My Memories of Music

すみれウクレレ倶楽部
代表者・音楽備忘録





初田 優子


倶楽部員一人一人との関わりの瞬間の中に
永遠分の思いを込めて

             By Yuko



 ※下線部をクリックすると、音源資料などが出てきます

世界で最も有名なハワイアン、「Pearly Shells(真珠貝の歌)」の、
ビリー・ヴォーン楽団による演奏が日本で大ヒットした1965年に生まれた。



現在の音楽活動に至る様々な事柄の連鎖を、「備忘録」として記録しておこうと思う。





ー鍵盤楽器との出会いー


大変幼い頃から、
娘の余りの「運動神経」のトロさにいち早く気づき
、悲観した私の母が、
将来、ボーイフレンドと「スポーツ」の話ができないのなら、
せめて、「音楽」の話だけでもできる女性になって、
ちゃんと彼氏を作れるようにと、
物心ついた頃から、オルガン教室に通わせられていた。

幼児に音楽教育を始めさせる動機としては、大変珍しかったが・・・。


小学生時代にはピアノ教室に通っていたが、
クラシックばかりのピアノ教室に比べ、
エレクトーンを習っている友達が、
ビートルズなど様々なポピュラー音楽を
楽しそうに弾いているのが羨ましくて、
高校時代、電子オルガンへ転向。


数あるオルガン・ブランドの中でも、圧倒的に私の心を捉えて離さなかったのが、
舶来製の電子オルガン、ハモンド・オルガンだった。
とってもクールなサウンドを聞いてみてね♪
「静かな泉に小石をポトンと落としたような、
深く吸い込まれる 透明感のある音色」は、
他のオルガン・ブランドの中でも群を抜いていた。
私は今でも、”The King of Organ”だと思っている。


高校時代には堂々たる帰宅部となり、
少しでも早く学校を出ては、
オルガンに触れていたいような少女だった。

ハモンド・オルガンや大好きだった宝塚歌劇から、
シャンソン・ジャズ・ボサノバ・ラテン・タンゴ・サンバ・ビギン・ワルツ・バラードなど
様々なジャンルの洋楽を知り、
自分の文化的趣味・嗜好に大きな影響を受けた。

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ハワイアン・ウクレレとの出会いー

ジャパニーズ・ハワイアン全盛時代を過ごしてきた父が、灰田勝彦の大ファンで
私が物心ついた頃からずっと
ファルセット・ボイスもどきの甲高い声で、いつも彼の歌を口ずさんでいた。
特に、「森の小径」が、一番のお気に入りだった。

そして、これまた熱しやすく冷めやすい父が、灰田勝彦に憧れて、
買ったまま家に放置していたウクレレとコード本で、
私は一人遊びをしていた。

鍵盤楽器をやっている自分にとっては、

「ちょっと努力すれば何とかなりそうな、
鼻歌に付き合ってくれる、いい楽器やなあ♪」
という印象だった。


また、父の友人が、
ハワイアンバンドでセミプロのスチールギター奏者として活躍しており、
演奏を何回か聞きに連れて行ってもらった。

その時に、
「ええなあ~。」と
キラキラ目を輝かせて演奏を聞いている父の姿に、
とりわけ仲の良い父娘でもなかったけれど、
「親がいいと言うものはいい。」
ような感覚を無条件にすり込まれてしまう、
幼少期にありがちな、親からの強い影響だったと思う。



2015年 ハワイアン・パーティにて
父と母と一緒に


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小学校高学年の時、初めて自分で買った「タカラジェンヌのクリスマス」というLPで、
当時のトップスター・鳳蘭が、ハワイのクリスマスソング「Mele Kalikimaka」を、
スチールギターのビンビン効いた陽気なハワイアンに乗せて
大らかにクリアーな英語で歌う声に、
まだ見ぬ楽園・ハワイの音楽の底抜けな明るさを感じ、心底、惚れ込んだ。



