NO 5
 
   3月31日(土曜日)
昨年の6月から長いことブランクが続いた。これまでほとんどを株式投資関連の記述ばかりに費やしてきたが、あまりにも潤いに乏しい。それにこの年になって株価の上がり下がりに一喜一憂するのは、考えてみれば何か空しい。昨年の後半から近所の図書館通いを始めた。これからは私の読書記録としてこの欄を利用しようと思う。ただ内容や感想などを事細かく書くのはやめる。これをすると記録が長く続かないと思うから。これまでの私の経験からして途中で放り出してしまう可能性が十分あるから。というわけで通常は著者と本の名前だけにとどめる。特に感想があるものだけ短いコメントをつけようと思う。
今日は最初だから今図書館から借りている本の名前を記す。
1.小川洋子著 「博士の愛した数式」  この著者の本は初めて読んだ。読後感が清清しい。続いてこの著者の本を読みたい。
2.佐藤雅美著 「老博奕打ち(物書同心居眠り紋蔵)」
3.藤堂志津子著 「夫の彼女」 最近読んだ同じ著者の「秋の猫」が面白かったので。
4.北原亜以子著 「妻恋坂」

   4月10日(火曜日)
上記4冊をようやく読了。新たに
小川洋子著  「ブラフマンの埋葬」を読了
ここ2,3年女流作家を含めほとんど全て時代小説ばかりを読んでいたが、先日久しぶりに上記小川洋子と藤堂志津子の現代小説を読んだ。思いのほか面白かったので今後は時代物に限らず現代小説も積極的に読んでみようと思う。

   4月11日(水曜日) 
永井路子著  「うたかたの」読了 この作家の本を読むのは本当に久しぶり。
本にも流行り廃りがあるようで、高度経済成長期にサラリーマン小説の第一人者として人気絶頂であった源氏鶏太氏など影が薄い。私も若かったころ貸し本屋でよく愛読したものだが、いまや近隣の本屋の店頭では全く見かけない。それどころか私の通う図書館の蔵書にも見当たらない。懐かしさもあって今一度読み返したいと探している。氏は直木賞の選考委員を務められたこともあり、現在の凋落振りは信じられない。

    4月14日(土曜日)
藤沢周平著  「三屋清左衛門残日録」読了
実はこの本を読むのはこれで三回目。前回は2年ほど前に読んだ覚えがある。私には前に読んで面白かった本は繰り返し読むという癖がある。例えば
池波正太郎の「鬼平犯科帳」とか「剣客商売」など。山本周五郎の「赤ひげ診療譚」「日本婦道記」その他の短編小説集など。これらは何度繰り返し読んでも面白いし、それなりの感銘を受ける。「三屋清左衛門残日録」はさる大名家の用人として権勢を振るっていた三屋清左衛門が、前藩主の死去を機会に引退し隠居生活に入る。その後の余生に起こるさまざまな出来事や事件などの記録である。私も四年前に現役を引退した。私の場合は清左衛門のように波乱万丈ではなくて平々凡々たる生活であるが、ある意味で共感を覚える部分もある。長生きして余生後20年足らず、前途にいかなる人生が待っているのやら。

    4月16日(月曜日)
岩井三四二著 「月ノ浦惣庄公事置書」読了
初めて聞く作者なのであまり期待していなかったのだが、読み始めると一気に本の内容に引き込まれた。さすがに松本清張賞受賞作だと感心した。実はこの本を借りたのは話の内容に興味を抱いたのではなくて、本の表紙の絵巻物風の絵がすっきりして綺麗だったのでそれに引かれてと言うことだった。我国中世の土地をめぐる訴訟沙汰がテーマになっている。実際に起こった事件のようで参照してある資料も明示されている。引き続きこの作者の作品を読んでみたい。

     4月18日(水曜日)
1.宮部みゆき著  「誰か」読了
2.出久根達郎著  「安政大変」読了
10年ほど前、宮部みゆきの推理小説をよく読んだが作風が変わって、登場人物に超能力者が現れるようにようになってからは久しくご無沙汰している。
今回久しぶりに宮部の推理小説を読んだ。財界有力者の令嬢と結婚した幸せなサラリーマンの男が、義父のお抱え運転手のひき逃げ事故死をめぐって、その事件の真相を追究していくと言うストーリー。さすがに永年推理小説を手がけてきただけにそのストーリー展開は見事で、結構分厚い単行本を一気に読み終わった。もう一つの出久根達郎は、安政大震災の際の出来事を主題にした短編小説の連作となっている。こちらは取り立てて感想は無い。

     4月20日(金曜日)
藤堂志津子著  「桜ハウス」読了
伯母の遺産として相続した古家の所有者である独身中年女性が、内部を改装して貸し部屋にする。この家を「桜ハウス」と称する。入居者は独身の女性4名。
家主である独身女性と入居者はさしたるトラブルもなく、結構仲良く暮らしている。入居者もほとんど中年女性。それぞれに人生経験がある。これら5名の女性をめぐっていろいろな出来事が展開する。藤堂志津子の本はストーリーの展開に意外性がありながら、読後に共感を呼ぶ。今後も藤堂にはまりそう。

     4月24日(火曜日)
伊集院静著  「機関車先生」読了
この著者の本をよむのは初めて。内容は離島に小学校の先生がやってくる。この先生、子供の頃の病気が原因で言葉がしゃべれない。はじめはそれが災いして子供となじめない。ところがこの先生スポーツ万能でしかもやさしい。しだいに子供だけでなく島の人気者になっていくが別れが近づく。実はこの先生臨時教員だったのだ。坪井榮の「二十四の瞳」を思い出させる内容。安直な感動物語、と言ったところ。

     4月26日(木曜日)
車谷長吉   「赤目四十八瀧心中未遂」読了
生きる希望も目的も無いままに、人生を捨てた私が社会の底辺で生きながらえている。大学では文学を専攻し、哲学的な素養もあるのに卒業後はこれまでの学業とは何の関係も無い広告会社に就職する。就いた職種は営業。仕事に興味を持てず退職する。それ以後仕事を転々とするがいずれも長続きせず、職場も東京を振り出しに京都、神戸、西宮、尼崎と変わる。職場を変わるごとに生活のレベルは下がり最後の尼崎では、ほとんど路上生活者に等しいレベルまで落ち込む。親類縁者や友人達とも消息を絶つ孤独な生活。こんな中で知り合った一人の女性「あや子」が心中目的の相手。この本にはおそらくモデルであろう筆者の、最低レベルの生活や人間関係をめぐる緊張感が赤裸々に描かれている。きれい事を除いて本音で書かれているだけに感銘を受けた。

     4月30日(日曜日) 
梁石日    「血と骨」読了 
以前から本の題名だけは知っていたがその内容に驚かされた。戦前朝鮮済州島から来日した容貌魁偉体力抜群の男が、繰り広げるすさまじい暴力至上主義の物語。かまぼこ工場の職人として働き、腕は確かなのだが自分の思い通りにならないと気に入らない。上司や社長にも遠慮なしにたてつき、同僚には暴力を振るう。このため職場では毛嫌いされているが、誰もその暴力を恐れて文句も言えない。賭博場に出入りし、一人でやくざを相手にすさまじい喧嘩をし相手に瀕死の重傷を負わせる。こうして暴力団も嫌がる存在となる。女性関係もすべて暴力が絡み、正妻のほかに次々に女をこしらえ、それを暴力で支配する。
朝鮮は昔から男尊女卑の考えが著しく女性は男に忍従していたようである。この正妻や妾の女性に次々に子供が出来る。この男は家族にに対しても絶対的権力を振るい、少しでも反抗的態度を示すと暴力で付き従える。戦前から戦後にかけての在日朝鮮人の赤裸々な生活を描き、その内容には圧倒されるところがある。

     5月7日(月曜日)
志水辰夫   「きのうの空」読了
戦時中に生まれ戦後に成長した世代の家族を中心とした懐かしい物語。作者とほとんど同世代の私には価値観を共有できる部分が多い。この本は長編ではなく、10篇の短編小説で構成されている。主題はいずれも田舎出身のパッとしない主人公が今から考えると律儀なほどに、家族を大事にし常識的な生き方を続ける。読んでいてほのぼのした感じが伝わり、今は失われつつある懐かしい年代に返ったような気がする。 

     5月11日(金曜日)
藤堂志津子著    「情夫」読了
この作者の小説は図書館でも人気があり、いつ見ても1,2冊しか残っていない。私が通っている図書館は熟年の定年退職者か中年以降の女性の利用者が多い。女性作家の小説はやはり女性に人気があり、しかもこの作者は中年を過ぎた独身女性が登場する小説が得意のようだ。それがこの図書館での人気の秘密ではないか。この本も熟年真近の独身女性ばかりが物語の主人公であり、ストーリーの展開も結構面白かった。

     5月14日(月曜日)
車谷長吉著     「金輪際」読了
この作者の「赤目四十八瀧心中未遂」はさすがに直木賞を受賞した作品だけあって読み応えがあったが、この作品も短編小説集ながら感銘を受けた。ただどちらの作品もテーマが重苦しく楽しいお話ではない。しかし読み進めるといつの間にか作品の中に引き込まれる魅力がある。続けて他の作品も読んでみたい。

     5月18日(金曜日) 
中村彰彦著    「若君御謀反」読了
本の題名は安っぽいが中身は至極まじめ。肥後五十四万石加藤家三代目の若殿豊後守光正は若年とはいへ無類の空け者で、ときの将軍徳川家光に対し架空の謀反騒ぎをでっち上げる。本人に謀反を企てる意思は全く無く、世間に騒ぎが起こるのを見て楽しむといった、いたずら心から発したものであった。しかしこのいたずらは無事ではすまなかった。家光の逆鱗に触れ加藤家は三代目にして改易、取り潰しにあう。この本には表題の話しの他まだ知られていない歴史上の秘話などを綿密に調査して書かれている。大変興味深く読了した。

