フランス語で虹にかかる橋。名付け親はリーダーtetsu。
各々が持っている強いカラーが上手く合わさって調和が取れている。 まさにそんなバンドだ。
メジャーデビューして10年。結成して13年。その歴史の中で私が触れてこれた時間はほんのわずかかもしれない。
しかし、私の生きてきた時間の中でいつの間にか半分近くを彼らなしでは語れないのではないかと思えるところまできてしまった。彼らって一体何?自分にとって何?客観的にどうだろう?そんなことを語りたくなったのだ。

L'Arc〜en〜Ciel(ラルク アン シエル)。まずそんな不思議な響きが気になって仕方なかった。浮世離れした不思議な異国人のような顔立ちをしたヴォーカルhyde。私は最初、勝手にフランス人と日本人のハーフだと勘違いしていたという話まである。髪は漆黒なのに、恐ろしく色が白い。ある意味すごく怖い。第一印象の彼の印象は意外にも「怖い」だった。

ラルクアンシエルが結成され、インディーズ時代を経てメジャーデビューするまでの期間が、他のバンドに比べて恐ろしく早い方だとは思うのだが、それまでが意外に波乱万丈だったということを次第に知っていく。まず、現在のオリジナルメンバーになるまで実に7人の人間が関わっているということ。結成当初からいるのはリーダーtetsuとヴォーカルhydeのみ。結成当初の初代ドラマーがpero、ギターがhiroだった。そしてギターのhiroがDUNE(インディーズ第一弾アルバム)レコーディング直前にhiroが脱退。そして新しいギタリストとしてtetsuの近所の一つ上の幼馴染み、kenが加入。
 
  やがてデンジャークルー(現在所属事務所)との契約が決まり、そろそろメジャーかという時にperoが脱退を表明。そこへ新しいドラマーのsakuraが加入。

そして1997.1.29,30 日本武道館がsakuraの最後のステージとなってしまう。偶然かもしれないけど、今思えばこの日はhydeの誕生日だった。翌月24日。sakuraが覚せい剤取締法違反で逮捕される。以後しばらく自動的にラルクの活動は一時休止状態となる。

そして1997.12.23東京ドーム。L'Arc〜en〜Ciel、RAINCARNATION。この復活ライヴから事務所の先輩でもあった元DIE IN CRIESのドラマーyukihiroが正式加入する。

何気に結構大変なラルクさんですが、私が知った時は今までこんなことがあったなんて知る由もなく、sakuraに対してそこまで重くもとらえていませんでした。友人がインディーズの頃からL'Arcが好きだったらしく、それを知らないままその子の家でL'Arcが流れていたり、ビデオを見せてもらったり写真集を見たりしていました。そしてドラムのsakuraが覚せい剤で捕まって、sakura fanの友人はひどくショックを受けて、そのうちにファンを辞めてしまったりして。そんなときに私は次第にL'Arcに興味を持ち始めて、少しづつ追求し始めている。そのときリアルタイムで知っていればどれだけよかっただろう、どれだけその友人の気持ちが痛いほど理解できただろう。もっと早く知っていればどれだけもっと幸せだっただろう。いろんなことを思うけど、今となってはそんなことはどうでもいいことだと思える。

 時間はかかったし、タイムログは生じたけれど世の中が便利だったおかげで、過去の雑誌や映像などで十分知る事ができたし、周りの環境や楽曲の変化でも十分知る事ができた。そりゃそのときリアルタイムでライブへと足を運んで感じたことまではわからないけれど。これからのL'Arcは必ず自分で味わうことができるから。そう思った。私の性格上はまってしまえば一直線。全部知らないと気がすまないたちなので、はまってしまってからはサルのように映像を探し回ったし、昔の雑誌やグッズはあさったし、知れるような情報はかたっぱしから入手した。大好きな彼らを知るためならなんでもした。ある程度落ち着いたらあとはじっくり昔も今もひっくるめて見守っていくだけ。

 そんなことをしながら気がついたら19歳になっていて。成長期はすべて彼らにささげましたみたいな(笑)そんなかんじです。

L'Arcには櫻事件のあとにもう一つ転機が訪れました。それまでL'Arcと櫻の間にはずっとしこりが残っていたように思うし。ファンと櫻の間にも溝があったように思える。そして復活後に櫻を知った人はなおさら彼を知らない。私も捕まった当初は彼がどんな人かもほとんど知らなかったし、無口で淡々とドラムを叩き、トークではたまにおちゃらける印象しかなかった。

