に記されているように、脚気は当時の上級武士にも見られた病気で、死に至る病だったのである。

脚気の原因

脚気はビタミンB1不足による病気で、日本以外にも、白米を多食するアジアの人々に多い病気だ。
同じ米でも、玄米にはビタミンB1が豊富な「ぬか」があるので、玄米を食べる人には脚気は見られない。味を良くするために玄米を精白した白米の偏食により脚気は起こるのだ。

義時の時代、米の精白度は低く、ぬかの部分の除去が不十分だったので、義時の脚気は米の偏食によるものではなく、タンパク質、脂肪などの欠乏を伴う粗食によるものとする説がある。
しかし、ビタミンB1が欠乏するほどの粗食とは、飢餓状態に匹敵するほどのもので、武士がそんな食事をしていようものなら、戦などできるはずがないのは明白だ。やはり、この時代でも、白米の偏食が脚気の原因だったのである。
なぜなら、この時代よりも数百年も前の平安時代から脚気が見られていたからである。しかも、栄養状態の悪い貧しい人々にではなく、貴族の間によく見られていたのだ。
平安時代初期の『落窪物語』にも「脚の気おこりて」という言葉で出てくるし、有名な清少納言の『枕草子』には、
「病は胸。物の怪。あしの気。ただそこはかとなく物食はぬ」
と、「あしの気」として脚気のことが記述されている。つまり、平安時代にはすでに米の精白技術はかなり進んでいて、貴族たちは白米を偏食していたのである。

白米の偏食とならんで、もう一つの脚気の主要な原因は、アルコール依存症だ。
東洋の脚気の原因が白米偏食なら、西洋の脚気の原因は、ほとんどがアルコール依存症なのだ。
そこで義時の脚気に戻るが、この時代、義時だけではなく、他の上級武士も脚気になっていたので、すでに貴族のように精白度の高い白米を食べていた可能性が大きい。
もう一つ考えられるのは、武士には酒を多飲していた者が多く、そのために脚気になった可能性がある。義時もアルコール依存症であった可能性は否定できない。武士の付合いには酒が欠かせないからだ。
しかし、いずれにしても、義時の死は衝心脚気という重症の脚気単独で説明がつくのである。

重症糖尿病と消化器症状

では、ほかに義時の死因として考えられる病気はないのであろうか。
義時が糖尿病で亡くなったと考えられる時政の子であることを思い返すと、義時も糖尿病であった可能性がある。
その場合、最期に見られた霍乱という嘔吐、腹痛などの消化器症状は、糖尿病が重症化したことによるアルコール性ケトアシドーシスや乳酸アシドーシスで説明可能となる。
糖尿病性ケトアシドーシスは1型糖尿病に多いが、アルコール依存症に嘔吐、脱水が加わると出現することがあるのは御承知の通りだ。

これらの病態では、急性腹症類似の嘔吐、腹痛などの症状が見られる。
また、いずれの場合も、アルコールの多飲や感染症が引き金になることが多い。これら重症の糖尿病では、傾眠から昏睡に至る意識障害が見られる。
義時の日頃見られた「心神違乱」と言われる精神症状は、重症の糖尿病による意識障害のためであったとも解釈できるのだ。

このように、脚気単独でも、それよりは可能性は低いが、糖尿病でも義時の死の説明は可能だ。しかし、義時が糖尿病だとすると、治療法のなかった当時としては、長寿に属する62歳まで、よく生きることができたものだ。
しかし、切手にまでなって、糖尿病の代名詞と言われる藤原道長も62歳まで生きることができたのだから、無治療の糖尿病でも運が良ければこれくらいは長生きできたのだ。

果たして、大河ドラマでは義時の最期はどのように描かれるのであろうか。

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