2004年夏 北海道の17日間の山旅 
     
その2 クワンナイ川遡行からトムラウシへ          

4日目 7月18日(日)旭岳青少年村《20k》 二股 クワンナイ川遡行

 天人峡入り口
1030―585M 1050― 1130から道に迷う、その後、上流を空身で偵察―1400 再出発―1610 650mで幕営

 前夜の雨で少し増水している感じもするが、天気は安定に向かっていると判断し、クワンナイ川に入いる。とり付きはわかりずらい、林道をみつけ、登っていき、最初の2股で、コロボックルが居そうな大きな蕗の中を抜け最初の渡渉となる。この辺はきわめて順調と感じていたが、1ピッチ半で大問題にあたる、道がわからない、渡渉すべきだが、股を越える水流に限界を感じ、高巻きを試みるが、これも両側が切り立ったがけで、この上部を越えることをめざすが、これも困難になり、途中で荷物を置き、さらに上部を試登、きわめて困難となり、遡行の中止を決断して下降をはじめ、シュリンゲでぶら下がり下降しようしたが、耐えきれず2メートル滑落するが、大事にはならず、なんとか、ザックまで戻り、さらに下降し、川原に降り立つ、諦めきれず、今度は空身で枝を杖にもう一度渡渉を試みると、さっきは敗退したポイントはなんとか通過、せっかくなので空身のまま上部を偵察、厳しい渡渉とへつりの連続、後戻りを繰り返し、函の難関に諦めたときに対岸に崖下にバンドのような棚地をみつけ、そこにとりつき、なんとか通過、その後も右岸の崖のへつりをくりかえし、ようやく函を突破し、広い川原に、2時間くらいの時間をかけたことになる。ザックをとりに帰るところで、今回唯一出会った2人組のパーティーとすれ違う、やはり水量は多く、やめたパーティーもあると聞く、人間に会い少し元気が出たが、大幅なロスタイムは大きかった。夕暮れと疲労を感じ、16時過ぎに川原で幕営する。この遡行のために大阪から持参した釣りさおを試してみたがすぐにあきらめ、食事も弁当と残りですませ寝ることにした。

5日目 7月19日(月) 

 
650m 520―二股 920−魚止めの滝 1015−滝の瀬13丁―OH滝1245−上部二股1360m 1340−最後の滝の高巻きで道を失う 1500 道をみつける −1540 源頭部幕営跡地