何気にL'Arcで一番最初に逢ったメンバーはでした。友人に連れられ、梅田のタワレコへ櫻がバンドを組む、音楽の世界へ再び帰ってくるということで観に行ったのがZIGZOでの櫻でした。運良く櫻の目の前で、すっごい近くで櫻を見て「あぁ男前だなぁ。ぜんぜん怖くないじゃん。仲よさそーだな」そんなことを思っていた記憶があって、当時小学生で門限があったためバイバイをしたら櫻がバイバイをしてくれたこと。そこで「あ、この人はすごくやさしいのかもしれない」そんな印象だった。

その話はさておき(^.^ ;櫻の真相を映すべく連載「櫻澤の浮気」がアリーナ37℃で開始される。開始された当初は全然知らなくて、高校のとき図書館でバックナンバーを発見し、まだ連載が続いてはいたものの、もう終わりかけで気がついたら終わってて、気がついたら単行本「櫻澤の本気」通販限定本の締め切りを一ヶ月過ぎていて、散々だったという結果に終わる。しかし、諦めずに音楽専科社に問い合わせたところ、若干残りがあって買えることができた。その著書をどうしても手に入れる必要があった。

それは「加筆」の部分。もちろんそれまでの彼のこだわりやスタイルや思い出にはすごく興味があったし、共感や尊敬できる部分が多々あるため、それだけでも価値があるのだが、その前に一番知っておかないといけないこと。L'Arcを愛していくために絶対知らないといけないことが加筆に詰まっているのだ。それはもちろん、なぜ彼が覚せい剤に手を出してしまったか、だ。

彼の著書や、映像や発言を知っていくうちに彼の性格はわかったつもりだった。そしてそのつもりがつもりだけだったことから予想外の事態を招いてしまったのだ。彼だからこそ、単に手を出したわけではない。そう思っていた。その通りだった。当時、うなぎのぼりだったL'Arcのスピードに彼だけはついていけなかったのだ。CDが売れれば次のステップへ、次へと気がはやり、周りのスピードも加速するために目の前のことを一つずつじっくりとやってはいけない。やりかけのことがあったとしても前へ進まなければならない。彼はそこにギャップを感じていたのだ。うまく頭が切り替えられなかった。どうして見えない?目の前のことをもっとじっくりひとつひとつやっていこうよと。(彼の言葉を少し引用いたしました。すんまそん)そんなすれ違いをメンバーに話す事もできず、一人で悩み続けて手を出してしまった、と。

それによって招いた事実に、どうして言ってくれなかったんだとメンバー全員は苦悩の日々を過ごす。休止中彼らはイギリスで共同生活を行うことになるのだが、その中でもhydeは考えないようにフィギィア作りに没頭しながらも、夢に毎日櫻が出てくるほどだったようだ。

やっと櫻の気持ちがようやくわかってきたころ。(←これは勝手に自分がね。)L'Arcは無期限の長い長い休止活動に入りました。ほんとに最初の一年は苦痛だった。なにやってんねんってくらい動きがなくて。やがてリーダーtetsuがTETSU69とソロ名義のシングルをリリースするようになり、yukihiroがacid androidプロジェクトを結成。hydeがevergreen発売と同時に個人FCサイトHydeistを設立。やがてアルバムROENTGENをリリース。そんなことをやってるあいだにいつのまにかZIGZOが解散していて。櫻は何をやっているんだろう?そんなことを思いつつもそーいやkenちゃんマージャンやら野球ばっかやって何してんねんやろう。そんなことを思いつつ会報をふと眺めていると、野球チームにSという人が?!それがどうやら櫻という話が出てきて、そして風の噂でhydeが櫻に久々に電話かけて以前と変わらない態度に感動したって話やら、kenちゃんとhydeと櫻がどうやら遊んだり音を出したりしているという話を聞いたり。あーよかったなぁ櫻。

