〜1〜
 背後を断崖に阻まれ、僅かな平地を求め細長く開ける港町。
 中心に聳える円筒形の塔と、角張った屋根を持つ城。
 赤や茶色をした建物の屋根が引き詰められている。
 今し方、着いたばかりの帆船に群がる人だかり。
 吹く風が甘い潮の香りと共に、波音の合間に街の声を届ける。
 風が辿り着く、街を一望に見下ろす崖の上。
 そこに佇む人影。
 革の鎧に部分的な金属の補強、背中に背負った背負い袋の下から突き出た刀。黒髪に右
半分の銀髪が風に揺れている。
 下ろしていた荷物を持つとゆっくりと港に向けて歩きはじめた。

 活気のある街の市場より少し離れた、海へと続く鋭角に曲がった薄暗い路地。
 空に向けて迫り出した建物と乱雑に置かれた荷物、ゴミとしか言いようのない日用品、
真っ黒に汚れた石畳。その上を変な虫か走り抜ける。
 人通りもまばらで、昼間でも戸は固く閉じられている。
 この路地に不釣り合いな白い服の女性が二人歩いてきた。
 先頭は、赤く長い髪にあどけなさを化粧で隠した顔だち。幾重もひだがある丈長のスカ
ートの裾が持ち上がるほど歩幅を広げて歩く。
 一歩後ろをバスケットを両手で持ち、回りの様子を伺いながら小走りに着いて歩く。
 赤い髪の女性が弾むような声て言った。
 「やはり、此処を通ると早く帰れるでしょう」
 後ろの女性は、眉間に皺を寄せ、バスケットを握りしめて辺りを見回す。
 「しかし、この様な物騒なところはお通りにならないほうが・・・」
 そんな彼女の心配を余所に、今にもスキップを始めそうな軽い足取。
 その足音がぴたりと止まった。
 単調な壁が続く通りの片隅、彼女達の居る所から、そう遠くない路地に身を隠すように
立っている若者の姿があった。
 黒髪の向こうに銀髪が見え、軽装の鎧の隙間から懐に浅く手を入れ、壁からはみ出した
肩越しに何かを狙っている。
 赤髪の女性は、口許を隠して、通路の一角を指差す。
 「あの人、もしかして、殺し屋か何かしら。いえ、きっとそうよ。あの眼光、きっと間
違いないわ」
 「姫・・・いえ、お嬢様、またその様な危険な事を。すぐに引き返してお館に帰るべき
です。あのような者とは関わらない方が」
 「ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ様子を見るだけよ。ねっ。いいでしょ」
 「でも・・・早く帰られないとお作法の時間が」
 すり合わす両手に、赤髪が軽く揺れる。
 「少しだけだから、ねっ。それにあなたも共犯なんだから」
 「共犯とおっしゃっても、ガーネット姫が強引に・・・・」
 赤髪の女性ことガーネットはその口を指で押さえた。
 「シッ。だれかに聞かれたらどうするのよ。町では『お嬢様』って呼びなさいって言っ
たでしょ」
 「今更、『お嬢様』と言ったところで、この街の者は」
 ガーネットは彼女の口を抑え、そそくさと物陰に引き寄せる。
 若者はその懐から一本のナイフをスルリと抜き出した。
 使い込み錆の浮いたナイフ。しかし刃先だけは丹念に研ぎ上げられ、刃に沿って光が走る。
 若者の方を覗き見て、指差す。
 「みてみてみて、動きだしたわ」
 「相手も人間ですもの、動いたりもしますわ。それよりも、お館にお戻りになられた方
が宜しいかと・・・」
 若者はナイフを片手に持ったまま、背中で壁を這うように路地から出てきた。
 路地の向こうには、黒い布を羽織った人影があり、早足に遠ざかってゆく。
 足音を消し、走る若者。
 唐突に素早く身を翻し、反対側の壁際に積み上げられた角材の影に滑り込んだ。
 ガーネットは物陰から身を乗り出す。
 「男の後を追ってみましょう。ついてきなさい」
 バスケットを片手に持ち替え、ガーネットのスカートの裾をつかもうとする手が空を切る。
 「お嬢様。お嬢様の身にもしもの事があれば、その責任は私が・・・・・
お嬢様ーっっ」
 若者の後を追って掛けだすガーネット。
 仕方なく、後を追う付き人。
 若者が角材の影が飛びだすと、振り返る黒い布の人影と対峙した。
 追いかけるガーネット達の動きもつられて止まる。
 黒い布の間から手が上がる。
 若者が身をかがめること無く真横に飛んだ。
 そのまま無造作に積み上げている古びた角材に頭から突っ込む。
 黒い人影はビクッと身を引きつらせる。
 ガーネットは黒い布の人影を見て、咄嗟に身構える。
 「まさか、〔魔導〕?」
 付き人の方は既に逃げる体制が整っている。
 「お嬢様、すぐに逃げ」
 −−−ニギャー!!。
 猫の悲鳴が路地に響く。
 ガーネットの視線が再び若者の方に。
 角材の中から若者が這いだし、身体についたゴミを払い落とす。そして片手には猫が一
匹、力無く垂れ下がってる。