中学時代に所属していたコーラス部が、
NHK全国学校音楽コンクールの上位入賞などを狙う、
良い発声のためには、
音楽室に敷かれたマットの上で腹筋運動を何十回もさせられる (;´Д`)
体育会系(?!)熱血文化部で
「デカ声」の基礎が作られたように思う。
当時は予想もしなかったが
このコーラス部が、今の活動に大変役立っている。



高校時代、前述の「ハモンド・オルガン」の教則本に、
父が≪世界一の名曲!≫と豪語している「Hawaiian Wedding Song」が出てきて、
鍵盤楽器でもハワイアンが素敵に再現できることを知った。
この曲だけは父にせがまれ、何度も何度も弾かされた記憶がある。
映画「Blue Hawaii」で、
Hawaiian Wedding song」が歌われた、とっても素敵なラストシーン

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大学時代にハマっていた
「素人参加番組出演・関西の民放巡り」という趣味(?!)の一環として、
(結婚式の友人スピーチで、そこらの売れない芸人よりテレビに出ていたと、
ネタにされた・・・
板東英二司会の、読売テレビ「サスペンスゲーム・わくわくサンド
というクイズ番組に、回答者として出演した際、
奇跡的に、
「ハワイ旅行」や、数々の豪華賞品を射止めてしまった。

↓ハワイ旅行の他に獲得した全商品↓
◎イタリアの有名デザイナー、ミラ・ショーンの50万円相当の振袖の表地 ◎
(→自分や娘の成人式などで着尽くす)
◎ダイニングテーブルセット◎
(→この番組のオーデションに誘ってくれた友達に丸ごとプレゼント) 
◎三越10万円分商品券◎
(→ラクして転がり込んできた大金は、
皆で分かち合わないと「福」が逃げる?( ゚Д゚)?とかいう
本当か嘘かわからないような迷信で親に脅され
親戚・近所中へと、
全て配らせられた(T_T)
◎バーベキュー・セット◎
(→一度も使うことなく、リサイクルショップへ)
と、
総額100万円弱!

1984年(昭和59年)当時、公正取引委員会の規定で、
1名が1つの番組で獲得できる賞金・賞品の総額限度額は
100万円であった。

今の価値からいっても、100万円というのは大層な大金であるが、
当時の女子大生にとっては、
実感を感じられないぐらい、とてつもない大金であった。



その時の喜びようは、
被写体としても大変インパクトがあったようで、
放送当日の新聞のテレビ番組欄に、
「興奮娘にスタジオ大爆笑!」
というサブタイトルで報じられた。
 

後日も、新聞の番組宣伝欄に、
板東英二の横で、感激で手で口を覆う、私の興奮姿のカラー写真が使用され、
大きく掲載された。

親が出演を宣伝しまくっていた(ーー;)親戚・知人中から、
放送終了直後、
 「笑わせてもらった(^○^)」という電話が、
我が家に殺到した。
なんで、
クイズ番組で笑えるねん(ーー;)






その後、数年間は、
来客がある度に、おもてなし用VTRとして、
何度も何度も録画が上映された。

主人が、初めて実家を訪れた時も、
そのVTRとハモンド・オルガンの演奏で、丁寧におもてなしした(^_^;)


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番組のハワイ旅行獲得者を集めて決行されたハワイ・ツアー。








トロピカル風ロゴがペイントされたハワイ行きJALの国際線に乗るだけで、
♪♪♪ もうテンション上げ上げ状態 ♪♪♪









当時は、飛行機がハワイに着陸して、扉が開くと、
テレビでよく見ていた「アップダウンクイズ」のようなタラップが待ち構えていた。




そして、タラップを降りて行くと、
「アップダウンクイズ」のハワイ旅行獲得の瞬間のように、
ハワイの美男美女が、
大変、香りの良い、白いピカケのレイをかけてくれた。

それまでの人生で、かつて経験したことがない程、
それはそれは豊かな香りだった。







ハワイの青空や緑の草木・花々のまばゆい色彩の輝きに感動し、






ホテルのバルコニーから見た↓ ベタな定番の光景 ↓に実際に身を置いた感動は、
波音・白い波しぶきの動き・潮の香りと共に、
今でも忘れられないが、







本場のウクレレの、竪琴のような音色には感服!!