      5月21日(月曜日)
車谷長吉著   「贋世捨人」読了
「赤目四十八瀧心中未遂」は主人公が作者自身であることをあからさまには表現していなかったが、この作品でその経緯がわかる。「赤目。。。。。」では作者が人生を捨てたかのように隠遁生活を送るが、その理由がもう一つ明らかでなかった。この作品で作者の生い立ちと、尼崎に漂流してくるまでの経緯が詳しく述べられている。これまで読んだ作者の作品はすべて作者の自伝的体験と、ある程度のフィクションから成り立っているものと思われる。その意味でこれは
私小説に属するものではないか。とにかくこの作者の作品には読むものの心の奥深くをえぐるような言葉が、各所にちりばめられており感銘を受ける。

      5月25日(金曜日)
藤堂志津子著   「アカシア香る」読了
北海道の公立高校を30年近く前卒業した同窓生の物語。主人公の加地美波は大学卒業後、東京の会社に勤め社長秘書から社長の愛人となる。キャリアウーマンだった彼女は社長の仕事を助けまだ弱小企業だった会社を中堅企業にまで育て上げる。しかし一人っ子だった彼女は北海道に住む母が不治の病に倒れたのを知って会社をやめ、母の看病に専念する。3年間付き添い看病したものの母は死んだ。母の死亡後同窓生の口利きで、卒業した高校の同窓会館の管理人となる。この物語はそれ以後の彼女の同窓生とのかかわりを中心に進展する。若かりし日は去り、そろそろ老いが忍び寄る50前の男女の悩みや葛藤が鮮やかに描き出されている。

      5月30日(水曜日)
ここ2,3日パソコンの調子が悪くて、そろそろ買い換えなければならぬのかと思っていたのだが、今日は一転して快調。昨日までの不調はなんだったのかと不思議に思う。パソコンは時々原因不明の不調に陥ることがある。私のような初心者にはこうしたときどう対処してよいかわからない。そういう意味でパソコンは扱いにくい道具である。

藤沢周平著     「用心棒日月抄(孤剣)」読了
同           「用心棒日月抄(刺客)」読了

藤沢周平は私の好きな作家の一人で、その著書の半分ぐらいは読んだつもりだ。この「用心棒日月抄」は四部作となっており、これはシリーズ第二作、第三作
にあたる。主人公の青江又三郎は藩の密命を帯びて脱藩者を追うが、その使命を秘匿する必要から同じく脱藩者扱いとなる。そのため任務を完遂するまで俸禄は凍結される。任務を遂行するための生活費は自分で稼ぎ出さねばならない。その稼業が用心棒である。藩命の遂行と用心棒稼業をめぐって発生する事件の展開が面白い。

      6月25日(月曜日)
前回掲載日より約1ヶ月が経過した。やはりパソコンの不調は本物であった。電源を入れても黒い画面が出るだけでWindowsが立ち上がらない。とうとう壊れてしまったようだ。仕方がないので新しいパソコンに買い換えた。ところがそれからが問題である。古いパソコンの設定やデータの引継ぎができない。当然ホームページビルダーで作成した本ホームページも消えてしまった。私のような初心者には復活させることは至難の業であった。ここ10日ほど一人で悪戦苦闘していたのだが、どうにもならないのでパソコンに詳しい知人に応援を頼んだ。ところがこのベテランは私が10日かかっても何もできなかったことを、わずか2時間足らずで完了させてくれた。いまさら自分の無力を再認識するとともにこのベテランの凄業に感嘆したしだい。

この間大分読書はしたのだがこれは省略する。明日から改めて読了したものを掲載するつもりである。

      7月2日(月曜日)
昨日の新聞にパソコンの平均的な買い替え時期は4.6年と出ていた。思いのほか短命である。私としては少なくとも10年は使えるものとの認識があった。今回のパソコンの故障はたまたま運が悪くて故障の多い機種が私に巡ってきたと思っていたのだが、この記事からするとそうでもないようだ。しかし買い替えをするたびにデータの移転や、環境の整備、アプリケーションの再インストールなど結構な時間と手間がかかる。私のような老齢の初心者はこのような雑用は大の苦手である。生涯に後何回このような手間をかけなければいけないのだろうか。今から先が思いやられる。

余談が長くなってしまった。
車谷長吉著    「白痴群」読了
車谷長吉の著書はこれまで数冊読んだがそのたびに新たな感銘を受ける。それは著者が生まれてからこれまで、自分が体験してきたこと、経験したことを赤裸々に自分の言葉として述べていることからくるのであろう。普通人は自分の恥ずかしいこと、忌むべきこと、他人をそしることなどは極力外部に秘匿する。しかしこの著者はそれを遠慮会釈なく白日の下にさらす。意識的にしろ無意識にしろ誰もが言おうとして言えないことを代弁してくれるところに魅力を感じるのである。

直木賞受賞作品集F
  収録作 
    @戸川幸夫著   「高安犬物語」
    A村松友視著   「時代屋の女房」
    B源氏鶏太著   「英語屋さん」

上記作品は年代は違うがいずれも直木賞受賞作品。
戸川幸夫は動物を主題として扱う作品で知られ、この作品のほかにもたくさんの作品がある。私の中学校時代の教科書にも戸川幸夫の作品が掲載されていた記憶がある。動物に対する深い愛情と哀惜が感じられる作品。
村松の「時代屋の女房」は映画化されており、私もビデオで見た記憶がある。夫が理由のわからないままにフラフラと家出を繰り返す妻。それでも一週間たつと妻は何事もなかったように帰ってきて元の鞘に納まる。仲が良いのか悪いのか不思議な夫婦の物語。
源氏鶏太は私の青年期から壮年期に好んで読んだ作家。ちょうど高度経済成長期にあたりサラリーマン小説の全盛期でもあった。ところが現在の読者には好まれない、影の薄い作家となってしまった。懐かしさをこめてページを紐解いた。今後もこの作家の本を読み返してみよう。

       7月9日(月曜日)
松井今朝子著     「非道、行ずべからず」読了
最近読むのは中、短編小説が主で、さすがにこの小説のように430ページもあると読み終わるとホッとする。この作者は歌舞伎役者とか歌舞伎芝居をテーマとするものが得意のようである。以前に読んだ「家、家にあらず」や他にも同種の作品がある。
この作品は直木賞の候補に挙がったが惜しくも受賞は逃した。物語は芝居小屋で起こった3件の殺人事件をめぐって、役者や芝居関係者が次々に登場し、お互いの出世や利害得失が複雑にからむ一種のサスペンス小説といえる。

       7月10日(火曜日) 
志水辰夫著       「うしろ姿」読了
このごろこの人の作品をよく読む。短編集だからいろいろの話があって読みやすい。昨日読了した松井今朝子の作品は重厚で面白かったのだが長編であるだけに一気呵成にというわけにはいかなかった。途中で読み疲れがでてくる。この人の作品は例によって昭和の初期に生まれた主人公が昔懐かしい故郷を懐古しながら、親子兄弟、親族、親友などの登場する話が多い。今では古いと思われている義理や人情、哀れみや同情、親子や夫婦の絆など私たち年代の共感を呼ぶところがある。

        7月13日(金曜日)
車谷長吉著       「塩壷の匙」読了
自分の醜いところ、恥ずかしいところ、忌むべきところなどを包み隠さずこれでもか、これでもかと思うほど読者の目にさらす。
作者の姿勢がこの作品にも色濃く投影されている。この本にも何篇かの作品が収録されているが、直木賞を受賞した「赤目四十八瀧心中未遂」以前の比較的初期の作品が収められている。表題の「塩壷の匙」は三島由紀夫賞および芸術選奨文部大臣新人賞を受賞した作品。自分の親族にまつわる話がテーマとなっている重い話題。

        7月25日(水曜日)
森真沙子著        「宗湛修羅記」読了
筑前博多の神屋善四郎貞清は石見銀山の経営に関与し、手広く貿易をも営む豪商である。傍ら茶人としても名を知られ、後に得度して神屋宗湛と改名する。豊臣秀吉の茶頭として有名な千利休の知己を得る。宗湛は方々で催される茶会を通じて時の権力者である秀吉や諸方の大名、堺や京、大阪の豪商とも交際を結ぶ。豊臣秀吉の一番のお気に入りとして権勢を振るっていた千利休がなぜ後に、秀吉に切腹を命じられ更に一条戻り橋にさらされることになったのか。宗湛の茶会記を通じてその謎に迫ろうとする。大変興味深く読了した。

        7月28日(土曜日)
中村彰彦著         「敵は微塵弾正」読了
戦国時代武士の上は大名から下は下級武士まで。数奇な運命にもてあそばれた人たちの奇談を寄せ集めてある。史実に基ずく話もあるが殆どはフィクション。面白かった。

        7月31日(火曜日)
小川洋子著         「ミーナの行進」読了
主人公の朋子は父母と3人で岡山に住んでいた。父が病死したことにより母が働かなければならなくなった。母は洋裁の技能を修得するため1年間東京の洋裁学校に通うこととなる。このため朋子は母方の伯母宅に預けられることになった。伯母は名の通った飲料会社の社長夫人で芦屋に居住している。田舎出の朋子は初めて見る芦屋の豪勢な邸宅や、豪華な生活に戸惑いながら地元の中学校に通う。伯母宅には今年6年生になるミーナ(本名美奈子)と呼ばれる女の子がいる。ミーナは賢くて可愛い子だが喘息の持病があり身体が弱い。朋子はこの子とすぐ友達になる。この家の住人は伯父、伯母夫婦と兄(留学中)祖母、使用人二人それに飼育しているコビトカバ一匹。これらの人と動物が1年間朋子の生活にどう関わるか。登場する人物はみな善意の人ばかりで、温かくやさしい。それから30数年、なつかしい伯父、伯母一家はどうなったか。哀惜の念をこめて語られる物語はやさしく懐かしい。読後にさわやかな余韻を残す。
なを、作者の小川洋子は岡山県出身で兵庫県芦屋市に居住する。現在芥川賞選考委員。虎キチ(タイガースフアン)としても有名だそうだ。

