ボイジャー1号、2号


打ち上げ時期 1号: 1977年9月 5日
2号: 1977年8月20日
軌道上の重量 721.9kg
ボイジャー・ミッションの主な目的は、1)木星、土星、天王星および海王星の大気の循環、ダイナミックス、 構造および組成の調査、 2)これ等の惑星の衛星の地形、地質および物理特性の確定、3)惑星および衛星の質量、大きさおよび形状の更に精確な測定、4)これ等の天体の磁場の構造の確定および磁場に捉えられた活動粒子とプラズマの組成、分布の特徴を探査することである。
 ボイジャーの本体は、さしわたし1.78m、高さ47cmの十面体の箱型である。直径3.66cmのパラボラ型高利得アンテナがこの上に取り付けられている。低利得アンテナも装着されており、地球との交信はこの2つのアンテナにより行われる。主な科学機器は、本体から2.5m外側に伸びたブームに取り付けられている。このブームの先端は可動式のスキャン・プラットホームになっており、カメラ、宇宙線測定器、紫外線分光器、遠隔分光測定器、プラズマ・荷電粒子検出器、赤外線干渉計/分光計/輻射計、結像偏光計などが取り付けられてさいる。このアームの反対側には長さ13mブームが伸びており、 磁気計が取り付けられている。
 本体から下に伸びた3番目のブームには、電力を供給するプルトニウム238を燃料とするRTG(ラジオアイソトープ熱電対発電器)が備え付けられている。RTGはプルトニウムの崩壊により発生する熱を電力に変換する。発電力は470Wで、上手に使えば2020年まで持続する。更に、長さ10mの2本のホイップ・アンテナ(惑星波・プラズマ波検出アンテナ)が垂直に伸びている。
 地球との交信は高利得アンテナを中心に、低利得アンテナをバックアップとして行われる。収集されたデータは、テープレコーダに蓄えられて後に地球に送られる。地球との距離が非常に離れているため、地球の指令が探査機に届くまでにはタイムラグが生ずるので、ボイジャーは搭載された3台の相互連動作動するコンピュータにより、高度に自律的な振る舞いができるようになっている。
ボイジャー1号は木星系と土星系の探査を目的に、1977年9月5日、タイタン3EセントールD1ロケットに搭載されて打ち上げられ、秒速40.18kmの速度で木星に向かった。この飛行速度により、2号から16日遅れの打ち上げであったが、1979年12月15日には小惑星帯でボイジャー2号(秒速39.98kmで飛行)を追い抜き、1979年3月5日、木星から35万kmまで接近した。そして衛星のイオとカリストにも接近した。1980年11月12日、土星に12万4000kmまで接近し、衛星のタイタン、レア、ミマスの観測も行なった。

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ボイジャー1号が撮った木星
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 ボイジャー1号が撮った土星

 ボイジャー1号は1万8000枚余りの木星と衛星の画像と、ほぼ1万6000枚の土星、土星のリング系および衛星の画像を撮影した。
 土星との遭遇後、ボイジャー1号の活動は磁場、プラズマおよび荷電粒子などの惑星間環境や紫外線の観測に充てられる比較的地味なものであった。しかし、ボイジャー1号はほぼ9年振りにカメラを再び作動させ、1990年2月14日、ボイジャー1号は後を振り返り、太陽と金星、地球、木星、土星、天王星、海王星で形成される初の太陽系の「ポートレート」を撮影した。この後、ボイジャー1号は再び活動を停止した。ボイジャー1号は、3.5AU/年の速度で太陽から遠ざかりつつあり、1998年2月末時点では、パイオニア10号を追い抜いて太陽から最も遠く離れた人工物体となった。
 ボイジャー2号は1977年8月20日、システムの不備のために打上げが延びたボイジャー1号より16日早く打ち上げられた。1978年4月に、メインの無線受信機が故障して使用の目途が立たず予備の受信機に頼らざるを得なかっため 、交信に支障をきたし地球からの追跡が難しくなった。しかし、ミッションの科学者や技術者の奮闘と努力によりこの難関を乗り越えることができ、当初の計画どおり、木星、 土星、 天王星、続いて海王星に接近した。 海王星の接近通過後もかなり長期間観測を続けた。
 1979年7月9日、ボイジャー2号は木星に7万1400kmまで最接近し、衛星のエウロパとガニメデにも接近した。

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ボイジャー2号が撮った木星。大赤斑が縁に見える

 1981年8月5日、土星に1万500kmまで最接近し、衛星のテティスとエンケラドスにも接近した。

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ボイジャー2号が撮った土星のクローズアップ

 この間ボイジャー1号と同じく、1万8000枚の木星の画像と、1万6000枚の土星の画像を撮影した。

 引き続き1986年1月24日、天王星から1万700km、1989年8月25日には海王星から4万8000kmのフライバイに成功した。

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2色撮りの天王星
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海王星
海王星のフライバイでは衛星トリトンにも接近した。


 ボイジャー2号のミッションは、太陽からの距離がますます離れたため、光源のレベルは低く地球との交信も更に低下したが、ボイジャー2号は8000枚の天王星と衛星の画像を撮影した。また、搭載ソフトウエアの改良と画像圧縮技術を利用して、約1万枚の海王星と衛星の画像の撮影に成功した。
 海王星との遭遇後、ボイジャー2号は惑星間空間の磁場、プラズマ、および荷電粒子の環境の測定を続けながら、太陽風が恒星間風により呑み込まれるヘリオポーズ(太陽圏の果て)を目指し、3.13AU/年の速度で飛行している。ボイジャー・ミッションの総経費は、9億500万ドルであった。



ボイジャー・ミッション