4日目:5月11日 ブハラ見学
ブハラはシルクロードの中枢に位置し、2500年以上の歴史を誇る町。その旧市街には中世の町並みが保存され世界遺産に登録されている。ブハラの黄金期は9世紀のサーマーン朝時代に始まるが1220年にチンギス・ハーンの来襲で灰燼に帰した。しかし16世紀のシャイパニ朝になってブハラは再び蘇り、多くのモスクやメドレッセが建造された。ブハラのシンボルカラーンミナレットやカラーンモスク、アルク城他多数の建造物が保存されている。
カラーン・ミナレット (光塔)とカラーン・モスク、 ブハラのシンボル的存在 |
アルク城、2000年の歴史があり、 歴代ブハラ・ハーンの居城 現存の建物は18世紀のもの |
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アルク城屋上から ブハラの街を望む |
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塔頂に残された巨大な コウノトリの古い巣 |
路上に並んだ名産の青い皿 |
■5日目:5月12日 ブハラからシャフリサーブスへ、見学後―サマルカンドへ(泊)
シャフリサーブスは古くはソグディアナの古都。14世紀チムール帝国を築いたチムールの生誕の地。緑の町という意味の町の名はこの頃のオアシス都市としての豊かさを物語っている。アク・サライ宮殿やドルッティロヴァット建築群など壮麗な建物が残っている。
ヒメアカタテハ、 日本でもおなじみ |
ティムールの宮殿アク・サライ(白い宮殿)、 1380年着工のティムールの最大の建造物 |
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ティムール像 |
■6日目:5月13日 サマルカンド見学
紀元前4世紀にはすでに都市文明を営んでいた。モンゴル軍に破壊されたが、後にチムール帝国の首都としてよみがえった。中央アジアを代表する建築群レギスタン広場(砂の意味)、グリ・アミール廟(支配者の墓)など壮大な建造物が今もかっての栄華を伺わせる。
レギスタン広場、 ティムール時代はバザール等 商業の中心地、公共の広場 |
グリ・アミール廟、 ティムール他支配者の墓 |
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あるレストランで イワシャコ(Chukar)を 見つけた |
墓石にカササギが止まる |
■7日目:5月14日
サマルカンドからタシケントへ、タシケント観光、夜ウズベキスタン航空にて帰国(15日関空着)
ウズベキスタンの首都タシケントはサマルカンドの北東300kmにあり、砂漠の道を5時間かけて戻った。途中タシケントから約100kmの地点でシルダリア川を渡ったが、渡る手前の1,2kmの間道路と並行してはしる高圧電線のほとんどの鉄塔にコウノトリの巣が築かれており、親鳥と雛も多数の巣で見られた。走るバスのなかからあわててシャッターを切った。
首都タシケントは200万以上の人口を抱える大都会で、中央アジアで唯一の地下鉄が走り、真っすぐ延びる道路に大きなビルが連なるおよそシルクロードの印象からはかけ離れた近代都市である。1966年の直下型大地震で町は壊滅したが、ソ連の各地からの支援により数年で近代都市に生まれ変わった。
我々はナヴォイ・オペラ・バレエ劇場を訪れたが、素晴らしい立派な建物であった。実はこの劇場は第二次大戦後タシケントに抑留されていた旧日本兵などの捕虜に強制労働で造らせた建物のひとつで、大地震の時もびくともしなかったとのことである。(終り)
ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場 |
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コウノトリの巣、親と雛も見える | コウノトリ4段の巣 |