46話 Contemplation

十二月十二日日曜日。
本日は、茉子の誕生日。それは、あの手紙が届くことを意味している。彼女と交わした最後の約束、そして彼女からの最後の言葉……。

今日は、茉子をアパートに呼んでいる。理由は、今日が何の日であるかを考えれば簡単だ。僕は、昼前に駅前にあるケーキ屋へと出向いて、そこでモンブランを二つ買ってきた。茉子指定の店の茉子指定の品で、お勧めの一品らしい。どこか、誕生日にそういう選び方が合わないような気もするが……。

──ピンポーン──
室内に、ドアホンの音が響く。来客を告げる合図が鳴り響いている。本日は晴天、空は晴れ晴れしていて、雲もそれほど見えない。天気予報によると、今週は晴れの日が多く、日本の上空には高気圧が停滞しているとのことだった。秋晴れの空の下、微かに心地よいほどの風が吹いていた。僕は、料理器具を洗う手を止めて、玄関へと向かう。足音に気がついたのか、ドアはゆっくりと開いていき、そこに茉子が現われる。
「渡晴くん、今日はよろしくね」
「ああ」
普段と何も変わらない服装で、着飾ることもなしに彼女はやってくる。寧ろ、その方が気楽な感じがしていいと思う。かくいう僕も、普段どおりの格好でいて、特に着飾っていない。ただ、エプロンがぶら下がっていることを除いて。
「あっ、ごめん、まだ作ってる途中だったんだ」
彼女の気遣いが寒空にほんのりと温かさをもたらす。それは、やんわりと包まれた気分になるようなことだった。

「……これを私が渡晴くんに渡すのも、変な話だけど」
茉子は、そのモンブランを食べる手を止めて、持ってきたポシェットから出した封筒を僕に差し出した。
「美久も、僕のアパートのポストに入れればいいのにな……」
「うん……」
リビングに置かれた戸棚の引き出しからはさみを取り出し、封筒の端を僅かに切る。封筒は僕宛て。口には封がしてあった。切り取った細い紙をテーブルの上において、僕は封筒から便箋を取りだす。三枚の紙。白い紙に線が引いてあるだけのシンプルなもの。そこに柔らかな筆跡がある。見上げて、茉子の様子を伺う。彼女は僕の視線に気づいて、
「別に、私のことは気にしなくていいから」
「うん……」
茉子からの了承を得て、僕は便箋を持つ手をテーブルの上に乗せる。そして、恐る恐る便箋を開き、その一枚目を見た。

  渡晴と茉子へ
この手紙を読む時は二人で一緒にいると思うけど、その状態で読んでもらうことを前提として書いてます。だから、もし今二人が一緒にいないなら、いるときに読んで、もし今二人が一緒にいるなら、二人で読んでほしいと思います。
さて、最初に二人に謝らなければならないことがあります。実は、私が現世にいることができたのは十四日間──つまり、二週間ではなくて、十五日間でした。だから、あの日私は茉子が本当の意味で告白したことを知っています。そして、その日から二人が本当に付き合い始めたことも知っています。二人が付き合うふりをしていたこと……、それが私のためであるということを知って、嬉しいと思うけれども、少し小憎らしくも感じます。単に二人にまんまと騙されたことが、少し恥ずかしいだけだけど……。ともかく、これで二人が本当に付き合うことになったのを喜べる気がします。
私から改めて、おめでとう。
ところで、封筒の中の便箋は三枚あると思うのですが、残りの二枚は個人に宛てています。片方が渡晴宛て、もう片方が茉子宛てです。この一枚目をどちらが先に読むのかは分からないけど、他人のを勝手に読むのはダメだよ〜。

「──だってさ……」
読み終えて顔を上げると、茉子は少し顔を赤らめていた。
「美久は……、私があの日、渡晴くんに言ったことを聞いてるんだね……」
茉子の僕に対する告白、あれからもう二ヶ月半か……。
「どうやら、そうみたいだな」
「私たちも、美久に嘘ついてたから、文句は言えないけど」
茉子はそう言いながら、僕の目の前にある美久からの手紙を取り上げた。そして、二、三枚目をちらりと見て、うち一枚を僕に手渡して言う。
「はいこれ、渡晴くんの方。敢えて一枚目にこうやって書いてある割に、少ない気がするけど……」
「うん……」
手渡されたそれを見て、僕はただそれに同意せざるを得なかった。