 夜明けとともに起床し、行動をする。まず、長い長い河原歩きが続いた、1時間ほど行くと、昨日のパーティーがちょうど出発する準備をしているところだった。対岸であったので、手をあげてあいさつをし、すすむ、しばららくすると2人組のパーティーが追いつき、しばらく一緒に行く、川は蛇行し、林の中を流れるところもでる、やがて2回目の函のようなところにでる。ここで2人組が先行して左岸をへつって越えていった。このルート案内は助かった、スタンスはみかけ上ないが、水流の中にへつりのためのスタンスがあった、先行しているパーティーがなければここもきびしい函になったかもしれない。しかし、ここで休憩をしたために大きくこのパーティーと離れ、また孤独な遡行となる。函を越えるとこの先の雄大な滑滝を思沸させるナメも現れはじめ、水流は森の中を分流して緩やかにながれていた。水と岩、緑、最高の遡行だ、やがて両側の山が迫ってきて、大きい2股に出る、このあたりから傾斜が急になってきたことを感じた、段差、小さい滝もあったが、問題はなく通過していった。
 そして、5ピッチ費やしたが、やっと魚止めの滝の前に飛び出た。インターネットの写真でみたとおりの斜め上方から落ちてくる滝は雄大で美しかった。ここでバーナーを出し、感動の中で簡単な昼食をした。(実はここでまい上がってしまっていたのかバーナーとウエストバックを忘れることになり、のちに大変な事態を経験する)
 ここからは比較的に情報もあり、ルートはとりやすかった、滝の右手に明確な踏み跡があり、それに従い、滝を右に見ながら登る、すぐに魚止めの滝上に出て、そこから上にもう一段大きなナメ滝があった。ここを横切り今度は左手に踏み跡に沿い登る、このあたりの水量の豊かさとあたりの緑、両側の切り立った山の景色は最高だった、その滝を抜けるといよいよ数キロ続くあの緑のナメ滝に出た。この美しさに感動し、興奮したことは忘れられないものだった。戦前の登山のパイオニア達が感動したときのまま自然が残されている。興奮しながら、ゆっくりと永遠と続くかのようなナメ滝を登っていった。中心の水流の透き通る美しさ、その横には緑の苔、さらにその横には黄色の花をつけた高山植物が咲いている、その上にはタケカンバなどの緑の木々、有頂天になりがら登っていき、ナメ滝と浅い釜が続き、いよいよそのナメ滝の最上部と思える滝を見たときに、その中心を登ったらさぞ気持ちがいいだろうと思い(判断を誤り)、取りつく、15メートルくらいのやや急なナメ滝だった、半分ほど水流の中心を登ると傾斜がいよいよ急になり、20キロを越える縦走装備ではフリクションが効かず、足元が滑るではないか、戻ることも、横に移動もできず、進退きわまった、下を見ると水流の滑り台は7、8メートル、その下は水深の浅い釜があった、イチかバチかお尻で滑ってしまおう、すべり台のようにうまくすべれればケガがしないだろう、でもここでケガをしたらと思ったがそれ意外の方法もないように思え、思いきって尻もちをついてみた、そうするとなんとお尻とザックの摩擦で、滑らないではないか、そこで重いザックを下ろし、今度はこのザックのフリクッションを利用して、横にトラバースをして行った、3メートル横に移動でき、傾斜のゆるいバンドに立つことができた。あとは、水流の弱く、傾斜のややゆるい水際を登りきり滝上に立ってた、九死に一生を得たとはこのことだと思ったが、美しさに惑わされザックの重さを考えずに直登を試みた愚かさを嘆いたが、無事通過できてやれやれだった。
 しかし、この谷は本当に長い、ここからナメ滝、源流域の沢、そして、少し雪渓も現れるが、また、滝に阻まれる繰り返しが続く、上部の2股の滝はその真中の尾根に踏み跡があった、この滝は落差もあり、あたりの緑もいっそう生え、美しかった、そして、OH(オーバーハング)の滝、ここも事前の情報通りに左手にルートがあった、しかし、ザイルのかかったどろ壁は垂直で、疲れてきた体で20キロを越えるザックを背負って越えるのに不安を感じ、設置ザイルの末端にザックを取りつけ、まず、空身で登り、それからザックを引っ張り上げた、これは無難な判断だった、昨日シュリンゲを握りながら、滑落をとめられなかった不甲斐なさと恐怖がまだ頭から消えていなかった。
 そして、いよいよ、森を抜け、水流はお花畑と雪渓の間を抜ける源頭部に達しようとしていた。雪渓を超え、最後の落差のある滝をむかえ、右岸から高巻きをするべく踏み跡をたどるが、やがて踏み跡は消え、濃い笹薮に入ってしましった。あと200メートルくらいトラバースできればきっと滝上のお花畑に飛び出すだろうと、ヒグマも意識したが懸命の藪漕きをするが、笹薮は手ごわい、1時間ほど奮闘するが思うほどすすまずまたもや進退きわまった感があった、午後3時になろうとしていた、午前5時過ぎから登りはじめてすでに10時間近い行動をして、疲労感も強く、一旦滝下に戻り、ヒバークをして体力を回復させて、翌朝、突破を試みるしかないと藪を下りはじめた、そして滝が見えるところまで下るとなんと藪の手前から滝の口に踏み跡があるではないか、大きな高巻きではなく、滝口へのトラバースルートがあったのだ、この2時間のロスにがっかりしたが、それでも最後の滝を明るいうちに突破し、やっとお花畑の中の穏やかな水流に沿って登ることになり、稜線も見えてきた。少し夕闇が迫る中で、お花畑の中に幕営跡をみつけ、きょうの天場とした。夢のようなヒバークを思っていたが、疲労困憊と日が落ちると寒さ、そして、蚊のような虫の大群に襲われ、素晴らしい景色の中にいながら、テントにもぐり込んだ、しかし、ここで大事件が発覚した、バーナーがないのだ、魚止めの滝でスープを飲んで、ザックにしまい忘れたにちがいない、これはショックだった、疲れた体で暖かいものはなし、幸い食欲も落ちていて、1昨日の朝に作った炊き込みごはんが半分残っていたので、これを食べ、寝る、ラジオが唯一の友になった山行だった。天気は下り坂、バーナーなしで、まだ長い山行の続きを思い、不安な夜だった。

6日目 7月20日(火) トムラウシ登頂

 
425―縦走路のコル615―トムラウシ往復 740―コルに戻る900−分岐 1007−化雲岳1105−天人峡1650―単車に17:15―単車で美瑛へ下山―ライダーハウス蜂の子へ