 顔を上げると、ガーネットと目があった。
 ガーネットより小柄な若者。
 ガーネットとその付き人、そして自分の持っている猫を見比べ、後ろ手に隠した。
 「俺の捕まえたネコだ。分けてやんないぞ」
 ガーネットの顔から険が消える。
 「えっ?」
 若者は猫を指差しながら怪訝そうな目でガーネットの方を見る。
 「だから、コレは俺が食うの。言葉、通じてるよな」
 ゲコッ。
 猫を持ったまま、若者の身体が返り打ち再びゴミの中に突っ込んだ。
 高く、蹴り上げられたガーネットの足。
 スカートの裾がゆっくりと羽を下ろす。
 ゴミの中から這い出るとすぐに声を荒らげる。
 「い、いきなり何しやがる」
 顔だけを出した若者にズズイと近づき、その鼻先に白い人差し指を突き立てる。
 「食べるだなんて、どうして動物に可愛そうな事をするのよっ」
 若者は猫の尻尾を持ち引きずり出し、それを指差す。
 「俺の飯だっ。文句あるかっ」
 猫ではなく、単なる物に成り下がった姿を見た途端、彼女が顔から血の気が失せた。
口を抑え、絞り出すように言うガーネット。
 「し、死んじゃってるの?」
 「うんにゃ、気絶してるだけ。殺すと血が溜まって不味く」
 ゲゴッ。
 塵山に、墓石の様にドブ板が突き刺ささり、その下から人間の手と足がそれぞれ一本づ
づ生えている。
 手に付いた塵を払いガーネットが振り返ると、そこには黒い布を外した男が腕組みをし
て立っている。
 さっきの黒い布を着ていた人影だ。
 頭蓋骨が透けるほどに薄い髪に、申し訳程度生える白髪。歳のわりにはがっちりとした
体格で、門型の灰色い口髭の下には、きつく結んだ口許。
 ドブ板の墓標と彼女を醒めた目で見下ろす。
 「買い物にきてみれば、何ですかなこの騒ぎは」
 その男の後ろには、ガーネットの付き人が小さくなって控えている。
 視線が合うと、「すみません」と小声で謝る。
 ガーネットは落ちつかない様子で視線を逸らせる。
 「ブラス先生、どうしてここがわかって?」
 「先に私の質問から答えて頂きましょうか。
ガーネット姫ともあろうお方が、どうしてここにおられるのですかな?。
今はお作法の時間ではありませんかな。それとも他人の空似ですかな」
 ガーネットの顔に影が落ちるほどに顔を近づける。
 「難しいようなので、3択にしまうょうかな。
    1サボって遊びに来た。
    2サボって遊びに来た。
    3サボって遊びに来た。
さ、良く考えて、何番ですかな?」
 更に顔が近づく。
 引きつった笑顔で微笑むガーネット。
 「 4!」
 同時に、ブラスの顔に向けてガーネットが裏拳を放つ。
 さらに内股をかけて体重を預ける。
 ブラスは半歩下がって裏拳を避け、さらに半身を捩じって内股も空かしてしまう。
 態勢を建て直し、構える。
 「姫、そのような小細工は通用しませんよ。」
 ガーネットは空かされた勢いのまま、ブラスの間合いの外へ。
 そうしてそのまま、付き人の方に走り、二人で角を曲がって消える。
 慌てて、追いかけるブラス。


 ブラスの追跡をまき、城に戻る途中もガーネット姫の苛立ちが収まらない。
 「思い出しただけでも頭にくるわ。ね、そうでしょ、あんな可愛い猫を食べるだなんて」
 うっとうしそうな表情を浮かべた付き人。
 「でも私たちだって、お肉を頂きませんか?。姫様の好きなステーキや、昨日のディナ
ーのソテー。それにお昼のムニエルだってそうでしょ」
 ガーネットは付き人の方の顔に自分の影を落とす。
 「それはそれ。判った?」
 付き人は強張った表情で小さく頷くと、彼女はにっこりと微笑んだ。
 「抜け出した事がばれない内に戻りましょう。ブラス先生は時間に厳しいから」
 言うことだけ言うとガーネット姫は一人で歩きはじめた。
 「先程、ブラス先生に見つかってるのですから、今更何を言い訳しても」
 「その時はラピス、また頼むわね」
 「ま、またですか?」
 付き人は溜め息以外、返す言葉がそれ以上無かった。
 そんな時、ガーネットがぽつりと呟く。
 「それよりもあの男、ただの盗賊じゃないわね」
 「それはそうでしょう。猫を捕まえて食べようとしている位の人なのですから」
 「ちがうわ。私の蹴りが入る直前から身体が宙を舞っていたのよ。きっと何か体術が出
来るはずよ」
 ガーネットは親指の爪を噛む。その様子を目敏く見つける付き人。
 「ほらまた、悪い癖ですよ。お作法の先生から普段から気をつけるように言われてるの
ですから」
 「黙ってて。考え事をしてるのだから」
 「そういうのは、無駄な努力と言うのですよ。素直に謝ったほうが、先生もきっと判っ
て頂けるはずですよ。それにだまって外出す」
 「だから、黙っててって言っているでしょ」