楽園・ハワイの空気の中では、ウクレレの音まで、
輝いて響くのかと、感心したものだ。




ハワイ土産にと買った、1971年製の
Hawaii's Greatest Hits」というカセットテープ。
You Tubeで、その中の一曲が引用されていたのを見つけました♪
聞いてみてね

いわゆるハオレ音楽(白人が、白人好みの洒落たアレンジで作った、英語の歌詞のハワイアン)
の全集であったが、
現代のクリアーな音質の新音源とは違う、
古き良き時代の、ノスタルジックなハワイの香りを放ち、
帰国した後も、
何度も何度も再生した。

古(いにしえ)の
今程多くの日本人が押しかけることもなかった
素朴、かつ優雅なハワイに思いを馳せながら・・・。


想像以上にまさしく「楽園」であったハワイ旅行での香りや思い出が彷彿とさせられ、
聞く度に胸が熱くなった。




観光客向けのフラダンスのデモンストレーションで耳にした
"Hukilau Song
"がテープから流れてきた時は、
わくわくするハッピーな曲調とハワイの思い出が重なり、
高揚感で、胸がいっぱいになった




当時、同世代の中で、
ハワイアン愛好者など、一人もお目にかかったことがなかったし、
風変わりな若者だったと言えよう。

でも、元来、「人と違う」こと、
"Going My Way"的な世界観を持つことに誇りすら感じる、
やはり、ちょっと変わり者。


一人っ子といえど、昔から退屈知らずで、
一人遊びができる趣味はいつも持ち続けてきたし

その多くが、音楽と関わっていた。


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そうして、
幼少期からの母の想定を裏切り、
特に「音楽」について語り合うこともなく、結婚。



披露宴で私は、サンバの名曲「Brazil」を電子オルガンで演奏し、
父がそれに合わせて、マラカスを振った。


ところが、緊張の余り、
般若も逃げていくような、世にも恐ろしい形相の花嫁となってしまい(/_;)
山ほど写真を撮られた記憶はあるのだが、
うちに写真を渡される時には、
皆、気を遣って、
その演奏時の写真だけが、きれいに取り除かれていた(T_T)



これから結婚する方に忠告・・・

それでなくても神経を使いまくる自分の披露宴で、

楽器演奏なぞ、
絶対!するもんじゃない!








新婚当時、家にあったエレクトーンで、
スチールギター・ベース・ウクレレ・波の音を電子音で再現しては、
「ひとりハワイアンバンド」を結成

昼寝している主人に、
その時だけは節電せず、
涼やかにエアコンをつけてあげて、
「気持ちいいな~。」
という主人の優しいおだて言葉に調子に乗り、
ハワイアンを何曲も演奏しては聞かせてあげたものだった。

新婚時代の、数少ない、可愛い思い出である。


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すみれウクレレ倶楽部のイメージとの出会いー
ちょうど、その頃、
第二次ハワイアンブームの前兆だろうか。
テレビで、数時間も使って、
ジャパニーズ・ハワイアン界の大御所ばかりの演奏のVTRを、
一堂に集めて放送する番組があった。


もちろん、録画の用意をし、「永久保存版」として残そうと意気込んだ。


その超大御所と超大御所の演奏の合間に、
「ハワイアンを楽しんでいる素人愛好者の活動」として、
ある団体が、ハワイアン・パーティを催しているVTRが紹介された。


色鮮やかで華やかなハワイアン・コスチュームに身を包んだ中高年男女が、
ウクレレなどの楽器を片手に、演奏し、歌い、
あるいは、フラダンスを楽しむ光景だった。

皆、晴れやかな笑顔でいっぱい!