 夜明けはやはり素晴らしい、まだ、雨はなく、視界もある、高山植物を踏みつけながらの登山は気が引けたが仕方ない、道はところどころあるが、雪渓や水流で途切れ、道を失いながら這い松とごろごろした岩を越えていく、すぐそこにみえている稜線のコルは意外遠く、縦走路に辿り着くには2時間を費やした、3日目にしてやっと一般登山道に立てたことは感慨深い、初日の最初の函ノ高巻き失敗、長い河原歩き、ナメ滝での失敗、最後の滝を越えられず滝下の悲壮なヒバークを決意した時を思えば、無事、クワンナイ川を完全遡行できたことは夢のようだった。天気は明確に下り坂で、視界は悪くなりはじめ、雨が降り出す、本来なら、避難小屋まで2時間で、そこで休養し、明日、トムラウシアタックをかけるべきだったが、バーナーもなく(食料はあるが)、天気も期待できないし、遡行できたとは言え緊張と不安の連続でもあり、精神的にも疲れ果て早く下山をしたい気持ちだった。そこで空身でトムラウシ山頂を往復することにした。ガイドブックには、岩とお花の素晴らしいコースとあったが人跡少ないクワンナイ川遡行のあとでは感動することはなかった、山頂も大きな岩山という感じだった、景色はからくもニペソツや石狩岳と思える遠景もわずかあり、やれやれという感じだった、この縦走路では何組か登山者とすれ違った。ひさしぶりの人間だった。急ぎザックをおいたコルに戻り、下山することをめざした。
 化雲岳への縦走路は素晴らしかった日本庭園と呼ばれているあたりのお花畑は美しかった。ガスと雨の中をひらすら歩く、長い化雲岳の登りを越えていくと、平たい台地のような山頂に大きな岩が崖際にたっている独特な山容だった。風も強く、休憩も取る気もしなかったが、荒涼とした砂礫の中にコマクサが群生しているのが唯一の救いに感じた。小化雲岳に続くピークをトラバースぎみに越えるとひたすらお花畑の中をゆるい下りの中でつきすすむ、まったく人がいない世界になった。天人峡までは長い長い尾根道の下り、20キロ以上続く、雨とガスの中、耐えるような登山になった。それでも高度がどんどんを落ち、やがて潅木帯、そして、美しい樹林帯へと戻っていく変化は感動した。湿地帯に花が咲き乱れ、そのまわりを黒緑の森が囲む景色は素晴らしいものだ、急な下りも交じりながら、いよいよ滝見台がちかづき、対岸の滝ガ見えた。この滝の落差は本当にすごい、天上の世界から一気に下界に垂直に水がおちていた。日没との競争を意識しながら、なんとか下りれると信じ、粘り強く歩く、やっと天人峡の温泉のホテルがみえはじめ、最後の急な尾根をジグザクに下りる。午前4時過ぎから午後5時、雨の中13時間を越える行動、バーナーなしで満足な食事なしの2日間の山行は全身に疲労感がました。天人峡の車道に出たときはフラフラだった。それでも車道を単車まで歩き、温泉ホテルとも思ったが、都会の灯も恋しく美瑛の町をめざして単車を走らせた。
 1時間くらいか、単車を走らせ美瑛に、ライダーハウスを探し、まだ暗くなるまえにやっとライダーハウス蜂の子に到着、10名ほどのライダーがいた、仕切っている女性の世話で、受付をすませ、銭湯の場所、本に出ている名物のとんかつ屋の場所を確認して、夕飯、風呂へと…
 カツ定食700円はすごい、大きさ、味とも絶品だった。銭湯も小さかったがなかなかいいところだった。

7日目 7月21日(水) 洗濯、旭川へ買い出し、美瑛の丘

 蜂の子は居心地抜群、洗濯機、洗剤まで使えて500円は安い、オーナーのおじさんもいい、クワンナイ川での様々な失敗と疲労を飛ばし、旅の続きの準備にとりかかる。まず、洗濯、すべてびしょびしょだったが、洗濯機にかけ、裏の干し場を独占してすべて広げた。そして、なくしたバーナーの変わりを買いに日曜大工ショップにいくが山用がなく、情報収集に美瑛町役場へ、電話帖で、旭川の山の専門店に最新型があることを確認し、買い物に行く、60Kくらいだったが、ツーリングとなった。帰りに美瑛の丘のツーリング、写真も取り充実の一日となった。さらに山のショップで重大な情報も、幌尻岳一帯が昨年の台風で林道が崩壊し入山できないとのことだった。再度、美瑛町役場に行き、関係自治体、機関の電話を教えてもらい、問い合わせの結果、すべてのアプローチルートが「だめ」でした。そこで計画を変更し、ライダーハウスで連泊し、十勝岳、美瑛岳をめざすことにした。
 その日は、あの後藤久美子と田中那衛が混浴した吹上げ温泉にはい入りに行く、ライダーハウスから小1時間だった。大変な混みよう聞いていたが、そこそこの賑わいで、ちょうどよかった。なによりもよかったのが、3人の美女がビキニ姿で現れ入ってきたではないか、一人は黒、1人はレインボーカラー、1人オレンジ、スタイル抜群、顔もグット、目がついつい言ってしまってこまった。熱い風呂と普通の風呂の2段になっていたが、熱い方は地元のおっちゃん、おばちゃんが囲んでいた、その中に入っていくと、おばちゃんがとなりに来て世間話をしに来るこれもこまったものだったが楽しい想い出となった。緑の森の中の素晴らしい混浴露天風呂だった。帰りは少し寒かったが、途中でゆでトーモロコシやキュウリ、トマトを買い、駅前の鈴木商店でツボタイのひらきを買い、ライダーハウスに戻った。昨日くらべるとライダーの数は減り、10人足らずだったので、相談するとはなしに人が集まり、持ちより宴会となった。みんな貧乏旅行をしているようで、ツボダイ、ホケのさし入れはすごくよろこばれた。もう3ヵ月も旅している人やここに住み着き明日から農協で小麦の収穫のバイト行く人、高齢者の夫婦、チャリダーのおねぇさんなど多彩な集まりで楽しかった。


北海道の17日間の山旅 その3 十勝岳 へ