うらさんの プロフィール |
ここ、大阪の交野は、連綿とつながる生駒山系の山並を背景としたかざりっけのない田舎町である。なにげなく三十数年住んでしまった。
1945年に生まれ、数年前に定年退職したごく普通の男です。
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巡り合い
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ある内科医との出会い |
2003年9月
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風邪をひいて微熱があるので会社を早引け。ふと、駅前の医院に立ち寄った。 |
診察のあと
先生曰く |
血圧が高い! 下げよう! 血圧を下げる薬を飲んで、タバコもやめよう! 長い間の不養生で脳内の血管が硬化しているから、脳内出血をが起こりやすいヨ! |
うらさん |
脳内出血でコロッとあの世へいければ本望だよ! |
先生 |
脳内出血が起こったとき、コロッとあの世へ行く人はむしろ少ない! 殆どの人が他人の世話にならなければならない。うらさんは 自分だけは違うと思っているけど このままだと いつ起こっても不思議ではないよ! |
うらさん |
ムムム・・・ タバコやめます! 血圧を下げる薬も飲みます
<このとき以来 一本も喫っていません。言いだしっぺの先生は 陰で喫っているようだ>
家に帰って 妻に タバコをやめると宣言。( 今までに何度言ったことか!)
このとき 妻は「喫いたくなったら是を噛んだら・・・」と ガムをドンと一箱
以後一本も喫っていません。夢の中でも喫わなくなりました。
ただし、半年ほどはガム中毒になりました。 |
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血圧の測定結果 2003年 |
2004年 |
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父が亡くなったときから 父が懇意にしていた坊さんに世話になっている。
はじめて 我が家が 真言宗だと知った。
この坊さん、高野山大学を出た人で 若いがエネルギッシュで面白いことを言う。
”仏教とは、生きているもののためにある”
真言宗すなわち 空海さん に興味を持った。 司馬遼太郎の「空海の風景」その他。
密教、遍路、即身成仏、虚空蔵求聞持法 ・・・ なんとなく分かるような気がする。
このときから、仏壇に向かって、般若心経を唱え、南無大師遍照金剛を唱えだした。
いつか、四国八十八箇所めぐりをしたいと思うがいつのことやら。 |
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山登りの開始
利尻富士登山の屈辱
2004年7月26日 早朝より 念願の利尻富士に登り始めた。海抜1720 m
思った以上に 登りがきつい。海から聳え立つ単独峰で ひたすらの登り。汗がだらだら、足が重くなる。
やっと9合目の小屋に到着。疲労困憊の極み。
しかるに妻や同行の人たちはまったく涼しい顔。すぐに頂上を目指すとのこと。
ついに戦意喪失。ここで無念のリタイヤ宣言。
帰りの船の中で、登頂組みのにぎやかなこと。
”鍛えるぞ” ⇒ うらさんの山歩き
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交野山での出会い2004年12月某日
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ある日の夕刻、妻と交野山の頂上を目指していたとき、私たちの前を かなり年配(私に比べて!)の女の人がしっかりした足取りで登っていました。
頂上の岩の上で
”速いですねー よく登るのですか?”
女の人⇒”毎日登っています”
うらさん・絶句 ⇒《 私も毎日登るぞ!》
この時から、ゴルフをやめた。 単純な ”うらさん” です
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知人が曰く
”ある人が、毎日 交野山に登っているそうだ。倉治から登って 20分を切るそうだ”
《私も20分を目指すぞ》 ⇒ うらさんの交野山まいり |
槍ケ岳 還暦登山
2005年8月25日
交野山まいりで山登りに自信が付いてきた。
試しに、槍ケ岳への還暦登山を思いたった。高山が始めての妻を”連れて行ってやる”と同行。
先輩ぶっていたが内心は戦々恐々。遅れをとるまいと必死について行き、ついに槍の穂先に立った。
30数年ぶりの穂先に感無量 ⇒ うらさんの山歩き
穂先で思った。
”何事も行動あるのみ。 即身成仏で行こう”???
思いあぐねていたあばら家の家も ”立て直すぞ!” ⇒ 《うらさんの家創り》
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終の棲家 |
ある工務店の社長
たまたま妻が目をつけていた”家作り勉強会” に参加した。そこで 先生役をしていた「工務店のおやっさん」がなかなか面白い人物で ヅケヅケと物を言う。
曰く
皆さんは ”家を作りたい、作り直ししたい”と言うが 自分がどういう家を建てたいのかがまったく 自分自身でわかっていない。また夫婦でまったく違うことを思っている。
私は 施主さんやご家族との打ち合わせに一年をかける。 それで やっと イメージが固まってくる。
それでもなお 作ってから ”私の思っていたのとは違う”という人がいる。
自分の作りたい家のイメージがはっきりと掴めたら 出来たも同じ。 施主さんのイメージが固まるまで 私は 作らない。
われわれ夫婦も まったくそのとおり。
私たち夫婦も具体的になると二人でまるっきり違うことを言う。
妻と二人で 何度も勉強会に参加。うちあわせも数回。
約一年を費やして やっと「間取り」が固まってきた。
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