 そんなほのぼの話を聞いていたらいきなりメールで「ken SONS OF ALL PUSSYS 札幌KRAPS HALL」ってメールが来て。なんじゃそりゃ?しかも明日やん日付?!どうやら櫻もいるらしいな噂まで聞いて。なんじゃなんじゃ?!何が起こったのかわからず、そんな状況なのにも関わらず札幌に行っちゃった友人を迎えて話を聞くと「kenちゃんがライオンのようになってて、櫻がドラムでドイツから輸入してきたアインという人と一緒にやってて、フェリーで札幌にやってきて、kenちゃんが歌ってた」そんなわけのわからない話だった。しかもバンド名はかなり卑猥で日本語に訳すのがいまだに怖い感じで(笑)

そして次は何をやらかす気だろう...そんなときにある友人と次は京都ミューズホールだという噂がどこからともなく回ってきて、一週間前に会場に電話を入れるが知りませんの一点張り。思えばカケでチケをとればよかったが手遅れ。また次は二日前告知で「京都ミューズホール出ます」だった。すぐコンビニに向かったが、もともとムックのライブだったためにSOLD OUT。出るあてもないままミューズホールへ。当日券は出ませんといわれながらも雨の中、待ち続けて見事ゲット。待ってる間中からkenちゃんの歌声が聞こえてくるも想像ができないため、わけわかめ。やっと入れることになり、目の前で歌うkenちゃん、そのうしろで叩く櫻がそこにいた。

まさかそんな絵図が見れるなんて思いもしなかったから。櫻のずっと願っていたことがそこで叶うと思いもしなかったから。本当に泣きそうになった。そこで初めて某マスターにお逢いして(爆)そしてぼーっと会場内の階段に座っていたら、かの有名な(爆)L'Arcの専属カメラマンなのか?!チャーリーことおぐるまさんが降りてきて、次につるのアロハを着たジャックデンジャーこと大石社長が。次になんとkenちゃん、アイン、櫻が横を通り過ぎてしかもおつかれさまでしたっていったら櫻がおつかれっていってくれて!

そしてそっから某マスターと櫻やkenちゃんの久々の再会から、当時台湾でムーンチャイルドの撮影中か帰ってきてたかの時のhydeとの接触やなんかで、次回は三日前告知(爆)和歌山GATEのライヴがブッキングされる。これはなんかあるぞと思いきや必死でチケとり。変わったチケットセンターから(笑)必死の思いで自力でゲットし、なんとステージに飛び入りで台湾から帰ってきたばっかの痩せた、金髪のhydeがひょこっと現れて。hydeに逢えるのもすっごい久しぶりだったし、あんな近いのも初めてだわ、櫻とhydeがやっと同じステージに立ててるところを目撃できたし、とにかくあのステージを共にしたみんなが一番幸せそうだったところから、初めて涙が止まらなかったという人生初の経験をした。(私は感動して涙を流した事が一度もありませんでした)

と、そっからいろんなことがありまして(笑)S.O.A.Pのライヴがバブルフェスティバルという名前に変え、津々浦々気まぐれにツアーをやり、次はレコ発ツアーを津々浦々。遂にはなんとHYDEも加わって再び櫻との共演が実現。これだけはもうないだろうって思っていたことが次々と叶っていく。


バンドのソロをやるとだいたいのバンドが解散していく。例外もあるよといいたいけれど、ほとんどといってそれはない。自分のやりたいことが先行してそのうち音楽性が変わっていってしまうか、バンド内でのトラブルか。そういうバンドはいくつもあった。しかし彼らだけは違った。もともと音楽性がばらばらだったし、お互いそれを尊重し、逆に生かしながらいろんな形に変え、様々な方向に光を放ち、形成されてきた。そのバンド名の通りいろんな色彩をもったバンドなんだなと思った。
  このバンドの強みは全員曲が作れることだと思う。いつも同じ人が作っていると、そのバンドのカラーが確立されてしまうところがあるし、やはりどうしても似通った曲ができてしまう。ここのバンドだけはあまりそれはない。アルバム全体にいろんなジャンルがちりばめられていて、それがなぜか最後はまとまっているという不思議な仕上がりになっている。全員コンポーサーというわけだ。普通できる人間ばかりがそろうとぶつかるとよく人はいうが、このバンドはそれを逆にうまく利用して成り立っている。誰に嫉妬するとかじゃなく、お互いを尊重しあっている。リーダーのtetsuはいつもhydeは天才だと昔から言っているし、kenは最高のギタリストだと皆が言っている。そして作曲者は必ずドラムのyukihiroがやってくれると強く信じて無理な難題を押し付ける。高音が出る出ると無理な難題をhydeにおしつける(笑)こんだけやって「音楽性の不一致」で解散はできませんよーと脅してみる(笑)もともと一致なんてしていないのだから。一致というより不思議な一致。まさにこれこそ化学反応、CHEMISTRYといっていいのではないかと思う。この言葉がこれだけ当てはまるのも他にはないのではないか...と。