         8月4日(土曜日)
松井今朝子著         「似せ者」読了 
京の都で一世を風靡した名優坂田藤十郎に弟子入りした与一だが、自分の能力に限界を感じて早々に廃業する。そしてついた仕事が坂田藤十郎の付き人。坂田の身の回りの世話一切は勿論、出演する芝居座元との賃金の交渉や身近に置く女の世話まで取り仕切る。その坂田藤十郎が死んだ。京の芝居は火の消えたように寂しくなる。その挽回策として二代目の坂田藤十郎を探すこととなる。そこで見つけてきたのが、姿かたちが藤十郎に似た桑名屋長五郎という田舎役者。長五郎は声音や所作も藤十郎に似せて地方巡業を行っていた。一応二代目坂田藤十郎襲名興行は成功したかに見えたが…。
著者の松井今朝子はこれまで何度も直木賞の候補に挙がっていたが、このたびめでたく平成19年上期の直木賞を受賞した。

         8月8日(水曜日)
馳星周著             「鎮魂歌」読了
1996年ベストセラー「不夜城」でデビューした著者の不夜城Uともいうべき続編。新宿歌舞伎町を舞台にした中国人同士、上海マフィア、北京マフィア、それに台湾のアウトローの抗争に日本のやくざをまじえて利権をめぐって仁義なき戦いは続く。約10年前
「不夜城」が発刊された当初、歌舞伎町の無法地帯ぶりの描写、外国人マフィアの進出に驚いたものである。多分にフィクションを交えたものだとは思ったが、日本の警察権力が及ばない治外法権地帯が出現したのでは、と疑った。現在でも時にふれ歌舞伎町は新聞紙面を賑すがその実態はどうなのか。

         8月11日(土曜日)
川上弘美著            「蛇を踏む」読了
なんとも不思議な小説。数珠屋「カナカナ堂」に勤める主人公のサナダさんがある日蛇を踏んだ。そこからこの作品は始まる。家に帰ると見知らぬ女がいる。女はサナダさんの母だという。しかし田舎に電話をかけると母はちゃんと暮らしている。女は食事の支度をし一緒にサナダさんと食事をしたりする。ところがしばらくするとこの女は蛇になる。このあとサナダさんの周辺はいたるところ蛇が出現する。現代の御伽噺と言おうか、怪奇小説と言おうか日常ではありえない話が展開する。この作品により作者は1996年度上半期の芥川賞を受賞するのだから、立派な文学作品に違いないのだが私にはどうもこういう作品は苦手である。

         8月14日(火曜日)
山本一力著        「深川黄表紙掛取り帖」読了
深川汐見橋たもとで定斎屋を営む蔵秀には宗裕、辰次郎、雅乃と言う仲間がある。定斎売りとは夏の盛りの2,3ヶ月炎天下に夏負けの特効薬を売り歩く商いである。したがって暑い夏が過ぎると商売は終わりになる。蔵秀は定斎屋であるが、他の3人はそれぞれ定職を持つ。この4人が仕事の合間に、世の中のちょっとした困りごとを解決するため依頼人の相談に乗る。この4人はなかなかの知恵者ぞろいで、大店の商店主でも困っている揉め事を次々に解決してゆく。読み始めると次はどんな事件を、どういう風に処理するのか楽しみになる。

         8月17日(金曜日)
森 詠著           「少年記」読了
プライドだけは高いが生活力のない貧乏絵描きを父に持つ少年、オサム(城山修)は母が離婚すると母とともに家を出る。これまで通いなれた中学校を転校するのはいささか心残りがあるが家庭の事情であれば仕方がない。中学2年の新学期から那須高原のはずれにある黒磯中学に通うこととなる。オサムは背は低いが気持ちのしっかりした頼もしい少年。転校当初は誰も相手にしてくれず、多少寂しい思いもするが次第に溶け込んでゆく。クラスや学年にはグループがあり、ボスがいる。最初ボスに目をつけられいじめられるが、オサムは負けてはいない。昭和30年代、田舎にはまだ自然がたっぷり残っている。そんな豊かな環境の中で少年オサムがいかにたくましく生きてゆくか。作者の自伝的作品。わが少年時代を思い出させるどこか懐かしい作品。

         8月20日(月曜日)
岩井三四二著        「難儀でござる」読了
天正14年駿河の今川氏親の軍勢は甲斐の国に侵入し、甲斐東部、甲斐中部のあちこちで放火略奪を繰り広げた。甲斐の守護武田信直と抗争する国人大井氏から援助を求められてのことであった。甲斐勢はこれを迎え撃ったが、初めは準備が整わず敗北を重ねた。ようやく体制を立て直した武田勢は、勝ちに乗じて領内深く進入した今川勢2000人の退路を断つことになる。退路を絶たれた今川勢は勝山に城を築いて立てこもった。甲斐勢は勝山城を包囲したものの、抗争中の大井氏の動向にも気を配らねばならず本格的な城攻めには持ち込めない。そこに現れたのが今川氏親の和睦の親書を持った連歌師宗長である。甲斐の守護武田信直は父の死により、14歳で守護職を継ぎこの時まだ24歳になったところであった。甲斐の国には武田一門の他有力な国人が割拠し領内全般を統率するにはいたっていない。信直は今川氏との和睦の交渉に当たり、重臣の甘利備前守に到底無理な要求を交渉するよう命じる。ところが交渉相手の連歌師宗長は、海千山千の男でのらりくらりと逃げ回り本格的な交渉に移れないまま時は過ぎる。甘利備前守は主君と交渉相手の中にたって苦吟する。さてどうなるか。

         8月23日(木曜日)
重松清著            「半パン・デイズ」読了
東京で父母と3人で暮らしていたヒロシは幼稚園卒園と同時に、家庭の都合で父の郷里である西日本の田舎町に引っ越すことになる。最初ヒロシにとってこの町は誰も知り合いのいない暮らしにくい町だった。少年の目を通して、小学校入学から卒業までの6年間の出来事がつずられている。一人っ子のヒロシは甘えん坊の弱虫であったが、しだいにこの土地にも溶け込みたくましく成長していく。題名の「半パン・デイズ」は半ズボンで過ごした日々、というのでもあろうか小学校6年間の成長記録のことだと思われるのだが。先日読んだ森詠の「少年記」と同じようなテーマ。

         8月27日(月曜日)
山本一力著           「辰巳八景」読了
深川木場界隈を題材にした8篇の人情話。作者の比較的新しい作品として楽しみにして読んだのだが、正直に言うと少々期待はずれ。次の作品に期待しよう。

         8月31日(金曜日) 
車谷長吉著           「業柱抱き」読了
この本には短編小説があり、随筆があり、評論があり、詩があり、俳句がある。しかしその底に流れるのは作者の文学に対する厳しい姿勢と情熱である。中に「風呂桶の中の魚」という一文があり強い感銘を受けた。作者の大学時代からの真の友人であったM氏が心筋梗塞で急逝された。その訃音に接して作者がその思い出をしたためたのがこの一文である。作者は直木賞を受賞するまで長い長い不遇時代があった。大学を卒業すると文学を志しながら、食うため広告会社に入社し学業とは縁もゆかりもない広告部に籍を置く。そして仕事の傍ら細々と小説も書き続ける。M氏とは同じ慶応大学文学部の同期生であった。しかし2年になるとM氏は心理学科へと進み進路が分かれる。卒業後作者が書いた短編小説がたまたま「新潮」に掲載され、それを読んだM氏は作者を自宅に招待する。そして小説原稿を書き続けろと強く勧める。作者は小説が掲載されたのはたまたまであって自信がないと尻込みする。そのときM氏は次のような話をした。M氏は大学卒業後東京の武蔵野病院付属精神医学研究所に勤めた。ある日M氏が精神医学研究所の廊下を歩いていると、研究所内の風呂場の戸が開いていた。中をのぞくと一人の男の患者が水の張ってある浴槽の上に釣り糸をたれている。かねて氏とは顔見知りの男である。氏は「どうだ釣れるか。」と声をかけたが男は振り向きもしない。M氏はそのまま廊下を通り過ぎた。所要を済ませて、再び元の廊下を通過するとき、風呂場を覗くと男は先ほどとまったく同じ姿勢で釣り糸をたれている。氏はまた、「どうだ、その後、何か釣れたか」と声をかけた。すると、男は矢庭にこちらを振り向き、「馬鹿っ、風呂桶で魚がつれると思っているのか。」と怒鳴った。血走った、すさまじい目だった。そのごM氏は夕方また浴場の前の廊下歩いて行った。男は先刻とまったく同じ姿勢で一心に浮きを見つめている。
ここでM氏は言う。「僕は小説など書いたことはないけど、小説を書くということは、この男と同じように、風呂桶の中に釣り糸をたれて、魚を釣り上げようとすることではないだろうか。無論、この男は精神分裂病患者で、世の中で気違いといわれている人だ。君ももともと相当おかしなところのある人だけど、しかし会社員が勤まっているのだから、まあ普通の人といっていいわけだ。小説を書くというのは、この男のように狂気でするのではなく、正気で風呂桶の中の魚を釣ろうとすることではないか。それを一生続けることはつらいことだろうけれど、僕はそれを君にやってほしい。君ならできる。正気で、一生風呂桶の上に釣竿を差し続けてほしい。魚なんか一匹も連れなくていいじゃないか。それが小説を書くということではないのか」と激励する。
この言葉を聴いて作者は一つの啓示を受けたように感じる。
その後作者は文学に行き詰まり、30歳で東京を捨てる。そして生まれ故郷に近い関西方面をあちこち無一物同様で漂流する。一時小説からは遠のいたものの、文学への夢を捨てきれず39歳で再び上京する。M氏と再会したのは作者が長い下積み時代を迎える取っ掛かりのころであった。

