大般若経

大般若経600巻は、表紙朽葉色雷文・墨漆塗りの巻子本で、第1巻は縦25.5センチ、全長9.65メートル、17紙を使用している。筆法や紙質から平安初期のものとみられ、筆跡の違いから、14、15人の写経生によって書かれたとされる。
この大般若経600巻と若狭姫神社には次のような言い伝えがある。
弘法大師(空海)は、延暦16年(797年)小浜市野代に妙樂寺を建立し、僧行基が養老3年(719年)彫った千手観音菩薩像を本尊として祀った。その工事のさなか、一人の美しい女性が現れ、食事の仕度や洗濯など、甲斐甲斐しく人夫達の世話をした。 弘法大師はいたく感謝し、その礼として女性に望みのものを尋ねたところ、女性は大般若経600巻を望んだ。弘法大師は大急ぎで、7日間の内に書写し、女性に授けた。実はこの女性は遠敷明神豊玉姫命で、大般若経を若狭姫神社に持ち帰り、神宝として納めたといわれる。