ある種L'Arcは今もう1つのバンドだけではなくなっている。ファンにとっても向こうにとっても。L'Arc〜en〜Cielという大きな母体(mother ship)があって、そっからHYDE,TETSU69,acid android,SONS OF ALL PUSSYSと広がっていっているのだ。L'Arcとは全部違うアーティスト、違うバンド。tetsuのソロ名義ではポップな世界が満開で、HYDEは静寂な音楽、精神ロックともいうべきロックから、破壊的なライヴサウンドそのものの叫びを放つロック。yukihiroのソロ名義acid androidではゴシックを含むインダストリアルロックな世界を築き上げ、kenのソロ名義(といっても十分3ピースバンドですが)SONS OF ALL PUSSYSではストレートなうったえかけるロックにエンタテイメント。遊び心満載な行き当たりばったり。音楽ってほんとはこんな単純で楽しいものなんだと教えてくれる。ライヴの楽しさを改めて、いや逆に原点に戻らせてくれたバンドだ。

そんなはちゃめちゃでめちゃくちゃなことを、S.O.A.Pのバブルフェスティバルによってぐちゃぐちゃで(笑)ありえないセッション、ソロ同士が対バンするありえなさ(笑)そんなありえないような光景を次々と見せてくれた。もう何が起こっても驚かないし怖くない。

そんなことを思っていても、昔から彼らには毎回驚かされてきた。

ソロがひと段落したと思ったらまたL'Arcが再始動。昨年の春にバブルフェスティバルでS.O.A.PにHYDEにacid androidが出ちゃったりして、L'Arc復活と称しSibuya seven days2003のライヴを決行。そして年末には遂に所属事務所Danger Crue20周年記念「天嘉2」を日本武道館で開催されたライヴにてなんとS.O.A.P、TETSU69、acid android スペシャルにL'Arc〜en〜Cielが登場。またまたありえないじゃありませんか?!

そしてもうすぐアルバムSMILEリリースに伴い全国ツアーが開始される。6月後半まで予定されているものの、彼らはまたいつ何かをしでかすかわからない。すでにウドー音楽事務所巨大ロックイベント「ロックオデッセイ」にL'Arc〜en〜Cielの参加が決定している。そしてツアーがこれからという時期に7月7日にS.O.A.Pの初めての(笑)(今まで(mini)アルバムばっかりだった)シングルがリリースされるという告知がなされ...またバブルフェスティバル夏の予感...

そしてまた冬には...とぎっちり今年の予定がすでに満タンというL'Arc。昔の大きな転機の壁をもとっぱらい、その壁となったものまでうまく復活させている。戻ってきてほしかった、戻ってこれることができなかった。そんな状況までも過去の事のように思える。そんな問題までもがクリアされ、ただの「過去のこと」として前に進む事ができる。

今は何でもありなんだ。

「今はちょうど的がない状況なんですよ。だからあえて今。かなぁ」

といったギタリストkenの言葉がやたらはまって、やたら説得力があって。的がない闇へ貫いていく。闇を怖がらずにその先にあるかもしれない光に向かって走っていく彼らをずっと応援していきたいと思う。

彼らにもきっと「解散」する時がくるだろう。しかしでもそれは「終わり」ではないような気がする。もーそろそろ休もうか。そんな感じでいきそうな(笑)ぼちぼちやっていつのまにか幻のように消えていく。消えたことすら感じさせないように。虹も出たときはとても嬉しかったりするけれど、いつ消えてしまったのかわからなかったりする。終わりを予想しながら終わりを迎えるのは悲しすぎる。彼らは明日を考えないけど明日を考えてやっているから続いていけるんだなぁと思う。

澪 2004.5.1

L'Q 100
*この質問は 「L'Q100(http://www.young2.net/lq100/)」の提供です。」