         9月3日(月曜日)
先日から利き腕の左腕が痛み、肩より上に腕が上がらなくなってしまった。この体験はこれが初めてではない。最初は今から14,5年前私が53歳ぐらいのときだった。高いところのものを取ろうとして突然左肩に激痛を感じた。医者に行くと「五十肩」だと言われた。2,3回医者に通った覚えがあるが「誰でもなる一過性の炎症」と言われてまだ痛かったが治療はやめた。その後阪神大震災の年にまた左肩が痛くなった。このころヘラ鮒釣りに凝っていたのだが、左肩が痛くて竿が振れず趣味の釣りも止めてしまった記憶がある。私の場合、五十肩になるとろくに治療しなかったせいか痛みが長引き、治るのに1年以上かかっている。3回目が私の退職した63歳の年。この時は痛みが激しかったせいもあるが、すぐ会社の近所のマッサージ師で治療を受けた。治療が早かったのが良かったのか、10日ほど通院して完治した。そして今回である。五十肩は一回経験すれば2度とならないものと思っていたのだがとんだ間違いだった。
昨日、いぜん中日ドラゴンズで抑え投手として活躍した牛島和彦氏が書いた「治る!防げる!五十肩」という本を見つけた。この本によると、プロ野球の投手は肩を酷使するので「肩関節周囲炎」すなわち五十肩になり易いとのこと。早い人は20才台でも五十肩になるらしい。この本には五十肩にならない予防法と、不幸にしてなってしまった人の治療法、トレーニング法が書かれている。さすが実践家だけに解説が具体的で参考になる。

         9月6日(木曜日)
椎名誠著          「波切り草」読了
昭和30年代初頭の房総(千葉県)地方の田舎町を舞台に繰り広げられる大家族の一家の物語。生活は決して豊かではないが親子兄弟、親戚など一族がお互いに支えあいながら仲良く暮らしてゆく。物語は主人公松尾家の三男勇の中学2年生の頃から始まる。勇は勉強はあまりできないので、中学を卒業すると就職を考えている。しかし何を目指すかはまだ決めていない。その頃近所に叔父が住んでおり、漁師の手伝いなどをして比較的のんきに暮らしていた。勇は海が好きなのでのんきで自由な叔父の生活に憧れ、漁師の弟子入りなども考えていた。しかし叔父の生活は勇むが考えていたほど甘いものではなかった。地元出身ではない叔父には生活の基盤となる漁業権も、持ち船もない。将来の生活には不安がいっぱいである。勇は中学校を卒業すると入学試験であまり心配の要らない、新しくできた全寮制の産業高校に入学する。この高校には機械科、水産科、土木科があるが勇は土木科に進む。この全寮制の高校での生活では、高校2年の夏休みにアルバイト先で他の高校の女子生徒と知り合ったり、体育祭で活躍したりと楽しい思い出がいっぱい。ひ弱な中学生から次第にたくましい青年に育っていく主人公を温かい目で捉えている。

         9月8日(土曜日)
熊谷達也著         「七夕しぐれ」読了
最近少年が主人公になった小説をよく読む。意図的でなないがこの作品もそうだ。新しく転校してきた小学校5年生が、自分の近所に住む2人の子供と偶然同じクラスになる。ところがこの2人何となくクラスで浮いた存在。近所の子なので仲良くなろうと近づくのだが2人はそれを避ける。しばらくしてその理由がわかる。2人は部落出身者で身体的な暴力は受けていないが、クラスの誰もが近づかない。つまり仲間外れのいじめを受けていたのだ。主人公の少年はこの2人と友達になり、クラス全員、先生を含めた学校全体と対決する。そのために採った手段とは。

         9月12日(水曜日)
浅田次郎著         「お腹召しませ」読了
さる藩の勘定方に勤めていた高津又兵衛は、3年前入り婿の与十郎に家督を譲って隠居した。婿の実家は御公儀小納戸役を務める旗本である。八十石取りの江戸藩士としては分不相応の婿として喜んだ。ところがこの婿は家督を譲られて3年後、藩の公金200両に手をつけ、知らぬ間に吉原の女郎を身請けし逐電する。婿の行方を捜すが見つからない。200両を内々に弁済して、婿を離縁し家督を孫の勇太郎に引き継がせようと試みるが金策がつかない。結局上役と相談の結果、高津又兵衛が監督不行き届きの責任を取り切腹し、家督相続は殿様のお情けにすがるということになった。この相談結果を家族に伝えるが、妻は一家を引き継ぐためには切腹もやむをえない。はやくお腹を召しませ、と冷たい。娘は、私と母上で勇太郎を護り、万端仕りますゆえ安心してお腹を召しませ、とこれもつれない。高津又兵衛はどうするか。

         9月14日(金曜日) 
北方謙三著          「牙」読了
北方謙三の名前だけは知っていたが読むのは之が初めて。最近新聞に「望郷への道」という作品が連載されだした。面白そうなので読み始めた。北方の作品はどれも長編なので之まで興味はあったが敬遠していた。この作品も長編なのだが本のページ数が少し薄そうなので手に取った。物語は、離婚した男が息子と二人で暮らしていたが病気で死ぬ。一人になった息子を植木屋をしていた祖父が引き取る。当時息子は高校生であったが父が死亡したため、進学をあきらめ祖父の植木屋を手伝うことになった。高校在学中はラグビー部に在籍し、屈強な身体と旺盛な闘争心から将来を嘱望されてもいた。しかし高校卒業後はラグビーにも縁がなくなりどちらかというと身体を持て余している。そんなある日寝起きしていた植木職の作業小屋に、男に追われた一人の女が飛び込んでくる。息子はこれを助けようとするが複数の屈強な男に袋叩きに合う。ここから事件は始まる。展開はいかに。

         9月15日(土曜日)
村山由佳著          「きみのためにできること」読了
作者村山由佳については全く知識がなく、図書館の棚にあったこの本を時間つぶしにと手にした。読み始めると知らず知らずのうちに小説の中に引き込まれ一気に読了した。あとでネットで調べると作者は2003年上期、「星々の舟」で直木賞を受賞している。
主人公高瀬俊太郎は高校を出て音響技術の専門学校に進んだ。そこを卒業して現在は番組制作会社の録音技術者見習いとして働いている。彼には高校時代からピノコ(本名日奈子)という恋人がいる。彼女は房総の造り酒屋の娘であり、地元では資産家のお嬢さんである。彼は仕事柄日本全国を飛び回っており、なかなか会う機会がない。この2人の仲を取り持つのはパソコンのメールであった。そんな或る日彼女のお母さんが脳溢血で倒れた。それまで夫を助けて造り酒屋の仕事を切り盛りしていただけに家業への影響は大きい。父親は家業の後継者としてピノコに婿取りを望む。ところが俊太郎には国際的も認められる一流の録音技術者になりたいという夢がある。とても婿入りして造り酒屋の跡継ぎにはなれない。さてどうなるか。
あらすじは複雑ではないが、2人がお互いに思い合う気持ちが良く描かれていて思わず共感を呼ぶ。上質な純愛小説。

          9月19日(水曜日)
車谷長吉著          「灘の男」読了
今年5月に出版された著者の最新作。この作品はこれまでのように、私が主人公の私小説ではなく主人公を知る第三者を登場させて、その人からの聞き語りというスタイルをとる。
主人公は「灘の喧嘩祭り」で有名な播州灘地区(現姫路市)出身の2人の破天荒な実在の人物。時代は昭和の初期からつい最近の阪神淡路大震災後ぐらいまで。播州灘地区は戦前から気風が荒っぽくて喧嘩早く、極道気のある人も多い独特の雰囲気のあるところ。主人公の一人濱中重太郎は鍛冶屋の倅に生まれ、小学校卒業と同時に家業を継いだがその後数年にして鎖工場を起こす。勉強好きで努力家だが喧嘩が大好き。腕力も強く気が荒い。灘一番の顔役として知られていた。一方同じ灘に住む濱田長蔵は濱中重太郎より2級下、家業の牛車引きを手伝うが17歳になって家業を継ぐ。仕事柄腕力は強く気も荒い。或る日濱中の弟分の男がいきなり殴りかかってきたが反対にこれを制圧する。これを知った兄貴分の濱中と大喧嘩になるが引き分ける。決着をつけるため濱中の呼び出しを受けるが日本刀を持ち出したため相手が自制する。その後濱中に召集令状が来たため二人は和解した。濱中は招集されたがじきに海軍から帰ってきた。今度は濱田長蔵に召集令状が来た。濱田が兵隊から戻ってきたときには濱中が鎖工場の仕事を濱田の運送店に回してくれていた。濱田は「わしのいまあるんは重太郎さんのお陰」と感謝する。
その後二人の事業は順調に発展を遂げる。特に濱中の製鎖工場は日本有数の鎖工場として世界にも名を知られる存在となる。
濱中は学歴こそ小学校卒業だがまじめな努力家。暇さえあれば本を読んでいる。人の心をつかむのが上手く面倒見がよい。清濁併せ呑むタイプで誰とでも気軽に付き合う。会社の事務所には共産党の地区委員、極道の弟、警察署長上がりなども机を準備されていたそうだ。