  渡晴へ
最後の一日、黙っててごめん。でも、私がいなくなったあとの二人を見ておきたくて。渡晴のことは信頼しているけど、やっぱり心配だったから。でも、もう私がそうやって心配する必要もないみたいでよかった。自炊もできるようになったし、健康面ではとりあえず安泰かな。あとは、好き嫌いせずに偏った食事を摂らなければ大丈夫。それから……、茉子の気持ちに、ちゃんと気がついてあげてね。別に、渡晴が鈍いって意味じゃないよ?茉子が自分の気持ちを押し隠す方だから、渡晴がちゃんと気がついてあげなきゃならないと思うの。だから、それだけはお願い。それじゃあ、また、何処かで会えれば。

「何処かで会えれば……?」
その言葉に疑問を抱いてか、僕は知らぬ間に口に出して言っていた。
「渡晴くんも、そんなことが書いてあったの?」
「茉子もか?」
「うん、最後の文に同じように」
「それって、生まれ変われるってこと……?」
「分からないけど、もしまた会えるなら、その時はお礼が言いたいな」
何もない、天井を眺めて、茉子はまるで天高くが見えるかのようにそう言った。

「ほんとはね……」
お風呂に入り終えた二人が、あのベッドに部屋を暗くして寝ているときに、茉子はそう切り出した。
「渡晴くんとは、友達としてそばに居られれば、それだけで満足だって思ってたの」
暗く静かな部屋に、茉子の声が僅かにこだましていた。
「付き合って、恋人っていう関係にならなくても、ただそばにいてくれるだけで十分だって」
そうやって茉子は静かにゆっくりと語っていた。
「でもあの日、渡晴くんが美久と付き合うって聞いた時、何故かそれが気に食わなくて……」
それに対して、僕はただ耳を傾けて静かに聞くだけで……。
「自分でもそう思うことが不思議だったよ。まさか美久に嫉妬するなんて……。でも、美久がああやって戻ってくるような頃には、もうとっくに諦めてたよ。私には、三年も時間があったのに、そこで何もできなかったんだから、渡晴くんと付き合えなくても仕方ないって」
三年……か。あの時の美久は、茉子が僕のことを好きだと知って、あんな質問を彼女にしたのだろうか。今はどうしているだとか、連絡はできないのかとか。目の前に僕がいたのに、美久は……、試していたのだろうか……。
「でも、戻ってきた美久に改めて自分の気持ちに気づかされて、やっぱり渡晴くんにちゃんと言おうって思ったの。このまま何も言わずに大学を卒業してお別れだなんて、悔いが残るだけだと思って……」
きっと僕は、大学を卒業してもどこかで茉子と繋がっていたいと思っていただろうけれども。
「そうか……」
「えっ、起きてたの? て、てっきり、寝てるものだとばかり思って……」
それを聞いた茉子は驚いたようにそう言って、向こう側を向いてしまった。
「まぁ、結果的にはこうやって付き合えているんだし、よかったよな」
「う、うん……」
向こうを向く彼女の口から、恥ずかしそうにそう言う言葉が漏れる。
「僕も、どういう形であれ、茉子とは一緒にいたいと思っていたけど……、まさか付き合うとは思わなかったな」
このまま、友達として、親友として、級友として、過ごすのだとばかり思っていた。
「私も……、ずっと、二人を見守ってるだけだと思ってたよ」
茉子はそう言って、身体を元の位置へと戻して、ぼんやりと天井を眺めていた。
「……こうしていられるのも、美久のおかげだな」
「うん。美久が戻ってきてくれていなかったら、私たちは今まで通り昼食を共に過ごすだけの仲だったと思う」
「もしかすると……、美久は、天使だったのかもしれないな……」
なんとなく、そう思う。根拠なんて、どこにもないんだけれど、なんとなく。

それから、聡司はあれからどうなったのかについて。
彼は、美久が還ってからしばらくして、とある女性と共に昼食の場にやはり少し遅れてやってきた。そして彼は言うのだった。
僕は彼女と付き合うことになったのだと。
だから、彼女もこの場に加えて欲しいと。
僕らは彼女を快く迎えたけれども、彼が突然彼女を連れてきた理由も、突然彼女と付き合うことになった理由も、まったく分からなかった。
でも、一つだけ分かっていたことがある。それは、数日前、彼女の元にある女性から手紙が届いていたということ……。

←45話

タイトル
小説
トップ