「この人達、悩みが無いんやろか~。」
「気楽そうな、いや、幸せな人種がいるもんだなあ。」と、
皮肉めいた、いや、本音は羨望の気持ちでいっぱいであった。


今、思えば、私どもが現在、宝塚ホテルで催している、
ハワイアン・パーティの姿、そのものであった。

自分の中に、ぼんやりと、
「こんなの、いいなあ~。」
と、
あの時テレビで見た光景が、
「すみれウクレレ倶楽部」開設に至るイメージ映像になったことは否定できない。



すみれウクレレ俱楽部 ハワイアンパーティより



「思考は現実化する。」
自己啓発本によく出てくる文句があるが、
まさに、それを肌で実感した貴重な体験である。




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結構長年、子供がいない自由時間い~っぱいな期間を過ごした。


優雅に、パラパラと雑誌を眺めていた時、
ふと、「ウクレレが静かなブームの兆し。」という記事に目が留まった。


私は、何度も何度もその記事を読み返しながら、
主人に、
「私、いつか、ウクレレ、まじでやりたいねん。」

と、告白したことを覚えている。

でも、そんな暇を持て余している頃に限って、
一歩踏み出す勇気も湧かず、行動に移すには至らなかった。



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運命の朝刊広告ー

そのうち、出産し、それどころではない怒涛の初・育児生活に突入し・・・、

よりにもよって、
二人目出産直後、
睡眠不足・育児疲れもピークの、
主人も出張中の朝。
髪ボサボサの、よれよれなパジャマ姿で、
二人の幼子を足元に置き、
人生、全てを諦めきったように
 
この、たまらんダルさは、一体、何?
と、 死んだような目で眺めていた朝刊の中に、


「ウクレレ入門セット」の広告を発見!!!


衝動買いは絶対しない自分が、
3分後には、電話で、通販ショップのオペレーターに注文していた。


新聞広告を見た瞬間の衝撃は、まさに、

稲妻が頭を直撃するような衝撃、
そのものだった。

「これだ、間違いない!これや!」




実は、電子オルガンの指導資格・取得も目指し、
個人的には大・大・大好きなのに日本ではマイナーな「ハモンド・オルガン」から、
日本で最もメジャーで一般的な「エレクトーン」に転向した。

しかし、「エレクトーン」は時代の流れに伴い楽器が機械的に進化し過ぎていた。
私には、楽器というより、「コンピューター」に見えて仕方がなかった。
また、指導グレード取得試験にも
大変高価な最新機種(1990年頃の価格で90万円ぐらい)を
弾き(使い)こなさなければ 絶対に合格できないという業界の構造にも、
非常に強く疑問を感じていた。
しかも無情にも、何年かに一度、どんどん最新機種が登場してくる(T_T)

そのストレスに耐え切れなくなってグレード取得をきっぱり辞めていた。

それで、エレクトーンとは、
「ひとりハワイアンバンド」
のような趣味程度の関わりにしていた。
それが最適と、確信していた。


だからこそ、「ウクレレ」の
アコ―スティックな木製楽器の素朴なシンプルさに、
更に強く魅かれたに違いない。

「ウクレレ」は正に、前者とは真逆の、
自然体な楽器だった。


弾きこなせば弾きこなす程、つまり古ければ古い程、
音質が馴染んで輝いてくる自然さ。

ぶっちゃけ言えば、むっちゃ(^^¥経済的(^^♪

もともと大好きだった歌にも付き合ってくれる、
正に、ナチュラルなカラオケ楽器、ウクレレ・・・。


ストレスを溜めるどころか、
ストレス発散が容易に想像できたのだ!!!