           9月22日(土曜日)
又吉栄喜著          「豚の報い」読了
琉球大学1年生の正吉はスナック「月の浜」に立ち寄ったところ、突然大きな豚が闖入して来た。豚は店内で大暴れし居合わせたママのミヨとホステス和歌子、暢子と正吉は大騒ぎの末、ようやく豚を店外に追い出す。その際ホステスの和歌子は間直に迫った豚の恐怖のため一瞬正気を失う。その厄を落とすため御嶽と呼ばれる聖地に4人はお願いに行くことになった。舞台が沖縄であり独特の風俗、風習があるため少し理解できないところがあった。著者はこの作品により第114回芥川賞を受賞する。

           9月26日(水曜日)
あさのあつこ著        「弥勒の月」読了
この作者はこれまで複数の作品で児童文学賞を受賞しているが、この作品は意外にも時代小説。それも同心や岡っ引が登場する捕り物小説。初の捕り物小説とは思えないこなれた作品。
北町定周り同心木暮信次郎は、手下の岡っ引伊佐治から見ると、やる気があるのかないのかよくわからない上役。信次郎の父親木暮右衛門の代に手札を貰って岡っ引稼業についたが酸いも甘いもかみ分けた先代と違って、取調べが苛烈で人情味が薄い。伊佐治は少々愛想尽かしをしていていつ手札返却しても良いような心境になっている。そんな中で小間物問屋の若女将が入水自殺をする事故が発生した。引き続き3件の殺人事件が発生する。一見入水自殺と殺人事件は無関係に見えるが...。自殺した若女将の主人の身辺には深い闇が漂う。

           10月3日(水曜日)
村松友視著          「永仁の壷」読了
偶然の機会から小山富士夫作の“ぐい呑み”に3度遭遇した私はそれに因縁を感じて、かって世間を騒がせた「永仁の壷」事件を再度検証することになった。作者村松友視は著名な文士である村松梢風の孫でもある。「永仁の壷」が世間に顕在化したのは昭和18年のことだった。愛知県東春日井郡志段味村の道路工事現場から、永仁二年の銘をもつ“おミキ壷”一個が出土したと新聞に報じられた。これがやがて「永仁の壷」と称されることとなる。その壷が発見された頃、陶芸家であり陶芸研究家でもある加藤唐九郎が根津美術館に「松留窯」出土と称する、陶片690個を寄贈した。根津美術館顧問で陶芸研究家の小山富士夫はこれを見て「鎌倉末期の格調と気品を伝える」と感動する。その直後に「永仁の壷」が根津美術館に運ばれ小山もこれを見る。これが小山と「永仁の壷」の出会いであり因縁の始まりとなる。のちに小山は加藤の案内で「松留窯」跡をたずねるが窯址は発見できなかった。唐九郎の言で「20年前の発見で当時と地形が変わっている」との説明だった。後で判明するのだが「松留窯」は加藤の作り出した架空の窯であり、出土した陶片もすべて加藤の製作したものであった。松留窯で発見された陶片は「永仁の壷」がのちに重要文化財に指定される根拠の一つとなった。加藤唐九郎はしたたかにも事件の起こる20年以上も前から、そのお膳立てを着々と進めていたのである。結局事件は加藤唐九郎が贋作を認めて幕引きとなるのだが、重要文化財指定に尽力した小山富士夫は事件について事後一言も語らず、「永仁の壷」が重要文化財指定を取り消された昭和36年7月、文化財保護委員会事務局を辞職する。古美術の世界は魑魅魍魎の世界であるらしく、一般的な社会通念では騙すほうが全面的に悪いのだが、この世界では騙されるほうが頓馬ということになるらしい。その証拠に加藤唐九郎は事件発覚後、以前にも増して活躍したし、事件についても野放図とも思える発言をしている。加えて加藤の製作する陶器は事件後ますます珍重されているようだ。

           10月10日(水曜日)
北重人著            「夏の椿」読了
立原周之介は旗本立原家の三男として生まれる。父は旗本大御番衆の組頭を務める。周之介は妾腹の生まれであるため父母の扱いも冷たく兄弟からも虐待を受ける。それに反抗したため12年前勘当され家を出る。家にいた頃唯一庇ってくれたのが姉の佐江であった。その姉も旗本萩山家に嫁ぎ、四人の子をもうけた。三男の定次郎は12歳の折養子に出たが勘当を受け町方に住み暮らしていた。その定次郎が何者かに殺害された。周之介は家族の依頼を受け探索に当たることになる。探索を続けるうちに米問屋柏木屋が浮かび上がる。柏木屋は四代続いた米問屋で、あるじ仁三郎は先代に小僧の頃から見込まれ娘婿になって柏木屋を継いだ。柏木屋の当主仁三郎は先代に見込まれただけあって辣腕家で、当代になって事業を一段と広げた。過去をたどると、仁三郎は越後で浪人の子として生まれ母が病弱であったため貧苦に苦しみ、一家は悲惨な境遇のうちに離散する。仁三郎は新潟の米問屋で丁稚として働くことになる。仁三郎には兄弟が二人あり、上の弟は悪評高い金貸し婆に使い走りとして雇われ虐待を受ける。その金貸しの家が原因不明の火事になり主が焼死体で見つかった。以後この弟の周辺では火事や殺人事件が続発するがいずれも事件は迷宮入りになる。仁三郎参兄弟と萩山定次郎の死はどういう係わり合いがるのか。仁三郎の老中
への政治工作も絡めて事件は大きく展開する。

           10月12日(金曜日)
吉田修一著          「長崎乱楽坂」読了
長崎市の外れにすむ三村家には、爺さん婆さんの間に五人の子供があり男の子はいずれも荒くれ者で、近所では鼻つまみの一家である。長男の愚連隊上がりの龍彦はすでに家を出て極道の一家を構えている。実家は次男の文治が取り仕切っているが、これもやくざ者でこれを慕って刺青を入れた若い衆が常に4,5人出入りしている。三男の末息子哲也だけはおとなしくてまともだったのだが19歳の若さで自殺する。ここに結婚して家を出た次女の千鶴が夫の事故死にあい長男駿、次男悠太を連れて帰ってくる。家には他に百貨店の売り子をしている長女一子と文治が拾ってきた奈緒という女が同居する。昼間は早くから風呂を沸かし、風呂がすむと男たちの酒盛りが始まる。酒盛りがすむとようやく歓楽街へ仕事に出かける。こんな賑やかではあるが荒々しい環境の中に駿、悠太の兄弟は暮らす。しばらくして駿は離れで幽霊に出会う。この幽霊は姿が見えず、声だけが聞こえる。しかもこの幽霊に出会うのは駿だけであった。兄弟の小学生時代から弟悠太が大学生になるまで、この物語は展開する。一時は大家族と出入りする若い衆などで荒々しいが活気にあふれていた一家も、やくざ社会の変貌や家族の死亡により次第に衰退していく。最後にこの家に住むのは長男駿と母親千鶴の二人だけになる。そしてこの家が火事で焼けた。火事の中で聞こえてきたのは大勢の荒くれ男の叫び声、男たちの挽歌であった。

            10月16日(火曜日)
樋口有介著           「雨の匂い」読了
村尾柊一は父と祖父の三人暮らし。母は柊一が小学生の頃離婚して家を出た。父は2年前私立高校の教師をしているとき癌の手術を受けるが再発、現在は身体のあちこちに転移していて手の施しようがない。入院中だが余命3ヶ月と宣告されている。祖父は家業の塗装屋をしていたが、2年以上前仕事中に脚立から落ちて足と腰を骨折4ヶ月入院した。退院後はしばらく歩行の訓練をしたが息子の癌での入院、手術などがあって気力を失い、リハビリを放棄。歩行が殆ど出来づ車椅子生活。柊一は入院している父の洗濯物の世話や雑用、家では寝たきり老人になった祖父の世話をしている。大学には殆ど行けず休学状態。わずかな暇をみつけてレンタルビデオ店のアルバイトをしている。こんな希望のない生活をしている柊一だが本人はそれを苦にしていない。そんな柊一にまたまた難題が持ち込まれる。離婚した母が借金を持ちかけてきたのだ。狙っているのは別れた夫の生命保険金。常識では理解しがたいこの母親に対し柊一は知識を生かしてある妙案を考えつく。その妙案とは。

             10月19日(金曜日)
松井今朝子著         「辰巳屋疑獄」読了
小前百姓の次男に生まれた元助は数え年11歳のとき大阪に丁稚奉公に出た。奉公先は大阪に17軒ある炭問屋のうち最大手と目される辰巳屋であった。同じ日に伊太郎という同い年の子も丁稚奉公にあがる。伊太郎は辰巳屋からのれんわけで独立した但馬屋の跡取り息子であるが、家業を継ぐまでの修行のため丁稚奉公に入った。後に伊太郎は元助にとって無二の親友になる。辰巳屋は去年三代目久左衛門が還暦を迎えて隠居し、四代目の当主久左衛門が跡を継いだが若干20歳の青年であった。このため隠居した三代目久左衛門改め休貞が、実質的に店を差配し現当主はお飾りに過ぎなかった。休貞には男3人と娘一人の4人の子が有ったが今家にいるのは長男の現当主と三男茂兵衛の二人である。長男は遊び好きで商売に身が入らないのに対し、三男の茂兵衛は10歳の頃から師匠について学問を始め、12歳で師匠に何も教えることが無くなったいわれるほどの神童であった。妙な縁から元助はこの茂兵衛から読み書きを教わることになる。元助は頭は回らず不器用ではあるが我慢強い。休貞はこの茂兵衛が跡を継いだら辰巳屋はますます発展するだろうと良く口にしたが、長男を差し置いて三男が跡を継ぐのは難しい。
18歳で茂平兵衛は同業の炭問屋木津屋に養子入りし木津屋吉兵衛を名乗る。元助は番頭の指示で茂兵衛にしたがって木津屋
に移る。木津屋はもともと炭問屋であったが吉兵衛の代になってから、質屋に手を広げ担保を取って金を貸すようになる。本業の炭問屋は次第に手薄になる。しかも貸す金の資金源を辰巳屋に求めるようになる。辰巳屋は隠居の休貞が死に四代目の当主が身体をこわしている。跡継ぎは娘が一人しかいない。ここからお家騒動が発生する。辰巳屋、木津屋が大阪の東西両奉行所を巻き込んで訴訟合戦を展開、役人への賄賂も絡んで大疑獄事件に発展する。元助、伊太郎はどうなるか。

