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<越前大野城> 2006.01.19更新








 「日本名水百選」でも知られている越前大野は、町のあちこちに御清水(おしょうず)とよばれる湧き水がありますが、それだけ環境がいいのでしょうね。水道が普及した今も町の人々の生活に利用されている、現役の湧き水ずです。これは、そこに住む人が自然の湧き水を大切に使い、先人から受け継いできたからでしょう。
 そんな越前大野の市街から西方に、こんもりと小高い亀山に聳え立つのが越前大野城(別名:亀山城)で、戦国の武将、金森長近が築城し、城下町を整備したのにはじまる。江戸時代には度々火災により焼失・再建を繰り返してきたが、維新後の廃城令で城郭は取り壊され、土塁・石垣のみとなりましたが、1968年(昭和43)に再建された復興城であります。鉄筋コンクリート造りとは思えぬほど、古色蒼然とした趣のある外観をしております。
 この大野藩は関ヶ原の戦以後、1600年代前半は越前松平の系譜が在封したが、1682年以降は土井利勝の三男、利房を祖とする土井4万石の城下町として維新までつづいた。
 全国に小京都とよばれる町はたくさんありますが、長近が整備した町割りは、碁盤のように整然と区画され、寺が並ぶ「寺町」、「六間通、七間通、八間通」などとよばれる通りがあって、京都にも「寺町」があり、「四条通、五条通・・・・・」と順番をつけた呼び名など京都と共通するところがありますが、長近は意識して京都を模した町づくりをしたのでしょうか。こんなところも越前大野は「北陸の小京都」に相応しい町のようです。
 越前大野の「おろし蕎麦」は、美味しいと評判ですので、前々から賞味したいと思っていたが、雨は土砂降り
になり、ちょうど食事の時間でもなかったので食べ損なってしまった。後で知ったが「おろし蕎麦」は、この地方のあちこちにあるらしいので、いずれ食べる機会はあるとおもいます。


 




復元された搦め手門。
今にも降りそうな空模
様のなかを、この門を
くぐり登りましたが、天
守まで30分近くを費や
しました。
あいにくの天気で、途
中から雨になり、散々
な目でした。









2005.05 写す




(上)2層3階の天守と天狗櫓。



(左)大野城天守から見た土井氏
    4万石の城下町。雨に煙った
   大野盆地。


2005.05 写す。



(左)
見上げる天守。城は
大きくはないが、威風
堂々としています。
石垣は築城当時のま
まの牛蒡積みです。


(下)
約200年にわたり在
封した土井氏の紋瓦。



2005.05 写す。







幕末に藩政改革で治績を残した大野藩家老・内山七郎右
衛門の屋敷。
当時の上級武士の生活の様
子を知ることができます。
広く手入れのされた庭に面し
た客間からの眺めなど、なか
なかいいですね。



2005.05 写す。


(左)
囲炉裏ががきられて、鉄瓶が
吊られていますが、現在でいう
居間だったんでしょう。
日本の生活文化が漂っているようで、落ち着きがありますね。


(下)
客間の床。右側が縁側で庭に
つづいています。
袋戸棚の襖戸は金箔でしょう
か。見学の時には、よくみていなかって・・・・・。


2005.05 写す。


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