第二十九話(S) 秘密

今日、一月二十八日の土曜日は引っ越しの日。
引っ越しと言えども大して遠い距離を移動するわけではないけども。
でも家の中にある荷物を纏めて、箱詰めしたり積み荷にしたりはしなければならない。
今日は土曜日だからもちろん授業はあるのだけども、学校に行ってては用意が間に合わないので休んでいる。
朝、いつもと同じように新聞を取りに出ると、いつもと同じように育人君がいた。
まあ、当然なんだけど……。
そこで何時に出るのかなんて訊かれて最後のその時間は終わった。
なんだか最後にしては呆気ないものだったような気もするけど。
まるで育人君が朝に会えるのは今日が最後だってことに気付いてないのかというくらいで。
学校にまた一人で行かなきゃならないなんてことは言っていたけども、朝のことには一触もしない。
……本当に気付いていないんじゃないだろうか。
朝のあの時間と言えば一昨日なんかは――
「あれから仁志と美樹、ずっと喧嘩してるって感じでしょ?」
まあ、見た目はどう見ても喧嘩してるように見えるけど。
「うん」
「それで昨日美樹と話してたみたいだけど……どう?」
「美樹ちゃんは仁志君と喧嘩してるとは思ってないみたいなんだけど」
と、美樹ちゃんから聞いた在りのままを話す。
「えっ、なら喧嘩してると思っているのは仁志だけなわけ?」
やはり美樹ちゃんの読みが深すぎて、仁志君にはまるで伝わっていないみたい。
あれで仁志君が分かっていたらあんなに揉めるはずもないし。
「やっぱり美樹ちゃんのいう通り分かってなかったのか……でも普通は気付くはずないと思うけど……」
「えっ?」
「あっ、こっちの話だから気にしないで」
「そう?じゃあ美樹が突然焼きもちなんか焼いたわけは?」
気を使っている本人に焼きもちを焼いていたと言われては元も子もない。
結局美樹ちゃんは縁の下の力持ちであって、上にいる人―勿論育人君のこと―はそれに気付いてない。
しかもそれが焼きもちだって誤解されているのがなんだか可笑しくなってくる。
「えっ、焼きもちのわけ?あれは焼きもちなんかじゃなくて……」
尤も、自分も焼きもちだと誤解していたわけだけど。
「じゃ、じゃあ美樹が怒ったわけは?」
「う〜ん……」
美樹ちゃんが怒った理由。
それは仁志君が育人君よりも先に約束を取りつけようとしたから。
でもなんだかそれを言ってしまうと、他のことまで坦々と喋ってしまいそうな気もする。
他のことというのは、仁志君が二股をかけるだとか代わりに美樹ちゃんが付き合うだとかそういうこと。
まさかそんなことを育人君に話すわけにもいかないし……。
ここは女の子の話ってことで、育人君には秘密にしておこう。
「それは、ひ・み・つ」
なんだか育人君が納得できないって顔をしている。
そういえば、また連絡取れるように電話番号でも訊いておかないと。
「あ、そうだ、また電話かけたいんだけど電話番号教えてくれない?」
「えっ、うちのは○○○○-△△△-×××だけど」
「じゃあ何か用があったらかけるね」
「う、うん」
――なんて、話をしていた。
でもあれから仁志君と美樹ちゃんは全然話さない。
美樹ちゃんだって喧嘩してるつもりがないなら少しくらい仁志君とも話せばいいのにとよく思う。
ともかく引っ越しの準備を済ましてしまって育人君が見送りに来るのを待つか……。

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