              10月22日(月曜日)
玄侑宗久著            「中陰の花」読了
田舎のお寺の一人っ子に生まれた則道は歩き始めると、近所のおがみやであるウメの家に良く遊びに行った。その家にはお寺と同じような沢山の仏像が並んでいたことを覚えている。成長して修行を終えた則道は故郷に帰りお寺の後を継ぐ。住職を継いだ後も則道とウメの間には交流があった。ウメには予知能力が備わっており結構信者が出入りしている。最近ウメは高齢から身体をこわし病院に入院した。そして自分の死ぬ日を予言する。これを知った病院側は臨戦態勢でこれを阻止するがウメは喜ばない。つかの間病状は持ち直すがまた悪化、ウメは再び自分の死ぬ日を予告する。今度は病院側の懸命の努力も及ばず予告された日にウメは死亡した。則道は結婚が遅かったため子供はあきらめていたが思いがけず妻が妊娠した。しかし妊娠して4週間目に妻は過労から流産する。則道はこれまで妊娠4週間で流産した我が子のための回向をしていない。ウメの四十九日に併せて我が子の供養もしようと計画する。妻はこの計画のためある準備をする。この供養の日、則道夫婦は不思議な宗教的体験をする。その体験とは。    著者は僧侶。本作品により第125回芥川賞を受賞。

               10月24日(水曜日)
津村節子著             「菊日和」読了
二人姉弟の弟慎吾が死んだ。思いもよらない急死だった。命日に墓参りに行くと皮をむいた蜜柑が供えられていた。恵は妻の美也のすぐに食べられるようにとの、心づくしであろうと思った。恵と慎吾の姉弟の母は42歳で亡くなった。亡くなったとき恵は16歳、慎吾は8歳であった。姉弟の父は47歳で妻を失ってから62歳で亡くなるまで独り身であった。父が独身で通せたのは家に恵がいたからであった。父が亡くなった後、姉と弟の二人暮しになる。父の一周忌が過ぎた頃慎吾は学生時代付き合っていた美也
と結婚したいと言い出した。そして二人は結婚する。あとに残った恵もようやく自分の結婚に踏み切る。ところが一足先に結婚した慎吾と美也には、いつまでたっても子供が生まれなかった。後で結婚した恵は3人の子供に恵まれる。子供好きの慎吾はしょっちゅう姉の家に遊びに来て子供の相手をしていた。どうしても子供のほしい慎吾は夫婦で病院の診察を受けるが異常は認められない。その後ふとした拍子に妻の美也が、結婚してまもなく一度妊娠したがもう少し二人だけの生活を楽しみたくて、夫に無断で中絶したと打ち明ける。その場は許した慎吾であったが、夫婦の間に亀裂が入る。慎吾が死亡してからしばらくして、恵は産院を経営している友人から一枚の写真を見せられた。そこには3歳ぐらいの女の子を真ん中に慎吾と見知らぬ若い女性が笑顔で写っていた。恵は慎吾のお墓に好物のみかんを皮をむいてお供えしたのは誰かを知った。

                10月27日(土曜日)
伊藤たかみ著            「八月の路上にすてる」読了
大学の体育の授業で敦と知恵子は知り合った。映画の脚本家を目指していた敦は雑誌編集者志望の知恵子に惚れた。二人は互いに惹かれあうものがありすぐ同棲する。大学を卒業すると敦は就職せずあくまで脚本家を目指した活動を続ける。一方知恵子は編集者を目指して、大手出版社の就職試験をあちこち受けるが落ち続ける。結局知恵子は編集者とは何のゆかりもないマンション販売代理店に就職した。仕事に興味がもてないため円形脱毛症になるほど苦労をするが、それでも知恵子は生活のため仕事を止めない。1年ほどたって食品関係企業の出版部門の編集社員の口がありそちらに転職する。知恵子の新しい仕事はとても忙しいようだった。本人も誇らしげで張り切って働いている。こんな知恵子に敦は次第に引け目を感じるようになった。自分の能力に限界を感じつつあるし、経済的負担を負わせ続けていることもある。しかし知恵子はあんなに張り切っていたのにこの仕事を辞めた。職場での人間関係が上手くゆかなかった為のようだ。精神的にも不安定な状態が認められる。知恵子が勤めを辞めたため敦がアルバイトとして働くことになる。ところが知恵子は敦が脚本家になる夢を捨てたのかと非難する。夢破れた二人が経済的不安もあって次第に精神的に追い詰められてゆく。そして離婚。お互いに十分未練がありながら...。切ない純愛物語。
第135回芥川賞受賞作品。

                10月30日(火曜日)
泡坂妻夫著              「春のとなり」読了
昭和24年に中学校を卒業した新庄秀夫は、いやというほど職業安定所に通い、7月になってやっと千代田殖産建設という会社に就職した。この会社は入社した当時貸事務所事業だけだったが、現在では金融業にも手を広げむしろ最近ではそれが主体となっている。秀夫は貸事務所関連の仕事をしながら夜間高校に通っている。秀夫の仕事は共同事務所の電話係だった。共同事務所というのは一部屋を一社に貸すのではなく、一部屋を数社で使用するという形態をとる。当然借主は零細企業や個人事業主である。机一つを置いて営業している会社や個人もあり、従業員も多くて数名という程度であった。この当時電話も不足していて貸ビル一つに電話が数本という状態で、共同事務所の借主は殆ど電話を所有していなかった。秀夫の仕事は店子にかかってきた電話を取り次いだり、不在の時は代わりに聞いて連絡するという役目である。入居者の殆どが経済的に余裕のあるレベルではないので家賃を滞納したり、夜逃げをしたり、怪しげな広告を出して詐欺まがいの取り込みをしたりと、秀夫は入社早々社会の裏を知ることになる。朝鮮動乱が終わりアメリカの戦略物資の買い付けは停止した。特需の終わりである。世の中が不況に突入した。秀夫の会社は金融業に手を広げ会社を拡張する。そして株式を上場し、社長は国会議員に立候補する。挙句社長は悪質選挙違反で検挙され、新聞種になる。同じ時期にスターリンの死亡、株の大暴落、高利をうたった金融業の保全経済会の倒産があった。そのあおりで秀夫の会社も危なくなった。   (私の少年時代の出来事を思い起こしー大変な時代だったなぁーと今更実感している。) この苦難の時代を乗り越えてわが国は高度経済成長期を迎えるのである。    まさに「春のとなり」の時代であった。

                11月6日(火曜日)
椎名 誠著               「銀座のカラス」読了
1989年11月23日から1991年2月11日まで1年有余にわたって朝日新聞朝刊に連載された新聞小説。昭和40年代の半ば、高度経済成長期の只中、松尾勇は大学卒業後都内の新聞社に勤めていた。新聞社といっても百貨店業界を対象とした社員数20数名の小さな業界紙である。この新聞社では週刊誌の「百貨店ニュース」と月間の「店舗経営月報」を出している。発行部数は「百貨店ニュース」が5000部足らず、「店舗経営月報」は約800部といったところ。勇は「店舗経営月報」の編集部に配属される。編集部といっても編集長一人、編集部員一人といったひどくわびしい所帯である。最初勇は入社すると半年ほど「百貨店ニュース」の亀沼編集長の下で気ままに編集の見習い仕事をしていた。年は23歳でこの会社では一番の若手である。「店舗経営月報」の編集部に配属されて初めて本格的に編集の仕事を体験した。「店舗経営月報」の室町編集長の下で5ヶ月ほど仕事をしたが、ある日突然家庭の事情で編集長が辞めることになった。勇は社長から後任の編集長としてやってくれるか、との打診を受ける。この時期百貨店業界は新進気鋭のスーパー業界の猛烈な追い上げを受けつつあり、流通業界は競争激化風雲急を告げる時代が到来しつつあった。勇の大学時代の親友二人と新しく部下になった菊田を交えて、勇は精一杯努力し活躍する。若者らしい夢を追う姿はすがすがしい。読んでいてなぜか昔愛読した源氏鶏太のサラリーマン小説を思い出した。 

                 11月10日(土曜日)
藤沢 周著            「ブエノスアイレス午前零時」読了
平成10年上期の芥川賞受賞作品。この作者については何も知識がなく、芥川賞受賞作品であることと、本の題名に興味を惹かれて読んでみた。東京で広告代理店に勤めていたカザマは何があったか知らないが、雪深い新潟県の故郷にUターンして帰ってくる。今のところ家業の豆腐屋は継がず近くの温泉地のホテルの従業員として働いている。このホテルはスキー客はあまり来ず、所有するコンベンションホールを社交ダンス会場として使用し、これを目当てに集まる初老の社交ダンスツアー客を対象として営業を行っている。或る日神奈川のサルビアダンス会の一行がツアー客としてやってきた。その中にミツコという老女がいた。ミツコは耄碌していて正気のときもあるが、ボケているときのほうが多い。過去のどのような体験からか、ミツコは日本の反対側に位置するペルーのブエノスアイレスに関連する言葉を口走る。ミツコは目も不自由なためダンス会一行の中では浮いた存在。このミツコにカザマは興味を覚える。ダンス会場でポツンと一人取り残されているミツコにカザマは踊り相手を申し出た。カザマの過去は語られないが両者とも鬱屈したものを抱え込んでいる。本のタイトルになっているブエノスアイレスはミツコの言葉。期待したペルーの話は何も出てこない。 