ところが、到着した「ウクレレ入門セット」の梱包を、
興奮で息を切らしながら開けてみると、
中から出てきたのは、値段なりの粗悪品(T_T)(T_T)(T_T)

ポロロンと爪弾いてみても、なんとなくインチキ臭~い音色で、全然癒されない(T_T)


「本格的に、ウクレレ道を歩み始めようとしている私が、
こんなウクレレを持っていてはだめだ!」

到着したその日に返品し、
一日足らずで、きちんとウクレレのリサーチを終え、
日本製老舗ブランドの、ちゃんとしたウクレレを再注文。


上記の、行動の機敏さは、自分でも感心するほどであった。

こちらのブランドのウクレレは、すみれウクレレ俱楽部初心者にも、
お薦めウクレレとして、紹介している。

その後から、日本では、
高木ブーのNHKテレビ・ウクレレ講座が始まるなど
第二次ハワイアン・ブームが始まった





母親に家に来てもらって、二人の幼子を見てもらい、
授乳の合間に(;´Д`)、北新地のフラ・ハラウにあるウクレレ教室に通い出した。








この世界に足を踏み入れて知った。

自分が愛してきたジャパニーズ・ハワイアン、
ハオレ(白人が作った英語の歌詞のハワイアン) の他に、
ネイティブのハワイアン達が慣れ親しんでいる、
ハワイ語で歌う、これぞ、本物のハワイアンがあることを・・・。


しかも、日本語のハワイアン・英語のハワイアンは、ほんの氷山の一角であって、
膨大な数存在するのが、
そのネイティブ・ハワイアン音楽であったことを・・・。






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すみれウクレレ倶楽部・発足後ー


自分の鼻歌に付き合ってくれる「ウクレレ」の伴奏楽器としての魅力を確信し、
たくさんの方々と喜びを共有したいという気持ちから
2001年に発足した「すみれウクレレ俱楽部」。






俱楽部活動の初期に、子連れで臨んだ(T_T)イベントの、懐かしの写真
ピンクの子が娘、真ん中の男の子が息子、そして、まだ30代の私(*´Д`) 

倶楽部と子育て、
200%の全・精魂込めて?!!もがきながら、乗り切ってきましたわ~(;´∀`)
おそらく、人生の中でも、最も、気合を入れまくった時期だろうなあ。



その子供達も、
無事、明るく元気いっぱいな社会人になりました♪
 
やっと!!!大きな肩の荷が下りました(*^_^*)

 


これからは、愛する趣味を軸に、
自分の心に正直に!!!
やりたいことをして、
生きていきます(^O^)/







さてさて、話を倶楽部開設当初に戻し、振り返ってみると、
立ち上がりの数年間のテンションは、異常
なほど高かった。

若さで、自分の熱い思いを、
ただただ、100パーセント、パワーで体現するしか、
術(すべ)がなかったから・・・。


その頃の倶楽部員からの年賀状には、
新年のお決まりの挨拶に添え、
90パーセント以上の人が、次の文句を付け加えていた。
「いつも、パワーを頂き、ありがとうございます」



うちは新興宗教かい!・・・(ーー;)





それから20年以上、
年をとっても、テンションの高さは変わらず・・・。





ずっと根底に流れてきたのは、
「一途に」・「真面目に」・「まっすぐに」、「ブレずに」「徹底的に」・
「地味に」・「熱く」

追求する
オタク精神」

決して、大それたことなど考えたことなく、
ただただ、狭~~~~~~い視点で、
目の前の楽曲を、妥協なく、きちんと作り上げていくことだけ。







譜面を作り出したり、改良している時、

研究の成果を、部員に、思う存分放出しまくっている時、

たわいのないおしゃべりで、部員と笑い合っている時、

倶楽部のことを、微笑ましく思い巡らせている時、

ホームページを編集している時、

自信を持って、倶楽部のことを語っている時、・・・


純粋に、とてもとても楽しい
!!!






今になって、つくづく断言できる。


すみれウクレレ倶楽部は、
【生きがい】であり、
【誇り】であり、【宝】である。


『ウクレレ』は、
そして、
『すみれウクレレ倶楽部』は、

自分の半生を、大きく変えてくれたと・・・。












【 まじで!肝に銘じている信条 】

どんな感情も、
そのままにしながら、

目的に向かって、

今、自分がなすべき事を、
一つ一つ、
きちんと、丁寧に、懸命に
なし続ける。





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