                  11月14日(水曜日)
絲山秋子著             「沖で待つ」読了
昨年度の芥川賞受賞作品。同じ芥川賞受賞作品でもなじみやすいものと難しいものとがある。先日読んだ藤沢周の作品はどちらかというと難しい作品だった。作者がなにを言うわんとしているのか私にはわかり辛かった。読解力の問題だと言われればそれまでだが。この作品は分かりやすくてすぐ作品に溶け込めた。 私(及川)は東京の大学を卒業すると住宅機器メーカーの総合職として採用され福岡の営業所へ配属された。ちょうどバブル期にあたり同期生も多かった。女性の総合職は私のほか数人いたが彼女たちはみな東京と大阪に赴任することになっていた。私はまさか自分が九州に配属されるとは知らず、配属地を聞いたときは不安が一杯だった。同じ福岡営業所に男性の総合職牧原太君も配属された。私は山梨県出身、牧原君は茨城県出身で九州にはなじみがない。赴任してしばらくそれぞれ先輩について特約店や設計事務所、クレーム現場に行った。だんだん仕事に慣れてくると牧原君は福岡の旨いものに目覚め、大食して太りだした。 体重が私の2倍を超えいつの間にか、呼び名が牧原君から「太っちゃん」に変わった。太っちゃんは要領は良くないが汗を流すタイプで次第に得意先にも認められる。私と牧原君は同期生ということで男女の枠を超えた親近感、友情で結ばれる。やがて太っちゃんは同じ営業所のベテラン女子社員と結婚する。どちらかというと女性が太っちゃんを見初めて結婚に踏み切ったらしい。しばらくして私に埼玉営業所に転勤を命じる辞令が下りた。何年かして太っちゃんに次に会ったのは東京だった。太っちゃんも東京転勤になったのだ。2ヶ月ほどたって太っちゃんから「飲みにゆこう」と誘いがきた。その席で太っちゃんはある提案をする。どちらかが先に死んだ場合、残った者は相手の秘密を抹消してやるということだった。具体的には家族や、上司にも知られては恥ずかしいもの、まずいものなどが収められた個人のノートパソコンハードディスクの物理的破壊であった。そのため自分の住居の合鍵を作ってお互いに交換することになる。太っちゃんの死は突然訪れた。出勤しようとマンションを出たところで、突然7階から人が降ってきたのだ。投身自殺の巻き添えだった。私は約束どうり合鍵で太っちゃんの部屋へ入って、パソコンを探し解体してハードディスクに傷をつけた。ハードディスクの入っていた弁当箱のようなものは太っちゃんの棺桶のように思えた。 

                   11月19日(月曜日)
山田詠美著            「姫君」読了
名前だけは知っていたが作品を読むのはこれが初めて。芥川賞選考委員だけにその論理的表現力にはさすがに感心する。この本には5編の短編小説が収められている。どの小説にも男女の性的結びつきが主題となっているが、その表現は抽象的で論理的である。したがってそれを期待して読むといささか失望することになるだろう。文章の表現力には感服させられるのだが、話の内容が論理的過ぎて私には多少面白みが欠けていたように思えた。途中で何度か休憩しながら読んだ。 

                   11月26日(月曜日)
村山由佳著            「星々の舟」読了
家族関係が複雑な水島一家の物語。父親重之は洋風建築をを好まず純日本風建築を志向する工務店を経営する。家族は妻志津子と長男貢、次男暁、長女沙恵、次女美希の四人。妻志津子とは再婚。長男、次男は前妻との間にできた子供。長女沙恵は志津子の連れ子。次女の美希だけが重之との子供。しかしこれは表向きの話。前妻が若くして病死し幼子を抱えた重之は,家事を任せるため家政婦を雇う。その家政婦が現在の妻志津子であった。妻が病弱であったため重之は妻の生前から志津子と交際があった。志津子は前妻が死亡したため家政婦から後妻になおる。志津子の連れ子の沙恵は実は重之との間にできた子供である。長男貢、次男暁は勿論沙恵、美希もこの秘密を知らずに成長する。沙恵が17歳の夏、交際を申し込まれていた浪人生の男にデートに誘われ父親の建築現場で犯される。次男の暁はこの交際について事前に沙恵から相談を受けていた。責任を感じた暁はこの浪人生を半殺しのめにあわせた。この事件をきっかけに沙恵は暁を慕い、暁は沙恵に同情する。お互いに葛藤に悩みながらついに男女の愛に発展する。これを知った重之は激怒して親子喧嘩の末、暁は家を飛び出す。以後20年近く暁は故郷に帰らなかった。突然家から電話があった。母の志津子が危篤とのことであった。この本には水島家の家族にまつわる物語が6篇収録されている。2003年度の直木賞受賞作品。さすがにと思わせる秀作揃い。 

                   11月29日(木曜日)
絲山秋子著            「袋小路の男」読了
あなたは袋小路に住んでいた。同じ高校の1年先輩で頭は良いのだがほとんど学校には姿を見せない。彼女がいるのにソープランドばっかり行っているとの噂もある。名前は小田切孝さん。あなたと初めて会ったのは薄暗いジャズバー「エグジット.ミュージック」だった。ふと気がつくとあなたは奥の椅子席から突き刺すように私を見ていた。それ以来私はあなたを探すことが学校に行く目的になった。しかし言葉を交し合うようになっても、あなたは「説教するわけじゃないんだけどさ」を枕詞にいつも説教するばかり。他の彼女との熱烈なキッスを見せ付けるくせに手も握ってこない。あなたは私の知っている誰よりも頭がいいくせに大学は二浪した。大学を卒業して私は大阪が本社の食品会社に就職した。そんなあなたに偶然に再会した。友達の結婚式のため東京に帰ってきた私は乗り合わせたバスの中であなたを見つけた。あなたは何をしてるんですかと聞くと、あなたは「作家だよ」と答えた。まだ一度も売れたことのない作家だった。この再会をきっかけに二人の交流は復活する。あなたは相変わらず私を恋愛の対象とはしない。私は望んでいるのに。わたしはあなたに才能があると思うのだが、文芸誌の賞には入選しない。あなたは作品を書く傍らジャズバーのアルバイトをしている。      恋愛でもないのにお互いが必要とし、離れられない関係。が綴られていく。

                   12月4日(火曜日)
荻原 浩著             「明日の記憶」読了
中堅広告代理店の営業部長を勤める佐伯は先月50歳を迎えた。23歳で大学を卒業して以来仕事一筋に生きてきた。仕事が優先で家庭サービスなど二の次だった。これまで家族で長期の旅行など一度もしたことがない。来年には24歳になった一人娘が結婚することが決まっている。 広告代理店業界も少しでも大口の仕事を取ろうとして競争は激しい。営業の第一線に立つ佐伯はクライアント(顧客)の要求が厳しくストレスがたまるポジションである。そんな佐伯に最近激しい頭痛や目眩みの症状が現れた。以前から不眠の症状は続いているのでそのせいだとも思えるのだが、近頃物忘れもひどいので大学病院に診察を受けに行った。ところが病院では精密検査が続き診察の結果がなかなかでない。何回も検査の結果下された診断は若年性アルツハイマー症。思いもよらない診断結果に佐伯と妻枝実子は懊悩する。佐伯はこのまま仕事が続けられるものか医師に相談する。医師からは仕事に支障がなければ続けても良いが、一応職場には病名を申告しておくべきだとの助言を受ける。しかし佐伯自身自分がアルツハイマーとは信じかねていた。だがそのうちに佐伯の物忘れはひどくなってきた。会議での打ち合わせを忘れる、クライアントとの約束を忘れる。自分の行き先がわからない。など仕事上の障害が多発しだした。このため営業部長の職を解かれ他の部署に配置換えになる。そして娘が結婚するとまもなく佐伯も会社を退職した。アルツハイマーと診断される前は、娘の結婚式が終わり、仕事が一段落したら、休暇をとって枝実子と二人で海外旅行でもしようと思っていた。それなのに、海外旅行どころか近所の散歩もままならない身体になってしまった。アルツハイマーは単に記憶が損なわれていくだけの病気じゃない。人格も失われていくのだ。温厚な人が訳もなく怒り出し、理由もなく人を疑る。そして25年一緒に暮らした、誰よりも良く知っている、人生の半分以上の時間をともに過ごした最愛の妻の顔も思い出せなくなる。  切なくて涙が出そうな物語。フィクションながら佐伯一家の幸せを祈らずにはいられない。   優れた物語性を有する作品に贈られる山本周五郎賞受賞作品。 2006年渡辺謙主演で映画化。

                  12月11日(火曜日)
浅田次郎著            「月のしずく」読了
43歳になる佐藤辰夫は東京近くの湾岸コンビナートで30年近く荷役として働いている。もともとは漁師であったが親父の代に浜が埋め立てられ湾岸コンビナートができた。住んでいた漁師たちはわずかな補償金を手にすると、競輪競馬に手を染めたり酒に溺れて持金を使い果たし、金がなくなるとコンビナートで肉体労働者として働き出した。辰夫も中学を卒業すると荷役の仕事に就いた。一日中重い荷物の運搬でヘトヘトに疲れて、当初は目指していた定時制高校も通えなかった。おかげでいまでも読み書きは満足にできない。先々月までは汚い貸家に母親と一緒に住んでいたが、その母親も死んだ。仕事が終わると近所の一杯飲み屋で仲間と安酒を飲むのが日課になっていた。そんな或る日辰夫に椿事が訪れた。いつものとおり一杯飲んで、歩いて帰る途中、運河にかかるアーチ橋の上で車のとまる気配がして辰夫は振り返った。停まったのはシルバーグレイのベンツであつた。何事か口汚くののしりながら女が下りてきた。辰夫は女を一目見て「うわ。いい女だなァ」と感動してしまう。女は思い切りドアーを閉めると車のナンバープレートを蹴った。運転席から男が降りてきて何か言いながら女を殴った。そして一掴みの札束を倒れた女の上に放り投げ、そのまま走り去った。辰夫はこの美女をボロ家に連れて帰る。さぁこの後どうなるか。現代の御伽噺のはじまり。
この本にはこの他6篇の作品が収録されている。 

                   12月14日(金曜日)
吉田修一著             「パレード」読了
東京千歳鳥山の2LDKに同居する4人の男女の物語。この4人は恋愛関係はないが表面上お互い仲良く暮らしている。もともとは現在も居住している伊原直輝が恋人と2人で暮らしていたのだが、彼女に新しい恋人ができて出て行った。その後に次々に新しい住人が増えた。   杉本良介 H大学経済学部3年21歳。サークルの先輩である梅崎さんが、伊原の同じ大学の後輩であることから紹介されて同居人になった。いなかで寿司店を経営している父親が、かなり無理をして私立大学に入学させてくれたことに感謝している。現在下北沢のメキシコ料理店でアルバイト中。サークルの先輩である梅崎さんの彼女貴和子さんとひそかに交際しているが、良介も貴和子さんも別に良心の呵責に悩まされている様子はない。   大垣内琴美無職23歳。田舎で短大を卒業し医薬品メーカーの支社でOLとして働いていた。短大に入ってすぐコンパで知り合った丸山友彦と恋におちる。丸山君は訪れたマクドナルドの店員が,彼の顔に見惚れて手をブルブル振るわせるほどのイケメンであった。琴美も周囲の短大生の間では目立つ存在である。しかし丸山君は経済的には恵まれていなかった。母親と二人暮しでホームセンターで働いていた。その母親が重度のうつ病を患っているらしい。丸山君はそれを隠していた。二人の交際は深まるが、或る日丸山君の自宅の近くで下半身裸の母親を見かける。丸山君は飛んでいって自分の上着で母親の下半身を隠した。この件があって以来二人の間は何となく気まずくなった。しばらく二人の交際は中断する。琴美が短大を卒業して間もなく丸山君がホームセンターを辞めて東京へ行ったと人づてに聞いた。琴美はOLとして働き出すが、丸山君が若手のイケメン俳優として売り出し中であるのを週刊誌で知る。突然或る日家にも勤め先にも無断で、東京へ出てきて丸山君に電話をするが連絡が取れない。行き先に困って東京で唯一の友人である相馬未来に電話して迎えに来てもらった。そして転がり込んだのが未来が住むこのマンションである。以後このマンションの同居人になる。現在無職で、愛人として丸山君から電話がかかって来るのを一日中待っている状態。   他に同居者は相馬未来24才 イラストレーター兼雑貨店店長    小窪サトル18歳 職業不詳、街頭で客を引く男娼をしているらしい。飲み屋で酒に酔った相馬未来が拾ってきた。同居人ではないがこのマンションに寄生している。他人の住居に合鍵で忍び込むのが趣味。    伊原直輝 28歳 独立系映画配給会社勤務。 一番当初からのこのマンションの住人。恋人に出て行かれて現在独身。趣味は映画で、それに関連した仕事に就いている一見幸福な男。表面は真面目で几帳面、ところが実は一番怖い性格の持ち主。物語の最後はこの人の怖いお話で終わる。登場するのは一見どこにでもいる平凡な人物に見えるが、それぞれ一癖も二癖もある人物ばかり。とても我々では付いて行けない感じ。

                  12月19日(水曜日)
石田衣良著             「1ポンドの悲しみ」読了
OLとして勤める柴田朝世は同じく中堅商社に勤める間山俊樹と同棲して一年近くたつ。今は最初の燃えるような楽しい数ヶ月が過ぎて、毎日は安定している。しかし俊樹が残りの一生をともに過ごすベストの相手なのか、朝世には自信がもてなかった。二人ともこれまで手痛い別れを経験して、どんなものでも所有権をはっきりさせておくことが一緒に暮らし始めるときの取り決めになっている。このためお互い買ったものにイニシャルを入れておく。そうすればいつか同棲を解消するとき、醜い奪い合いをしなくてすむ。最初は家具や電化製品、書籍だけだったが、月日がたつうちに部屋中にイニシャルのAとTが氾濫するようになった。今では生鮮食料品にさえイニシャルを入れるようになっている。そんな或る日友人の秀美から、知り合いに子猫が3匹生まれたので1匹貰わないかと電話がかかってきた。朝世の実家ではいつも猫を飼っており朝世も猫が好きだった。俊樹に相談すると俊樹も猫を見に行くという。猫はアビシニアンと雑種のハーフだった。3匹の子猫はいずれも元気で可愛かった。そのうちの1匹、毛の色が青みがかったシルバーのオスを貰って帰った。土曜日の夜と日曜日の丸一日、二人は外出もせず子猫と遊んで過ごした。月曜日、朝世が仕事から帰ると、子猫の様子がおかしい。舌をたれて苦しそうに浅く速い呼吸を繰り返し、立ち上がることもできない。俊樹が帰ってくるのを待って最寄の動物病院に連れて行った。診断の結果は先天性の心臓に欠陥のある重症だった。このままでは助からないから手術が必要だという。手術には多額の費用がかかるし、成功しても病弱なことが多く長生きできないかもしれない、それでも手術するか、それともこのまま安楽死させるか、明日その返事をしてほしい、とのことだった。朝世には手術以外の選択肢は考えられない。俊樹も手術に賭けてみよう、と同意してくれた。手術は無事成功した。あとはこの子猫が無事退院してきた時につける名前である。俊樹は「今回のことでよくわかったことがある。名前って誰のものかをあらわすだけじゃないんだ。好きな人の名前ってそれだけで、幸せを呼ぶ呪文なんだね。僕は朝世のなまえが大好きだ。部屋中のものを全部朝世のイニシャルAに変えてもいいくらいだ」と言った。

この作品はこの本に含まれる「二人の名前」の概要である。この他この本には9編の恋愛短編小説が含まれる。恋愛にもいろいろの形態があって、この短編小説集に出ている10篇の中で正式の夫婦は二組だけである。我々の世代から見ると男女の恋愛は多様で気軽にくっつき、手軽に別れる、男女の愛とはそんなに軽いものなのか。改めて考えさせられた。 

                 12月25日(火曜日)
稲葉真弓著         「風変わりな魚たちへの挽歌」読了
1950年から22年間私はその町に住んでいた。二つの大きな河が町を挟んで流れており、河と町の中を走る細い運河のほかは、見渡す限りの平野である。私たちの町は古いものだけが生き残り、やがてそれらも朽ち果ててゆくような町であり、近郊の都市の人口が膨れ上がるのとは反対に、年々人口は減少していった。私はこの町で高校を卒業すると大学へは進学せず、美術学校へ進んだ。町には屋敷町の土蔵を移築した喫茶店「かるかや」があり、ここには高校時代の同級生が幾人か、常にたむろしていた。そのなかに通称モンと呼ばれる門田がいた。モンは運河に打ち捨てられた1艘の舟に屋根をつけ、この町の周辺ならどこででも見られる淡水魚、タナゴを飼育していた。モンがタナゴに惹かれたのは、ある春の産卵期に鱗が七色にひかるタナゴを熱帯魚と間違え夢中で捕獲したことに始まる。ところが産卵期を終わると鱗はただの銀灰色に戻ってしまった。しかし七色の虹の色は忘れられない。これがタナゴの飼育の病み付きになる原因となった。タナゴはきれいな水でしか生きていくのは難しい。川の汚染はその姿を変えた。モンの飼育する水槽の中にも金魚と見間違えるようなタナゴが増えた。私もいつしかモンのタナゴに惹かれるようになる。モンは最近家に帰らず、舟で寝泊りし朝、職場である町役場に通うようになった。私もモンと一緒にタナゴを見て過ごす時間が多くなる。そして間もなくモンと舟に寝泊りするようになった。彼と夜を過ごすようになって私は変わった。彼のことを考えるだけで映画にも、お酒を飲むことにも、美術学校の友達と付き合うことにも関心がなくなった。 1971年2月モンが河で死んだ。2月の凍りつくような水の中で彼は心臓麻痺を起こして死んだ。残された黒い雨合羽とゴムの長靴は彼が最後まで身につけていたものだ。彼が飼育していた1000匹を超えるタナゴは川へ帰された。22歳の春私はこの町を出て東京で暮らし始めた。最初のアパートは江戸川近くの埋立地で、次は大塚それからも方々を転々とした。アパートを替わる度に新しい恋人ができた。私の生まれ育ったあの町に帰りたいとは思わない

                  12月29日(土曜日)
今年も余すところ後3日。いつの間にやら月日は過ぎてゆく。私も今年満68歳を迎えた。日本人男性の平均寿命は78歳だから長生きしてもあと15年生きられるかどうか。年の瀬を迎えて思わず感傷的になってしまった。

これまでの人生の中で今年ほど本を読んだ年はおそらくなかったと思われる。老眼鏡をかけながらでも、目の見えるうちはせいぜい読書を楽しもうと思う。それにしても近くに図書館があるということはつくずく有り難い事だ。自腹で読書を楽しむのであればとてもこうは行かない。図書館は市の行政サービスの中で一番ありがたく感謝しているところである。
ところで、今年読んだ本の中でとくに印象に残っている作家と作品を列挙しておく。
      車谷長吉    「赤目四十八瀧心中未遂」「業柱抱き」
      小川洋子    「ミーナの行進」「博士の愛した数式」
      荻原浩      「明日の記憶」
      村松友視    「永仁の壷」
      村山由佳    「星々の舟」
      絲山秋子    「沖で待つ」
      吉田修一    「パレード」
      朱谷湊人    「花まんま」(読書感想記未記載)
        

  


























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